第一回戦阿鼻叫喚地獄 千坂ちずな/きずな
採用する幕間SS
なし
本文
この世界を創ったのは、きっと全人類の悪意を凝縮したような奴に違いない。
見渡す限り禍々しい拷問器具が散乱し果てた荒涼たる地を踏み締めながら、
二三一はそんな事を考えていた。
行けども行けども気味の悪い無駄に凝った意匠が施された拷問具の山々、
血と錆の臭いも文字通り鼻につく。
いっその事スカイブースターで飛んでいけたらと思うが、燃料は有限である。
ここぞという時の為にも、みだりに使う訳にはいかない。
「こんな物まであるのか……」
三一は自分の3倍程はある断頭台に手を置いた。
例え死んでも即座に肉体を再生させられる亡者に対しては、
処刑器具さえ拷問の手段に成り得るという事か。
台座にこびりついた血の跡から幾度も頭部を切断される亡者を想像し、
思わず込み上げた嘔吐感を無理矢理飲み込んだ。
胸の悪さを誤魔化しながら再び歩き出そうとした時、
額に上げていたゴーグルが不意に語りかけてきた。
「ご主人様、すぐに私を装着して下さい。正面から誰か来ます」
「えっ、あ、うん」
戸惑いつつも三一は言われた通りにゴーグルを下げ、両目を覆った。
気弱な少年が過酷な環境の最中で発狂してしまった訳では無い。
これこそが彼の魔人能力、『機械仕掛けの恋人(マシーナリーラヴァーズ)』である。
この能力によって彼は機械の声を聞く事が可能となり、そのポテンシャルも極限まで
引き出す事が出来るのだ。
「……本当だ、あれは……」
三一は断頭台の影に隠れつつゴーグル側面のスイッチを入れ、
ズーム機能をオンにした。
10倍に拡大された景色の中に、長大な2振りの刀を差した少女が映し出される。
ややあどけなさを残した顔付きで、その胸は豊満であった。
しかし瞳だけは、日本刀のように鋭い殺気を放ちながら欄と光っている。
距離は100メートルと少し。乱立する拷問具の所為で視界が遮られ、発見が遅れた。
「一時退却を提案します。ご主人様の戦力では正面からの戦闘行為は無謀です」
「は、はっきり言うね……」
「機械ですから」
「うん、まぁ僕もそう思うけど」
今このフィールド上に存在する3人の選手の中では、
自分が最も弱いであろう事を少年は自覚していた。
片や殺人剣術を修めた怨霊、片や怪力とタフネスを兼ね備えた殺し屋。
いずれもバリバリの戦闘型魔人で、高校生に毛が生えた程度の腕力しか持たない
三一との実力差は比ぶるべきも無い。
このまま息を潜めてやり過ごそうと考えていた三一はしかし、
50メートル程距離が詰まった所で猛然とこちらへ突っ込んでくる少女を見て
己の考えが甘かった事を知った。
「ばっ、バレてる!?」
殆ど反射的にスカイブースターの起動スイッチを押す三一。
ほぼ同時に、少女は背中に下げた大刀を抜き放ち、凄まじい勢いで振り回した。
鬼無瀬時限流『暮蛇蛙』―――神速の斬撃にて周囲の物体を斬り飛ばし、
広範囲に攻撃を加える技である。
「うわあああッ!」
ブースターが火を噴くと同時に地面を蹴り、三一は空中へ飛び上がった。
斬り飛ばされた拷問具の破片が腿を掠める。
「ご主人様!」
「だ、大丈夫!掠っただけだよ」
三一は一気に上昇し、ひとまず安全圏への脱出を目指した。
逃げる標的を視認した少女は咄嗟に大刀を地面に突き刺し、腰の刀を掴むと、
獲物を狙う肉食獣のように姿勢を低くした。
鬼無瀬流の遠距離攻撃、『旋風鬼』の構えである。
しかし技が放たれる直前、少女は攻撃動作を中断して実体化を解いた。
半透明になった少女の頭部を、長方形の石板が重々しい音を立てて通過する。
「………」
少女は石板の放たれた方を見やった。
飛んで来たのは石抱、または算盤責めとも呼ばれる拷問に使われる石だ。
成人女性に匹敵する程のそれをフリスビーのように軽々と投げつけたのは、
当初少女が狙っていた敵―――もう1人の少女、千坂きずなである。
つまり三一は少女に発見されたと勘違いして離脱を図った訳だが、
結果的にこの行動は正解だった。
あと数秒遅ければ『暮蛇蛙』で穴だらけにされるか、
そうでなければきずなの投げる石板によって潰されていただろう。
「(あれがあの人の魔人能力か……)」
一旦その場を離れた三一は、石板を透過した少女の姿を思い出していた。
正体不明の3兄弟から説明を受けてはいたが、実際に見てみると相当に厄介な能力だ。
「何とか作戦を立てないと……」
十分離れた所で地面に降り立った三一は、
何か使えそうな物は無いかと周囲を物色し始めた。
きずなは拾い物である自身の半分程の刃幅を有する血錆まみれの大鉈を担いで飛び回り、
少女の猛攻を凌いでいた。
迂闊に攻め込めば透かされ、攻撃の隙に致命的な一刀を叩き込まれるだろう。
何らかの方法でカウンターを取る以外、きずなが怨念を倒す方法は無い。
度重なる『暮蛇蛙』によって周囲は瓦礫の山と化し、
きずなの体にも浅くない傷が幾つか刻まれていた。
にも関わらず運動能力も戦意も失わず、
うっすら笑みさえ浮かべるきずなに少女はいぶかしんでいた。何かがおかしい。
少女は迷いを払うように大刀を地面に突き立て、思い切り刀身を蹴り上げた
鬼無瀬時限流『塊射墓在』―――勢い良く跳ね上げられた土塊と瓦礫はそれ自体にも
相当な威力があるが、狙いはそちらでは無い。
左右に逃げ場は無く、上に跳べば次なる一撃を回避出来ない。
必然、きずなは身を屈めて大鉈を盾に防御姿勢を取った。
誤算は、少女の怨念がどれだけの速度でどれ程まで踏み込めるのかを知らなかった事。
土塊がきずなに到達した時には、既に少女の大上段が刃圏に届いていた。
振り下ろされた刀はしかし中途で軌道を変え、
右手を狙って突き出された刃を防御せねばならなかった。
それはきずなの肩口から『生えていた』。
仕込み武器?否、意味が無い。魔人能力だ。
反射的思考によって生まれた一瞬の隙にきずなは飛びずさり、再び距離を離す。
獲物を取り逃した形だが、少女に焦りは無かった。
受けに回りカウンターを狙った所で、
あの程度の攻撃しか出せぬようなら恐れる事は無い。もう一度同じ攻撃を出すまで。
肩から生えた刃物を引き抜くきずなに対し、少女は再び刀を地面に突き刺した。
その時、遠方から独特のエンジン音が響いて来た。
視線を外さず上空に気を向ける少女。
きずなは聞き取れない程の小声で何かぶつぶつと喋っていた。
エンジン音が近づいて来る。きずなも動かない。
やがて、スカイブースターを背負った三一が2人の真上に戻ってきた。
そして地上の少女たちがまだ生きている事を確認すると、
「よいっ……しょっ!」
両手に持っていた大きなガラス瓶を引っくり返した。
上空から何かの液体が降り注いでくるのを感じた。
それがきずなの腕に当たり、じゅうと焼けるような音を立てる。きずなが空を見た。
同時に少女は地面を蹴り、液体をジグザグに避けながらきずなに迫る。
少年がバラ撒いたのは恐らく毒か劇薬の類。
上空の相手に刃が届かぬなら、せめてこの隙に娘を倒す。それが少女の結論だった。
そしてそれは三一の思惑と一致していた。
自分1人では勝ち目は無いと考えていた三一が辿り着いた結論。
それはまずなんとしても同士討ちをさせ、
同時に生き残ったもう1人を倒すというものだった。
幸いにして自分以外の2人は好戦的な上あまり策を練るタイプではないらしい。
鉢合わせとなればまず殺し合いになるだろう。実際そこまでは上手く行った。
問題は残る1人をどうやって仕留めるかだ。
目に付いたのは濃硫酸のプールだった。
搬出用なのか、取っ手の付いたガラス瓶も置かれていた。
思いついてからは簡単で、慎重に瓶へ硫酸を注ぎ、運ぶだけだった。
それ程の量は必要でないにしろその重さには辟易したが、
操縦に関しては能力による音声誘導で両手が塞がっていても問題は無かった。
自分が戻って来た時に決着が付いていれば良し、付いていなくても
長い時間殺し合いを続けられるという事はそれだけ実力が拮抗しているという事だ。
きっかけを与えてやれば一気にケリが付く可能性は十分にあると思われた。
後は単純な一対一だが、
三一にはスカイブースターと単分子高振動ブレードという2つのアドバンテージがある。
とても完璧な作戦とは言い難いが、仕方が無い。
いずれリスクは潜り抜けねばならないのだ。
勝って、二と再会する為に。
そこそこに濃硫酸を撒き終えた三一は1つ深呼吸をして、
腰に差していた単分子高振動ブレードを抜いた。ゴーグルを確かめる。
「行くよ、みんな」
短く呟くと、三一は体をぐるりと反転させ、急降下を開始した。
少女の怨念が仕掛けた技は『再度歪印蛇』と呼称されるものだった。
高速で飛び回るその軌道を捉える事は極めて困難である。
巧みに液体を避けながら急速に距離を詰める。
ようやくきずなが顔を向けた時には、少女の大刀が振り下ろされていた。
その刹那に少女は気付く。エンジン音が迫って来ている――!
急降下する三一に気を取られていたきずなは咄嗟に大鉈で防御姿勢を取った。
一瞬の判断で防御を間に合わせた反応は見事。だが相手は鬼無瀬時限流、
『一刀虐殺』を旨とする剣客である。
手に持つ刀の役割は折れず曲がらず、刀としての体裁を保つ事。
全長五尺に及ぶ大太刀『俱利瀬鈴』が、大鉈ごときずなの体を袈裟掛けに斬り裂いた。
ぽかんとした表情を浮かべるきずなを一顧だにせず、その肩を踏んで少女は跳んだ。
勿論上空から飛来するもう1人の敵を叩き斬る為だ。
その瞬間、何かが少女に覆い被さった。全身に絡み付く白い網。ネットだ。
三一は少女がきずなを斬ると同時に捕獲用ネットランチャーを発射していた。
動きは制限されたが問題は無い、このまま斬り捨てるのみ。
少女は瞬時に思考を切り替えた。
三一が発射したネットランチャーには少女の動きを鈍らせる事と、
刀の軌道を絞るという2つの狙いがあった。
三一は少女の構えを鏡映しのように真似た。
少女と少年が刀を振ったのはほぼ同時。決着は一瞬だった。
相手の得物ごと斬らんとした『俱利瀬鈴』は、
最新科学の粋によって砂糖菓子のように音も無く折れ。
少女の肩口から胸骨、心臓、肺、脊柱の順に両断した。
両断された体が鮮血を噴出しながら宙を舞う。
「ぐうぅっ!」
一方ブレードを振り抜いた三一は地面スレスレで方向転換を試み、
しかし曲がりきれずに瓦礫や拷問具を巻き込みながら墜落した。
「……様、ご主人様」
衝撃で途切れかかった意識が、ゴーグルの声によって再び覚醒した。
凶器の林に突っ込んだ代償は大きく、スカイブースターからは投げ出された上に
自分がどんな怪我を負ったのかも解らない程全身が痛んでいた。
「い、生きてるよ……まだなんとか、ね」
「ご主人様……もう1人残っています」
「え……?」
そんな馬鹿な。
急降下中、確かに深々と斬られるきずなの姿を三一はゴーグル越しに目撃している。
あれほどのダメージを負えば普通は即死、良くてもまともに動ける筈は無い。
三一は痛む体に鞭打って上体を起こした。
全身を血で紅く染めた少女が、こちらへ歩いて来るのが見えた。
三一の心臓が緊急事態を告げる鐘のように急速に脈を打ち始める。
パニックに陥りそうな頭を必死に整理し、立ち上がろうとする。
そういえば……何故あの少女は真っ直ぐ自分を斬りに来たのだろうか?
例の透明化する能力を使えば、右手ぐらい網目を抜けるのは容易だった筈だ。
そうしてこちらの攻撃をかわしてから、改めて迎え撃つ方が確実だったのでは無いか。
……それが出来ない理由があったから?あの女の子の能力は一体なんだ?
少女はおよそ10メートル程まで迫っていた。
肩口から腰骨の辺りまで斜めに深く刻まれた傷が痛々しい。
左手で腹を押さえているのは「内容物」が零れるのを防ぐ為だろうか。
よたよたと歩きながら、きずなはおもむろに顔を上げた。
2人の視線が今日初めて交わる。
同時に少女は駆け出していた。愛しい恋人に駆け寄るように。
生き別れの母に再会するように。
「う、わああッ!」
半ば反射的に振ったブレードはしかし、手元を掴まれて止められた。
およそ重傷を負った人間の動きでは無い。
きずなはそのまま足を止めず、押し倒すような勢いで三一の体を押し続ける。
転ぶまいとなんとか後ろ走りを続ける三一。
転ばされて馬乗りにでもなられたら最早打つ手は無い。
奇妙な縦走はすぐに終わりを迎えた。
三一の足が何かに引っ掛かり、何かに座り込む形になった。
同時に背中から太腿にかけて鋭い痛みが走る。
彼は自分の体を押さえつけるきずなの左胸から何かが覗いている事に
この時初めて気が付いた。
きずなはそれをおもむろに引き抜く。ずるずる、ずるずるとそれが引き摺られる度、
鮮血が三一の顔に飛び散った。取り出されたそれは一見すると手袋のようだったが、
発明部員として様々な素材に触れてきた彼には見覚えのある質感だった。
即ちアラミド繊維……ケブラーと呼ばれるそれは、非常に堅牢な防刃性能を誇る。
「それが……あの一撃を防いで……」
「おかあさん」
「え?」
少女は初めて明瞭な言葉を発したが、その思考は果たして明瞭だったのだろうか。
片手で器用にケブラー製の手袋……ナックルダスターを嵌めた。
拳の部分には中心部分が綺麗に割れた金属製の延板が取り付けられている。
「ご主人様!抵抗を……!」
その声が聞こえた時にはもう遅かった。きずなは三一を無造作に殴り始めた。
強過ぎず、弱過ぎず、じっくりと噛み締められるように。
「ぶぁッ、がはっ、あ、ぐッ、ごぼっ!」
抵抗する暇も、何かを言う暇もありはしなかった。
きずなの拳は情け容赦無く一定の間隔で三一の顔面を変形させていく。
ごん、ごん、ごん、という鈍い音と衝撃だけが、三一の頭を満たして行った。
「好き、好き、好き、好き。好き、好き、好き、好き。好き、好き、好き、好き……」
誰かが同じ言葉を繰り返している。
僕のゴーグルだろうか。それとも、僕の好きなあの子だろうか。
もしそうだったら、とても嬉しいのだけれど。
そんな事って、無いんだろうな。
ぐったりとうなだれて動かなくたった三一を見下ろすきずなの瞳は寂しげだった。
「お母さん……お姉ちゃん?誰を探してたんだっけ……」
きずなはふらふらと歩き始めた。自分の探し人を見つける為に。
顔も名前も知らない誰かを探し当てる困難を理解するだけの思考力は、
今のきずなには無かった。
最終更新:2012年06月16日 18:55