赤子の名


18年前の、ある夜のことだ。
追い忍の白烏(しろがらす)は、不忍池(しのばずいけ)忍軍の首領、不忍池守破離衛(しゅばりえ)の館に、内密な要件で呼び出されていた。
そこには守破離衛と、彼にもたれるように座る若い女。
守破離衛の腕の中には、小さな赤子がいた。

「この子の名は、ぱりなとする。いい名前だろう」

守破離衛は、赤子を抱きながら言う。
その愛情深い表情から、白烏は察しがついた。

「御館様の子を、隠すつもりですか」
「うむ。この女に預ける。ぱりなの母だ。お前には、二人が脱出する便宜を図ってほしい。私が動けば目立つからな。このことを知っているのは、私とこやつ、そしてお前だけだ」

守破離衛は、忍と言う生き方を疎んでいたわけではない。
だが、血を分けた我が子のあどけない笑顔は、この血塗られた道に引き込みたくないと思わせるに、充分な愛らしさがあった。
だから、ぱりなの名から「守」の字を取った。
守破離の「守」とは、師から教わるという意味をもつ。

「破る形がなければ、形無しとなりますな」
「うむ。守がなければ破離も無し。故に、破離無(ぱりな)よ」

守破離衛は、白烏が見たこともない穏やかな顔で、ぱりなの頭を撫でた。

「忍びの道など、この子には無縁でよい」

白烏は、ゆっくり頭を垂れた。

「良い名です」



アジテーション


ソウスケとコトミが2回戦を終えた日の夜。
二人は、ソウスケが所有する海の近くのロッジに隠れ家を移した。
積もる話は一度体を休めてからすることとして、二人は床に就いた。

そして、時刻は深夜2時。
ソウスケは、一人でスマートフォンの画面を見つめる。
見ているのは、幾つかのSNSやニュースサイトだ。AGAINに関する情報のみを抜き取っている。

≪AGAINのソウスケって、英コトミの為に戦ってるてマ?≫
≪ヒーローじゃん≫
≪いやいや、一回戦見てねえのかよ。ヤバいでしょアイツ≫
≪そもそも、あれ本当なの? コトミが騙されてるんじゃないの≫
≪そうらしいよ。ストックホルム症候群ってやつ≫
≪家族とかいないのかな≫
≪行方不明届、出てるよ。ソウスケがコトミに教えてないんじゃない≫
≪顔がいいやつは性格もいいから無敵≫
≪ソウスケの性格は悪いだろ≫
≪コマンドサンボの使い手らしいよ≫
≪失われた王国の王子ってきいた≫
≪TINPOの創始者じゃないの≫
≪結局何者なんだよ≫

ソウスケはしばらく思案した後、スマートフォンを操作する。
一つのニュースサイトに、一件の記事が投稿された。
それは、次のようなものだった。

独占入手 イグニッション・ユニオン大会参加者の仙道ソウスケの凄惨な過去

【犯罪心理から紐解く”仙道ソウスケ”という人物像】

我々が独自で入手した関係者によるタレ込みでわかった”仙道ソウスケ”と言う男の人物像。
今ネット上ではイグニッション・ユニオン大会のいち参加者である彼に様々な憶測が飛び交っている。
きたる大会三回戦に向けて、彼の背景や目的、そしてこの場を借りて、犯罪心理などから人物像を紐解いて……



心がない怪物


仙道ソウスケは、日本人の父と、イングランド系アメリカ人の母の間で生まれた。
当時は仙道ソウスケと言う名前ではなく、本名は不明だ。

カリフォルニア州サンフランシスコに住居を構えるソウスケの家庭は、富裕層と言ってよかった。
父母の関係も良好で、ソウスケを可愛がり、それでいて甘やかすことなく、溢れんばかりの愛情を注いだ。
充実した環境の中で、ソウスケは勉学やスポーツに励み、仲の良い友人たちに囲まれながら、すくすくと育っていった。

ソウスケは、あまりにも好奇心が強く、あまりにも倫理観がなく、あまりにも頭が回る子どもだった。

それが表出したのは、ソウスケが7歳のころ。
父親が仕事に出かけ、ソウスケと母親が二人で過ごしているときのことだ。
母親が湯船につかっていたとき、リビングでくつろぐソウスケは思った。

「人がお風呂に入っているとき、ドライヤーを入れたら死ぬって聞いたけど、本当かなあ」

その“実験”を終えた時、ソウスケが最初に思ったことは「あ、先にお風呂入っておけばよかった」だった。
帰ってきた父親は、当然嘆き悲しんだ。のほほんとするソウスケに憎しみを向け、ソウスケを殺して己も死なんと、包丁を持ち出した。
ソウスケは、「殺されるのは困るなあ」と思った。
包丁を奪い取り、父親の首を掻き切った時も、ソウスケに大した感慨は生まれなかった。
強盗殺人を偽装し、親戚の家に引き取られても、「あんまり考え無しに人を殺すのはかなり困る」ことを教訓とした程度だった。

その後は、表面上大人しかった。
ソウスケが大学に進学するまでの間に、ソウスケに不信感を抱いた何人かの人間が行方不明になったり、自然死をしたことがあったが、それらとソウスケを関連付ける人は誰もいなかった。
そして、大学卒業。大企業への就職を決めたソウスケは、「しがらみが増えて面倒くさくなった」と言う理由で、自らの死を偽装した。

その後は、幾度も名を変え、幾度も姿を変え、ふらふらといくつかの国を渡り歩く。
その内、足取りは全くつかめなくなった。



きみを守る理由


「ってところまでが、僕がニュースサイトに投稿した内容。それから日本にたどり着いたのが、大体4年ほど前のことだったかな」
「……思ったより全然同情できなかった」

アタシは、ソウスケが投稿した記事を読み終えて、頭を抱えた。
2回戦が終わった次の日の朝、起きて早々にソウスケから「投稿しといたから」と言われ、ソウスケの補足を受けながら、ネットニュースを読んだ。
起き抜けに読む内容ではなかった。
内容があまりにもひどくて、どうしようかと思った。

「お、意外な第一声。もうちょっと怖がるかと思った」
「怖いっていうか、胸糞が悪い。警察呼んでいい?」
「待って待って。ちゃんと、コトミに言われた後は人を殺さないようにしてるんだよ」
「ちゃんと、じゃねえよ。人を殺さないんだよ。普通は」
「あー、普通ってレッテルはりました。コトミ、はりました」

言い方はすごくムカつくけど、レッテルを貼っているのはその通りだ。

「……それは、確かにごめん。アタシがされて、一番嫌なことをしたね。謝るよ」

元々、ソウスケが碌な人生を送ってきていないことは、想像していた。
別に、過去の行いを責めたくて話を聞いたわけではない。
アタシが、ソウスケを知りたいと思ったから聞いているのだ。そして、ソウスケはそれに答えてくれているのだから、非難する方が失礼だろう。

「あ、そんなしっかり謝らなくても」
「は?」
「遊びたかっただけで」
「は?」

コイツは、いちいち人をおちょくらないと気がすまないのだろうか。

「まあ、アンタの過去は理解できた。それはいいんだけど、記事にして投稿した意図が分からない。またバズってんじゃん」
「いやほら、コトミが抜けると同時に、“AGAIN”も解散するじゃない。そしたら、僕もそろそろ名前と姿を変えようかと思って。仙道ソウスケと言う名前に未練はないし、どうせならすごくヤバいやつだって演出をした方が、次の対戦相手が無用に警戒心を上げてくれるかなって思ってさ」
「演出ってことは、この記事は嘘なの」
「だったらどう思う?」
「ぶん殴る」
「冗談だよ。大体本当。誇張はしてるけど」

アタシはため息をつく。

「いや、僕も反省しているんだよ。特に両親については、あのタイミングで殺すべきじゃなかった。一時の興味で、取り返しのつかないことをしたと思うよ。子どもだったね」
「……うん。OK。わかった」

問題視しているのがタイミングと言うのが、実にソウスケらしい。
こうして話を聞いて、よくわかった。ソウスケもアタシも、同じ犯罪者には違いない。だけど、その根本は全く違う。
ソウスケは、そもそも善悪が何かをわかっていない。
楽しいか、楽しくないか。面倒か、面倒じゃないか。そういった判断の物差しに、倫理や道徳がないのだ。
コイツに、人並みの倫理観を望むのは無意味だ。

「そんなアンタが、なんでアタシの……ために……動こうと思ったの」

そこが、アタシにとっては本題だ。
自分で言ってて気恥ずかしくなるが、避けられない話だろう。
今までの話を聞いていて、コイツが人のために動くという理由がわからない。

「そうだね。日本に来てから強盗団を組織していたんだけど、強盗に入る家を探す目的で、パソコン教室の講師になったことがあるんだ。その時に、英エイジさんと出会ったんだよ」

その名前は、全く予想だにしないものだった。

「おじいちゃん? アンタ、おじいちゃんのこと知ってたの?」
「うん。コトミの魔人能力のこととかも、エイジさんから聞いたんだ。だから、コトミを探すことができたんだよ」

アタシの脳裏に、最悪の想像がよぎった。

「ひょっとして、おじいちゃんが死んだのって……」
「違う違う。エイジさんは病死だよ。脳卒中」
「いや、それも何で知ってんだよ」
「この話をしたら、コトミに絶対疑われると思ってたから、先に調べておいたんだ。なんなら、死亡診断書も見せようか」
「用意が良すぎて気持ち悪い。逆に疑……いや、まあいいや。やってないのね」
「神に誓って」
「そういうことを言うから疑っちゃうんだって……」

いけないいけない。
アタシは今、完全にソウスケがおじいちゃんを殺したと思いこんだ。
ソウスケは嘘をつかないと約束したし、アタシはソウスケの話を聞くと決めたのだ。
約束したのだから、まずは信じるべきだろう。
しかし、なんで行動の一つ一つが、こんなに胡散臭いんだ、コイツ。

「……おじいちゃんとは、どんな話をしていたの」
「エイジさんは、僕に会うたびに“いつでも笑顔で偉いね”って言ってくれたよ」

ソウスケは、既に上がっている口角を両手の指で押し上げ、ニコッと笑って見せる。

「”偉い”っていうのは、僕が笑顔を作っていることが分からないと出てこない言葉だろう。僕はこれまで、“楽しそう”と言われたことはあっても、“偉いね”と言われたことはなかった。エイジさんは、僕が本気で笑っていないことを見破った、初めての人だったんだ。それで、興味を持ったんだよね」

おじいちゃんらしい話だ。
おじいちゃんは、他人の本心を読む。なにか能力があるわけではなく、人を良く見て、察するのが得意な人だった。

「エイジさんは、いつも誰かを気遣っていた。無理をしている人には、無理しなくていいんだよ。がんばる人には、すごいね。傷ついている人には、辛かったね。そういうことが、本心から言える人だった。エイジさんが誰かを怒るところを、一度も見たことが無かったよ」

ソウスケは、いつになく優しい語り口で語る。
その言葉の中に、まぎれもなくアタシの大好きなおじいちゃんの存在を感じた。

「ソウスケは、おじいちゃんが好きだったの」
「そうだね。エイジさんのそばにいるのは、離れがたかった。心地よかったんだ。亡くなった時は、本当に残念だったよ」

ソウスケの顔は、変わらない。いつもならば、胡散臭いと思う顔だ。
でも、ソウスケの言葉を信じると決めたからだろうか。
その顔はどこか、寂しそうに見えた。

「エイジさんが亡くなった後、なんとなく強盗はやりたくなかった。もう少しマシな生き方をしてみたくなってね。当時の組織は全部放り捨てて、とりあえず人を傷つけない生き方をしようと思った」
「アタシに声をかけたのは、なんでなの」
「エイジさんが亡くなった後も英家の情報は仕入れていたから、コトミが家出して非合法のバイトで食いつないでいるって聞いたとき、丁度いいと思ったんだ。コトミの能力は詐欺にはうってつけだったし、変なバイトを渡り歩くよりは安定して生活できる場所を与えた方が、エイジさんのためになるかなって」

その言い方に、アタシは違和感を覚えた。

「思ったって、過去形なの」
「うん。コトミと出会って、君と言う人を知ってわかった。コトミは、こっちにいるべき人間じゃないよ」

その言葉に、アタシはなぜか妙に動揺してしまった。

「コトミは、エイジさんとよく似ている。価値観に捉われず、人をあるがまま見ることができる。自分の意見をしっかり持っているし、間違ったときは素直に認めることもできる。なにより、僕はコトミのそばにいるのが心地いいんだ」

アタシは居心地が悪い。
それがあってるかは別として、他人からこんな直球で褒められるなんて事はなかなかないだろう。
ちょっと気恥ずかしくなる。

「コトミが生きづらいと思っているのは、折り合いをうまくつけられていないだけだよ。自分を出せる環境さえ整えば、絶対に受け入れてくれる場所がある。だから僕は、コトミを陽の当たる世界に戻したい。そのためなら、なんだってするよ」

やっぱり、ソウスケの顔は変わらない。でも、そこから受ける印象は違う。
アタシが、ソウスケの笑顔を気持ち悪いと思っていたのは、本心がわからなかったからだ。
ソウスケを信じると決めただけで、ソウスケがこれほど力強く、安心する言葉をかけてくれていたことに気が付いた。
だから今は、底が見えない笑顔も、少しだけ気持ち悪くない。

(アタシ、ソウスケのことを全然わかってなかったんだな)

2年間、誰よりもソウスケのそばにいたという自負があった。
でも、アタシが見ていたのは、気軽に人を殺すとか、目的を必ず達成するとか、頭が良く回るとか、そういう表面的なことだけだ。
今までちゃんとソウスケに向き合おうとはしていなかった。

今、アタシがソウスケに言うべき言葉は、一つしか浮かばない。

「ありがとう。ソウスケ」
「your welcome.」

ソウスケは、ウインクをして答えた。
こう言うところは、やっぱり気持ち悪いと思った。



心の中の日溜まり


12年ほど前のことだ。
まだ小学校に上がったばかりのアタシは、日溜まりが入る和室で、大好きなおじいちゃんと二人だった。

「ねえ、おじいちゃん。見てて」

アタシが、思い切り側転をする。お母さんには「女の子らしい格好を」とフリフリのワンピースを着せられていたが、パンツが見えることも気にせず、ドタバタと飛びまわっていた。
おじいちゃんは、パチパチと手を叩いた。

「ちゃんと見たよ。手を着いて回れるなんて、コトミはすごいね」
「えへへー。お母さんには内緒だよ」
「そうかい。お母さんも喜んでくれるんじゃないかな」
「ダメだよ。女の子らしくしなさいっていわれちゃう。コトミは青いランドセルが良かったのに、お母さんは赤いの買っちゃったし。でも……赤いの、捨てちゃった。あれは良くなかった。せっかく買ってくれたのに、ごめんだった」
「コトミは偉いね。ちゃんと謝れるのは、すごいことだと思うよ」

アタシは、おじいちゃんに褒めてもらえたことがうれしくて、膝の上に飛び乗るように座った。
おじいちゃんは後ろからアタシを抱きしめてくれる。
その時に感じる微かなお線香と畳の香りは、居心地が良くて離れがたかった。

「コトミね、今日のテスト、クラスで一番だったんだよ。宿題も、もう終わらせちゃったんだよ」
「それはすごいね。コトミは、自分がやらなきゃいけないことをわかってるんだねえ」
「やりたいことがあったら、やるべきことをやってから、だもんね」
「おじいちゃんが話したこと、覚えててくれたんだね。うれしいなあ。ありがとう」
「コトミ、いい子でしょ」

いい子だと、周りの人は褒めてくれる。それはわかっていた。
アタシがやりたいことに妥協はできないけれど、そうじゃないところで頑張っていれば、周りの人はアタシのことを認めてくれると思っていたのだ。
でも、おじいちゃんは困ったような顔で、アタシの頭を撫でた。

「コトミはいい子だよ。でも、みんなが望むいい子でいなくても、おじいちゃんは大好きだよ。コトミは、コトミだからね」

その言葉があまりにも嬉しくて、アタシは少し泣いてしまった。
おじいちゃんと話していると、アタシの心の中が、干したてのお布団みたいにポカポカしてくるのだ。

「コトミ、ただいま。お義父さん、いつもありがとうございます」

お母さんが、和室の襖を開ける。

「お母さん!」

アタシは、お母さんに飛びついた。
お母さんはアタシを怒ることもある。それはとても怖いけど、いつもはニコニコ優しくて、アタシに美味しいご飯を作ってくれる。
だから、アタシはお母さんが大好きだ。

「ねえねえ、お母さん。あのね」

それはアタシにとって、とても勇気のいる一言だったのだと思う。

「今日アタシね、側転できたんだよ!」
「あら、そうなの。すごいわね」

その一言で、アタシがどれほど救われたかわからない。
お母さんは、そんな女の子らしくない事するんじゃない、と言うと思った。だけど、褒めてくれた。
お母さんに、アタシはアタシでいいんだよと言ってもらえた気がしたのだ。
だけど、その気持ちはすぐに消し飛んでしまった。

「ほらほら、それより、変な体勢でしがみついてるから、パンツ出てるわよ。女の子なんだから、ちゃんとしなさい」

アタシは、なんだかとてもがっかりしてしまった。
だから、こんなことを言ってしまったのだろう。

「女の子じゃないもん。コトミだもん」
「なによ、それ。また変なこと言って」

お母さんは軽く笑って、その話は終わった。
それがあまりにもショックで、その日は一日ずっと沈んでいた。
お父さんにとっても、お母さんにとっても、アタシが【コトミ】であることと【女の子】であることは、同じことだった。
アタシは、【コトミ】でさえあればよかったのに。

別に、これがきっかけってわけではない。
でも、お父さんやお母さんといると、こういう小さな絶望が積み重なっていった。
だからアタシの居場所は、おじいちゃんがいる和室の日溜まりだけだった。



Who will save the iniquitous?




兵は拙速を尊ぶ


悪逆非道(えっぐ)! 権謀術数(えっぐ)! 爺や、この二人とエンカとかどう考えてもマジぱおんなんですけど!」
「これまでの戦いを見る限り、直接戦闘であれば与しやすい相手です。ですが、底が知れない」
「それな~」

都内のマンションの一室、興信所「ぱりなリサーチ事務所」の事務所にて、女子高生忍者所長、不忍池ぱりなは、ソファーの上で食い入るように“AGAIN”の戦闘動画を見ていた。
ぱりなに仕える老忍者、白烏はその傍で隠者のように立つ。

「爺やが情報収集できない相手とかマジ 萎縮震慄(さげみざわ)…。バリやばっしょ」
「面目ありません」
「んーん。チャケバ、ここは相手を褒めるべきっしょ」

ぱりなリサーチ事務所による、仙道ソウスケの情報収集は難航を極めた。
これまでの経歴、所在、ネットミームに至るまで、余りにも多くの情報が氾濫しているからだ。
それも、そのほとんどが真実かと思わせるほど確度の高い情報である。当然、仙道ソウスケがばらまいたと考えて良い。
忍軍の手のもの(じむしょいん)を総動員したとて、その全ての真偽を大会期間中に見定めることは難しい。

「ただ、英コトミの情報はまとまりました。2年前まで、表の世界で生きていた少女ですから。ここまでは、仙道ソウスケの情報かく乱も及ばなかったようです」

白烏は英コトミの資料を出す。

「あざまる、爺や。おー、コトぴょん、(あーし)とタメじゃん。しかもピープス女子じゃん! 一緒におしゃピクしたいやつ! タメ友になれるかなー! うへあ、コトぴょんのお家、パパ上は経営者で、ママ上はお琴の先生。前も思ったけど、衣冠盛事(レベチ)過ぎて盛りスペックじゃん? こりゃ舟中敵国(ギスる)わ……」
「例えば、英コトミの父母を人質に取ることで、降参を促すことはできましょうな」
「……爺や、それガチばな?」
「忍者ジョークにございます」

それは、かつての不忍池忍軍であれば、常套手段であっただろう。
だが、今のぱりなたちは、忍びの里働き方改革と言う大義の為、この戦いに挑んでいる。
大義は、非道により汚れ、消えていく。ぱりなたちが掲げる大義は、クリーンな戦いによってのみ輝くのだ。

「だから、大会の映像から対策を立てるしかないんだけど。んー、隙が無さすぎてマジテンサゲ…」

英コトミの能力は物体等を受け取る能力。契約や人体も可能だが、恐らく大きさの限界がある。その場所に持ち込めるもの、と言ったところだろうか。また、魔人能力などの概念も不可能と考えられる。
仙道ソウスケは、携帯電話の作成能力。最小でも、3~4個は同時に作成が可能。
直接戦闘能力は、二人とも決して高くはない。だが、仙道ソウスケは受けに回っていたとはいえ、名高い魔人狩りの一人、東海龍勝正の攻撃をしのぎ切っている。油断はできない。

とはいえ、直接戦闘ではぱりな達に遠く及ばないだろう。
結局のところ、“AGAIN”の強さは策の強さだ。

ぱりなは、テレビのスイッチを消して、うんと伸びをした。

剛毅果断(おけまる)! 拙速巧遅(チョッパヤエンカ)真向勝負(ドN)でキメッ☆ いくらそーにゃんがイミフでも、2対2なら勝利案件っしょ!」
「仙道ソウスケが吊りを始めたら、いかがいたしましょうか」
「したら、コトぴょんを狙う。そーにゃんには基本拱手傍観(UFO(うまくフェードアウト))してもろて。2対1のシチュ作って、そーにゃんの策が発動する前に、コトぴょん倒しちゃお☆」

妥当な戦法だと、白烏は頷く。
策を張り巡らせる相手に有効なのは、シンプルな暴力だ。
用意した全ての策を抱え落ちさせるような最速の行動こそが、“AGAIN”攻略の鍵であろう。
そして、忍びの機動力はそれを可能とする。

「うーっし! あとは(あーし)と爺やの連携強化(バイブスぶち上げ)して……」

ぱりなが立ち上がったその時、事務所の呼び鈴が鳴った。
白烏が、インターホンを覗き見る。

「どーも、“AGAIN”です。試合前に、親交を深めにきました」

そこにはひらひらとにこやかに手を振る仙道ソウスケと、一歩ひいた位置に不機嫌そうに立っている英コトミの姿があった。



同い年の女の子


白烏が、4つの湯飲みをテーブルに置いた。

「粗茶ですが、お口に合えば幸いです」
「やー、どうもどうも。突然の来訪すみません」

“AGAIN”の二人は、ぱりなに対面するように、来客用のテーブルに並んで座った。
ソウスケはソファに深く腰掛け、人懐っこい笑顔を見せながら出されたお茶を口につける。
一方コトミは、眉根を寄せ、所在なさげにきょろきょろと辺りを見回している。
ぱりなは、両手を大きく広げた。

「うんにゃ。大歓迎だよー。そーにゃんもコトぴょんも安閑恬静(チルって)ね」
「コ、コトぴょん? それ、アタシの事ですか?」
「そ。コトミだから、コトぴょん! ソウスケはそーにゃんね」
「わかったにゃん」
「おい、やめろ」

語尾ににゃんをつけてウインクするソウスケを、コトミが鋭く制した。
今にも殴り掛からん迫力に、ソウスケはそっと口を閉じる。

「あはは! 破顔一笑(じわる)。夫婦漫才か!」
「いや、マジで勘弁してください」

本気のコトミの訴えに、ぱりなが笑う。
なんとも関係性の掴みづらい二人だというのが、ぱりなの印象だった。

「それでそれで? 二人が来てくれたのが青天霹靂(ショッキングピーポーマックス)だし! どしたんー?」
「いやね、ぱりなリサーチ事務所さんのことをいろいろ調べていたんですけど、試合映像から見えるもの以上の情報が出てこないんですよ。流石に、情報統制はしっかりしていらっしゃる」
「それは、お互い様かも? 特にそーにゃん、確度の高い情報を撒きすぎて臥薪嘗胆(えぐいって)。どれがマジネタか、全然精査が追い付かんし!」
「なので、直接お会いした方が早いかな、と思ったんですよ。事務所の位置だけは特定できたので、こちらから伺うべきかと思いまして。お互いに、損はしないでしょう」
「あーね。そーにゃん巧遅拙速(フッ軽)~」
「あ、これ、お土産です」

そう言うと、コトミは緊張した面持ちで、ぱりなと白烏の前にお菓子の箱を出す。

「あー! それ? その類型(パティーン)!? 京王百貨店(ケイキング)の行列ができる映えケーキ! バイブスぶち上がるわ! 写メ撮ろっ☆」
「こないだ東京駅に行ったから、その時買ったんです」
「これはこれは、結構なものを。どれ、切り分けてまいりましょう」

白烏がソファから立ち上がり、受け取ったお菓子の箱を持って、事務所奥に備え付けられている台所へ引っ込んだ。
ぱりなはふと思い立ち、コトミに気さくに手を振る。

「てーか、コトぴょん敬語なしっしょ! (あーし)らタメだし、タメ語でいこ☆」
「……ごめん。こんなに歓迎されるとは思ってなかったから。どうしようかと」

ぱりなは得心する。
後日殺し合いをする相手に会いにいくという発想が、コトミには無かったのだろう。
コトミの緊張感をほぐすように、ぱりなはタバコを吸う動作を大げさにしてみせた。

「あ、コトぴょん確かタバコ吸うっけ? うちの事務所禁煙なんだけど、喫煙所は外出て左にあるから」
「いや、流石にお邪魔しに来てタバコは吸わないから、大丈夫。ありがとう」
「それ以前に、未成年でございますぞ」

台所にいる白烏が、振り返りもせずに鋭い言葉を投げた。
コトミはその言葉に居心地が悪くなったのか、尻ポケットに入っているシガレットケースを押し込む。はみでたストラップで、完全には入りきらないようだった。
ごまかすように、コトミは差し出されたお茶を両手で持ち、飲み込む。
その美しい所作に、ぱりなは思わず見惚れた。

「……え、なに?」
「やっばー☆ お茶の飲み方、めっちゃ芝蘭玉樹(えっぐ)! 稽古事やってたん?」
「いや、親がうるさかったから。染みついているだけだよ」
「ふ~ん……。あ! その、シガレットケースについているストラップ、ひょっとしてメンクマちゃん?」
「え、マジ? わかるの」

コトミの少し不機嫌そうな表情に、珍しく明るい色が差す。
コトミが、先ほど尻ポケットに押し込んだシガレットケースを取り出した。
ちゃりちゃりと音を出すのは、メランコリック・メロウズというガールズロックバンドのマスコットキャラクター、メンクマちゃん。
パンクファッションにタバコを持っているクマのキャラクターで、絆創膏とリスカ痕が特徴だ。
キモカワで有名で、カラーバリエーションは多い。

「生類わかりみの令~! (あーし)もメラメロ好き! 青いのゲトったよ!」
「これ、アタシが初めて行ったライブの物販で買ったんだ。両親に内緒で、おじいちゃんに連れてってもらってさ。確か、4年前のツアーだったと思うんだけど」
(あーし)は、キモカワで気に入ったから密林(AMAZON)で買ったの。そろそろ、色違いも欲しいなーって思ってるんだけど」
「あ、アタシが使ってるのでよかったら、黒いヤツいる? 自分で買った奴なんだけど、着ける場所ないから余っちゃってさ」
「え、いいの! 嬉しい!」

ぱりなの声が弾んだ。コトミのそばに移動して、コトミが取り出した黒色のメンクマちゃんを受け取る。
ぱりなは通信制学校に通う、なんちゃってギャルだ。同級生もほとんどが働きながら勉強に勤しむ年上で、同年代の友達は皆無に等しい。
同い年の女子で、微妙に流行から外れた共通の趣味がある。
こんなの、楽しくないわけがない。
ソウスケが、コトミを見つめた。

「ねえねえコトミ、僕もそれほしいんだけど」
「アンタにはあげない。そもそもメラメロに興味ないでしょ」
「いや、もう今。物凄く興味がわいてきたよ」
「黙れ」
「そーにゃん、テキトー過ぎてマジウケる! きゃ~ん、かあいい! ありがとうコトぴょん!」
「ホッホッホ。お嬢様、よかったですな」

白烏が、先ほどコトミが渡したお菓子を机に置いた。
ぱりなが写メを取ろうとデコスマホをだした瞬間、ソウスケが切り分けられたお菓子を口に含む。

「……ちょっと、そーにゃん?」
「いや、ソウスケ! 贈り物に最初に手を付けるんじゃないよ! はしたない!」
「おや、食べないんですか? お菓子は苦手? ぱりなさんの分も僕が食べたほうがよろしいですか」
「ああ、もう……」
「あはは、そーにゃんマジ狂悖暴戻(あたおか)~」

ぱりなは怒るでもなくお菓子を口に運ぶ。特に揉めることもなく、コトミはほっと息を吐いた。
ソウスケが再びお茶を口に含むと、立ち上がる。

「まあ、今日は本当にご挨拶だけですよ。僕たちは争うけれども、憎み合う必要はない。正々堂々、フェアに戦いましょう」

ソウスケが、左手を差し出した。
ぱりなは一瞬間をおいて、その手を取る。

「パないね~! こんなに信用できない言葉も、なかなか聞けないし」
「なんか、ごめん。こんな奴で」
「コトぴょんー! そーにゃんが畏怖嫌厭(ウーロン茶)なら、いつでも来てね! (あーし)ら、もうメラ友なんだし! 絶対守るよ! いつでも大歓迎☆」

ぱりなが、コトミに抱き着く。
ソウスケの視線を感じたぱりなが、じろりと睨み付けた。

「そんなじっくり見られても、コトぴょんに盗聴器なんてしかけてないっつーの!」
「はは、そんなこと疑いませんよ。そういう発想ができる時点で、あなたの方が悪辣ですよね」
「アンタたち、相性最悪っぽいね……」

コトミとソウスケは、残ったお茶を飲み干し、事務所を後にした。
コトミはぱりなから「次はライブ行って、カフェ行ったりしようず☆」という熱烈なラブコールを受け、連絡先を交換した。
事務所は、ぱりなと白烏の二人になった。

「爺や。あった?」
「ここに」

白烏の手の中にあるのは、盗聴器だ。
コトミが差し出したお菓子の箱に、仕掛けられていた。
わざわざ捨てられるものに盗聴器を仕掛けた方が、発覚しづらいことをよくわかっている。
既に、試合前日だ。今日この後の盗聴だけで、十分と判断したのだろう。

「恐らく、英コトミは知らなかったのでしょう。盗聴器を仕掛けているような、妙な緊張はありませんでした」
「……そーにゃん、卑怯千万(マジ卍)。テンサゲだわ~」

ぱりなは、盗聴器を握りつぶす。
そのまま、ソファの上にダイブした。

「お嬢様、スカートですぞ」
「いーじゃん。爺やしかいないし。で、どう思った?」
「そうですね。仙道ソウスケと英コトミは、非常にバランスが悪い。なぜあの関係性が成り立っているのか、理解ができません」
当意即妙(それな)! コトぴょん、めっちゃ良い子だったじゃんね。やっぱ、そーにゃんに騙されてるのかな」

前回の試合で、ソウスケはコトミの為に行動していると言っていた。
だが、それが全てとは、ぱりなには思えなかった。

「ぱりな様。念のために申し上げておきますが」
「おけり。情は侮りに通ず、でしょ。今更、手加減なんかしないって」

ぱりなは仰向けのまま、コトミからもらったメンクマちゃんのストラップを、しばらくの間見つめていた。

白烏の不安はぬぐえない。
そもそも、ぱりなの大義と忍びの生き方は相いれない。
その歪みが、いつか致命傷になると、白烏は予想している。
願わくは、それが今回の戦いでないことを祈る。



大義のために戦うならば


「あ、壊された」

ぱりなリサーチ事務所からの帰り道。
往来を歩きながら、ソウスケが呟いた。

「ん? なんか言った」
「いや、なんでもないよ。さて、コトミから見てぱりなリサーチ事務所はどうだった」
「うーん……。ただの印象しか言えないけど、いい?」
「No problem.コトミの勘を、僕は信頼しているんだよ」

コイツを信じると決めてから、アタシをいちいち褒めるのが、物凄く気になっている。
恥ずかしいのでやめてほしい。

「白烏は、よくわからなかった。言い方悪いけど、人間っぽくないっていうか。人形みたいな冷たさがあった。ぱりなの方は、穏やかだったかな。あと、すごく良いやつだと思う。なんとなく、影はあるけど。……こんなんで、参考になる?」
「うん。さすがコトミ。おかげで、確信が持てた」

ソウスケは、ついさっき買ったたい焼きを差し出してくる。
アタシは、片手を上げて断った。
さっきお菓子を食べたばかりなのに、意外とよく食べる奴なんだな。そんなことに今更気づいたのが、少しおかしかった。

「次の戦い、ぱりなリサーチ事務所に搦め手はない。恐らく、開始早々に真っ向からくるだろう」
「ぱりながいいやつだから、正々堂々くるってこと?」
「まあ、簡単に言えばそうだね」
「でも、忍者って作戦立ててくるイメージがあるけど」
「そうだね。当然、試合開始後の戦術は練ってくるだろう。でも、僕がやったみたいに、人質を取ったり、開始前に爆弾を仕掛けるような、場外戦はしないはずだ」

まあ、そんなことをする奴が何人もいては困る。
でも、ソウスケがなぜそう断言できるのか。なぜそこを、わざわざ敵陣に出向いてまで確認する必要があるのかは、少し気になった。
そんなアタシの思惑を察したのか、聞いてもいないのにソウスケは喋り出す。

「まず、ぱりなはとても優秀な忍だ。あの年齢で、ほぼ完成している。潜在能力に関しては、白烏以上じゃないかな。だからこそ、“人がいい”というのはとてもアンバランスな事だ。忍は、滅私こそが肝要だからね。彼女は、わざわざ忍としての“完成”を崩して、人間性を取り戻している」
「まるで、忍者が人間じゃないみたいな言い方だね」
「完成した忍は、主君の命令を実行するだけの、意思のない怪物と変わらないよ。ぱりながそこに至るのは、並大抵のことではなかったはずだ。そこから人間性を取り戻すことも、同様にね」

ぱりなの人懐っこい笑顔を思い浮かべる。
ソウスケの話が本当だとしたら、彼女は壮絶な過去を背負っているということだ。
自分と同い年の女の子にそんな過去があるということが、なんだか信じられなかった。

「ま、その辺は大した問題じゃない。僕らにとって重要なのは、ぱりなが多くの犠牲を払って、今の人間性を獲得している。すなわち、彼女が真実から“いい人間”だということだ。だから、彼女は搦め手を使えない。忍者業界の脱ブラック化と言う大義を掲げる彼女が、卑怯な手を使う事はダブルスタンダードを生む。それを、“いい人間”である彼女は許容しないだろうからね」
「なんか、わからないな。アイツらが卑怯な手を使わないことはわかったけど、それってそこまで重要なことなの?」
「重要なのさ。次の試合で狙われるのは、まず間違いなくコトミだろうからね」
「え、アタシ」

突然自分の名前が出て、素っ頓狂な声を出してしまった。

「前回の試合で、コトミは僕を受け取っただろう。つまり、コトミが無事なら僕らはいつでも合流できるということが、周りに知られてしまった。だから、僕を追い詰める意義が薄くなってしまったんだ」
「ああ、なるほど。それはわかった。でも、それと卑怯な手はどう関係があるのさ」
「一番困るのは、コトミの家族を人質に取られることだった」

アタシは、一瞬息を飲んだ。

「僕と違って、コトミの情報は抜けているからね。ぱりながその気になれば、そういう手も取れてしまうんだ」
「……別に、アタシはお父さんやお母さんが人質に取られたって、困らないよ」
「いや、そんなことはないと思うよ。例えば、試合開始直後に父親の生首と母親の指を見せられたら、動揺はするでしょ」

眩暈がした。
アタシのちょっとした虚勢を、ぐちゃぐちゃに叩き潰すような邪悪な発想だ。

「まあ、そういうことはないだろうから安心だね、って話さ。ただ、僕たちもぱりなに抑えられている以上、事前の準備はできない。本当に、正々堂々フェアな勝負になるよ」

ソウスケは、指をパチンと鳴らした。何を得意気にしているのか。
でも、正直気が楽だ。
ぱりな相手に、あまり卑怯な真似はしたくない。

「相手の戦力としては、物凄くバランスがいい。近距離の体術はどちらも得意だし、遠中距離は不可視の手裏剣がある。連携にも隙が無い。まともに戦ったら、とても勝てない相手だよ」
「なんか、前回も同じようなこと言ってなかった」
「トレエが厄介だったのは、相性の問題さ。今回は、純粋な地力の問題。策でカバーできる範囲を超えているんだ」
「なるほど」
「隙があるとすれば、超長距離だ。ぱりなが投げているのは、手の振りなどから察するに、恐らく手裏剣。そこまで遠くには放てないだろう。だから、とにかく距離を取る。直線の射線は作らないようにして、逃げながらトラップ地帯を作る形になるかな」

つまるところ、とにかく逃げまくって、トラップを仕掛けまくるということらしい。

「どこがフェアなんだよ」

アタシは、ソウスケにツッコミを入れた。
ぱりなの笑顔を思い浮かべて、ほんの少しだけ気が重くなった。



あなたを守る理由


ぱりなが生まれてから、6年後。
今から12年前のことだ。

夜の森には、ざあざあと雨が降っていた。

地に伏せた守破離衛に、容赦なく雨粒は注ぐ。
6歳のぱりなは、父のそばで茫然と立ち尽くしていた。
二人を、白烏は見下ろしている。

「何故一言、着いてこいと言ってもらえなかったのですか」

白烏は呟く。
ぱりなの存在が、不忍池忍軍の首脳陣に知られたのは、つい最近のことだ。
首脳陣は、意図してぱりなに忍者の存在を教え、何も知らない一般人として生きていく自由を奪った。
そして守破離衛に、ぱりなを忍者とするか、殺すか選べと迫ったのだ。
守破離衛はどちらも選ばず、ぱりなを連れて忍軍を抜けようとした。
その追手として差し向けられたのが、最強の追い忍と謳われる白烏だった。

「すまぬ。俺のわがままだ。お前ほど里に尽くした人間を、追われる側になどさせたくなかった」

守破離衛は、息も絶え絶えになりながら、言葉を紡ぐ。

「ぱりなを、頼む」

それきり、守破離衛は動かなくなった。  
ぱりなは、静かに泣いていた。聡い子だ。自らのせいで、父親が死んだと考えているのだろう。
白烏は、ぱりなに向かって跪いた。

「父君を殺したのは私です」

ぱりなの目には、光がない。

「私に復讐するならば、忍者となりなさい。私が、貴女に教えます。貴女は、私から得た技術で、私を殺しなさい」

彼女を里の首脳陣に引き渡せば、非人道的な扱いを受けることは想像に難くない。
ならば、自分の下で彼女を鍛え上げる事が、彼女を守ることに繋がるのだと。
白烏は、そう思ったのだ。

それから時は流れ、ぱりなは白烏への憎しみを糧に強くなった。
不可視の玻璃那姫と恐れられ、もはやその名を知らぬものはいなくなった。
それは、憎悪の剣だ。間違った道だ。
だが、白烏にはそんなやり方でしか、ぱりなを守ることはできなかった。

どこで間違ってしまったのだろうかと、白烏は悔悟する。
それは、未だに白烏の体を動かす、原動力となっている。



戦闘開始


反転する。逆転する。鏡鳴する。鏡感する。
そこは、全てが逆さまの世界。

アタシは、看板に書かれた鏡文字を読む。
それは、富士の裾野に所在する。約50万平方メートルの敷地内に、多くの絶叫マシンを有する遊園地。
富士急ハイランドパークが、今回の戦闘場所だ。

「全然、都内じゃないじゃん」
「多分、僕が前回試合場を特定して、爆弾を仕掛けたからだと思うよ。運営としては、これ以上テロ行為をされたらたまったもんじゃないだろうしね」
「そっか。アタシたち、完全に運営に危険人物としてマークされてるんだね……」
「はは、身に余る評価だね」

ソウスケはスマートフォンを操作する。
アタシに渡されているスマホが、通知音を響かせる。確認すると、ソウスケから富士急ハイランドの園内マップが送られてきた。
しっかり左右反転しているあたり、富士急が試合場になる可能性は見越していたのだろう。
本当に、どこまで先読みをしているのか。

「さて、手早く動こう。相手に見つかれば、速攻が来るだろうからね。なるべく遮蔽物に身を隠しながら……」

ソウスケが、一点を見つめて止まる。
視線の先を追うと、遠くにそびえ立つフリーフォール型アトラクションの頭頂部に、蠢く影を見つけた。
よく見ると、それが白烏であることが分かった。索敵のため、高所を取ったのであろう。それにしても、驚くべき速さだ。

「コトミ、急いでここを離れよう。大丈夫。逃げる算段は付いている」

相手が機動力、索敵力に優れていることなど、承知の上だ。
であれば、この展開もソウスケは予想しているだろう。
ソウスケは、予想できる事への対策を怠らない。そこに関しては、信頼できる。
急いで歩を進めようとしたその時。

風切り音が聞こえた。
ソウスケが、アタシの体を強く押す。
アタシは、たたらを踏んでなんとか体勢を保ち、ソウスケを振り向いた。

「いきなり、なにす……!」

ザク、と鈍い音が聞こえると同時に、ソウスケの右足の先が削り飛んだ。
鮮血が迸り、アスファルトに飛び散る。
ソウスケの顔が、苦痛に歪んだ。

「ソ……!」
「ダメだ! 走るんだ!」

突然のことに理解が追い付かないアタシを、押し出すように走らせる。
さっきまでアタシたちがいたところから、キン、と甲高い金属音がした。
見えない斬撃。これは、ぱりなの能力だ。
だが、ぱりなの姿はどこにも見えない。

「ぱりなは、どこから撃ってきてるの」
「恐らく、曲射だ。白烏に座標を送らせて、超長距離から見えない手裏剣を連射しているんだろう。クソ。可能性は考えていたけど、ここまで正確な射撃ができるとは思わなかった」

一回戦、ぱりなはほとんど戦闘に参加しなかった。
二回戦、舞台は狭い屋内だった。
だから、アタシ達は、ぱりながこれほどの遠距離狙撃能力を持っているなど、知りようがなかった。
いくらソウスケでも、分からないものは防げない。

「これだから、情報が取れないのは困るよ」

脚を引きずりながら、ソウスケがひとりごちた。
アタシたちは、近くのインフォメーションセンターの影に隠れた。



猛追


『報告。対象甲の亥(仙道ソウスケの脚)に一本。対象乙(英コトミ)と共に乾亥へ移動』
委細承知(かしこまり)ッ☆ エンカ初見ヒットとか天佑神助(よいちょまる)!  やーっと(あーし)の能力がハマってくれた感じだわー!」

ぱりな達の開始位置は、第二入園口前の広場だ。白烏が上ったアトラクションの、すぐ下に当たる。
ソウスケとコトミからは、直線距離で約250メートル程度離れている。
通常、手裏剣の射程距離は、6~10メートルほどだ。250メートル先に、それも曲射で当てるのは、尋常ではない。
流石に百発百中とはいかないが、文句なしの神業だ。
だが、ぱりな本人は、のほほんとしたものである。

「あーあ。せーっかく富士急来たのに、遊ぶ暇もないとかないわー。ぴえんだわー。コトぴょんと一緒にタピったり、映える場所でバイスト撮ったり、ジェットコースター乗ったり……」
『放下行ですか』
「修行じゃないっつーの!」

ぱりなは話しながらも、白烏の指定する座標に手裏に秘するがしのぶの華よ(シノブレード)を連射しつつ、“AGAIN”のいる方向に移動している。
このまま遠距離攻撃で削りつつ、白烏と合流後に、近接戦闘でとどめを刺す。

『報告。双、インフォメーションセンターの影から出て、更に乾亥。高さのある建物に入ります』
「おけおけ! このまま、たたみかけるやつ!」
『了解……』

白烏の言葉が止まった。

「爺や、どしたん?」
『報告。乙、艮寅、高速移動』
「そマ?」

同時に、轟音が響いた。
ソウスケとコトミが隠れた建物から、ジェットコースターが射出された。
それは、発射1.56秒で時速180kmにまで達する、世界最高の加速度を誇るジェットコースターだ。
その上に、顔をひきつらせたコトミだけが乗っている。
いくらぱりなの腕前と言えど、この速さの標的を狙うのは不可能だ。

「やっば! やっばー! (あーし)も乗りたーい!」
『仙道ソウスケは、アトラクションの動かし方も把握していたのですね』

コースターが、レーン上の大きくターンする部分に差し掛かる。
若干減速したその時に、コトミがコースターから落下した。

「ギャアアアア!!」

コトミが悲鳴を上げる。
減速したとはいえ、コースターはこの後、世界最大級のループを上り切るほどの速度があるのだ。
そんなところから飛び降りるのは、常人であれば当然恐怖でしかないだろう。
高速で地面に叩きつけられる直前、大きなクッションマットが複数枚出現し、コトミの体を受け止めた。

「コトぴょんの能力だよね? それにしても、随分危ない橋を渡るし」
『それだけ、追い詰められているということでしょう』
「爺や、コトぴょんの位置も把握できる? 角度的に、(あーし)からは見えないんだけど」
『もちろんです』
「よーっし、んじゃ(あーし)は試合前の打ち合わせ通り、疾風迅雷(ガンダ)でコトぴょんと接敵(エンカ)してこよっかな! 爺やはそのまま、そーにゃんとコトぴょんの見張りよろ~☆」
『了解しました』

ぱりなは、単独でコトミの降下地点に向かう。
どのような策を持っていたとしても、一対一ならば負けはない。
ここは、間を与えずに押し切る場面だ。

『報告。乙、巽巳』
「ってことは、迷宮!」

迷宮と呼ばれるそこは、いわゆるお化け屋敷である。
参加者の声が外に漏れないようにするためか、外壁は分厚い。外からの射撃は望めないだろう。
また、中は迷路のように複雑になっているので、隠れながら迎え撃つには最適の構造だ。

「でも、中で闘うなら、有利なのはこっちだかんね」

忍びは、隠密でこそ真の力を発揮する。
隠れ忍ぶ場所が多ければ、当然有利なのはぱりな達の方だ。
苦肉の策というには、お粗末な展開である。

(そーにゃんが、その程度の男とは思わないけどね)

コトミが、正面入り口から迷宮の中に入る。
このタイミングならば、中で隠れる暇もない。
ぱりなが続き、勢いよく飛び込もうとした。
そこには、遊園地に似つかわしくない、重厚な機関砲があった。



籠城


アタシは、“印鑑不要の現実(インダストリアル)”で“受け取った”機関砲を、入口に向かって乱射する。

「あっぶ!!」

ぱりなはエントランスに入る直前、叫びと共に床を蹴り、真上に飛んだ。
放った弾丸は、全て空気だけを斬り裂いた。
一息つく間もなく、アタシは次の行動に移る。

「受け取るッ!」

ジェットコースターの機械室で操作をしていたソウスケが、アタシの目の前に現れる。
ソウスケの右足は、ぱりなによる手裏剣の投擲で、足の中心から先がなくなっている。
アタシは、思わず目を逸らしそうになった。

「ソウスケ、速く手当てを」
「いや、それより先にやることがある。コトミ、B4を一つ、M8を二つお願い」
「……わかった」

一瞬迷うが、ソウスケの指示通り、物を受け取る。
出てきたのは、手榴弾が一つと、ガスマスクが二つ。
ソウスケは手榴弾を手に取ると、入口扉とは反対側にある、アトラクション内に続く通路に放り投げた。
爆発音とともに、通路が崩落する。
これで、このエントランスへの出入口は、機関砲が狙いをつけている正面入口と、中から施錠ができる従業員通路のみになった。

「コトミ、ガスマスクは常につけられるようにしておいて。相手が、毒ガスや催涙弾を打ってくるかもしれない」

そういって、ソウスケは顔を歪ませ、へたり込んだ。
アタシは包帯を”受け取り”、ソウスケの手当てを始めた。



形に収まらない敵


ぱりなと白烏は、迷宮から少し離れた木陰で、デコ鏡を使って中の様子を探る。
コトミがソウスケの手当てをしているようだが、機関砲はいつでも打てるように気を張っている。

「機銃の雨を潜り抜けて、あの狭い入口を抜けるのは、容易ではありませんな。中に入ってしまえばどうにでもなりますが、それが難しい」
「それな」

白烏の言葉に、ぱりなは頷く。

「あれだけ入口が狭いと、曲射は難中之難(つらたん)(あーし)が射線を通そうとすると、機関砲の餌食で黯然銷魂(ぴえん超えてぱおん)。不用意に攻撃するのは避けて、一撃必殺狙うっきゃないし」
「ならば、そうしましょう。幸い、制限時間は24時間あります。仙道ソウスケは手負い。英コトミは素人です。待ち続ければ、いずれ隙を見せましょう」
「相手の隙をワンチャン……か」

ぱりなは、大きく伸びをした。

「定石としてはありよりのあり。でもそーにゃんが相手って話だとなしよりのありだと思うんだよねー」
「……つまりどっちですかな」

白烏が言うが早いか、従業員用通路の出入口に、煙幕が放たれる。
しばらくするとその中から、黒色の外套を羽織った仙道ソウスケが、移動をしている姿が見えた。

「早速きたし」
「負傷している方が動きますか。確かに、定石が通じませんな。別れた場合は英コトミを攻めるということでしたが、いかがいたしましょう」
「んー、こっちがコトぴょんを攻めきれない以上、そういうわけにもいかないし。爺や、よろ」
「御意に」

白烏が、音もなく消えた。
近接戦闘ならば、ぱりなよりも白烏の方が強い。
負傷したソウスケをむざむざ逃がすことはないだろう。
最も、このぱりな達の動きを、仙道ソウスケが予想していないとは思わないが。

「忍びの三病。一に恐怖、二に侮り、三に過ぎたる思案也。どー考えても、過ぎたる思案っしょ」

一人で強引に攻めようとして、機関砲に撃たれてリタイアと言う展開は避けたい。
二人でソウスケを追い、コトミをフリーにして見失えば、ソウスケも見失うことになる。
ぱりながすべきことは、この膠着状態を維持することだ。

だけど、それでもやりたいことがある。
ぱりなは、慎重に迷宮へと歩を進めた。



家族への思い


「ねえ。コトぴょん。お話しても大丈夫そ?」

機関砲を構えているアタシに、声が聞こえた。
ぱりなの姿は見えない。アタシから見えない位置で、声をかけているのだろう。

「いいわけないじゃん。何を企んでいるのさ」
「別に、なんも企んでないし! ただ、コトぴょんがどうしてこの戦いに勝ちたいのか、聞きたくて」
「そんなの、今聞くことじゃないでしょ」
「パパ上ママ上とケンカしてるんでしょ。それで家出を続ける為にお金が欲しい感じ?」

なんで知っているのかと一瞬思ったが、よく考えれば不思議ではない。
アタシの両親が、警察や運営と連絡を取っていることは、ソウスケからすでに聞いている。
前回試合の後くらいから、お父さんが警察と連携して、アタシを確保しようとしているらしい。全国中継で、身内の恥をさらしたくないのだろう。
ぱりな達の情報収集能力を考えれば、アタシの事情を知っていても不思議ではない。

「実は(あーし)ら、半年くらい前にコトぴょんのお父さんから“娘を探してほしい”って依頼を受けたことがあるんだよね。その時は、コトぴょん見つけられなかったんだけど」

アタシは、今度こそ驚いた。
ぱりな達が両親と会っていたことはもちろんだが、それだけではない。
半年も前から、お父さんがアタシを探していたことにだ。
もう、とっくに諦められていると思っていた。

(あーし)が話した時、コトぴょんのパパ上すごく後悔してたよ。コトぴょんに、酷いことを言っちゃったから、会って謝りたいって話してた。コトぴょんがどんな思いをしていたか、考えてあげることができなかったから、これからはたくさん話をしたいって」
「……なんだって」

外に身内の恥をさらすことを嫌がるお父さんだった。
後悔なんてしない人だった。
アタシに謝ったことなんて、一度もなかった。
アタシが何を考えているかいくら伝えても、まともに取り合おうともせず、お父さんの正しさを押し付けられた。

ぱりなが話すお父さんと、アタシの記憶の中のお父さんが、全くかみ合わない。

「そんなこと、思っているような人じゃない。口だけだよ」
「確かに(あーし)には、コトぴょんの家族のことはわからない。でも、コトぴょんのことはなんとなくわかったよ。マナーや敬語を教えられていて、ライブに行ったりグッズを買ったりできるお金がある。そして、他人とちゃんと向き合える。それって、向き合ってもらった経験がないと、できないことだと思うんだ」
「それは……」

ぱりなのいうことは、間違いではない。
お父さんとお母さんは、躾に厳しかった。それは、アタシに関わる時間が多かったということだ。
お金に困ったことは無かったし、衣食住は確保されていた。
分かってもらえなくても、話は聞いてもらえた。
その中で、アタシが多くの苦しみや悩みを抱えていたとしても、それは事実だ。

――――事実だけを見てみるといい。そうすれば、自ずと真実が見えてくるぞ。

ニアヴの言葉を思い出す。

両親は、アタシを理解できなかった。
でも、愛されていなかったわけではない。

「多分、コトぴょんのご両親は、コトぴょんのことがわからなかったんだよね。だけど、人は変わることができるし。嫌だろうけど、もう一度話してみてもいいんじゃないって思うんだ。それでわかってもらえなかったら、また離れればいいじゃん。話ができなくなった後に、話せばよかったって後悔しても遅いからさ」

その言葉で、ぱりながこの話をする意味がなんとなく分かった。

「ぱりなは、もう一度話をしたい人がいるんだね」
「……へへ。でも、それとコトぴょんの話は関係ないし! (あーし)がそう思うだけ」

きっと、ぱりなは大事な人を亡くしたのだろう。
でも、それを理由にすることなく、あくまでもぱりなの意見として話をしてくれた。
それは、彼女の誠実さだ。

「アタシ、ぱりな好きだな」

自然と、零れ出た。

「ここじゃないところで、会ってみたかった。」
(あーし)、コトぴょんの好きピ? めっちゃきゅん~! でも、(あーし)とならいつでも会えるよ。コトぴょんは(あーし)のズッ友だし! この試合終わった足でトッポギカフェしよ☆」
「え? なに? トッポギ?」
「そう! 突然六本木カフェ」
「……カフェって何があるかな。アタシ、コーヒーも甘いのもちょっと苦手で」
「そマ? 何が好きなん?」
「昆布茶とか」
「ピープス女子の意外性~! 逆に映えるやつ!」

アタシたちはそれからしばらくの間、壁ごしに話をした。
好きな音楽のこととか、映画の事とか、ファッションの事とか。
それは、本当に楽しくて、戦いの最中だということを忘れそうになった。



少女の強さは赦しを与える


「私は、爺やのことを恨まない」

ぱりなが16歳になった時のことだ。
彼女は、自分の父親を殺した仇である白烏に、そう言い放った。

「父上を殺したのは、掟だよ。誰のせいにもできない。不忍池忍軍という、組織に殺されたんだ」
「お嬢様。それは欺瞞です。御館様を手にかけたのが、私だという事実は変わりません」
「ううん。私に必要なのは、爺やを恨む事じゃない。今の私がやるべきことは、忍びの里の改革だよ」
「改革……ですか」
「そう。伝統とか、慣習とか、そんな古臭いものに縛られて、今を生きる人が苦しむなんて意味が分からないよ。忍者は、生き方じゃなくていい。もっと、自分らしい生き方を探してもいいはずだ。私には、それをひっくり返すだけの力がある」

玻璃那姫として悪名高き存在となったぱりなだが、その強さから崇敬する者も多い。
確かに、彼女が御旗を振るって改革を進めることは、不可能ではないかもしれない。

「ですが、それはいばらの道ですぞ」
「……父上が、私に平和に生きてほしかったことはわかるよ。でも、平和は戦わないと勝ち取れない。守を無くし、破離を無くすには、私が戦わないといけないんだ。私と同じような思いを、もう誰にもさせないために」

ぱりなは、在りし日の父の顔を思い浮かべる。
優しく、強い人だった。もっと一緒にいたかった。
だけど、今の私にはもう一人、家族がいる。

「だから、爺やにも協力してほしいんだ。私が一番信頼している家族は、やっぱり爺やだから」

ぱりなが白烏に、明るい笑顔を向けた。

(なんと強く、なんと優しく育ったのか)

白烏は、顔を上げる事も出来ず、頭を垂れ続ける。
しばらく後、ただ一言発した。

「御意に」



最強の老い忍と、最狂の策士


ソウスケは、右足を引きずりながら走っているためか、未だ迷宮からほど近いところにいた。
息を切らしながら、手に持つ拳銃で白烏を狙い撃つ。
白烏は事もなげに銃弾を避け、苦無を投げ打つ。放たれた苦無が、ソウスケの体に突き刺さった。
致命傷は避けているようだが、傷は深い。
このままの状況が続けば、いずれソウスケは倒れるだろう。

「ハァ……、ハァ……ッ!」

迷宮からしばらく離れ、ジェットコースターの高架下に辿り着いたとき、ソウスケが懐からスマートフォンを取り出す。
白烏は一度立ち止まり、様子を伺う。
ソウスケは、携帯電話を作り出す能力を持つ。その性質上、ソウスケが携帯電話を操作するときは、何かしらの策が発動する可能性が高い。

轟音が鳴り響いた。
白烏にとっても、聞き覚えのある音。
先ほどコトミが移動に使ったジェットコースターが、再び始動したのだ。

「英コトミが迷宮を目指している間に、操作盤に何かしらの細工をしましたか」
「はは、スタートスイッチを押すだけの細工なら、簡単なもんですからね」

高速で移動するコースターに、ソウスケはどこに持っていたのか、ワイヤー銃を放った。
ワイヤーがコースターの座席に絡まり、ソウスケの体も浮きあがる。
急激な重力加速度の変化に、ソウスケの内臓が裏返りそうになる。
高速で走るコースターに命からがらしがみつき、ようやっと座席に昇りついたとき。
すでに、白烏はそこにいた。

「距離を取って、罠を仕掛ける時間を稼ぐおつもりでしたか。そうはさせませぬぞ」
「……この速度のジェットコースターに、道具を使わず飛び乗ったんですか? あなた、人間じゃなかったでしたっけ」
「ええ。ただの、修練を積んだ人間ですよ」

白烏が、仕込み杖を抜き放つ。不安定な足場とは思えない抜き打ちだ。
ソウスケは腰から取り出したナイフで応戦するが、立っていることすらままならない。
一合、二合と切り結び。ソウスケのナイフが弾き飛ばされたところで、コースターは世界最大級の大型ループに差し掛かった。
ソウスケは、落下しないよう座席にしがみつく。
対する、白烏は直立不動だ。それどころか、ソウスケへと歩を進める。

「運行中のジェットコースターで立ち歩くのは、マナー違反じゃないですか」
「それは申し訳ありません。何分、初めて乗ったもので」

白烏が、仕込み杖を振り下ろす。
白刃は、深々とソウスケの肩口を斬り裂いた。

「クッ……ハ!」
「流石に、この速度の乗り物に乗っていると、狙いがぶれますな。次は外さぬよう、善処いたします」

白烏が、突きの構えを取った。

「いやあ、それはご勘弁を」

ソウスケが、再びワイヤー銃を放つ。その先は、スケートリンクの中央に位置するオブジェだ。
ソウスケが、コースターから飛び降りた。
ワイヤーを急速で巻き取り、落下の勢いを緩めようとする。
だが、限界はある。氷が張られていないスケートリンクに、半ば叩きつけられるように、ソウスケは着地した。

「ガハッ!!」

ソウスケが血反吐を吐いた。僅かにたまった水の中をゴロゴロとのたうち回り、ようやっと立ち上がる。
白烏は、そこに立っていた。

「鬼ごっこはそろそろ終わりですかな」
「はは……そうですね。ここで、終わりだ」

そう言いながら、ソウスケが立ち上がる。
まだ何か策があるのか。
試合が始まってから今まで、何か仕掛けをする時間と言えば、コトミと離れているときくらいしかなかったはずだが。

そこまで考えて、白烏は思い出す。
ソウスケとコトミは、ぱりなの超長距離射撃から逃れる際、僅かな時間だがインフォメーションセンターの陰に隠れていた。
インフォメーションセンターは、スケートリンクのすぐ横に所在する。

そして、白烏は違和感に気付く。

(なぜ、スケートリンクに水が溜まっている)

通常、オフシーズンのスケートリンクに、水は張られていない。
誰かが、故意に水をいれない限りは。

白烏が、インフォメーションセンターに目を向ける。
センターから引っ張り出され、むき出しになった配電線が、スケートリンクに接している。

(外套は、耐電の装備を隠すためのものか)

ソウスケは、にこりと笑った。

「We look forward to serving you again.」

インフォメーションセンターに設置された分電盤のブレーカーは下げられ、そのスイッチの先にワイヤーが結ばれている。
ワイヤーは天井方向に延び、鉄筋の梁を通って下に垂れている。
その先には、ソウスケが能力で出したスマートフォンと、重りが括り付けられている。
スマートフォンは机から半分ほど飛び出す形で固定され、飛びだした部分に重りが置かれていた。

ソウスケが、“心覗の嗜み(ジェントルマンシップ)”を解除。
スマートフォンが消えたことで、机から重りが落ちる。
重りがワイヤーを引くと、鉄筋の梁が滑車の役割を果たし、分電盤のブレーカーが上がった。

スケートリンクに、火花が散る。
スケートリンク上にいるソウスケと白烏に、約100ボルトの電流が襲い来る。
ソウスケは、レインブーツとゴム手袋により、感電を免れている。
備えがない白烏は、まともに電撃を受けるしかなかった。

だが、これで殺しきれるとは限らない。
ソウスケはとどめを刺すべく、拳銃を白烏に向け、放った。

白烏は、事もなげに銃弾をかわした。
ソウスケは、目を見開いた。
それは、明らかな動揺であった。

「電流には、慣れております故」

忍者が行う修行の一つである、“苦行”。
その中には、“耐痛”というものがある。
耐えうる痛みの限界値を引き上げるため、苦痛に慣れる行である。
そこには、耐電撃も含まれている。
最強の老い忍たる白烏が、極めていないはずもない。
ソウスケの笑いが、ひきつる。

「コトミ、回収」

ソウスケが、耳のイヤホンマイクに語り掛けた。
白烏の仕込み杖が首に迫る瞬間、ソウスケの姿が消えた。



目を逸らして出した答え


ぱりなと別れてしばらくした後、ソウスケから指示が入り、ソウスケの体を受け取る。
現れた姿に、アタシは息を飲んだ。
負傷が、あまりにもひどかったからだ。
ぱっと見ただけでも、肩口に大きな刀傷。全身には刺された傷があるし、止血した右足はまた傷が開いている。

「ソウスケ、アンタ、その体……」
「僕はいい。それより、外を警戒して。ぱりなから意識を切っちゃだめだ」

いいわけがない。
アタシは前回味わった、ソウスケが死んでいく感覚を思い出す。
また、ソウスケは命を賭けている。
全部、アタシのためだ。

「ごめんコトミ。失敗した。僕が負傷した分、状況はさらに悪くなったかな。もう一度、考え直しだ」
「いや、それどころじゃないでしょ。とにかく傷の手当てをしないと」
「大丈夫。僕が必ずコトミを勝たせる。信じてくれ」

どうして、そこまでするのか。
決まっている。アタシのわがままに付き合っているからだ。
アタシが家に帰らないで、新しい人生を手に入れようとしているからだ。

――――コトぴょんのパパ上すごく後悔してたよ。コトぴょんに、酷いことを言っちゃったから、会って謝りたいって話してた。

もしも、それが本当ならば。
アタシは、家に帰ってもいいんじゃないか。
そうすれば、ソウスケはもうこんなに傷つかないですむんじゃないか。

「……ソウスケ、聞いて」

壁に背を預けて座るソウスケの足に包帯を巻きながら、アタシは語り掛ける。
ソウスケは、苦しいだろうにいつもの笑顔だ。

「もちろん、コトミのいうことは何でも聞くよ」
「ギブアップしよう。もう、これ以上、アタシのために苦しむ必要はないよ」
「いやいや、突然何を言い出すんだい。僕なら大丈夫だよ。まだ、打てる手はあるはずだ」
「アタシ、両親の所に帰るよ。だから、5億円はいらない」



もう一人の怪物


白烏は、迷宮から少し離れて隠れるぱりなに合流した。

「お嬢様、申し訳ありません。仕留めそこないました。電流で無線も破壊されたので、この先通話は不可能かと」
「爺や、衣錦還郷(お疲れーション)! 全然ばっちし。そーにゃん、もうボロボロだし」
「お嬢様は、英コトミと何がしかお話をしていたのですか」
「あーね。JKのズッ友って初めてだから、炉辺談話(チルって)きちった」
「ずいぶん入れ込みますな」
「だって、そーにゃんはダメだもん」

ぱりなが、真顔になる。

「どう考えても、そーにゃんは完全な悪党だよ。コトぴょんのために動いているうちは制御できるかもしれないけど、歯止めが利かなくなれば、何をするかわからない。コトぴょんみたいないい子が、傍にいるべきじゃないよ」
「否定はできませんな。先ほど、切り結んでわかりました。あの男は、人も自分も目的を達成する道具としか見ていない。心のない怪物です。人間の振りはできているようですが、その奥に人間性はありません」

ここまで言って、白烏は自分が口を滑らしたことに気づく。
人間性のない怪物。
それはまさしく、在りし日の玻璃那姫の姿だ。

「失礼いたしました」
「え? なんで? なにが?」

訳が分からないと言った目で白烏を見るぱりなの耳に、高笑いが聞こえた。
それは、迷宮から聞こえてくる。
ソウスケの声だ。

「あー、もういいや!」

ソウスケが、迷宮の入り口から外に向かって、スマートフォンを放り投げた。
それは、カラカラと音をたてながら、ぱりな達の近くまで滑ってくる。
ぱりなが身構えると、迷宮の入り口が爆発に包まれる。ガラガラと崩れ、瓦礫によって入口がふさがれた。

「どゆこと?」
「スマートフォンを確認します」

白烏が、ソウスケが放ったスマートフォンを慎重に検分する。
爆発物などがないことを確認し、ぱりなと共に、手に持たないよう画面を覗き見る。

画面には、ライブ配信の様子が映し出されていた。
薄暗い部屋の中、タオルで口をふさがれ、手足を椅子に縛り付けられるコトミ。その顔には涙の痕があり、周りには注射器やのこぎりなどが落ちている。
その前に、ナイフを持って立つソウスケの姿が、映し出されていた。

「は?」

ぱりなが、総毛立つ。

『We are very happy to see so many of you here today!!!!!』

ソウスケがカメラに向かって舌を出しながら絶叫をする。
同時に、コトミの太ももに、ナイフを突き立てた。

『んー!』
「ちょちょちょ、なにしてんの!」

コトミのくぐもった悲鳴に、ぱりなが思わずスマートフォンに向けて声を上げる。

『アァーッハッハッハ! 全世界の皆様こんばんは! “AGAIN”の、仙道ソウスケと言います。こっちの女の子は、英コトミ。今日はこれから、この子を使って遊んじゃおうと思います!』

ソウスケが、血の気の引いた鬼気迫る表情で、カメラに肉薄する。
この映像は、ソウスケのスマートフォンで撮影しているようだ。
ということは、現実世界にも放映しているということか。

『なんでかっていうとね。コトミがさ、この試合が終わったら家に帰るっていうんだ。もう一度、家族と話してみるんだって。ひどいよね。そんなことになったらさ、僕は捨てられちゃうってことだろ? なんて悲しい結末なんだ!』

ぱりなは、自分の手を血が出るほど握りしめる。
コトミがソウスケに家族のことを話したならば、それはとても勇気が要ることだっただろう。
ソウスケのためという面も少なからずあったはずだ。
その挙句が、これか。

『仕方がないから、ここで遊ぶことにしたんだ。ここならいくら傷つけても、試合が終わったら治るからね。目玉を抉ろうが、歯を一本一本抜こうが、現実世界に帰ればぜーんぶ元通り! あーでも、骨と皮でミニチュアハウスを作っても持ち帰れないから、そこは注意しないとね。ところでさ、鏡の世界から帰った時に、食べたものってどうなるんだろう? 試してみーよおっとぉ!』

ソウスケが、コトミの左小指にナイフを振り下ろす。コトミが、短く悲鳴を上げた。
ゴリゴリと切り取った小指を口に含み、ソウスケは『美味美味!』と喚く。
吐き気がすると、ぱりなは思った。

『ぱりなリサーチ事務所の二人は、ちゃんと見ているかな? おめでとう! 君たちの大勝利だ! 君たちが手出ししなければ、時間切れで判定勝ちだもんね。何もしなければ、それで終わるよ。だから、コトミとの楽しい時間を、邪魔しないでね』

ソウスケの高笑いが、スマートフォンから途切れることなく響く。
ぱりなの表情が消えていく。
白烏は、恐ろしい圧力に背筋を正した。

「お嬢様。冷静に」
「わかっている。私は冷静だよ」

ぱりなと白烏の論点は、ソウスケが本当にイカレているのか、ということだ。
白烏の見立てでは、ソウスケは人も自分も目的を達成する道具としか見ていない。
であれば、ソウスケがコトミを餌にして、ぱりな達を誘い込もうとしている可能性を否定できない。

「それでも、コトミを助けに行く」
「お嬢様」
「コトミを見捨ててこのまま勝っても、ぱりなリサーチ事務所は大義を失う」

その言葉に、白烏は押し黙る。
ぱりな達がこの大会に参加しているのは、忍者の脱ブラック労働と言う大義のためだ。
このままコトミを助けずに勝利すれば、ぱりなリサーチ事務所は少女を見捨てて勝った事になる。
それは、大義を失うことと同義だ。

いや、それも言い訳だ。
白烏も、それを分かった上で何も言わない。

友達を助けられなくて、何が大義だ。

「仙道ソウスケは、確実に殺す」

かつてこの国の忍び里全てを震撼させた、不可視の忍姫、玻璃の怪物。

それは、忍びの完成形と称された白烏が、その全てを叩きこんだが故に生まれた。
光を当てても姿は見えず。時に繊細にして、時に大胆。触れれば、何ものをも斬り裂く鋭さを持つ。
人の心はなく、ただ敵を殺すためだけに存在する怪物。

ぱりなの目に宿った暗い光は、玻璃那姫の姿を彷彿させるものだった。


救いの一手


白烏は、どうやってエントランスに侵入するかを問うた。
迷宮の出入口は破壊された。中に入るには、施錠されている従業員用入口以外にルートがない。
細く長い通路と繋がる従業員用入口で、鍵を開ける為にドアの前に止まれば、瞬く間に機関砲の餌食となる。

ぱりなの答えは、単純なものだった。
すなわち、正面から忍て参る(おしてまいる)

手裏に秘するがしのぶの華よ(シノブレード)

ぱりなが舞うように、両腕を大きく開いた。

手裏に秘するがしのぶの華よ(シノブレード)は、ぱりなが手裏剣を振るう素振りにより、不可視の手裏剣を放つ能力だ。
モーションを大きくすれば、その分巨大になる。
白烏には、ぱりなが生み出した手裏剣は見えない。
だが、ぱりなの動きは、玻璃(ガラス)が光に当たるかのように、それを浮かび上がらせた。

大きさにして、約3メートル。
不可視の巨大手裏剣が、迷宮の正面入口に向かって放たれた。
高速で飛ぶ巨大質量は、ソウスケによって崩された瓦礫を、暴力的に破壊する。

「英コトミは無事ですかな」
「大丈夫。力の加減はした」

そのぱりなの言葉通り、手裏に秘するがしのぶの華よ(シノブレード)は入口に大きな穴をあけるにとどまり、そのまま消滅した。
がら空きになった入口からは、椅子でぐったりと俯くコトミ。
その傍らに、ナイフを片手に持って厭らしい笑みを浮かべるソウスケの姿が見えた。

「あれ、来ちゃったんですか。ずいぶんと情に厚いですねぇ」
「しゃべるな、屑め」
「お嬢様。罠にご注意を」

ソウスケが、ぱりな達に向かって機銃を掃射した。
白烏は地を這うように、ぱりなは宙を飛ぶように、それぞれ回避する。

「アハァ。じゃあ、そっち!」

ソウスケが、身動きの取れないぱりなに照準を合わせた。

「甘いよ」

ぱりなが、まるで未来を予知したかのように、空中で身を翻し、機銃をかわした。
そのまま、手裏に秘するがしのぶの華よ(シノブレード)を放つ。
機関砲の銃身に見えない手裏剣が突き刺さり、稼働が止まった。

「爺や!」
「はっ……!?」

地面を這いながら、ソウスケを切り捌こうと踏み込んだ白烏に、異変が起きた。
ソウスケは少しも動いていないのに、手に持った仕込み杖ごと、体が地面に叩きつけられたのだ。
見ると、白烏の衣服に仕込んだ様々な暗器が、床にへばりついている。

(強力な、磁石)

先の戦いで、白烏の獲物が暗器と仕込み杖であることは見せていた。
だからこそ、磁力により足止めをするという発想に至ったのだろう。
だが、それにしても、仕込みが早すぎる。ここまで強力な磁石を、いつの間に床下に仕掛けたのか。
驚愕する白烏に、ソウスケは磁石の影響を受けない銀製のナイフを構えた。
だが、そこまでだった。

「遅い」

ぱりなが、既にソウスケの懐に入っている。
ソウスケは、ナイフをぱりなに突き刺そうとする。
だが、それはできなかった。
ナイフを持つその腕は、既にぱりなによって切断されている。

「はは」

ソウスケが笑うと同時に、ぱりなのデコ苦無が、ソウスケの喉に突き刺さった。
そのままの勢いで、ソウスケが壁に押し付けられる。
まるで悪趣味な標本のように、ソウスケがはりつけにされた。

「カハッ……! ウィ……ルッ……ヒュッ……ゲイン……!」

ソウスケは血と息を吐きながら、残った左腕で懸命にぱりなにしがみつく。
何かを言おうとしているのだろうか。だが、それもどうでもいい。
ぱりなは、コトミを見た。
コトミはタオルを外して、苦々しい表情でぱりなに手を伸ばしている。

「もう大丈夫だよ。コトぴょん」

返り血を浴びながらも、ぱりなはコトミに笑顔を向けた。
一瞬後に、気がつく。
コトミの手は、椅子に縛りつけられていなかったか(・・・・・・・・・・・・・・・・)

コトミがぱりなに伸ばす手に、拳銃が握られた。
印鑑不要の現実(インダストリアル)”は、コトミがどのような状態でも、物を受け取ることができる。

「ぱりな。ごめん」

その銃弾は、ぱりなの頭を撃ち抜いた。



決着


死亡:不忍池 ぱりな

死因:頭部外傷により即死(なお、その7秒後に、仙道ソウスケが失血性ショック死)


イグニッション・ユニオン

第二回戦 結果

戦闘場所:遊園地

勝者:“AGAIN”



アタシは、アタシでいい


「……ソウスケ、聞いて」

壁に背を預けて座るソウスケの足に包帯を巻きながら、アタシは語り掛ける。
ソウスケは、苦しいだろうにいつもの笑顔だ。

「もちろん、コトミのいうことは何でも聞くよ」
「ギブアップしよう。もう、これ以上、アタシのために苦しむ必要はないよ」
「いやいや、突然何を言い出すんだい。僕なら大丈夫だよ。まだ、打てる手はあるはずだ」
「アタシ、両親の所に帰るよ。だから、5億円はいらない」

アタシにとって、ソウスケは最低の悪党だった。だから、利用することに何も思わなかった。
でも、今は違う。
ソウスケは、アタシのおじいちゃんとの思い出を大事にしてくれる。
アタシのために、動いてくれる。
アタシを、見てくれる。
もう、どうなってもいいなんて思えない。

「お父さんが、アタシに謝りたいんだって。もう一度話し合えば、やり直せるかもしれない。だったら、その方がいい。そうでしょ」
「……そうだね。それができるなら、一番素晴らしいことだ」
「そうだよ」

ソウスケの言葉は、優しい。
なのに、アタシの感情は昂ってしまう。

「今、お父さんお母さんと話し合えば、お互い理解しあえるかもしれない。アタシのやりたいことに理解を示してくれて、そんなお父さんとお母さんを、アタシは許せるかもしれない」
「コトミ」
「また一緒に暮らして、アタシは学校とか行くのかな。そしたら、ハッピーエンドじゃん。めでたしめでたしだ。だれも、文句言わないよ」
「コトミ、聞いて」

ソウスケの腕が、アタシを優しく抱き寄せた。
くっついた頬はまるで死人のように冷たいのに、血と汗のにおいはソウスケがまだ生きているということをわからせてくれる。
その手は思いのほか力強く、けれども優しくアタシの体を受け止める。
やめてくれ。そう言いたいのに、突き放せない。

「僕は、コトミの決断を否定しないよ。だけど、コトミには泣いてほしくない」
「これは……ちが……っ!」
「コトミはいい子だね」

ソウスケの声が、頬を通じて頭に響く。
サラサラとした長い金髪が口に当たり、こそばゆい。
大きな手が、アタシの頭を撫でた。

口が震えて、うまく言葉が出ない。
アタシは、怖い。
ソウスケの優しさは、アタシが必死に出した答えを、粉々に破壊していく。

「コトミは、自分がやりたいことよりも、やるべきことを優先できる人なんだね。それがコトミの幸せにつながるなら、僕は喜んで従うよ」

幸せになれるなんて、思っていない。

家に帰ったとして、最初はうまくいくだろう。でも、いずれまたアタシはあの二人とぶつかる。
お父さんは知恵と礼節で上り詰めた人だし、お母さんはそんなお父さんを誇りに思っている。常識とか、正義とか、そう言うものが二人の基盤にある限り、アタシは絶対にわかり合えない。
それでまた傷つけあって、理解した気になって、でもまた傷つけあって。
その先にあるのは、相互理解じゃなく、妥協と諦めだ。
そうやっていろいろなものを諦めて、家の中にいる他人として暮らしていくことになる。

それに、なんの意味があるんだ。
そうやって、緩やかに死んでいきたくないから、家を出たのに。

「コトミがいい子でいなくても、僕はコトミが大好きだよ。コトミは、コトミだからね」

その一言で、アタシの張りつめた糸がぷつんと切れた。
キュッと締まった喉から、言葉を振り絞る。

「……帰りたく、ないよ」
「コトミがそう思うなら、帰る必要なんかないさ」
「でも、ソウスケに傷ついてほしくない」
「僕は平気だよ。コトミのためなら、どんなことだってできる」
「やめてよ」
「コトミが幸せになることが、僕の幸せだ。コトミは、人の幸せを否定するような子じゃないだろう」

ずるい。
そんなことを言われたら、何も言えない。

「コトミは、コトミのまま幸せになっていいんだよ」

それは、アタシが一番言われたかった言葉だ。
ソウスケの腕の中は、和室の日溜まりみたいに暖かく、離れがたかった。

何も話さない時間が、しばらく続いた。
沈黙を破ったのは、アタシからだ。

「……ごめん。ありがとう。ギブアップは、撤回させて」
「もちろんさ。あ、ごめんね。体を起こしているのがつらいから、肩を貸してほしいな」

アタシも泣き顔を見られたくなかったから、好都合だ。
鼻をすすりながらソウスケの隣に座り、肩を預けさせる。

「……でも、どうやって勝つのさ」
「それなんだよねー。正直、挽回は難しいかな」

明るく言うソウスケの顔色は白い。血を流しすぎたのだろう。

「ぱりな達をこの中に誘い込めればなぁ。でも、そう簡単には吊られてくれないしね」
「……誘い込めばいいの?」
「少なくとも、外で闘うよりは勝機はあると思っている」

アタシの頭の中で、何かが繋がる音がした。

「アタシに、案がある」

それはぱりなも、アタシ自身も深く傷つける策だ。
せっかくできた友達を、永遠に失ってしまうかもしれない。
でも、構わない。
もう、ただ逃げるためだけの戦いじゃない。
アタシが、アタシを勝ち取るための戦いなんだ。

「アンタが、アタシを傷つけるんだ」



同い年の友達


試合終了から、三日が経った。
ぱりなは、事務所の所長机に座り、自前のデコスマホに電話番号をプッシュする。
コール音は鳴らず、機械的なメッセージが流れた。

『この電話番号は、現在使われておりません……』

ぱりなは終話ボタンを押し、一つため息をついた。

「コトぴょん、出てくんないな……」
「お嬢様に合わせる顔がないのでしょう。勝ち方が勝ち方ですからな」

戦闘動画の放映終了後、世論は荒れた。
仙道ソウスケがコトミを操っていたのか、コトミが自分から協力したのか、分からなかったためだ。
“AGAIN”が最後に会話をしている場面の動画では、二人とも小声だったため音が取れなかった。
結局どのような話をしたのかはわからず、想像ばかりが広がった。

『英コトミも極悪非道の犯罪者だ』という人がいれば、『英コトミは拷問をされて仕方なくぱりなを撃ったのではないか』という人がいる。

だが、最終的な話として、イグニッション・ユニオンのシステムを拷問に利用した仙道ソウスケへの批判に収束した。
結局、英コトミに関する話は、うやむやの内に消え去った。

真実を知るのは、読唇術が使えるぱりなや白烏など、一部の者だけである。

「試合中の事なんて、もーまんたいだよ! (あーし)だって、ゆりりぃにだまし討ちみたいなことしたし。どっちかっていうと、あんな勝ち方をしたコトぴょんの方が心配だし」
「お優しい事です。やはり、お嬢様は情が深い」
「それ、嫌味?」
「いいえ、喜ばしい事です」

ぱりなは、結局最後まで玻璃那姫ではいられなかった。
本当に効率を重視するならば、速攻でコトミにとどめを刺し、現実で仙道ソウスケを確保するのが最善だったはずだ。
それをできなかったのは、ぱりながソウスケを憎いと思った以上に、コトミを助けたいという思いが強すぎたからだろう。
玻璃那姫は、もういない。それは、白烏にとって喜ばしい事だ。

「……本当に、そーにゃんがヤバいやつだと思ったんだよね」
「恐らく、それは正解でしょう。ですが、仙道ソウスケが悪人であることと、人を救わないことは違います。やり方の是非はともかく、彼は本気で英コトミを救おうとしている」
「悪党が悪党のまま、人を救うってこと」
「そんなこともありましょう。多くの人を殺した人間が、人を助けたいと思うこともある。ですが、人殺しであることは変わりません」
「……そっか」

ぱりなが、椅子の背もたれに体を預けた。
逆さまに、白烏の目を見つめる。

「爺や。(あーし)、爺やに育てられたこと、全然後悔してないからね。(あーし)にとって、爺やも家族だからね」
「もったいないお言葉です」

ぱりなにとって、家族は力だった。
生んでくれたママ上。守ってくれたパパ上。育ててくれた白烏。
みんなが、ぱりなにとっての力の源だった。

でも、コトミにとっては違ったのだろうか。

「もう一度、お話聞かせてほしいな」

次はライブに行ったり、タピったりして、その帰りにもっと色々な話をするのだ。
家族の事とか、コトミの事。(あーし)の話も聞いてほしい。
そしたら今度こそ、もっと彼女にあった言葉をかけられるかもしれない。

「コトぴょんは(あーし)のズッ友だし! 絶対、トッポギカフェするんだかんね!」

ぱりなのデコスマホには、黒色のメンクマちゃんがぶら下がっている。



赦しの、その先


ぱりなが成長し、自らの足で歩き始めたことで、白烏は救われた。
それが、白烏には許せない。
自分が殺した御館様を差し置いて、勝手に救われていいわけがない。

その時から、白烏の私心はほぼ消えた。
闘争心などない。もはや戦う理由は消えた。
義務感などない。義務は果たし、後は死ぬのみだ。
あるのは、悔悟。
この、白烏を救うほどに成長したぱりなの姿を御館様に見せられず、勝手に救われてしまって申し訳ないという悔悟の念だけで、白烏は生きている。

白烏が逝くとき、ようやく白烏は赦されるのだろう。

その時は、また御館様と酒を酌み交わしたいと思っている。



救いの、その先


アタシは、ソウスケが運転するヘリコプターに乗り、離島のアジトにたどり着いた。
試合会場を出るときは、警察が控室まで踏み込んできて、逃げるのが大変だった。

海岸沿いで朝日を見つめながら、タバコに火をつける。
シガレットケースに付けたメンクマちゃんのストラップを見つめる。
思い浮かぶのは、ぱりなのことだ。
彼女の優しい思いを裏切った。また、人を傷つけた。
胸の中に、黒いもやもやが広がっていく。

それでも、前に進むしかない。
傷つく覚悟も、傷つける覚悟も出来た。
アタシが、アタシ自身の人生を掴むために、もう迷わない。

「コトミ、痛みとか残ってない? 傷痕とかできてない? 僕の事、嫌いになってない?」

ソウスケが、試合が終わった後からやたらと声をかけてくる。
右腕以外に麻酔をかけていたから痛みはないし、鏡の中だから傷なんて残らないのに。

「痛みはない。傷痕も無い。アンタには引いた。アタシを傷つけるって提案した時は、あんだけ嫌がってたくせに。小指食べるとか完全にやりすぎでしょ」
「嫌な思いをしたなら、謝るよ。ごめん。でも、弁明をさせてくれ。あれは、僕が乱心したということを、ぱりな達に信じさせるためだったんだ。僕だって、すごく嫌だったんだよ。人肉って、美味しくないし」
「食ったことあるのかよ! 気持ち悪い!……まあ、そのおかげで勝てたのも確かだけど」

ソウスケがいなければ、こんなところまで勝ち上がってくることはできなかった。
そして、ソウスケはこれからもアタシを助けてくれる。
感謝こそすれ、非難するいわれは……少ししかないだろう。

「ソウスケ。アタシは、この大会を優勝したい。できる限り自分の力で得たお金で、自分の人生をやり直す。その為に、アンタの力が必要なんだ」
「うん。僕も、それを望んでいるよ」
「あと一試合。アンタにはたくさん迷惑をかけると思う。だけど、必ず借りは返すから」
「そんなことは気にしないでよ。言っただろう。僕は、コトミを陽の当たる世界に戻すためなら、何でもするよ」

まただ。
ソウスケの言葉に、アタシは動揺する。
ソウスケの語るアタシの未来には、ソウスケがいないのだ。
アタシは人生をやり直す。それは、“AGAIN”を抜けることであり、ソウスケと離れる事でもある。
以前は、それを心から望んでいた。
だけど、今はどうだろう。

「そう言えば、アンタは……アタシを救い上げて、その後どうするの」
「んー、特に考えてないかな」

ソウスケがそんな曖昧な言葉を使うところを、始めて見た。
そう言えば、アタシはソウスケの未来を何も聞かされてない。
ソウスケが望む未来を、アタシは想像をしたことがなかった。
ソウスケはいったい、何のためにアタシを救うのだろうか。

「アンタは」

これは、ただの勘だ。

「おじいちゃんみたいになりたかったの」

少しの間をおいて、ソウスケはゆっくり首を横に振った。

「そうだったのかもしれないね」

悲しそうな声と、困ったような笑顔。
そんな複雑なソウスケの笑顔を見たのはこれが初めてだった。
吸うのを忘れたタバコが、アタシの右手でそのまま灰となって落ちた。



四件のメッセージ


「Mytuve 新着2時間前 *注意R18G* 【イグニッションユニオン、3回戦の英コトミへの拷問動画】元動画サイトが削除されていたので無断転載です」

「Duwitter 新着1時間10分前 ≪センダガヤマックイィーン≫さんがツイートしました:やっば!! 今回の試合、グロくて最後まで見れなかった。結局どっちが勝ったの?」

「大銀河新聞 新着50分前 仙道ソウスケとイグニッションユニオンにまさかの癒着? なぜ情報漏洩していた?」

「警察無線傍受 ≪○○署刑事課無線≫ 仙道ソウスケについて。未成年略取の疑いで逮捕情を請求。イグニッション・ユニオンの次回対戦時に強制執行とするため、人員を確保せよ」
最終更新:2021年06月07日 00:15