1. 夢幻泡影/The Prime Time of Your Life
幼い頃の俺は、「夢」というものを持とうとしないガキだった。
テレビで一緒に野球中継を見る時、いつものようにアキは語っていた。
「俺は絶対メジャーリーガーになってホームランを打つんだ」
俺は冷めたような態度で肩をすくめる。「そんなこと出来るわけないだろ」「俺達なんて、田舎でサラリーマンでもしてる方がお似合いだ」テレビで聞き囓った言葉を並べて否定する。
兄貴は言う。「やってみなくちゃ分からないさ」「知らないのか? 夢は追ったら叶うんだぜ」根拠の無い自信と共に兄貴は笑う。
バカだけど明るく快活で、ロマンチストの兄貴。小器用で冷静で、リアリストの俺。
十年経って、兄貴が夢を追って家を飛び出した時と同じ年齢になった時、俺は田舎町でただ空っぽのまま生きていた。
兄貴を家から追い出した癖に、結果を出した途端掌を返して自慢げに語る母親。
良い大学を出て、良い企業に就職して、良い嫁を貰うことがお前の幸福だと押しつけてくる父親。
俺はそんな家族を軽蔑しつつ、敷かれた線路から逃れることが出来なかった。本気で叶えたい夢もない。その道を蹴って一人で生きられるほどの才能もない。
俺のことは俺が一番分かってる。そんな言葉をうそぶいて、プライドだけは高く保って、
前を歩いて行く背中をただ一人見送りながら、俺は何もかもを諦めていた。
――そんな時、お前は前を向いて歩き出そうとしていた。
臆病で悲観的で、下を向いて生きていたナミタ。
「これで優勝したら、僕の人生変わるかな」
そう言ってチラシを差し出したお前が俺には羨ましかった。
常に俺の後ろを歩いていたお前は、いつの間にか俺より先に駆け出していた。
慌てて俺は追いかけて、だけど同時に何かが変わる予感を感じ取って、
気付けばヤクザ相手に大立ち回り、しかも盗んだバイクで走り出す始末。
何と無謀で、馬鹿で、向こう見ずなことだろう。
けれどあの時、確かに俺達は希望を抱いていたんだ。
――大会は間もなく終着点に辿り着こうとしている。
ガムシャラに足掻いて、必死に前へ前へと足を動かし続けて、ついに俺達は決勝戦までやって来た。
俺は自分の未熟さを知って、このままだと何も為せないことを理解して、独りよがりを捨てて、強くなった。
だけど頂点まであと一歩のところまで辿り着いて、ふと後ろを振り返った時、俺は気付いてしまう。
『炎』の称号を得た先のビジョンが、俺の中には全く無い。
漆原トウマは田舎町で立ち尽くす、空っぽの少年のままでいる。
2. 諸行無常/Around the world
試合開始日より6日前。村崎別邸にて。
ここ最近ずっと、眠りの浅い日が続いていた。
間もなく始まる決勝戦に向けて、準備に奔走し続けることによる疲労もあるだろう。
だがそれだけじゃない。どこか心が落ち着かず、集中しきれずにいる。
そしてとうとうそれを村崎揚羽に咎められた。
「流石に目の隈が酷すぎるわ……。お前マジでそんなコンディションで戦えると思ってんの」
「……うるせぇ、関係ないだろ」
「関係はある。俺はお前らダフトパンクの『スポンサー』だ」
「……チッ」
3回戦終了直後。ダフトパンクから協力要請を受けた村崎揚羽は当初提示された賞金1億の譲渡を断り、代わりに『スポンサー契約』を持ちかけた。
契約内容はこうだ。
『闇の王と骨の従者』陣営は、ダフトパンクに対して全面協力を行う。対価として新生村崎組の広告塔としてダフトパンクの名を利用する。
「俺達を負かしたお前らが優勝すれば、村崎組の評判と知名度も上げられる。だから俺達は協力を惜しまない、村崎組のためにも勝って貰わなきゃ困るからな」
転んでもただでは起きないとはこのことを言うのだろう。組長じゃなくてビジネスマンだろという言葉は飲み込んだ。
村崎組の組織力は高く、味方につけるメリットは莫大。結果としてトウマとナミタはその契約を受け入れ、拠点をスイートルームから村崎邸へと移していた。
「とりあえず今日一日は休め。ナミタには俺から伝えておくから」
「おい、勝手に決めるな! 無駄に出来る時間なんて一秒も……!」
「じゃあスポンサー命令ってことで。破ったら即契約解除。OK?」
「クッソ、人の弱みを突きやがって……」
その時、揚羽の携帯から着信音が鳴り響く。
「ま、そういうことで。しっかり体調整えろよ。……はいもしもし! 村崎組二代目村崎揚羽です! あっクロスケさんどうも! ご無沙汰してます~! ダフトパンクへの協力、考えて頂けましたか! ……はぁ!? 代わりに俺がアイドル!? 何でそうなるんスか嫌ですよ絶対!!」
電話越しにテンション高く叫びながら村崎揚羽が去って行く。
それを呆然と見届けて、そして短くため息をついた。
◇◇◇
横になって目を瞑っても、どうせ眠れはしないだろう。
トウマは村崎邸の敷地をふらふらと出て、あてもなく彷徨い始める。
こうして東京の街並みを歩くのは初めてだった。
大会参加以降は殆ど余裕も無く、スイートルームに籠もって研究を続けるか戦場の下見に出るかのどちらかのみ。観光などろくに考えてすらいなかった。
周囲を見回せばちらほらと【イグニッション・ユニオン】の広告を見掛ける。
(思ったより規模デカいんだな、この大会)
ふと、街頭のスクリーンに映し出された映像に気が止まる。
迫る巨大な隕石に対してトウマがバットを振りかぶり、それを押し返すシーン。
イグニッション・ユニオンの宣伝としてハイライトを流しているのだろう。目の前で女性二人が立ち止まり、スクリーンを指さして話始めている。
それを見てトウマは慌ててフードを被ろうとし、途中で手を止めた。
通行人とは何度もすれ違った。だが、映像で流れる漆原トウマには気がついても、今この場に立っているトウマに気付く者は誰も居ない。
トウマは静かにフードから手を離す。
別に注目されたい訳ではない。悲しむわけでもない。ただ、当たり前の事実を理解するだけだ。
結局、漆原トウマは何者にもなれていない。
向こう見ずに伸ばしたこの手は、未だ何も掴めずにいる。
「……帰るか」
振り返ってもと来た道を戻ろうとした時、目の前で誰かとぶつかった。
「アイタタタタ……」
ぶつかった衝撃で老人が転び、尻餅をついていた。
やってしまった。周囲が見えていなかったこちらの不注意だ。
申し訳なさを感じながらトウマは慌てて、
「すみません、大丈夫ですか」
そう言って手を差し出す。
「ええ、どうも……。おや、」
トウマの顔を見るや否や、老人は声を上げて、
「貴方は漆原トウマ選手、ですかな」
「まぁそう、ですけど」
老人の体をゆっくり引き上げながら、トウマはぎこちなく返す。
「私、ダフトパンクのお二人を応援しておりまして。手袋の上からで失礼ですが、是非握手を」
「ど、どうも……」
差し出された老人の手を握り返す。手袋越しに感じるその掌は硬く、重ねてきた年月を感じさせる。
老人は嗄れた声で語り出した。
「私の孫も貴方くらいの年齢でして、どうにも他人事に思えんのです。まぁ私のことはどうでもよいのですがね、もしお会い出来たらお聞きしようと思っていたことが一つありまして」
「はぁ」
一方的に話し始める老人に対し、トウマはやや押され気味に相づちを打つ。
こちらの不注意で転ばせてしまった以上、無下にするのにはどこか引け目を感じる。これに答えたら理由付けて退散しよう。そう心に決めて、
老人はただ一言、
「貴方ほどの若い人が、何故このような大会に参加を?」
まるでこちらの悩みを見抜かれたかのような一言だった。一瞬言葉を詰まらせ、それを飲み込むとトウマはぎこちない表情を浮かべる。
「えー実は、具体的に何のためにというのが無くて。ナミタの奴が生活費に困ってるから手助けをしてやるかってくらいで後は何も」
「なるほど、それで悩んでいらしてるのですね」
「……悩んでるのはまぁ違いないですけど、何故」
「顔を見てれば分かりますよ。寝不足だけじゃそうはなりません」
「……そうですか」
この老人の洞察力が凄いのか、或いは自分が相当酷い顔をしているのか。
柔和な笑みを浮かべた老人は指を一本立てて、
「老婆心ながら一つ助言を差し上げましょう。【イグニッション・ユニオン】はただの過程に過ぎません。一つの終着点(ターニングポイント)であるでしょう。ですが、そんなものこの先の人生では何度だって遭遇するものです」
「目的の無い参加、結構ではありませんか。これからのことなんて終わった後に考えればよろしい。まずは目の前に全力で。勝てなければ皮算用に終わるのですから」
「……」
「出過ぎた真似をしましたかな?」
「……いえ。アドバイス、助かりました。ちょっと考えてみます」
「ははは、それは何より」
トウマは丁寧に頭を下げる。
「……じゃあ俺はこれで。ぶつかってすみませんでした」
「いえいえ、良い機会を頂けましたから。どうか頑張って」
老人は優しく手を振って応じた。
◇◇◇
漆原トウマの姿が見えなくなるまで見送った後、老人は逆方向に歩き出した。
近くの路地裏に入り込み、周囲を確認してから呟くように言葉を発する。
「……聞こえておりましたかな、お嬢様」
「金甌無欠(パーペキ)! やっぱり爺やしか勝たんわ~」
胸元のポケットに入れられたスマートフォンは、既に通話状態となっていた。
老人は折り曲げていた背をすくりと伸し、杖を利き手に持ち変える。先ほどまでの嗄れた声にはほど遠い、明瞭に通るバスボイスで通話を続ける。
愛嬌のある老人の姿は既にない。ここに在るのは熟練の忍び、「老い忍」の白鳥だ。
仕草や声など、印象に残りやすい要素を変えるだけで人間の認識は簡単に騙される。ぱりなの師たる白鳥にとって、この程度の常形遁は容易いことである。
「それで爺や、どう?」
「目標より五間離れて二人。それぞれ魔人と隠形の使い手、双方手練れにてございます」
「うーん、尾行は虎尾春氷か! 村崎組真実パないわ~」
白鳥が漆原トウマに接触したのは、村崎別邸周辺の警備を調査するためだ。
『闇の王と骨の従者』陣営が拠点として利用した村崎別邸。
多方面から恨みを買い、常に命を狙われる村崎大亜の居城だけあってセキュリティレベルは極めて高い。加えて『スニー王』によって自在に音を消し、また彼自身も密偵として高い技量を持つ下衆山根津太郎が常に目を光らせている。
故に盗聴は意味を成さず、外部との情報管理も徹底されている。通信回線すら独自に引いたものを使用、更に防衛専門のファイアウォールを雇っているほどの周到さ。もはや要塞と言っても過言ではない。
ぱりなと白鳥の二人が侵入を強行すれば情報は得られるだろうが、武力で上回る村崎組を敵に回すリスクに釣り合わない。結果、『ぱりなリサーチ事務所』の『闇の王と骨の従者』に関する動向調査はあまり芳ばしい成果を上げていなかった。
そんな『ぱりなリサーチ事務所』にとって天敵とも呼べる『闇の王と骨の従者』陣営が、ダフトパンクの全面バックアップを宣言。これによって3回戦終了以降、ダフトパンクの動向に関する情報は全て封鎖されている。
今回も糸口を探しての接触だったが無為に終わりそうだ。ツーマンセルで精鋭を護衛に置くほどの徹底ぶり。いくら白鳥が熟練の忍びといえど、全く気付かれずに追跡することは難しい。
「マジ悲嘆だけどしゃーねーぜ。爺やは帰投よろ!」
「承知いたしました、お嬢様」
スマートフォンの通話が終了される。
「……ふぅ」
らしくもないことをしたものだ、と白鳥は自嘲する。
漆原トウマへの助言は、本来果たすべき目的とは何の関係も無い。本当にただの老婆心だ。
英コトミの時もそうだった。主人と同年代の若者を相手にするとどうにも調子が狂う。
主人であるぱりなの方がよほど忍びの在り方を徹底している。一応は師でありながら何と情けないことか。
「……随分と老いたものですな」
重ねたのはぱりなか、かつての主人か、或いは未熟だった若き己の姿か。
老忍者は静かな笑みを浮かべながら路地裏の影に消えていく。
3. 傲岸不遜/Star boy
帰宅した頃にはもう辺りは暗くなっていた。
ボディチェックや金属探知機による念入りな検査を受け、それから広い玄関へ足を運ぶ。
ナミタが一人腕を組んで待っていた。
「聞いたよ。いかにもぶっ倒れそうだったから揚羽さんが無理矢理休ませたって。何でもっと早く休まないのさ」
「お前もかよ、うっせぇな……。色々あんだよ、色々」
「色々って言われても分からないって。まぁ、ちゃんと休めたなら良いけど」
ナミタは大げさに肩をすくめ、ため息をついた。
トウマはじっとナミタのことを見つめる。
「どうしたの」
「……なあ、少し歩かないか」
「今から……? もう大分暗いしトウマ帰ってきたばっかりじゃん」
「敷地の外には出ねぇよ。別に良いだろ」
そう言って、トウマはナミタを無理矢理外へ連れ出した。
空はどんよりと曇り、星の一つも見ることが出来ない。
トウマとナミタは敷地内の外灯を頼りにふらふらと歩く。
「トウマ、5億ってどのくらいの金額なのかな」
決勝戦に進み、現実味が出てきたからかナミタはやや興奮気味に話始める。
トウマはため息をついて、
「税金差し引かれるから、貰えるの半分以下だぞ」
「えっウソ!?」
「ウソじゃねぇよ。懐に入るのはざっくり2億とかその程度」
「……じゃあディックさん達に支払う分考えたら」
「残り1億だな」
「もう全然残ってないじゃん……」
ナミタはがっくりと肩を落とす。だが、本気で落ち込んでいるようには見えなかった。
それは1億、仮に山分けで5000万としてもナミタにとって想像も及ばないような金額だからだ。その意味では5億も1億も大して変わりはしないのだろう。
「もし優勝出来たら、高卒資格を取って大学目指したいんだ」
ナミタはそう呟いた。
「大学出れたらそれなりの仕事に就いて食べていけるかなって。あと今までろくに学校通えなかったから興味あるし」
「……そうか」
ナミタには、大会後の明確なビジョンがある。当然だろう。日々の食事にも困っていたような人間にとって、大金はそのまま人生を変える希望になる。
だからナミタは惑わずに走り続けることが出来る。コイツは生きるために戦っているのだから。
「トウマは? 何か考えてる?」
「俺は、まぁ別に。勝ってからで良いだろ。勝たなきゃ0円だぜ」
「うえー、耳が痛い。負けたら本当にどうしよう……」
ナミタが顔をしかめてみせる。
随分と表情が豊かになった。長い付き合いだが、今まで泣き顔と沈んだ顔以外見たことがなかった。
大会を通じてナミタは大きく変わった。コイツなら大会終了後も上手くやっていけるだろう。
「……余計な心配するんじゃねぇよ。お前を絶対勝たせてやる。人生変えるんだろ」
自然とそんな言葉が溢れた。
ナミタは少々驚いた顔をすると、笑って、
「二人で、でしょ。勝つのも、人生変えるのも」
「……ああ、そうだな」
それに静かに頷いて、トウマは空を見上げる。
雲が僅かに晴れて、星が一つだけ顔を出した。
キッカケをくれたのはお前だ。だから、
漆原トウマは、時雨ナミタを送り出すために炎を燃やす。
己の全てを薪としながら。
◇◇◇
【速報】『闇の王と骨の従者』敗れる!! ダフトパンク奇跡の決勝進出!!
優勝候補、『闇の王と骨の従者』の敗退は世間に大きな衝撃をもたらした。
片や大会最上位の実力を持つとされる強豪。片や実績皆無の高校生コンビ。ここまで勝ち上がったのは運によるものだと揶揄すらされたダフトパンク、無名のダークホースは強豪を相手取った鮮やかな勝利によってその評判を一気に覆す。
2回戦以上に洗練された戦いを見せたダフトパンクの実力を疑う者はもはやいない。
対してぱりなリサーチ事務所も最悪の犯罪者、仙道ソウスケの撃破によってその勇名を高めてゆく。
『奇跡のスーパールーキー』ダフトパンク!! 『現代の怪物狩り』ぱりなリサーチ事務所
熱狂の渦を引き起こし、二組は決勝戦にて激突する。
◇◇◇
しのぶれど
色に出でにけり
わが恋は
ものや思ふと
人の問ふまで
———平兼盛『拾遺集』より
TEAM "DAFT PUNK !!"
Final session……
【Episode:04- 所詮人間/Human Aftar All】
———feat. PARINA research office
◇◇◇
そして最後の幕が開く。
舞台の名は六本木ヒルズ。
挑むは二人のルーキー、立ちはだかるは女子高生と老忍者。
鏡の世界に勝者は二人。
【炎】の称号を得る時は今。
◇◇◇
4. 風林火山/Harder, Better, Faster, Stronger
反転する。逆転する。鏡鳴する。鏡感する。
世界が歪み、全てがさかさまの世界へと、4人は放り込まれた。
そして、試合開始より僅か3分。
六本木ヒルズ森タワー、中央ロビー。
漆原斗トウマは広く開けたこの場所に陣取り、ただ一人静かに待ち構えていた。
周囲に障害物は無く、視界の通りも良し。
故に、トウマは仕掛けられた不意打ちへと即座に対応する。
死角より振るわれた刀を金属バットで弾き飛す、刀を振るった刺客は後退してトウマを見据える。
現れたのは「老い忍」の白鳥。タッグパートナーである不忍池ぱりなの姿はない。
(……予想通りだ)
風を切って手裏剣が二度放たれる。更にほぼ同時に白鳥が踏み込み、獲物たる仕込み杖による神速の一太刀。
手裏剣は周囲に仕込まれた血判によって軌道をねじ曲げられ、あらぬ方向へ。トウマは即座に金属バットを抜き放ち、仕込み杖を迎撃する。
繰り返すこと4度、金属音が鳴り響く。隙を突いて放たれる掌打。トウマはそれを回転で受け流し、カウンターの裏拳を放つ。白鳥は仕込み杖にて防御。追撃の寸勁を後方に大きく飛び退いて躱す。
「逃がすか!!」
トウマは即座に懐のトカレフを抜き放ち、発砲する。
愚策だ。白鳥は思考する。トウマが銃を使い慣れていないことは明らかだ。極限の戦場において、慣れない獲物に頼ることほど愚かなことはない。
弾丸を放たれた『後』に最小限の動きで躱す。そのまま鎖鎌を抜き放とうとし、
直後、太腿を貫かれる感触。
動きを止める白鳥。トウマはその機会を見逃さず。
「ラァ!!」
全力の踏み込みと共に金属バットが振り下ろされる。仕込み杖の切り返しは間に合わない、素手で威力を殺しながら受け止め、押さえ込む。発散させきれない衝撃を受け、僅かに骨が砕ける感触。
太腿を貫いたのは間違い無く銃弾だ。そうなれば解答はただ一つ。
「能力による飛び道具の軌道変更ですかな。初めて見せる手で」
「仮に見せてたらアンタには通じなかっただろうよ」
今までの試合で血判の防御利用を印象付け、そこから裏を掻く奇襲。言葉通り、既にトウマはトカレフを投げ捨てて金属バットを構えている。二度も通じる手段ではないと割り切っている。
(……強い)
白鳥は僅かな攻防によって得られた情報をフィードバックし、漆原トウマに対する見積もりに上方修正を行う。
恐るべきは漆原トウマの成長速度。数週間で仕込んだと思えぬほどの戦闘技術、そして戦い方そのものが『最適化』されている。
僅かな時間で血判を多数配置し、戦場の優位性を確保する手際。間合いの内側をカバーする体術の練度。魔人能力とシナジーする飛び道具の活用。
金属バットを振り回す喧嘩殺法でしかなかった彼の戦い方は、度重なる死闘によって洗練され、完成度を著しく高めていた。
だがそれでも尚、二人の間には隔絶した実力差が存在する。
足元で何かが踏み潰される音。同時に煙幕が二人を包み込み、視界を遮っていく。
煙幕の利用は織り込み済みだ。血判が引き寄せる『意思の無い運動』。それは「気体」ですら例外ではない。
煙が収束するように一方向へと流れていく。トウマは後方に退いて視界を確保し待ち構える。だが、そこに白鳥の姿は無い。
――直後、背後からの斬撃。
「ッ!!」
肉体が反射行動を起こしていた。だが、それでも回避にはほど遠く、背後から肉体は切り裂かれる。そして、遅れてトウマはその一撃を認識する。
『血判によって煙幕を流される』ことを白鳥は更に読み切って動いていた。煙幕はトウマの意識を逸らすための囮。同時に白鳥はトウマの視線を掻い潜り、背後に回り込んで一太刀を繰り出している。
トウマは流れるように放たれる二の太刀三の太刀を連続で受け止め、膂力で強引に弾き飛ばす。受けた傷は幸い致命傷には至らない。しかし、あと僅かに深ければ容易く命を絶っていただろう。
(強い……!!)
先ほどの一撃に、トウマは『殺気』や『気配』というものを感じ取ることが出来なかった。
斬られた後に初めて認識が追いつくほどの一撃。
それは魔人能力ではない。特殊な技術でも、秘剣でも魔剣の類いでもない。
ほんの少しだけ速く踏み込み。
ほんの少しだけ静かに動き。
ほんの少しだけ死角を取り。
ほんの少しだけ定石を外す。
ただそれだけの積み重ね。それだけの一太刀。
研鑽練磨のその果て、人の身で届く至高の斬撃は見る者に全てを理解させる。
――そんなことは最初から分かっている
白鳥は静かに仕込み杖を構え直し、切っ先をトウマに向ける。トウマも応じるように金属バットを構える。
――この爺さんに正面から勝つのは無理だ。実力の桁が二つ違う。
漆原トウマは既に気付いている。『闇の王と骨の従者』相手に使用した能力応用。技術が洗練された達人であるほどに『無意識の動作』を引き寄せる血判は力を発揮し、確かな精度低下を引き起こす。
だが、白鳥はその影響を一切受けていない。それは何故か?
恐らくは『無意識の動作』を極限まで減らしているのだろう。肉体の全て、爪の先にまで意識を張り巡らせ、己の制御下に置くことで血判の誘導を回避する荒技。
血判が『無意識の動作』や『反射行動』にまで作用することはトウマの切り札の一つだった。だが、ぱりなリサーチ事務所は当たり前のように対策を施してきた。頼ることは出来ない。
(簡単に人間辞めやがって、この化け物コンビが……!!)
直後、外から鳴り響く轟音。
トウマはその方向へ視線を向ける。
六本木ヒルズの敷地内には二箇所庭園がある。その一つ、毛利庭園。
その庭園に続く道が、周囲の建造物の崩落によって塞がれていた。
恐らくは現在地より遙か上層のフロア、血判の効果範囲外からの『手裏に秘するがしのぶの華よ』最大威力投擲。
目的は水源の封殺。こちらの選択肢を潰す一手。
『ぱりなリサーチ事務所』の戦い方は『詰め将棋』に例えられる。相手の握る手札に対して最善手で捌き続け、息切れしたと見るや即座に王手をかけて勝利に持ち込む。
言ってしまえばシンプル、それ故に恐ろしい。
――だが、全部織り込み済みだ。
追い詰められておきながら、漆原トウマの思考は恐ろしく澄み渡っていた。
村崎組の力を借りた情報隠蔽は効果を発揮している。
こちらが『最初から』選択肢として切り捨てている毛利庭園、それをわざわざ封鎖した時点で明白だ。トウマの作戦が予め読まれていたのならば、ダフトパンクは既に敗北しているだろう。
そして、ダフトパンクの狙いは最初からただ一つだ。
火をつけろ
――初めは「逃避」だった。ここで手を取れば何かが変わる、そんな曖昧な願望を胸に俺はナミタの手を取った。
火を付けろ
――1回勝ったらそれは「欲」に変わった。俺は兄貴の付属品じゃない、俺は俺自身の優秀さを証明しようとして、そして容易くへし折られた
火と火を重ねて炎を燃やせ
――2回勝ったら俺は「周囲の期待」を意識するようになった。応援してくれる人が増えて、兄貴も俺に託してくれて。だが、そんなものは自分を騙すための嘘だった。
炎を燃やして燃やし尽くせ
――3回勝った時、俺は完全に見失った。空っぽなのを誤魔化しきれなくなった。それが苦しくなって、俺は一人でうずくまった。
燃え尽きるまで何度も、何度も、何度も
――そして今は、この瞬間は、ガムシャラに走り出すアイツのために、俺は俺の全てを燃やす。
点火せよ、無敵の炎を
開始より7分。六本木ヒルズ森ビル32階。
不忍池ぱりなに向かい合うは時雨ナミタ。
軟体巨人が女子高生に拳を向ける。
『俺は白鳥を足止めし続ける』
『ぱりなと戦うのは、お前だナミタ』
5. 泡沫夢幻/Steam Machine
「『涙を飲んで生きる』は条件付きだが広域破壊を可能にする魔人能力だ。アイツらがお前をフリーにすることはないだろう」
「1回戦と3回戦を見る限り、不忍池ぱりなと白鳥は躊躇無く単独行動を取る。俺達との戦力差を考えれば尚更だ。タイマンで有利を取れる以上乗らない理由がない」
試合開始前の作戦会議、トウマはナミタに対してハッキリと口にした。
「俺達が取れる最大の攻撃手段、それは『戦闘地形そのものの大規模崩落』だ。物体の耐久性を無視して破壊するお前の能力なら、構造の一部をスライム化するだけでビルを崩落させられる」
「更に、俺とナミタはそれぞれ落下物の誘導と肉体の軟体化で崩落のダメージを踏み倒し可能。逆にぱりなと白鳥には脱出以外に凌ぐ手段はない。一方的に巻き込むことが出来る」
「だが、これはぱりな側も想定しているだろう。断言しても良い。だから、俺達はこの作戦をブラフとして利用する」
ビルの構造とその脆弱性を考えれば、崩落に有効なポイントは全11箇所に限られる。そして、過半数以上を壊さなければ自重で崩落させることなど不可能だ。
時雨ナミタはそのうち1箇所のみを破壊。これによってぱりな側に大規模崩落を警戒させ、最上階まで駆け回らせる。これによって時間稼ぎを行い、ナミタは仕込みを完了させて待ち構える。
仮にこちらの意図に気付いていたとしても、崩落を起こされるリスクがある以上無視することは出来ないだろう。
屋上庭園と毛利庭園、2箇所の水源の利用も完全に切り捨てる。どちらも立地が悪く、10m超の巨人を構築したとしても有効活用は不可能だ。そもそも自我が希釈され、判断能力が低下する巨人化を『ぱりなリサーチ事務所』の二人にぶつけるのは悪手。デカブツを処理する手段などいくらでも持ち合わせている。
以上2つの戦術を切り捨てたことで稼いだ時間は7分。うち移動等を差し引けば5分。
二人は会敵し、フロアの中心にて対峙していた。
早すぎる。
目の前に現れたぱりなを前にしてナミタは歯噛みした。
作戦会議段階では、ナミタを見つけ出す時間も含めてあと数分はかかる算段だった。裏の世界で諜報と隠密を担ってきたプロ集団、その首領の名は伊達ではない。
ナミタはその巨体を躍動させ、拳を振りかぶる。
ぱりなは紙一重で躱し、逆手に持ったデコ苦無による三閃。
喉、膵臓、腕の腱、全てが致命の一撃。
だが、完全に切断にまでは至らず。全て即座に再接合され、修復される。
『自我を保ったままの巨人化』、ナミタがぱりなを打倒するためにダフトパンクが用意した隠し球の一つ。
『涙を飲んで生きる』によって生物がスライム化された場合、水を吸えば吸うほどに自我が希釈されてしまう。
10m超の巨人化を行った際、半ば暴走状態となるのもこのためだ。殆ど意識は失われ、制御することは不能。
ならば、サイズを調整すれば自我を保ったまま巨人化が可能なのでは? 時雨ナミタはそう考えた。
そして度重なる検証の結果、約2.4mまで抑えればギリギリ自己判断能力は保たれ、魔人能力の行使も可能なことが判明している。
この程度のサイズならば持ち込める量の水だけで十分に実行可能。水源に頼る必要も無い。
肉体の耐久力に任せた強烈なローキック。
水と共に無数のガラクタを取り込むことによって、軟体でありながら打撃に強烈な威力を伴わせることが可能。
一発、二発、三発。
その全てが必殺級。
受け流し続けるぱりなに余裕はない。
――能力の活用なんて何一つ考えてこなかった。言われた通りに能力を使っていれば大丈夫だとずっと思っていた。
今は違う。時雨ナミタは漆原トウマに勝利を託された。
ならば、僕は全力を尽くさなくちゃならない。
負けっぱなしの僕達はやっと、大きな夢に手を届かせようとしているのだから。
勢いのままナミタは更にコンビネーションの連打を仕掛ける。
質量は力だ。10m級までには至らずとも、倍近くまでの体格差を確保出来ているならば、押し相撲の如き攻めが有効となる。
戦闘技術の研鑽を行っていたのは漆原トウマだけではない。『時雨ナミタに直接戦闘力はない』その想定を覆し、ぱりなの読みを崩すための一手。
サポート専門と思われたナミタの予想外の猛攻に、ぱりなの動きは僅かに鈍っている。それでも尚全ての打撃を捌いていくぱりな。一旦距離を取ることを試みるがナミタは更に距離を詰め、頑なに許さない。強引に逃げ道を奪いながらフロアの端にまで追い詰める
攻撃を捌きながらぱりなはデコ苦無を手放し、徒手へと切り替える。
そして即座に放たれる、内蔵狙いのボディーブロー。
『ウウ……!!』
巨人は膝をつき、苦悶の声を漏らす。能力の性質上、肉体構造そのものを変えるわけではない。臓器類はそのまま保持されている。修復が可能な切断よりも打撃の方が有効。ぱりなはそう判断し、更に拳を振りかぶる。
――直後、うずくまるナミタの体から何かが放たれた。
「ッ!!」
ぱりなは距離を取って即座に手を地面に向けて大きく振るう。
生成された透明な刃によって遮られ、弾かれる。
『手裏に秘するがしのぶの華よ』の防御利用。ナミタの胴体から放たれたたのは有刺鉄線。能力解除を利用した物体の射出は未だ健在。
大げさにうずくまったのはぱりなの追撃を誘い、有刺鉄線を確実に当てるためのブラフだ。
ナミタは更に地面に手を置いて能力を発動する。
予めフロアに薄く撒いた水を媒体とする床のスライム化。ぱりなの足元がぐにゃりと歪む。
姿勢を崩したところを一気に詰めて放たれるのは膝蹴り。
ぱりなの肉体は直撃を受けて大きく吹っ飛び、そのまま壁に叩きつけられた。
(いける……!!)
ハッキリとした手応えがあった。
今、時雨ナミタは不忍池ぱりなに対して互角以上に渡り合っている。
このままいけば必ず……!!
「『 手裏に秘するがしのぶの華よ』」
ザンッ。
突如、右腕の感覚が消失。
「!?」
二度風を切る音が鳴る。
ナミタは本能でその場から飛び退いた。
体を僅かに掠めて切り裂いて、窓ガラスをぶち破る透明な飛来物。
それは同時に2発放たれていた。
恐らくは1発目で腕を切り落とし、再接合の前に2発目を当てて吹っ飛ばしたのだろう。
では、どうやって?
答えは一つ。
素足を利用した『手裏に秘するがしのぶの華よ』の複数同時射撃。
時雨ナミタは3回戦の試合映像を思い出す。
白鳥は素足によって投擲した苦無で英コトミの命を奪ってのけた。
不忍池ぱりなにこの程度、出来ぬ道理はない。
忍の戦に言葉は不要。
ただ、手は全て見切ったと。そう言わんばかりの冷静な瞳がナミタを捉える。
時雨ナミタと不忍池ぱりな。
二人の間には隔絶した実力差が存在する。
6. 有耶無耶/Da Funk
試合開始より10分。中央ロビー。
血まみれになって立つのは漆原トウマ。対して白鳥の負傷は決して多くない。
金属バットと仕込み杖の激しい打ち合いが続く。
上段より一太刀、横薙ぎの二太刀、袈裟斬りの三太刀。
全てを受け、払い、差し返して凌ぐ。続けて放たれる前蹴りは両腕で押さえ込んで止め、振り下ろされる肘は右前方に逃れて躱す。
同時にトウマは白鳥のベルトを掴んでいた。狙いは投げ技への移行。
腰から体勢を崩し、そのまま地面に後頭部と脊椎を叩きつける一撃。
ローション柔術四十八手 網代本手
ダンッ!!
地を踏み締める強烈な足音。
直後、宙に飛ばされたのは漆原トウマ。
力の完全な逆利用。あまりにも無駄の無い返し技。
無防備となったトウマを狙い、刃が振るわれる。
「まだだ……!!」
トウマは空中で体を捻り、金属バットで強引に弾き飛ばす。
その勢いのままトウマは着地、バックステップで白鳥から大きく距離を取る。
ローション柔術までもが潰された。
もはや切れる札は残っていない。
この戦いにおいて、白鳥の取り得る手段は大きく制限されている。
苦無、煙幕、火薬玉、仕込み銃撃。飛び道具は全てトウマの血判によって誘導され、封殺が可能。
更にトウマは新しい技術を数多く取り入れ、戦闘スタイルの大幅な改造を行っている。3回戦までのデータだけで対応することは難しいはずだ。
本来ならば相性有利であるのはトウマ。だが、根本的な地力の差がそれを容易く覆す。
あらゆる猛攻、その全てが一歩届かず凌がれる。そして一度使った手は即座に対応され、二度と通じることはない。
時間が経過するほどに、漆原トウマは明らかに劣勢となっている。
――だが、トウマの表情は至って冷静だった。
まるで、今でも明確な勝ち筋を残しているとでも言うような。
「……不味いですな」
白鳥は仕込み杖を構え直す。
漆原トウマの粘りは驚異的なものであったが、同時に違和感を覚えさせるものでもあった。
考えられる可能性。漆原トウマが状況を覆す策を隠し持ち、その実行を狙っているとしたら。
二人の魔人能力の特性は把握済みだ。広域破壊が可能な時雨ナミタは現在ぱりなが引き受けている。更に3回戦以降のルール改定によって、試合開始前の仕込みは不可能。たった7分で成立する策など存在するのか。
白鳥は即座に思考を整理。今己がやるべきことは一つ。
漆原トウマの策が成る前に致命の一撃にて試合を終わらせる。
白鳥が踏み込んだ。
それは極めてシンプルな技だった。
上段のフェイントを掛け、がら空きになった胴を突く一撃。
僅かな動作で相手を吊り、即座に切り返し、相手の意識が追いつく前に刀を伸ばす。
極まった隠形術、完全な脱力、研ぎ澄まされた速度を以て、
それは究極の一を成す。
不忍池流忍術 『無明』
僅か一瞬のうちに、仕込み杖はトウマの肉体を貫いていた。
「ガハッ、ゴボッ」
大量の血が吐き出される。両腕は瞬く間に力を失い、金属バットが音を立てて床に落ちる。
内蔵多数損傷。ここから生き延びる術はもはやあるまい。
「これにて御免」
試合の決着を確信した白鳥は静かに呟く。
だが、
トウマが浮かべていたのは笑みだった。
「間に合っ、た」
トウマは誰にも聞こえないほどにか細い声でそう呟いた。
力尽きる直前、トウマの耳から小型イヤホンがこぼれ落ちた。
◇◇◇
試合開始より10分。六本木ヒルズ森ビル32階。
大気を切って刃が無数に放たれる。ナミタはそれを必死に躱し、だが幾度も切り裂かれる。
接近しようにも、設置された透明な障害物がナミタの行動を制限する。そして、僅かにでも足を止めれば『手裏に秘するがしのぶの華よ』の餌食だ。
序盤の攻防から一転、ナミタは防戦一方となり追い詰められていた。
能力の特性上、ぱりなの振りから射出される方向を特定することは可能。更にモーションと速度によってどの程度威力が変動するかも解析済み。
村崎揚羽の透明化を利用した仮想訓練を幾度も行ってきた。準備は万全だったはずだ。
それでも尚、反応が追いつかない。
二発同時に放たれる見えない刃が左右への逃げ道を奪う。
足を止めたナミタ。そこを狙ってデコ苦無が放たれる。
ナミタは右腕を前方に構え、苦無を受け止める。この程度で貫通させることなど不可能だ。ナミタは刺さった苦無を抜こうとする。
直後、突き刺さった箇所を中心に肉体が痙攣を始め、痺れが広がっていく。指の自由が効かなくなり、抜こうとした苦無は掌からこぼれ、カランと音を立てて落ちた。
「毒か……!!」
時雨ナミタの巨人化は水の大量吸収によって体を膨張させることによるものだ。肉体構造自体を変えるものではない。故に、毒物の類いは有効だ。
3回戦に至るまで一度も見せてこなかった苦無以外の忍道具の利用。
それは不忍池ぱりなが未だ手札を出し切っていないことを意味する。
右腕を失い、体力も底をつきようとしていた。
もはや、彼一人で出来ることなど何も残っていなかった。
体の自由を奪われながらも、必死に立ち上がろうとする。
ドスッ、ドスッ。
放たれた2発の透明な刃が左足を切り飛ばした。
バランスを崩し、そのまま転げ落ちる。
ナミタは必死に起き上がろうと片腕を突いて、
直後、ナミタの体が一瞬硬直。
(ああ、活動時間の限界か……)
全身から水分が抜け、足下に水溜まりが広がっていく。
ナミタの肉体が萎んでいき、やがて残るのは小柄な少年の姿。
立ち上がることはない。疲労と毒がその力を奪っている。
ぱりなはそれを確認すると、静かに振りかぶる。
見かけによらずブラフを使える相手だ。周囲の水溜まりを起点に能力を発動する可能性もある。遠距離から確実に仕留めるのが最適解だ。
万全を期す、最大出力の一振り。
「『手裏に秘するがしのぶの華よ』」
それをただ見ていたナミタは、
「――今だ」
ピンマイクに向けてそう呟いた。
7. 遮二無二/One More Time
魔人能力『トップを狙え / Aim for the TOP』
『意思の無い運動』を血判に引き寄せる能力。
『意思の無い運動』には、落下物、投射物、生物の反射的行動や無意識の動作などが含まれる。そのため、生物の意識的な行動に対しては発動しない。効果範囲は半径20m。
血判はトウマの指と血を使って押したものに限られる。血判が複数存在した場合、機能するのはどれか一つのみであり、どれを機能させるかは任意で切り替えが可能。
この魔人能力には2つの抜け穴がある。
1つ目。血判の引き寄せには効果範囲が存在するが、複数存在した場合の切り替えに関しては距離の制約が定められていない。
例え地球の裏側であろうともトウマがそこに血判があることを認識していれば、ノータイムで機能させることが可能である。
2つ目。血判はトウマの指と血を使って押したものに限られるという制約。
指定されているのはあくまで『トウマの指』。『手の指』でなければならない訳ではなく、
また『トウマ自身』が押す必要もないのだ。
大規模崩落と水源利用。二つの戦術を切り捨てることで稼いだ時間は5分。
その間にナミタはフロアのあらゆる箇所に血判を仕込み、位置を逐次トウマに伝えていた。
通信手段は小型のピンマイクとワイヤレスイヤホン。
そして、血判を押すのに利用したのはトウマの『右足薬指』。
試合開始前にトウマは自らの手で切断し、ナミタに託していた。
――やれることは何でも使ってやるさ。それで勝てるのなら
普通に実行するだけではダメだ。不忍池ぱりなは必ずやダフトパンクの意図を悟り、凌ぎきるだろう。勝負は一度きり。確実に成功する状況まで持ち込まなければならない。
遙か格上の相手に単独で挑む無謀な戦い。それは、『時雨ナミタが力尽き、ぱりなが己の魔人能力にて確実に仕留めに掛かる』、このシチュエーションを生み出すため『だけ』のもの。
勝てないと分かっていながらあらゆる策を使い、死力を尽くしたのもぱりな側に真の狙いを読まれることを防ぐためである。
ダフトパンクの狙いは最初からただ一つだ。
完成された怪物、不忍池ぱりなにたった一瞬の「隙」を作り、それを突いて倒す。
全てはそのために捧げられる、あまりにも壮大な仕込み。
「――今だ」
ピンマイクに向けてそう呟いた。
放たれる直前、彼女の背後に設置された血判が起動する。
ぱりなは違和感に気付き目を見開いた。だが、止めるにはもはや遅かった。
魔人能力『手裏に秘するがしのぶの華よ』
手裏剣を放つ素振りをすることで、不可視の手裏剣を繰り出す能力。
その手裏剣は、振るう速度が速いほど鋭さが増し、モーションが大きいほど巨大になる。
――当然、その手裏剣は『トップを狙え』の効果対象。
ナミタを仕留めるはずだった刃は速度をそのままに正反対の軌道を描く。
最大威力、最高速度で放たれた一投だ。防御も回避も間に合わない。
「……やんじゃん、ナミチャ」
透明な手裏剣が、ぱりなの肉体を深く切り裂いた。
彼女は勝者を讃えるように笑ってみせると、そのまま崩れ落ちた。
それを見届けた後、ナミタは仰向けにばたりと倒れ込み、ゆっくりと拳を突き上げる。
「僕たちの、勝ちだ」
たった一つに全てを賭けた執念は、ダフトパンクの勝利という形で結実した。
———Final Session is over!!
【Winner: ダフトパンク!!】
Finisher:不忍池ぱりな、内蔵多数損傷により戦闘不能――
◇◇◇
これが僕たちの戦いの結末。
『ぱりなリサーチ事務所』という難敵を下し、ダフトパンクは16組32人の頂点に辿り着きました。
田舎で燻っていた2人の少年達は長く険しい道のりの末に、あまりにも大きな夢をその手に掴み取ったのです。
全身が喜びで溢れ、目から涙が零れていました。
嬉し涙で泣くなんて、僕には本当に初めての経験でした。
元の世界に戻った時、周囲から溢れた熱狂と歓声。
ダフトパンクの優勝、新たなチャンピオンを讃える声の数々。
僕は感極まって、隣のトウマに声を掛けようとして、
そして気がついてしまったのです。
トウマは静かに立ち尽くしていました。
普段のクールな態度とは違う、まるで燃え尽きた後の灰をイメージさせるような、
トウマの瞳はここではない、どこか遠くを眺めていて。
そんな姿を見ていると、胸がざわつきました。
そして、予感は現実のものとなりました。
――大会が終わった後、彼は人々の前から姿を消したのです。
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▽Error▽
TEAM【404 not found】
このコードは存在しません
Session timeout……
【Epilogue - はちどりのうた】
◇◇◇
日刊DANGEROUS!!
『【特報】イグニッション・ユニオン初代王者『ダフト・パンク』は何処へ消えた!? 時雨ナミタ氏独占取材! 〜漆原トウマの足跡を追って〜』
♥20212
日刊DANGEROUS!!ライター TORAKICHI
2022/4/1 21:00
あの燃えるような一戦から一年。総合エンターティメントサービス『C3ステーション』にて配信された【イグニッション・ユニオン】で活躍したチーム『ダフトパンク!!』の名前は皆さんの記憶に新しいかと思います。
しかし、メンバーの漆原トウマ氏の失踪によりチームは事実上の解散だとファンの間では噂されています。
そこで今回は真相を探るべく、メンバーの時雨ナミタ氏に特別にお話をうかがうことに成功しました!
------------------------------この続きを見るには------------------------------
日刊DANGEROUS!!
『【続報】イグニッション・ユニオン初代王者『ダフト・パンク』は何処へ消えた!?〜第二回、漆原トウマの足跡を追って〜』
♥1993
日刊DANGEROUS!!ライター TORAKICHI
2023/6/20 23:59———
------------------------------この続きを見るには------------------------------
『【悲報】イグニッション・ユニオン初代王者『ダフト・パンク』は何処へ消えた!?〜第三回、漆原トウマの足跡を追って〜』
♥627
日刊DANGEROUS!!ライター TORAKICHI
2024/11/17 21:00———
------------------------------この続きを見るには------------------------------
『【朗報】イグニッション・ユニオン初代王者『ダフト・パンク』は何処へ消えた!?〜第四回、漆原トウマの足跡を追って〜』
♥69
日刊DANGEROUS!!ライター TORAKICHI
2025/6/27 21:00———
------------------------------この続きを見るには------------------------------
———結局、ダフト・パンクが戦いの場へ現れることは二度とありませんでした。人々に熱狂をもたらした鮮烈なその名は、やがて時間と共に忘れ去られると、燃え尽きた残り火だけが燻るように、ゆっくりとその熱を冷まして行きました。
僕は時雨ナミタ。
四年も前の話ですが、僕は闘技大会イグニッション・ユニオンの初代タイトルホルダーだったのです。
僕らは大きすぎる夢を勝ち取り、頂上へと辿り着きました。
しかし、漆原トウマは大会終了後のある日、賞金の全てを譲り渡すと、行き先も告げずに何処かへと旅立っていきました。
———お前をここまで送り届けられて、良かった
ここがお前にとっての始まり、俺にとっての一つの終着点
俺は、自分が辿り着くべき場所に行かなきゃいけない———
彼らしくない、煙に巻いたような曖昧な言葉だけを残して。
僕には、彼を止められませんでした。
ずっとそばに居た相棒だからこそ、走り終えてしまった彼の喪失が理解できてしまったから。
僕は、昔より諦めが良くなってしまっていた。
その頃、僕はなんとか取った高卒資格で大学へ通い始めていました。
ズルズルと惰性のままに平和なだけの生活を享受して初めて、僕は彼と対等になれたと思います。
ワガママで、恥知らずも良いところだけれど。僕らは同じものを共有していた。
「幸福というのは、存外退屈だ」
そして今、卒業を間近に控えた四年生の冬。
引き寄せられたかのように、運命は流れを変え始めました。
あの日と同じ。
何か、退屈が裏返るような予感を引き連れた風が、吹いている気がして。
◇◇◇
【1件の通知があります】
受信トレイ:新着
≪村崎 揚羽 : イグニッション・ユニオン高校生組同窓会のお知らせ≫
◇◇◇
都内某所、カラオケボックスにて。
「———聞いてください、B'zで……LOVE PHANTOM」
「ちょっとアゲハ、また長い曲入れたでしょ」
「いや、皇帝権限だよ。どうせここの会計俺持ちだし……許されたい MY SOUL……STOP THE TIME SHOUT IT OUT 我慢できない……全部許してほしい……!」
長い前奏の間、刃山 椿に脛を容赦なく蹴られながらマイクで愚痴を漏らすのは村崎組二代目組長、村崎 揚羽。
「ぱりなさん【演奏中止】ボタンを押してください、二回」
「委細承知〜☆」
「無常ッ!!!」
同窓会、と銘打って呼び出されたのは四人。
時雨 ナミタ、不忍池 ぱりな、刃山 椿、村崎 揚羽。
イグニッション・ユニオン第一回開催時、17〜18歳だった参加者達の一部だ。
「年齢が近かったのはたまたまで、ナミタさんとぱりなさんは用件があったから、私はアゲハの付き添いってだけなんだけどね」
———漆原トウマの足跡を掴んだ。話がしたいので、指定時刻に下記記載のカラオケボックスにて待たれよ。
追伸、服装規定は学生服と釘を刺されている、悪いが用意しておいてほしい———
ある日、僕の携帯電話に届いたのはそんな一通のメールだった。
もちろん、彼らと連絡先を交換した覚えは無いのだけれど……
「ナミチャ〜今時、個人情報くらい透破抜けだし? 重要案件に使うなら安普請は言語道断っしょ」
「き、気をつけます……」
「ま〜今回は怪我の功名ってかんじ? やっぱナミチャ安定の天佑神助み発揮したっていうか?」
難読言語の会話に何とかついていっていた側で、ついにマイクまで奪われしょぼくれた村崎 揚羽は、諦めたようにモニターの前に戻る。
「……さて、そろそろ本題に入っていいかな」
「単刀直入に、今回集まってもらったのは、行方不明になった漆原トウマの居場所に関する手がかりを掴んだからだ」
村崎 揚羽からの情報提供。曰く、村崎組が行った下位組織への武装解除命令。その際に反発勢力を抑えこむために、とある『掃除屋』を雇ったのだという。
ギャラの代わりに敵勢力から回収した銃器の譲渡を要求する蒐集家、己を意思の無い武器として定義する不死身の殺人鬼、曰くつきのフリーランサー。
長らく『無名』で活動していたソレにはいつしか、その得物に因んだ名前がつけられた。
845gの殺人の道具。
安全装置のない、どんな過酷な環境でも人を殺せる、そのためだけのもの。
生産国、中国。使用弾丸、7.62×25mm。
シングルアクション、ショートリコイル。
その拳銃の名は――
「———黒星、俺が雇った時にそう名乗られた」
「その掃除屋が言っていたのさ『金属バットで銃弾をバカスカ弾く日本人に会ったことがある』ってね」
「それって!」
「ま〜、これで人違いだったらアゲハが土下座するから」
「オレェ?」
トウマは、少なくともまだ生きている。
その掃除屋に会えば、何かが分かるかもしれない。
「妾調べでは真理っぽいよ。接触して探り入れたら、素直に教えてくれたし、人物像も一致してたから」
「で、これがそんとき貰った紹介状」
凄まじい量のストラップがつけられた改造スクールバックから取り出された蝋印の押された質素な封筒。
中には集合場所の住所などの要件だけの簡単な手紙が封入されていた。
「……どうして、敵だった僕らにここまで?」
「———敵? ククク、それは違う」
村崎 揚羽は高らかに笑った。
あの頃の……『闇の王』に戻ったように。
「我らはあの大会で共に殺し合った! だが同時に、同じ記憶を分かつ同胞でもある!」
「そして数多の『最強』を下した無敵の二人組の片割れが、どこぞで野垂れ死んでるかもしれないなど、勝者としての自覚が無い! 踏み潰した敗者達に対して、不遜にも程があろう!」
「よってここに、闇の王の名を以て命ずる」
「———漆原トウマを連れ帰れ」
「……わかった、約束するよ」
それだけ言い終えると、彼は村崎 揚羽の表情に戻って、少し自信無さげにはにかんだ。
「ここだけの話、ナミタさんが組織の腐敗が招いた被害を間接的には言え受けたこと、ちょっと気にかけてたんですよ、この王様は」
ニヨニヨと笑う刃山 椿の茶々入れに、村崎 揚羽はやはりバツが悪そうに苦笑する。
「言わんでよろしい」
「……でも椿、約束だったろ。全部に片が付いたら制服を着て、学生らしいことをしてみたいって」
「俺も、椿も、不忍池のお嬢も、そして時雨ナミタ……君もだ」
「俺たちには、欠落した青春を取り戻す権利がある。制服で放課後にカラオケ……これはごっこ遊びみたいなものだけど、やりたいって決めた、だからやる」
「それに……家出した友達を探すために奔走するなんて、ちょっと青春っぽいじゃんさ」
高校生組。だが集められた四人は皆、学校に満足に通うことができなかった者たちだ。
ごっこ遊びのような青春すらも取り上げられた僕たちの、小さなリベンジマッチ。
「トウマは、必ず見つけてくるよ」
「そうしたらまた、みんなで集まろう」
止まった時間は動き始める。
僕は、青春を共にする仲間に背中を押され、最初で最後の旅に出た。
★★★
某日、北海道南部にて。
「ここかな」
東京を発って数日。
都市部から大きく離れ、長い林道を抜けた先の寂れた山小屋。情報が確かならば、ここに漆原トウマの足跡を知る人物が住んでいる。
「———あなたが、時雨ナミタ?」
まるで、気配が無かった。
歩法や呼吸法などという生易しいものではない。真昼にこんなにも開けた土地なのに、まるで闇から這い出てきたとでも言うように静かに。
それは現れた。
「そのまま、喋らず、振り返らずに、ゆっくり紹介状を見せて」
「心の中で、五秒は数えて……それより速く動いたら、殺す」
ガキリと、拳銃に弾丸が装填される音だけがした。悪ふざけでもなんでもなく、その機械のように冷徹な声の主は撃つ準備ができている。
僕は託された封筒を上着のポケットから取り出すと、ナメクジのようにゆっくりと、自分の足元に置いた。
「うん、無問題……形式的なもの、だから、気を悪くしないで」
振り返る。そこに立っていたのは殺し屋のイメージとは程遠い。オーバーサイズの黒いパーカー、目深に被ったフードから褪せた灰のような銀髪を覗かせる、小柄な少女だった。
「中で話そう、北海道は、寒いでしょ
「お、女の子……」
「どうしたの」
「……黒星さん『掃除屋』だって聞いてたので。てっきりキアヌリーブスとかジェイソンステイサムみたいなおじさんかと思ってましたよ」
苦笑いする僕の横をすり抜けるように、彼女は玄関の鍵を開ける。口数が少なく掴み所がない、黒猫のような子だった。
案内された小屋の中は、暖炉のおかげで暖かい。
「コーヒー淹れるけど、砂糖とミルクは?」
「ありがとうございます、僕は……ブラックで」
いつだったか、トウマにコーヒーを頭からかけられたのを思い出した。彼は筋金入りの甘党で、練乳入りの駄菓子のように甘いやつしか飲まないのだ。
たまに僕にもコーヒーを買ってきてくれたから、二人でよく飲んでいたけれど。
実は、僕はあまり甘いのは好きではない。
でも、トウマが美味しそうに飲むから、なんだか僕も美味しい気がして、結局付き合って飲む。
そんな他愛もない思い出が、ずいぶん昔のことのように思えた。
「ベトナムコーヒーは、練乳を使う。エチオピアには、塩を入れる飲み方も、ある」
「お詳しいんですね」
「姐姐が、教えてくれた」
「じぇじぇ……?」
「この山小屋の、前の持ち主」
彼女ふと、壁の飾り棚にあるドッグタグを一瞥し、目を伏せた。
そこにはカニの缶詰と、それから黄ばんで血のついた古新聞が並べて置かれている。
「……塩、せっかくだから、試してみて」
彼女は話を逸らすと、それ以上を語らなかった。
やがて芳ばしい香りが小屋の中を包み、無骨なステンレスのマグカップに注がれたコーヒーがテーブルに並べられる。
「半年前、彼と一緒に戦った」
「……トウマに、会ったんですね」
「多分そう、その時、漆原トウマとは、名乗らなかったけれど」
「あの日は、民間人を巻き込んだ、酷い銃撃戦が起きた———」
その銃撃戦は、海外のとある港で起こる。
某国マフィアの武器取引に現地警察組織が武力介入し、一斉検挙を行う計画だった。
しかし彼らの戦力は想像以上に拮抗し、泥沼化した戦闘は、港町の住人たちを巻き込んだものになったそうだ。
僕は、初めて銃で撃たれた日を思い出す。
黒沼会の組員達は拳銃で武装していた。反社会組織が武器商人から銃を買う、それは銃規制の厳しい日本ですら行われていて、もちろん世界中でそんなことが行われていのだろう。
黒星はそれら違法に流通した銃火器の回収活動の為に、戦闘に参加していたらしい。
「本当は、銃の回収が終わったら、すぐに引くつもりだった」
「けれど、避難が間に合わず、流れ弾に怯える民間人の前に出てきたのが、彼だった」
———そこのチャイニーズ、火事場泥棒が終わったんなら、手を貸してくれないか。
この国の警察はアテにならないし、生憎一人では民間人を守り切る自信が無い。
お前、名前は……『クロトワ・ボナンザ』? 陰気なツラに似合わなすぎる陽気な名前だな。
俺は『シャンマオ』で通してる、中国じゃ馴染み深いだろ……知らねえけどよ。
なんで熊猫か? ……なんでだったかな。まぁ、お前の髪みたいに、白でも黒でも無い、どっちつかずの半端者だから、かもな———
「熊猫のおかげで、民間人の避難は間に合った」
「その時、これを」
彼女が手をかざし、虚空から取り出したそれは、無数の弾丸に晒され、夥しい数の血痕がこびりつき、すんでのところで原型を保った廃材と呼んだ方が適切とすら思えたが。
紛れもなく、あの闘技大会を最後まで共に戦った、漆原トウマのバットだった。
「熊猫は『もう俺には必要無い』って言っていた、けど」
「きっとこれは、彼や、彼を知る人にとって、大切なものだと思ったから、私が預かっていた」
「……そっか」
「渡せて、よかった」
「トウマ……熊猫は、その後どこへ向かったか、知らないですか?」
「……わからない、でも、熊猫は师傅と、雰囲気がよく似ていたから」
「だからきっと、死に場所を求めて、もっと激しい戦場に、向かった、と思う」
死に場所。
イグニッションユニオン優勝後、トウマが抱いていた喪失感や虚無感を知っていたから、黒星の言葉は理解することができた。
臨んだ戦いに勝ったからって、幸せになれるとは限らないんだ。
会いに行くなら、急がなくては。
「これ、貸してあげる」
少し躊躇うような素振りをみせて、手渡されたのは飾り棚に置かれた蟹缶……ではなくその隣の古新聞。
「これは、求める者に、過去現在をどこまでも遡り、誰かのささやきを届ける秘密の古新聞『献身的な新聞社』」
「それって……めちゃくちゃスゴい物なんじゃ」
それ一つで人生が、国が傾く様な曰く付き。呪物やオーパーツのような、世界に二つと無いマジックアイテム。
それも『情報戦』において、世界の全てを掌握することすらできるほどの可能性を持った逸品だ。
「悪用禁止。これは本来、私が世界から取り上げておかなければならない物、だから」
「……でも、あなたは、これを正しく使えると、思うから」
「かけがえの無い、誰かを、失うことの苦しみ、それに比べたら、きっと、些細な問題」
「それは大昔に、私が取りこぼした人達で。けれど、あなたはまだ、その機会を失っていない」
「いつか二人で、返しに来て」
彼女がそれを手に入れるまでの道のりに、多くの喪失があったのだろう。きっと僕らとはまた違う、けれど同じくどうにもならない世界の理不尽に晒されて。
そして、そこから生き延びてしまった者の顔。
彼女は、そんなどうにもならなかった過去を、僕らに重ねていたのかもしれない。
「……ありがとうございました、塩コーヒー美味しかったです」
「そう、良かった」
黒星と別れた僕は、古新聞から得た情報を元に、西を目指す事となる。
僕は、殺人鬼達の無念を背負って旅をした。
「……一路順風を、時雨ナミタ」
★★★
某日、東南アジア、シンガポール空港前交番にて。
「ファ〜〜〜〜ッッック! これだから人間はよ!!!」
「ディック、あんたがそれを口にするのは海外ではシャレにならねえッスよ」
騒ぎ立てるのはやはりそそり立つ男、ハーフアンドハーフハーフ日本支部代表ディック・ロング。僕と山入端輪二に先立って現地入りしていた彼は、『航空機内に不審者がいる』と通報を受けた搭乗スタッフから引き渡され、地元警察に逮捕されていた。
罪状は規定量を超える『液体』の持ち込み、及びそれらの散布による迷惑行為、そして公然猥褻の容疑。
事情を知る僕らからすれば笑い話だが、その場に居合わせた搭乗者とディック本人からすれば全くもって笑い事ではない。
ともかく、僕らが現地入りしてから一番最初の仕事は、身元引受人として彼を迎えに行くことだった。
「さぁて、出鼻は挫かれたがここからが本番だ、ラブ・チャイルド計画は遂に東南アジアへと参入することとなる……来年の今頃にはマーライオンの隣に俺の銅像が建っているはずだぜ」
ハーフアンドハーフの東南アジア地域視察。僕はそれに便乗する形で国を渡り歩き、トウマの足跡を追うことになっていた。
古新聞を頼りに、ひとまず黒星が活動していた中国以西での『熊猫』の情報。最有力となったのがここ、シンガポールだ。
事の始まりはパスポート取得のために、海外住みで頼りになる知人として真っ先に思い当たったトウマのお兄さん、漆原アキに連絡をした時のこと。
———弟がまた迷惑をかけているみたいだな……申し訳ないナミタ君!
海外渡航となれば、慣れないうちは一人歩きはお勧めしないが……そうだ! ちょうどディック達がベトナム旅行を計画しているとかなんとか言っていた気がするぞ!
俺も行きたかったが、生憎シーズン中は思うように長い休暇が取れなくてな……
ま、そう言うわけだから話は取りつけておこう! なぁに遠慮は要らない! 弟の友達は俺の友達みたいなものだ!
『楽しんで』きてくれ———
良い意味で、漆原アキは空気を読まない。
トウマはお兄さんのそういうところが苦手だったのだろうなぁと思いながらも、僕はその言葉に少しばかり救われていた。
何事も楽しんで、立ち向かうのではなく傍若無人に乗り込むくらいが丁度良いのだと彼は言っていた。
「な〜にが旅行だ、あの万年野球馬鹿の楽天家め! 提携企業との顔合わせの後は現地の半人コミュニティとの対談とリサーチ、一般人向けの講演会と要人への根回し活動、遊んでる暇なんぞ無いわ!!!」
悪態を吐くディック・ロングは似合っていないテーラードジャケットを羽織る。胸ポケットにはやはりらしくない最新機種のスマートフォンが———
【そうだね、でもスケジュール管理は僕がしっかり取りまとめてるから、心配いらないよ】
「ん?」
「ん?」
僕と山入端輪二は顔を見合わせる。たった今、聞き間違いでなければ、まるでスマホが勝手に喋ったような……
「おっ、紹介が遅れたな、今回東南アジアでの通訳兼マネージャーを務めてくれる俺たちの新しいハーフ仲間、仙道 ソウスケ(子機)だ! みんな仲良くするんだぞ〜」
【よろしくね〜】
そんな気さくにあいさつをするスマホから小型のアームのようなものが伸び、ひらひらと小さく手を振った。
「あの……僕の立場からは非常に言いにくいんですけど、なんだろう……次から次に新しい情報ぶつけるのやめてもらって良いですか」
「か〜〜ッまた半人差別かよ! これだから人間は!!!」
絶対関係ない。
「待ってくれディック、そいつは……半人である以前に名が知れた犯罪者だ、それを俺らが匿っちまうのはすごく不味いんじゃあねぇのかよ」
山入端輪二は比較的冷静だった。大会開催中に起こした猟奇殺人事件から、世間にその悪名を轟かせたAGAINの司令塔、仙道 ソウスケ。
これまでは三回戦での敗退後、死亡したという噂が出回っていた。しかし生きているのが確認されたとあれば、警察や被害者親族が黙っていないだろう。
「そうだな、だから"仙道 ソウスケ"は、もう回収屋に引き渡したぜ」
「ここにいるのは能力を使い果たし、その精神の複製品を小さなスマホに宿すのが精一杯のワーテレフォン。牙を抜かれて無害化された搾りカスに過ぎない」
「俺たちのポリシーは『半人救済』。世界から爪弾きにされる気持ちってのは、俺たちが誰よりも知っているだろう? どんなに倫理観が欠落したゲス野郎だって、救いの手を差し伸べなくていい理由にはならない」
「———この世界に、犯罪者になりたくて犯罪を犯す奴はいねえ。生きているだけで害獣? 裁かれた後にも人として認められない? そんなのはあまりにも不憫で、哀れじゃあねえかよ」
その言葉の重みは、確かなものだった。
犯罪者。反社会組織である当事者達が余罪を明らかにするのを恐れたために表沙汰にならなかっただけで、僕は過去、窃盗に手を貸したという前科がある。
言い逃れするつもりはない、それが事実だから。
社会秩序を守るために、当然として犯罪は裁かれなければならないだろう。だが半人というだけで迫害を受け、それがきっかけで犯罪に走った者はどうだろう。
差別行為が犯罪として認められなければ、迫害を行なった人々は無罪。その迫害に晒された者が犯罪を犯したなら、それは有罪。
この世界は、公平であっても平等には造られていない。
だからディック・ロングは、同胞と認めた半人にはすべからく平等に、そしてエゴを基に半人だけを不平等に、救いの手を差し伸べる。
そう言い切った。
「第一、誰がこんなスマホひとつ見て仙道 ソウスケだって分かるんだ!? 細けぇこた良いんだよ、ガハハ!!!」
ディック・ロングは快活に笑った。半人でありながら、スタジアムで一番星のように輝くあの漆原アキのように。
「俺たちは半人の明日を掴み取る、更に忙しくなるぜ兄弟たち!!!」
様々な国、そこに住む様々な人々。僕は半人たちと共にそれを見て、聞いて、学んで。辿り着くべき明日への道を探して回った。
僕は、はぐれ者たちと旅をした。
◇◇◇
「ヨニ〜〜! モリ持ってきて、モリ!!!」
某日、インド洋沖、小型船舶上にて。
少女の手繰る人間の身長より遥かに長い釣竿が、今にも折れそうなほどにしなる。ピンと張り詰めた糸の先には、海中を駆け回る黒いミサイルのような魚影が見えた。
そして最後の抵抗を見せつけるように、それは海面を割って大きく跳ねる。
「……まさか、本当にマグロを釣るとは」
半ば呆れ顔で少女の手伝いに奔走する長身の女、清廉のキョンシー・ヨニ。そして大興奮する少女は当然忘れっぽい天使・リン。
ダフト・パンクのデビュー戦、イグニッション・ユニオン第1回戦の対戦相手、ザ・人間ズの二人だ。
事の成り行きを説明しよう。
『逆コロンブスルート』の船旅を思いついたリン。そして当然のように巻き込まれたヨニは、インドからスペインを目指していた。
一方東南アジアでの視察を終えて、南インドへと訪れていたハーフアンドハーフのメンバーと僕は、漁港に併設された食堂の掲示板でとあるチラシを見つける。
【海賊船乗組員募集、搭乗者求む】
小学生の女児が書いたような悪筆に可愛らしい動物のイラストを添えた手書きのそれを、ディック・ロングは大笑いしながらわざわざテーブルまで持ってくる。
昼から酒を飲んで酔っぱらっている地元漁師たちの前で、同じく昼から酒を飲んで酔っぱらった僕らは、チラシを掲げてカリブの海賊を熱唱した。
そして偶然にもその食堂に居合わせたのがチラシを書いた本人であるリン。
ヨニの制止を振り切り顔を真っ赤にしたリンがミドルキックでディック・ロングの金的を潰すまで、チラシを剥がしてから実に315秒間での出来事である。
「リン……トラブルは起こさないでくださいとあれほど」
「違うのヨニ〜! この変なおじさんがリンのこと馬鹿にしたんだよ〜!!!」
悶絶するディック・ロングを尻目に、酔っぱらいたちは蜘蛛の子を散らすように去った。取り残されたのは僕とリンジとディックの三人。
僕らが漁港を訪れていたのは、古新聞から得た情報でインド以西への同行者を探すため。
東南アジアで目立った成果が得られなかった原因は、古新聞が決して万能では無い事。そして僕がトウマほど頭の回転が良くないことにある。
古新聞の情報には三つの制約があった。
一つ、所有者が意識的、あるいは潜在的にその情報を欲しがっていること。
二つ、その情報を誰かが保有していること。
三つ、情報の所有者がその情報を誰かに伝えたい・発信したいと願っていること。
古新聞は居場所を伝えようと思っていないトウマ本人の情報や、それがトウマと分からない他人の知っている『漆原トウマに関する情報』
は調べることができない。
一見万能なように見えて、概ねインターネットの検索機能のように、使い手の情報収集能力に依存する面がある。
戦闘が発生した場所に現れては銃弾を引き寄せて民衆を守る謎の救世主『熊猫』の噂は、行く先々の街で聞いた。東南アジアでは目撃情報や噂を追って右往左往したが、これでは跡追いにしかならず、彼本人にたどり着くことができない。
そこで、彼の移動傾向や、『戦場』の情報を調べ上げ、ヤマをはって先回りする作戦にシフトすることにした。
黒星が主に港を中心に武器の回収を行っていたように、彼が自殺志願者のような破滅的な『人助け』を求めて、目星をつけるような場所を効率的に巡る。
要件は二つ、人口密集地を効率的に回れる陸路か海路、そして長距離の移動を想定している事。
【海賊船乗組員募集、搭乗者求む】はまさに古新聞から得た情報でたどり着くことができた。
……しかし『情報発信者』が確認できないという縛りもあるから、今回のような偶然の引き合わせも起こる。
「グ……貴様は確かイグニッションユニオンで見たぞ……」
「おじさんは乗せてあげないから!!!」
「だ〜れが乗るかメスガキ! 搭乗希望はこっちだ!!!」
ディック・ロングは人並みに揉まれて尻餅をついた僕を、子猫のようにつまんで彼女の前に突き出した。
「あ! 君は野球チームの……誰だっけ」
「時雨ナミタです……」
「ナミタくん! 私が船長でヨニが副船長だから君は……雑用係ね!」
ハーフアンドハーフのメンバーは、僕を次の同行者の元へ送り届けるために、わざわざ予定を押してここまで付き添ってくれた。
同行の交渉が上手くいったなら、彼らとはここで別れる予定だった。
「ふん、ようやく忌まわしい人間野郎の子守りが終わると思うとせいせいするぜ、俺へ取り次いだ漆原アキに感謝しろよ」
「……俺たちが手を貸したのは3回戦の根回しのための契約、賞金の1億円の釣り銭だ。これで俺たちは完全な無関係、この先は手前の力でなんとかするんだな」
彼はそう言い切ると、その大きな背中を翻して食堂から去っていった。
「頑張れよな時雨ナミタ、お前がツラの割に根性ある漢だってこと、知ってるからよ」
【We look forward to serving you again Mr.時雨ナミタ。僕の親機を封印した殺尽輝にもどうか、よろしく】
「……ありがとうございました」
◇◇◇
某日、エジプト紅海沿岸部、とある港町にて。
航路はアラビア海を抜け地中海へ、煙に巻かれていた漆原トウマの背中が徐々に見えてきたかという頃、僕とザ人間ズの二人は中継地である紅海を通っていた。
「ありゃ〜酷いね! もうみんなのために爆発させて沈めた方がいいと思うな〜私!」
……しかしなんたる不運か、座礁した大型貨物船のせいで、スエズ運河前で足止めを食らっているのである。
そんなわけで、僕らはコーヒーの本場エチオピアから産地直送のアイスコーヒーをいただいている。
もちろんコーヒーには塩を。
「まぁ、そう悲観するばかりでもないでしょうリン。スペインは逃げませんから、今はゆっくりエジプト観光が吉かと」
マグロを釣り上げた様を見れば言うまでもないが、忘れっぽい天使リンは見違えるほど健康的な身体になっていた。
大会終了直後は車椅子に頼りながらの厳しいリハビリをこなしていたと聞くが、四年間の成果はこの旅行で遺憾なく発揮されているようだ。
「しっかし、行く先々『熊猫』の噂は聞けど、あの野球少年は中々尻尾を見せないね。パンダ……尻尾が短いからかな?」
「あ、ところでナミタくん、結局彼とは付き合ってるの?」
「ないです……この話、10回くらいしましたよ」
「10回に一回くらい、付き合ってることにならないかな〜と思って!」
なってたまるか。
「……時雨ナミタ、あの馬鹿ガキは必ず連れ帰って今回迷惑をかけた関係者に謝罪させるのですよ。言うことを聞かなければ右頬をぶった後に、左頬もぶちなさい」
イグニッション・ユニオン一回戦。必要だったとはいえ、かなりヒール寄りの戦法でリンを追い詰めることを立案して実行したトウマは、当然の如くヨニから嫌われていた。
これまでの船旅はトウマと付き合っているのか確認してくるリンとトウマに関するヘイトを暴露するヨニの板挟みになりながら。
僕は彼の足跡を辿って、時には先回りの博打を打ちながら。
各地で彼が打ち立てた数々の武勲を聞く事となった。
———銀行強盗が人質を取って立て篭もったところ、居合わせた日本人の青年が、人質に向けて至近距離から発砲した弾丸までも、魔法のように軌道を捻じ曲げて犯人逮捕に協力した。
———劣悪な家庭環境から錯乱状態になって刃物を振り回した少年が、警官に取り囲まれ射殺されようとしていた時。少年は偶然にもナイフを電柱に向かって突き出して取りこぼし、丸腰のまま通行人の日本人に向かって走りよると、急激に落ち着きを取り戻し、結局誰も傷つける事なく事件は解決した。
———とある建物での爆発、崩落事故。巻き込まれた人々はすでに瓦礫の下敷きかと絶望的な空気が流れていた。しかし救助隊員が駆けつけたところ、そこでは奇跡的に一人の死者も出さず、軽症者のみであったという。事件の被害者の一人は語った「煙で前も見えない事故現場で、必死に出口を探して走っていると、知らぬ間に救助隊員の待機する安全な場所へと辿り着くことができた。まるで何かに導かれるようだった」と。
「……ああいう自暴自棄と英雄志願がごちゃ混ぜになった人間が、一番周りに迷惑をかけるんです。当人は死んだらそれで終わりだから、良いでしょうけどね……あぁ実に腹立たしい」
「え〜〜!? でも人助けって立派な事じゃない? 理由はどうあれ死なずに済んだ人がいるんだから」
「それに殉職願望だったら生前のヨニだって……痛い痛い痛い! ヨニの拳でアイアンクローしたら頭蓋骨砕けちゃうよ!!!」
戯れるヨニは少し気恥ずかしそうで。彼女の持つ自己嫌悪に重なった細やかな同族嫌悪を知ることができた。
「それより! ……先程地元のマーケットで少し聞き込みをしたのですが、どうやらこの周辺でそれらしき人物の目撃情報がありました」
「この街を出た先にある砂漠地帯、その一角にある遊牧民のキャンプに余所者のアジア人が……と、まぁそれだけなのですが」
「徒労に終わるかも知れませんが、どうせ私達は足止めを食っています。行くところなどないのですから、行ってみてはどうですか」
「……そうですね、探しに行ってみようと思います」
ここまで何度も、そんな情報を掴んでは……ということはあった。けれど行かないわけにはいかない。
何はなくとも。
頭が回らない分は地道さで稼ぐ、僕はそれで良い。
「いってらっしゃ〜い! 日が暮れる前には船まで帰ってくるんだよ〜!」
「はい!」
僕は天使とキョンシーに別れを告げ、砂漠へと歩みを進める。
僕はたった一人、最後の旅に出る。
◇◇◇
某日、エジプト紅海沿岸部、現地キャラバンの野営地にて。
僕はすっかり使い慣れた翻訳アプリで辿々しいながらもコミュニケーションを取り、そのアジア人に合わせてもらう約束を取り付けた。
彼は人と顔を合わせたがらないらしいが、事情を話したところ、本人が良ければ紹介するとのことで。
そして僕は砂漠の果て、粗末な麻のテントの影で、ついに旅の終わりに辿り着く。
傷で曇ってところどころ日々の入った黒縁メガネ、すっかり伸びた黒髪は後ろで三つ編みに長く結んでいて。容姿はまるで別人としか言いようがなかったが……しかし不思議と、あの頃と何も変わっていないような印象を与えるその男は。
「よぉ、思ったより早かったな、ナミタ」
「……速かったな、じゃないよ、トウマ」
……そうして僕が目を腫らすまで泣いたのは、四年振りの事でした。
僕が泣き止んだ頃、砂漠の地平線を呆然と眺めるトウマは、ポツリ、ポツリと、思い出すように語り始める。
「さて……何から話したもんかな」
———大会終了後の喪失感、それはお前の想像通りだよ。あの頃はどうにも浮ついていて、ただ漠然と自分の居るべき場所がここには無いという気持ちだけがあった。
安直に、気休めに、人助けをしてみようと思った。なるべく俺の能力が活かせて、必要とされる場所で、できる範囲で。
何件かそういう荒事が起こる場所を巡っていた時に出会ったのが黒星だった……そうか、あのバットはあいつが預かってくれていたのか。
それなりに楽しかったよ、無責任に人助けして感謝されたり恨まれたりするのは。刺激は尽きないし、生きているという実感があった。
でもある時に気がついた、この活動には終わりが無い。仮に俺の能力で救える人間全員を救い切ったとして、明日にはまた別の人間が世界の理不尽に晒される、明後日にはもっと、来週には、来月には。
それで、俺はこれを『死ぬ事でしかやめられない』と悟った。少なくとも自分の中に言い訳が用意できない限りは、本当に首が回らなくなるまで続けるしかなくなると。
怖くなった、帰りたくなった。
だから、これに関して一つだけ自分に誓約を課すことにした。
『時雨ナミタが次に目の前に現れた時、それがどんな状況だったとしても、この活動から足を洗う』と———
「……君、もしかしてめちゃくちゃバカだろ」
「だな、俺もそう思う」
僕は深々とため息をついた、ヨニの言う通り、右頬をぶった後に左頬もぶってやりたい気分だ。
「そういえば君、『熊猫/パンダ熊猫』って名乗ってるらしいけど」
「あぁ……冗談で使ってたら、定着しちまったらしい」
「なんでパンダ?」
「別に深い意味は無い」
「ダフト・パンクをアナグラムすると、フクトパンダ。倒福って中国の催事に使う逆さ吊りの『福』ってあるんだが、中国、パンダ、パンダの中国語、熊猫」
「……めちゃくちゃ捻って作ってるじゃん」
「捻ったな、結果として」
「ちょっと気に入ってるだろ」
「まぁ、ちょっとな」
僕とトウマは昔のように、他愛もない話で笑い合った。
四年間の空白を埋めるように。
乾いた風と燃えるような夕焼けは、走り出したあの日と同じようで、僕らは海原の水平線に沈む太陽を、ただじっと見送る。
「……日本で君を待っている人が大勢いる」
「改めてになるけど、そろそろ帰っても良いんじゃないの」
「……そうだな」
「帰るか、二人で」
僕らは再び同じ方を向いて歩き出す。
また、辿り着くべき明日を目指して。
◇◇◇
エジプト紅海沿岸部、とある港町にて。
すっかり日が暮れた街並みを抜けて、僕らはザ人間ズの待つ船へと歩いていた。
この時間にしては何やら騒がしいマーケット通りの中、人混みの中で一人の男が叫んだ。
「大変だ! 頭のおかしなアジア人の女と土気色の大男が貨物船に『放火』するってガソリンを撒いてるらしいぞ!!!」
……放火?
「……ナミタ、今『放火』とかなんか、そういう単語が聞こえた気がしたけど、気のせいだよな」
「トウマ……暫定だけど日本人女性と大男……というかゴーレムだとしたら、他に居ないと思うよ」
「やっぱ『放火しに来ましたーズ』かよ! エジプトまで来て何してんだあの馬鹿共は!!!」
「走るぞナミタ! 俺ら二人で止めに行く!」
「———うん!」
どうしようもなくロクでなし、向こう見ずで馬鹿な子供だった僕ら二人。
あのチラシを手に取った時から、運命は導かれるように定まっていたのかもしれない。
僕たちはまた、明日へ向かって走り出す。
———Session is (not) over.