夏の暑さを肌で感じる時。
僕はいつも思い出す。
田舎特有の暑さを感じる夏の土の匂い。
うるさいほどの虫の声。
変に濁った空模様。
何処までも真っすぐで、だけどどこにも行くことが出来ない霧の道。
そして、ニッと音が出るほどの笑顔で話しかけてきた、ハッピーさんの突き抜けるような声。
僕はいつも思い出す。
夏が来るたびに、あの人との一夜だけの大冒険を思い出す。
◆◆◆◆
都心から電車とバスを用いて三時間。
人里離れた山奥にNという村がある。
交通の便は悪く、特に目立った特産品はなく、観光の目玉などもない。
普通であれば過疎化が進み消え去るのを待つだけの環境にある村。
しかし、その村は酷く奇妙なことに、豊かな村だった。
豊か、というのは自然が豊かだとか、そういうわけではない。
単純に村人の羽振りがいいのだ。
村人の服装は一目でソレと分かる高級品。
みすぼらしい家など一つもなく、つい最近建てられたであろうピカピカの新築もちらほら見える。
主要な道はしっかりと舗装されており、電波もばっちり通じる。
田舎特有の土の香り、山の木々の揺れる音、虫やカエルの声さえなければ、ちょっとしたベッドタウンに迷い込んだと錯覚するほどの光景が山奥に広がっていたのだ。
村というだけあって規模は狭いが、その狭さと豊かさのアンバランスさがまた奇妙な印象を与える、そんな村であった。―――しかし、その村の奇妙さは、豊かさだけではなかった。
子供が見当たらないのだ。
若者はいる。しかし、子供が見当たらない。
中年はいる。しかし、子供が見当たらない。
当然老人もいる。しかし、子供が見当たらない。
豊かな地域であれば当然あるべき子供の影がないのだ。
にもかかわらず、村人たちは何も不安なことなどないという風に、幸せそうに過ごしている。
豊かで、静かで、奇妙な村だった。
◆◆◆◆
夕過ぎ、陽が陰り始めた山間の道の前に、人影があった。
活発そうな印象を与える、大きな黒目を持った少年だった。
年のころは十といったところか。
同年代の平均的な子供より一回り大きい体つき。
細すぎず、太過ぎず、適度な脂肪と筋肉に包まれ、背筋はピンと伸びている。
ほどよく日焼けした褐色の肌には生命が満ち、傷一つなかった。
自然の中で、のびのびと、そして大切に育てられたのがよく分かる少年だった。
彼こそは、この奇妙な村にいる唯一の子供。
凛とした立ち姿には活発さだけでなく利発さも感じられた。
普段であれば彼はまさに少年らしい輝かしさに包まれていただろう。
普段であれば、と表現したのは、今の少年は酷く緊張していたからだ。
いや、緊張というよりも、怯えを必死に押し込もうと努めていたからだ。
少年は白装束に身につけていた。
更には周りを張り付いたような笑顔をした大人たちが囲んでいた。
「立派に勤めを果たすのじゃぞ」
「いやあ光栄なことじゃ」
「名誉じゃ名誉」
「ほんにほんに」
「お前はこのために在る」
「みーんな、お前に感謝するからね」
「ありがとう。ありがとう。ありがとう。」
次々とねぎらいとも、惜別ともつかない言葉が少年に浴びせられる。
その言葉を少年は緊張をはらんだ瞳で、泣き笑いの表情で受け止めた。
大勢の村人が少年に言葉を投げ終えたところで、少年の母親が最後の言葉を告げに来た。
「…分かっているわね?これから貴方は真っすぐに、この道を進むの。」
母親が指さす先には、入り口をしめ縄で塞がれた道があった。
村の道は塗装されていたが、村から少しだけ離れた山間のその道は、丁寧に整備されてはいたが、
自然そのままにあった。
「母さんは誇らしいわ。無事にお勤めを果たしなさいな。真っすぐ。真っすぐに。」
少年は何も言わず、何回も頷いた。
母親の言葉に従い、しめ縄をくぐり、不思議と先の見えぬ道に入る。
村人の盛大な拍手と声援が少年の背を押す。
「ありがとう!ありがとう!」
「安泰!安泰じゃ!」
「これでこの村はこれまで通りだ!」
村で唯一の少年を夕暮れの中、熱狂と共に送り出す大人たち。
この異様な風景に、異を唱える者は村にはいなかった。
少年の母親でさえも。
少年は、真っすぐに道を歩く。
夏特有の湿気が少年の肌を汗で濡らし、白装束がピタリと張り付く。
だが少年にはその不快感を気にする余裕は無かった。
妙に甲高く響く蝉の声も、鬱蒼とした山の木々のこすれる音も、少年の耳には入らなかった。
真っすぐに。真っすぐに。
ただ母の言葉に従い、黙々と前を目指す。
道は濛々と霧が立ち込め、先が見通せない。
それでも少年は歩き続ける。
ただひたすらにこの道を進む。
それが少年に与えられた使命だった。
このために生きてきた。
何か、を考える余裕は少年にはなかった。
ただただ進んだ。
どこまでも続くような、先の見えない道をただ進んだ。
いくら歩いても、進んでいる気がしなかったが、それでも歩いた。
濃い霧に意識が朦朧としてきて、ただ歩くことのみに注力していたその時、からっと通る声が、少年の耳に飛び込んできた。
どこまでも明るく、不安を感じさせない声色だった。
「よう、坊主。―――ハッピーかい?」
少年しかいないはずの先の見えない道に、獅子を思わせる金髪をたなびかせる革ジャンの大柄の男が立っていた。
その男の名は、遠藤ハピィ。通称ハッピーさん。
――“世界一諦めの悪い男”
◆◆◆◆
少年は、一瞬ビクリと身をすくめた後、大男の方から視線を逸らし足早に進んだ。
「っておい!無視かよ!!」
オーバーな素振りで大男は少年の歩みの前に立ちふさがった。
少年は困ったような顔を見せ、呟いた。
「知らない人とお話ししてはいけません、って母様が言ってた…」
完璧な正論に、「うぐ」と一つ男が息を漏らす。
コホンと一つ咳ばらいをし、男は胸ポケットから名刺を取り出した。
「あー、確かに坊主の母様のいう事は正しいな。ほれ、ワタクシ、コウイウモノデゴザイマス」
男が差し出した名刺には
文潮社 『今日のアウトドア』 編集者 遠藤ハピィ
と刻まれていた。
(ハピィ?)
怪訝な瞳で少年は男を見る。ハピィというからにはハーフと思われたが、目前の男はアジア人丸出しの顔つきだった。本名を記載していないのだろうか。
「…大体考えてること分かるけど、本名だよ。そしてバリバリの日本人だよ!親がノリでつけたんだよ!ハピィって!」
もう何度も同じ対応をしてきたのだろう。少年の反応を見て男が告げる。
「俺は半端は嫌でな。だから坊主…俺のことはハッピーさんと呼んでくれ!そっちの方がしっくりくる!みんなそう呼んでるしな!」
ビシッ!と自らを指す。
ハッピーさんと名乗る金髪革ジャンの大男。
少年は警戒心をむき出しにするが、それを無視してハッピーさんは続ける。
「道に迷ってしまってな!坊主!案内してくれないか!?」
こんなところに迷い人?
少年は大いに疑ったが、その疑問を直接ぶつけては、この見ず知らずの大男が何をするか知れたものじゃないので疑いを口にはしなかった。
「…僕、用事があるから…村ならこの道を真っすぐ戻れば着くよ」
「?いやいや、俺は村から来たところなんだ。村から出て帰りのバス停にいこうとしたら迷っちまったんだよ」
あからさまな嘘。
狭い村にこんなに派手な大柄の男がいたならばすぐに噂になる。
ただ少年は、ここで押し問答をして時間を費やすのは嫌だったので、無視して母親の言いつけ通り道を進むことを再開した。
「ってまた無視かよ!坊主、村と逆方向に行くってことは先に何かあるんだろ?俺も同じ方向いくわ」
黙って先へ進む少年に、ハッピーさんと名乗る大男はついていく。
少年は、ここでハッピーさんを振り切っても良かったし、離れるように言っても良かった。
だが、少年は黙って歩くに任せた。
年齢の割には体が出来ていて、利発な少年であったが、それでもまだ少年。
一人夕暮れの道を進むことに、我知らず不安を覚えていたのだ。
誰かがそばにいる、という事の安心感。今すぐに離れる必要もないだろうと自身に言い訳し、歩き続けた。
少年が黙々と歩く中、ハッピーさんはペラペラと色々喋り倒した。
「いやー、坊主に会えて良かったわ。俺この辺りの土地勘全然ないからさあ」
「にしてもやっぱり空気が良いねえ。夕日も奇麗だ」
「あー!キャンプしたい!釣りして、それをその場で焼いて食うの最高だものな」
「この辺り、川や湖ってあるの?いい魚釣れんじゃない?」
「魚と言えばこないだ友達と沖釣りでキンメ釣ってさ!こーんなデカかった!」
「釣ったと思ったらそれが…」
「肉を捌くとき…」
「オヤジさんが無茶苦茶でさ…」
「そこですかさず一気飲みして…」
話はどんどんと脱線していき、ハッピーさんの趣味のアウトドアの話、幼いころの思い出、昔のコイバナなどなどが展開された。
少年は黙って聞きながら歩いていた。最初は特に聞くつもりもなかったが、ハッピーさんの話術と、妙に人を安心させる抜けるような声が心地よく、気が付いたら少年は積極的にハッピーさんの話に耳を傾けていた。
特に、自分の知らない都会の話には興味を揺さぶられた。
「そこで俺は言ってやったのよ。『人に暴力をふるうような最低の奴は、俺がぶん殴ってやる!』ってな!」
「…っふふ。なんだそれ」
「お!やっと笑ったな坊主。お地蔵様にでも喋ってるのかと思って、俺は不安だったよ」
「…ちゃんと聞いてたよ」
そこから、二人の会話は弾んだ。
少年は村の外のことをしきりに聞きたがった。
学校のこと、映画のこと、最近はやっているゲームのこと。
どのくらいの時間話をしただろうか。
少年にとっては、長いとも短いとも思える不思議な時間だった。
だがどんな時間にも終わりはある。
鬱蒼としていた霧は少しずつ晴れ始め、道の先には大きな黒の鳥居が鎮座していた。
その鳥居を目にした少年は、少し悲しそうな顔をした後、告げた。
「ハッピーさん。ここまでお話してくれてありがとう。でも、ここからは僕だけで行かなきゃいけないんだ。そうしないと母様や村の人に怒られちゃうから…お願いだから、ここで帰ってくれないかな…?」
夕暮れ。
田舎の小道。
黒鳥居。
降りしきる蝉の声。
少年の言葉は真摯で、決意に満ちていた。
自分ひとりでこの先に進むと、有無を言わせぬ迫力に満ちていた。
その迫力を、ハッピーさんは無視する。
「おしらいさまのところに行くから、かい?」
少年はビクリと大きく体を震わせた。
「坊主だって何となく分かっていただろう?こんな山奥に迷い人なんているわけない…と。その通り。俺は最初から全部知っていてここに来たんだ。アウトドア雑誌の編集者というのも嘘。本当は魔人警察の人間さ。」
そうして、淡々とハッピーさんは村の秘密を暴いた。
少年の村は、生贄をおしらいさまに捧げることで発展してきた村。
【二十年に一度、齢十になる美味しい子供を寄越す】
【もし不味い子供を寄越したなら村の子供を皆食ってやる】
そういう古からの制約により守られてきた村。
子供の命を代償に、豊かさを享受してきた村。
少年はその生贄のために育てられてきた。
少年の他に子供がいないのは、万が一不味いと思われた時に他の子どもを食われないように。
犠牲は一人でいい、というわけだ。
いつから村がこの方法で発展してきたかは誰も知らない。
ただ、村人たちはそれが当たり前のこととして、おしらいさまに子供を捧げ、おしらいさまを崇拝し、おしらいさまの加護の元に暮らしてきた。
「坊主。俺はそのおしらいさまをぶっ飛ばしに来た。この儀式の日ならおしらいさまは確実にこの先に現れるからな。子供を犠牲にしなきゃならん繁栄なんてクソくらえだ。必要な犠牲?犠牲なんて無い方がいいに決まってる。」
「…じゃあなんで僕に近づいたの?」
「多分おしらいさまはぶっ飛ばせる…けども絶対じゃない。万が一に備えて生贄の子供を逃がしておきたくてな。洗脳とかされてるなら張り倒すつもりだったんだ。それと、確認をしたかった。」
「…確認?」
ハッピーさんの瞳が細くなり、ギラついた輝きを見せた。
「諦めてないか、をだ。本人が完全に納得しているのなら、もしかしたら俺が関わるべきではない話なのかもしれない。ただ、他の道を諦めて死のうとしているなら、それは絶対に止める。」
ハッピーさんの身勝手な理屈に、少年は激高し叫んだ。
「…諦めるとか!そういう次元の話じゃないんだよ!おしらいさまは無敵なんだ!人間なんかが勝てる存在じゃないんだ!」
「勝てる可能性があるしたら、坊主はどうする?それでも生贄になるかい?」
勝てる可能性?少年はそんなこと考えたことも無かった。
だから初めて、生まれて初めて、自分が生贄にならずとも事態が解決する未来に思いを馳せた。
「それでも無理だよ!おしらいさまは怖いけど、それでもこの村を守っているんだ。おしらいさまがいなくなったら、化け物みたいな大蛙が村を襲うって爺様が…」
「おしらいさまを倒したら大蛙が出る?まとめて俺がぶっ飛ばしてやる。」
当然のようにハッピーさんは言った。
少年にはそんなことが出来る人間がいるとは思えなかったが、ハッピーさんには不思議な説得力があった。
「僕が生贄にならなかったら、村の人が困っちゃうんだ…!それに、それに、僕はそのためにここまで育てられたんだ…!今さら、今さらそんなこと出来るわけないじゃないか!」
少年の痛切にして真摯な叫び。
それを、ハッピーさんはバッサリと切り捨てた。
「そんなことは知らん。俺は村の都合も生贄の歴史も興味がない。」
ハッピーさんは軽く身を曲げて、視線を少年に合わせた。
真正面から少年を見つめる。
「お前が、心底から生贄になることに納得しているのなら、俺はお前を止めない。生贄による繁栄も…俺は全く納得いかないが、アリなんだろう。だけどもしも、少しでも死にたくないのなら。生きるのを諦めているだけなのだとしたら。俺は全力でお前を生かす。諦めて死なせてなんかやらん!」
それは強者の傲慢。
生きている方が楽しいはずだ、という身勝手な理屈の押し付け。
「さぁ、坊主。どうする」
覚悟が完全に決まっているならば、本当に心の底から生贄となりたいのならば、少年はハッピーさんを振りほどいて鳥居の先に向かっただろう。ハッピーさんもその決意を無下にはしなかっただろう。
しかし、少年の足は止まった。
「…僕、本当に、生贄になっていいと思ってたんだ。それで村の優しい人たちが助かって、母様が笑ってくれるなら、僕の一生は最高だって、本気で思っていたんだ…」
じわりと、涙が瞳に浮かぶ。
「だけど、だけど…もう無理になっちゃった」
ポタポタと涙が地に落ちる。
もう我慢できないという風に少年は叫んだ。
「ぼ、僕の、僕の母様のお腹の中には…赤ちゃんがいるんだ…!」
少年はたまらず泣き出してしまった。
今まで考えないようにしてきた、見ないようにしてきた負の感情に襲われ、ボロボロと泣き出した。
少年の告白を、ハッピーさんは沈痛な面持ちで受け止める。
――つまるところ少年の母親は、早々に【本命】を仕込んだのだ。
二十年に一度の生贄の儀式。怪異が好むのは十歳前後の子供。
ならば少年を生贄に捧げるタイミングで次の子供を産めば、次回の生贄の対象とはならない。
少年は文字通りの生贄。母親はそれを隠しもしなかったのだ。
「ハッピーさん…僕、本当は死にたくないよう。生贄なんてやだよう」
それは少年が十年間誰にも言わずに飲み込んできた言葉。
村人には決して言わず、母親にすら隠してきた、生涯表に出すまいと心掛けてきた言葉。
「助けて」
一瞬、山奥の木々のせせらぎの音がやんだ。あれだけうるさかった虫の声も止まった。
そして、一つ強くゴウと風が吹いた。大男の髪が激しく揺れる。
ニィと、噛みつくような笑顔をハッピーさんは見せた。
「任せろ!!」
ハッピーさんは一人、黒鳥居をくぐり進んでいった。
◆◆◆◆
黒鳥居の先、山奥にしては非常に豪華な造りをした社。
そこに、その怪異は在った。
おしらいさま。
下半身は大蛇。
上半身は長髪の女。
ただしその上半身からは腕が八本、不規則に生えていた。
そして何より女の顔面は、下顎が大きくバクリと割れ、胸のあたりまで垂れ下がり鰐を思わせた。
だらりと垂れ下がった舌が、不規則にチロチロと踊る。
全長は見当もつかないが、蛇が鎌首をもたげるように上げられた上半身は、約5メートルの高さから得物を見下ろす。
完全なる人外。
生贄の子供を喰らい、村人の生贄を準備する罪悪感を喰らい、信仰心を喰らい、ぶくぶくと膨れ上がった大怪異。
ハッピーさんはその怪異を前に、躊躇わず姿をさらす。
その瞬間、境内に殺気が満ちた。空気が震える。
『…わえは、些末な人間の企みなんぞどうでもよい。どうでもよいが…楽しみにしていた生贄の邪魔をされて赦すほど寛大でもないわな』
気の弱い者ならば声だけで卒倒しそうな、低く、迫力のある声が大地に響く。
おしらいさまの怒りが、ピリピリと肌に突き刺さるかのようだ。
『貴様は殺してやらん。頭と背骨だけ残して生かしてやるわ。そして生贄の餓鬼。村の者への締め付けも兼ねて、村の真ん中で足先から少しずつ喰ろうてやる。少しずつ削り喰って、最後の一片になるまで意識は残るよう細工してやろうぞ』
「勘違いするなよ蛇女。これは俺が乱入しただけの話。ガキなんて知らねえよ」
『ほ!小賢しや人間!餓鬼を庇おうとな?』
言うが早いか、おしらいさまは指で輪を作り覗き込んだ。
『生贄の餓鬼。鳥居の前で震えて待っているのう。』
「チッ、遠見も出来るのかよ。芸達者だな。」
『嗚呼嫌じゃ嫌じゃ。お主何をした。あの餓鬼、わえの一番嫌いな目をしておる。生きることを諦めておらぬ。わえは、生贄になる以外に道はないと心が死んだ餓鬼を、少しずつ嬲って、やっぱり死にたくなかったと叫ばせるのが好きなのにのう』
「趣味の悪い蛇女だ。」
ゆらりと、ハッピーさんは刀を抜いて構えた。
背にしていたずた袋を床に放り投げる。
「刻んで干して肥料にしてやらあ」
『ほ!本気で定命のものがわえに逆らうか。命のくびきから解き放たれ、死を超越し、そこに在り続けることが出来るわえに?わえはもう千年この地におる。貴様らが侍だなんだと、遊んでるずうと前からじゃ』
「それがどうした。古けりゃ強いってんなら、世界チャンピオンはうちの爺さんだ。」
『ほざきよったなぁ!』
瞬間、おしらいさまの指先が怪しく光った。
「うお!」
身をよじり光弾を躱す。怪しい光はハッピーさんの背後の樹木に着弾した。
その瞬間、太い樹木に大穴が開いた。
「…呪弾!それもとびきり強烈なものを溜めもなしで!?」
『今更怖気づいても遅い!大丈夫じゃ、即死だけはしないように調整してやるからのう!』
おしらいさまの八本の腕が同時に怪しく光る。
さながらショットガンの一撃のように、大量の呪弾がハッピーさんに襲い掛かる。
その絶望的な波状攻撃を、ハッピーさんは笑って受け入れた。
妖刀武骨が、夕暮れの境内に剣閃を光らせた。
「『時よ止まれ、君は。』!」
その瞬間、ハッピーさんの足元にはリンゴ大の小箱が八つ転がっていた。
妖刀武骨は、怪異に干渉のできる妖刀。
そして干渉し、傷つけることが出来たなら。
魔人能力『時よ止まれ、君は。』により時間を止めて箱化できるのだ。
「…どうした蛇女。これでお終いか?この妖刀武骨、怪異を切り裂き、封じる大妖刀也。お前も箱詰めしてやるよ。」
大怪異を前に一歩も臆さず刃を突き付ける。
その刃をおしらいさまは笑った。
『ほほ!人間らしい小細工じゃ。確かにわえの呪いを防いだのは見事じゃが…怪異を切り裂き封じる妖刀、というのは嘘であろ?そこまで強力な刀なんぞあるわけがない。“切る”か“封じる”かどちらかは貴様の能力であろ?…魔人能力…であったか?』
冷静に判断をするおしらいさまに、ハッピーさんは内心舌打ちをする。
生贄を邪魔されたことで怒り心頭襲い掛かってくると思っていたが、想像以上におしらいさまは冷静だ。
ハッタリも瞬時に見抜いて、慌てることがない。
『貴様の能力が“切る”にせよ“封じる”にせよ…こうすればいいだけじゃのう!』
おしらいさまはハッピーさんと距離を取り、再び指先を光らせた。
呪弾が雨あられと襲い掛かる。
『遠くを攻撃できる能力じゃないわいなぁ!いつまで防げるか見物じゃ!』
「うぉおおお!!??」
妖刀武骨が煌めく。
呪弾を躱し、切り落とし、防ぐが、それは攻撃にはつながらない。
必死に妖刀を振るったとて、おしらいさまに刃は届かない。
ハッピーさんの足元にはどんどんと箱が貯まっていった。
五分ほど攻撃を防ぎ続けたハッピーさんは、全身を汗に濡らし、大きく肩で息をした。
何発かは掠ったのか、汗に交じって血も流れている。
革ジャンとTシャツも無残に裂け、鍛えられた上半身が剥き出しになっている。
『ほほほ!人間にしては大した腕じゃ。でもそろそろ限界かの?わえはこうして遠間から撃つだけじゃ。』
おしらいさまは高笑いをしながらハッピーさんを見下す。
距離を取り続ける限り、自身の負けは無いと確信し攻撃を続けようとする。
その余裕を、小さな呟きが打ち砕いた。
「解除」
ハッピーさんは、足元の小箱を蹴り上げ、おしらいさまの方へと向けてから能力を解いた。
その瞬間、時を止められていた呪弾が再始動。勢いが一切衰えることなく、おしらいさまへ放たれた。
『…?!うぉう!?』
自身の強烈な呪弾が、そのままの勢いで迫りくることにあっけに取られながらも、おしらいさまはなんとか呪弾を撃って相殺させた。相殺をさせたはいいが、もう既に余裕の表情は作ることが出来なかった。
「…意味が分かったようだな。散々打ち込んでくれたおかげでよぉ!弾は十二分だ!」
叫びと同時にハッピーさんは大量の箱を放り投げた。
「解除!解除!解除解除解除ォ!」
おしらいさまが打ち込んだ呪弾が、そのままの勢いで返される。
図体のでかいおしらいさまの下半身は良い的だ。到底避けきることなど出来ず、何発も何発も着弾し、血飛沫が境内を汚した。
『あ…が…貴様ぁ!』
「ほい!」
痛みに身をよじるおしらいさまにダメ押し。
ハッピーさんはずた袋から細長い木箱を取り出し、おしらいさまの真上に放り投げた。
「解除」
現れたのは、引き金を引かれた直後のショットガン。
真上からあやかし用の処理がなされた特殊散弾が降り注ぐ。
『あぎゃぁ!ぎざまぁぁ!人間の分際で…』
「解除ォ!」
おしらいさまの言葉に耳を貸さず、再び能力の解除を宣言。
その瞬間、おしらいさまの頭蓋の右半分が砕け散った。
(…なんじゃあ!?狙撃されている?らいふる、とかいうものか??)
おしらいさまは遠見を発動。残った左目で狙撃してきた方向に視界を飛ばす。
そうしておしらいさまは見た。大量の小さな箱が、それこそ、ライフル弾がちょうど収まりそうな箱が大量に設置されているのを。しかもそれらが、狙撃してきた方向だけでなく、ぐるりと囲むように設置されているのを。
「生贄の儀式の日だけは、お前は確実にここに現れる…準備するに決まってるだろ!だったらさあ!解除ォ!」
四方八方から狙撃。
例え千年生きた大怪異だろうと滅するだけの暴の嵐。
『舐めるな!人間!』
ここにおよび、おしらいさまは自らの奢りを反省し、誇りを捨て去ることにした。
つまりは、逃げることにしたのだ。全身を霧へと変貌させ、弾丸を躱す。
そうして、ハッピーさんには目もくれず境内から消失した。
(~~おのれ!おのれ!口惜しや!口惜しや!人間風情にこのわえが!!)
激情にかられながらも、おしらいさまは冷静に事態を判断し始めていた。
(あの人間とやり合うのはまずい。口惜しいが、まずは身を隠そう。そしてどこか別の土地で、また同じようにすればいいだけじゃ)
千年も馴染んだ土地から逃げるのは屈辱でしかなかったが、滅びるよりはましだと自分に言い聞かせる。
そうして逃走を果たそうとしたおしらいさまの目に、一つ、どうしても許せないものが映った。
それは生贄の少年。おしらいさまが逃げていく先、黒鳥居の根元に、少年はちょこんと座っていた。
(~!!貴様!餓鬼!貴様さえ大人しく死んでおれば!死んでおれば!許せぬ!丸齧りにしてくれるわ!)
全身を霧化させて逃走していたおしらいさまは、この一瞬、激情に任せて上半身を実体化した。
そうして少年の頭にぐちゃりと噛みついた。
だが、期待する甘い肉の味わいはなかった。
あるのは冷たい刃の味。
「ここに来ると思っていたよ」
間一髪、ハッピーさんは妖刀武骨で、少年を噛み砕かんとするおしらいさまの一撃を受け止めた。
受け止めただけでなく、瞬時に武骨に引く動きを加え、おしらいさまの顎に一筋の傷を加えた。
その瞬間、おしらいさまの背に嫌な汗が走った。
何か自分が大きな取り返しのつかないことをした予感に襲われたのだ。
だが、その予感の理由を考えるには至らなかった。
何故なら、もう考える時間は止まっていたのだから。
おしらいさまは はこのなか
すっぽりと箱に包まれたおしらいさまの時間は、もう進むことがなかった。
◆◆◆◆
「――もう、聞こえてないだろうが、説明だけはしといてやる」
ハッピーさんは、荒れた息を整え、汗と血をぐいと拭いながら語り始めた。
「俺の『時よ止まれ、君は。』で箱化できるのは俺が持ち上げることのできる重量まで…。お前はご丁寧に体を消失させて重量を減らしちまった。」
勿論それもハッピーさんの計算通り。
この村に巣くう怪異が姿を消すことが出来ると知ったうえで、質量を減らすように誘導したのだ。
「そして『時よ止まれ、君は。』のもう一つの条件。命あるものは箱化出来ない。」
【定命のものがわえに逆らうか。命のくびきから解き放たれ、死を超越し、そこに在り続けることが出来るわえに?】
「おしらいさま、お前が自分で言ったんだ。“命のくびきから解き放たれている”と。自分に命なんてものはないと。死もないと。」
心底嫌そうに、蔑むようにハッピーさんは言葉を吐いた。
「命を無くし、死の恐怖を忘れ、それに抗う勇気を忘れたお前は、前に進むことがない。箱の中が御似合いだろうよ。」
突然襲われ、突然助けられ。
少年は急な事態にフリーズしていたが、状態を理解すると飛び跳ねてハッピーさんに向かった。
「~~~~!!!」
声にならぬ声を上げ、少年は自身を助けた傷だらけの男に抱き着いた。
ありがとうと言うつもりだった。御免なさいと言うつもりだった。
ヌチャ
だが、言葉にならなかった。
それより先に、抱き着いた少年の手に嫌な冷たさを感じさせる粘液がまとわりついたのだ。
「ヒッ!」
少年は生理的嫌悪感からハッピーさんから離れた。
―――そうして、少年は見たのだ。
上半身裸のハッピーさん。その脇腹から背にかけて蠢く“何か”を。いや、“何か達”を。
その蠢く何か達は、肌の上をぶるぶると、絶え間なく動いていた。
様々な色と形質が混ざり合ったソレからは時折何か目玉のようなものがこちらを向いた。
【呪】
その道に明るくない少年でさえ、何かよくない物がハッピーさんに憑いていることはすぐに分かった。
「ぼ…僕のせい?僕を助けたから?おしらいさまの…僕のせ」
顔面蒼白になる少年の言葉を、ハッピーさんのデコピンが遮った。
バチンと小気味のいい音が社に響く。
「あいだ!」
「坊主、俺があの程度でこんななるわけないだろ?これらは別件さ」
何でもないことのようにハッピーさんは語りはじめた。
「この紫っぽいのは“落とし巫女”の儀式をぶっ壊した時の巫女からかな?」
「ちょっと飛び出ているのは八城の大蝗を潰した時に」
「目玉っぽいのは豪農の一族に憑いた夢猿を滅した時」
「ここは…」
「こっちは…」
日本中のありとあらゆるところでハッピーさんは、今日みたいなことをしてきていたのだ。特に誰に知られることなく。時には助けた本人にすら恨まれて。ありとあらゆる恨みと呪いを受け、それでもハッピーさんは笑っていたのだ。
「―――と、いうわけだから、これらは俺の今までのしくじりの結果であって坊主には何の責任も…ってウォ!酷い泣き顔だなオイ!」
ハッピーさんは少年には何の責任もないと慰めるつもりであったのだが、聡い少年には逆効果であった。
少年は、自分の感情が何かも分からず泣いた。
もし彼が大人であったなら、
何でもないことのように誰かの人生を救う大男の在り方に感銘を受けた
とか
小さなことに人生を終わらせようとしていた自身が変わったことに衝撃を受けた
とか
今日死ぬと思い込んでいたのに、予想外に生きることになり虚脱の反動が来た
とか
何か言語化出来たかもしれない。
ただそれをするには少年はあまりに幼すぎた。
訳も分からず、ハッピーさんの身に巣くう呪いを見て泣いた。
それはあんまりだと泣いた。
顔面をぐちゃぐちゃにし、よく響く声で山奥に泣き声を轟かせた。
「あ~、泣くな泣くな坊主。せっかく生きてられるのに泣いて過ごしちゃ勿体ないだろ?」
ハッピーさんは少年の頭をガシガシと乱暴に撫でた。
それでも少年はわんわんと泣き続けた。
「仕方ねえな…ほれ。とっておきだ」
そう言うとハッピーさんは背にしたずた袋から一つの箱を取り出し少年の前に差し出した。
解除、と小さく声が響く。
『時よ止まれ、君は。』が解かれ、箱の中から現れたのは、チャンポンだった。
たった今作られたばかりのような、湯気をもうもうと放つ長崎名物。
「俺の能力、こういうことが出来るのが最高でな!本当は俺の飯だが…大サービスだ。坊主にやるよ。」
いきなり差し出されたチャンポンに困惑する少年に畳みかける。
「チャンポンっていったら長崎だよな?ところがどっこい、コイツは北九州市のだ!名店、『來來』のチャンポン!鶏がらスープがスッキリしていて、蒸し麵のもっちり感が際立つ逸品!ほれ!ほれ!」
いいから食えとばかりに丼と箸を少年に押し付ける。
勢いに負けた少年は、目を白黒させながらチャンポンを口にする。
鳥居そばの階段に腰を下ろし、ふうふうと麺をすする。
少年は、チャンポンを、というよりラーメンを食べるのが初めてだった。
生贄として綺麗に健康に育てられた彼は、いわゆる体に悪いとされる食物を与えられたことがなかった。
チャンポンも知識としてしか知らなかった。
「…美味しい」
ポツリとつぶやく。
スッキリした鶏がらと蒸し麺、大量のしゃっきりした野菜の生み出す調和は、山道を歩き続けて冷えた少年の体を温かにした。そして北九州のチャンポンの大きな特徴であるトッピングのチキンカツ。それが揚げたてそのままの食感で存在し、少年の口の中でザクリと踊った。
「…美味しい」
それしか言えなかった。
つい昨日まで、少年は生贄として村のために死ぬと思っていた。
それでいいと思っていた。
しかし、一杯のチャンポンが、少年の体と心を温めた。
「おっと、それだけで終わらせるなよ?」
ハッピーさんは、更に箱を取り出して能力を解除した。
そうして現れたのは大きな塩むすびと沢庵。
「北九州のチャンポンっていったら、塩むすび!【ライス】でも【ごはん】でもなく【むすび】!坊主!むすびに齧り付いて、チキンカツとスープと麵をかっ込め!!!」
ラーメン初心者の少年には、塩むすびを口に入れながらスープと麺とチキンカツを追加することはなかなか困難な作業であった。それでも言われるままに懸命に流し込む。
熱々のスープ。少し冷えたむすび。麺。チキンカツ。炒められた野菜にナルト。
温度も味わいも食感もまるで違う存在が、口の中で互いに踊り回る。
固めの米にスープが沁み込みおじやのようになった瞬間にチキンカツが強烈に存在を主張する。
柔らかな味わいの中に光る強烈な歯ごたえと濃厚な肉汁。
それらを沢庵がサッパリとまとめ上げる。
「…美味しい」
少年は、相変わらずその言葉しか口に出来なかった。
他の言葉は出せなかった。
結局のところ、ハッピーさんが渡した食事は、ほんのひととき少年に「美味しい」という経験をさせるだけに過ぎなかった。
…そして、それだけで十分だった。
その食事だけで、まだ生きたいと、死にたくはないと、少年の命の灯が光を増した。
ただの一杯のチャンポンであったが、今後の人生を続けていくには十分すぎる理由になった。
もう少し日々を過ごそう、と思わせるにはそれだけで十分だった。
「ほれ、夜風が気持ちいい、飯は美味い、空は綺麗。最高だろ?」
ハッピーさんが綺麗と言って見せた空を少年は仰ぐ。
別に、特に美しくもない空だった。
少年にとっては見慣れた空。
むしろ霧の残滓と雲により、普段より濁って見えた。
でも、その空は、綺麗だった。
ただ何気なく、見上げた普段通りの空が、どこまでも美しく少年の目には映ったのだ。
「…時間、だな」
いつのまにやら、仰々しい装備に身を包んだ警官たちが、二人を囲んでいた。
田舎道を平気で進んでくるモンスターのような警察車両も何台か来ていた。
「ハピィ刑事!お疲れ様です!」
「ハッピーでいいと…まぁいいや。皆お疲れさま。首尾は?」
「は!村の混乱は制圧。その他の準備も全て完了しております!」
何が起きているか分からぬ少年の頭を、ハッピーさんはガシガシと撫でた。
「おしらいさまをこうして封印したし、坊主は生贄の任から逃げた…村が混乱し、下手したら暴動が起きかねないからな。そういう事が起きないように準備しといたのさ。」
まだポカンとしている少年を、ハッピーさんは警察車両に乗せる。
「いつかは分かり合えるかもしれないが…坊主、今すぐは村には戻れないだろ。施設に話は通しておいた。お前は、普通に、学校に通う日常を送れ。」
「え、ちょっと?」
「元気でな坊主!」
少年の言葉に耳を貸さず、強引に車両に押し込む。
警官もその辺りは心得ているのか、すぐに車は動き始めた。
「なんで?ハッピーさんを置いて?一緒に帰ればいいじゃ…」
混乱する少年に、警官は告げる。
「我々がいては、足手まといだからです」
その言葉で少年は思い出した。
【おしらいさまを倒したら大蛙が出る?まとめて俺がぶっ飛ばしてやる】
嗚呼。あの人はまだ。
何でもないことのように誰かを助け、ハッピーエンドにして笑うのだ。
それが当然のように、笑いながら日々を駆け抜けるのだ。
少年は再び浮かびかけた涙をぐいと拭い、
走る車の窓を開け大きく身を乗り出した。
ドンドンと遠ざかっていくハッピーさんの大きな背に手を振り、大声で叫んだ。
「さよなら!ハッピーさん!さよなら!そして…そして!ありがとう!ありがとう!!」
夕暮れの中、遠ざかる背中は、どこまでも大きい気がした。
◆◆◆◆
これが、僕とハッピーさんとの、ひと夏の冒険の話。
保護された僕は、懸命に施設での暮らしに馴染む努力をした。
初めての学校でも一生懸命頑張った。
その甲斐があって、何とか新しい生活をやっていけている。
ついこの間、断絶したと思っていた母親から無事を確認するメールが届いた。
ということは、ハッピーさんは大蛙を倒したのだろう。
なんだかんだ言って僕の山奥の故郷もそれなりにやっていっているのだろう。
結局僕は、あれからハッピーさんには会っていない。
施設の人に聞いても、「あの人は忙しい」という答えしか返ってこない。
それでも僕は、ラーメンをすするときにふと思い出す。
あのどこまでも快活で、抜けるような声を思い出す。
澄んだスープと、濃いチキンカツの味を思い出す。
濁っていたけれど、綺麗だった空を思い出す。
ハッピーさんは、今日も誰かのために笑いながら駆けているのだろう。
大空の下、死が目前に迫った誰かを、無理やりにでも助けているのだろう。
そう思うと、なんだか元気になるような気がした。
明日も良い日になる気がした。
僕は、今日も生きていく。
◆◆◆◆
その少女は、死が約束されていた。
彼女が死ぬことで宴が始まる。
そういう存在だった。
誰も彼女の死を顧みようとはしなかった。
この世界でも、彼女は死を約束されていた。
少女は受け入れる。
そういうものだと、諦めて死を受け入れる。
彼女の名は山乃端一人。
今度の死はいつごろ来るのだろうか。
彼女は胸元に入れていた、唯一彼女の存在を示す銀時計を見る。
あと一か月だろうか、一週間だろうか、もしかしたらこの瞬間だろうか。
生を諦め、死までの時間を数える少女の耳に、抜けるような、快活な声が響いた。
「―――お嬢ちゃん。――ハッピーかい?」
これは、少女が救われる物語。
東京の終着点。
約束されたハッピーエンドのお話。
了