【プロローグ:仙道ソウスケは<"AGAIN">の敗北を垣間見る】
「善人に起動させた時限爆弾に水責めに機関銃拳銃狙撃銃、堕天トラップに
お涙頂戴からの奇襲攻撃に……あと何があったかな?」
ニアヴ・E・ブレインは仙道ソウスケの首筋を掴み、柱へと押し付けていた。
<"AGAIN">が仕掛けた攻撃は<現世からの余り物>を打ち倒すには足りなかったのだ。
彼女が語った通りの武器や罠の数々は破壊され、地面に転がっていた。
もう<"AGAIN">に、ソウスケに打つ手はない。
いや、まだ一つだけあった。
ソウスケの能力、【心覗の嗜み】は携帯電話機を三台まで作成できる。
本来それは攻撃用の能力ではないが、悪あがきにはなった。
ソウスケの頭上に色とりどりのスマホが三台出現し、ニアヴの頭の上に落ちる。
対してニアヴは空いている手で予備の黄色いスマホを取り出すと、親指で弾いた。
強靭な指の力で射出されたニアヴのスマホは、ソウスケのスマホを三台とも正確に貫き破壊した。
「そうそう、それがあったな。そうだとも。お前はスマホ使いとしてすら私に勝てない」
悪魔は哂う。
「人間を舐めるな化け物というのはよく聞く話だが、人間の悪意を舐めるな悪魔ってのは意味的におかしい」
元人間の悪魔は嘲笑う。
「悪意においてお前たちは悪魔に勝てないし。
そも、悪というフィールドに立った時点で天使に無力になる」
ニアヴの背後には沈黙する天使が浮いていた。
トレエ・A・ハートは英コトミの首を断ち切って、………×を抱いていた。
ニアヴはモノ言わぬソウスケに目を細める。
「まったく無駄な時間だ。お前は理解しているはずだ仙道ソウスケ。私が何を恐れているかも。
それが私達に勝つ唯一の方法だということも」
ソウスケは気づいている。<現世からの余り物>、と韜晦する天使と悪魔の弱点を詐欺師は見抜いている。
攻略法を掴んでいる以上、<"AGAIN">がこんな呆気なく敗退するはずがない。
だからこれは現実ではない。
「なのになぜ、こんな無駄なシミュレーションを繰り返す?」
ニアヴの邪悪な笑いと共に、駅の光景は朧気になっていく。
自分の首を掴んでいた悪魔が消えて、ソウスケは白い世界に崩れ落ちた。
天使もまた消えて、彼女が抱えていたコトミの×がソウスケの傍に転がってくる。
解像度の低い――つまり鮮明に再現できなかったコトミの×をソウスケは撫でた。
そのソウスケには顔がなかった。表情があるべき場所には、黒い闇の穴だけがあった。
ぼやけた女の頭と顔のない男も、また吹き消された蝋燭の火のように消えた。
―――現実の仙道ソウスケは目を開いた。先ほどの展開は、ソウスケの脳内の出来事だった。
その証拠に、ソウスケの隣には不機嫌そうなコトミがいたし、進む先には次の試合会場入り口である鏡があった。
鏡に映っているのは、ごく自然な笑顔を浮かべるソウスケ。
現実の、<"AGAIN">と<現世からの余り物>の試合は今から始まる。
鏡の中のソウスケの顔が一瞬ブレて、闇の空洞に変わったような気がしたが、それもまたソウスケの想像の中の出来事だった。
【第一幕:電話は悪魔と天使と人を繋ぐ便利な道具である】
ニアヴがポケットに入れている予備のスマートフォンがバイブレーションしていた。
「ヒトラーが地獄の最下層落ちになった決め手を知っているか?」
『……知らないわ? 何かしら』
ニアヴが胸ポケットに入れている、普段使いのスマホのスピーカー機能を通して、悪魔と天使は話をしていた。
……バイブレーションが続いているが、ニアヴは努めてそれを無視する。
「これが傑作なんだが、”源泉徴収”なんだ」
『……?』
「ナチスが広めた”源泉徴収”は極めて便利ゆえ社会に永く残り続ける。
悪税の問題意識を当事者から奪い去ったこと、間違いなく膨大な未来に対する罪である。
過去の罪と未来の罪を合わせて極刑と処すってな! あぁははは!」
『……』
「……悪魔の中じゃ鉄板の滑らない話なんだが」
『なんか、ごめんなさい?』
ポケットの中の一定の震えはまだ続いていた。
『……出ないの? 電話』
試合会場である駅に入った直後から掛かってきた着信に出ることなく、
ニアヴはどうでもいい話をしていたのだが、その話が終わってもなおバイブレーションは続いていた。
ニアヴは溜息を吐いた。
「もう面倒くさい。”予備のスマホの番号はおさえてるけどどうするの”、
”ハートのフリをして電話しちゃうかもよ”、”だから本命のスマホを大事にしないとだめかも”
”本命のスマホの電話番号すらおさえていたりして””僕らがハートの電話番号を知らない保証がどこにある”
……みたいな思考の負荷をかけてやろうって魂胆が透けて見える」
ニアヴはポケットから非通知着信と表示されたスマホを取り出した。
「原案。電話帳に登録してない番号は着拒否しておけ、三台とも」
『着拒否機能って使ったことないわ。あら、拒否にも種類があるのね。全部オンにしておけばいい?」
「オーケー。おっと、うっかり私を拒否するなよ」
「そんな愚かじゃないわよ。決定案。オール着信拒否、と。はい出来た」
「私もコレ以外はやった」
そう言ってニアヴは延々とバイブレーションを続けていたスマホの電話に出た。
「もしもし」
「やっと繋がりましたね。初めまして、仙道ソウスケです。
ニアヴ・E・ブレインさんでお間違いないでしょうか?」
「違います~、わたくし~、ワッフル屋さんのワッフルコトミって言いますぅ~、萌え萌えキュン」
「ではニアヴ・E・ブレイン・ワッフル・コトミさん」
ワッフルコトミ!? というコトミの突っ込み音声がソウスケ側から混入したが、詐欺師と悪魔はスルーした。
んん、とニアヴは咳払いすると空いている方の手で空を指さした。
『ん』とトレエの声がニアヴの胸ポケットからした。
そんなジェスチャーを行ったことなどおくびにも出さず、ニアヴはソウスケに問うた。
「で? どうして私の電話番号がわかった?」
「あなたたちが使っている私用のスマホ番号はわかりませんでしたが、
予備のスマホは大会運営近くの携帯ショップで買いましたよね。
ネット通販で買えば足はつかなかったのに」
「必要になるとわかったのがギリギリだったからな。実機を即座に手に入れるにはそうするしかなかったのさ」
「全然動揺していませんねぇ」
「なんだ? 私に揺さぶりをかけるつもりなのか?」
「いや、あなたのこと調べたんですけど……本当に悪魔なんですか? 気紛れなティーンエージャーとかじゃなくて?」
「あーは、いいプロファイリングだ。そこにピュアとか、クールとか付け足せば私になるぞ」
『いたわ、線路を挟んだ反対側の乗り場、階段を壁にして何かを運んでいるみたい』
胸ポケットからの報告を聞いたニアヴは口元を笑みの形に歪ませ、ソウスケと会話していた予備のスマートフォンを切った。
【第二幕:<現世からの余り物>は人じゃないから最強の二人ではない】
ソウスケとニアヴの通話が切れて、三秒。
<"AGAIN">の二人の視界内に、ニアヴが現れた。
あともう三秒もあれば、魔人の中でも最上級の身体能力を持つニアヴは攻撃可能範囲まで近づくだろう。
その襲い掛かってこようとする悪魔をソウスケは言葉で止めようとした。
「待ってください。いま僕が運んでいるのはあらかじめ善人に起動してもらった時限爆弾なんです。
これを起爆したら駅は一切合切吹き飛んでノーゲームか両者敗退になります」
言葉の通り、ソウスケは爆弾らしきものを乗せた台車を押して運んでいた。
物々しいメカニカルなタイマーからカラフルな配線が伸び、爆薬が詰まってそうな筒に繋がっている。
コトミの物の受け渡しを省略する能力【印鑑不要の現実】で試合会場の外から持ち込んだものだろう。
「それは嫌ですよね。だからこれを止める代わりにそちらにハンデを背負ってほしくて――」
セリフの途中で、ニアヴは走りながら駅の柱の一つを引き抜くと、それを爆弾に向かって投擲した。
柱は槍のようにソウスケが爆弾と主張した物体に突き刺さる。
……爆発はしなかった。
「そういうのが通ずるなら悪魔は天使の相手に苦心などしないさ」
「はい、わかってます。だからこれは偽物の爆弾なんです。けど、中身がないわけじゃないんですよ」
ピタリとニアヴは足を止めた。と、同時にソウスケは爆弾に刺さった柱を蹴り飛ばした。
筒の中から超圧縮されていた水が飛び出してきた。
唯一開けられた穴から解放されようと水が噴き出す
ほとんどウォーターカッターのような勢いで、その水はニアヴを盛大に後方へ吹き飛ばした。
「潮吹きに溺れるなんて恥ずかしいな。生きてられない」
ニアヴはずぶ濡れになりながら、己のこめかみに人差し指を突き刺した。
悪魔は赤い血液へと変わり、水と混ざっていった。
【死に損ないの契約者】を利用したリスポーン。
上空に飛行しているトレエの傍に出現したニアヴは自由落下で落ちていく。
このまま行けば<"AGAIN">の二人を押しつぶすように殺せるが……。
一方<"AGAIN">の二人。
「きょ、極限すぎるだろ……!」
秒単位でのやり取りだった。
ソウスケが少しでも読み間違えていればあっけなく敗北する駆け引きだった。
「いや、まだだよ。コトミ、拳銃二丁、機関砲、狙撃銃」
ソウスケのお願いに沿って、コトミの手の上に拳銃と機関砲、狙撃銃が現れる。
拳銃はコトミの手でも持てる小さめのものだったが、機関砲と狙撃銃はかなりの重さでコトミは少しバランスを崩した。
ソウスケはコトミから機関砲と狙撃銃を受け取ると、狙撃銃は背中に回し、機関砲は両手で持って天井に向かって構えた。
「コトミ、ほら、撃って、全部使いきるつもりでやらないと死んじゃうよ?」
「ああ、もう!!」
コトミもまたおっかなびっくりと言った様子で天井に二丁拳銃を構えて――
そして二人は撃ちまくった。
【第三幕:<"AGAIN">は地獄と向かい合うことで天国へのチケットを購入しようとする】
撃つ、撃つ、撃つ。
あまりにも撃ち過ぎたせいか、それとも上から衝突物が来たせいか。
天井が崩落して、ニアヴも落ちてくる。
ニアヴの全身はズタズタだった。顔は三つ以上に割れ、肉体も裂け目ができ、何より穴だらけだった。
そこへさらにソウスケとコトミは銃口を向けて―――。
ソウスケが持っていた機関銃が破壊されたのと、コトミの両手からニアヴが拳銃をスッたのは一瞬だった。
「くふぉふふぁいあー」
ニアヴはゾンビ以下のゴミ屑の状態のまま手に拳銃を持ち、腕を交差させるとコトミとソウスケへ向けて撃つ。
<"AGAIN">の二人は転がるように弾を避けた。
ニアヴは視界も腕も身体もボロボロなのでうまく当てられないようだった。
二丁拳銃も酷使されていたせいですぐに弾切れになる。
けれど時間は稼げた。
すっかり回復したニアヴは二丁拳銃を捨てると、どこからかタバコの箱を取り出した。
ハイライトだった。
「なっ……?」
コトミは自分のポケットを触る。ハイライトのタバコがなくなっていた。
拳銃と一緒にスられたらしい。
ニアヴは親指と人差し指を圧倒的圧力と速度で弾き、人差し指の爪に摩擦で火をつける。
悪魔は一本のタバコに火をつけると、それを吸った。
「私はタバコが嫌いだ」
悪魔はハイライトのタバコを心底嫌そうに吐いて、タバコの箱を握りつぶした。
なぜか、<"AGAIN">の二人は武器も持っていないというのにニアヴは襲い掛かってこなかった。
だが、いつ気が変わるかもわからない。
コトミは自分の判断で、ニアヴを押しとどめるために口を開いた。
「な、なんでだ……?」
「そうだな……私がショタコンだからとかどうだ? タバコの煙は厳禁だろ」
ニアヴはコトミの心を見抜くように目を細めた。
「あるいはそうだな……”満足に一人で呼吸もできません”って表明されるとイラつくからとか。
ほら、弱さ以外にタバコへ手が伸びる理由なんざないし?」
コトミはかぁっと顔が熱くなった。反感なのか恥辱なのかコトミ自身でもよくわからない生理的な反応だった。
「うんうん、お前は、そうだ。そういう不良少女だ。だがそっちの、仙道。お前はなんだ?」
ニアヴはピン、とタバコをソウスケに向かって弾いた。
タバコはソウスケの足元に落ちる、と同時にニアヴはソウスケへ襲い掛かった。
それを見たソウスケは背中に隠していた狙撃銃を取り出すと、ニアヴへ構える。
ニアヴは銃口から身体を逸らした。
そしてソウスケは呟いた。
「見つけた」
【第四幕:仙道ソウスケは天使を落とすが代償を払う】
ソウスケは上空に向かって狙撃銃を構えた。
トレエと、ソウスケは目が合った。
ずっと黙っていた上空のトレエはびっくりしたように言った。
その声はニアヴの胸ポケットから全員に届く。
『報告。仙道ソウスケは私が見えているわ』
「―――それは予想外だなぁ!」
ニアヴは身を投げ出すようにソウスケへ腕を振り下ろした。
ソウスケは大きく右へ移動してから、発砲。
ニアヴの攻撃はソウスケの左肩から先を抉り取った。
さらに狙撃銃が綺麗に二つに割れて、ソウスケの左目付近から血が噴き出す。
「ソウスケ!」
とコトミは叫ぶが、ソウスケは唸り声一つ上げなかった。
左腕と左目が潰された状態で、ニアヴの連撃を軽やかに避けていく。
「大丈夫だよコトミ。痛み分けだ。始末できなかったけど、始末されなかった」
そう語るソウスケの左目は縦に大きく切り裂かれていた。
眼孔から血が流れている。目玉が完全に割れていた。
狙撃銃とそれを覗き込む目が、投擲された”コトミやニアヴには見えない武器”で切り裂かれたのだ。
ソウスケは無事な右腕で何かを拾うような動作をして、それを――【弔悪】をニアヴに叩きつけた。
悪を断ち切る天使の剣は、いかなる武器よりも容易く悪魔の身体を叩き切った。
【第五幕:トレエ・A・ハートは落ちていく中でだいたいのことを直感する】
細長い飛翔体は美麗に、トレエの羽根の付け根を撃ち抜いた。
天使は地面へと落ちていく。
しかしトレエは平然とした様子で電話を続けていた。
『原案、私が地面に落ちた後、一緒に戦いましょう』
「ちょ、ちょっと待て、当たったのか? 仙道の撃った弾が?」
『ええ、ソウスケに銃で羽根をやられたの。あと落ちていくのを撃たれないように【弔悪】も投げちゃった』
「お前、そのせいで私が何回斬られてるか――いやそれしかなかったんだろうが――ちっ。
決定案。合流後、私と一緒に”AGAIN"とやるぞ。お前がいないと、【弔悪】が見えん」
『了解……うーん、もっと最初からソウスケをじっくり見ておけばよかった』
目を見た瞬間に理解した。
仙道ソウスケは善人である。少なくとも今は。
過去には悪魔に匹敵する悪だったのだろうソウスケは、
ゆっくりと、しかし確実に良心的な存在へと自覚的に変化していっていた。
天使は、人間のように過去だけを見ない。罪を許さないが、罪があるからと徳を無意味だと見做さない。
彼は、トレエがニアヴに望むような存在だった。
魂からの悪であり、それでもなお、彼は改心をしていた。
天使であるならば、その辛くとも価値ある道を理解してあげなければならなかった。
『私って本当に――』
プラットフォームの天井に衝突して跳ね返り、線路の上に再び墜落するトレエ。
しかし彼女にダメージはない。
【観善】という能力を持つ天使に傷を与え得るのは善人が振るう武器か能力のみゆえに。
善を帯びない飛来物は例外なく身体を通りぬけるし、地面に激突しようともダメージを受けない。
しかしそんな凶悪な性能を誇る天使は、憂いを帯びた声で言った。
『――未熟な天使だわ』
線路の上に横たわった片翼の天使は起き上がると、人間のように腕や足を使って線路からプラットフォームを登って行った。
【第六幕:ニアヴ・E・ブレインはあまりの悍ましさに恐怖する】
「ううう。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い」
何度も何度も【弔悪】で切り裂かれる痛みよりも、
仙道ソウスケという男の中身を理解してニアヴは悪い意味で鳥肌が立っていた。
気持ち悪い、と。くしくもそれはコトミがソウスケに常に感じている感覚だった。
底知れないニアヴ・E・ブレインが、恐怖に慄いていた。
コトミは眉を顰めていた。
”天使は僕に任せて。コトミは大船に乗った気持ちでいてくれていいんだよ。方法は内緒だからね”
と、そう言われた通りの展開になっている。
コトミには見えていないけれど、天使の羽根を撃ったそうだし(会議の声が丸聞こえだった)、
悪魔もソウスケがめちゃくちゃに追い詰めている。
「変だ」
コトミは呟いた。どうやって天使を撃ったのかがわからない。
どうやって天使の剣を扱ってるかがわからない。
いや……そもそも、方法なんてあるように見えない。
ただ撃って、ただ使っているように見える。
でもそれは、つまり、絶対にありえない。
仙道ソウスケが善人であるということで―――。
「実は、いまこの瞬間だけ改心したんです。それで天使が見えるんですよ」
ソウスケが嘯く。対してニアヴは切り刻まれながら叫ぶ。
「い、一時の改心ごときでお前みたいな奴の悪性がチャラになるわけないだろ!!
過去の悪行よりもなお重い、未来の善行にプラスして、自己犠牲がなきゃ。だからお前がやってるのは自己犠牲だ!!
しかも――ああ、やっとわかった。お前心を殺してるな!? 反省しないまま、改心してるのか!?」
路上強盗や押し込み強盗から、コトミとの出会いをきっかけに、こうすれば良心的だろうと詐欺師になった。
殺す人間もどんどんと悪党だけに限定されていき、ついには普通の人間としてやり直すコトミの手伝いができるまでになった。
いきなり人間は変わることはできない。
少しずつ、少しずつ彼は良くなろうとしている。
素晴らしい。善人になろうと足掻く様は美しい。
―――――――――――そんなわけが、ない。
ニアヴは一切理解できないから恐怖しているのではなく。
なまじっかソウスケと近いからわかるのだ。
魂が地獄にあるくせに良い人間になろうとするから、人格や判断に齟齬が頻出している。
知能でなんとか補ってるだけで、その中身は終わっていた。
「わかっているのか?わかっているんだろう!?
魂が地獄にある奴が、天国に行くのはどんな苦痛よりも苛みなんだぞ!」
どんな拷問だって比較にならない。
それは永劫の自己否定だ。
永久無限に、自分ではいられない場所で、自分が大嫌いな善人達に囲まれて、
本当の自分を認められることもなく、消滅さえできない。
悪が行う、自己の完全な放棄。
それが誰かのためならば、最上の善行、自己犠牲と呼ぶしかない。
これがニアヴ・E・ブレインが恐れていたモノ。
天使の裏を掻ける善人の発生――つまり”改心した悪党”である。
〈現世からの余り物〉は”改心した悪党”にもっとも弱いのだ。
だから、あえて悪にトレエを向かわせて不可視の斬撃で片づける、ということをしなかった。
【観善】でゴリ押すチームと認識されれば、これから戦う悪党に改心の機会を与え、
結果的にそれは<現世からの余り物>を追い詰める。
隠していたはずのソレを、ソウスケはたった一回の試合を観戦して、気づいたのだ。
でも違う、ニアヴが想像していたのはこんな悍ましいものではない。
悪魔が恐れ、天使が望むモノ。天使という生き物に敵対した存在が勝利のために選ばねばならない選択肢。
天使を駆逐するためには悪党は善人にならなければならない。
―――仙道ソウスケは魂が地獄にある生粋の悪党のまま”改心”した。それは天使が切っ掛けではなく。
「そォ、そいつにッ……そこまで価値があるのか!?」
肉塊になりかけているニアヴは震える指先で、英コトミを指差した。
仙道ソウスケの改心は、英コトミとの出会いが始まりである。
「ア、アタシ……?」
冤罪で地獄の刑罰を受ける聖人のような、意味がないからこその最上の苦痛を受け続けている、
詐欺師で、犯罪者で、人殺しで、倫理観がぶっ壊れている、改心中の、自己犠牲を行っている善人は言った。
「ニアヴさんが何を言っているかよくわからないな。
でも……あえて言うならそうだね。君だって地獄の帝王の価値を問わないだろう? たぶん同じ話だよ。
ほら、僕と君はそっくりだからね」
「―――」
ニアヴは沈黙した。
仙道ソウスケは悪党ではなくなってしまった狂人である。イカレていた。
コトミはニアヴの語ったことを咀嚼して、呟いた。
「なぁ、そうなのかソウスケ」
「無視しなよ、ただの戯れ言さ」
「お前が持ってるのって、アタシが見えない【弔悪】なのか。素でそれを持ってんのか」
ソウスケの軽口を遮って、コトミは言葉を続ける。
ソウスケは【弔悪】を振りながら、小さく首を振っていった。
「考えないで、ダメだ」
「なぁ、変だよな、これってすごい変だ」
「頼むから、気づかないで………って言っても無駄かな?」
英コトミは誰よりもわかっている。
仙道ソウスケという男は悪辣で外道で狡猾だ。
悪党であることが呼吸であるのと同じくらい身体に染み込んでいるのが彼である。
その魂からの悪党が、自分を殺し切って、コトミの傍に立っている。
ニアヴの語った地獄以上の責め苦、”改心”をようやっと理解して、コトミは叫んだ。
「アタシが、アタシを取り戻すために、ソウスケが、ソウスケを捨てるのかよ!!」
ソウスケは―――困ったように微笑んだ。
「だからこの改心は今だけだって。というかうるさいよ。君の代わりなんていくらでもいるんだから」
このセリフさえも自己犠牲だった。例えこのまま<"AGAIN">が敗北してしまったとして。
警察に捕まってしまったとして。
ただ利用されていたとコトミが主張するチャンスを与える、見返りのない施し。
コトミがそのチャンスを死んでも使わないと理解してもなお行う慈悲。
大会中に述べたコトミを粗末にするセリフすら、ソウスケの完全な自己否定であり善行だった。
彼は常に笑みを浮かべる、顔のない男である。
『ニアヴ、それフェイント、突きよ』
「――」
ほとんど肉塊同然だったニアヴは自分のスマホから聞こえてきた声に従って、ソウスケの【弔悪】を避けた。
そしてそれで充分。ニアヴは全回復し、思いっきりソウスケの腹を蹴り飛ばした。
ソウスケは吹き飛んでコトミの後ろまで転がる。
左目が潰れ、左腕から失血し、その身体はボロボロだった。
一目見てわかる。もう起き上がれないだろう。
ニアヴは大きく深呼吸した。
「ふー……、よし、冷静になった。狂人との戦いだと思えばこれも新鮮。楽しめる」
『というかなんでそんなに動揺してたの? どうしても犠牲が必要なとき、自分が犠牲になるのは善にとって当然じゃない。
その”どうしても”がコトミで、”自分”がソウスケ。そんなに変な話?』
「変だよ。誰だって自分が一番可愛いのが当たり前なんだからさ」
ニアヴはコトミと、その後ろにいるソウスケに向かって走り出した。
【第七幕:英コトミは天国か地獄かを選択する】
なんというか、ずっと振り回されていたような気がする。
コトミはスローモーションのようになった世界で、迫ってくるニアヴを見据えた。
ソウスケに振り回されて、ここまで来て。
自分で頑張っているような気がしていたけど、人任せだろうと言われればその通りだと頷くしかない。
一人では満足に息もできないほど弱いと言われても、否定できない。
頭の中や自分がめちゃくちゃになったソウスケの手の平の上で、
最初から最後まで流されるまま。
これで負けたら、あんまりにも惨めだろう。
いやいや、違う。
そういうことではない。
(―――アタシはたぶん、やり方を間違えた)
祖父と同じように、こう言えばよかったのだ。
”どうだ、アタシらしくて格好良いだろう”、と。
同じように親にも教師にもクラスメイトにも何もかもに拒絶されても、
そう言っていれば良かった。
そうしていれば、今と同じように犯罪者紛いの奴になっても、胸を張れていたような気がする。
ソウスケにも、そう言っていれば何かが変わっていたような気がする。
……コトミが立ち上がれた理由はなんだろう。
祖父のことを思い出せるほど余裕をくれたのは誰だっただろう。
気持ち悪いとか、嫌いとか、そんな言葉を吐き捨てても離れない誰か。
反抗期は親との信頼がなければ成立しないものだとコトミは聞いたことがある。
なら、英コトミが言うべき言葉はなんだったんだろう。
「コト、ミ。小銃、二丁」
【第八幕:たとえ〈"AGAIN"〉であろうとも誰だってやり直すチャンスはあるべきだ】
「――ソウスケは格好良いね」
コトミの両手には二つの小銃が握られている。
一つはニアヴに、もう一つはソウスケが手放した【弔悪】を拾っていたトレエに向けて発射した。
『がっ……!』
「こっ?」
トレエは自身の喉を自分の手で抑える。
コトミが喉を射抜いたのだ。
ニアヴの傷は即座に回復するが、トレエの喉からだくだくと血が流れる。
胸のスマホから聞こえてきたトレエの叫び声にニアヴは冷や汗を流しながらにやりと笑う。
「ここで、そうなるか。ここで改心するか英コトミィ!!あぁははははは!!」
ニアヴは自棄になったように笑った。
「いいじゃないか別に! その、お・と・う・さ・まは勝手にお前の代わりに苦しんでくれるんだろう?
全部投げてしまえばいいさ。悪いことかもしれないが、責められるようなことじゃない。
だって、誰だって自分が可愛くて当たり前なんだからさ!」
ニアヴの頭部に弾丸が刺さる。
「自己愛はもうやめることにしたんだ」
ニアヴは回復しつつ、自嘲する。
「まったく、これじゃ……天使と悪魔である甲斐がないじゃないか。
改心した悪党二人を相手にしたんじゃ、ただの魔人と同じだな」
そして人間とはこういうものであると、超越存在もただの人間に落ちる瞬間があると理解しているからこそ、
ニアヴ・E・ブレインとトレエ・A・ハートは協力しているのである。
【最終幕:<現世からの余り物>は人間であれば最強の二人である】
トレエは血が噴き出る喉で叫んだ。
『原案! じ、じがんがないわ……協力必殺技!!』
ニアヴは思ったよりもトレエが重症なことに電話越しに気づいて舌打ちした。
ニアヴ・E・ブレインは答える。
「we are standing crossroads.choice myself or yourself!」
ニアヴは流暢な英語でトレエに答えた。
それはある種の暗号であり、挑発であり、意趣返しである。
言いたいことを理解したトレエは決定する。
『決定案! 協力必殺技、ワ”ン”!』
トレエもニアヴも並んでコトミに向かって走ってくる。
天使と悪魔が同時にやってくる。
どちらを撃つべきか。
簡単だ。両方だ。
両方撃たなきゃコトミはどっちかに殺される。
逆に両方殺せばコトミの勝ちだ。
コトミは小銃の照準をトレエとニアヴにピッタリ合わせて撃った。
……さて、ここまでの流れはすべて、仙道ソウスケの筋書き通りである。
改心した悪党が一人だけでは、〈現世からの余り物〉に押し負ける。
だからコトミに改心の機会を与えて、ここぞという時に王手をかけてもらう。
完璧な作戦通り。
ところで人間の条件とはなんであろうか。
友情?愛情?才能か、それともひたむきさか。
それは―――。
『あっ――』
片翼の人間は、片方しか翼がないのでうっかりバランスを崩して転んだ。
「はっ?」
小銃の射線からバカみたいな倒れ方で外れるトレエ。
『修正案ー!!』
「この最高の間抜けめー!!」
協力必殺技に失敗したとき用の符号を叫ぶトレエ。
ニアヴは最高の笑顔を浮かべながらコトミに覆いかぶさった。
「ぐっ、離せ!」
「いやぁ楽しい! よし!来い!
人間らしく好機と失敗が一緒にやってきたぞ! あぁはははは!!」
がっちりとコトミに抱き着いたニアヴには見えていないが、
コトミの目の前でトレエは剣を構え、一人で叫んだ。
『協力必殺技 聖魔血十字、一!!』
「そんなのありかーーー!!」
叫ぶコトミをトレエは【弔悪】で縦と横に切り裂いた。ニアヴごと。
<"AGAIN"> 英コトミ、戦闘不能。
決着はついた。
【エピローグ:仙道ソウスケは<"AGAIN">の敗北を垣間見る】
想像する必要もなく、ソウスケの目の前には鮮明な形でコトミの頭が転がっていた。
やっと確認できた表情は、怒っているような、報われたような、気が抜けたような、なんとも言えない表情だった。
これは、ソウスケが想像できないで当然だった。
人間とは失敗する生き物で、それをチャンスに変えられる生き物でもある。
人の心理は予測できても、失敗と、そこからどうするかは、どんな悪党も……神様ですら、見通せない。
〈現世からの余り物〉はこの世の生き物ではないという色眼鏡で、ソウスケはそこまで計算できなかった。
それが敗因である。
ああ、本当に。
「―――天使って生き物はずるいと思わないかい?」
ソウスケは言った。
「目の前に現れた時点で、悪に残された道は二つだけ。死ぬか改心するかだ。
どんなに頭が良くても、どんだけ壊れていても、やっぱりそれしか選べない。
天使は善で、運命に愛されていて――本当にずるいと思うよ」
『ぜぇぜぇ……そ、そうそうかしら?』
トレエは息も絶え絶えに言った。
どうにか安静にして喉からの出血を抑えたが、天使は体調が悪いままであった。
『大事なのは自由意志だと思うけど。天使を前にしてどうするかは自由よ。
……その上で、私は悪に溺れたあなたじゃなくて、今のジェントルなあなたが好き』
「私は嫌いだね。楽しくもないのに自分を否定し続けるなんて息苦しくて仕方ない。
天使なんてむしろこっちから堕天させてやれよ」
おっと、堕天させるとこれからの戦いに支障が出るな、あなたそんなこと考えてたの?
お前だって私を改心させるとか嘯いてたろ、と言い争うニアヴとトレエを、ソウスケは眺めながらつぶやいた。
「Our greatest glory is not in never falling, but in rising every time we fall.」
そう呟いて、ソウスケは駅から消失した。
"AGAIN"はこの試合を最後に表社会から姿を消す。
彼らは改心を続けたのか、それともやっぱり悪党に戻ったのか。
這いあがり続けたのか、落ちたのか。
それは仙道ソウスケと英コトミだけが知ることである。
「一番ありえるのは這いあがっては落ちることを繰り返すことだな」
『何か言った? ニアヴ?』
「いや……そうだな。この天の地の狭間で、失敗しまくる気持ち悪くて格好良い生き物って知ってるか?」
『わ、私のことを言ってるの?』
「………ホントお前に私のジョークは通じないなぁ」