第一回戦鏡面破心地獄 未知花
採用する幕間SS
本文
『トラウマハルシネーション』
◆ 安全院ゆらぎ
「しかし、でもお父様は、一体どこにいってしまわれたのだろう」
◆ 安全院綾鷹
ぴちゃん。
「ふむ、地獄というには少々美しすぎるな」
あの騒がしい三つ子が『鏡面破心地獄』と呼んでいたそこは、どこまでも続く空とそれを映す湖面が延々と広がっていた。
私自身もその湖に立っているが、深さは10㎝もない。
水の下も足場もクリーム色の岩のような材質でできているようだ。
多少水がまとわりつくが、移動自体は問題ないだろう。
そう足元を確認し、視線を前に戻すと、そこには病室のベッドに臥す妻と、彼女に抱きつくゆらぎがいた。
◆ クルマ星人
「こんにちは!」
この地獄、一面水が張っているとはクルマに失礼ではないカー!?と憤慨していると、不意に声をかけられた。ふカーく!
自慢の顔(クルマ)を声がかかった方に向けると、而して50mほど先に何とも無防備な少女がいた!
「カーッカッカッカ!!少女よ、いきなりこのクルマ星人に会ってしまうとは哀れナリ!
君には恨みはないが轢き殺させてもらう!理想の世界の実現には犠牲がつきモノ故!!」
「すごいすごい!あなたその頭どうなってるの?とってもかっこいいの!」
「シャーッ!なんと純真な少女カーッ!せめてっ!即!死!」
ガシンガションとレーシングカーに変形!アクセル全開ッ!突撃ッ!
……しかし、
「おー!かっこいい♪」
少女はボンネットに手を付き軽々と舞い、事もなげにぱしゃりと着地したではないか!!
ふむ、さすがに一筋縄ではいかないカー。
「ところで、それ、あなたの過去?」
少女が、屈託のない笑顔で私の右方向を指さす。
振る首がないので素早く切り替えしをしてそちらを見ると、
そこには、ただの地球人だった頃の、車屋轟などと名乗っていたころの私がいた。
忘れたはずだ、そんな無力だったころの自分は。
その忌々しげな記憶に向けて、私はアクセルを全開にするが、衝突もせずにすり抜けた。
なるほど、あくまで虚像ということか。
僕はそのまま少女のもとから走り去った。
◆ 安全院綾鷹
私は、しがないサラリーマンだった。
妻が危篤だと連絡を受けても、目の前の重大案件を優先してしまうほどに。
退社後すぐに駆け付けた病室で、ゆらぎは妻の亡骸に抱きついていた。
妻の顔を覗き込んだ私は、ゆらぎの小さな声を確かに聴いた。
「あの頃の優しいお父様は、どこにいってしまわれたのだろう」
その言葉を胸の奥底に隠して、私はそれまで以上に仕事に没頭した。
結果、私は重役にまで登り詰めて、代わりにゆらぎと言葉を交わさなくなった。
それでも自分はゆらぎがよく育つよう、彼女のための環境は整えていたつもりだった。
……今思えば、ただお金しか出さない父親に見えていたのかもしれないが。
そして、私が人生を賭けた会社は、『重大事故』を起こし、
その責任は私が負うこととなった。
スケープゴート、それがしがないサラリーマンの成れの果てだった。
会社を「責任を持って」やめる際に、金だけは融通してもらった。
しかしそれすらも週刊誌にすっぱ抜かれ、私はすっかり悪の化身として巷で騒がれた。
私は自分の屋敷内で毎日ひたすらに酒を煽っていた。
そんな姿をゆらぎにだけは見せたくなかったから、私は彼女を避けていたのだろう。
しかしあの時、不用意にリビングで酔いつぶれた時に、ゆらぎは私にそれはそれは冷たい視線を向けた。
そして、私は、あろうことか激昂した。
酒瓶を拾い上げ、愛する娘に殴りつける。
しかし、その酒瓶は彼女に届かず、世界から抹消される。
こうして客観的に見ればわかる、この時彼女は魔人に目覚めたのだ。
自分に害なすものを抹消する能力、だろうか?
その時の私は自らの能力で彼女を止めようとするが、声を出すという動作自体が否定される。
私はそのまま記憶も人格も失われ、まるで呻く人形のようになり、そして最後には存在そのものを抹消された。
なるほど、こんな「失われた」忌々しい記憶をまじまじと見せつけられるとは、地獄の名がつくだけはある。
「全く、人が無くした記憶を勝手に『使う・な』と言いたいね。
ところで御嬢さん、あまり覗き見はいい趣味とは言えないな」
気が付けば、一人の少女が後ろで私の過去を、あろうことかにこりと笑顔で観察していた。
「ごめんねおじさん!ところで三つ子くんたちに聞いたときはおじさんはお酒飲めないって言ってたけど、死ぬ前はいっぱい飲んでたんだね!
もしかしてこの死ぬ直前の時にお酒を飲む力も消されちゃったの?」
「……そうかもしれないね」
そう答えながら私は彼女を値踏みする。
普通に考えれば随分な挑発を口にした彼女だが、驚くほどに悪意を感じない。
まるで、この発言が「ひどいこと」と気づいていないかのようだ。
「ところで君は私の対戦相手の未知花ちゃんでよいのかな?」
「うん、そうだよ!あたしが未知花」
「さっき『三つ子くん』と言っていたけど彼らから私の能力は聞いていないのかね?」
「聞いたよー!『半径5m以内とか1人に対して一動作を禁止する能力』でしょ!ちゃんと覚えてるよ」
「……そこまでわかっていて私の半径5m以内に入るのは随分と不用意ではないかい?」
あの三つ子が対戦相手のクルマ星人とやらの能力や容姿を教えてきたからそうかと思ったが、何の目的があるのかあの子たちは人の能力をぺらぺらとしゃべっているらしい。
しかしそれを知っておいてなお、射程範囲内に入ってきた彼女を、警戒せずにはいられない。
何より私はあの三つ子から彼女のことを名前(それも本名とは思えない)しか聞いていないのだから。
強制力は十全で無いにしろ、すでに彼女は能力も道具も『使えない』状態だ。
――しかし
「えー、でもおじさんとしゃべって見たかったから。だって、おじさんもあたしと同じ、記憶喪失だって聞いたから
ね、おじさんのこともっと教えて!」
あまりに無邪気な彼女はゆらぎの幼いころを何故かふと思わせて、
「ふむ、では少しお話をしようか」
そう思わず答えたところで、私のものではない『過去』が遠くに見えた。
「……と、その前に、他のお客さん方がいらしたようだ」
◆ 車屋轟
僕のお父さんも、お爺ちゃんも、ひいお爺ちゃんも、人力車を引く車夫だった。
物心がつくころには、自分も車夫になるのだろうとわかっていたし、それを誇りに思っていた。
僕が尋常小学校に通っている頃、自動車が普及し始めた。
とても、かっこ良かった。
ずっと誇りに思っていた人力車が、急にださくてふるいものに思えた。
大好きだったお父さんが、急に情けない人に思えた。
いつの間にか、車夫になるなんて恥ずかしいとさえ思い始めていた。
それでも、僕は結局車夫になった。
他に選択肢がなかったからだ。
僕の家は最後のほうまで頑張っていた方だと思う。
「人力車と自動車の共存」なんてことも謳っていた。
今考えれば、弱者のすり寄りでしかない。
結局我が家は廃業した。
それは自然な淘汰だったのだろう。
あの日僕は、初めて酒を、しかもたらふく飲んだ。
人力車を守れなかった無力感と、それでもずっと持っていた自動車への憧憬がごちゃ混ぜになっていた。
こんなにかっこ悪く酔いつぶれる人間よりも、車そのものになりたいと願った。
その願いはすぐに魔人覚醒という形で果たされるのだが、その時の自分は夢でも見ているつもりだったのだろう。
憧れの自動車になった僕はアクセル全開で走り回り、間抜けに事故って死んだ。
あまりにも長いこと地獄にいたせいで、いつの間にかクルマ星人だなんて悪い夢を見てしまった。
でも、もう大丈夫だ。揺らぐ湖面に映っているのはただの地球人・車屋轟だ、お久しぶり。
勝たなければならない。
負ければ淘汰される。共存なんてものは、あったとしても勝者の余裕でしか生まれない。
顔だけクルマにできていたのだ。できないわけがない。
僕は端から体を順々にチョロQへと切り離していく。
ぜんまい式だから水に完全につかっても何とかなるだろう。
あとはあの少女と、まだ見ぬ対戦者に近づいて、百台の戦車となって蹂躙すればいい。
僕は勝つ。
◆ 安全院綾鷹
私が少女にそちらへと注意を向けさせる。
人力車が見える。猛スピードで走る自動車が見える。
感覚的に、それは虚像だとわかる。
「なるほど、本体は小さな車体にでも化けているのかな」
「あはは、まさに頭かくして尻かくさずだね!」
そんな会話を終えた瞬間、ガシャンゴションと変形していき、呆気にとられている間に戦車隊が現れた。
「――はっはっは、これは地獄めいた光景だね御嬢さん」
砲台の標準が向けられる。
「きっとあれ、クルマ星人さんなの」
他にあるまいと思いつつ、あまりの無体さに呆れてしまう。
「おじさんはアレ避けれる?」
苦笑する。
「しがない企業戦士にはちょっと難しいかもしれないね」
「そう、じゃああたしが助けるから能力で補助してくれる?」
少し逡巡してから言葉を掛ける。
「『抑える・な』」
ズドッドドドォン
ドドッドドドズゥン
砲撃が始まった。
それを彼女は恐ろしいスピードをもって、間一髪で避ける。
恥ずかしいことに私は彼女に抱きかかえられている状態だ。
「おじさん、この記憶って自由に消すことはできないんだよね?」
少女はいまだに投影されている私の記憶に触れようとするが、そこには表面すらなく空を切る。
「ああ、自分の意志では消せないようだねぇ。それは彼も同じみたいだ『抑える・な』」
また砲撃の雨。
まさに地獄絵図だが、そこを少女は全力で駆ける。
「どうも戦車隊のうち中央にある1台だけ、虚像がまとわりついているみたいだね。『抑える・な』
しかもあの機体と私たちの間には他の戦車が入り込まないようにしているようだ。」
「多分、アレが頭なんだと思う。さっきクルマ星人さんともお話ししたんだけど、顔だけクルマの時も、全身クルマの時も、車体を前にした方しか見えてなかったから、少なくともクルマ化しても目に相当する場所があるはずだよ」
「なるほど、だから戦車が私たちを囲んで出現したりしなかったんだね。頭脳は一つというわけか。『抑える・な』」
また砲弾。そこらで飛沫が上がる。
私がその呪言を吐くごとに、彼女のスピードは上昇していく。力のリミッターを外しているのだ。
「頭が丸ごとあるなら、多分耳もあそこにあるよね。……ごめん、おじさん結構もうギリギリかも」
だから、いくら人間離れしているといっても、少女の体が限界を迎えるのは当たり前だ。
何より彼女は逃げるのではなく、戦車に向かって走っていたのだから。
「ふむ、こちらこそ申し訳ないね。しかし『耳』に近づけないとなると万事休すかな」
正直私は、この時勝負を半分あきらめていた。
しかし彼女は、首を振って
「大丈夫手はまだあるよ。今からおじさんを耳まで分投げるから、あとよろしくね」
また無邪気な笑顔で恐ろしいことを言い放ち、そして実行した。
「うお おおお お お おお りゃああああああぁぁぁ ぁ ぁ ぁ!!」
かくして私は非常に正確に、『頭』の上に着地した。ぐちゃり、と嫌な音がしたが。
「……ふむ、こちらの下半身は使い物にならなくなったというのに、君のほうは一切無傷か。さすがは戦車だな
ところで私の言葉は聞こえているのかね、クルマ星人くんとやら」
ビクっと反応して、頭以外の戦車たちがこちらをむこうと旋回し始める
まぁまさか飛んでくるとは思わなかったのだろう。私も思わなかった。
「おっとあまり悠長にはしてられないな」
『頭』に向かって、しかも視界外に向けてはそうそう撃てないだろうが、アレをやられては困る。
ここはキャラではないが、全力を尽くさせてもらおう。
「『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』『使い続ける・な』」
能力を、使い続ける・な
至近距離(何しろ頭上だ)でこれだけ重ねがければ、強制的な能力解除も可能だ。
「ふむ、戦車がまだ緩慢で助かったな。もっとも動きの速い「クルマ」に変身して再集合されたらまずかったがどうやら間に合ったようだ
まぁ、これでもしがないサラリーマンなのでね、プレゼンテーションには多少自信があるんだ」
私のすぐそばには、素朴な感じの青年の生首が転がっている。
そしてあたりには肉片が散らばって、澄んだ湖面を血色に染めていた。
◆
先ほどの「着地」のおかげで、私は一歩も動けない状態になっていた。
じわじわと湖面に血が広がる。
しばらく待っていると、ぴちゃん、ぴちゃんと波紋を作りながら、彼女が近づいてきた。
「おじさんお疲れ様!」
そう笑顔で言う彼女も、明らかに満身創痍だ。
特に右腕はだらんと垂れ下がっている。
私の投擲は彼女にとっても相当の無茶だったのだろう。
しかし、普通に考えれば、下半身が完全に壊れた私よりは有利だ。
「しかし、よく命中したね。正直無駄死にするのではないかとヒヤヒヤしたよ」
「私、投げるの得意だから!」
おそらく嘘ではない。
彼女に抱きかかえられていた時に、私は彼女の手にマメのようなものを確認しているし、服の下に堅いものの存在も認識している。おそらくナイフだろう。
彼女が来る前に、私は何度も重ねがけをして、半径5m内を『投げる・な』の禁止句域にしている
「ちなみに、利き手じゃない左手で投げても、5m以上離れた距離から逃げれないおじさんなら確実に殺せるくらい得意だよ」
あどけない笑顔。
それは悪意というよりも、何が悪だかわかっていない、小さな子供が時折みせる恐怖に近い。
「ねぇ、だから、おじさんがギブアップしてくれると嬉しいの。戦いはやめて、お話をしよう?」
本来の私なら、いや俺ならば、きっとこの誘いに乗っていた。
俺は、いつだって困難から逃げてきた人間だから。
私の能力は、「半径5m領域内」ないし「半径5m以内の1対象」が効果範囲だ。
病気に倒れた妻を見て見ぬふりをし、
離れていく娘から目をそらし、
言い訳に使ってきた会社の事故さえ放り投げ、
ついに私は最後までゆらぎと向かい合わなかった。
その差は、1対象の時は対象が近いほど近いことと、
でも、今回ばかりはどんなに困難があるとしても、私はこの戦いを放棄するわけにはいかない。
おぼろげな記憶から、私は妻を助けたいとあやふやに願い、この地獄に参戦した。
しかし、娘に消された忌むべき記憶を見せつけられた今なら、やはり俺が生き返るべきだと思う
半径5m領域内にしたときは、「私自身」も対象になることだ。
愛する娘を、殺人犯になどできない。
だから、この勝負だけは、絶対に、『投げる・な』。
どんなにかっこ悪かろうと、どんなに卑怯だろうと、私はこの試合に勝つ。
「ふむ、それはいくらなんでも私を舐めすぎではないかな。
いくら君が優れた投擲手でも、私が拳銃を撃ちぬくより早くはないだろう」
もちろん、拳銃など持っていない
「あは、何言ってるの。おじさんがスーツに隠してるのは拳銃じゃなくて鞭でしょう」
あっさりと看破。なるほど知覚系の能力者だろうか。
「はっはっは。さすがだね。うん、確かに、私が圧倒的に不利のようだね。
この状態じゃ自慢の古武術もなかなかお見せできないし、隠し玉のアタッシュケースも君に投げらた時にどこかに無くしてしまったよ」
「えー、あのアタッシュケースも大したもの入ってなかったと思うけど」
透視系の能力者か。ならばあまり攻撃的なものではなさそうだ。
それにしてもあまりに不用心すぎる。ブラフの可能性も考えなければならない。
「ふむ、何でもお見通しだね、君は。
しかしここで私がギブアップしたら、もしかすると君は強制的にここから退去させられて、私とお話はできなくなってしまうかもしれないよ
どうせ私が負けるなら先にお話しした方がいいのではないかな」
「うーん、確かにそうかも。それにおじさん、どんどん血がなくなってるから、どちらにしろあまりお話しする時間なさそうだしね」
相変わらずこういうことをさらりと言う。思わず苦笑する。確かにこのままでは勝機を見つけられずまた死ぬだけだ。
「ふふ、手厳しいな。ところで、君はなぜ生き返りたいんだい」
「さっきも言ったけどあたしも記憶喪失らしいから、自分が何者だったかを知りたいんだよ」
だから、多少リスクがあっても、揺さぶってみるべきだ。
「そうか、でも私も記憶喪失なのに、なぜ私は失った記憶の虚像が現れるのに、君には現れないんだろうね」
彼女から、笑顔が消えた。
「うん、やっぱりおかしいよね。あたしもおかしいと思ってたんだ。おじさんみたいに能力によって失った記憶も現れるし、クルマ星人さんみたいにきっと何十年も前の記憶でも現れるのに、どうしてあたしの記憶だけは現れないのかな。うん、やっぱりあたしはおじさんに嫉妬してるらしい。どうしてあたしの記憶は出てきてくれないの?ホントはね、この地獄のことを聞いたときに、あたしが何者かがわかったら生き返らなくてもいいかもって思ってたぐらいなんだ。もちろん、生き返って会いたい人はいるよ?でもあたしにとってはそれ以上に自分が何かを知ることのほうが大事だったらしいんだ。なのにどうしてあたしにだけ何も出てくれないの?おじさんはあたしに覗き見は良くないって言ったけど、あたしには他人に見られたくない過去すらないの?ずるいずるいおじさんずるいよ」
そして、俯いて、堰を切ったように泣き出した。
彼女の涙が、大分血の混じった鏡を揺らがせる。
――虚を突かれたが、これはチャンスだ。卑怯だが、チャンスだ。
古武術の動きを利用して、長い長い鞭で薙ぎ払うムチ=ジツを繰り出す。
彼女が単純な透視能力者なら、これは見切れない……!
だが、まるで見えているかのように彼女は鞭をすっと躱し、
俯いて、涙を流したまま、私にナイフを投擲した。それも何本も連続して。
鞭でできる限りのナイフを払いながら、上体をねじりできる限り急所を外そうと試みる。
しかし、何をされたのか、急に視界が失われる。
いくつものナイフが突き刺さる。
ぴちゃんぴちゃんと、彼女が近づいてくる。
「ごめんね、おじさん、これじゃもうお話しできないね
あたし、時々キレやすいらしいの」
暗闇の中、私は最後の一振りを試みて、喉元にナイフを突き立てられた。
◆ 安全院ゆらぎ
「しかし、でもお父様は、一体どこにいってしまわれたのだろう」
私は今日も自問自答する。
そしておそらくは何度も辿り着いた答えに、また至る。
私が、私の能力で、私のお父様をこの世から消し去ったのだ。
でも私の能力は、私の大好きなお父様の能力に似て、私自身にも効果をあらわしてしまう。
むしろ、私の場合は自動的・強制的な分たちが悪い。
「自分の父親を殺した」などという都合の悪い答えは私から消し去ってしまうのだ。
数分後には、私はこの答えに至るまでの過程を含め、すべてを綺麗さっぱり忘れてしまうだろう。
そして、お父様を愛し続ける限り、明日もきっと自問自答するのだ。
「しかし、でもお父様は、一体どこにいってしまわれたのだろう」
最終更新:2012年06月13日 01:12