それは、暇をしていた。
することがないのである。
それは、生物ではなかった。偶然にも知性を得た無生物の塊。故に生きるための欲求が備わっておらず、なにかをするということがなかった。生物がそのようなことをしていたらそのうち朽ち果てるだろうが、それはかなり頑丈であり、すぐには朽ち果てそうもなかった。これまた生物ならば暇に耐えられず、何かしようとするだろうが、それは暇を苦痛と感じることもなかった。
そのままであればそれはゆっくりと長い長い時間をかけて朽ちてゆくはずであったが、その暇にどっぷりと浸かった知性を突如として刺激するものが現れた。
それは自らに起こった出来事を機械的に分析する。
―精神干渉?
―何らかの誘導、洗脳に類するもの。
―脅威度を計算。
―極めて微弱。
―対処を要さない。
―疑問。誘導を拒絶する必要性はあるか?
―全くない。
かくして長き暇にあったそれは動き出した。どこに向かっているのかも知らないままに。

☆ ☆ ☆

C3ステーション支部エントランスホール、イグニッション・ユニオンエントリー受付カウンター前にて。
「なんでなんでなんでええええええええ!」
今生火友は周囲に野次馬が寄ってくるのも気にせずにじたばたしていた。
イグニッション・ユニオンの噂を聞きつけて「よっしゃあ鏡の世界なら放火しまくっても無罪!合法!燃やし放題!」と勇んでやってきたというのに火ではコンビの相方として認められないというのだ。
火友の魔人能力がなければただの火であるし、戦闘不能の判定はどうするんだとか、第一火友のほうも相方を「現地調達」する気満々だったとかいうこともあるので当然の裁定なのだが。火友もわかってはいたが勢いだけで出場しようとしていたのだった。
「ぬぎー、うぎぎー」
唸ってみても裁定は覆らないし、相方のあては全然ないし、周囲の人が無言で「はよ帰れ」という圧を加えてくる。火友は平均的な15歳女子よりははるかに図太い精神の持ち主であったが、さすがにこれ以上この場で粘るのは難しそうであった。そうして火友がしぶしぶ諦めて帰ろうとしていた時であった。
「なんだあいつは!」「ワッザ?!」にわかに周囲の野次馬がどよめく。火友が野次馬の視線の先を見てみると、そこにはこちらに向けてのしのしと歩いてくる異形の姿があった。
異様な人型であった。全体は3mほどのヒト型をしているが、全身を構成しているのは肉と骨ではなく、武器やら日用品やら石のようなものやらよくわからないガラクタやらであった。そのような雑多なものが、全身に巻かれた鎖やらお経のようなものがびっしりと書かれた御札やら包帯やらでぎちぎちに束ねられて人の形をとって動いているというゴーレムじみた異形が火友の方にやって来るのであった。
しかるべき知識、あるいは直観を持っている人物がそれを見ればその全身を構成するのがいずれも危険極まる悪意や怨念や狂気やその他諸々が詰め込まれた危険な物品、いわゆる呪物であることが分かっただろう。しかし火友はそうではなかった。あるいは全く尋常のそれとは異なる感性が働いたのであろうか。そして目の前のものが何なのかを欠片も理解しないままに、それに対して恐れ知らずの行動をとった。
「あ、ちょっと!そこの暫定ヒト!私とコンビ組んでよ!放火しよ放火!」
え、マジで?大丈夫なのそいつ?的な空気が周囲に流れた。
当のなんかヤバそうな呪物の塊は、頭のような部分をはっきりと上下させた。つまり頷いた。
「これで!エントリー!できますよね!」
受付の人「ア~、ハイ、ソウデスネ…」
実際はこの謎の呪物でできたゴーレム的なやつが出場可なのかは受付の人には判断しかねたが、15歳女子の勢いに押し切られた。
「やったー!うひょー!」
火友は舞い上がって狂喜乱舞した。イグニッション・ユニオンなら鏡の世界で放火し放題!誰にも慮る必要なし(火友は放火がしたいのであって人を焼殺したいのではない)!新宿大炎上!秋葉原火の海!渋谷焼野原!スカイツリー全焼!東京メトロ焦熱地獄!脳裏に浮かんだ素敵な世紀末的光景に「うにゅへへへへ~」という15歳の乙女にあるまじき笑みがこぼれる。
いきなりやってきて唐突に参加することになってしまった呪物ゴーレム(仮称)は平然と受付横の『ご自由にお取りください』となっているイグニッション・ユニオンのパンフレットを取って目もないのに読み始めた。ルールを確認しているようであった。少なくとも動揺などと形容できるものは皆無であった。
え、マジで?大丈夫かこいつら?的な空気が周囲に流れた。その時であった。
「おうおうてめえらなにいきなり出てきて調子こいてやがんだぁ!?お?」
「最強の二人の称号は俺たち釜瀬兄弟がもらうんだよぉ!」
見るからにそれっぽい二人組が現れて因縁をつけてきた。たいへんそれっぽい。
それに対して因縁をつけられた二人はというと
「うふひゅへへへへ、石油コンビナートとかあるかなあ、ふひゅへへへへ」
「……」
まったく気にしていなかった。火友の心は放火し放題に飛んでいたし、ゴーレムはパンフレットを熟読していた。
「「なめんてんじゃねーコラーっ!」」
その様に早くもキレたそれっぽい二人が懐からナイフを取り出してそれぞれ二人に襲い掛かる!それっぽい二人こと釜瀬兄弟の魔人能力は『コンビネーション』、単に二人で行動するとパワーアップするという単純なものである。
釜瀬兄のナイフがいまだニヨニヨしっぱなしの火友の背中に迫る。その時火友の腰のポーチがひとりでに開き、火炎放射器のような火炎が釜瀬兄に襲い掛かった!
「うわーっ熱い!なぜだああああ全くこっちを見ていなかったのにいい!」
火だるまになった釜瀬兄はごろごろと転がって消火しようとするが、なかなか消えない。
「うにゅへへへ…ってこら!勝手に人を燃やしちゃだめでしょ!」
遅れて気づいた火友が声をかけると動物のように火が釜瀬兄から離れて火友のほうに動いていく。そのまま火友の脚を登ってポーチに戻ったが、火友やその衣服には全く火にあぶられたような跡はない。
これが今生火友の魔人能力『友なる炎(フレンドリーファイア)』である。火友の周囲のあらゆる火は火友に味方し、脅威が迫れば迎撃し、火友自身やその持ち物は燃やさない。この魔人能力により、火友は常日頃からペットを連れ歩くように火をそのままポーチに入れているのであった。
「えーっとこれ、正当防衛ですかね?」火友が勝手に大やけどを負っている釜瀬兄に困惑していると、「あぎやあああああああああ!?」釜瀬弟のすさまじい絶叫が聞こえた。
時は少しさかのぼる。
「「なめんじゃねーコラーっ!」」
釜瀬弟のナイフがゴーレムの背中を構成する物品の隙間に深々と突き立った。なにかを貫く手ごたえ。しかし釜瀬弟はナイフを握る手に違和感を感じた。
「うわっなんだこれ手からなんかぶつぶつがあぎやあああああああああ!痛いいいい!」
釜瀬弟の右腕は瞬く間に皮膚病のように猛烈に爛れ、すさまじい痛みに釜瀬弟はのたうち回る。
釜瀬弟がナイフで刺した部分には、呪物ゴーレムの前身を構成する多種多様の呪物の中でも、ちょうど呪いの藁人形の一種があったのだった。それを突きさしたことでカウンターの呪いが発動したのである。人形の心臓や頭の部分を刺さなかったこと、即死するほど強い呪いではなかったことは不幸中の幸いだったといえるだろう。
「……」ゴーレムのほうはナイフで刺されたくらいは屁でもなかった。
うわ、マジかよこいつら、やべーじゃん、的な空気が周囲に流れた。
釜瀬兄弟の件は正当防衛で不問になった。

☆ ☆ ☆

―誰だって、目の前のことに100%満足しているような人はいない。
もっと豊かに。もっと欲しい。できるのならばやってみたい。そういう欲求に折り合いをつけて、妥協して、諦めて生きている。
それは当然のことだし、悪いことではない。むしろ美徳といってよいかもしれない。
でも。
私には火が点いてしまった。
『私は妥協して、諦めて、蓋をして生きている』ことを知ってしまったんだ。
だから私は魔人になったのかもしれない。
このどろどろした火を放ちたい。思う存分ぶちまけてやりたい。
露悪的で汚い上に陳腐な欲望だと自分でも思う。
しかし燃やす。
徹底的に根本的に偏執的に盲目的に徹頭徹尾完全無欠に燃やして燃やして燃やして燃やして燃やして燃やして燃やして燃やして燃やして燃やして燃やして燃やしつくす。
外ならぬ私がそうしたいんだから。そういうのを魔人というんだ。

☆ ☆ ☆

かくして危険な二人がイグニッション・ユニオンの舞台に立つ。片や衝動に突き動かされるままに、片やただ流されてこの大舞台にやってきた一人と一塊。その行方は未だわからないが、火を見るよりも明らかなこともある。
「燃やす」
火は放たれた。この先、DANGEROUS。
最終更新:2021年04月09日 20:28