口に勾玉を咥えた鳥。
鑽古=ショーヴェに届いた便箋、その封蝋に用いられていた図柄はそのように見えていた。
しかし今、その便箋に入っていた案内に従い到着した先にて彼は意識を改めることになる。
胎児を喰らう鷲。
彼の乗り込んだエレベーターの床には、そのような凄惨な光景が写実的に描かれていたのだ。
「気分ヲ悪クシタカネ?」
ハンズフリー通話イヤホン——これも便箋と一緒に届いた——から機械的な響きで複雑怪奇なアクセントの声が響いた。目的のビルに到着するまでに装着しておけという指示があったが通話相手はとことん正体を隠したいものと見える。
「いいえ、先輩はこういうの好きそうだなあって思いました」
事実だ。彼は思ったままのことを話していた。
憧れの女性が働いている職場だと思えば鷲の嬉しそうに翼を広げる姿も、煽情的に血肉を振りまく胎児も、アダルティックキュートでお茶目なセンスの塊に見える。
「ソウカ、確カニ君ハ彼女ト通ジル所ガアルヨウダネ」
「お似合いだなんてそんなそんな」
地下深くの目的階に付き、扉が開くとそこに見知った顔がある。
憧れのミトコンドリアガール先輩だ。
研究者としてそこそこのキャリアを積める年齢になっても学生時代と変わらず若々しい。
恐らくは薬物療法で老いを防いでいるのだろう。
「ようこそ鑽古、ここが私の新しい職場だよ。まだつまらん学会に留まっているようだがどうだ、お前はちゃんとやって行けてるのか?」
「ええまあ。先輩もお変わりないようで何よりです。学会追放からしばらく手紙でしか連絡できなかったので心配していたんですよ」
「手が離せない研究の主任を務めていたものでな。お前にも手紙で大まかには伝えたはずだが、少し前に研究が完成したと協力者の方々に認められたのだよ」
「協力者というのはイヤホンの向こう側の人々ですか」
「ああ。彼らは表には出せない秘密財産の持主の集いだそうで、それらを現金化した総額は世界の富の四割にも相当するのだとかで、おいそれと身分を明かすわけには行かないらしい。聞いた話ではグループとしての名称も無く、ただ鷲と胎児のシンボルでのみ繋がっているのだとか」
「それはそれは、隋分と大物なんですねえ。そのような方々の目に止まるなんてやっぱり先輩はすごいです」
鑽古は十数年ぶりにミトコンドリアガールと顔を合わせたことで、普段からだらしがないことになっている顔面を更に緩めていた。
ミトコンドリアガールも一々それを指摘するような真似はしない。二人の関係性、距離感は学生時代から全く変わっていなかった。
「感動ノ再会ヲ喜ブノモイイガソロソロ本題ニ入ロウカ、鑽古=シューヴェクン」
耳元から機械音が届き、少しばかり表情筋に緊張を取り戻した彼は。話を止めて耳を傾けることにした。
イヤホンの言葉はミトコンドリアガールが継いだ。
「先日、私たちは偉大な研究と実験の最終段階が成功にしたことを確認した。お前もまずはその目に焼き付けておくべきだろう、霊長の頂点というものを」
博士が手元の端末を操作すると、背後のいかにも厳重な様子の扉が重そうな音を立てながら開く。
一人の少女。
扉の立てる轟音とは対照的に、足音を全く立てることなくその少女は歩んだ。
少女にしては随分と背が高い。羽織ったケープから延びる細長い腕や頭部には包帯を巻いている。
鑽古の目の前で軽やかにターンを決めると、彼女はミトコンドリアガールの横へと並び立った。
そこまでの短い時間の間に、彼の目には様々なものが映った。
短く切りそろえて後ろで結われた斑の髪。
脊柱に沿って残された大きな縫合痕。
腰に巻いた布の間から除く機械部品の埋め込まれた足。
そのどれもが非人道実験の結果であると雄弁に語りかけている。
鑽古は今更ミトコンドリアガールを咎める人間ではない。それどころか彼女の信念がこの少女の中に余すことなく注ぎ込まれていることを見て取り、偶像であるとは分かっていながらも先輩へ向けるのと同様の崇拝・尊敬をこの作品へ向けるのだった。
「フフ……見惚れておるのか、この最優秀人類たるワシの溢れ出るオーラに。苦しゅうないぞ、貴様ら先住人類とのファーストコンタクトが毎度このように大仰であっては敵わんからのう」
少女は現生人類には絶対に持ちえぬ美声で語りかけた。
外見どころか口調にまで痛々しさが残されてしまっている、などとはゆめゆめ考えないで頂きたい。
その口調と態度、ピンと張られた背筋、滑らかなポージングのどれも確かな荘厳さとも言えるものが伴っていたのだから。
「この子はキュー、正式名称はGen-Shi-GINE・䆒だが、本人もキューでいいと言っているからそう呼んでくれ。これこそが私の最高傑作であり、娘だ。姿を見て声を聞くだけでも研究が成ったということは実感できるだろう?」
「先輩が……産んだのですか……? 相手の男は!!?」
「彼女は科学技術とあらゆる手段を投じて作り出された人造人間だよ。有性生殖の如き営みで作ったものではない」
「処女懐胎……!! 先輩は現代に生きる聖母だったのですね! マリアミトコンドリアガール様!」
「私を学会から追放した奴らが盾にした倫理基盤、宗教的な表現を用いて私を愚弄するなああ!!」
「なんじゃコイツ。外に住んでおる先住人類というものは気色悪い表情しとるのう…」
鑽古とミトコンドリアガールの興奮が中々醒めなかったため、イヤホンの声が結局研究と実験の内容を全て説明し場は落ち着きを取り戻すことになる。
そして、鑽古が本日この場へ招待されたその目的もようやく明かされることになった。
「私たちは持てる全てのものを用いて研究を完成させた。しかし未だに研究の発表は行われていない。鑽古よ、お前でもイグニッション・ユニオンは知っているな? 協力者の方々はそこを人類史上最高の研究発表の場と捉えたのだ。私もそれには賛成したよ。キューに備わっているものは美と智だけではない。類まれなる戦闘能力をも身に付けているのだから闘技大会はこの子のプロモーションにうってつけだと思ってな」
「大会は原則二人一組での参加ですよね。僕には彼女と一緒に参加して欲しいということですか?」
「話が早くて助かる。協力者の方々は身元を明かすわけに行かないからキューとのペアという重要な役割を果たせる信用できる都合の良い人材が見付からないとのことでな」
「先輩は僕を信頼できる人間として紹介してくれたんですね。光栄ですよ」
「学生時代、駆導者の異名を取っていたお前ならば闘技大会出場も差し支えないだろうと考えた。念のため薬喰者と召魂者にも声をかけたのだが音沙汰がなかった。私が学会を追放された時から音信不通のままだよ」
「あいつらは薄情者ですからね。僕が先日金を借りに行った時も無視されました!」
二人が少し暗い雰囲気になっている脇で、キューはチョーカーに備え付きのマイクスピーカーへ小声で話しかけた。
「のう、ワシはこの変態と組まなくてはいかんのか? どうせ色々な意味で足手まといにしかならんだろうしワシは嫌じゃぞ」
「フフフフフ、ソウ言ウナ。本日彼ヲ呼ンダノハ、君ノパートナーに相応シイカ否カ試験スルタメナノダヨ!」
三人が立ち話をしていた部屋の壁の内一枚が突如透明になり、向こう側の広い空間を見下ろす形で明らかにした。
室内運動場を思わせる広く何もない空間に一人、身の丈三メートルを超える上半身裸で筋骨隆々の男性が立っている。
「鑽古クン、君ハアノ男ト戦闘ヲ行ッテクレルダロウカ。我々ハ君ノ実力ヲマダ十分ニ理解シテイナイ」
「『駆導者としてのお前に頼みたい』だなんて先輩の手紙にありましたし、準備はしてありますよ。では先輩、キューちゃん、少し行ってきますね」
「うむ。貴様の実力はこの最優秀人類のワシが見定めてやろう」
イヤホンからの指示通りに、鑽古はエレベーターで男が待つフロアへと移動した。
彼を見送るミトコンドリアガールに一切心配の様子がないのでついに変態を見限ったかと勘繰るキューだったが、最優秀人類の頭脳はしっかりとその表情のもう一つの意味もはじき出していたことを補足しておく。
彼が降り立った空間は、初めて見るような不思議な物質で構築されていた。仄かな光を放ち、金属のように冷たい。
「周囲ノ被害ハ考エナクテイイ。コノ最先端技術デ建テラレタ部屋ヲ君達ノ力デ壊セルトハ思ワナイデクレ」
頷いて彼は進み出た。大男も鑽古へ向かって歩き出す。
「鑽古=ショーヴェです。あなたに勝ってイグニッション・ユニオンに出ます」
「オレ様は燃炎上 太郎様だ。最強の殺し屋であるこのオレ様に勝つ? 面白くて馬鹿なことを言うやつだな、面白い馬鹿だ」
燃炎上を名乗る男の身体からは湯気が立ち上り、それがまるで闘気のように渦巻いている。
最強を名乗るのは強ち間違いではないのかもしれない。
鑽古は戦闘の開始前から既にそれを感じ取っていた。
「まさか僕をテストするためだけに最強の殺し屋を雇ったんですか? 本気ですね、面白いじゃないですか」
「イヤソレハ「ハンデになるかどうかも分からないが最強の慈悲として教えてやろう!! オレ様の魔人能力は『血河』! 全身を巡る血液が大河の一本にも相当する能力だ!! 当然それを支える骨格も筋肉も内臓も、全身の細胞がそれに伴って強化されているのだァ!!」
燃炎上は自信に溢れた姿で己を語る。
「これってもしかして……」
「ウン、ソウナンダヨ……」
「分かるか!? この質量が!!!! 実感がないかもしれないのでデモンストレーションして見せよう!! 我が鉄拳の前ではこのようなチョコザイな素材で作られた床なんて……フウン!!!!!」
拳が振り下ろされると、衝撃が部屋を駆け巡った。
上のフロアの窓から見ているミトコンドリアガールとキューの下にまでその衝撃は届き、二人は目を丸くする。
しかし、床には傷一つ残されていない。
その代わりに燃炎上は指を痛めたようで、滝のような流血がその手を濡らし、周囲に霧を作っていた。
「もしかして……面白い馬鹿なんですね?」
「モシカシナクテモソウダッタ。最強ト言ウカラ八百長用ニ雇ッタケド、力試シニ進藤ソラを襲撃サセテミタラ失敗スルシ秘密ハ守レナイシ。秘密主義ノ我々ニハ扱イキレナイカラココデ再利用スルコトニシタ」
「ええ……進藤ソラ襲撃とかそこまでやってたんですか……にしても彼を額面通り最強と思い込んで雇ってしまうだなんて、意外と情報網がないんですね」
「ソンナモノガアレバ君ニ頼ルヨウナ真似モシナイサ。自分達ノ秘密ヲ守ロウトシテイルトドウシテモ限界ガアッテネ……」
燃炎上は負傷部位を抑えながら立ち上がる。心なしか出血量は減ってきているように見えた。
「てめえら最強を無視するなあああああ!!!」
「君達ノ力デハコノ部屋ヲ壊セナイトハ君ニモ伝エテイタダロウニ……」
「フ…フフ……なあにを言っているのかなこのお馬鹿ロボットが!! オレ様はそう、そこの憐れな馬鹿にオレ様の能力をデモンストレーションして見せただけに決まっているだろうが! ほら! 見ろ!! ほら!!!」
必死に彼が指し示す拳を見ると、負傷した指の流血は止まり、それどころか大きなかさぶたが傷口を覆っている。
かさぶたの端の方は既にピンク色の新鮮な肉が再生し始めているようで、これには流石に鑽古も舌を巻いた。
「言っただろう? オレ様の身体には大河に等しい血液が巡っていると。当然ながらその血液量に相応しいだけの成分がそこには含まれている。今回の場合は常人には考えもつかないような血小板がこの名誉の傷口を瞬時に塞ぎ! 大河に相応しい量のリンパ球が衛生状態を保ち! 名状しがたい血漿に含まれるタンパク質等諸々の成分が即座に修復を遂げた!! ああこの肉体はまるでナイル川のようだ!! 毎年氾濫を起こすたびにその周辺を肥沃な大地へと変え、かのエジプト文明の隆盛を築いたあのナイル川だ! オレ様の肉体も何度傷付こうが大型ピラミッドを建築するかのように何度でも!! 何度でも立ち上がるのだ!!!」
口上を述べ終えた頃には完全に傷口が修復されていた。これが最強を自称する男の実力を、その場にいる全ての者がようやく認識する瞬間となった。
「ええと……すみませんでした。自分のようなヘボ魔人がイキがって最強の燃炎上さんと戦おうとしたのが間違いだったと言いますか……ごめんなさい! 手持ちの全財産です、これで見逃してください!」
脚を震わせた鑽古が、ポケットから財布を取り出して差し出す。燃炎上は満足そうな顔をしてそれを受け取るのだった。
「良い心がけではないか!! どれどれ拝借しよう……札が二枚……両方とも野口……? カードも無い……? これが全財産って」
本格的に憐れみの目を向けようとした燃炎上であったが、その身体は瞬時、閃光に包まれた。
何が起こったのか。その秘密は彼の握っていた財布にある。
その財布は革でできていた。言うまでもなく革とは生物を用いた素材である。
鑽古は、それを質感と見た目を変えずに火薬のような爆発する≪燃料≫に作り替えていたのだ。
彼の指にはガスライターの部品から作った圧電装置が握られている。ここから飛ばした火花を、導火線として操作した気体状≪燃料≫で財布まで届けたのだ。
「手持ちがそれだけなのは本当ですよ」
燃炎上のタフネスは確認済みだ。鑽古もうかつに近付きはしない。
煙が晴れると、やはり彼は倒れもせず、火傷と裂傷も瞬時に回復していく様子が目の当たりにされた。
「憐れだ…… 弱くて貧乏人なのにオレ様に歯向かう馬鹿が相手では笑うのも可哀想だ。一思いに潰して身の程を分からせよう。古代メソポタミアを襲った大洪水が人類に何の太刀打ちさせなかったように……!!」
大男が進撃を開始した。
その速度は非魔人の全速力での疾走と大きく変わらないが、一歩一歩に地震と区別のつかないような地響きが伴う。
自らが立てる地響きを物ともせず追い縋る燃炎上に対し、大きな揺れで体勢を崩しながら逃げる鑽古。
せめて彼の魔人としての身体能力が魔人五輪体操競技代表選手程度もあれば、あるいは背後を振り返りながら逃げ切ることも可能だったかもしれない。しかし、現状彼が鬼ごっこで負け、轢き殺されることは目に見えていた。
「んん? 少しばかり息苦しいな。何か小細工でも仕掛けたのか?」
勝敗は決したと思われていたが、燃炎上の動きが少し鈍る。
鑽古はポケットに入れたままだった食べかけのチキンナゲットを気体状の≪燃料≫に変えて敵の呼吸器周辺へ展開、呼吸阻害を図ったのだった。
「小細工が通用すると思ったか馬鹿め! オレ様の血液中に含まれる無尽のヘモグロビンは! 一日二日呼吸を止めても十分な酸素を確保している! 河とは物流の拠点であり資源資材の不足という人類の苦難を解決に導く大自然の恵みなんだよ! 水路の発展と治水工事が文明の発展を一気に早めたのだからな! この燃炎上太郎も栄養や物質の不足で苦しむような展開には陥らないと断言しておこうじゃないか!」
呼吸の阻害は効果を示さず。燃炎上は当初のトップスピードをすぐに取り戻した。
鑽古は続いて燃炎上を取り巻く気体≪燃料≫に着火する。
爆発。しかし財布の時と違って油断をしていない燃炎上は爆炎を両腕でガードし、無傷に近い状態で追跡を続行する。
その目前、Uターンして燃炎上に殴りかかろうとする鑽古の姿があった。
手には食いかけのおにぎりを変換して作った棍棒。
打撃は燃炎上の腹部に命中したがこれに対してはもはやガードすらされなかった。
超大質量で構成された肉体は通常の打撃に乗せられた運動エネルギーを殆ど完全に無効化してしまう。
「逃げきれないとやっと悟ったか馬鹿め! しかし窒息を狙ったり棒切れで殴ったりととても潔いとは言えないてめえには少しばかりイラついている。大地を侵食し地形を変える河のように、その心にも少しばかり恐怖を刻み付けて跡を残すことにしよ……あっ」
「流石に全くの無策でUターンはしませんよ?」
掴みかかる燃炎上の手を避け、鑽古は飛んだ。
ただの跳躍であれば燃炎上は空中で無防備な姿勢を取る鑽古を改めて捕らえることができただろう。
しかし、その跳躍は高かった。
俊敏性に関しては特別魔人としての恩恵を受けることもなかった燃炎上よりも万全ならば少し早く走れる程度の鑽古の脚力では、とても考えられない高さ。
『僕と彼方者達で囬す時代』
鑽古の能力は作り出した≪燃料≫を特定の条件下で自在に動かすことができる。
植物を原料にしたレーヨン、ポリトリメチレンテレフタラート、綿。これらで構成された下着、シャツ、パンツ、靴下。革製の靴と手袋。
身に付けている能力対象にできる物の70%以上を質感と外見そのままに≪燃料≫に変え、能力の副次的な効果である念動力で操作することで彼は擬似的な飛行を行ったのだ。
直前に行った≪燃料≫棍棒による打撃にも念動力による威力の補正は入っていたのだが、敵が敵なのでそちらは全く意味を持たなかった。
粉末状≪燃料≫に着火して目眩まし、身の丈三メートルを超える男の頭上を飛び越えると鑽古は着地し先程とは真逆の方角へ向けて逃走を再開するのだった。
彼はまた走った。
能力を用いた移動は役に立つが明確な弱点があるために飛行を続けるわけには行かなかったのだ。
第一に、≪燃料≫化したものを身に付けている間は火に弱くなる。炎を操っているような戦い方をする彼自身が燃えやすくなるというのは、近接戦闘で取れる攻撃手段を狭めることに繋がる。
第二に衣服の損耗。飛行中は服に体重を預けているため服が伸びたり破けたりする。破れにくい素材の固体≪燃料≫に変換した場合は着心地と生地の柔軟性を損ない動作に支障をきたす。
第三に想定された使い方ではなく、まともに訓練も行っていないために高速移動はできない。能力を利用して意表を突いた動きはできるが、走れる場面なら走った方が速い場合すらある。
そのような理由もあって動きの補助にだけ能力を利用し鑽古は走った。これだけでもスタミナの消費は抑えられる。
しかし燃炎上も全く持久力を削られている様子はない。不利な状況には依然変わりが無かった。
食べかけのチョコレートケーキを出来る限り強靭な素材のネットに変換して、背後を目掛け投擲する。
網自体は命中したものの、紙のように破られた。
「なんかもうこの追いかけっこが楽しくなってきたぞ馬鹿め! オレ様は大河! 寄せては返す海とは違って一方通行だ! てめえみたいな馬鹿がどれだけ策を弄しようとオレ様を阻むなど不可能だと知るがいい! そして次は先程のようなジャンプにも対応するからオレ様の後ろに逃げ道は無いぞ。河のような流れを跨ぐことを此岸から彼岸へ渡る行為とみなすような文化があることは当然知っているな? ここから先はオレ様の推理であって特に先行研究や論説を見たとかそういうそういうのではないが、一方通行の話の続きとして語らせてもらおう! 海から離れた地に住んでいた人間にとって河とはとにかく遠くまで続いているものだった。治水技術や造船技術、操舵技術などが発展する以前であれば流れの強い河を移動経路に用いることはできなかっただろう。離れることのできない集落で集団生活を行っていたならば、河に流されること、戻れないことは共住する人間達との完全な別離となり、溺れ死ぬか体温を失って死ぬようなことがなくても事実的な死と見做されただろうな。往路に河を利用して帰路に陸路を用いようとした場合、基本的にその道は上り坂になる。また、道路整備などされていない時代のことだ。滑落の危険、危険な虫や動物、方向を惑わせる森林、肌を刺す草藪、地図も方位磁石もなく帰ろうとする者を妨げようと何もかにもが牙を剥いたことだろう。同じ人間であろうと追い剥ぎや野盗として襲い掛かってきたかもしれない。恐らくはそのような背景も河が死を連想させ、雛流しや灯篭流し、草履流しのような彼岸を想定した祭祀と結びついたのだと思っている。つまり何が言いたいのかというとだなあ……てめえはデッドラインを飛び越えた! このオレ様という大河を跨ぎやがったな!!! と、言いたかったんだよ!!!! 殺す!!!!!!!」
次々と≪燃料≫を投入して鑽古が爆発、打撃、斬撃を与えるが燃炎上にはもう止まる気配がない。防御の姿勢も見せずただ走って得物に追いつこうとしている。
「いやあああああ!!!いやほんとこの試験意地悪すぎるでしょう!? この馬鹿多分精神とか概念に訴える能力じゃないと勝てませんってもおおおお!!!!」
鑽古は手元の≪燃料≫を全て使い尽くした。服も、下着も、靴も、靴下も全て攻撃に投入したのだ。
能力による移動補助も完全に失われ、前だけを見て全力疾走に切り替えたが、少し前から息切れを起こしている。
二者間の距離はどんどんと縮まっていった。疲れ切った鑽古のスピードが落ちていたこともあるが、ここに来て燃炎上が加速を始めたのだ。
鑽古からの攻撃の目が完全に無くなったと見てのスパートだ。
誰がどこから見ても勝敗は目に見えていた。
鑽古は足を止めて膝を抑えた。完全に限界。
しかし止める者もないまま背後には無常に、覆いかぶさるようにして彼を殺そうとする血に飢えた巨人が迫っていた。
「ぐえああああああああああ!!!!!!」
部屋全体を震わすような悲鳴が上がり、燃炎上の身体の下で血の染みが広がっていく。
「う…あ……」
か細い声が、まだ犠牲者は生きているということをかろうじて伝えている。腐っても魔人だ。
生命力は人間とは比べ物にならない。
「今ならばまだ助かるかもしれないな。私は手術とENGINEの準備をして来る。キュー、お前も部屋に戻りなさい」
上フロアの窓から観戦していたミトコンドリアガールが席を外そうとすると、キューは彼女の白衣の袖を掴んで引き留めた。
「最後に一つだけ見せ場があるようじゃ。そう急かずに見届けようではないか、ほれ。トドメを刺すようじゃぞ?」
「そこまでする必要はあるのかな。もう決着は付いているのだから止めていいと思うのだが」
「奴とてここまで散々だったのじゃからこうなるのも仕方無かろうて」
「ここまでが試合だと主張されるかもしれないな。で、あれば最後まで見届けるのも観戦していた者としての礼儀かもしれないな」
「おう。共に見届けようぞ」
キューは長い睫毛の伸びた瞼を見開き、下フロアを注視した。
そこには、前のめりに倒れ伏した燃炎上太郎と、その隣で緊張感の欠片も無い顔をして立つ鑽古=シューヴェの姿があった。
鑽古はどのようにしてあの状況から一転、燃炎上を瀕死へと追いつめることに成功したのか。
彼の勝因を単純に言い表すならば、敵が面白い馬鹿だったからということになる。これだけでは理解が追い付かないかもしれないので十分な補足を付け加えよう。
燃炎上太郎は転んだのだ。
戦闘が始まる前に吹き散らかした自分自身の血液によって。
彼の名誉のために一応書いておくが、燃炎上も濡れた地面の上を走っただけで転倒するような運動神経はしていないし、自分の血で床が濡れていることに気が付かないような馬鹿という訳でも無い。
血液は≪燃料≫に変換されていた。
とびっきりトゥルットゥルの油状の燃料に。
今回戦闘開始の合図になった財布の爆発が通じなかった時点で、鑽古はまともに戦って勝てる相手ではないという判断を終えていた。
それ以降の攻撃は全て燃炎上の身体に今日一番深手を与えたこの部屋をどのように利用するかを整理する時間稼ぎと、燃炎上の意識をそこから逸らすための囮として行われていた。
鑽古の攻撃は防御なしでも燃炎上へ致命傷を与えきれないという驕り、上空に逃げるかもしれないという意識を持たせたことによる印象操作、攻撃も逃走も満足にできない憐れな獲物と思い込ませる情けない叫びを上げながらのフルチン疾走。
その全てが実を結び、能力相性的に分の悪い相手を地に伏せさせることができた。
しかしながらこの巨人の驚嘆すべきタフネスはこの短い時間で何度も身を持って体験しているし、今頽れている原因も単なる脳震盪で、放っておけば完全回復される恐れがある。
鑽古はしゃがみ込み、滝のように血が流れ出るその源、敵の額のぱっくりと割れた傷跡に左手を当てた。
「本日は色々とご教授頂きありがとうございました」
燃炎上は焦点の合わない瞳で自らを見下す相手を見つめた。その身体が、手を当てられた部分を中心に熱を持ち沸き立っていく。
「こちらからは全然話ができなかったので僕も少しだけ自己紹介させてもらいますね。僕の能力は先程実演して見せたようにあなたの血を本来とは全く違う物に変えてしまうことができるんですよ。本来であれば生物の体内を通っている生きた血液を対象に取ることはできないんですけどね。例えば体の老廃物であったり白血球の死骸だったりと言ったものは何とか対象にできてしまうんです。普通の人が相手ならば実用には堪えないのですが、あなたにの血管には大雨の後のような老廃物が流れていることでしょう。軽傷とは言え、あなた随分と怪我をしていましたからね」
鑽古の右手は圧電装置を握りこんでいた。火花が、流れ出して海を作る血に引火した。
悠然と歩き出して血だまりを抜けた。
「体の中に大量の酸素があるとも仰っていましたね。ここまでお膳立てして頂いて恐縮です」
火柱が立った。
それは悶えて転げまわり、部屋を煌々と照らす。炎を周囲に撒き散らし、常人が立ち入ればたちまち命を失うような焦熱の規模を広げていく。
「うおおおおおおおお!!!!! フザ……ふざけるナあああア!! オレサマは、勝っテいたはずダああアアア!!」
燃炎上は苦痛に苛まれながらも意識を取り戻したようで、不格好に立ち上がった。三メートル大の炎の巨人が殺意の目を向けるものだから、これ以上為す術もない鑽古も今度こそ本当に竦み上がる。
「オレ様は大河だ!! てめえみたいな小火で蒸発するほどやわじゃねえんだよ!! 小火といえば火事! 火事と言えば江戸だがなんで都市の代名詞が火事になるような状態で江戸川に頼らなかったんだろうな!! いや、オレ様は日本史は取ってないから詳細は知らないし多分川に近い場所がそんなに無かったとかそういう設備が無かったってことなんだろうけどそれにしたって何度も大火を経験してるならもうちょっと頼って欲しいと思うのも仕方がねえだろ!? なんたって幕府主導で大規模な治水工事を行って江戸川を作るぐらいなんだからよ!」
燃炎上は右手で左の前腕を掴んでいた。ものすごい力で、ブチブチと何かがちぎれる嫌な音を立てながら。
「江戸川は火事を何べんも見逃すことになっちゃったけどさ。オレ様は責任感を持って消火するぜ。クソ生意気な小火をな」
肘から先、腕が骨ごと引きちぎられた。瞬間、その断面から超高圧力をかけられた血液と炎が噴き出す。
それに当たれば、どれだけ丈夫な魔人も絶対に無事では済まない。ウォーターカッターや消化ホースといった比喩では不十分な、純粋に破壊を集約した勢いそのものが撒布されるのだ。
「喰らええええエエイ! これがオレ様の必殺『江戸瀑布』だあああああアア!!!!」
暴れ狂う赤の奔流が、全てを洗い流す。後には肉片も残らない。
そう踏んでいた燃炎上だったが、肘から先を失った左腕を掴まれる感触で自らの正気を疑った。
このようなことがあるはずはない。そうだ、ここにこんな奴はいなかった。
こんな女は、この部屋にはいなかった。
現実を失血と熱に浮かされた幻と疑い始めた彼の視界の中、おぼろげに映った少女は顔を寄せて囁いた。
彼に語りかけたそれは、現生人類には再現不可能な絶世の美声とでも呼ぶべき響きであった。
「貴様らの戦、中々愉快であったぞ。しかし最後の貴様の悪あがきは頂けぬな。あの量の血液を無造作に撒き散らしていれば、貴様がどれだけ多くの血潮を身に滾らせていようがあのぼんやりした阿呆の生死の判別も待たずに失血死していたであろう。あれは既に負けが決まった勝負をノーサイドに持ち込みたい餓鬼のすることじゃ。死ななかっただけありがたいのだから喜んで命を拾っておけ」
燃炎上の朦朧とした頭では、目の前の餓鬼が支離滅裂な文句で彼を責め、拾える勝利を拾わせてくれなかったとしか考えられなかった。
掴まれた左腕が圧迫されて止血されているのも、今の彼には邪魔をしているとしか受け取ることができない。
「うるせエぞメスがキがあああア! さッきの小火馬鹿野郎ハオレ様が掴みかかレる範囲ニ入って来ヤガらなかッたが…… てめえはどんだけ油断してるンだよオ間抜けええエエ!!! いいカ!? オレ様ハ大河デ、古代ヨり河川のよウな水の流れは龍や蛇に例えられたンだよおおおお!! 俺はナーガだ!! 大蛇だ!! 自分より大キイ奴も! 強そウナ奴も! 毒で弱らせテ、顎を外しテ丸呑ミにしちまうんだよオオオ!! てめエみたいな細っこくて軽そうなやつは腹の足しニモならねエし一瞬デぺろりだけどなああああアアアア!!!!!」
……
戦闘が行われている空間よりも少し上、焔に輝く戦闘場を真下に見下ろせる部屋。
一番初めにミトコンドリアガールに案内され、鑽古が久方ぶりの談話を楽しんだその部屋である。
彼はデフォルメされた鷲と胎児が可愛らしく踊り狂うメルヘンな柄のバスタオルを巻き、戦闘場の様子を見守りながら先輩に尋ねた。
「僕は……結局試験に合格することはできたのでしょうか」
ミトコンドリアガールはその質問に顔を向けることもなく答える。彼女の視線は戦闘場で燃炎上太郎と掴み合うキューのみに注がれていた。
「分からん、彼らが今審議中だ。私とてお前に死んで欲しいと思っていたわけではないが、あの場で殺し屋の様子がおかしいことに気が付いてすぐさまお前をここまで避難させたのはキューの独断だ。もしお前を道連れにあの殺し屋が自爆を行ったとして、イグニッション・ユニオンのルールであれば勝者はあちらの男となってもおかしくはない試合だった。死亡の順番次第ではあるがな」
揺らめく炎が憧れの人の顔を照らしている美しい光景を堪能する鑽古であったが、ジャイアントキリングを成功させかけた自分へ全く労いの言葉もなく視線も向けてくれないことには内心憤慨していた。そして彼はこの年にして放置プレイに目覚めかけていた。
炎から発された光そのものに熱が込められている。ミトコンドリアガールも真剣に我が子を見つめていたはずが、ライティングの問題で顔に鬼の像のような陰翳ができてしまっていた。
自身の戦闘も終わり色々な意味で落ち着ける場所に戻ってきた鑽古の顔は火事になった蝋人形館の人形といった様子だ。
光がより強くなり、窓を越えて熱波が二人の下へ届いた。部屋へと差し込む輝きで、目が乾燥し眩む。
暑い。身体中から汗が噴き出す。
しかし、これはただ暑いからかいた汗ではない。
寒い。背筋を冷やす感覚が襲ってくる。
「なんですかこれ……なんで僕は急に下を見るのが怖くなったんですか」
鑽古は身体を丸め、歯を鳴らして震えた。バスタオルから水滴が落ちそうになる程に湿っている。思わず失禁したものかと自分でも勘違いする程に汗を流し、恐慌に襲われている。
ミトコンドリアガールは、白衣を湿らせながらも薄眼で下のフロアへと顔を向け続けていた。その目では何も見えていないだろうと突っ込むのも野暮な程に真剣な表情をしている。
赤外線で顔の表面が真っ赤になっているのに、血の気は引いて震えている。
「あれが、キューの魔人能力だよ」
声も震えていた。歯が打ち付け合っているので聞き取りづらいが、鑽古は何とか先輩の言葉を聞き逃すまいと踏ん張った。
「不灭理。人の得た炎を本来の形に戻す能力だ」
「あの子は……危なくないんですか……」
「あのケープも腰巻も元結も全て特殊な耐火素材でできている……お前のように破廉恥な格好にはならないから心配は無用だ……」
「そういうことではなくて……」
光を浴びるだけで身体と精神を苛む炎で、次第に二人は言葉少なになっていくのだった。
……
燃炎上太郎が羽交い絞めにする狙いでキューの腰へ回した手を、彼女は手の平で包んだ。
彼は共に焼け死ぬつもりだったのかもしれない。
「蛇を自称するか! アッハハハ。そこまで重傷を負いながらも舌がよく動く様、間違ってはおらんようじゃの! 貴様の言い回しは聞いていて楽しい。ワシも何だか真似してみたくなったが少しよいかのう?」
「大河ノうねりニ耐えられルナラどうぞご自由ニいいいいイイイ!!!!」
少女の細い腰には何億トンもの力がかけられようとしていたが、彼女は片手でやんわりとそれを押し止め、涼しい顔をしていた。
「ウフフ。貴様、このケープは何をモチーフにしていると思う?」
「グオオオオオオオ!! ハア、ハア。……とり?」
「一応正解にしておいてやろう。完全な正解を求めるならば鷲と答えるべきだったのじゃがな」
キューが胸を突き出すと、それに当てられた燃炎上が尻餅をつく。
「なんデ……オレ様は大河デ……大蛇なのニ……」
「ワシが鷲で、鷲は蛇を喰らうからじゃ。そして、貴様が大河と言うのであれば」
「まさか海!? 母なる海…… オレ様の、ママなのか……?」
「人の話を中断して勝手に断定するのをやめい。ワシは山じゃ。それも活火山、何よりも大きくて、成長の途上で、誰からも見上げられる存在よ。貴様が仮に大河だとしても、この火山たるワシの身体を伝う汗の一滴に過ぎぬとつまりそういうことじゃな」
「う、嘘だああアアア!! オレ様が雫だとかオレ様に押さえつけられて潰れない女がいるとか……そんなものがありえていいはずが無いんだあああアア!!!!」
瞬時に立ち上がり、フライング・ボディプレスを当てに行く燃炎上。大河の質量を持つ彼を、押すか引くかで動かすことは不可能。
せめて掴んだ左手を離しさえすれば、落下する彼を避けることができる。
しかしキューはその手を離さずに、彼を投げた。
全身を床に打ち付けたことによる大地震のような震動にも彼女は身を揺らがせない。
「そうじゃのう。ではこう表現してやろう。貴様という河の流れ、あるいは大蛇が暴れても、潰せるものは精々流域周辺の国程度。それに対してワシという火山が噴火し噴煙を上げれば、その翼は容易に天球を覆い隠し、この星を冷やし尽くすということじゃ」
「うああ……ああ……」
他人に力負けするという初めての体験。
燃炎上は敵が魔人能力の無効化か、重力を操っているのだと解釈したかった。
しかし、視界を覆うのは焔。なにか途轍もなく恐ろしいその中に立つ、一人の少女。
相手がどのような能力を持っていても関係がない。勝つことは不可能である。
彼はようやく自らの敗北を実感した。
「傷口が焼けたおかげで出血は止まったようじゃ。良かったのう」
キューは掴んでいた手を離し、炎の中を去る。
それを確認し終えるよりも先に燃炎上は意識を失っていた。
……
上階にキューが戻ってきたことで、鑽古は彼女に質問をする機会を得た。彼は炎が暴威へと変わる直前に、彼女が燃炎上を投げ飛ばす場面を目撃していたのだ。
「あの男は投げ飛ばせるような重さでは無かったはずです。そのような魔人能力を持っている訳でも無いならば、何故キューさんは彼を投げ飛ばすことができたのでしょう」
「そんなに気を張ってかしこまらずともワシのことはキューかキューちゃんでよいぞ。貴様の戦い方は先住人類の参考になったしのう。ワシがあやつを投げ飛ばしたのはひとえに最優秀人類だからという理由に尽きる。ワシの基盤となっている肉体、形而上的な理論、物理学の先を極めた技が全てを可能にした。貴様ら先住人類からすれば滑車も無しに自分自身の身体を持ち上げるような真似をしているのだから理解や模倣ができるとは思わなくて結構じゃ」
無体とも言えるような説明に、鑽古は気が付いた。彼自身はイグニッション・ユニオンにさほど必要とされないのではないか、と。
そして耳元の声もそれに重ねるようにして審議の結果を伝えた。
「鑽古クン、君ハ燃炎上ニ敗北シタモノト我々ハ結論ヲ出シタ」
「それでは、僕ではキューちゃんには似つかわしくないとお考えなのですね」
鑽古は肩を落とす。先輩の期待には応えられなかった。彼以上に彼女の期待を背負う存在が生まれてしまったのだから、それはそれで仕方がないのだとも諦めがついた。
「何ヲ言ッテルンダイ鑽古クン。我々ハ一度モ勝敗ヲ基準ニ選考スルトハ言ッテイナイ。ゴ推察ノ通リ、キューは一人ダケデモ容易ニ他ノ参加者ヲ次々ト打チ破ルコトダロウ。シカシキューガ警戒ヲ一身ニ受ケ、集中シテ対策ヲ打タレタナラバ不測ノ事態モ起コリウル。ソレヲ防グタメノ協力者ハ必要ナノサ。ソウイウコトデ、合格ダヨ。君ヲキューノパートナートシテ認メヨウ!」
「キューちゃんとパートナー……先輩、ミトコンドリアガールお義母様! これからよろしくお願いします!!」
「アノ、ソウイウ意味ジャ……」
「力量は認めてやってもよいがワシはツガイを作るつもりはないぞ。ワシと博士にその気色悪い表情を向けるのは止めよ」
「そんなあ。ああそうか、キューちゃんは僕の義理の娘になりたいんですね。素直じゃないんだから。先輩結婚しましょう」
「最優秀人類としてお願いじゃからやめて……」
「キューちゃんが恥ずかしそうなので保留にしておきましょう。先輩、お返事はまたの機会で大丈夫です!」
元気を取り戻した後輩を見て、ミトコンドリアガールも苦笑する。彼女にはこれから燃炎上太郎の治療と再教育人格矯正の仕事が残っているため、場を離れなくてはいけない。
その前に、鑽古に渡しておかなくてはいけない物があった。
「鑽古、これを受け取れ」
「えっまさか指輪…… 服と箱ですか」
「露骨にガッカリするな。耐火服と燃料用のタンクだ。服の方は今回のようにみっともない恰好で人前に出ることがないように非生物由来の素材で作ってある。火以外を防げるものでは無いから防具としては期待するな。燃料タンクは≪燃料≫を安全に持ち運ぶためのものだ。≪燃料≫の性質ごとに分けて保存することができるし武器としても利用できるから後で説明書も読んでくれ」
「……僕が試験に受かるってずっと前から期待して準備してくれていたってことですよね。ありがとうございます」
「ああ、応援しているよ」
「ワシは?」
「無論応援してる」
部屋を出ていく博士を見送り、鑽古とキューは「応援」を二人で思い出してハイタッチする。
そしてここに一つのチームが結成された。
地底の冷夏案内人。
イグニッション・ユニオンを騒がせ時代を震撼させることになるこのチームは、こうしてその歴史の幕を開けたのだ。