Chapter1 ”Call to me”


1a 静かなる嘘と調和


 こんな悪党と関わりたくないと、どこかで思っていた。
 でも事実として、アタシに一番協力してくれているのはソウスケだ。
 アタシは、ソウスケを知りたい。知った上で、信用できるかどうかを判断したい。

「今までごめん。アタシは、アンタのことを知りたい。だから、アンタの話を聞かせてほしい」

 ソウスケは目を逸らさない。しばらく見つめ合った後、ソウスケがため息をついて、頭を掻いた。

「少し長くなるけど、いいかい」
「嘘はつかないでね」
「コトミに嘘はつかないよ」

 そして、ソウスケは、自分のことをゆっくりと話し出した。

「――僕はね、テレフォンセックスで生まれた、ワーテレフォンなんだ」

 どんな真実を告げられても、飲み込む覚悟はあった。
 ただ、その言葉は、覚悟の外側に飛んできた。

 思考が、白くなる。
 それは、明らかな嘘だった。

 いや、いままでもソウスケはアタシに嘘をついたことがあったのかもしれない。
 けれど、それは、アタシの頭じゃわからない、嘘だとわからない嘘だった。

 アタシから見えないものは、無いも同然だ。だから、気にしないことができた。
 だから、嘘はなかったと信じようと思えた。
 その覚悟が今、真正面から、わかりやすく踏みつけられた。

 度重なる「メンバーの入れ替え」。
 老人たちを相手にした詐欺。
 相手の恩人を人質に取り、恋心を嘲笑う行為。
 生命だったものを「ストック」と呼ぶ精神性。

 人を、モノと、分け隔てない思考。
 それが、ソウスケの特性だ。

 それがどうして、アタシに向けられないなどと、思っていたのか。

 駅での戦いで見せた側面で、アタシはソウスケを信じようと思った。
 アタシに嘘はつかないと。
 アタシが大好きだと。
 その言葉くらいはホンモノだと思いたかった。

「どうかな、それでもコトミは、僕を信じてくれるかい?」

 アタシは、全力でソウスケの頬を張り飛ばし、着ていたカッパを脱ぎ捨てて、その場を飛び出した。

「――We look forward to serving you again.(またのご利用をお待ちしています)

 背を向けるそのときまで、ソウスケの表情は変わらなかった。
 とても気持ち悪いと思った。



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 人を傷つけるのも、人に傷つけられるのも、もうこりごりだ。

 走る。傘なんてない。持っていたが置いてきた。取りに帰るつもりもなかった。
 そういえば、家を飛び出した日も、こんな雨の日だった。

 直接的な原因は、高校の退学だ。
 けれど、根っこにあるのは、祖父と父親の不仲であったように思う。

 二人が不仲だった理由をアタシは知らない。
 父親には聞かなかったし、祖父は、悲しそうに笑うだけで答えてくれなかった。

 親戚の集まりの噂を漏れ聞く限り、父親は、祖父の実印を持ち出して勝手に借金をしたらしい。外面だけはいい男だったから、自分の会社の収支をマシに見せるためにでも使ったのだろう。

 アタシの能力がこんなものになったのは、父親への嫌悪感からだ。
 印鑑なんてものが信用の担保にされるから、意に沿わない取引が成立する。
 信用できるのは言葉だけ。

 ――『印鑑不要の現実(インダストリアル)』。

 祖父から金を騙し取った父親への反発が生んだ能力で、アタシは、老人から金を巻き上げている。吐き気のするような現実。

 “コトミらしくて格好いいね”

 いつかの祖父の言葉。
 夏休み、扇風機の回る部屋。結露で汗をかいた麦茶のコップ。

 夕立に濡れたアタシをタオルで拭きながらの一言。
 アタシを救ってくれた言葉。

 吠える。人目など知ったことか。
 泣いてなんてやらない。戦わないと。だから吠える。
 だが、アタシはこの声で何を威嚇して、何と戦えばいい?

 今のアタシは間違っている。だから「もう一度」を――やり直しを望んだ。
 けれど、ならば、アタシは、どこへ走ればいい?

 濡れた服が体に絡みついて気持ち悪い。
 裏路地にも関わらず、人の視線がまとわりついてくる。

 雨の中で赤髪の女がずぶ濡れになっているのが珍しいのか? いや、違う。
 今のアタシは、お尋ね者だ。『イグニッション・ユニオン』の一回戦が放映されてから数日で、全国の警察署には、アタシとソウスケの顔写真が掲示されている。

 それもどうでもよかった。
 路地裏の隅にうずくまる。

 ショックだった。
 自分が、ソウスケに嘘を吐かれてショックであるという、その点がショックだった。
 気持ち悪いと、信じられないと、そう思い続けてきたはずなのに、いつの間にか、ソウスケが自分のために戦ってくれているということを信じていた、そんな自分に気付いたことが、たまらなく衝撃だったのだ。

「英 コトミ様ですな」

 雨が、やんだ。

 顔を上げる。そこには、傘を差し出す老人がいた。
 その顔を知っている。ソウスケから渡された、対戦相手資料の中にあった顔。

 次回対戦相手、『ぱりなリサーチ事務所』の、白烏という老忍者だった。



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 アタシは、雑居ビルの一室に案内された。
 部屋の表札には『ぱりなリサーチ事務所』とある。
 本当に興信所をやっているらしい。

 バスタオルとジャージを手渡され、忍者のじいさんは30分後に戻ると言い残して部屋を出た。無防備にもほどがある。アタシがこの部屋を物色するだとか、考えないのだろうか。

 現代の忍者というのがどういうものかアタシは知らないが、裏稼業というなら、ソウスケの同類のはずだ。なのに、この部屋からはそういった組織の拠点に特有の「後ろ暗さ」がなかった。

 机の上にある写真立てに目を止める。
 写真では、二十人ほどの老若男女が、肩を組んで笑っていた。
 端には、一年前の日付と「社員旅行☆」という文字がチャラい筆跡で書かれている。

 中心には、資料で見た女子高生忍者、不忍池 ぱりな。
 忍者のじいさん、白烏はその隣で、困ったような顔をしている。

 その表情に、ほんの一瞬だけ、夏休みのたびにアタシを迎えて、嬉しそうに、けれど距離感を図りかねていた、祖父の姿が重なった。

 からん、と、テーブルの上の麦茶で氷が溶けて音が鳴る。

 胸に「不忍池」と刺繍のあるジャージは、ほんの少しだけ、大きかった。



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「礼は言わない」
「御随意に。ただ、体を冷やすものではないですぞ。若い御婦人ならばなおのこと」

 白烏は、手慣れた様子で紅茶を淹れると、手のひらサイズのパンが乗った皿を差し出した。
 ハンバーガーのように上下に切られた丸パンの切れ目に、ぱんぱんに生クリームが挟まれている。たしか、マリトッツォとかいうスイーツだ。少し前に流行り始めたものだった気がする。

 意外だった。夏休み、祖父は、いつもアタシが遊びに行くと、少し古めかしい地味な和菓子をおやつにしていたものだ。

「お嬢様の好みでして。甘いものはお嫌いですかな?」
「もらう」

 そういえば、しばらく胃に物を入れていなかった。
 いつもならちょっと躊躇するカロリーの塊も、今ならばむしろ大歓迎だった。

 口いっぱいに広がる甘さが、思考を少しずつクリアにしていく。

「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」

 手を合わせて一礼すると、そこで初めて、白烏は少しだけ笑った。

 反射的に食後の一服にハイライトを取り出す。
 そこで、アタシは白烏の視線が妙に気になった。

「若い女が煙草吸うなって?」
「いえ。……古風な銘柄を吸われるなと」
「……そう」

 言われたとおり、ハイライトは、若い女が好んで吸う銘柄ではない。
 重たくて、ラムの香りのするこの銘柄は、どちらかといえば年寄りの嗜好品だ。

 けれど、アタシはハイライトにこだわっていた。好きだから、というより、これ以外を吸う選択肢がなかった。

 これは、祖父の匂いだ。
 夏休み、縁側で、空を見ながらあの人が吸っていた煙だ。

 まだ幼かったアタシの愚痴を、悩みを、怒りを聞きながら、ぽつりぽつりと言葉を返してくれた記憶の香りだ。

「吸う?」

 少ししめった煙草を差し出したのは、アタシにとってはありえない気の迷いだった。

「無臭忍は忍びの嗜みではございますが……まあ、ご相伴に預かりましょう」

 ぎこちなくその一本をつまみ、白烏は意を決したように口元に寄せると、

「げほっ……これは……げほほっ……なかなか……っ!」

 盛大にむせた。
 ああ、よかった。やっぱり、コイツは、祖父とは全然違うものだ。

 アタシは、久しぶりに、笑った。

「迷いは、晴れましたかな?」
「少しね」

 コイツが何をどこまで知っているのか、アタシにはわからない。
 罠である可能性もある。忍者というのは、ソウスケみたいなもののはずだからだ。

 それでもアタシは、この何の意味もないような出会いに少しだけ感謝した。

 自分のスタート地点を思い出した。
 ソウスケとの関係は、ここ数年のアタシにとって大きな時間を占めていたから勘違いしていたけれど。アタシがどうして、走り出そうとしたのかの理由を、再確認できた。

 ならば、たとえソウスケがアタシに嘘をついていようとも。
 アタシを利用して、何かを企んでいたとしても。

 アタシはアタシのない知恵を振り絞って、アタシを貫くための悪あがきをしてみせる。

 そのためにすべきなのは、ソウスケから逃げることじゃない。
 ソウスケを近くで観察して、見極めることだろう。

 ラムの香りをしたハイライトの煙が、ちょっとだけ、目に染みた。




2a ヒールとヒーロー


 ヒールとヒーロー。
 それが、『イグニッション・ユニオン』3回戦、『”AGAIN”』vs『ぱりなリサーチ事務所』の一般的な評価だった。

 当然だ。
 戦闘動画を見てもわかる。アタシたちと、『ぱりなリサーチ事務所』は、よく似ていながら、決定的なところで正反対の戦い方をしている。

 事前に相手のことを調べ尽くし、そこから勝機を見出すという点は同じだ。
 あの白烏という老忍者と、ソウスケ、2チームの参謀役の周到さにはあまり違いがない。少なくともアタシの思考能力程度では、そう見える。

 だから違うのは、それをどうハンドリングするか。
 つまり、不忍池 ぱりなと、英 コトミが、立てられた作戦をどう補正するか。
 その結果が、世間の評価に反映されているということだろう。

 アタシは戦いに向いていない。喧嘩の経験はあるが、魔人として戦闘を専門にしてきたような相手とは、太刀打ちできない。
 対して、不忍池 ぱりなは、強い。アタシが十人かかっても敵わないかもしれない。

 だから、不忍池 ぱりなは手段を選べる。
 クリーンな勝ち方を。相手の尊厳を傷つけない勝ち筋を選択できるのだ。

 ソウスケは悪党だ。アタシに嘘をつき、アタシを利用しようとしている。
 だが、この戦いに勝とうとする意志はホンモノだ。

 そのために、アタシが弱いから、外道の手段を使っている。
 アタシにできるのは、強くなって、ソウスケに汚い手を使わせないことか、あるいは――

 思考しながら、セーフティハウスの扉を開けた。
 コーヒーの香りが漂ってくる。

「おかえり。コトミ。『ぱりなリサーチ事務所』はどうだった?」

 ああ、どうせ、コイツはアタシの動きなど逐一お見通しなのだろう。
 腹立たしいが、だからこそ、勝つためには、コイツが必要なのだ。



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『イグニッション・ユニオン』準決勝進出チーム事前記者会見。

 壇上には、まぶしいほどのフラッシュがたかれ、それを一身に浴びる二人は、対照的な表情をしていた。

 満面の笑みでポーズを取るのは、女子高生忍者、興信所『ぱりなリサーチ事務所』所長、不忍池 ぱりな。

 どこか所在なげに視線を左右に彷徨わせているのは、ぱりなの後見人、老忍者、白烏。

 一回戦で優勝候補の最有力と言われていた、『【二度目の結婚式来賓募集中】鬼と元怪物狩りのスーパーミラクル☆ラブラブラブリー夫婦【友達も募集中。是非来てね】』を下し、『現代の頼光公』『女子高生桃太郎』などと一躍有名になった、『ぱりなリサーチ事務所』の二人だ。

 この半月ほど、この二人――特に、不忍池 ぱりなの周りには、多くの報道陣が殺到している。人好きのする性格と、その態度と戦績のギャップが、マスコミ映えするせいだろう。

 対して、彼らの隣の席は空席だった。
 壇上には、『”AGAIN”』の名札だけがぽつんと置かれている。

 突然の欠席。
 だが、そのことに文句を漏らす取材陣はいなかった。

 今や、『”AGAIN”』は、『イグニッション・ユニオン』の選手であると同時に、指名手配犯だ。
 一回戦の戦いぶりによってその非人道的な戦術と顔が全世界に明らかになったことで、各所からの情報が報道機関、警察に集まり、仙道 ソウスケと英 コトミの過去がつまびらかにされたからだった。

 かつては国境を股にかけた強盗団を、そしてここ数年は、警察の捜査をかいくぐって詐欺集団を率い、世界各地で指名手配の報奨金をかけられた凶悪犯、仙道 ソウスケ。

 地元高校で問題を起こし、失踪後捜索届を出されていた魔人、詐欺グループのサブリーダーとして、苛烈な内部粛清も厭わない冷血の女、英 コトミ。

 令和のボニー&グライド。
 今、もっとも危険な二人。

 もしも彼らがこの場に現れたとして、マスコミが取材をする前に、警察が彼らを逮捕しようとしただろう。そうなれば、「鏡の世界」ではない現実で、血みどろの戦闘が始まるであろうことは想像に難くない。

 だからこそ、『”AGAIN”』の不在に、記者たちは安堵すらしていた。

 そんな穏やかな雰囲気の中、記者会見はスムーズに進んでいった。

 大会参加の目標。
 賞金の使い道。
 これまでの戦いの感想。
 注目している参加者。
 趣味や好物。

 当たり障りのない応答が続く。

 会見時間もそろそろ終わりというところで、一人の風変わりな記者が挙手をした。
 記者は指名されると、左手に髭剃りのような円筒形の機器を取り出すと、喉に当てた。

『すみません。稲賀日報の、稲垣と申します。人工咽頭で、御聞き苦しい点あろうかと思いますが失礼します』

 人工咽頭。声帯を摘出した者が、発生のための振動を補うために用いる機器だ。

(あーし)初めて見た! 一簣之功(エグい)じゃん!」
『どうも。それで、私から二点質問を。一点目です。準決勝の対戦相手である『”AGAIN”』の過去について、様々な報道がされていますが、どのようにお考えですか?』

 会場中の視線が、稲垣という記者に集中する。
 よくぞ聞いた、という気持ちと、なぜ聞いた、という避難が入り混じる注目だ。

 だが、当のぱりなは意に介したようもなく、いつもの調子で陽気に回答する。

「んー。過去がどうあれ、(あーし)が戦うのは今だし。後ろ暗い過去がどーのっていうなら、誰だってなんかかんかあるし? 畢竟(ちゃけば)100%胸張ってられる選択肢完全無欠(フルコン)とか一周回ってありえないっしょ。ただ」

 と、誰もが思った、その瞬間。

「試合の『外』――表社会(シャバ)悪事(わるさ)かますなら、『怪物(ニンジャ)』が来るよ」

 最後の一言を放ったその数秒間だけ、室内の気温が下がった。
 そう思わせるほどの「何か」が、不忍池 ぱりなの言葉には込められていた。

 ぱりなの表情は変わらない。口元には笑み。
 好奇心旺盛そうな大きな瞳で、記者たちをぐるりと見回している。

 けれど、今感じた威圧感は何か?
 明るく能天気で御しやすいアイドル的な存在。彼女はそういうものではなかったのか?

『ありがとうございます。それでは、最後に一つ』

 動揺する取材陣の中で、稲垣は飄々と質問を続ける。

『さきほどの質問の中で出てきた趣味のデコレーション携帯。こちら、とてもアマチュアとは思えない出来でしたので、ぜひ記事に書かしていただきたいのですが、よろしいですか?』
「よき! なんなら写真撮る?」
『いえいえ、わざわざ鞄から出していただくのもお手間ですので。以上です。御解答ありがとうございました』



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『さきほどの質問の中で出てきた趣味のデコレーション携帯。こちら、とてもアマチュアとは思えない出来でしたので、ぜひ記事に書かしていただきたいのですが、よろしいですか?
よき! なんなら写真撮る?」 

 ――魔人能力『印鑑不要の現実(インダストリアル)』発動。

 稲賀日報なんていう広報誌は存在しない。INAGAはAGAINのアナグラムだ。
 稲垣という記者はソウスケの変装。そして、ソウスケが『心覗の嗜み』で作った円筒形携帯電話を人工咽頭に見せかけ、通話先のアタシがボイスチェンジで投げかけた質問によって、「口頭での譲渡・貸与許可」という、『印鑑不要の現実』の条件を成立させた。

 アタシの手元に、イミテーションルビーでデコられたスマホが発生する。
 会見から抜け出したソウスケはそれを手袋越しに右手に取ると、

 ――魔人能力『心覗の嗜み(ジェントルマンシップ)』発動。

 左手に、まるきり同じスマホが具現化された。

「これでよし。あとは落とし物として警備員にオリジナルを届けて」

 ソウスケの能力は、携帯電話を作成する能力だ。
 古今東西の様々な機種を作成できるだけでなく、手元にオリジナルがあれば、「特定の携帯電話」を、そのデータごと模倣して作成することもできる。今の時代、スマホのデータは持ち主の心を丸裸にする情報の塊だ。『心覗の嗜み』とはよく言ったモノだと思う。

 だから、ソウスケの目標は、

「……レプリカで、あの娘の交友関係を洗い出して弱点を暴くわけだ。最低だな」
「そうだね。これは、彼女の尊厳を傷つける行為だ。だから、僕はコトミに相談するよ。僕には、これ以外に方法が思いつかない。あの『怪物』相手に、目標を達成する手段がね。どうする? コトミが嫌だというなら、このレプリカは壊すけど」


『でも、今回は事情が違う。アタシが当事者で、アンタはそれに協力してくれてるんだろ。だったら、アタシに何の相談もしないで、他人の尊厳を傷つけるな。なんの恨みもない人を殺すな。これ以上誰かを傷つけるのは、もうイヤなんだよ』


 ソウスケの言葉は、あの相撲取りたちとの戦いの後のアタシの言葉を意識したものだ。
 妙なところで、筋を通そうとする。そんなところも含めて、気味が悪い。

「……わかった。元はと言えば、アタシに力がないせいだ」
「What you don't know won't hurt you.」
「何それ」
「これで、コトミは、僕の共犯者だなって話さ」
「最悪」

 たぶん、この瞬間、アタシは、本当に、ボニー・パーカーになったのだろう。




3a 私がこの手を汚すということ


「浅草花やしき、186年の歴史を紡ぐ最古の遊園地で、最新の歴史を勝者として綴るのはどちらのタッグか! 火と火を重ねて炎を燃やせ! イグニッション・ユニオン!」

 イグニッション・ユニオン本戦3回戦当日。
 東京都台東区浅草、日本最古の遊園施設――浅草花やしき。

 2回戦までとは違い、観客の歓声はない。
 東京タワーにおける『”AGAIN”』の東京駅における爆弾設置を重く見て、運営委員会は警察の指導を受けて、一週間前から戦闘終了まで、戦場を警戒区域として一般人の出入り禁止としたからだ。

 アタシたちには終始警備員が張り付き、行動の一つ一つを見張っている。
 護送中の犯罪者とはこういう気分なのだと思う。

 対戦相手と向かい合う。
 白烏と目があって、アタシは軽く頭を下げた。

 礼に始まり礼に終わる、なんて殊勝な気持ちはないが、少なくとも、お菓子と紅茶、ジャージの恩だけは間違いないものだからだ。

 アタシは白烏に歩み寄ると、あの日借りたジャージの入った紙袋を差し出す。
 何かの罠を警戒したのだろう。黒服のスタッフが止めようとするのを、白烏は制して、無言で袋を受け取った。

 ほんの少しだけ、じいさん忍者の口元の皺が深くなった。笑ったのだろう。
 ちくりと胸が痛い。
 けれど、それがどうした。戦うと決めたのだ。痛みなど避けてはいられない。

「それでは、これより、『ぱりなリサーチ事務所』VS『”AGAIN”』の試合を開始します!」

 高らかな宣言。
 そして、次の瞬間、世界が遍く反転した。



ーーーーーーーーーーーー



 そして舞台の幕が開く。

 舞台の名は遊園地――浅草花やしき。

 演ずるは詐欺師、共犯者、女子高生、老忍者。

 鏡の世界に勝者は二人。

 “無敵”を示す時は今。



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 反転する。逆転する。鏡鳴する。鏡感する。
 世界が歪み、全てがさかさまの世界へと、アタシたち四人は放り込まれた。


 浅草花やしき。
 ウチは家族で遊園地に来る習慣なんてなかったから、アタシには縁のない場所だった。

 アタシとソウスケは、転移と同時に走り出す。
 この遊園地の広さは5,800㎡。ざっくり正方形換算にするならば75m四方。

 会敵までの仕込みがないとまともな戦いもできないアタシたちにとって、会敵時間が短くなるこの狭さはかなりのデメリットだ。

 銃器、爆薬、ケース、ガスマスク、毒ガス。ジュラルミン製のケース。

 次々にソウスケの指示に従って『印鑑不要の現実』を行使し、資材を「鏡の世界」へと搬入していく。

 移動しては仕掛け、また移動する。
 これまで何度も見てきたが、ソウスケの手際は魔法のようだった。

 駅の時のように「事前の仕掛け」が可能であれば、きっとこの遊園地全体が罠だらけの要塞になっていたことだろう。

「準備は6割。来るよ。――できるかい、コトミ」

 ソウスケが、唐突に聞いてきた。
 意味することはわかる。

「やるよ。これは、アンタの戦いじゃない。アタシとアンタの戦いだ」

 今回の戦いの核は、アタシだ。
 アタシがコイツの共犯者になると決めた日、ソウスケから伝えられた作戦に、アタシは確信した。

 コイツは、間違いなく『イグニッション・ユニオン』に優勝するだろう。
 勝負というのが、相手の嫌がること、弱味を突くことを最善とするならば、コイツに勝てる人間を、アタシは思い浮かべることができない。

 コイツの本当の目標が何かアタシにはわからないが、その手段の一つとして「大会の優勝」があるなら、何をしてでもそこに辿り着くだろうと、アタシは確信していた。

「ん。ならいいや。できなかったら、言ってね。何とかするから」

 腹が立つ。
 きっとコイツは、本当に何とかしてしまうのだろう。
 ソウスケは、一つの策に固執することがない。
 常に複数の策を張り巡らせて、策を乗り換えて乗り換えて、当然のように目標地に着く。

 きっとアタシがいなくても。

「最悪」
「The worst is not, So long as we can say, ‘This is the worst.’」
「何それ。日本語で言いなよ」
「がんばってね、大好きなコトミ、ってことさ」

 戦いが終わった後、アタシはこの言葉の意味を調べた。

 シェイクスピアの言葉。『最悪と言えるうちはまだ真に最悪ではない』。

 その時のアタシはまだ知らなかったのだ。
 アタシが覚悟している最悪よりもその先を、ソウスケは見据えていたことを。



ーーーーーーーーーーーー



 アタシとソウスケは二手に別れた。

 アタシは、北端の小学生向けアトラクション『にんにんパーク』の建物内へ。
 ソウスケは、屋外、ローラーコースターの線路下へ。

 二対一にはならないとソウスケは断言した。

 何をするかわからないソウスケをフリーにはせず、また、これまでの戦いで物質転移能力があると看破されているアタシを自由にしては無限に物資の補給をされる。二対一で仕留めにかかるメリットよりも、どちらかをノーマークにするデメリットが大きいと相手は判断するだろう、とのことだった。

「先日はどうも。英 コトミ様」

 そして、子ども向けのプラスチックとウレタンで満ちたアスレチックばかりの屋内に、老忍者、白烏が現れた。

『コトミの方には白烏が行く。しかも不意打ちはしてこない。保障してもいい。これはコトミの家出が絶妙の一手だった。あの二人は、縁のできた相手には極めて甘い。それは矜持というより、執念って感じだね。強者の余裕ってやつかもしれないなあ』

 何からなにまでソウスケの予想通り。まったく、気持ちが悪かった。

「この前は、ありがとう」

 これも、ソウスケから言うように吹き込まれた言葉だ。
 だけど、半分は本心。
 だからか、お相撲ブラザーズの時のような棒読みにはならなかった。

「お風邪など召されませんでしたかな?」
「大丈夫」
「結構」

 白烏の手が閃いた。手裏剣。
 アタシは当て勘で横に跳ぶと、手元のスイッチを押した。

 爆音。反射的に身を伏せる白烏。さすがプロ。
 だけどそれは、「爆発」への対応の最善策。アタシが押したのは、「音」だけを出す、スピーカーのスイッチだ。

 手にしたスイッチを投げ捨て、ポケットから別のスイッチを取り出す。
 相手の伏せた位置を確認。――爆破。

 今度こそ本当の爆破が天井を崩落させる。
 落下する瓦礫。もうもうと立ち込める煙の中から、白烏はじいさんとは思えない速度で跳んできた。

 あのタイミングでほとんど無傷とか、ほんと、忍者っていうのは、まともじゃない。
 アタシは滑り台の裏に隠していたスタンガンを取り出し、地面に突き立てた。

 あらかじめ撒いていた水を伝い、ばちばちと電流が走る。

 ぐるん、と白烏の体が空中で一回転した。
 何かが宙を舞い、その小さい体が明らかに不自然な軌道でアスレチックの上へと空中を登っていく。

 鉤爪のついた縄だ。本当に何でもありだ。これだけの仕掛けがあって、まだ有効打の一つもないとか。

 けれど、それもまた、予測済み。
 アタシの目標は、この罠で、白烏を倒すことじゃない。

「――白烏さん。戦ったまま、聞いて」

 手裏剣を牽制に、一気に距離を詰めてきた白烏に、アタシは囁いた。
 一瞬だけ、アタシの鉄パイプと打ち合う仕込み杖の勢いが緩む。
 第三者が見ても絶対に気取られないほどの脱力。

 やっぱり。このじいさんは、善人だ。

「仙道 ソウスケを止めたい」

 鉄パイプを振り抜く。
 ブリッジの要領でそれを仰向けにのけぞって回避しつつ、白烏はアタシの顎目掛けて蹴り上げを繰り出した。

「アタシは、生きていくために、アイツの知恵を借りた。手を組んで、悪事もいっぱいした。けど、この戦いで、アイツが、ただのチンケな悪党じゃないと、今更わかったんだ」

 動きが見える。攻撃に、ダメージを目標としない「見せ技」――牽制が増えた。
 アタシを追い詰めるよう見事な体術を「見せ」ながら、白烏は、アタシの言葉に耳を傾けてくれていた。

「アイツはヤバい。人と物の区別がついてない……ううん、意識的につけていないんだ。多分、アレは、人の社会にいちゃいけない――『怪物』だ」

 鉄パイプの間合いをかいくぐり、小柄な体躯を活かした沈み込むような掌打。
 痛くない。衝撃は強いが、むしろその全てはアタシを壊すのではなく、吹き飛ばすことを目標とした、派手なだけの一撃だ。

 子どもがぶつかっても痛くないようにと緩衝材でコーティングされた『にんにん滑り台城』へと、アタシは叩きつけられた。

 追いうちの一撃を横に転がって避ける。
 肉薄してきたタイミングで、アタシは、トドメの言葉を口にした。

「手を貸して。アイツを、止める。この戦いが終わったら、詳しく話す。大会が終わったらもう手遅れ。誰もアイツを捕まえられない」

 しばらく、白烏は逡巡しているようだった。
 たっぷり五秒、鉄パイプと仕込み杖が打ち合わされ、ようやく、白烏は頷いた。

いいでしょう(・・・・・)

 胸を、小さな棘が貫く。
 祖父の笑顔が。結露で汗を書いた麦茶が。
 雨の日の出会いが。ハイライトにむせた老忍者の表情が。
 いつかの詐欺の電話が。金を奪われて焦る老人の声が。
 針のように細く、アタシの人間として残された、何かを刺し苛む。

「ありがとう。――ごめんね、じいさん」

手を貸して。アイツを、止める。この戦いが終わったら、詳しく話す。大会が終わったらもう手遅れ。誰もアイツを捕まえられない』
いいでしょう(・・・・・)

 ――魔人能力『印鑑不要の現実(インダストリアル)』発動。

 アタシの両手に、皺だらけの老人の手――白烏の手「だけ」が、出現する。

「……っ!?」

 一瞬置いて、白烏の手首の切断面から、血がしぶいた。
 手を、貸す。
 アタシの能力により、手から先だけの転移によって強制的に発生した断裂、斬撃だった。

 これがアタシの切り札の一つ。
 相手との会話が必要で、かつ、芝居が下手なアタシにはうまく使えない大技。
 人を傷つける明確な意思をアタシが持たなければ発動しない反則技。

 けど、あの雨の日、あの偶然の出会いと、白烏の善性、今のアタシの覚悟があればいける。
 そう、ソウスケは判断した。

 これもまた、アイツの予想通りの結末だった。

 突然両手が失われたにも関わらず、白烏の反応は迅速だった。すぐに物陰へと身を隠し、物音が消える。止血をするつもりだろう。

『いやあ、偶然って怖いねえ。コトミが白烏さんと会って親交を深めたのは、いい切り札になるよ。あのおじいさんは本質的に善人だ。贖罪の意味もあるんだろうけれど、若い女性が助けを求めたら、断れないはずさ。そこで――コトミには、彼の「手」を「借りて」欲しい。どんな達人でも、突然両手首を切断されたら死に体だ。それでも、念には念を入れて――』 

 作戦会議のソウスケの言葉。
 吐き気がする。
 だが、そんなものに頼らなければ、アタシは勝てない。
 目標に、手が届かない。
 ならば、せめて振り回されるだけの被害者でなく、せめて共犯者でなければ。

 相手の好意を利用し、踏みにじる、悪党。
 世間の評判通りの、ヒールにだって、なってやる。

 血の跡を追い、アスレチックを駆け上がる。
 必要なのは、高さ。そして、およそ、誤差3~4m範囲の対象位置の補足。

 走りながらスマホで光景を撮影。ソウスケに送信。
 まもなく、推定される白烏の移動経路が返信される。

 血痕から、その予測はほぼ間違いないだろう。

 外からの流れ弾か、建物の窓ガラスが立て続けに割れた。銃声が響く。

 なんで、目の前にいるアタシより、遠くで銃撃戦の片手間に分析したソウスケの推測の方が正しいのか、頭脳の差が情けなくて叫びだしたくなる。

 位置、確保。
 ソウスケの推理が正しければ、アタシの立っているアスレチックの下で、白烏は止血をしているはずだ。

 降りてとどめを刺す? それは下策だ。
 仮にも相手は忍者。戦闘闇討ちのプロ。手の二つなくても、素人の小娘ならば充分に殺しうる。なら、アタシにできることは――

「ソウスケ、場所OK」
「おつかれー。じゃあ、コトミ。『君に、僕の口座から1億円、500円玉でプレゼント』だ」

 ――魔人能力『印鑑不要の現実(インダストリアル)』発動。

 アタシの手元に、大量の500円玉が具象化し、子ども用のアスレチックの登り穴から、下のスペースへと流し込まれる。

 それは、1枚7gの金属片。
 それが、1億円分。都合、約、20万枚。
 総重量1.4トンの金属の奔流、水の7倍の密度の奔流が、アスレチックという入り組んだ構造物の隙間を見る間に埋め尽くしていく。

 アタシの能力は、概念に対して適用はせず、物体にのみ作用する。
 だが、相手の預金口座から現金を引き出すことなどは可能だ。
 この1億円は、ソウスケがこれまで人を踏みにじって得てきた金。

 それを使ってアタシは、アタシに手を差し伸べてくれた人を、圧殺した。

「ソウスケ。終わった」

 ソウスケの能力で作られた携帯電話で連絡をする。
 が、通話は始まったものの、ソウスケはアタシの言葉に答えなかった。

 ただ、電話の向こうで、ソウスケと、不忍池 ぱりなの会話だけが聞こえてくる。

『――traceabilityって大事ですよね。肉だけじゃあその経路や生産者がわからない。だから、「わたしが作りました」「どの牧場で生産されたなんて名前の牛の肉です」ってラベルが必要なわけだ』
『……もういい』
『今は一人前しか御用意できていませんが、これじゃあ食べ盛りのぱりな嬢には不足でしょう。おかわりの用意はばっちり。フレッシュなミートのストックはいつでも手配できます。――さて、この携帯電話は、どこに繋がっているでしょう』

 何を、やっているのか。
 知らない。こんな策は、聞いていない。
 今回の戦いで”AGAIN”が蹂躙するのは、白烏というじいさんの善意だけ。
 しかもそれはアタシがやる。やったのだ。
 もうすぐ、決着を告げるサイレンが鳴る。

 だから、ソウスケは、それ以上、人の尊厳を踏みにじらない。
 恨みのない人間を殺さない。そういう話じゃ、なかったのか。

『――悲憤慷慨。悲しいね』
『嗚呼、僕も悲しい! 無駄な会話は刻一刻と肉の鮮度を落としてしまう! オーダーがいただけないのでしたら、僕が代わりに注文をさせていただきましょう。――「half&half(はんぶんやれ)」とね!』

 スピーカーの向こうから、二重の電話越しに阿鼻叫喚が響いてくる。
 この状況で、ソウスケが、不忍池 ぱりなに対して取る人質といえば、誰かなのか。

 雨の日に、『ぱりなリサーチ事務所』で見た写真を思い出す。
 社員旅行の様子。ぱりなと白烏の周りで笑っていた人々。

 苦悶。絶望。慟哭。
 発砲音。破壊音。打撃音。斬撃音。
 命が消える音がする。

 一方的な虐殺、蹂躙であることが、音だけでも理解できた。
 できて、しまった。

 ソウスケは不忍池 ぱりなに対して、『お相撲ブラザーズ』にしたように人質を取り。
 そして、あの時とは違い、本当に『人質の処理』を、現実世界にいる誰かに命じたのだ。

「ソウスケぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」

 アタシは吠えた。

「――悲しゅう、ございますな」

 その声は、上から聞こえた。
 見上げれば、そこには、天井近くに「浮いている」白烏。

 二回戦の東京タワーでの戦いを思い出す。
 ぱりなの「見えない刃」を足場にした戦法。
 ソウスケの移動予測は、アスレチックという地形を前提としたもの。
 不忍池 ぱりなが作り出した透明な足場は、想定に入っていない。

 空中に隠れることで、白烏は、1億円の金属流から逃れていたということ。

 やられた。
 携帯電話で連絡を取ってパートナーの力を借りていたのはアタシたちだけじゃない。
 相手もまた、同様の戦術を取っていたのだ。

 白烏が降ってくる。
 素足の指の間に苦無を挟み。

 ――手がないからといって、戦えないとでも?

 そう、素人の小娘に言い渡すように。

 美しい弧を描いて足の一振りで投擲された苦無が、アタシの「命」を断ち切った。




4a 赤い実、はじけた


 戦闘が終了し、元の世界へと戻ったアタシの手を、ソウスケは引いて駆けだそうとした。
 ここにいたら、間もなく警察が押し寄せてくるだろう。

 けれど、アタシは、そこに踏みとどまった。

「どうしたの、コトミ」
「なんで。殺したの」

 一瞬、心底何を言われているのかわからないように、ソウスケは首を傾げた。

「ちょっと、誤解があるようだね、コトミ」

 わからない。
 本当に、アタシには、ソウスケがわからなかった。
 覚悟を決めても、理解しようとしても、少しずつすり抜けるように、コイツはアタシの許せない点を的確に踏み抜いてくる。

 アタシを大好きだと言ってくれた。
 アタシを幸せにすると言ってくれた。
 アタシに相談せず、見知らぬ誰かを殺さないと、尊厳を踏みにじらないと言ってくれた。

 なのに。どうして。コイツは。

「なんなの、アンタ。何を考えているの」
「だから、言っているだろう」

 ソウスケが小首をかしげて、アタシの顔を覗き込んだ。
 真っ暗な目に、吸い込まれそうになる。
 冷たい汗が、アタシの頬を伝った。

「大好きなコトミの幸せだよ」

 その言葉に、全く嘘は感じられない。
 だからこそ恐ろしい。
 全く関係ない人間の虐殺を命じたその唇で、アタシを大切だと嘯くその言葉が。

 理解しようと思った。
 したいと思った。
 もしかしたらそれは、恋だとか愛だとか言うモノだったのかもしれない。

 けれど今、アタシにできることは、すべきことは、これしかないと思った。
 感情が冷えていく。速くなる鼓動と反比例して、全身が冷めていく。

「じゃあ、ソウスケ」
「なんだい」
「アンタの心臓を、ちょうだい」

 ソウスケは表情を変えないまま、ほんの少しだけ目を見開いた。
 そして、満面の笑みを浮かべた。

「いいよ」

 ――魔人能力『印鑑不要の現実”(インダストリアル)』発動。

 それは、物を受け取る際の、受け渡しを省略する能力。
 相手がある物質をアタシに渡すことを承諾した瞬間、距離や大きさを問わず、アタシはその物質を受け取ることができる。

 印鑑すらない覚書で、祖父から全てを奪い去ったあの男(ちちおや)
 その恨みから生まれた、八つ当たりの異能が、世界の法則を改変する。

 アタシの手の中に、血のしたたる肉塊が転移した。
 どくん、どくんと跳ねている。

 コイツも、心臓は普通にあるんだな、と、アタシはそんなことを考えた。

「じゃあね、ソウスケ」
「うん。幸せに、コトミ」

 ――We look forward to serving you again.

 ソウスケお得意のセリフはなかった。
 それがアタシたちに、”AGAIN(また)”がないことを、何よりも示していた。

 アタシは、肉塊を握りつぶした。
 多くの人を踏みにじり、命を奪った、禁断の知恵の実。

 アタシの手の中で、その赤い実は、静かにはじけた。



ーーーーーーーーーーーー



 警察は、アタシを殺人者として捕まえなかった。
 ソウスケは世界中で指名手配されていて、生死問わずの賞金首だったのだという。

 アタシはソウスケに誘拐され、無理やり協力させられた被害者として、そして正当防衛で凶悪犯罪者を返り討ちにした勇敢な女として、アイツについて知る限りのことを警察に話す条件で、別の名前と戸籍を得た。

 この国にも、洋画で見た証人保護プログラムに似た制度があるらしい。

 奇しくも、アタシの”AGAIN(やりなおし)”は成立したのだ。
 アタシは、共犯者(ボニー)ではなく、ストックホルム症候群の被害者ということになったのだ。

 父親が警察に働きかけた部分もあるらしい。天下の大企業の社長令嬢が犯罪者では外聞が悪いからか、それとも他の理由があったからか。わかりたくもなかった。

 結局、アタシには仙道 ソウスケという人間が理解できなかった。

 なんでアタシに近づいたのか。
 利用するためにしては、何のメリットもない。

 なんでアタシを騙しきらなかったのか。
 ソウスケなら、アタシに不信感を持たせないように立ち回れたはずだ。

 なんでアタシに心臓を捧げたのか。
 拒否すれば、アタシにはソウスケを殺せなかったはずだ。

 理解できない。
 理解できないまま、アタシは手に残る不快な感触を、一生忘れないだろう。

 ソウスケを殺したこと。
 ソウスケにトラウマをつけられたこと。

 人を傷つけるのも、人に傷つけられるのも、一生分経験した。
 もうこりごりだ。

 アタシは、ソウスケにはなれない。

 胸に手を当てる。
 あのとき、直に手のひらで感じたソウスケの鼓動が頭をよぎる。

 ポケットから取り出したハイライトのソフトパッケージを、ぐしゃりと握りつぶした。
 あの時の肉塊の弾けるさまを思い返すように。
 もう、この銘柄も吸うことはないだろう。

 そしてアタシは、あの、最低で、人でなしで、そして、
 きっと、アタシを愛してくれていた、クソったれのことを。
 もう、アタシの名前を呼ぶことのない甘ったるい声のことを。

 最後に、もう一度だけ、思い出した。




Chapter2 ”Send a source code ”


1b カルマ



 ―――現実の仙道ソウスケは目を開いた。

 チーム『”AGAIN”』の敗北と、コトミによるソウスケの殺害。

 その展開は、ソウスケの脳内の出来事(シミュレーション)だった。

 現実世界の時間軸は、『イグニッション・ユニオン』2回戦の直後。
 雨の中、警察の追手からバイクで逃げて、海沿いの東屋の軒下に着き、ソウスケがコトミに殴られたところだ。

 その証拠に、ソウスケの頬には未だ、コトミに張り飛ばされた痛みが残っているし、足元にはコトミが叩きつけたカッパがぐしゃぐしゃになっている。

 これでルートの補正はできただろうか。
 ソウスケは、頬を撫でながら自問する。

『今までごめん。アタシは、アンタのことを知りたい』

 コトミの言葉を思い出す。
 コトミは鋭い娘だ。そして、素直な娘だ。
 仙道 ソウスケは彼女をそう評価している。

 情報が少ないほどに直感で正解を言い当てる才能が、彼女にはある。

『だから、アンタの話を聞かせてほしい』

 だが、それでも、彼女にそう言わせてしまったのは、ソウスケのミスだった。

 2回戦での戦いは、あまりにも激戦だった。
 だから、ほんの少しだけ、コトミへの注意が緩んでしまったのだろう。

 コトミが、仙道 ソウスケを心から信用すること。
 それは、あるべき『目標』のためには、絶対にあってはならないことだった。

『――僕はね、テレフォンセックスで生まれた、ワーテレフォンなんだ』

 コトミの表情を想う。
 ソウスケのわかりやすい裏切りに、彼女は父親との軋轢を連想したことだろう。

 これで確かに、コトミは思い出したはずだ。
 仙道 ソウスケという人間が、信用できない存在であることを。

 コトミの、去り際の表情を思い出す。
 絶望と、怒りと、諦めと、蔑みと。叩きつけるような視線。

 けれど、それもソウスケの張り付いた笑みにヒビを入れることはない。

「――source codeには、足りないなあ」

 仙道 ソウスケは、『目標』のためならば人の心を無視する。
 それが他人のものでも、自分のものでもだ。



ーーーーーーーーーーーー



 ソウスケは雨に濡れた体を拭きながら、トーナメント表を眺める。

 闘技大会『イグニッション・ユニオン』。
 準決勝を前に、勝ち上がったチームは4つ。

 現代の鬼退治、女子高生忍者社長率いる『ぱりなリサーチ事務所』。
 令和のボニー&クライド、大会最悪のヒール、『”AGAIN”』。
 謎の魔王、底の見えぬ漆黒の力の担い手『闇の王と骨の従者』。
 大会一のダークホース。成長株の若きタッグ『ダフトパンク!!(DAFT PUNK!!)』。

 次の対戦相手は『ぱりなリサーチ事務所』。
 勝ち上がればその次は『闇の王と骨の従者』か『ダフトパンク!!(DAFT PUNK!!)』。

 単に大会の優勝を目標とするだけであれば、話は簡単だ。
 だが、それはソウスケの『目標』ではない。

 一回戦。『お相撲ブラザーズ』との戦いで、知人の殺害を匂わせて脅迫することで相手の尊厳を踏みにじった。一般社会にわかりやすくタブーを犯したことを示すために、第三者の人肉を弄んだ。感情的、人道的な『悪』であることを観客に示した。

 二回戦。『現世からの余り物』との戦いで、国内外でも知名度の高い東京駅に爆弾を仕掛け、社会的な『悪』として、世論に印象を刻み込んだ。

 これらの横紙破りの行動は、大会を勝ち進むためには悪手だ。
 眼前の一戦を勝つためには有効だが、掟破りに対し、社会は有形無形の制裁を加える。

 実際に、ソウスケとコトミは警察に追われ、マスコミに非難の記事を書かれ続け、街を歩けば人々に白い目で見られて通報される。

 ソウスケの行動を半ば黙認していた『イグニッション・ユニオン』の運営すら、警察の指導の元、爆弾設置の件を受けて、「戦場の事前訪問の禁止」をルールに追加することになった。

 だが、それも全て、『目標』のために必要なことだ。

 仙道 ソウスケの目標は、『イグニッション・ユニオン』の優勝ではない。

 世界中のアンダーグラウンドの掲示板、警察組織の通信、諜報機関の暗号、それらを掠め取り、解析し、分析していく。

 動画配信の影響は抜群だ。
 ソウスケたち『”AGAIN”』の悪名は今や国境を越えて世界中に広まっている。
 かつてソウスケが強盗を働いた過去も暴かれ、半ば逮捕を諦めていた海外の警察も報奨金で魔人賞金稼ぎを使い、国の威信を賭けて逮捕に動いているようだ。

 当然だろう。身を隠して逃げ回っているならばまだしも、世界中継の大会にのうのうと指名手配犯が出て活躍しているようでは、治安維持組織の名誉はがた落ちだ。

 来週には、世界中の警察の精鋭、あるいは報奨金目当てのごろつきが、東京に詰めかけることになるだろう。

 そろそろ、頃合いだと、ソウスケは思った。

 想定される結末は三つ。
 最上の結末は難しく、最悪の結末は許しがたい。

 最悪を避けるには、まず、目の前の敵を相手にせねばならない。

 残る4チームのうち、最も自分に近い存在である、『怪物』を利用する。

 ――魔人能力『心覗の嗜み(ジェントルマンシップ)』発動。

 連絡先は、この国に存在する、歴史ある忍び里の権力者。
 不忍池 ぱりなの活動によって煮え湯を飲まされた、闇に生きる者たちだった。

 (カルマ)という概念に基づくならば、いつか仙道 ソウスケはその取り立てを受けるのだろう。彼自身、その遠くない破滅を理解している。

 だが、それは今でなければ構わない。
 仙道 ソウスケは、『目標』のためならば、ためらいなくあらゆる『悪』を為すだろう。




2b 君の知らない物語


「だからね、traceabilityっていうのは大切だと思うのさ」
「トレー……なに?」

 コトミとソウスケは、数日後、とある鉄板焼き店で向かい合っていた。

 有名人がお忍びで利用する、プライバシーの保護を第一にする個室での接遇が売りの高級店だ。そこに上乗せの金額を握らせることで、ソウスケは安全なディナーの時間を「買い取って」いた。

 行動を共にすることになってからそれなりに立つが、コトミとソウスケが二人で外食をすることはほとんどなかった。

 ソウスケがしきりに誘っても、コトミがそれを断って、適当なコンビニやファーストフードで買った食事で済ませてしまうからだ。

 しかし今回に限っては、丸一日警察に捕まる危険を犯して外を出歩いたことについての弱味もあって、ソウスケの誘いにしぶしぶコトミが応じたのだった。

 そう。コトミは雨の日にソウスケの元を飛び出してから、一日で戻ってきた。
 胸に「不忍池」と刺繍のあるジャージを着て、見慣れない傘を差してだ。

 白烏と会った、とコトミは言った。
 これもまた、ソウスケが想定していた事態の一つだった。

「トレーサビリティ。追跡可能性。たとえばこのお肉が、どこの牧場のどんな生産者さんが作って、どんな問屋さんを経て、誰が調理をした――その経緯が追跡できるように記録されているかどうか、ってこと」
「……そんなの知らなくても、ここにあるステーキはステーキじゃん」

 コトミのそっけない言葉。
 二回戦直後に少しだけ見せた、心を開いた様子は鳴りを潜めている。

 いい兆候だ。
 コトミが相手方に感情移入し、ソウスケへの疑念を持ちながら、戦いの場へと帰ってきた。考えられる中で、上位に入るルートだった。

「うん。けどね、コトミ。大多数の人間にとってはそうじゃないんだよ。同じ肉でも、『スーパーで賞味期限ぎりぎりで買ったセール品』って情報が頭に入ってるのと、『その道20年の仲買人が目利きした高級熟成肉』と聞いているのじゃ、味わいは全然違う。その場にある事実以上に、情報を……物語を味わうのが人間の本質なのさ」

 冷ややかな目でソウスケを一瞥すると、コトミは塩だけを振ったウェルダンのステーキを口元に運んだ。

「何も情報がなければ、勝手に人は物語を作る。断片から間隙を予測してね。それじゃあ、望む結果は担保されない。いい肉を用意したなら、いい肉であると、『事実』の『情報』を『追跡』できるようにしないと、もったいないからね」
「アンタには都合のいい仕組みだよね。クズ肉に高級肉の情報を添えて『追跡』を誘導すれば、松坂牛の大量生産だ」
「はは、コトミは僕のことをよくわかってる」
「気持ち悪い。無駄話なら黙って」
「わかったよ」

 ソウスケは手元のミディアムレアにナイフを入れた。
 赤い肉汁が断面から溢れだす。

 いい肉だ。
 一人で味わうことがもったいないと思うほどに。

 人は情報を喰う。
 そのものだけではなく、付随する物語を味わう。

 ならば、この肉の味を構成するのは、目の前の相手との物語であるのだろう。
 救いのない悪党と、それに振り回される懸命な女と、――その破滅の物語。

「ねえ、コトミ」
「なに」
「やっぱり僕は、コトミが大好きみたいだ」
「気持ち悪い」

 ラムの香りが鼻をくすぐる。

 ソウスケは煙草を吸わない。
 たが、コトミがまとうハイライトの残り香だけは、悪くないと感じていた。




3b 名前のない怪物


「浅草花やしき、186年の歴史を紡ぐ最古の遊園地で、最新の歴史を勝者として綴るのはどちらのタッグか! 火と火を重ねて炎を燃やせ! イグニッション・ユニオン!」

 イグニッション・ユニオン本戦3回戦当日。
 東京都台東区浅草、日本最古の遊園施設――浅草花やしき。

 戦場への事前工作による人々への危険を避けるため、運営委員会は開戦一週間前から戦闘終了まで、戦場を警戒区域として一般人の出入り禁止とした。

 ソウスケとしては戦略の手札の一枚を封じられた形になる。
 だがそれも計算のうち。仙道 ソウスケは揺るがない。

 コトミは、一つの紙袋を手にしていた。
 これはソウスケが指示したものではない。

 彼女の小さな善性の発露。
 あの雨の日に彼女が白烏から借りたジャージだ。

 彼女はスタッフに警戒されながらも、白烏にそれを手渡した。

 不忍池 ぱりながソウスケを一瞥する。
 ソウスケは芝居がかった様子で肩をすくめた。

 コトミの行動にソウスケの作為はない。それは事実だったからだ。

「それでは、これより、『ぱりなリサーチ事務所』VS『”AGAIN”』の試合を開始します!」

 高らかな宣言。
 そして、次の瞬間、世界が遍く反転した。



ーーーーーーーーーーーー



 反転する。逆転する。鏡鳴する。鏡感する。
 世界が歪み、全てがさかさまの世界へと、ソウスケたち四人は放り込まれた。

 仙道 ソウスケにとって、ここからの時間は「答え合わせ」だ。

 移動しながらコトミに指示し、必要な道具を『印鑑不要の現実』で取り寄せて、敷設していく。

 時間はない。おそらく、接敵は間もなくだ。

 浅草花やしきの敷地は狭い。
 さらに今回、『ぱりなリサーチ事務所』には、会敵までに時間を稼ぐ意味がない。

 二回戦、東京タワーで彼らが『マイリーマンズ』にあれだけ事前の仕込みを許す時間を与えたのは、次回以降の戦いを見据えて、鏡の世界という戦場の「条件」を精査していたからだ。

 転送地点であるフットタウンを駆け上がりながら、不忍池 ぱりなは、途中不自然に何度か立ち止まり、色鮮やかなお手玉を拾い上げていた。

 東京タワーに、何人もの『ぱりなリサーチ事務所』の職員が張り込んでいたことをソウスケは確認している。あれはおそらく「試合開始何分前までに、人の手を離れたものが戦場に影響するか」を確認する実験だったのだろう。

 結局、東京駅爆破未遂事件(”AGAIN”の戦いによるものだ)で、事前の罠の敷設は運営の追加ルールによって封じられたが、対策は打っていたということらしい。

 ともあれ重要なことは、『ぱりなリサーチ事務所』は理由がなければ最速で接敵を試みてくるということだった。

 これまでも、不忍池 ぱりなの行動は奇矯に見えて全てにおいて無駄がなかった。

 派手な服装は、自分を囮にして白烏の隠密を引き立たせるため。
 デコレーション苦無は、ぱりなの魔人能力である「見えない刃の投擲」を隠すため。
 戦闘中の無駄口もまた、相手の気を引き、油断させるため。そして、何よりこのイベントの後でのイメージ戦略に資するため。

 コトミは誤解しているようだが、『ぱりなリサーチ事務所』のブレインは、老忍者白烏ではない。不忍池 ぱりなだ。

 今大会において、戦場……いや、このイベント自体を俯瞰している指し手は三人。

 仙道 ソウスケ、不忍池 ぱりな、村崎 揚羽。

 戦士として優秀な者は他にもいるが、自分と同じ視点で戦場を見下ろしているのは、この二人くらいのものだろうと、ソウスケは想定していた。

 初期に配置したセンサーに反応があったことを確認し、ソウスケは罠を設置する手を止めた。理想の6割。若干心もとないが、及第点と言える準備は済んだ。

 魔人能力『心覗の嗜み』発動。

 ソウスケはスマートフォンを具象化すると、コトミへと手渡した。

「――できるかい、コトミ」

 コトミには、今回、試合を決定づける役どころを任せている。
 少なくとも、彼女はそう思っている。

「やるよ。これは、アンタの戦いじゃない。アタシとアンタの戦いだ」

 一回戦、二回戦とソウスケが負ってきた、勝利に必要な汚れ仕事を、今回は彼女が行う。そうすることで、対等になれるのだと、コトミはそう考えているようだった。

「ん。ならいいや。できなかったら、言ってね。何とかするから」

 敢えて彼女の気持ちを逆なでするように、ソウスケは口にした。
 間違いなく彼女は、ソウスケの与えた作戦をやり遂げるだろう。

 だからこれは単に、彼女を苛立たせるための言葉だ。
 そしてそれこそが、ソウスケの『目標』に必要な布石でもある。

「最悪」
「The worst is not, So long as we can say, ‘This is the worst.’」
「何それ。日本語で言いなよ」
「がんばってね、大好きなコトミ、ってことさ」

 コトミは、ソウスケを残して駆け去った。
 建物の奥へ消える彼女を見送ると、ソウスケは、「そちら」へと向き直る。

 そこには、足音も挨拶も表情すらなく。

 この国の忍びのルールに抗う『怪物』、不忍池 ぱりなが、立っていた。



ーーーーーーーーーーーー



 花やしきの象徴、ローラーコースターのレールの下、仙道 ソウスケと不忍池 ぱりなは対峙する。

 遠く、爆発音が響いた。

 コトミが白烏に返したジャージの紙袋に、ソウスケが仕込んだ爆弾が起爆したのだ。

 ぱりなの表情には変化がない。
 白烏はアレを持ち歩かずにコトミを追ったのだろう。

「ひどいなあ、せっかくの善意で彼女が洗濯して返したものを捨て置くなんて」
残忍刻薄(ありえんてぃ)。あの娘の気持ちを、罠にするとか」
「それはそっくりお返ししますよ、不忍池 ぱりなさん。ジャージの発信機と盗聴器。あの老人の善意を、貴女は罠に利用した」

 ソウスケはスマートフォンを取り出す。
 過去の戦いの録画を見ているからだろう。不忍池 ぱりなは周囲の爆破、あるいは罠の起動を一瞬だけ警戒し――

 ソウスケは「スマートフォンから、弾丸を撃ち放った」。

 命中。苦悶の吐息がぱりなの口から漏れる。

 至近距離、胴体の中心を狙った狙撃だったが、血に染まっているのは肩口だ。類まれな反応速度だとソウスケは感嘆した。

 ソウスケが使用したのは、Double Barreled .380 Caliber。
 米国アイディール・コンシール社製が2017年から販売している、「スマートフォンにしか見えない折り畳み拳銃」である。

 ジャージ紙袋の爆弾が白烏またはぱりなに直撃すればそれでよし。

 そうでなくとも、爆発で「罠の存在」に相手の意識を誘導できれば、敵は仙道 ソウスケがスマートフォンを手にした瞬間、ソウスケではなく周囲を警戒する。罠を仕掛けた人間が、自分を巻き込むような位置にトラップを置くはずがないからだ。

 そして、完全な注意の空白となったソウスケ自身が射撃を行う。

 これは別に必殺の策ではない。魔人能力を使ってすらいない。
 複数の策を並列して、その影響が別の策に接続できればそうする。それだけの事だ。

「不忍池忍軍。忍び殺しの忍び、『追い忍』の集団。そして――忍社会の破壊者」

 通常の拳銃に持ち替え、ソウスケは言葉を放つ。

 狙撃の精度では、Double Barreled .380 Caliberには難がある。
 不意打ち以外で使う意味はない。

 今回、ソウスケの手札は極めて制限されている。
 事前の罠の敷設はできなかった。
 接敵までの時間も限られていた。

 罠は想定の6割は設置したが、そのほとんどは、コトミが白烏に対抗するためのものだ。

 故に、ソウスケは、ほぼ身一つで不忍池 ぱりなに対抗しなければならない。
 それは、『イグニッション・ユニオン』で初めての事態だった。

 ぱりなは反応しない。
 これまでの戦いの中で「言葉」がソウスケの手札であることを、彼女は理解している。
 だから、会話に乗ることがデメリットであるとして、黙殺している。合理的な判断だ。

「ただ黙々と技を磨き、私利なく力をつけるその里の存在は、いつか忍社会の中でも、警戒の対象となった。そりゃあそうだ! 力を付ければ影響力も増す。そうなれば当然に自分の利を主張するのが自然。それをしなければ、何か企んでいると思われるのが当たり前ってものです! でも……『あなたのお父さんは、そんなことにすら、気付かなかった』」

 ぱりながデコレーション苦無を投擲する。
 ソウスケは大きく身を翻し、横に跳んだ。

 無傷。

 やはりだ。一回戦、百合子は紙一重で「目に見えるデコ苦無」を避けたから、同時に繰り出された不可視の刃にやられた。

 不忍池 ぱりなの魔人能力は、投擲の素振りと無関係の方向には繰り出せない。
 苦無に気をとられず、手の向いた方向から退避すれば対処可能だ。

「誠実に依頼をこなせば。完璧に忍務をこなせば。私心なしと信じてもらえると。そう技を磨き続けた! それこそが、不信を招いていると気付かなかった!」

 地面を転がりながら狙いもそこそこに、ソウスケは銃弾を放つ。

 ぱりなの手が大きな弧を描いて地面に振るわれる。

 鈍い音がして、銃弾は虚空で斜めに軌道を変え、ぱりなの頭上へと逸れた。

 二回戦、東京タワーで見せた、透明な刃の障害物としての応用だ。
 小口径の銃弾を止められる程度の強度は持ち合わせているらしい。
 遠隔攻撃、障害物、防壁、使いでのいい魔人能力だ。

「だから、不忍池 守破離衛は罠に嵌められた」

 だが、その起点に手の動きがあるならば。
 その手の向いた先にしか能力が行使されないのならば。

 仙道 ソウスケには、一目見たものを写真のように脳裏に刻む写真記憶がある。

 一回戦、図書館の戦いにおいて館内図を一瞥しただけで頭に叩き込むことができたのも、二回戦における正確な罠の配置と発動も、この能力のおかげだ。

 だから、ただ見えないだけでは、ソウスケの障害にはならない。
 攻撃と織り交ぜて繰り出される『透明な障害物』の位置を、ソウスケの記憶力と思考は浮き彫りにする。

 それは、東京タワーで繰り出されたのと同じ位置だった。

『爺や! 座標報告。珊瑚獅、金剛蠍、玻璃秤、緑柱双、緑柱乙、紅玉蟹、瑪瑙蠍、蒼玉乙、玻璃魚!』

 戦場を12×12の碁盤に見立て、誕生石と十二宮で表現したもの。

 後方に一(蒼玉乙)。
 右方二歩先に一(瑪瑙蠍)。
 回り込みを警戒し、左方斜めに三(緑柱双、紅玉蟹、珊瑚獅)。
 直進の牽制に、彼我の間に一(緑柱乙)。
 右斜に一(金剛蠍)。

 おそらく玻璃はブラフ。障害物の個数を、符丁の発言数から気取られないための水増しだ。玻璃(ガラス)は、そもそも誕生石ではない。

 毎回設置位置を変えては、ぱりな自身が自らの放った透明な罠にかかりかねない。
 だから、敷設には幾つかのパターンがあるのだろう。

 こちらが彼女の過去の戦いを研究している前提で、「同じ手など使うまい」という思い込みの裏を突く意図だったのかもしれない。

 銃弾を散発的に放ち、「透明な刃」の設置されている場所の仮説を補強。
 ソウスケは銃を捨てると、その隙間を縫うように、ぱりなとの距離を詰めた。

「!」

 無手での白兵戦は予想外だったか、一瞬だけぱりなの反応が遅れる。

 ソウスケは右手を高く掲げると、

 ――魔人能力『心覗の嗜み(ジェントルマンシップ)』発動。

 その手に、縦横20cmの黒い塊が出現した。

 車載・携帯兼用型自動車電話、ショルダーフォン100型。
 1985年に開発された、れっきとした「携帯電話」である。

 ソウスケの『心覗の嗜み(ジェントルマンシップ)』は、年代機種を問わずあらゆる携帯電話を具現化するものだ。

 突如出現した重さ3kgの塊が、魔人の膂力によって全力で振り下ろされる。

 ごすぅっ。

 肩に銃弾を受けながらなお、その不意打ちを避けるぱりな。
 カウンターで繰り出した蹴りを、ソウスケはやすやすとショルダーフォンを盾にして受け止めた。

「自分の娘と妻か。掟か。それを選ばざるを得なくなるような状況に追い込まれた」

 そのまま相手を体当たりで押し転がし、頭目掛けて100型車載電話を振り下ろす。

 ソウスケは武術の天才ではない。格闘の動きの精度ならば、忍者として正統な教育を受けている不忍池 ぱりなより、はるかに技量は劣る。しかし、それでもなお、ソウスケがぱりなを押している理由は、ひとえに、魔人能力の特性によるものだった。

 携帯電話は三台まで作成可能。
 消去は自在。
 作成後のクールダウンはなし。
 電話を消去して三台の枠が空いたら、即、新たなものを作成できる。

 これにより、ソウスケは、打撃の瞬間にだけ3kgの鈍器を生み出し、その直後に消去することで攻撃後の隙をキャンセル、かつ、その軽減された隙をも突かせないために別の巨大な携帯電話を相手の眼前に作成して動きを阻害するという戦術を取り続けているのだ。

 『心覗の嗜み』の本質は、情報収集である。
 だが、単純に高速回転可能な物質創造能力として行使すれば、こういった戦い方も可能となる。

「誰かを守るためならば無敵になれる男は、誰かを守るために、命を失った。守ってきた誰かの刃を、背中に受けて死んだ。嗚呼、なんという悲劇でしょう!」

 視界の脇、にんにんパーク――コトミと白烏が戦っているはずの建物の窓から、数度、光が明滅した。

 ソウスケが仕掛けたフラッシュボムではない。もっと小さな、目を眩ませることを目的としたわけではない、光の反射。

 これは、通信だ。
 鏡とライトを使って、白烏からぱりなへのメッセージが送られたのだ。

 ぱりなと白烏が携帯電話で連携することを防ぐため、ソウスケは二重の予防線を張っている。一つは妨害電波を発する通信抑止装置の設置。
 そしてもう一つは、事前記者発表における、ぱりなの携帯電話の奪取と返還だ。
 あらゆる可能性を考えるのならば、相手の手に渡ったスマートフォンの利用を、不忍池 ぱりなは回避するはずだった。

 だが、こんな形で意志の疎通をしてくるとは。
 原始的であり過ぎて、ソウスケはその可能性に思い至らなかった。

 一度。二度。
 ぱりなが、にんにんパークに向けて投擲を放つ。
 窓を破壊し、それは建物の中へと突き刺さっていった。

 援護射撃か?
 だが、ここからコトミを視認することはできない。直接の狙撃は不可能だろう。

 ともあれ、まだ、揺さぶりが足りていないということだ。
 まだ、不忍池 ぱりなの思考は盤面の隅々にまで行き届いている。

 挑発が足りない。
 告発が足りない。

「嗚呼、その境遇は悲劇的! 復讐を誓うのも当然と言えましょう。そうです。貴女の復讐には大義がある。だから――『どんな手段を使っても、正当化される』」

 ぱりながにんにんパークへの援護を行った隙に、ソウスケは物陰から、成人男性の腰くらいまである大きなジュラルミン製のケースを取り出した。

「貴女は、父を死に追いやった者たちを憎んだ。古い掟を憎んだ。それを変えようとした。そうなれば当然、父親と同じ相手を、敵に回すことになった。そして、貴女は、父親と違う手段を取った。誠実に、騎士のように忠実に相手に仕えた不忍池 守破離衛とは違い」

 ケースを開く。
 そこには、みっしりと、皮の剥がれた肉が、詰まっていた。

「恐怖と。暴力で、敵と戦った……こんな風に」

 それが何の肉であるのか。
 示すように、一枚のカードが、添えられていた。

 まるで、ステーキ肉の生産者を示すように。
 中年男性の笑顔が、カードには貼り付けられていた。
 それは、『ぱりなリサーチ事務所』の一員。
 事務所の設立直後、とある忍び里からの離反を、ぱりなが支援した忍者だった。

 不忍池 ぱりなの動きが、そこで初めて、止まった。

「あなたが二回戦、『マイリーマンズ』に行ったのと同じ。黒服警備保障に依頼をかけ、屋釘 寛に従業員を護衛をさせて彼と会話し、情報を引き出した手口とね。有名になれば、新たによって来る者も増える。この一週間、『ぱりなリサーチ事務所』に接触してきたマスコミ、にわかファンの多くは、僕が情報をリークした、あなたの仇敵……日本中の忍び里の工作員だ」
「もういい」

 喰いついた。
 不忍池 ぱりなが、戦闘に不要な言葉を発した。

 それは、彼女が、忍びとしての戦い方を貫けなくなったこと意味していた。

 胸ポケットのスマホが明滅する。
 もうぱりなは動かない。

 ソウスケは悠然とそれを取り出すと、送信されてきた画像を見た。
 コトミは無事、白烏の「手を借りる」ことができたらしい。

 血痕と地形から、逃走場所を予測、返信する。
 続けて着信。

『ソウスケ、場所OK』
「おつかれー。じゃあ、コトミ。『君に、僕の口座から1億円、500円玉でプレゼント』だ」

 短く言葉を交わす。
 地鳴りが、にんにんパークの建物から響いた。

 さあ。これで決着がついたならば良し。
 仮にそうだとしても、元の位置に転送されるまで数分、ソウスケには行動の余地がある。 
 通話を維持したまま、ソウスケはぱりなに向き直った。

「――traceabilityって大事ですよね。肉だけじゃあその経路や生産者がわからない。だから、「わたしが作りました」「どの牧場で生産されたなんて名前の牛の肉です」ってラベルが必要なわけだ」

 ぱりなは、どこからともなくイミテーションルビーでデコレーションされた苦無を5つ手元に取り出すと、何かをふり払うように投げ捨てた。

 武装解除。

「もういいと、言った」

 ぱりなの言葉からは、一切の抑揚が失われていた。

 普段の陽気で人好きのする彼女のキャラクターが、剥ぎ取られている。

 親しい人間を見せしめに殺されて。
 感情が、失われている。

 その姿を。その様子を。
 コトミは、継続している通話を通して、聞いているはずだ。

 彼女との約束を破り。
 彼女の優しさを踏みにじり。
 彼女の誇りを傷つけるその行為を。

「今は一人前しか御用意できていませんが、これじゃあ食べ盛りのぱりな嬢には不足でしょう。おかわりの用意はばっちり。フレッシュなミートのストックはいつでも手配できます。――さて、この携帯電話は、どこに繋がっているでしょう」

 魔人能力――『心覗の嗜み』発動。

 これで、三つ目。

 通話先は、「外の世界」。
 不忍池忍軍に煮え湯を飲まされた、忍び世界の老練な首領。
 不忍池 守破離衛を謀り、不忍池 ぱりなによって里を半壊させられた男。

 ぱりなに、そして、胸ポケットのスマホの通話先であるコトミに聞こえるように、ソウスケはスピーカーモードを起動する。

 響き渡る戦いの音。
 確かに『ぱりなリサーチ事務所』――不忍池忍軍の練度は高い。

 だが、それでも、徹底的に日常の生活パターンを解析され、主力であるぱりなと白烏が「鏡の世界」に隔離されている現状で、総攻撃を受ければひとたまりもない。

 聞こえてくるのは、その結果だった。

「――悲憤慷慨。悲しいな」

 不忍池 ぱりなは、助けを乞わなかった。
 それもまた、ソウスケが想定していた一つの可能性だった。

 やはり、3回戦でこの選択をしてよかった、とソウスケは思った。

「嗚呼、僕も悲しい! 無駄な会話は刻一刻と肉の鮮度を落としてしまう! オーダーがいただけないのでしたら、僕が代わりに注文をさせていただきましょう。――「half&half(はんぶんやれ)」とね!」

 ソウスケの号令を受け、蹂躙が始まる。

 苦悶。絶望。慟哭。
 発砲音。破壊音。打撃音。斬撃音。
 命が消える音がする。

『ソウスケぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!』

 胸ポケットのスマホから、コトミの叫びが聞こえた。
 ソウスケは、目を閉じて、コトミとの通話を切断した。

 人は情報を喰う。
 そのものだけではなく、付随する物語を味わう。

 事実がどうであれ、添えられたイメージで、「追跡」を誘導する。

 一回戦、二回戦で、社会の敵(パブリックエネミー)となった仙道 ソウスケは。
 三回戦をもって、間違いなく、英 コトミの敵となった。

 彼女は、その優しさ故に、仙道 ソウスケを殺すだろう。

「――仕込みは、済んだか」
「ええ。お待たせしました」

 スピーカーからの蹂躙の音が、止んだ。

 それは、一方が一方に完勝した証。
 抵抗する者が、一人としていなくなったということ。

 そして、勝者の会話が、聞こえてくる。

『任務完了でございますね、旦那様、奥様』
『なんじゃ、もう終わりか。暇つぶしにもならぬわ』
『百合子、まだ足りないかい? 手合わせする?』
『……まったく。過剰防衛もいいところだ。うちの社員だったら、減給だ』

 それは、不忍池忍軍を、『ぱりなリサーチ事務所』を襲った者たちの、勝利を喜ぶ声ではなかった。

 『鬼神』百合子と、『元天才魔物狩り』クロムウェル・バッテンフォール。
 『黒服警備保障』のエース、屋釘 寛と、その相棒、大道寺 忍。
 屋釘 寛の師である元抜け忍、『部長』服部 黒雀。

 彼らによって、襲撃者たちが完膚なきまでに無力化された、その結果だった。

 それは、不忍池 ぱりなと、仙道 ソウスケの歩いてきた道筋による、差。
 一回戦、二回戦。

 不忍池 ぱりなは、対戦相手との繋がりを作ってきた。
 仙道 ソウスケは、対戦相手の誇りを蹂躙してきた。

 そして、今。

 仙道 ソウスケが打算を餌に動員した刺客達は、不忍池 ぱりなを義によって助けに来た者たちによって、全滅した。

 実際には、ソウスケの前にある肉も、『ぱりなリサーチ事務所』の職員の死体ではない。そもそも、功名に模造しているが、人肉ですらない。

 不意打ちによる見せしめの殺害を一人として許さないほどに、『イグニッション・ユニオン』一回戦、二回戦進出者による護衛は完璧だったのだ。

 ソウスケは、外の世界へと通じる携帯電話を消滅させた。

「――黒服警備保障は、いい仕事をしてくれた。妾の友人もな」

 古風な語り口。それもまた、不忍池 ぱりなの一面なのだろう。
 おそらくは、『怪物』と呼ばれた頃。
 血と暴力で抵抗勢力を捻じ伏せ、それでは彼女自身が憎み、彼女の父を殺した相手と変わりないと気付くまでの。

「妾は貴様に何も奪われていない。個人的な恨みは寸毫とてない。故に」

 無造作な一撃。

 それは、ソウスケの体を、頭上に伸びるジェットコースターのレーンにやすやすと叩きつけた。

「この拳は――英 コトミの。あの娘の、これからの悲しみの分だ」

 これが、一回戦、秋葉原の戦いにおいて、伝説の鬼、百合子と打ち解けるまで、彼女の猛攻をいなしつづけた少女の技量。

 収集したデータには記載されていながら、一回戦は相手が規格外であるが故に、二回戦は魔人に対して無敵の能力者相手であるが故に、一切発揮されていなかった、不忍池 ぱりなの身体能力(ポテンシャル)

 仙道 ソウスケは、この大会で初めて、その威力を受けとめた被害者となった。




4b だれかの心臓になれたなら


「どうしたの、コトミ」
「なんで。殺したの」

「ちょっと、誤解があるようだね、コトミ」

「なんなの、アンタ。何を考えているの」
「だから、言っているだろう」

「大好きなコトミの幸せだよ」

「じゃあ、ソウスケ」
「なんだい」
「アンタの心臓を、ちょうだい」

「いいよ」

 ――魔人能力『印鑑不要の現実”(インダストリアル)』発動。

 コトミの手の中に、血のしたたる肉塊が転移した。
 どくん、どくんと跳ねている。

「じゃあね、ソウスケ」
「うん。幸せに、コトミ」

 コトミは、仙道 ソウスケの肉塊を握りつぶした。

 かくて、仙道 ソウスケという生命は、ここに、破壊された(・・・・・)



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 今回の『イグニッション・ユニオン』に限らず、スポーツ、格闘技大会の賞金とは、通常、雑所得に該当する。

 主催者から支払われる賞金は、主催組織に対する役務の対価と認められるからだ。
 即ち、課税所得であり、額面通りの金額を受け取ることはできない。

 たとえば、『イグニッション・ユニオン』であれば、賞金の額面は5億円。
 しかし、課税分を差し引いた手取りは、せいぜいが2億円程度である。

『犯罪者がまっとうな世界に戻るには、いろいろ入用だからね。50億は、人生をやり直すには充分な金額だ』

 仙道 ソウスケはかつて、英 コトミにそう言った。

 あれは、コトミがチラシの桁を読み間違えたのを、ソウスケが否定せずに話を合わせただけの言葉ではあるが、また、事実でもあった。

 優勝賞金、賞金5億円では、英 コトミの「やりなおし」には、足りない。

 手取り2億円。確かに彼女が平穏な人生を送っていたならば、大金だ。

 しかし、警察から追われ、賞金稼ぎから逃げながら生活し続けるには、あまりにも心もとない。そもそも、その程度の金額であれば、『イグニッション・ユニオン』に参加せずとも、仙道 ソウスケのポケットマネーで差し出せる。

 それにも関わらず、仙道 ソウスケが『イグニッション・ユニオン』に参加したのは、「悪党としての自分の価値を吊り上げる」ためだった。

 敢えて世界中に中継される大会で、人道を、倫理を踏みにじり、社会的な危険性をアピールする。そうすることで、各国の警察を煽り、報奨金を吊り上げる。

 そして、警察の追及と報奨金がピークになったところで、英 コトミの不信度を振り切らせ、彼女の手にかかって、死亡する。

 かくて、英 コトミは、仙道 ソウスケに掛けられた賞金、50億を、手に入れた。
 さらに、稀代の悪党にたぶらかされた未成年、その余罪に関する情報を握るものとして、国家からの庇護すら受けられることとなった。

 それは仙道 ソウスケが彼女に贈ることのできる、彼女の”AGAIN(やりなおし)”への、餞別だった。



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 都内の廃ビルの地下。
 薄暗がりの一室。

 ディスプレイの灯りに照らされたソファーで、二人の若者が対峙していた。

 不忍池 ぱりな。
 そして、仙道 ソウスケ。

 その死が、各主要紙の一面を飾った稀代の大悪党が、間違いなくそこにいた。

「いやあ、まさか見つかるとは思いませんでしたよ」
一口両舌(いうて)、紅茶にマリトッツォまで、(あーし)を迎える用意(スタンバ)完璧(パーペキ)だし」
「口止めの準備は入念にしないと、というやつです。……せっかく僕の能力の1/3を永遠に費やしたお芝居なんだから。貴女の機嫌を損ねて御破算じゃあつまらない」

 仙道 ソウスケの魔人能力『心覗の嗜み』。

 それは、携帯電話を作り出す能力。

 三台まで作成可能。
 消去は自在。
 作成後のクールダウンはなし。
 電話を消去して三台の枠が空いたら、即、新たなものを作成できる。

 古今東西の様々な機種を作成できるだけでなく、手元にオリジナルがあれば、「特定の携帯電話」を、そのデータごと模倣して作成することもできる。

 そして――

『――僕はね、テレフォンセックスで生まれた、ワーテレフォンなんだ』

 仙道 ソウスケは、英 コトミに嘘をつかない。
 即ち、あの時の、嘘としか思えない一言は、間違いなく事実であり。

 故に、仙道 ソウスケは、『心覗の嗜み』によって、自分自身(ワーテレフォン)記憶(データ)ごと、複製可能である。

 あの大会終了後、コトミに心臓を握りつぶされたのは、『心覗の嗜み』で作られた『(ハーフ)携帯電話(ソウスケ)』であり――その能力枠を一枠、遺体の維持に行使し続けることで、ソウスケは、自分に掛けられた莫大な指名手配の報奨金を、コトミへと渡すことに成功したのである。

「『コトミちゃんのために、身を隠し続けること』『一切悪事から手を引くこと』。それだけ守るなら、(あーし)はポンだからね。こんな場所のこと、マリトッツォと一緒に消化し(わすれ)ちゃうし。季布一諾(おけまる)?」

 ぱりなは、ソウスケの顔を覗き込む。
 稀代の悪党。総額50億円の賞金首。
 多くの命と金を奪い取った、人でなしを。

「僕はヒトでもあって、モノでもある。だから、両者にはあんまり区別がないと思ってる。人の死体を在庫(ストック)と変わらないなんて、そんな風にすら、思ってしまえる。けど」

 仙道 ソウスケは、週刊誌の1ページ、サングラスをつけて、颯爽と銀座を歩く、英 コトミの写真を一瞥した。

「誰かに救われたことのある人間が、誰かを傷つけながら生きるのは、とても辛いこと……らしいですからね。彼女は、僕なんかを救ったつもりは、ないだろうけど。まあ、だから、僕も。人を傷つけるのも、人に傷つけられるのも、もうこりごりだ」
「大事なトコが伝聞とか!」
半分電話(ワーテレフォン)なものでね。まあ、材料(ソースコード)は渡しました。あとは、彼女が自分で幸せ(プログラム)を作ればいい。もう手は出しませんよ」

 ぱりなはマリトッツォのクリームを頬につけたまま、首を傾げる。

「……お兄さん、コトミちゃんに、救われたん? どこに?」

 まったく、真っすぐな疑問だ。
 おそらく、彼女はコトミとソウスケの出会いを調べ上げている。
 その上で、問うているのだ。

 仙道 ソウスケに、英 コトミから得たものはないはずだ。
 まして、人とモノの区別がつかない存在に、一目惚れなどあるはずもなかろうと。

『やあ、君がコトミちゃんかい。その服、格好いいね。どこで買ったの』
『アンタには、何も答えたくない。なんか気持ち悪い』

 いつかの雨の新宿の、本当に何気ない会話を思い出して、ソウスケは、笑った。

「……あの子はね、僕を、一目で『気持ち悪い』と、見破ってくれたから」

 不忍池 ぱりなは、目を丸くした。
 だが、決して、笑いもしなかった。

「それより、どうです。情報屋として仲良くできませんかね。僕らは、よく似てると思いますよ。鏡を見ているみたいだ」
不倶戴天(まじむり)。鏡像ってのは、世界で一番逆の存在だし」
「ああ、確かに。だって、あなたは――」
「お兄さんは――」

「「怪物(ひと)が、(かいぶつ)のふりをしている」」

 声が重なる。
 そして、その後の沈黙を破る笑みすらも、同じタイミングだった。

「もし、僕がまた、コトミに飽きて悪事をするようなことがあれば、止めてもらえますか?」
「そんな義理はないけど――」

 ソウスケの目の前に、イミテーションルビーでデコレーションされた苦無が突き刺さる。

「試合の『外』――表社会(シャバ)悪事(わるさ)かますなら、『怪物(ニンジャ)』が来るよ」
「そりゃあ、(ありがた)い」

 不忍池 ぱりな出された茶菓子をたいらげると、人懐っこい笑みを浮かべた。

平安一路(じゃあね)、ミスタ・クライド・バロウ。ボニーによろしく」
We look forward to serving you again.(またのご利用をお待ちしています)
「冗談! ”AGAIN(また)”なんて、ないことを祈ってるし!」





3件の通知があります


「DANGEROUSネットニュース 新着1時間前 50億円の賞金首! 犯罪グループ“AGAIN”の仙道 ソウスケ、死亡。パートナー、英 コトミと痴情のもつれか?」

「Duwitter 新着25分前 ≪Hey★≫さんがツイートしました:ネズミ捕り结束。半額スマホは消毒済。」

「傍受メール≪ハーフ&ハーフ日本支部事務所宛≫ 新着3分前 よう、兄弟。以心伝心、見てるんだろ? いい加減、アンタの知恵を貸してくれないか ∩|゜ω|∩」
最終更新:2021年06月06日 20:24