「や、ややっ、やっややややめろ! その子が嫌がっているじゃないか!」

 スラム街の片隅で、反男の情けない声が響く。
 彼の指さす先には大男がおり、その傍らではパン売りの少年がうずくまっていた。
 この街ではよく見る光景だ。むしろ反男の行動の方が異質ですらあった。
 通りすがりの住民はトラブルを避けようと目を合わせず、連れの少女ジョーも呆れた顔をしている。

「ああん? 何だおめえ、このガキの知り合いか?」
「せ、拙僧は何も関係無い! でも、弱いものいじめを見過ごすわけにはいかない!」

 男の怒鳴り声に威勢よく返しながらも、反男の顔はおびえていた。
 それでも彼がこのような行動を取るのは、覚った者として、衆生を救済へと導く義務があるからだ。

「おいおい兄ちゃんよお~、言ってみりゃ俺だって弱者なんだぜ?
 腹ペコなのに、パン一つ買う金だってありゃしねえ」
「そ、それは……」

 しかし男に事情を打ち明けられ、反男は言い返す言葉を失ってしまった。
 情けなく隣を見るも、ジョーは何も助け船を出してくれない。
 反男が悩んでいると、倒れていた少年が口を開いた。

「配給の食事は……どうなさったんです……?」
「それだ! おい、どうしたんだ! 言ってみろ!」

 少年の疑問に乗っかる反男、カッコ悪い。

「配給だあ!? あんなもんで足りっかよ! 俺()はもっと食うんだ!」

 男は怒りをあらわに地団太を踏む。
 両者の間に緊張が高まってきた。
 火蓋を切ったのは反男の方だ。傍の少女に語りかけるように宣言する。

「ふっ、ふふっ、正体を表したよ。さあ! ジョー! この哀れな罪人を懲らしめてあげよう!」
「わたくしはパスですわ」

 ジョーは素っ気なく言い放った。

「な、なんでっ!? 昔ならこんな――」

 キッ! と、反男の言葉をさえぎるように、ジョーは彼をにらみつける。

「うっ……でも、君だってこの街の人が心ぱ――」
「こんな街、わたくしに相応しくありませんの」

 ジョーの言葉にショックを受けながらも、反男は、勃起していた。
 彼はスラム街住民である。お嬢様言葉を生まれて初めて聞いたのは、ジョーが病気になったときだ。
 それ以来、ジョーのお嬢様言葉を聞くと肉体が反応してしまうようになった。
 それはお嬢様言葉が聞き慣れない言葉だからだろうか、それとも、相手がジョーだからだろうか。
 いや、しかしジョーは妹同然の存在であって決してそういうやましい気持ちは……

「おい、仲間割れか? だったらこちらから行かせてもらうぞ?」

 考え込んでいる場合ではなかった。男はすっかりやる気だ。
 うろたえる反男を尻目に、ジョーは我関せずとため息をついて椅子に腰かける。

「反男さんの用事が済むまで、わたくしはお茶でも飲みながら待ってますわ(・・・・・・・・・・・・・・・)

 瞬間、反男を囲む、目、目、目。
 どこからともなく現れたネズミの群れであった。
 ネズミと言えど侮るなかれ。大型の獣に引けを取らない殺気を感じる。それに何より数が多い。
 まずいことになった、と反男は後悔する。
 男が「俺()」と言ったのはこのネズミ達のことだろう。魔人能力で集めたのか。
 一斉に襲われたならどのような被害を受けるか想像できない。
 緊張が高まる。

「なんまいだぶなんまいだぶなんまいだぶ……」


「よし、お前ら、やっちまえ!」
「無駄です。こちらの声は聞こえていませんわよ」

 ジョーは紅茶を一口、口に含んだ。

「なんだって? それはどういう……うわっ! なんだこのオサレなテーブルは!」

 お茶やケーキがゴージャスに盛り付けられたテーブルを見て、男は目を丸くする。
 彼もまたスラム街の住民、こんな光景は初めてだ。

「わたくしの能力ですわ」

 『秘密のティータイム』。近くにいる任意の人物を「お茶会」に誘い、お茶会での会話は外部に漏れることはない。

「あなたをあのネズミ達から引き剥がしたくて仕掛けましたの」
は、はんげあいふらのほほを(な、なんであいつらのことを)……」
「あれだけ殺気を滾らせていたら丸分かりですわよ」

 男は話半分にケーキをガツガツほおばっている。
 このお茶会ではマナー違反はご法度だが、飲食のマナーについては寛容である。
 課されるマナーは「途中で席を立たない」「暴力をふるわない」その2つだけだ。
 それだってお茶会の雰囲気による精神作用で抑制されている。
 その作用のおかげで、先ほどまで気が立っていた男が反男に攻撃を加えに行く気配は無い。
 ジョーと2人、ただお茶をしながら戦いの行方を見守っている。


 ネズミ達が飛び掛かってくる。反男はまだ念仏を唱えるのに夢中だ。
 隙見つけたりと1匹のネズミが反男の喉元に飛んでくる。
 それを反男は……瞬間移動のようにかわした!
 いや、かわしたのか?
 物理的に何が起こったのか説明するのは難しいが、とにかく彼は攻撃を「避けずに避けた」。これが「無の技」のひとつ、「無避け」である。


「あいつも魔人だったのか! しかし、なんだありゃあ? 避けるだけの能力か?」
「いいえ」

 ジョーは一呼吸置き、口元を緩ませながら答えた。

「彼は、『なんでも』できますわ」
「なんだって?」

 観察していると、反男は適当な記号を書いた細長い板を構えている。構えているだけだ。
 振ってもいないのに、ネズミ達は何かに次々とはたき落とされていくように見える。
 これもまた無の技、「無はたき落とし」であるが、男はただ反男が超スピードで動いているだけだと勘違いした。

「あいつらより速いだと? やっぱり奴もスピード系の能力か!」
「だから、違うと言ってるでしょう。それにしてもずいぶんと彼らの速さに自信がおありですのね」
「まあな! 俺の能力、『チューチュートレイン』はネズミを速く走れるように鍛える能力だ!」

 このお茶会にはもうひとつの精神作用がある。
 それは、「参加者は必ず本音で会話する」ということだ。
 先ほどから互いの能力をペラペラ打ち明けあっているのはこのせいである。
 もちろんジョー自身も例外ではない。というよりそもそもこの『秘密のティータイム』はお嬢様になってしまったジョーが自分の本音をぶつけるためにできた能力なのだ。


「なんまいだぶなんまいだぶなむあみ……はぁ」

 反男の念仏が途切れた。
 それは、彼が無の技を扱えるようになる能力『無我無中』の効果が切れたことを表す。
 ネズミは自力で避けるしかなく、自力ではたき落とすしかない。
 しかしそれは容易ではない。

《チュチュチュチュチュチュチュー!》
「くっ……」

 反男はネズミを必死に手で払い避けようとするが、

「いでっ!」

 噛みつかれてしまう。
 それを合図に、ネズミ達は一斉に反男にまとわりつく。


「おい、なんかいきなり弱くなったぞ? 助けに行った方がいいんじゃないか?」

 男はにやにやし、豪快に紅茶を飲み干しながら言う。

「一刻も早くそうしたいですわ。でも、あなたの能力を見極めるまでできません」
「俺の能力なら、さっき言ったとおりだぜ?」
「例えば、鍛えたネズミを操れたりしませんの?」
「いや、本当に鍛えるだけだ」
「では、彼らはあなたを慕って戦ってくれていると?」
「そんなわけないだろう」

 大きな口を開け、ケーキをほおばる。

「俺の弟が、能力『チューチュートレイン』でネズミに乗り込んで運転しているんだ」

 ジョーは紅茶に口をつけ、その間に考えを巡らせる。

「では、まだおひらきにするわけにはいきませんわ」


《チュチューーーーッ!!!》
「がっ! はぁ、はぁ……」

 ついに倒れた反男には疲れの色が見えていた。
 この状態で『無我無中』を再起動することは難しい。
 この能力の発動には、反男が興奮を覚えたときに念仏を唱えることによって余計な思考を消し去るという過程が必要だ。
 そのため通常は、一度発動した時点で反男の興奮が醒めてしまっている。
 再起動には時間稼ぎが必要だ。
 ちらりとお茶会の様子を見るが、まだまだジョーが終わらせようとする気配は無い。
 彼女には頼れない、か。

(いや……、これは拙僧が始めたこと、彼女を頼りにしちゃダメだ……)

 体をかばいながら、反男は大きく息を吐いた。

(それに、能力を使うのは、心を穏やかに保てていない……拙僧が未熟であるという証!)

 痛む手を押さえ、再び立ち上がる。

(そう、心を平静にして! 相手の動きを落ち着いて観察するんだ!)

 この時、反男には恐るべき変化が起きていた。

(拙僧は『覚った者』! 衆生を救済できるのは……拙僧しかいないんだ!!!)

 彼は「自分に酔って」いたのだ。
 「酔い」は疲れも痛みも麻痺させ、彼を興奮へと導く!

「なんまいだぶなんまいだぶなんまいだぶ……」

 そして興奮した彼は条件反射で念仏を唱え始める!


 立ち上がった反男を見てほっとしたジョーは、小声でつぶやいてしまう。

「そう、それでこそわたくしが     」
「あぢっ!!!」

 その「本音」に気を取られ、男が紅茶をこぼしてしまった。お茶会中の参加者はいかなる要因によっても傷つくことはないが、熱いことは熱い。

「あっ、い、今の! 本人には秘密ですわよ!」
「ああん? んなこと興味ねえよ!」

 男はテーブルの上のナプキンで必死にこぼしたお茶を拭った。


 反男は念仏を唱えながら「無考え」た。
 このネズミ達が男の制御下にあるなら、男を倒せばネズミ達は無力になるのだから、ジョーはお茶会をやめて男を解放するはずである。つまり男はネズミを操ってはいない。
 また、仮にネズミを操っている者が別の場所にいると分かったなら、その情報を反男に渡すために、もしくはそいつを探しに行くために、一度お茶会を中断するはずだ。その場合ネズミ達を相手していても不毛なのだから。
 何にしろ、ジョーは「パス」と言った割に、本来反男が相手するはずの男を能力で巻き込んだ。全く協力するつもりがない、というわけではなさそうだ。
 ネズミは操られていない。とするなら、この統率の取れた動きの意味するところは……

『群れの中にリーダーがいる』

 そう結論付けると(ちなみに「考えずに考えて」いるので思考時間は0である)、反男は「無観察」する。
 指示を送っているネズミが……いた!

「なんまいそこだっ!」

 そのまま「無攻撃」すればよかったのだが、敵を見つけた興奮は抑えが効かず、反男は自ら得物を振り降ろす。
 リーダーネズミが不幸だったのは、人間に運転されていたことだ。
 ネズミ自身の反射神経に任せておけば避けられた攻撃だ。しかし、運転士は、反男が自分を見つける早さに戸惑い、避けるのが遅れた。

《ヂャァーッ!》

 殺生は好まないと当初は手加減していた反男だったが、戦いの中でネズミが恐ろしく鍛えられていることを実感し、力の限りを叩き付けた。
 吹き飛ばされ、倒れるリーダーのネズミから、運転士が弾き出される。

「ちいっ! なんでバレたんだ?」
「君がネズミを操っていたんだな! さあ、観念しろ!」

 運転士の周りに、ネズミが集まっていく。

「ふん! 俺にはまだ『奥の手』があるんだ。さっきみたいに避けられるもんなら、避けてみな」

 運転士は改めて1匹のネズミに乗り込む。
 そのネズミを先頭として、ネズミ達は、後ろへ後ろへと並んでいく。

 ここで読者の皆様には彼の能力を思い出してほしい。
 そう、『カー』ではなく、『トレイン』である。

 列に加わるネズミ達はせわしなく周囲を見ていたが、編成が完成すると前から順に首を大きく回しはじめた。
 並んだネズミは、総勢100匹!
 この技の性質は、突撃のスピードが連結した匹数に比例することだ。
 列をなしたネズミ達は地面を蹴る。

 奥義『ファンファンウィーヒザステップステップ』!

 一瞬にして加速――疾い!
 息する間もなく眼前に迫る!
 避けられる「はずがない」!


「南無ッ!」


「……」


「…………」


 反男が恐る恐る目を開いてみると、ネズミ達は「脱線」していた。

「進行方向の力は跳ね返せても、横からの力には弱いものですわ」

 建物の壁に、ナイフで磔にされた新リーダーのネズミがもがいている。
 後ろのネズミ達はリーダーについていったせいで壁にぶつかり、気を失っていた。
 運転士はネズミの中から、今度は自分の意思で飛び降りた。

「ひ、ひえ……化け物……!」

 この速さ、ましてや小さいネズミを狙って正確に横からナイフを命中させるなど尋常ではない。
 もともと兄に付き合ってやっただけの喧嘩だ。
 弱そうな反男だけならともかく、もう1人相手するなんてやってられるか!

 一目散に逃げていく男を見届けてから、ようやく我に返った反男が叫ぶ。

「じょ、ジョー!」

 ナイフを投げたのは彼女だった。
 お茶会はおひらきである。
 ということは、もう1人の男も自由になったということだ。しかし――

「いいのか? お嬢ちゃん。俺を解放しちまって」
「ええ」

 ふわっと、ボロの「ドレス」が舞う。
 鮮やかな回し蹴りに、大男は一撃KOだった。

「あなたみたいなデクノボーはわたくしひとりで十分ですから」

 こうして、喧嘩は終わった。

 パチ、パチ、パチ。

 拍手の音。
 発しているのは、パン売りの少年だった。
 喧嘩が始まってから今まで一言も喋らずに推移を見守っていたのだ。
 彼は立ち上がって、磔のネズミを解放してやる。

「見事なものです」

 声が変わっていた。壮年の男のようだ。
 そう思っていると、見る見る少年の姿が変貌していく。

「自己紹介させていただきます。私はスカウト太郎。闘技大会『イグニッション・ユニオン』の参加者を募集するため、色んな方にお声掛けしています」

 最終的に彼は、声相応の紳士の姿となった。

「闘技……大会?」
「ええ。優勝賞金は5億円です」
「ごっ、ごご、ごおく!?」
「ええ。そして、あなたがたにそれに参加していただきたい。まあ、選考もありますが」

 ジョーが動揺する反男を制してスカウト太郎の前に出る。

「……あなた、わたくしたちをからかってますの?」
「それは、ご自身の能力で尋ねられてみれば分かるのでは?」

 ジョーは困惑した。スカウト太郎は、変身前の少年も含め、お茶会には誘っていない。
 この場で能力の説明をしたのはお茶会中だけだ。反男も何も言っていない。
 スカウト太郎はジョーの能力の効果『本音しか話せないこと』を知らないはずなのだ。
 当然警戒する。
 だが結局、彼の言う通りお茶会で聞けば分かることだ。

「従うのは気に入りませんが、そうさせてもらいますわ!」

 ジョーはスカウト太郎を誘い、お茶会を展開する。

「彼は呼ばないのです? 一対一でなくてもよいのでしょう?」
「反男さんを、お茶会にお誘いしたことはありませんの」

 答えになっていない答えだったが、スカウト太郎はそれ以上追及しなかった。

「それより、どうしてそこまでわたくしの能力を知っていますの?」
「スカウトのために調べたからですよ。それだけです」
「……賞金5億円の闘技大会というのは、本当ですの?」
「ええ」
「……」

 この男は、本当に、単純に、スカウトに来ただけのようだ。罠とかではない。

「では、おひらきにしましょう」

 ジョーの一言で、手つかずのティーセットが消滅する。

「ジョー、今のは……」
「心配なさらないで。彼の話は本当です」

 「賞金5億円」の真偽だけ確認できればあとはお茶会でなくてもいい。
 詳細は反男と一緒に聞くべきだと思った。


 その夜。「寝ぐら」に帰ってきた2人は、しばらく無言だった。
 考えていることは同じであろう。例の大会について。
 出場にデメリットは無さそうだ。ならば、確認し合いたいのは「目的」。
 やがて、何かを決意したように、ジョーは立ち上がった。

「反男さん、あなたを『お茶会』にお誘いしますわ」
「うん、拙僧も、ちょっと待って……スゥー……ハァー……うん、いいよ」

 2人の今後に関わることだ。
 「嘘が無い」と保証された空間で話し合うべきだと思った。
 しかし、お互い、まだ言いたくない本音もある。
 お茶会では聞かれたことは必ず答えてしまうし、手持ち無沙汰で無言になることもできない。
 だけど、会話の流れを選ぶことはできる。
 さあ、今日一番の「戦い」だ。


「ああ、なんか、こんな感じなんだ」

 初めて招待を受けた反男は、そうこぼした。

「無駄なことは言わないでほしいのですわ」
「ああ、そうだね、ごめん」

 「本音しか言えない」感覚に慣れている自分が主導しないといけない。
 ジョーは切り出した。

「この街は、わたくしに相応しくありませんの」
「あ、それ、本音だったんだ……」

 反男は少し寂しそうな顔をした。
 でも確かに、今のお嬢様のジョーには辛い環境かもしれない。

「それで、大会の優勝賞金の使い道を考えていましたの。5億ですわよ! 5億あれば……」
「そうだね、この街を……」
「ええ」

 出ていく。この土地を捨て、飢えも争いも無い場所で。
 本当の「お嬢様」になれるかは分からないけど、生活には十二分に困らない額だ。
 もちろん未練はある。こんな所でも故郷だし……

「この街で……事業を興しましょう!」
「……へ?」
「街の人も雇えますわ! 荒れてはいても、向上心の強い方々ですから」

 思っていたのと180°違う展開に、反男はどう反応していいか分からなかった。が、

「そして、この街を、わたくしに相応しい街へと変えてみせますの!」

 熱く語るジョーの瞳の中に、反男は炎を見た。
 それは、彼女がお嬢様になる前と全く変わらぬ激しさで燃えていた。
最終更新:2021年04月25日 13:26