第一回戦蟻地獄 肉皮リーディング
採用する幕間SS
なし
本文
「蟻地獄ってさ、蟻の視点で見ると迷路みたいになってるんだね。知らなかったな」
『それ冗談だよね』
「でも実際こんなになってちゃ、そう言いたくなるよ」
赤鹿うるふ(と木の枝のミチル)が試合の舞台となる蟻地獄に転送された直後、
周囲から砂岩の壁がせり上がり瞬く間に迷宮に閉じ込められる形になってしまっていた。
現在左右と上部は頑強な岩によって塞がれている。
「あーあ、この岩盤を柔らかく出来ればすぐゴールなのになー」
『無いものねだりしてもしょうがないよ。そもそもあの彼は君の味方じゃないだろ』
うるふ達のいう彼とは彼女が生前最後に戦った『触れたものを柔らかくする能力』
を持った少年の事である。
彼の能力があれば分厚い砂岩の壁といえど豆腐の如く崩して迷宮を突破出来るだろう。
だが、うるふはそんな力を持っていないし、岩盤を破壊出来る程の腕力も無い。
「取り敢えず真っ直ぐ進んで見るよ。こういうのはゴールにボスが待っているものだからね」
この戦場には時間制限がある。通常のエリア外逃亡の失格の他、
時間と共に流砂によって身体の自由が奪われ、流砂に飲み込まれれば場外負け扱いとなってしまう。
そして、この迷宮を作成した能力者の狙いは自分を迷わせる事ならば、動き続けて
足を沈まないようにしつつゴールを目指す事は敗北を退ける為の必須事項と言える。
「おいっちにー、おいっちにー」
砂に埋まりそうになる足首を引っこ抜きながら一歩ずつうるふは迷宮を歩み出した。
この先に待つのは当たりかハズレか、ゴールかボスの間か、そんな事を考えながら
歩き続けていると、人影を前方に発見した。対戦相手のどちらかと思ったが様子がおかしい。
「う…うあああ…タスケ…タスケテ…」
黒の下着のみの姿で壁にもたれ掛かるその女性の左腕には何本ものペンが突き刺さっており、
顔を蒼白にして助けを求めている。典型的な罠だなとうるふは思った。
この女性を餌にして、助けようとしたら背後から不意打ちする、あるいは、
この女性自身が対戦相手の変装でありこちらの油断を誘っている。
しかし、理屈ではそうであってもうるふは目の前で苦しんでいる女性を無視する事も
遠くから砂をぶつけて攻撃する事も選ぶことは出来なかった。
「…ママ?」
長い黒髪のその女性は負のコミュ力の有無を除けば、うるふを20歳程年を取らせた外見をしている。
それはうるふの記憶にある彼女の母そのものだった。
父に捨てられた後、自分を引き取って育ててくれた母。
うるふの負のコミュ力の影響で亡くなった母。
「ああ…タスケテ…う、うう?だ…れ」
母と同じ外見を持つ女性を直視し固まっているうるふ。
女性はうりふの存在に気付き顔を正面に向ける。その顔はうるふの思い出にある顔と一致している。
「うるふ?あなた、うるふなの?助けて!私気がついたらこんな所に!」
「ママ?ううん、僕のママがこんな所に居るわけが無い」
負のコミュ力に侵されようとも最後まで自分と向き合ってくれた唯一の存在。
近寄り助け、抱きしめたい衝動を抑える事が出来たのは今の自分にはそれ以上の
大切な存在がすぐ横に居たから。
『うるふ、いっちゃ駄目だよ』
数多の戦いを共に過ごした相棒の声が正しい道へと導く。
「うん、大丈夫。残念だね、ママの偽物さん。僕にはその手は通じないよ」
うるふの目が見開かれ、赤い赤い瞳が偽りの母の姿を捉える。
能力を強化された事により、母に変身していた存在に変化が生じる。
「グガッ、アアアアアア!!!!わ、私の身体が勝手にー!」
突如身体を震わせ、全身を掻きむしると破れた皮膚の下から太い木の枝が次々と姿を現し始める。
「クソっ、変身能力を解除しなければ!こんなものになってしまっては私が私でなくなってしまいそうよ!」
大樹へとその姿を完全に変えようとする身体を元へと戻す偽母。
いや、その外見は既にうるふの母親ですらない。
その女はこの蟻地獄で戦う戦士の一人、肉皮リーディングだった。
「ハァッハアッ、何て奴なのよ。死別した母親よりも家にあった木の方が大切だなんて」
『ふっふーん、僕とうるふの友情の勝利』
「お姉さんの能力は相手の一番大事な人に化ける能力って所だね。強化されて人間以外にも変身出来るように
なったからミチルが繰り上がったけれど、変身にお姉さんの精神が耐えられなかった」
「ええい、こうなったら当たって砕けろよ!」
腕に刺している様にみせかけていたペンの一本を手に取り、地を這うように
低い姿勢から肉皮は真っ直ぐ向かってくる。何のフェイントも無く、スピードも並の
ごく普通の人間レベルの攻撃に拍子抜けしつつ、うるふは右手に持ったミチルを突き出すと
肉皮の左目がぷちゅりと音を立てて潰れた。激痛に身をよじり、肉皮の攻撃は空を切る。
「うああああああ、私の目がああああああ!」
「変身能力無しだとそんなものなんだ。あは、おばさん思ったより弱いね」
「ちくしょおおお、ちくしょおおお!まだっ、死にたくなぁぁい!」
左右の目から涙と血を流しながら、肉皮は背を向け迷宮の奥へと逃げ出した。
有効な飛び道具を持たないうるふは追撃の為に追いかける。
しかし、うるふが追いつくよりも先に肉皮は勝手に脇腹から出血し、その場に倒れ込んだ。
「ぎゃああああああ!!」
曲がり角には一本の細い糸が血によって鈍く光るのが見える。
ワイヤーによるブービートラップが仕掛けられていた。これに胴体を引っ掛けて盛大に出血したのだ。
――――――――――――――――――
迷宮を作り、死角から武器と罠で徐々に追い詰める。決して万全の相手と正面からは戦わない。
対峙するその時まであらゆる手段を用いて敵の命を削りきる。
利根アリアにとって、蟻地獄が選ばれたのは幸運だった。
徐々に飲み込む力が増していく流砂は集中力を奪い罠の成功率を上げ、
魔人としては非力な自分でもワンチャンスでエリア外追放による勝利がある。
故に戦闘開始と共に迷宮を作り上げ、罠を設置しながら迷宮の奥へと引き篭る。
こうすれば対戦相手は迷宮の起点に存在する毒ガス発生場所を通らざるを得ず、
罠に手こずるうちに自分以外の二人が出会い、アリアの前に到着する頃にはボロボロになった片方だけを
相手すれば簡単に一回戦突破という理想の展開になる可能性も決して低くはない。
ザッ ザッ ザッ
アリアが潜む広間に近づく砂を踏みしめる足音が一つ。
音の間隔から相手はマトモに歩くのも辛いぐらいに負傷していると予測し、アリアは密かにほくそ笑んだ。
「…来たかい。さて、オレの相手は肉皮か赤鹿か」
闇に包まれた通路から姿を現したのは肉皮だった。
だが、その外見は既に戦闘を続行出来るとは思え無くなっている。
全身の皮膚は酸や刀剣によって削ぎ落され、両腕は骨が露出している。
ぽっかりと開いた口には前歯が一本も残っておらず、泡を吹きながらブツブツとうわ言を呟き、
左目は歪に潰れ、そこと脇腹からは血が延々と流れ続け糞尿と混ざり合い歩くたびに
地面に染みを作り出している。マントも下着も失われ、股間には短小な男の証がぶら下がり
睾丸は片方が破裂していた。
アリアが設置した全ての罠に掛かった事を傷跡が示している。だとするならば、
勝負するべきはコイツではない。
肉皮がその場に崩れ落ち、その身体がぴくりとも動かず砂に埋もれていく。
彼女の後ろには小柄で中性的な少女がいた。赤鹿うるふである。
『見て、部屋の奥に女の人がいるよ』
「本当だ。ねえ、お姉さんがこのダンジョンのボス?」
無邪気に質問するうるふ。だが、その陽気な声と可愛らしい外見に反してうるふの本質は
残酷そのものだとアリアは理解した。
「ククク、酷い事しやがるなテメェ。あいつを先に行かせて罠を全部踏ませたんだろ?」
「このおばさん…おじさんかな、まあどっちでもいいや。この人は僕のママの代わりに
なってくれたんだよ。だからつい甘えちゃった」
最悪のケースだ、アリアはそう思った。二人の内強い方が無傷でここまで来てしまうなんて。
頼みの綱はポケットに忍ばせた最後の短刀と毒ガス。相手が毒の濃い場所を通過したのは
確かだ。少しでも粘ればその分勝機は増える。そうだ、タイムオーバーが近づきお互いが戦闘できなく
なるぐらいまで流砂が強くなれば毒のダメージと『あれ』で勝利出来る。
「こいよベネット、銃なんか捨てて掛かってこいよってかぁ!?」
挑発しながらアリアは奥まで下がり、壁を背にしながらうるふから一番遠い場所へポジションを移す。
「やろお、ぶっ殺してやる!でいいの?」
硬そうな木の枝を構え、うるふが走ると同時にアリアは壁に沿って横に走り、対角線上へと移動する。
「あー、ずっるい。ちゃんと戦ってよお!」
「るせー、バーカバーカ!」
相手の走る方向の逆へと移動する『そこそこ広い部屋内での鬼ごっこ必勝法』で
時間を稼ぐアリア。見た目が実年齢より幼い二人の追いかけっこは微笑ましい光景ではあるが、
心の中では両者とも必死である。つかまれたら負けが濃厚と考えるアリア、時間を掛けたら
何か不味い事になると思い焦るうるふ。
そしてこの勝負の運命は、『より深く考えていた者』へと傾いた。
「ゴホッ、あ、あれ?僕の身体どうして―」
咳き込み、足をもつれさせるうるふ。遂に毒が全身に回り神経を犯し始めたのだ。
勝機と見たアリアは今までとは逆にうるふに急接近し、交差の瞬間後頭部に短刀を突き刺した!
「そ、ん、な」
「頭蓋骨と首の骨の間、薄い筋肉にしか守られてない脳下部に刺した。
いくら頑丈な魔人でも構造は人間だ(但し参加者には一部例外がいる)。これでまず助からねえ」
脳組織を深く傷つけられ、うるふは倒れ――――――ずギリギリで踏みとどまった。
震えながらも地面をしっかりと踏みしめ留まり、目の前にあるアリアの身体に頭から体当たりをする。
「痛かったよ、痛かったけど。つーかまーえた。あははあははははあははははは」
アリアの腹部に鈍痛が走る。うるふの額、髪に隠れていた角が突き刺さっていた。
「このままお腹えぐって内臓出したら終わるかなあ?ねえ、私の勝ちかなあ?」
「さ…させるかよ、化け物ぉ!終わるのはオレじゃねえ、テメェだよ!」
うるふはアリアの胴体に頭を押しつけ、角で傷を広げる。
アリアはうるふの首に刺さったままの短刀をつかみ、さらに深くえぐる。
互いに抱き合うようになった状態で力を振り絞り攻撃を続けるが、
霊体となった肉体の強靭さと二人の気力によって致命傷へとは中々至らない。
その時だった。
流砂の勢いが急激に加速し、二人の足元がズブズブと沈みだす。タイムリミットである。
「残念だったなクソガキ、この勝負オレの勝ちだっ…!」
「何を言ってるの?このまま沈んじゃったら相打ちじゃあ、あっ」
うるふの顔が絶望に染まる。どうやら彼女も今気づいた様だ。
このまま二人とも生きたまま沈みきるのなら小柄な自分が最初に全身が埋まりきってしまう。
何とかしようともがくが、首をつかまれて体勢を変えることも離れる事も出来ない。
「テメェがこの部屋に入ってきた時からこっちはこの勝ちパターンも頭に入れてたんだよ。
恨むなら自分がチビなのを恨みな!」
「そんな、僕が『あんな奴』に負けるなんて!」
「あんな奴だぁ?それを言うならこんな奴の間違いだろ?…あん?」
アリアは違和感を感じた。うるふの言う『あんな奴』に負けるという言葉。
『あんな奴』。即ち、それは自分では無い。
「まさか…」
アリアはうるふと奴が部屋に来た時の事を思い出す。
全身に目を覆いたくなる様な傷があったが、良く考えると霊体戦士にとっての致命傷と
なるものは一つとして見当たらなかった。
地面に倒れ伏してから直ぐに埋まっていったが、あの時の流砂はまだそれ程強くは無かった。
「まさか、アイツは自分から埋まってたのか!」
「ご明答~」
部屋の入口、迷宮の縁に手を掛けてそこに脱落したと思われていた人物が立っていた。
既にヘソの上まで砂に埋まっているが、顔に焦りは一切無い。寧ろ勝利を確信し鼻歌でも
歌いだしそうな表情をしている。そして、負けを知ったアリアの表情が一気に崩れる。
うるふの表情は分からない。彼女は既に頭頂部を残しほぼ全身が砂に飲まれていた。
「タイムリミットがきた時勝負がついてないなら背の高い方が勝つ。
君はそれを戦いの間に頭の片隅に置きながら戦術を練っていたみたいだけど、
私は戦場と対戦相手が選ばれた時からそれしか考えてなかった。
だって、私にはそれしか勝ちの道筋が無かったから」
不幸にも肉皮の相手はどちらも色仕掛けが通じなさそうな少女だった。
魔人としての戦闘能力の低い自分にとって不意を討てない自分は普通にやってはまず勝てない。
幸運にも肉皮の相手はどちらも自分より頭一つ以上背の低い少女だった。
赤鹿うるふは言うまでもないが、利根アリアも平均かやや小柄な少女であり、
ニューハーフである自分の方が背が高かった。
「私が唯一心配だったのは、流砂が強くなるまでに二人に自分が脱落した様に見せられるか、
それだけだった。私が生き残っているまま流砂による時間制限が近づくと流石に二人とも
私の有利に気づくだろうしね。まあ、うるふちゃんに追い立てられ罠を踏み続けた時は何度か死を覚悟したけど。
言葉を借りるけど、恨むなら自分が私より小さいのを恨みなさい」
「ちくしょう、糞ガッ…」
うるふに続きアリアの身体が完全に埋まりきる。肉皮が自分から潜った時と違い、
今の流砂の勢いでは再浮上する事は不可能である。
やがて、この勝負の勝者を告げるアナウンスが為され、肉皮は魔人墓場へと転送された。
「うふっふっふ、まずは初戦突破。ああっ、あれだけ酷い目にあわされた傷が全部なくなってる!
目も見えるし、記憶にある精神的なショックも数年前見た映画の様に昔の事に感じるわ!
はあ…あの声のお方は本当に素晴らしいわあ(うっとり)」
一切の攻撃を敵に当てること無く、三人中一番攻撃を受け続け、誰が見ても勝者に相応しくない。
ただ、
ルールによって救われただけのくせにやたら得意気にしている肉皮を
魔人墓場にいる他の参加者達は微妙な目で見ていた。
最終更新:2012年06月08日 21:48