君は、自分が何で出来ているか考えたことはあるか?
 俺は野球が好きだ、相性が良かったし、誰かの役に立っているという成功の実感を与えてくれる。
 弟が好きだ、少々無愛想だが懸命なアイツを、俺は応援してやりたい。
 夢を追うのが好きだ、未来はいつだって自由で、走り続ける限りその先は無限に続いているから。
 子供の頃、自分が大きな鳥になって、夕空の向こうへ飛んでいく夢をよく見た。風を切る俺は向かうべき道を知っていて、辿り着くべくしてそこへ向かうんだ。
 だが同時に、俺は地を這って見送っている。自分のもう半分はいつも置いてけぼりで、不安そうに影ばかりを追いかけている。
 半分ハゲワシ、半分人間。
 母親の過ちによって産み落とされた愛されざる子供、ワーコンドル。
 それが漆原トウマの兄である俺。
 漆原アキの出生に関する秘密だ。
 18歳の誕生日に、俺は母からその事実を聞くことになる。思春期にもなれば、上にも下にも毛が生えてくるのが男ってものだが、腕や背中から『羽根』が生えてくるのがおかしいってことくらい、俺にも分かっていた。
『アキ、あなたは人間じゃないの』
『こんな田舎で、力をひけらかして目立たないで頂戴……野球は高校生までで終わりにして』
 母は深刻そうな顔で、そう忠告した。
『ふむ……なら俺は家を出ようと思う! それなら問題ないだろう母さん!』
 俺は楽天家だった。
 野球が好きで、夢を追うのが好きで、そして弟の期待を何より叶えたかったから。俺は単身地元を飛び出し、プロ野球チームのスカウトを勝ち取り、20の春には海外の選抜チームに参加することができた。
 6年前、いよいよ海外移住が決まった日の晩のこと、俺はトウマと少しだけ話をした。
「兄さん、もう行くのか」
「寂しいか?」
「いや全然、休日に無理やりキャッチボールに付き合わされることもなくなると思うと、せいせいするよ」
「トウマ……相変わらずドライだな! でも出国前にわざわざ学校サボって空港まで来てくれたのは嬉しいぞ! ありがとう!!」
「あんたが飛行機の時間間違えて、ベソかきながら戻ってこないように見張りにきただけだよ」
「それは冗談抜きに発生し得るな!!」
 俺は大きな声で笑った。トウマは興味無さそうにそっぽを向くと、ロビーから見える遠くの赤い誘導灯を見ていた。
「……まぁ、その、なんだ」
「いってらっしゃい」
「———おう、ちょっと行ってくるわ!」
 俺は精一杯の元気な顔で旅立った。
 寂しいか? だなんて馬鹿言え、寂しかったのは俺の方さ。
 愛されずに生まれることは悲しい。才能を持って生まれたからって幸せになれるとは限らない。夢を見たって叶う保証はどこにもない。
 だがそんな弱音を見せて、周りの人間に悲しい顔をさせてしまうのはもっと悲しい。
 漆原アキという男は、根っからそういう男なのさ。
◇◇◇
 ———スタジアムを飛び出すほどに高く伸ばされた腕のような濁流の正体はナミタ選手の能力によるものでしょうか!? リン選手の放った巨大隕石と空中で衝突しています!!
 凄まじい勢いです! そして抵抗虚しく砕けた腕の先! 隕石がバッターボックスのトウマ選手へと襲いかかります!
『——————捉えたッ!』
 ここで会心の一撃! バットが球を捉えた音が会場内に響き渡りました! しかし現在スタジアム内の中継カメラでは、爆散した水蒸気で全く見えない状況となっております!!
 果たしてイグニッション・ユニオン一回戦第七試合を制したのはチームザ・人間ズか、チームダフト・パンクか……
 決まりました!! なんと言うことでしょう、人間の身体を遥かに上回る隕石は見事! 夕空の彼方へと打ち上げられました!
 そして今! 隕石の直撃によりチームザ・人間ズのリン選手戦闘不能が確認されました!!
 初戦を制したのはチームダフト・パンク!チームダフト・パンクであります———
「……トウマも、出場してるのか」
「はい、漆原アキ様。只今ご覧になられた動画は先日取り行われたイグニッション・ユニオン第一回戦の映像です」
 米国東海岸部某所、早朝、ホテルラウンジにて。
 ランニングから戻った俺をホテルのエントランスで待ち構えていたのは『鏡助』と名乗るスーツを着込んだ日本人形のように艶やかな黒髪の少年。
 曰く、俺の弟が出場する闘技大会のライブ観戦会場に招待したいとのことで。
「それで、ご返事のほどは」
「俺は構わないが……ニューヨークから東京、今日の試合には飛行機が間に合わないんじゃあないか?」
「そこはご心配なく、とある御仁きっての招待でございますので、私が責任を持って会場までご案内します」
「そりゃ頼もしい!」
 心配するなと言っているのだから心配は無いのだろう。少なくとも俺が飛行機の搭乗券を買って時間通りに空港に辿り着く確率よりは手堅いはずだ。何せ俺は筋金入りと呼ばれた方向音痴である。
 外行きの服にさっさと着替えると、コーチトレーナーに『明日には戻る』と書き置きを残した。
「ところで少年、俺は『男装したスーツ姿の女性』が迎えに行くと友人に聞いていたんだが、担当が変わったのか?」
「お気になさらず、『表記ブレ』はこの世界に付き物ですので。いきなり現れた手前失礼とは存じますが、私の主人はあまり多くを明かす事を望んでいません」
「……信用できませんか?」
「いいや! ただの世間話だ! ワケアリってんなら深くは聞かないさ!」
 俺は大きく口を開けて笑った。
「———さぁ行こうぜ、東京!」
◇◇◇
———Are you ready?
Go!! Go!!
Vroom!! Vroom!!
TEAM "DAFT PUNK !!" 
2nd session……
【Episode:02- H. A. L. F !!】 
———feat. half & half Japan 
◇◇◇
「———ああ、そんじゃあ案内は任せたぜ」
 そそり立つ男、ディック・ロングは固定電話の受話器を置くと、大きく息をする。気分転換に一発抜いてから自室に戻ろうかと思い耽っていると、ホテルの中庭を彷徨いていた相棒とばったり出会った。
「寝れねえのか? リンジ」
「いやぁまあ……って、何話してたんスか?」
「明日来る、古い友人についてな。対戦相手のダフト・パンクはちと気の抜けた地味な奴らだが……どうしても見に来て欲しい奴がいたのさ」
「そっスか……」
 山入端輪二はどうにも落ち着かない様子で、唸るようにエンジンを空吹かしし続けている。
「俺たち半人は、ラブ・チャイルド計画で本当に……幸せになれるんすスよね」
「当然だ、ハーフ&ハーフ日本支部の仲間たちを信じろ!」
「オールイズウェル、きっとうまくいくさ! 誓った約束は必ず守るのがこの俺、ディック・ロングだからな!」
◇◇◇
 チームダフト・パンク、東京都内某所、深夜、C3ステーション経営ホテルの一室にて。
「お前、いつまで風呂使ってるつもりだよ」
「え、ああごめん、もうちょっと」
 ナミタは第一戦で使用した能力の応用を踏まえ、準備を進めていた。シャワールームの床に並べられたペットボトルにはスライム化によって形状を変化させた武器が詰め込まれている。
「そんな思いつきで用意したものは、本番じゃ役に立たないぞ」
「わからないでしょ、出来る限りは試合のために何かしてたいんだ」
「現に、前回はリンの改変能力のダシにされた。余計なアイデアが空振り止まりならまだいいが、負け筋になる事だってある」
「……分かったよ、これが詰め終わったらもう寝る」
 トウマを不機嫌そうに押し退けるとナミタは一人ベットへ潜り込んだ。
 ———それ以上の追い討ちは、禍根を残すよ。
 あの時、トウマは人が変わったように攻撃的になっていた。追い詰められたことによる緊張か、ストレスからか。一回戦を終えた彼は、勝ち上がった直後だというのに浮かない顔で物想いに耽っていて。
 そこには、目に見えた焦りがあった。
「僕たち、対等なチームだよね」
「……ああ、当然だろ」
 その声は、昔より少し冷たく聞こえた。
◇◇◇
 備え付けのモニターに映されるのは一回戦第八試合。ハーフ&ハーフ日本支部とよいおねむりおの墓地での戦闘のリプレイ動画。
「……夢の中に入ってからの記録は別料金なのかよ」
 カータウロスの山入端輪二とワーコンドームのディック・ロングはふざけた容姿に反して戦闘巧者だ、第一戦ザ・人間ズ、清廉のキョンシー・ヨニのように。
 ———筋が良いですね。
 ———けれどまだ青い、あなたはまだ人を殺したことがありませんね?
 ———そして咄嗟の判断も甘い。
 俺たちの一回戦、ザ・人間ズとの試合は決してた容易くなかった。世界改変能力を持つとは言え、その身に致命的な欠陥を抱えたリン、そして最後まで積極性を見せず静観していたヨニ。
 もし、どちらかがスペック通りの実力を発揮していたら?
 勝ちは、譲られたようなものだ。
 優勝しなくてはという強迫観念が思考を塗りつぶしていく。
 大会優勝、五億円、借金取りの黒服たち、未来を掴み取るために必要な要件は何だ。
 分かっちゃいたさ、この闘技大会はお遊びじゃない。次の対戦相手はもっと渋い戦闘になるだろう。その次は? あと何回まぐれ当たりが続けば俺はこの戦いを終えられる?
 ———漢ならトップを狙え!
「兄さん、いつもこんな状況に首突っ込んでたのか」
 俺は地元のボロい商店で購入して一本吸ったっきり、惰性の塊たるそれに火をつけた。
「……やっぱ美味かねえよな、こんなもの」
 吐き出される煙は諦めまじりで、しかし微かに熱を帯びている。
◇◇◇
 2回戦 第4試合
 ダフト・パンク‼︎ VS ハーフ&ハーフ日本支部
 都内に張り巡らされる高速道路から続く、郊外の山中を突き抜けるトンネル。用意された戦場に4人は降り立った。
 交通状況を知らせる電光掲示板は沈黙を保っている。本来ならば忙しく行き交うであろう車両は奥の奥まで見当たらない。そして鏡文字で書かれた『首都高速情報』の標識が、この世界が異空間であることを物語っていた。
 エンジン音、橙色の薄暗い照明に点々と照らされるアスファルトを無骨なバイクが駆けていく。
「……全身ズブ濡れで乗るもんじゃないな」
「我慢してよ、作戦でしょ」
「分かってる」
 ハンドルを握る漆原トウマの後ろには時雨ナミタ。接敵するまでにわざわざ全身に浴びた水が乾いてしまわないことを祈りながら、二人は走る。
 淡々と続く路面の向こう、こちらを誘うように車両のテールランプがチラつく。
「……トウマ、近いよ」
「ああ、捉えた」
 遙か前方、一台のバイク———否、カータウロス!
 跨がるは巨漢、頭部は大きく縦に伸びた特徴的なシルエット。まさしく『陰茎』の如くそそり立つそれは、対峙した存在が何者であるのかを悟らせる十分すぎる。
 両者はアクセルを強く踏み込み、一気に加速した。
 ダフト・パンクの追走を嘲笑うかのように悠々した逃げを見せるハーフ&ハーフ。少しずつ縮まってゆく距離に対して、不気味なほど沈黙を保つのは陰茎頭の男。
 時雨ナミタはタンク式の高圧洗浄機を構える。トンネル内での水源の確保、そして想定される中距離戦闘の対策。バイクで機動力と水の積載量は充分。接敵後の初撃は優位と思われる。
 やがて二機は緩やかな勾配のカーブへと突入する。速度を維持しつつ、大外から曲がっていくハーフ&ハーフ。
 漆原トウマはそれを仕掛けどころと見て、カーブ内壁面の際を攻める。車体を繊細な入射角度で大きく沈ませ、最短距離を導き出す。
 有効射程内、トウマは右手を小さく上げ、ハンドサインを送る。
 高圧水浄機を持ち上げ、狙いを定めようとしたその時。
 ナミタは、前方の天井に蠢く物体に気付く。
「———トウマ、上っ」
 天井の異様な膨らみ。
 まるでテントを張っているか如く、それは三日月型に反るように膨張を続け———
 ムクムク、ムクムクムクムク———
「うっ!!」
 絶頂、弾ける。
「 TAKENOBREEEEEEEEEEEAK!!」
 ドピュルルルルル~~~!!!!!
 溢れ出る白濁液と共に落下してくるのはそそり立つワーコンドームの半人、ディック・ロング!! 撒き散らされた粘性の芳しい液体がタイヤを絡め取り地面との摩擦を奪う。スリップを起こした車体から二人の体は空中へ放り出された。
「この大会にマトモな奴は居ねえのかよ!!!」
 悪態をつく漆原トウマの前方、大きく逃げていたはずのリンジは路面から火花を散らすような強引なスイッチバック、慣性を利用したドリフトにより方向転換をしていた。
 そしてそこで彼らは気付く、リンジが乗せていた男の顔が『へのへのもへじ』!! 明らかに『贋作』であることを!!
「はっはー! ”上のお口にこんにちは”作戦大成功!」
 ダフトパンクを特定地点まで誘導し、秘忍具、隠れ身コンドームによって天井と同化して隠れ潜んだディックが奇襲を行う非常に単純な作戦。だが、この薄暗いトンネル内を猛スピードで疾走する機体上から、一体どうやってそれを見抜けるだろうか。
 リンジが座席に乗せていたのもディックが誇る秘忍具、身代わりコンドーム人形。ディックが一晩かけてあつらえた極めて精巧な一品だ。亀頭の彫り込み、ブーメランパンツの食い込み度合いまで作り込まれている。陰部流隠形術と秘忍具、まさに奇跡のコラボレーション!!
「トウマ、掴まって!」
 時雨ナミタは衝突寸前の壁面に対して『吸水性』の付与を行い、また自らをクッションに漆原トウマを受け止めた。吸い込まれる『液体』はディックが分泌するローションであろうと例外ではない。時速100km/sの速度で放り投げ出された衝撃を全て吸収し、二人を受け止める。
 致命傷は避けたが、返し手は無いと見たディックが、二人へ追いすがる。
「———姦通ッッ!!!!」
 漆原トウマより一瞬立ち上がりと回避が遅れた時雨ナミタを標的に絞り、その拳で躊躇なく頭部を貫通させた。
「……ふう、三擦り半ってところか? とんだイージープレイだったぜ」
 酷く冷めた表情で一息ついたディック。
 試合終了のコールを待つが———
「———まだ終わってねえよ」
「ディック! 背後ッ!!」
 言葉を返すまでもない、分泌されたローションと最小限の動作が背後からの打撃をぬるりと受け流す。しかし勢いを殺さないまま放つディックの裏拳は空を切った。反撃を見越して深くかがみ込んで回避したトウマは脛を刈るように蹴り、それはまたしても曲芸師の如くバックステップによって回避される。
「しつこい男は嫌われるぜ漆原トウマ、もうゲームエンドだ———」
「まだだディック! 掴まれ!!」
 ディックの言葉を遮って、全速力で突っ込んでくるリンジ。伸ばされる手を反射的に掴み、引き戻す勢いで座席に乗り込む。アクセルをかけた反動で大きく揺れる亀頭の先端を間一髪で何かが掠めてゆく。
 鋭い水放射。
 高圧水浄機のノズルを向けていたのは、倒れたはずのその男———
 時雨ナミタだ。
◇◇◇
 時雨ナミタの魔人能力『涙を飲んで生きる』は解除した際、スライム化した物体を元通りに再構築する特性を持つ。
 それは人体に対しても例外ではない。あのスクラップ置き場で巨大化した彼を思い出して欲しい。スライム化した肉体はいくら引きちぎられようとも、それを掻き集めさえれば、復元可能なのだ。
 加えて漆原トウマの魔人能力『トップをねらえ』。
 血判に『意思のない運動』を引き寄せる効果。
 二つを組み合わせることで擬似的な超再生能力を成立させる。ダフト・パンクが用意した戦術の一つ。
 二人はこれを発動可能にするため、予め全身に水を被り試合に臨んでいたのだ
無論、この戦術に穴は多い。
 『戦闘不能』が運営の審判に委ねられている以上、一瞬でも意識を取り戻すのが遅れれば『敗北』とされてしまう危険性。
 更に肉体の大幅な強度低下のリスクが伴うため、常時発動による防御は不可。スライム化の起動は緊急時に限られる。
 そして何より、二人が離れれば成立しなくなる。
 即ちあくまで非常時の保険。
 初手で切らされたのは痛手か。
「切り替えていくぞ、リンジ!」
「オッス!」
 リンジはアクセルをフルスロットルにして加速再び逃げへ移る。
 まだ、ハーフ&ハーフには『時雨ナミタが物理攻撃を無力化している』ように見えているのだろう。
 周り回って攻め手にあぐねた双方。
 戦況は今、膠着状態にあった。
 高圧洗浄機による放水で前方の標的を狙い続ける時雨ナミタ。それを人間離れした巧みな運転技術によって躱し続けるリンジ。
 やや焦りを見せるのはハーフ&ハーフの二人。一回戦で見せた時雨ナミタの能力、そして積極的に放水、理屈は不明だが『こちらも水を浴びるのはヤバい』と判断した。
 飛び道具による遠距離攻撃は、おそらく漆原トウマの能力が無力化。無闇に持ち弾や手の内を明かすのは魔人同士の戦闘においてナンセンス。
加えて水のばら撒き行為は、路面の一斉スライム化を行う布石。リンジの足がホイールである以上、機動力が奪われるのは必至。早急に手を打つ必要がある。
「これ、結構ヤバいんじゃあないスか!?」
「———俺に、グッドアイデアがある」
 ディックはニヤリと笑みを浮かべる。
「戦略的ゴリ押しだ!!!」
 ディックはリンジの背から飛び降りると、その直下を強く踏み込んだ。魔人能力『パンクスタイル』攻撃に対する貫通力の付与。頑強なアスファルトをズプリと容易く踏み抜き、大穴を開ける。
「名付けて”下のブツでグラインド”作戦! オラ! リンジも続けぇ!」
 二人は穴に躊躇無く飛び込んだ。
 そして直後———
 パコッ!!
 アスファルトに亀裂が走る!
「あの野郎……ッ!」
 高速道路の山間トンネル。その更に地下には、一般的に非常用の避難通路が敷かれている。ディックはこの構造を利用し、『下から』アスファルトを破砕しながら迫った、逃げ場を奪いつつ放水を掻い潜り二人を捕らえるために。
 パコパコパコパコパコパコパコパコッ!!!!
 亀裂は瞬く間にダフト・パンクへと迫る。
「トウマ! 一旦下がろう!」
「いや、奴らは追い詰められてるはずだ、迎撃する」
 バイクを急停止させた時雨ナミタの声を無視し、漆原トウマは血判が押されたカードを数枚ばらまき、金属バットを構えて待ち構える。
 相手にこちらの正確な位置を把握する手段は無い、こちら側の行動に対処するための場当たり的な戦法。
 ———勝機は、まだある。
 血判による無意識、無作為の操作。それを知らずに飛び出してくるディックをここで捉える。
 パコッ!!
 ———カードが地面から突き上げられ、巨大な陰茎が現れた!
 それも、その数一つではない!
「……またかよッ」
 咄嗟の反射で飛び退く。
 目の前に飛び出してきたのは、ゴムを膨らませたフェイクそれも複数同時。先ほども使用した秘忍具コンドーム人形だ。見誤って飛び込んでいたら『貫通力』が付与されたコンドーム人形の投擲によってトウマの肉体は挽肉になっていただろう。
 漆原トウマが見破った要因は、配置したカード。血判はあらゆる投擲物を引き寄せる。ばら撒かれた小さなカードの『ピッタリ真下』から現れた時点でソレが能力の対象であること、つまり意思を以って狙いを定めたディック本人ではない。
 直後、漆原トウマの不意を突くように巨漢が背後にそそり立つ。
「見事! ではもう一度タイマンと行こうか坊主!」
 時雨ナミタが高圧洗浄機をディックに向ける。しかし、ディックと同時に現れたリンジがウィリー走行でその眼前へ迫る。
「———邪魔はさせねえっスよ」
 高速回転するタイヤが高圧洗浄機のノズルを踏み潰し破壊した。リンジの突進を転がるように回避した時雨ナミタ、双方睨み合いが続く。
 漆原トウマと時雨ナミタの間にちょうど割り入る形で現れたリンジとディック。背を向かい合わせ、ダフトパンクを分断して引き剥がす構図。
 ディックは深く腰を落とし、構えを取った。
「ハーフ&ハーフ日本支部代表、ディック・ロング。ローション柔術十段、陰武流隠形術免許皆伝、コンバットTINPO師範代」
 名乗りを上げ、漆原トウマを正面に見据える。ご機嫌な笑みを浮かべたまま、陰茎は吼える。
「お前のタマのデカさ、この俺に見せてみろ!!!」
◇◇◇
 試合の生配信が行われる観戦会場は人が歓声と熱気に包まれていた。いつも見上げていた観客席。しかし、その方向音痴や折り紙付き、漆原アキはずっと自分の座席を探していた。
「参ったな、座席まで案内してもらうべきだった」
 良い加減諦めて立見しようかと考えていたその時、錯乱しながら突っ込んでくる女が一人。
「———パンクとパンク、真実は全て始まる前から提示されていたんだ、混沌と混沌の衝突により生まれ出た虚数存在がやがて彼、彼女、そして我々の神を殺すだろう、神は死んだ! 神は死んだぞッッ!!!」
「シャーロットさん落ち着いてください〜!」
 狂喜するシャーロットさんと呼ばれた女に置き去りにされ、息を切らす少女、大山野摘は段差に躓き大きく体勢を崩す———目の前にいたのが漆原アキでなかったら、諸共に倒れ込んでいただろう。
「っと、大丈夫か?」
「ご、ごめんなさい……ちょっとフラついてしまって、少ししたら治りますから」
「席に戻って休んだほうが良いんじゃあないか? ほら、肩を貸して」
「悪いですよそんな! 私からぶつかってしまったのに……」
「構わんさ! 俺もちょうど道に迷って、行くあてを探していたところだからな!」
 漆原アキはいつも通り快活に笑ってみせた。
 辿り着いた座席にはハーフ&ハーフ日本支部の面々、固唾を飲んで試合の行く末を見守る彼らを漆原アキは知っていた。
 彼を呼び出した人物———ディック・ロングから概ねのあらましは聞いていたから。半人としてこの戦いに出場したこと、この戦いの持つ意味。そして弟のトウマ、チームダフト・パンクとの試合が今日この日行われていることを。
「よかったら、ここで見ていきますか? シャーロットさんどこに行っちゃったか分からないですし。えっと……お名前は」
「漆原アキだ!」
「漆原さん、私は大山野摘です、よろしく……って、偶然ですね。今試合に出てる方も漆原ですよ!」
 観戦会場の特設モニターに映る戦闘状況は、いよいよ終盤といったところ。実の弟漆原トウマ、そして旧友ディック・ロング。一進一退の攻防に漆原アキもまた、手に汗を握っていた。
「大山野摘くん、君も半人なのか?」
「えっ!? な、なんで分かったんですか……」
「隠すつもりはなかったんだがな、ディックから大体の事情は聞いている」
「半人だからって見た目じゃ分からない奴は存外多い、君も、おそらくさっき追いかけていた女性も……そして俺もな」
「漆原さんも、そうだったんですね」
「分からなかったろ?」
「この大会は、あいつにとっちゃ大一番。半人としての活躍の証明、それからもう一つは……個人的な約束だがね」
「約束、ですか」
「率直な男なんだよ。もうずっと昔に忘れたと思ってた約束を、馬鹿正直に追いかけてるのさ」
 弟には、彼にも勝ってほしい。だが、競技者の強さは受けた声援の数でも、思想の崇高さでもない。
 勝負強さ! あらゆる要因によって偶然だろうが必然だろうが、勝つ時は勝つし、負ける時は負ける。そんな抵抗不能の理不尽の中で心折られないこと!
 それが、プロ野球選手として第一線で活躍する漆原アキの辿り着いた『競走哲学』。
彼の掲げる『バットは振らなきゃ当たらない』の真意。
「忘れるなよディック。勝つことや負けることはあっても、負けるように産まれてくる人間ってのは一人もいないんだぜ」
◇◇◇
 TechnIcal aNtihalfPersonnel cOnbat (対半人のための特殊な近接格闘術)
 即ちTINPO。
 異形の肉体を持つ者達を制圧するために生み出された亜流近代格闘技の一つ。相手が『人型』であるという、対象の肉体構造に依存する組み技や寝技を完全に廃し、打撃と武器術に特化した体系を持つことで知られている。
 コンドーム会社からの刺客として送られる対半人専門の殺し屋には、殺傷力の高いこのコンバットTINPOの使い手が多数存在した。ディック・ロングは彼らとの絶え間ない死闘を経ることで技術を盗みきったのである。
 ちなみに師範代は勝手に名乗っているものだ。
 殺害対象に称号や免許をわざわざ与えてくれるような甲斐性のある者、或いは変人は中々いない。少なくともディックは出会ったことが無い。
 だが、長期に渡り独学で研鑽を続けたディック・ロングの練度は、達人と呼ぶにふさわしいものであった。
 ディックは腰を落とした体勢から一気に距離を詰める。頭部狙い、大振りの右ストレート。漆原トウマは拳の先を避けつつ、腕の中間を金属バットで逸らして受け流す。しかし流れるように連鎖する動作から放たれる肘打ち、ローキック、裏拳。それを躱し、跳躍でやり過ごし、押さえ込んで速度を殺す。
 当たれば容易く人体を粉砕する一撃が、武術の達人から凄まじい精度と速度で放たれ続ける。
 全てを躱す? 不可能だ。
 加えて金属バットのリーチもディックとの体格差の前では無意味、戦力差は歴然に見える。
 ならばと、金属バットを短い両手持ちへと切り替える。横腹を狙う速度重視の打撃。しかし、ディックから分泌されるローションが金属バットを滑らせ、有効打の芽を奪い去る。
 ローション柔術。日本で初めて潤滑剤プレイを提唱したことで知られる天才春画師、菱川師宣を開祖とする古流柔術。
 本来、ローション柔術は肉体の各所にローションを仕込んで武器とするものだ。しかし、ディック・ロングは汗腺からローションが分泌される特異体質の半人。相性は極めて抜群、歴史上でも有数と語られるほどの腕を持つ。
 受けのローション柔術、攻めのコンバットTINPO。ディック・ロングに一切の隙は無し。一度のミスも許されない攻防が続き、肉体的にも精神的にも追い詰められる。酷く呼吸が乱れるトウマ。余裕を保った表情を見せるディック。
 劣勢、流れは出来上がったかのように思われた。
「トウマ!」
 このままでは敗北必至、早急にリンジを突破して合流をしなければ勝ち目はない!
 ナミタは背負ったナップサックからペットボトルを路面に転がし、能力解除によって破裂して飛び散る水飛沫、そして本来の形を取り戻した『有刺鉄線』が立ち塞がるリンジを襲う。
「通さねえッ!!」
 リンジは超精密な動作で、空中の有刺鉄線を『傷一つなく』掴み取った。『俺たちに明日はない』の発動、スローモーションとなった世界ではこの程度の動作は容易い。
 しかし時雨ナミタも事前の知識で折り込み済みだ。ペットボトルを放ったと同時に急接近。有効打となるのは二重攻撃、両手に隠し持った水風船をボディへ叩き込むのが本命。
 一度水に濡らして能力が起動すれば、どんな相手だろうと容易く肉体を引き裂く。水風船の破裂と同時に打撃が叩き込まれれば一つの動作で実行可能だ。
 ———しかしリンジがそれを『危機的状況』として認識するのもまた当然。
「これでもダメなのか……!」
 時雨ナミタの両手首は到達前に掴まれ、捻り曲げられる。リンジとでは戦闘経験に圧倒的に差があった。水風船は掌からこぼれ落ち、あらぬ方向へ転がって行く。『俺たちに明日はない』が発動した状態から、リンジに一撃を当てられる者はそう多くないだろう。
 リンジは膂力のままに突き飛ばす。乗り捨てられたバイクと衝突した時雨ナミタはボロ切れのように転がり、うずくまる。
「やっぱ水がトリガーなんだよな……そうだよな、理解した、理解すればもう脅威じゃあない」
 何とか体を起こし、立ち上がろうとする時雨ナミタ。その視線の先には追い込まれ続ける漆原トウマ。
 決断は迫られていた。
「退こう! 粘る時じゃあないよ!!」
「……黙ってろナミタ」
 その呼びかけを聞きいれる気は到底なかった。漆原トウマはそのままディックの背後へ滑り込み全力のフルスイングを放つ。
 ———そのはずだった。
「なっ」
 視界が反転する。文字通り頭からアスファルトに落下。受け身すら間に合わないほどの早業。
「ローション柔術四十八手、こぼれ松葉」
「軸足が重要なのさ坊主、下半身へのリスペクトが足りない」
 拳を構えたディック、ギロチンのように振り下ろされるその光景を、やけに冷静に見つめる漆原トウマ。回避不能、逃げ場は無いと悟る。
「トウマ!!」
「ディック!!」
 トンネルに響き渡る二つのエンジン音。ディックは一瞬動きを止める。その隙を突き、トウマは跳ね起きた。ブーメランパンツにカードを差し込み、そのまま股下をすり抜ける。逃がすまいと手を伸ばすディック、だがもう遅い。
 一直線に突っ込んでくるのは無人のバイク!!
 アクセルを全開にしてナミタが暴走させたバイクは、ブーメランパンツに差し込まれたカードの『血判』に引き寄せられ、意思を持ったかのように誘導され突っ込んでくる!!
「なんだとォ!?」
 すんでのところで正面から受け止め、押さえ込んだディック。
 ダフト・パンクの二人は既に離脱し、半ば力尽きた漆原トウマは、時雨ナミタに引き連れられながらスライム化させたコンクリート壁を潜り抜け、隣車線へと滑り込んでいた。
 リンジは二人を見て一瞬躊躇し、すぐにディックの方に向かう。単独で追いかけるのはあまりにも分が悪い。
「……ふう、危うくケツを掘られるところだったぜ」
 既にバイクは『パンクスタイル』によって破壊され、停止している。流石のディックも無人バイクが追尾しながら突っ込んでくるのは予想外だった。ブーメランパンツに差し込まれていた血判付きのカードを眺めると、手のひらですり潰すように紙屑へ変える。
「目標を指定した軌道の操作、防御だけでなく攻撃応用も可能、中々どうして、デキるじゃねぇか」
「面白くなってきたぜリンジ! 使っちまおうか箱、ここで使っちまおう!」
 リンジは己の車体に固定された箱を確かめるように触れた。ハーフ&ハーフ日本支部の『切り札』。
 一回戦『よいおねむりお』には使う機会を失ったために……いや、ディックが『その気』にならなかったために、未だ解禁されていなかったもの。
「俺は震えるほど感動している、是非とも彼らを完膚なきまでに叩き潰すところを仲間達に見せたい……!!!」
「派手に祝砲を上げるぞリンジ!」
「オッス!」
 二人は、拳を強く付き合わせた。
◇◇◇
 ズルり、とスライム化したトンネル内のコンクリート壁をすり抜けて来たのはダフト・パンクの二人。自分より背丈の大きいトウマを路肩に放り出すと、ナミタは息を切らして倒れ込んだ。
「どうしたんだよトウマ、いつものクールな君はどこに行った」
「……あの場ではあれがベストだと判断した。後から文句つけるんじゃあねえよ」
「作戦は俺が立てる、お前はオーダー通りに動いてればいい」
吐き捨てるように冷たく言い放ったトウマに、ナミタは馬乗りになって胸ぐらを掴み上げた。
「君の目標は何だ!? そうやって偉そうに指図してれば負けても満足なのか!?」
「放せよ、喚いたって状況は変わらない」
「その自己弁護のための冷静さがさっき少しでも発揮されてれば、僕だって言うこと聞いてたよ!」
「知ってると思うけど、僕たちはこの大会じゃほとんど最弱だ。戦い方を選んで上品に勝てる試合は後にも先にも絶対来ない」
「……何が言いたい」
「いつまでも僕の保護者ヅラするなよ、司令塔気取るんだったらもっと本気で僕のこと使い潰してみろ」
 涙ながらに真剣な眼差しを向けるナミタ。
 保護者ヅラ、トウマはそれを否定しきれなかった。
 ザ・人間ズの清廉のキョンシー・ヨニや、ハーフ&ハーフ日本支部のディック・ロング、そして実兄である漆原アキ。心のどこかに彼らへの強い憧れがあり、そしてそれはコンプレックスでもあった。
 そうだ、ずっと輝かしい彼らのように、カッコつけていたかった。
 それを認めた時、酔いから覚めるように頭の奥は明晰になっていった。
 握り締めた掌に、熱が戻る。
「今朝、兄さんから連絡が来ていた。俺達のライブ中継を見に来ているらしい」
「認めるよ、俺は良いとこ見せようとして格好つけてた。らしくなかった」
「……俺もまだ半端者だ、お前の言う通り完璧とは程遠い」
「だが、まだプランはある」
「聞いてくれるか、ナミタ」
「……もちろん!!」
 硬く手を握りあった二人。
 ダフト・パンクは、再び走り出す。
◇◇◇
 長く続く一本筋のトンネル、その路上で四人の男は向かい合う。互いの距離は実に約10メートル。
 双方、共に仕掛けることが可能な間合い。
「なるほど……一皮剥けたか? 漆原トウマ」
「まあな、俺もいい歳だから」
 腕組みをするディック。隣で身構えるリンジ。この二人を相手に力を出し渋る理由は存在しない。
 “ラブ・チャイルド計画”とは、「半人自治特区法案」の成立を目的としたものである。
 差別に苦しむ半人のための半人の世界を作る。次世代に生まれてくる半人の子供達が怯えずに、祝福されて生きられるように。
 必要なのは『金』と『名声』。
  既に一部の政治家とは話をつけてある。【イグニッション・ユニオン】で優勝して、五億と最強の称号を得ることが出来れば、大衆を動かす強力な後押しとなるだろう。
 それがハーフ&ハーフ日本支部の戦う理由の一つだ。己の宿命に立ち向かい、打ち勝つために混じり合った男達は拳を握る。
 一方……ダフトパンクに崇高な思想や大義は無かった。停滞から抜け出すために、ただガムシャラにひた走るろくでなしの子供達。
 彼らはあいも変わらず向う見ずで、それでも彼らは拳を握った。
 ただ、目の前の相手に打ち勝ちたい。
 足を止めたくない。
 それだけを原動力で。
 明日を信じる者、今日を懸命に走る者。
 示し合わせたかのように4人は一斉に動き出し、僅か数秒の内に戦いは決着した。
ダンゲロスSSイグニッション 第2回戦「トンネル」
『山入端 輪二とディック・ロング VS 時雨ナミタと漆原トウマ』
———Are you ready?
◇◇◇
 一拍、ディックはブーメランパンツに差した『コンドームブレード』を抜き放つ。居合のような下段からの逆袈裟斬り、トウマとナミタは左右に大きく展開して回避。直後、その鋒がアスファルトを引き裂き、巨大な亀裂を発生させる!
 ブレード状のゴム複数が一纏めにされたそれは、バラ鞭のように面範囲を持ち、遠心力による伸縮が大きく射程を伸ばしているのだ!
 最終秘忍具、『天我』!!
『パンクスタイル』の貫通能力とコンバットTINPOによる武器術の心得を持つディックが振るえば、それは極めて効率的な範囲攻撃兵器となる。
 嵐のようにうねり狂い、道路を粉砕して巻き上げる天我! この破壊の奔流に如何にして対処するか!
 ダフト・パンクの選択は正面突破!!
 二人は互いの腕を掴んで離さず、そのまま全速力で駆け抜ける。
 無数のゴム刃が体を掠めて、肉を削いでゆく。軌道を読み、痛みを噛み潰し、その執念だけを前へ、前へ、前へ!
 ———僅か一瞬の攻防、引き戻された天我のゴム刃がトウマの首元へ絡みつき、そのまま跳ね飛ばした。
 ゲームオーバーか?
 否! まだ彼らの足は止まっていない!
 『涙を飲んで生きる』の発動によるトウマのスライム化! 断頭により切り離された首は血判によって意識が消失するより早く引き寄せられ、肉体を再生させる!
 二人はディックの目の前に迫っていた! 天我を手放し徒手に切り替えても間に合わず———しかし!
「リンジ、スイッチ!!」
「オッス!!」
 二人とディックの間にリンジが割り入った。突進の勢いが乗った拳は時雨ナミタの胴体を深く捉え、繋がった二人は無理矢理引き剥がされる。そして二発目の拳が漆原トウマを狙う。
 金属バットで即座に払って受け流そうとするトウマ、しかし!
「この大一番! 譲れねえよなあ!」
 両手の肉が焼けるほどの熱と痛み、リンジの世界はスローモーションへと移り変わる。
 最終秘忍具、『ボニー&クライド』!
 握り込むことで高熱を発する、リンジ専用の『自傷メリケンサック』。感覚神経の大部分を占める指先に凄まじい苦痛を与え、脳の危機的状態を強制する。
 『俺たちに明日はない』の能動的な発動!
 金属バットによるガードを容易くすり抜け、上体を鋭く捻ったアッパーカットは顎先から頭蓋骨を揺らし———否、顎先だけが容易に砕け散った!!
 ———パンチを主体とするハーフ&ハーフに対抗する為の、余りに捨て身で破滅的な防御策。
 そして、頭部狙いの横薙ぎ、決死のカウンター!
 リンジは『思考加速』により、その軌道をギリギリのところで回避できた。
 そう計算を弾き出していた。
 そのはずだった。
 3度目の『俺たちに明日はない』の発動。
 何故? 意図しない能力の発動にリンジは戸惑う。加速する思考の中で違和感の正体を探る。
 ———なんだ? 何がおかしい?
 ———ああ、バットだ。バットが少々膨らんでいる。
 ———ムクムクと、ブクブクと。
 ふと、顔面を冷やす感覚に気付く。
 そして、理解した。
 リンジはあの時、時雨ナミタに『直接触れている』。
 確かに伸ばした腕の先、捲れた拳と袖口の間の皮膚に触って……ひと繋がりになった! 接触をトリガーとする能力の発動、『吸水性の付与』!! 今のリンジには加水によるスライム化が有効となっている!!
 そしてバットから溢れ出てきている『水』!!
 今までの攻防は全て、リンジに水を浴びせるためのものだった!!
 避けることは不可能だった。動作を見てから回避行動に移れる人体の動作ならまだしも。異能により瞬間的に発生した液体を、どうやって避けられるだろうか。
 時間切れ、思考は元の速度へ。
 水の噴出、能力解除と共に金属バットは元の形へ再構築される。
 リンジの顔面は、あのスクラップ置き場で巨大化した時雨ナミタと同じように、スライム化により意識が希釈され、完全に動作を停止していた。
 カバーにまわるディック、しかし漆原トウマの背後から抜け出てきた影が、一歩早く到達していた。
「———捉えたよ」
 振りかぶった拳は、水に濡れたリンジの頭部を容易く破裂させた。
 直後に遅れて、ディックの中段蹴りが時雨ナミタの胴を引きちぎった。
 僅か一瞬、この試合を制したのはナミタだった。
 引き千切られた上半身、無様に転がるそれは、声にならない雄叫びを上げた。
 今度こそ掴み取った、僕たちの勝利だ。
 勝ったんだ。
◇◇◇
———2nd Session is over!!
【Winner: ダフト・パンク!!】
Finisher:山入端輪二、頭部損壊による戦闘不能———
◇◇◇
 確かに響いた死の感触。山入端輪二は悪夢から醒めたように意識を取り戻すと、周囲を見渡した。
「試合は———試合はどうなった……ッ!?」
「負けたよ」
 昨晩話をしたホテルの中庭、そこから見える明星に向かって仁王立ちするディック・ロングの背中は、夜露に湿気て雫が滴っているようにも見えた。
「ふ……最後、焦って先走っちまったな。箱の中身は初体験の実験装備、ここって大一番に調子に乗って使うもんじゃねえや」
「ディック……俺が足引っ張っちまった……」
「みんなの期待も裏切っちまった……!!」
「いいやッ! それは違うッ!!!」
 ドンと大地を強く踏みしめたディックは、決して振り返らず言葉を続ける。
「お前は最後まで俺を信じた、至らなかったのは俺の判断だ」
「でもッ———」
「良いんだ、全てはなるようになった」
 静かに言い放った、誰よりもこの大会での優勝を渇望していた男は、その悔しさを漏らさないように噛み締める。
「そうだろ? アキ」
◇◇◇
 ———第二回戦、決着直後。
 ダフト・パンクの大会控え室へと向かう漆原アキは道中、旧友と再会していた。
 半人、ワーコンドームのディック・ロング。そしてワーコンドルの漆原アキ。6年前アメリカ某州の同じ大学で出会い、ハーフ&ハーフ日本支部結成時の初代メンバーとして活動した二人。漆原アキは、組織の規模拡大や、プロ野球選手としての活躍が忙しくなって疎遠になっていた。
 しかし、ただ一つ『将来お互いにビッグになったら、半人であることを公表して世間の見る目を変えさせてやろう』と言う、子供じみた約束を突き通すことを夢見ていたことだけは揺るがなかった。
 漆原アキは待っていた、ディック・ロングは目指していた。
 その約束が果たされることを。
「悪い、約束は守れなかった……わざわざ日本まで出てきてくれたってのによ、情けねえ」
「———どうしてだ? もう、叶ってるじゃないか」
「いやッ! 俺は———」
「ハーフ&ハーフ日本支部のメンバー、さっき会ってきたが、みんな良い顔だった! お前が信頼されるリーダーって証だろう!」
「野球バカの俺には到底やりきれなかった、偉大な事だと思うぞ」
 ディック・ロングは天井を見上げる。感極まったその顔は、どうにも親友に見せられるような締まりのある顔ではなかったから。
「———ありがとう」
「おう!!」
 それから二人は少しの言葉を交わすと、それぞれ自分たちを待つ者達の元へと駆けていった。
◇◇◇
 ディック・ロングはその胸一杯に息を吸い込み、言葉を続けた。
「それに、全てが終わっちまったってわけじゃあないッ! 俺たちのラブ・チャイルド計画はまだまだここから続いていくッ!!」
「最後までついて来てくれるだろ? リンジ!!」
「———もちろんっスよ、突き進みましょう!!」
 ドルンと強くいななきを上げるカータウロスと跨がるワーコンドームは颯爽と夜闇の向こうへと駆け出した。
———【half(ハーフ)】
①混血の人、混血児。
②試合の前半、道半ば。
 そうさ、俺たちはハーフ&ハーフ。
 俺たちの明日は続いていく。