『形振りを構わないのならば奴を頼れ』
その殺し屋の名を月光・S・ピエロと言った。
彼――月ピが殺しの依頼を失敗したという話は存在しない。
そして彼が依頼人の要望を聞き入れたという話もまた存在しない。
『奴が聞くのはターゲットだけだ。殺害手段も、場所も、時間も。奴の気紛れにしかならない』
以前その忠告は聞いていた。
それでも男は眼前の、噂に聞いていた月ピと呼ばれる殺し屋に、真剣な表情で頼るしか無かった。
「――ターゲットは山乃端一人。やり方は一任する、それがお好みなんだろう。月光・S・ピエロ」
・ ・ ・
山乃端一人が気付いた時、夜の街から出られなくなっていた。
いつもはもっと人が居るはずの通り。なのに通行人はおろか店員すら見かけない。
息を切らして走り回っているのに、隣の駅にすら辿り着けない。
気が付いたらぐるりと一周してしまっている。
「……どうして」
呟いたのは困惑と恐怖。
明らかに何かが起こっている。
誰かが自分を追いかけている。
荒くなった呼吸を落ち着けるためせめて路地の壁に背中を預けようとした。
「え、――がっ」
あるはずの壁の感触は無く、緩んでいた体は地面に倒れ予想外の痛みに声が漏れた。
涙がにじむ視界の中に。
「山乃端一人だな」
刃物を構えた覆面の人物が居た。
その声色は問いかけのようで、その実まるで興味を感じさせないものだった。
「……」
間抜けにも口を開けたまま硬直する山乃端一人は、それが自分の命を狙う刺客だと理解する暇もなく。
振り下ろされる刃物を呆と見て。
「――《Au clair de la lune,Mon ami Pierrot 》」
どこからか響く男声と共に、おかしな恰好の人影が割り込んで刃物を代わりに受けるのを見た。
「何……?」
刃物を突き刺した覆面の人物は闖入者に少し動揺しながらも、しかしそれを即座に抑え闖入者にトドメを刺すべく刃物をさらに押し込んだ。
「『新宿新月真宵家』。夜の新宿に限り自分の領域とすることができる魔人と聞いたが、なるほどこのように使うのだな」
――歌声が途切れ、代わりにそんな言葉が聞こえた。
それと同時、刃物を押し込まれていた人影は途端に消え失せ、そこから数枚のカードが地面に横たわっていた山乃端一人の体へと降り注いだ。
覆面は押し込んでいた相手が消えたことでバランスを崩し前につんのめりながらも、素早く刃物を構えて周囲を警戒する様子を見せた。
そしてふと、手元の刃物が一枚のカードを貫通していることに気付いた。
「これは……」
思わず眉をひそめる。覆面には読み取れなかったが、そのカードには文字が書かれていた。それは。
「『圧死』を選んだか」
その声は山乃端一人の比較的近くから聞こえた。彼女は自分を挟んで覆面と対峙するようにサングラスを付けた男が立っていることにようやく気付いた。
――こんな真っ暗なのに、なんでサングラス?
あまりにも許容量をオーバーしてしまったからか、そんなどうでもいい思考が走った。
「……遊ぶとは余裕だな。その容貌、噂に聞く月こ」
――けたたましい轟音。まるで雷が落ちたかと錯覚する衝撃に反射的に悲鳴を挙げながら山乃端一人はゴロゴロと地面を転がり頭を抱えてうずくまった。
そして、五秒後。その続きが何も起こらないことにゆっくりと顔を上げてうっすらと目を開いた。
そこには。覆面が立っていたはずの場所に鉄骨が突き刺さっていた。周囲には何か有機的な物体や液体が飛び散っている。それらが元が何だったのかは脳が理解を拒んでいた。
「ターゲットではない相手に仕込みを使うのは勿体ないが、サービスとしておこう。同じ相手を狙ったよしみだ」
サングラスの男が何を言っているのか分からない。ただ、覆面の人物が自分を殺そうとしている状況から逸したのだと、山乃端一人は理解し。
「あの、」
助けてくれてありがとうと、その一言を伝えようとして。
「――《Ma chandelle est morte 》」
再びその歌を聞いた。今更ながら先ほども聞こえたその男声がサングラスの男のものだったと気付き。
目の前に突然現れた、先ほど刃物を刺されていたはずのおかしな恰好の人影に両足を拘束された。
「助けっ……っ? ッ!? た、助けっ!」
人影はもういない。ただ残された拘束具が彼女の移動の自由を奪っている。
「私のターゲットは、私自身の手で殺める。他の殺し屋にやられるのは許容できない」
ようやく理解した。助けられたのではなく、二人居た刺客が一人に減ってその一人に今まさに命を奪われようとしているのだと。
「山乃端一人。選ぶといい。生憎他に仕込みが無いため先ほどと同じカードチョイスで恐縮だが。そこに書いてある方法で殺害しよう」
「た、た、……は? な、え……?」
「どうしても選べないならしょうがない。好みではないが私がチョイスしよう」
両足を拘束され、芋虫のようにのたうち回る山乃端一人の眼前に、無造作に数十枚のカードが振りまかれた。
『圧死』のカードを引き、鉄骨に潰された覆面の刺客の最期を思い出す。
わずかな希望を持ってサングラスの男を見上げる。その表情からはただ「選べ」という言外の圧を感じた。
山乃端一人は固く目をつぶってから、悲鳴と共に一枚を手に取る。そこには。
「『殴殺』」
サングラスの男は目前でシュンシュンとシャドーを始めた。まるで目に見えない速度だ。
「い、いやぁ!」
思わずカードを投げ捨てる。それを見たサングラスの男はふむ、と唸り。
「いやか、ならもう一枚選びなおすといい。惜しいな、今のは比較的楽な死に方だったのだが」
存外に雑なその言葉に喜べばいいのか悲しめばいいのかそれとも怒ればいいのか。分からないまま山乃端一人はさらに一枚を取った。そこには。
「『ゲーミング毒殺』」
サングラスの男は虹色よりも複雑な色合いをした液体が入った瓶を取り出した。まるで目に優しくない存在だ。
「い、いやぁ!」
思わずカードを投げ捨てる。それを見たサングラスの男はふむ、と唸り。
「いやか、ならもう一枚選びなおすといい。惜しいな、今のは比較的面白い死に方だったのだが」
流石にこれは怒るべきだと思ったが。
「だが私も流石にこれ以上は待てない。あと十秒、何を選んでも次で確定だ」
その言葉に急かされるように――冷静になれば、もはやそこで焦ったところで何ら意味はないのだが――どれを選ぶべきかと、右手を空中で迷わせ。
「えっと、えっと――」
「五、四……おや、それか」
「……え?」
見れば。
山乃端一人はどれを選ぶべきか決めかねていた右手とは別。
単に体を起こすために地面に突いていた左手が一枚のカードを触っていた。
「いや、違っ」
「次で確定と言っただろう」
そう言いながらサングラスの男は山乃端一人が左手で触っていたカードを取り上げ、めくり。
「……ほう。そう来たか」
男はそう言って口角を上げながら、そのカードを懐に仕舞う。
「私の名は月光・S・ピエロ。月ピ、と。その名前を脳裏に刻んで死ね」
そう言いながら、彼は怪しい薬瓶を手に取り、目に見えない速度のジャブで山乃端一人の顔元へと投擲した。
――山乃端一人の意識はそこで途絶える。
・ ・ ・
――山乃端一人の意識はそこで目覚めた。
「……」
なんてことはない。自宅のベッドの上、当たり前の朝、いつも通りの光景だ。
ただ妙に寝汗をかいていて、それと脳裏に残る謎の言葉が気になった。
「月ピ……?」
つきぴ、つきぴ、と何度か口内でその言葉を転がすが、いくら首を傾げたところで答えは出ない。
「……変な夢」
具体的にどんな夢だったか思い出せないまま、山乃端一人はそう結論付けて呟いた。
・ ・ ・
「私のターゲットは、私自身の手で殺める。他の殺し屋にやられるのは許容できない」
暗がりの中、サングラスを付けた殺し屋――月ピは鳴動する通信機を無視してそう言った。どうせ依頼人からのクレームだろう、気にするつもりは毛頭無い。
「山乃端一人。お前は私が、私が決めた死に方で死なせる。それ以外は許さない」
月ピの手には一枚のカードがあった。山乃端一人が最後に選んだカード、彼女自身の末路を描いた一枚。
殺し屋は、その一枚を無造作に放り投げる。投げられたカードはくるくると宙を舞い、ひらひらと地に落ち。
「――《Ma chandelle est morte, Je n'ai plus de feu Ouvre-moi ta porte, pour l'amour de Dieu. 》」
落ちる直前、闇の中から現れたおかしな恰好の人影――月ピの魔人能力によって召喚されたピエロの手によってバラバラに切り裂かれた。
「邪魔をするのなら誰であろうと殺す」
八つ裂かれたカードはもう何が書かれていたのか読み取れない。
しかし山乃端一人が選んだ時、彼女の運命はこのように示されていた。
『孫に囲まれながら老衰で死ね』