「現場はここね!?」

ドアを蹴破って登場すると、容疑者たちはみな私を見た。
驚き、怪訝、厄介者が現れた――、三者三様の面相だ。
この三人のうちの誰かが犯人なのかは、まだわからない。じきにわかる。

「なに? だれ?」

中学生くらいの娘が、こわもての男に小さく呟く。
男は一歩前に出て、眉ひそめて問う。

「突然君はなんなんだね?」
「そっちこそだれなのよ?」
「事故があったから呼ばれたんだよ」

すこしたじろぎながら男は答える。
事故。騙されてる。この警官は三流ね。まあ仕方ないか。

「嘘をついて・・・。いえ気づいてないの。これは事故ではなく事件よ!! でも任せて、こういうときこそ名探偵の出番なんだから!」

警察すら欺いたトリック・・・、私に見破れるかしら。
まずは犯行現場を検分しないと。
奥へ行こうとして、とめられる。

「お嬢さん、なんだか知りませんけれども勝手に入るのは、やめて」

強い言葉で窘められた。反省。

「確かに無作法だったわね。でも安心して! 安楽椅子探偵といって現場状況を見ずにわずかな伝聞だけで真実にたどり着く探偵もいるのだから。さあ事件の概要を教えてみなさいな」
「大丈夫かこの人」
「キ! だよこれキだよ」

私は事情を聞こうとするも、マナーに厳しい家庭で育ったのか、取り合ってもくれない。
確かに安楽椅子探偵と言ってしまったからな。私自身が情報を集めるのはちと違うか。

「ヨニ~」
「はいはい」

私の友人がひょいと顔出して、男に耳打ち。耳に手を当てふむふむ、うんうん、とか頷いている。かわいい。

「だいたいわかりましたよ」
「さすが我が助手!」

サムズアップして褒め称える。わが友はクールに澄ました顔をしている。

「こっから見えますかね。あそこが子供部屋、そこのお子さんの部屋です。内鍵がかかっていて密室状態でした。そこで被害者は倒れました」
「ほんとに密室?」

友は少し宙をあおいで、そして警察とぼそぼそ話する。

「あー、扉に穴が空いてます。犬用の」
「ふむふむ」

この玄関口から、確かに子供部屋の扉が見える、
そして、この事件のトリックが理解できた。

「なるほど、巧妙な手口ね」
「なにがわかったんですか? 被害者アリバイ死因なにも言ってませんけど」
「それは・・・見ればわかるわ。来て」

私は(礼儀正しく)靴を脱いで不法侵入する。

「あ待てアンタ」

待たない。現場のドアに近づく。
見ればわかる。わかってしまえば、簡単な手口だ。
しかし、見ないことにはわかるまい。探偵でなければ。

「こ、これはどういう・・・」
「簡単なトリックさ」

ドアがある。しかしドアノブはない。

「わかる?」
「なにが?」
「上」

私は頭上高くにそびえる銀色の球体を指差した。

「あれは・・・まさか」

私はドアに体当たりした。
ドアは上部のみが固定されており、内側へと開いた。

然り。
秘匿は破られた。

「この家の犬用路は人が悠々通れる。叙述トリックを使った密室殺人事件なんだ」

見上げると、巨大すぎる少女と老女が。どれだけ首まげても、その表情はうかがい知れない。
さっきまでこんなにでかかっただろうか。この名探偵に喝破され、正体見たりって感じだな。
親友は驚きあわてふためいている。

「ここの人たちが仮に殺人事件の犯人だとするなら武力を以て私たちを踏み潰してもおかしくないけれども名探偵であるなら具体的かつ確実な解決方法を思い付いていると考えるが?」

わが友よ、あせるな。

「スケール効果って知ってるか?」
「す、寸法効果?」

どうやら知らないようだ。

アメンボの足は細い。アメンボをそのまま人間サイズに大きくしたとき、あの細い足では、胴の重みに耐えきれず根元からおれてしまうという。体を支えることはできないのだ。
虫には虫の、象には象の体格がある。
つまり、だ。

「こんな大きさでは、自らを支えることもできまい」

少女と老女はぐなゎりと崩れ落ち、頭をしたたかうちつけた。自壊。
震度6に飛び上がってしまった。

えーっと。

「これは名探偵が真実を暴いたことで犯人が自ら死を選んだということでいいんですか?」
「あー、ん。まあ、そういうことになるのかな」

なるほど。
真相見抜かれ崖から飛び降りるパターンのすごい版か。

「たしかに家族間の殺人であればアリバイやら動機やらはなんとでもなりそうですしきっとそうなのでしょうね。この、えー、叙述トリック、ぷふっ、見事すぎて驚いてしまいましたが、ええ、まあ、これにて事件解決ってことでいいでしょうか」
「うむ。わが慧眼が恐ろしいくらいじゃ」
「では帰りましょうか」

同じ道を往復するとき、行きより帰りが短く感じるというが、今回はそうではなかった。みずからの名推理に満足していたからだろうか。
鼻歌でも歌いたい気分だ。次もどこかで殺人事件が起きないかな・・・

親友が、私にそっと耳打ちする。

「とはいえこのような殺人事件はもうまっぴらごめんですね。もちろん、あなたももうこりごりですよね? なにせ善人なんですから人の死にちゃちゃをいれ引っ掻き回して喜ぶような性悪行為を望むはずありませんよね?」

もちろん、探偵のごときマネは、私の望むところではない。




●ヨニ視点
親友は狂っていて、狂いの基本として、みずからの狂いに気付いていない。突然、自分が名探偵だと思い込み、知らぬ家の門戸を蹴破った。
(なにが名探偵がお前が犯罪者だ不法侵入だ)
この思考を二重思考の平行線のかなたへおいやる。

思ってはならない。
それは事実になるから。
マザーテレサもそう言っていた。

この世でもっとも美しい存在と友人になってから、思考ひとつがどれだけ世界を変えてしまうのか、いやになるほど目の当たりにしてきた。

親友が突入した一軒家を、周囲から見る。
小さな中庭から、半開きの子供部屋が見える。
犬が倒れている。
犬を男が診ている。少女がわんわん泣いている。少女の母らしき人が、伏し目でじっと犬を見ている。
死んだのか、あるいは病気か。老衰か。

思い浮かべたものをそのままにする。
断定はしない。決して点と点をつなげはしない。
つながれば、それは事実となってしまう。
少しの推論も、私は私自身に許さない。

私は親友の、単純で致命的な世界改変の力を知っている。
それから逃れる術に、多少の心得がある。

考えないこと、断定しないこと、そして推理しないこと。

推理。
点と点をつなげるものが、推理。
天使が探偵小説を読んだことが、どうしようもなく破滅的なことに思えてしかたがなかった。

おもてに戻ってみると、獣医は拳銃提げた警察官になっており、少女の母は怪しげな老婆になっていた。二重思考し、かつ天使をよく知らなければ、この急激な様相の変わりに気付きさえもしないだろう。私だって全ての歪みに気付けるわけではない。

「ヨニ~」

どうやら親友は探偵ごっこをどうしてもやるつもりだ。
どのような運びであれば、事態は小さく収まるだろう。


とにかく一旦は乗ってみよう。
ワトソン役になって、すっかり警察官になってしまった男から、話を聞く。
少女が犬にチョコを与えてしまい、ぐったりした。母が気付いて、あわてて通いの獣医を読んだ。とのこと。
殺人事件でもなんでもないな。
しかし、ここで「殺人事件じゃないよ」と言っても火に油かもしれない。
妙な反論で明後日の方向に歪みが出ても困る。

警察となってしまった男に近づいて、耳に手を添える。

「ふむふむ」

もちろんなにも言ってはいない。

私はあたかも犬ではなく人が、事故ではなく事件であるかのように伝えた。とにかく分かりやすい形でこの「名探偵ごっこ」を終わらせなければならない。
ぐったりとしていた犬には悪いけれど、犬一匹の犠牲ですむならましなものだ。

本当は、どこにも影響がないといいのだけれど。

と思ったらとんでもない方向に影響が出てきた。
親友のすっとんきょうな推理により、さきほどまでごくふつうだった一軒家が、突如何十倍に巨大化した。
住人たちも巨大化している。あまりにも大きすぎる。

やば。
死。
殺される。
その想像を止めることはできない。
想像を止めることができなければ、それは事実となってしまう。

私は極めて平静を装って、しかし一息で、助けを求めた。

「この人たちが仮に殺人事件の犯人だとするなら武力を以て私たちを踏み潰してもおかしくないけれども名探偵であるなら具体的かつ確実な解決方法を思い付いていると考えるが?」

「スケール効果って知ってるか?」

その一言で、なにが起きるか理解できた。
と同時に、親友の暴走を止められず、申し訳なく思う。

おそらく、つなげたのだろう。
稚拙な推理が導きだした歪な現実を、どうにか取り繕う一本の道。
密室殺人事件と叙述トリックと巨大な家と人とスケール効果とサスペンスドラマのラストで犯人は自害することと、私の期待に答えようとすることを。

親友の勝手な認識で巨大化し、勝手な認識で自滅した命が戻ってくることはない。
これからさき、悲劇の再演がないよう、釘をさしておく。

「このような殺人事件はもうまっぴらごめんですね。もちろん、あなたももうこりごりですよね? なにせ善人なんですから、人の死に、ちゃちゃをいれ引っ掻き回して喜ぶような性悪な行為を望むはずもありませんよね?」

親友は神妙にうなずいた。真面目ったらしい顔で。




●エピローグ

膝を折りがくがく震える警官の腰にさげられた拳銃を横目に見、リンがぽつりと呟いた。

「チェーホフの銃・・」

ヨニは切れ目をひそませる。

「どっからどうみてもチェーホフじゃないでしょこの人は日本人でしょ」
「知恵屠さんかも」

二人が去った。
散らかった現実をおさめる方法を、警官には思い付かない。
ひとつくらいしか。
最終更新:2021年04月26日 00:02