1.破れかぶれにゃならねぇぞ
ディック・ロングは激怒した。
必ず、かの偏向報道の王を除かねばならぬと決意した。
『恐怖の淫魔人ディック・ロング現る――児童ポルノ法を蹂躙、その心理とは』――©朝白新聞
『被害女子の証言「あれは一方的な”授からせ”でした」……それはレイプでは?と識者』――©苺日新聞
『鷹岡氏、R指定も放映続行に踏み切った訳――これは現代社会への警鐘である!――賄賂疑惑は否認』――©gogglesニュース
「きぇぇぇええええええええっ!!!」
新聞16社分を束ねて縦に引きちぎり、傍らのデスクトップにも手刀を叩きこむ。
部屋に備え付けのテレビは、関係のないニュースを流していたので許してやった。
「あれは俺のせいじゃねぇ!人間だったら誰しも起こり得る、どうしようもねぇ…オメデタじゃねぇか!新しい命は祝福せねばなるまいがっ!!」
壁に亀…頭を何度も叩きつける。
しかしいくらぶつけても、目の前の現実は一向に変わらない。
結局あの試合はR-18指定がなされ、運営から苦言を呈された。まだ17歳の輪二と野摘は、閲覧さえできずに残念がっている。
いくら何でもあんまりだ。俺は、俺たちは一生懸命戦っただけではないか?
ブーメランパンツからスマホを取り出してタップした。
どのニュースサイトも、昨日の戦いで華々しい成績を上げた他の参加者たちを取り上げている。
”現代の頼光公”や”今一番熱い2人?組”などという文句が立ち並ぶ中で、一際輝いているのが…
『神々を撃ち落とした男たち』。
次の対戦相手、ダフトパンク‼の二つ名だ。
記事を開き、即座にコメント欄までスワイプする。
そこは『トウマ格好いい!』『ナミタくん紳士』『2人の立ち姿最高!』など、非常に好意的な文面で埋まっていた。
次いでハーフ&ハーフの記事を開く。
『祖母がショックで死にました』
『人肉ケーキ級』
『ごめん、あの試合だけ記憶が無い』
惨憺たるありさまではないか。
「ぐ、ぐぐ…いかん、これはいかんぞぉ…ッ!」
焦燥感と共に大量のローションが噴き出す。
そも、ハーフ&ハーフ日本支部の参戦目的は、半人たちの地位向上を目的とした”ラブ・チャイルド計画”の実行だ。賞金5億を狙うのも、運営への賄賂も、輪二に搭載したあの秘密兵器も、全ては輝かしい半人たちの未来に繋ぐため。
なのに、その責任者たる俺がオウンゴールを決めてどうする。
『ラブ・チャイルドってそういう意味ですか?』と言われても、何も言い返せなかった自分が恨めしい。
「最悪、俺が嫌われるのはいい…だがリンジは?アユカワは、トラキチは、ノヅミは、シャーロット……はまぁいいとして…!」
シャーロットはTwitterでディックを煽り倒していた。
昨日会った時は「カウンターウェイトさ」などとほざいていたが、その毒舌芸人アカウントが2年前から存在しているのは既に周知の事実である。
…などと毒づいても意味はない。実際にディックの取った行動そのものが問題視されているのだから。
その時、コメント欄の中に紛れたある文章に気付く。
「お?」
掲示板サイトを見ても、似た内容の投稿が散見された。
「んん、これは…」
「ディーック、帰ったぞー!」
「た、ただいまで~す…」
しばらくスマホをいじっていると、シャツを汗だくにした輪二が帰ってきた。野摘もその後ろから入室する。今日は筆文字で「長女」と印字されたTシャツに、恐竜の足跡模様の付いたスカンツだ。
2人は朝から、育てていた新種のコンドームを取りに農園まで行って貰っていたのだ。両手に大きなガサゴソビニール袋がさごそをぶら提げている。
「言われた奴、持ってきたぜ」
「あの、これは何ですか?あそこ何なんですか?」
野摘の心拍数は高そうだ。
だが今重要なのはそこではない。
「ありがとうノヅミ、助かったぜ。ついでにもう1ついいか?」
「一体何でしたか?」
「中庭の鉢にも植えてあるんだ、コンドーム。餌を頼む」
「私は何に関与したんですか?」
「ありがとう」
自然な成り行きで、野摘を部屋から閉め出す。
オートロックがかかるのを確認すると、ディックは事前にルームサービスで頼んでおいた容器を手に、汗だくの体を拭いている輪二のところへと戻った。
「お疲れ!これも用意しておいたぞ」
「うわ、これハイオクじゃん!マジ凄い高い奴ひゃっほぅ!」
小躍りする輪二。
「はっはっはっ、……ところでリンジィ、シートが濡れてないようだが?」
「は、え?何?」
「来た時から濡れてなかったようだが?」
「別に雨降ってないし、そこ汗かかないし」
「…お前、まさかとは思うがよ。ノヅミを乗せていかなかったのか?」
「ばっ!」
輪二が吹き出す。首まで真っ赤だ。
誤魔化せるとでも思ったのか。
「あいつは朝と同じ格好なのに、汗一つかいてねぇ。大方タクシーに乗って、お前と並走して行ったんだろ?」
「~ッの、せられるわけ、ねぇだろっ…」
「俺が何のためにお使い2人で行けっつったよ。往復5時間、意中の人と2人きり!ははぁん、もう別の女を好きになったのか?」
「違うわ!」
「じゃあ何でだよ。ノヅミ好きなんだろ?だったら背中に乗せてドライブとか、やる事やらなきゃ何も始まらんだろうが」
「うっ…」
歯切れの悪い輪二に、溜息をつくディック。
輪二は野摘が好きだ、なのにデートへ誘いもしない。
これが奥ゆかしさだというのなら、日本人はとうに絶滅しているだろう。
だが輪二が渋々話したその理由は、やはりディックの想像通りだった。
「…自信が、ないんだよ」
「ほう」
「野摘は好きだよ、可愛いと思う。だけどそれってさ、あいつの性格的な部分も見て、きちんと好きだと言えてんのかな?って考えちゃってさ…」
「リンジ、今日のノヅミの服装はどう思う?」
「最高」
「俺が着てたら?」
「死んでくれ」
「確かに、恋は盲目だな」
こいつは、”彼女の外見にときめく自分”と、”見た目を理由に迫害してきた連中”とを重ねているのだ。同じ、見た目を気にする者同士として。
散々吠えてきた”見てくれで人を判断するな”という言葉が、今度は自分に突き刺さっていると感じているのだろう。
ま、思春期していて大変微笑ましい限りだが……
「外見から好きになるのと、外見しか好きになれないのは違うんだぜ?お前は前者だよリンジ」
「そうであって欲しいね。半人である俺には、自分の気持ちさえ分からないんだよ」
「俺も半人だ、バカ」
――数年前のあの雨の日、道端ですっ転び泣いている子供と出会った。
転倒事故を起こしたらしい。助けた後、泣きじゃくるそいつに安い菓子を奢ってやった。
あの時は農園も無くて、俺の手持ちは少なかったからな。
名前を聞いて笑っちまったけ?お互い、あまりにもそのまんまな名前なもんでな。
それが、俺とリンジの出会いだ。
全く、いくつになっても世話の焼ける奴だぜ。
ディックは、思い付いた妙案にほくそ笑む。
彼が持つスマホの画面には、掲示板サイトのとあるレスが表示されたままである。
『あのバイクの子、かわいそう』
.
。
o
〇
2.狙いはあの子
――雨が降っている。その中を、僕は走っている。
「はっ、はっ、はっ、はっ!」
通り慣れた河原沿いの道。家までもうあと少しのところで、僕はぬかるみに足をとられ、前のめりに倒れ込んだ。
そこに奴が飛び乗ってくる。
「俺はホモレイパー先生!女子高赴任を命ぜられた、悲しき男!」
「ひ、ひえええええっ!」
「3か月目のシャウトを聴いてくれぇっ!」
奴が僕の背中を撫で回す。お尻のところに、何か熱い物が当たっていた。
「これで坊やをメスガキにすれば、俺も晴れて一般性癖の仲間入りって寸法よぉ!」
「ひ、ひ、」
と。そこで、奴の頭が砕け散った。「ぎへぇっ!」と叫び、気持ち悪い声が遠のく。
僕が振り向くと、そこには息を荒げた彼が、バットを構えて立っていた。
「またせたな。怪我はないか?」
「ヒューマ!」
『僕』の兄ちゃん、ヒューマが。
バットの先端を、今まさに立ち上がろうとしている奴の喉元に突き付ける。
「ホ、ホモに人権を…」
「レイパーにはねぇよ。よくも、俺の弟を泣かせたな…かかってこい、ホームランにしてやるぜ」
そしてヒューマは、いつも通り。
言った事を、そのままやってのけてみせたんだ。
『トウマ』
「……」
電話越しに聞こえる父の声。
兄が出場した甲子園の録画を、繰り返し見ている背中。
一緒にプロ野球を見に行こうと、手を引かれて歩いたあの横顔。
夕方、自分の影にびびって泣く俺を抱きしめてくれた腕。
記憶の中の父は、いつも優しかった。
『お前…魔人だったのか…』
覚悟はしていた。
だが実際にその口から聞くと、それは何だか…重い。
「それで?」
その気持ちに押し出されるように言葉が出る。
『ヒューマは知っているのか?いや、それはいいか』
「……」
『今、先生方がいらしている。とても怒っているぞ、何とか退学にはならないように頼み込んでいるから…とにかく、お前もすぐ戻ってあやま』
「うるせぇよ」
俺はそのまま通話を切り、スマホをベッドに放り投げる。
ただよく見ていなかったせいで、そこに寝転がっていたナミタの頭に直撃した。
「…ノーコン」
「うるせぇよ」
「暑いね、クーラー付けようか」
「いや、いいよ」
「あ、そうだ。海行こうよ海!ここ、魔人スタッフが送迎してくれるんだって!」
「行かないぞ」
「流石スイートルーム!」
「……」
「…え~と…」
後が続かないナミタを無視して、バットを握る。
胸のもやもやを吐き出す場所が見つからず、俺はただ振り払うように素振りを始めた。
俺が魔人になったのは、中学校の時だ。
当時友達になった奴と、流行っていた漫画の真似をした。
主人公が、ライバルと同じ紙に血判を押すシーンの真似。
『これで、俺たちは一生友達な!』
あぁ、と言って笑ったのを覚えている。
物語の中でどうして血判を押す事になったのか、もう覚えていない。
その瞬間魔人化したなんて、友達は知らない。勿論、兄にも家族にも、誰にも話した事はない。
俺が魔人だと知っているのはナミタだけだった。1回戦の前までは。
もう、後戻りは出来ない。
30分ほど経ってから、俺が汗だくになり始めた頃にルームサービスが届く。
青椒肉絲、おでん、ポテト、から揚げ。
いつの間にか頼んでくれていたらしい。
やや重い空気の中で、俺はから揚げを頬張った。ナミタは青椒肉絲。
だがその目は、いつにも増して潤んでおり、味が分かっているのか甚だ疑問である。
「次の相手、さぁ」
「あぁ」
「どう戦えばいいの…?」
「聞くな」
マジで知らん。
見るからに亀頭を模した淫魔人が第1回戦で見せた、強制イラマチオ妊娠。
一体何を妄想すれば、あんな魔人能力に目覚めるというのか。
変態の思考過程など理解出来るはずもなく、よって攻略方法も思い浮かばない。
まさか天使様より酷い精神構造の持ち主に出会うとは……半人って初めて見たけど、まさかあんな連中ばかりじゃないよな…?
「何かされる前に叩くしかないんじゃねーの?次のトンネルは、そういう意味じゃ好都合だ」
「た、確かに!狭いから攻める場所も限られてるし、相手も近接特化っぽいし!」
「ただこっちの能力は知られてるんだよなー…あのバイクの方も何が何だか」
「う…うーん…」
「それにあっちの第1回戦、相手の女は格闘戦じゃてんで弱かったろ?最悪、能力を使わなかっただけって説もあるぜ」
「うぐ」
ナミタの涙目が更に潤む。
ダフトパンク‼の基本戦法は、トウマが敵の遠距離攻撃を封じ、接近戦に持ち込んだところをナミタが刺す、というものだ。
大会開始までに覚えた付け焼刃にしては、かなり嵌っていると自負はある。
だが、相手は神速の機動部隊。ナミタの準備が終わる前に捕まれば、アウトだ。
「試合を見る限り、真っ向勝負は完全に向こうが上だと思う。特にディックはやばい、能力無しでもやばい」
「やっぱ陣地作成は必須だよね…トンネルの中に、水とか溜まってたりしないかな…」
「地面を柔くすれば、あのバイクは何とか出来るか?」
「大丈夫、だと思う……仕込みを早く終えられるよう、考えとかないと」
「ま、1つだけ分かっているのは」
「うん?」
その不安げな表情が面白くなくて、俺は満面の笑みで応えてやった。
「あの変態野郎が狙うのは、十中八九お前って事さ」
「酷い!」
うるうるとした目で俺を睨みながら、ナミタがぎゃあぎゃあと喚く。
枕を2つとも占領して投げ付けてきたので、俺も颯爽とスイングを決めて打ち返してやった。
――付けっぱなしのテレビから、昼のニュースが流れてくる。
某国でテロリストに捕らえられていた日本人夫婦が、2人組の力士によって救出されたそうだ。
夫婦の娘だという女の子が、『おすもうさん ありがとう』と書かれたスケッチブックを掲げている。
その隣でやたらボロボロな、高校生くらいの男が突っ立っているのが、少しだけ気になった。
……例えば、これは妄想だが。
この夫婦が開放されるに辺り、力士だけでなくこの男も頑張っていたとか。
表立つのが嫌いだから、素知らぬ顔で家族を迎えているのだ、なんて。
そんな荒唐無稽な考えが一瞬でもよぎったのは、きっと俺が持つ願望の表れなのだろう。
ヒーローになりたい、兄のような。
俺はその為に、走り出せているのだろうか。
希望を持って挑んだ第1回戦では、ナミタの助けが無ければ到底勝つ事なんて出来なかった。
まして、相手と分かり合う未来など。
鎌首をもたげ始めた諦観が、蛇のように噛み付いて逃がしてくれない。
その苛立ちをナミタに向けて、蛇の代わりに噛み付く。
蛇になんて、なりたくないくせに。噛み付いて、自分から逃げている。
トウマは当て馬、逃げ馬のトウマ、だ。ちくしょう。
そう言えば蛇って、ちんこのメタファーだったなぁ…。
「そ、そ、そんな事言って!本当に妊娠させられたらどうするんだよ!?」
「ナミタもママになるのか~大変だな~」
「怒るよ!本当に、ねぇトウマ!」
慌てるナミタの顔を見ている内に、俺の中で暗い気持ちが深まった。
分かってるんだよ、俺には。
この試合、狙われるのはお前だ。――俺なんかじゃない、って。
.
。
o
〇
「父子家庭って、偏見の目とかあるのかなぁ?」
「…お前、本っ当に想像力豊かだよな……」
◇◇◇
Ex. 幕間――あるいは水分補給の呼びかけ――
真夏のビーチを舞台に、2人のアイドルがダンス対決をしていた。
片や新人ロボアイドルで、頭に猫飾りをつけた女性と仲良くロボットダンスを踊っている。その周囲をバッタみたいに跳ね回る小学生が、強面のおっさんに追いかけ回されていた。
これを迎え撃つのは、生ける伝説・阿僧祇なゆ。凄まじいブレイクダンスで新人をステージから蹴り落とし、ついでに観客席へと突っ込んでいく。
近くに居た猫っぽい人はとっくのとうに沖の方まで吹っ飛ばされており、今水面に浮かんでいた気泡が消えたところだ。
(惨劇を背景に、定番の挨拶を決めるMCたち)
『こんにちバァ~ニングッ!キュートでパワフル、ラッコでぇす!』
『ハローワールド!恵撫子りうむです!』
『イグニッション・ユニオン第2回戦は真夏のビーチからお届けだぜ!』
『皆さ~ん水分補給はしてますかぁ~?』
\いぇ~い!/
『ビール掲げてる奴は水も飲めよ!死ぬぞ!』
『いぇ~い、所詮70億分の1の命~!』
『ちょ…おい…』
\いえぇ~い!!/
『え、これいいの…?……この定命の者ども~!』
ヒュゥゥ~……
『はい、続いての試合はダラララララララ…(中略)…ラララララ♪デンッ!第4ブロック、戦闘場所は”トンネルでぇす”!』
\やっほぉ~う!/
『何と何と!このフィールドでは、今ノリにノってる大人気”ダフトパンク‼”と、新聞紙面でトップを飾った”ハーフ&ハーフ日本支部”の2組が戦います!ぱちぱちぱちぱちぱち~……ラッコさん?』
『……いや。何でも』
『?』
『でも実際どうなん?この試合、大丈夫?』
『運営はゴーサインを出しました。ラッコさんはどちらが勝つと思いますか?』
『正直分からねぇ』
『ほうほう、彼らの実力は拮抗していると!』
『いや、男同士の絡みに興味な』
『偏向報道禁止チョップ!』
ゴツッ
『いってぇ!首が!』
『では、両陣営とも準備が整ったようですので、早速試合に移りましょう』
『肩が…鎖骨が…ッ』
『あ、ヤバい!なゆさんがこっちまで来てキャーッ!』
『うおおお水を飲んでなくて力が出なぎゃあああっ!』
(轟音)
.
。
o
〇
そして戦いは始まった。
舞台は東京某所の廃トンネル。
投げ込まれた炎は2つ、燃え残るのはただ1つ。
最後まで、己を燃やした者が勝つ。
――Title call.ダンゲロスSSイグニッション 第2回戦”トンネル”
『山入端輪二とディック・ロングvs時雨ナミタと漆原トウマ』
◇◇◇
3.幽霊トンネルが怖い理由
――それはヤンキーがいるからだ。
トンネルを走る二車線道路を、等間隔に配置された暖色の照明が照らし出す。
道はうねり、先にあるはずの出口は見えない。
後方100m地点は既に外部と繋がっており、即ち戦場の境界線である。
しかしいくつもの車両で埋まっており、更にトンネル全体を見ても、あちらこちらに車が放置されていた。
まるで皆一様に乗り捨てられたか、運転手が突然消えてしまったかのようだ。
そこをひた走るのは、バットを持った男とペットボトル入りのサックを背負った男。
ヤンキーとその舎弟ではない。ダフトパンク‼の2人だ。
「う、うわああああ!」
「このっ、このっ、このぉーッ!」
泣き叫ぶナミタと、悪態を吐きたいトウマ。悪態を吐きたいが、形容する言葉が思いつかない。
舗装された路面を蹴り、車を飛び越え、懸命に走った。
その後ろから、ヘッドライトの明かりが迫る。
『『わぁーはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!!』』
_________________
=== | \
=== | ⊃ ←コンドーム
=== |_________________/
=== | |
=== | |
=== | /人\ |
=== |( )|
=== ∩|゜ω|∩
=== \ /
=== |____ |
=== U U
===
===
=== ゝゝゝ
=== (・x・)
=== ⊂| |⊃
===(_______)
=== ◎ ◎
※フリー素材です、よろしければどうぞ。
ギュォォォォォォォォォオオオオオオオッ!
噴き出す空気の音。
膨らませたコンドームをロケット代わりに、ディック・ロングが宙を舞う!
「飛ぶのは卑怯だろ【編集済】がぁぁぁぁぁぁぁーッ!」
「れ、レ【ピー】されるぅー!」
飛んでるディック!飛ばない輪二!罵るトウマ!泣き出すナミタ!
イグニッション・ユニオン第2回戦”トンネル”は、”生中継でリアルタイムに映像を編集太郎”付きでお届け致します。
◇◇◇
「鷹岡さん、これ編集間に合ってますかね?」
「外したらクビな」
頑張れ生中継でリアルタイムに映像を編集太郎、妹の手術代がかかっているぞ!
◇◇◇
「はぁ、はぁ、【編集済】がっ!」
トウマが毒づく。並走するナミタには、その余裕さえない。
…まさか、試合開始とほぼ同時に接敵するとは思わなかった。
水を周囲にばら撒いておくとか、血判を付けた粘土を壁や天井に投げつけておくとか、用意した物が何も使えないとは。運営の【ピー】采配め!
バットに付けた血判を意識する。魔人能力、『トップを狙え』発動――対象はディック。
しかしトウマの潜在意識は、器用に飛ぶディックを”意識あるもの”として捉えてしまっているらしい。能力は不発に終わる。
「ナミタァーっ!急げ、撒けぇーッ!」
「ひっ、ひっ、ひっ、ふぉーっ!」
ナミタはボトルの口に手をやると、『涙を飲んで生きる』を発動した。
ペットボトルの口をスポンジに変えて引き千切る。多少水はロストするが、今はスピードが重要だ。
走りながらばら撒いた水は、地面に当たると突然元の姿を取り戻した。
事前に用意しておいた無数の鉄片が、開いた路面上に乱立する。
「うげぇっ!」
突然現れた鋭利なスパイクに、輪二の『俺たちに明日はない』が発動する。
危機的状況限定の思考加速能力――時が遅延した世界の中で、輪二は先行するディックの背中を見た。
放置車両とこの鉄片妨害のせいで、思うように距離を詰められない。壁面を走って突破しようにも、助走をつける距離が足りないのだ。
「やはり危険なのは、水使いか!」
車両の迷路で遅れる輪二を視認し、ディックはコンドームロケットから手を放す。真下に居るはナミタ。
あの野球小僧の能力でコンドーム手裏剣は使えない――ならば素手殺だ。
瞬間、トウマが能力を再発動した。対象はディック、自由落下は明確に対象内だ。
「むむっ!?」
引き寄せ能力の対象を『投擲物のみ』と推測していたディックは、想定外の引力に身構える。
その行き先は、構えられた金属バット。
――好機!ディックは空中で猫のように姿勢を変えると、渾身の蹴りを少年に放った。
能力発動、『パンク・スタイル』。この間、彼の攻撃はあらゆる事象を貫通する。
だが突然、ディックの体は別方向へと吹き飛ばされた。
トウマが能力の起点を、バットから急いで放り投げた血判付き粘土に変更したのだ。
あわよくば巨体に一撃と考えてはいたが、迎撃をしくじれば最悪手首が圧し折れる。必要なのはナミタから遠ざける事だ。
その判断は、結果として最良だったといえよう……勢いを失ったディックは、トウマから数メートル離れた地点に着地。ふん、と鼻を鳴らす。
小さな地響きが感じられる。数秒後、現れた輪二のヘッドライトが、その場の3人を照らし出した。
巨大なトレーラーが横転し、二車線道路を完全に封鎖しているのが見えた。
どうやら奇妙なチェイスは、ここで終わりらしい。
トレーラーを背にしたトウマと、対峙するディック。
輪二はエンジンの回転数を下げた。僅かな物音も聞き逃さないために。
トウマの後ろではナミタがぜぇぜぇと呼吸を荒げ、トレーラーに手を突いている。だが片方の手には逆さまのボトルが握られており、地面に水をぶちまけていた。
じわじわと地面がぬかるんでいく。
次の一手をどう打つか…互いが策謀を練るひと時が、束の間の静寂を生んだ。
「やるじゃねぇか…」
ディックがブーメランパンツの中から取り出した、ぬめついた手袋。
それはディック特製、あの農園で採れたてのフィストファック用コンドームである。
「だが所詮は若輩よのぉ!人間と、ワーコンドームである俺様との圧倒的種族差という物を拝ませてやろうかぁっ!」
「おっさん、それ、今装着する必要あるか?」
「無いが…新作だからなぁ…」
「ひ、ひぃっ…」
ナミタの股間が縮みあがった。
ディックの双眸は、その挙動を見逃さない。
「特に、そっちの水使い!危険ではあるがぁ!動きが遅い、判断が鈍い!舐めてんじゃねぇぞ、この、この、この、えー、ガキが!」
「ひぃっ!」
「大体、俺は男の泣き虫が嫌いなんだよ、みっともないったらありゃしねぇ」
「う、うぅ~っ」
「…強いぞ、こいつは」
ぶん、と空気を切り裂く音。
ナミタの前に立ち、バットの先端をディックの喉元に突き付ける。――予告ホームランだ。
「馬鹿にすんなよ、【編集済】」
「ゲハハハハッ!ヤれるもんならヤってみやがれ!」
突然視界が眩しくなる――輪二のヘッドライトだ。同時にエンジン音をかき鳴らし、トンネル内に爆音がこだました。
急な攪乱に合わせて、姿を消すディック、見失う2人。
即座にトウマはバットを構え、右側を警戒した。ナミタは左にボトルを向けて、鉄片の復元をイメージする。
どう言われようがその連携は素早く、隙はとても小さい。普通なら。
――かつて、人が平原に住む野人であった頃。
敵や獲物といえば、それは地上を這う獣だった。空を飛ぶ鳥ではない。
その名残は現代人の目にも残っている。左右に動く物を捉えるのは得意だが、上下方向への動きは比較的鈍いのである。
ディックが消えた理由、それは極端な姿勢の変化。
大きく屈み、地面に触れるまで、触れる直前になるまで、大きく、大きく……寝転がるかのように……!
「…っナミタ!」
気付いた時には、もう遅い。
2人の足元を、蛇の如く屈んだディックが直進する。ぬかるみとローションのおかげで摩擦係数はほぼゼロに近い。
まさか、ナミタを放置していたのはあえて?
などと疑問を挟む余地さえなく、巨体がナミタの前で起き上がる。
それは低い体勢から放つ、陰武流鬼闘術独自の格闘メソッド。
『奥義ノ壱――攻めの沈歩!』
ナミタのボトルから鉄片が放たれた。
鋼鉄の矢に匹敵するそれは、瞬間的に硬直させた筋肉によって跳ね返される。
『奥義ノ弐――守りの万固!!』
攻撃を弾き、流れる様な動きで姿勢を変える。片手を軸にして放つ両足を揃えた渾身の蹴り、そして発動――『パンク・スタイル』。
ディック・ロングの脚が、易々と時雨ナミタの胴体を貫いた。
◇◇◇
「どうします?これ」
「…審議中だ」
生中継でリアルタイムに映像を編集太郎の背中を、冷や汗が伝う!
◇◇◇
4 .泣くと減るもの、なぁ~んだ?
僕は泣き虫です。
何かあると滲み出てきてしまいます。
お金が無くて道端の青虫を羨ましがっている時とか。
高校に通っている小学校時代の同級生を見かけた時とか。
公園で変なお姉さんにお尻を触られた時とか。
そういった事がある度に、心の奥底で『くっ』と引っかかる何かがあって、それは棘のような感覚で、それが僕の体に穴を開けていく。その穴からぴゅうぴゅうと噴き出していく。
僕の両親は、こんな未来を見越して名付けたのでしょうか?
トウマ曰く、涙は血で出来ているそうで。
それならいつか、僕は体中の血液が枯れ果てて死んでしまうのでしょう。
僕のお腹にブスリと突き刺さった、とても太い太い脚。
勢い余って後ろの車まで貫通している。
驚くような技を見せたおじさんは、今、とても驚いていた――そうだろう?人間が、こんな簡単に貫けるはずないんだから!
「トウマァァァァーッ!!」
僕は叫んだ。普段の僕にはありえない大きさで。
頭の中がカーッとなって、自分が自分ではないみたいだ。
これが不良たちの言う「俺何するか分かんねぇから」って奴?
ならば、なんて良い気分!
「ぬおおおおおおおおーッ!」
ディック・ロングが叫ぶ。
『パンク・スタイル』は彼の生き様、その理想の体現。
目の前の少年を貫く事も、完熟マンゴーに箸を突き立てるが如し。それは至極当然、宇宙の摂理!
よって彼の驚愕はそこではない。
「何だその姿はぁ!?」
ナミタが、抜け出そうともがくディックに触れる。
潜り込め『涙を飲んで生きる』。
吸水性を与えられたディックは、柔らかくなったナミタと混じり合い、自慢の強直なボディを垂れ下がらせていく。
ディックの誤算、発動トリガーが水であると勘違いした事。
そこに、バットを構えたトウマが走った。
「ナミタァァァァーッ!」
俺は知っている。
ナミタは水を被っていない。被る暇が無かった。
少しは胃袋に入れていたが、それっぽっちじゃここまで出来ない。
俺は知っている。
あいつが吸収したのは――自分の血液だ。
全身を巡る血液を、恐らく致死量ギリギリの量まで吸い込んでいる。
そのせいで、今、あいつは真っ赤に染まっている。
燃えている!
俺は知っている。おっさんは知らないだろう。
あいつは今日珍しく、結構泣くの我慢してたんだぜ?
――ディックの誤算、2つ目。ナミタ少年の決意、ここで孕んでもよいという覚悟――!
「ディィーーック!!!」
トウマの眼前に突如、輪二が現れた。
足場として残されていた僅かな路面を見いだして、器用なタイヤ捌きで走り抜けたのだ。
到着時点で勢い十分、地面のぬかるみも気にせずそのまま飛び込む。
奇妙な構えは、相方と同じく何らかの武術か?だが、その速度はコンマ数秒足りない。
それよりも速く、トウマのバットはディック・ロングの頭を打ち砕いた。
.
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ディックの頭部が破片を撒き散らす。
だが俺は、即座にその異様に気付いた。
ディックがでか過ぎる!元より人並外れて大きな頭が、どういう訳か更に肥大化しているのだ。
頭部の一部は弾け飛んだが、全体で見ると少し凹んだ程度にしかならない。
ディックは最早、たるんではいるがある種のご神体のようにも見える。
赤黒かったナミタも、吸収したガソリンに薄められてぷよぷよのピンクしていた。
2人はぴくりとも動かない。
だが、やはりでか過ぎる。2人の水分が混じったにしてはやはり…
と、そこまで思考を巡らせたところで。輪二は、その臭いに気付いた。
「油だ…!」
ナミタの背後、このトンネル中央部を封鎖するトレーラーから、ガソリンが漏れている。
ディックの蹴りでナミタもろとも穴が空き、その足を伝って2人の体が吸い込んでいるのだ。だからでかい。
「俺の液漏れかと思ったわ…」
振り向きざまにトウマの放った打撃が、次は俺の頭を狙っている。
条件達成、能力発動。思考が加速し、先程から周囲の動きがゆっくりに見えていた。
呑気な推理もそのおかげ。
だが、正直かなり厳しいな。
ディックがナミタを攻撃する。例えしくじっても、ダメージを受ければ能力解除の可能性がある。
そうすれば戻った路面を軸に俺も大暴れって寸法だったが…結果はご覧のあり様。ディックは動きを封じられ、俺もぬかるみに足をとられている。
いや、ナミタくんはすげぇよ。もう完全に腹くくってたじゃん。能力も上手く隠されていたし、あそこまで冷静に動かれては完敗だ。
トウマの血走った瞳を見る。
多分、あちらはあちらで余裕がないのだろう。
その顔を眺めていると、彼にも色々と人生があるんだろうな、なんて間の抜けた考えが浮かんできた。
情熱と、誠実さのある顔立ち。
『今日の試合に勝ってから、ノヅミをデートに誘え!面と向き合わねぇ相手の内面なんざ、知れる筈もねぇだろう!』
ディックはすげぇや。言った通りだもんな。
…何だろう。目の前のバットを見ていると、気分がすっきりとしてきた。
死を目前にして、ようやっと腹が座るなんて、あいかわらず逃げ腰な性格だけど…ナミタくんには負けられねぇな。
よし、誘おう。野摘を、デートに。
例え負けても恰好悪くても、まずは声をかけてみようじゃないか。
ただ、残念だ。このままやられる姿を、野摘には見せたくねぇなぁ。
敵の息遣いさえ聞こえる穏やかな世界で、俺はそう考えた。
……あ、あるわ。1個だけ、今できる事。
ディックは絶対にやらないけれど、俺はディックじゃないからな。
爆発させちゃえ!
◇◇◇
5.炎となり生きる
金属バットのスイングを、間一髪で躱される。
相手はかなり強引な体勢で、タイヤを滑らせてそのまま倒れてしまった。
だが、その手が地面に伸びた時。
俺は奴の魂胆を理解した。
鉄片。ナミタがボトルから戻した物の1つ。
「!させ」
バットを振り上げる。
敵が鉄片を握り、こちらに差し出した。
舞い散る火花。爆炎。
……想像の中で広がった炎に、俺はバットを引っ込めた。
再度振り抜こうとしたが、そのまま持ち手を放して逃げる。
視界の片隅で、奴が鉄片を車体に叩きつけたのが見えた。
火花。
爆炎。
轟音。
俺は駆け出した。同時に懐から血判付きの粘土を取り出して、爆炎とは反対方向に投げる。
畜生、こんな時さえ兄ちゃんのように投げられないのか!
背中を焼く、強い光。俺の体は浮き上がり――『トップを狙え』。
前へ前へと、体を引き寄せていく。
全身が燃える。だが、目の前の視界はまだ炎に覆われていない。
広がる爆炎に負けない程度の速度で、俺は飛んでいるのだ。
相手も何か考えていたのか、「ま【ピー】」とか叫んだ時点で炎の中に飲み込まれていった。
後で聞くには、おっさんの奥義を真似しようとしたらしい。失敗して黒焦げになった訳だが。
問題は俺の方だ…そんな便利な防御技なんて、無い。
息が出来ない。
熱くて苦しい。
――だが、それがどうした。ナミタは根性を見せたじゃねぇか。
息が出来ない、止めてみろ。
熱くて苦しい、我慢しろ。
あいつに出来て、俺に出来ないなんざ、ちょっと悔しい。…いや、かなり悔しい。
負けたくない。
俺はヒーローになりたい。兄のような。
だが、もう自覚した。それと同じ位強い感情に。
俺は、ナミタよりも上に居たい。
あいつに庇護欲を掻き立てられているとか、そんな気持ち悪い話ではない。
単純に負けたくないんだ。
ナミタは強い奴だ。もう知っているだろう?
あんなに泣けるあいつの体に、熱い血潮が流れていない筈がないんだから。
だから、俺もそれに負けない炎でありたい。
諦めずに最後まで粘る、あの血潮に満ちたナミタのような。
次の試合では絶対に負けない。俺の競争相手は、3人だ。
敵の2人と、ナミタのな。
視界が狭まる。酸欠が近いらしい。
俺は出来るだけ長く生きられるように、必死に意識を起こした。
――そういえば。
あいつと初めて会ったのも、こんな日だった。
雨で自転車を派手に転ばせて、ただ遠のく意識をかき集めていた。
.
。
o
〇
(‥)
\ | /
―(・x・)― <「ヤッパ負ケタクネェーーッ!」
/ | \
「は?」
バシュゴォォオオオオオッ!
ΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞΞ(・x・)<ノヅミィッ
なんて。感傷にふけっていた俺の隣を、あいつ――山入端 輪二が駆け抜けていった。
駆けたというか、下半身のバイクが吹っ飛んでいた。気合入れたら爆発したそうだ。
『やっぱ入れるならハイオクだよ、爆発力が段違いだもん』だそうで。なんだそれ?
結果的には全員窒息死で、ちょっとだけ輪二の方が長生きした。
あいつ、体の半分は機械だから、酸素消費量も半分なんだってさ。
――ず、ずるいっ!
第2回戦『トンネル』
勝者:ハーフ&ハーフ日本支部。
決まり手:逃げ切り。
◇◇◇
epilogue.俺たちに明日はある
「悪ぃ、俺のせいだ」
「トウマのせいじゃないよ」
ホテルの部屋に戻ってから、俺はナミタに頭を下げた。
今回の敗因は、俺が中途半端だったせいである、と言ってもいい。
あの時、臆せずに輪二の頭をぶち抜いていれば。
あるいは、もう少し逃げるのが早ければ。
俺の方が生きられた可能性も、十分にあったのに。
「本当にすまない」
「……」
ナミタはしばらく無言だったが、やがて下げっぱなしの俺の頭に手をあてがう。
そして膝蹴りをかました。
「何しやがる!」
「今回は、予想が甘かったと思うんだ。『相手と遭う前に準備を整えよう』とか、他の試合を見てたらそんな暇ない可能性だって考えられたのに。それでも、僕たちは希望に縋った」
顔を上げた俺が見たのは、今まで見た事のないナミタだった。
いつも通り泣いて、涙を溢して、だが…笑っている。
「とにかく、時間が足りなかったね!ボトルに入れるの、鉄片じゃなくて鉄の棒にすれば良かったかなぁ…長い奴。空中戦挑まれるとは思わなかったよね」
「…走りながら打つのも、投げるのもキツかったからな。確かに、ここは課題かも」
「そうそう。途中で思い付いたんだけど、溶かした武器を口の中に含んでおくとか、タオルに含ませておくとかさぁ!」
「毒霧かぁ。水風船に詰めて、俺が投げて、戻して、また引き寄せるってのはどうだ?」
「いいね!……」
それから。
「…ほら、一杯出てきた。まだあったんだよ、まだ足りなかったの。だから負けたんだよ……そりゃ、僕は弱いし。トウマのヒモだし、情けないかもしれないけれど…」
それから、いつも通りの泣き顔に変わった。
「2人で一緒のチームでしょ?…謝らないでよ…」
「分かった。もう謝らない……俺たちはDAFT PUNK‼だ」
「しっかし、この後どうしようかね?」
「一応、閉会式までは滞在できるけど。ぶっちゃけお金ないし、もうしばらく居たいな」
「そうするか。腹減ったなぁ」
「ルームサービス頼むよ、何がいい?」
「んー、何でもいい」
「それが一番困るんだよ!」
ナミタが電話口に走る。
しんみりした空気がまだ残っている気がして、それが何だか気恥ずかしく、俺はテレビのリモコンを手に取った。
同時に、机の上でスマホが鳴る。
父だ。
しばし逡巡した後、通話ボタンをタップする。
「おはよう、父さん」
「おはよう、トウマ」
1日ぶりに聞く父の声は、とても疲れているようだ。
言葉が続かずにいると、向こうから口火を切った。
「お前、あの学校にはもう行かなくていい」
「…そう」
「ほれ、最近新聞で魔人が叩かれているだろう?それを引き合いに出して、無茶苦茶言うんだよ。父さん、それが許せなくてな。だから、もう行かなくていい」
「ん?」
…想定と違うな。
その口調は、心なしか厳しい。それに早口だ。
記憶の中には無い、父の姿。
変わらない、優しい父の姿。
「ありがとう。でも、それは俺が決めるよ」
だからだろうか。
俺の気持ちも、穏やかなのは。
「…そうか」
「やめるかもしれないけどさ。一度、先生たちと話してみるよ、それから決める」
「大きくなったなぁ、トウマ。魔人になったとヒューマから聞いた時は驚いたが」
「え?ちょ、何で兄ちゃんが…」
「それで試合を見て、まぁ最初は心配していたが…親の杞憂か…」
「父さん!」
「知らんよ。ただ、あいつ昔から聡いからな。お前のバットも、魔人野球用のだしな」
「えぇ~…」
確かにこのバット、凹みもしないけれど。
全部お見通しとは…ますます勝てる気がしねぇ…。
「ナミタくんも昔は病弱でなぁ。親御さんも必死で、『並みでいいから元気になれ』って名前まで付けて。見捨てて逃げたなんぞ、今でも信じられないんだが…」
「…そうなの、か」
「父さんたちは知り合いだったからな。懐かしいよ…お前の名前、『ここぞって時に当てられるように』って付けたら、あいつが馬券買いに連れていこうとしてな?」
「……」
「全く。『マ』はそういう意味じゃないってのに。ほれ、曾爺さん居たろ?あの人から取ったんだよ。偉い人で、あやかって欲しいって」
「…そうなのかぁ」
「ま、その辺もおいおい、帰ってから話してやろうか。その子も連れてきなさい、一人だと大変だからね」
「分かった」
「皆待ってるからな」
俺の気を知ってか知らずか、親父はけらけらと笑っている。
それから帰宅の具体的な日時を決めて、晴れて家なき子の宿命は避けられた。
電話を切ると、ナミタがベッドに寝転がっている。
「トウマ、電話だとなんか声違うね?」
「うるせぇよ」
俺はナミタの上に乗り、背中をばしばしと叩く。
くぐもった声で、クスクスと笑う声が聞こえてきた。
部屋をノックする音。
ルームサービスにしては早いな。
「はぁ~い」
ナミタが出る。
丁度その時ラジオから、耳に覚えのある曲が流れてきた。何と言ったか、そう確か――
◇◇◇
早朝。海岸沿いを走る、2つの影。
「…」
「…」
野摘が、俺の座席に座っている。
麦わら帽子にサングラス。黒のビキニ・スタイルと攻めに攻めた恰好で、その右乳には『根』・左乳には『性』と印字されていた。
握られているハンドルが熱い。
「…今日の新聞、凄かったね。大健闘じゃない?」
「そうだな」
――爆発を背景に吹っ飛ぶ俺と、相手のトウマくんの写真。
見出しは大きく『大波乱イグニッション・ユニオン』と銘打たれ、その健闘を好意的に迎えていた。
そして、その後の勝利者インタビューでの一幕も。
ディックが目論んだハーフ&ハーフ日本支部のイメージ向上戦術、”故意の鞘当て大作戦”。
戦闘開始からディックが悪役を担い、俺は善玉を担当。試合後の会見で互いの戦闘方針を巡って、熾烈なラップバトルを繰り広げるのだ。
互いに協力をしながらも、『ぎゃばばばば、参加者全員ぬめぬめにしてやるでふ~』と叫ぶディックに対して、苦言を呈する俺。相対的に俺の人気が上がった事で、ハーフ&ハーフへの評価もまぁイーブンに戻ったと言っていいだろう。
作戦終了後から、ディックは笑いが止まらない様子であった。
「結構結構、一石二鳥よ!…ま、そっちの成功はお前次第だがな」
そう言い残して今、彼は朝寝を楽しんでいる。
これ以上お守りはいらんだろ?と呟いて。
「…どこ行こっか?」
「そうだなぁ…」
早朝。海岸沿いをひた走る、2つの影。
◇◇◇
かくして、少年たちは走り出す。
ナミタとトウマは、大量のファンレターを受け取った。中には、より小規模だが武闘大会の誘いも。
輪二と野摘は、2人きりのデートにこぎつけた。傷付いた者同士、誰も知らない道を走る。
行き先なんて分からない。導く大人たちも、もう手を放した。
夏の青空に、飛行機雲が残る。
「あの雲の先に行ってみようか?」
野摘が指をさす。
――それはきっと、素敵な旅に違いない。
※生中継でリアルタイムに映像を編集花子ちゃんは、無事に手術が成功しました。