衛星の高解像度カメラが、0時11分54秒の映像を映し出す。
地球は朝焼けと夕焼けの重ね合わせ状態になり、淵が金色に染まる。
それは、宇宙に浮かんでゆっくり回転するだけ――
小学校の情報処理室に、宇宙空間が何万光年も広がり、
液晶モニタの地球を中心に、24時間かけてゆっくり周回する。
僅かな情報と確かな静寂が、時間と空間を満たしている。
この理想を、いつか全人類が体験できるようにできたらと、語らずとも共有するのだった。
――そんなひと夏の思い出。
◇
魔人と称される能力者達は、誰もが最強になれるわけではない。
むしろ、どう扱えばよいかわからない中途半端な能力者の方がこの世の大半を占めているのではないだろうか。
そんな半端者たちが、己の最強を探し、集う場所がある。
――“インターネット”
Webサイト、ブログ、SNS、動画配信サービス、インターネットゲームなど、簡単に発信することができ、限定的な能力であっても超人的な活躍が見込める。
企業が用意したサービスを順当に利用するだけの全うな顧客であればなんの問題もないが、中には“コンテンツに干渉すること”で、潜在能力を発揮するタイプも多数存在する。
彼らは“イグナイト”と呼ばれ、ネットやコンテンツを通じ、視聴者及び管理者に影響を与える魔人能力を有している。
彼らの存在は凶悪で、従来のセキュリティーなどなんの意味も成さない。
ゲームのチート行為などはまだ可愛いもので、
器物損壊、盗難、直接的な死傷、洗脳が上げられる。
更に、企業が持つサーバールームや、施設自体を直接攻撃するイグナイトも存在しており、ソフトウェア・ハードウェア共に、環境は熾烈を極める。
そんなICT(情報通信技術)混沌の時代に、利益と顧客を守ろうと各企業が用意したのが、魔人能力者のホワイトハッカー…通称“ファイアウォール”である。
ファイアウォールが優秀な企業は、それだけで信頼を勝ち取ることができ、安定した運営を行うことができる。逆に言えば、このご時世、ファイアウォールがいない企業に顧客は見向きもしないのだ。
彼らファイアウォールは幼少期から、様々な状況を解決できるように訓練され、高校を卒業してすぐに各大企業へと就職していく。
そして、その卒業試験ともいえる大会、“ファイアドリル(消防訓練)”が、今開催される。
「今回のファイアドリルの説明をします」
ガラス張りのビルが立ち並ぶビジネス街、その一角。
参加者は、3人。全員過酷な訓練を乗り越えた次世代のファイアウォールたちだ。
天井から取り付けられたモニタと、非常灯の緑色だけで辛うじて四方の視界を得る、オフィスビルの一室に集められ、モニタに映った試験官の説明を待った。
「――このビルの最上階にある、サーバールームのデータを死守すること。制限時間は午前5:00まで」
誰かのスポーツウォッチの電子音が午前0時を知らせた。
「始め」
モニタの映像が切れて、更に闇が濃くなる。
3人は素早く散会し、持参のラップトップパソコンやスマートフォンを開いた。
「ここのサーバ、見つからないんだけど」
地べたに座り込んでモニタを眺めるひとりが周りに零し、暗に情報の共有を迫った。
「ビルの情報、確認おつ」
小馬鹿にしたようにひとりが言い放ち、何かに気づいたのかフロアから移動した。
“ICT”の “ C ”は、“コミュニケーション”なのに、どうしてこうもまとまりがないのか。
部屋の隅に追いやられたデスクに、足を組んで腰掛けていた、上下スポーツウェアの女性、絶崖一花――通称イチは、見かねて口を開いた。
「このビルは0時になるとオフラインに移行し、オンラインのリスクを押さえてるの」
イチは学生ではないが、その優秀さは有名で、
大手メガバンクのファイアウォールとしてお声が掛かっており、実力は折り紙付き。
彼女の持つ魔人能力“絶対感覚”は、キーを撫でれば全てを掌握し、正攻法でのクラッキング(ハッキング)は不可能とさえ言われていた。
「うちにはイチさんがいるんだから、侵入させなければ勝ち確じゃん?」
イチは自分の出番はまだと言わんばかりに、深く腰掛け直した。
「ちょっとまった。イグナイトチーム、誰か来た」
監視カメラをジャックし索敵しているのは先程ボヤいたラップトップの男。今や2人となったフロアに、注意を促した。
この試験は攻守に分かれて行われる。彼等も受験者だ。
だが、誰が来るかは、誰も情報を得ることはできなかった。
その直後、轟音が響く。
「ジャガーノートだ!!」
ジャガーノートは自分の分身を増やす能力者だ。更に、セキュリティの勉強をそっちのけで自身を鍛え上げ、岩をも砕く強靭な肉体も手に入れたバリバリのファイターだ。当然パソコンのことなど何一つわかっていない。
最上階に破壊対象があることに託けて、ビルごと破壊しようという魂胆だ。
「ハーッハッハッハッ!はやり物理ハッキングが最強!!!肉体のパフォーマンスは全てを解決してくれる!!」
監視カメラが1階エントランスで暴れる大男を捕らえた。
「あいつ、柱を全部ぶっ壊すつもりだぞ!」
「草」
そこに先ほど飛び出した1人が帰ってきた。
「私の能力“バックアップ”でこのビルをバックアップした。壊せるもんなら壊してみろよ」
ジャガーノートが壊した柱は、徐々に形を再生していく。
「ああん? “バックパッカー”がいんのか?」
「だがよぉ…」
ジャガーノートは、その超人的な肉体をコピーする。みるみるうちに増える筋肉達磨。
その数100。
それら全てが同時に拳を握った。
『一気に柱を失ったら、ビルは運用できんのかよ!!!?』
『アルティメット・ブルートフォースアタックッ!!』
フロアが揺れる。傾く。バランスを崩して転がる
「めちゃくちゃだなあいつ」
イチの座るオフィスチェアも遊園地のアトラクションのようにくるくる回って滑るが、唯一バランスを崩さず、どこ吹く風で呟いた。
「オラぁ!イチぃ!出てこい!俺とサシで勝負しろ!」
ジャガーノートが吠える。
「ハッカーがサシってなんなんだよ」イチは益々嫌そうな顔をした。
「イチさん絶対行っちゃだめですよ!罠です!」
「でもイチが行かないで誰がアイツの暴走を止めるんだよ」
イチは座っていたチェアを手に取り立ち上がり、窓ガラスへと投げつけた。
「そうだな。私がいかなきゃ全員全滅っぽいしな」
「そいじゃいってくるわ」
窓ガラスを砕いたチェアに続いて、イチも飛び降りる。
「…まあでも、私の“バックアップ”は、サーバにも有効。たとえビルが壊れても私が生きてれば良いから、相手はどうすることもできんでしょ」
飛び降りたイチを見送ったあと、勝ちは揺るぎないことを確認するようにバックパッカーは独り言ちた。
「シュコー」
不気味な音に戦慄する。
バックパッカーの背中から、酸素ポンベを背負ったダイバー姿の男が、ひょろりと生えていた。
「フィッシャーマン!いつの間に!」
何処にでも潜ることができる能力の持ち主。潜る先は物でも、人でも可能。
最初からバックパッカーの能力キャンセルを目論んでいたのだ。
「シュコー」
フィッシャーマンは背後からバックパッカーの首を素早く取る。
意識を落としてしまえば、彼女の能力の効果は切れる。
「グッ…」
バックパッカーは完全に意識を失ったと思った。
だが、その弛緩は、意識の遠のきではなく、フィッシャーマンのチョークスリーパーの解放からくるものだった。
「ひとつ忘れ物」
フィッシャーマンがバックパッカーからずるりと抜け落ちる。
床に仰向けに倒れる音と同じくして、キャスター付きの椅子がフィッシャーマンのめり込んだ額から剝げ落ち、横たわる。
「イチ!?」
飛び降りたはずのイチが、空いた窓に投擲した余韻を残して、外界の光を背に受け立っていた。
「私の絶対感覚のレベルがイメージできてないのよ。見えてんのよ。吐き出す大量の呼吸も、そのうざい呼吸音もね」
最初からわかってて、一芝居打ったのだ。イチは少し得意げに鼻を鳴らした。
「そんじゃ、もう一つのソリューションいっとくか」
「その必要はなぁぁぁい!!」
壁が爆ぜると共に、ジャガーノートが現れる。
「げ、出た」
「イチぃ…会いたかったぜ…!今日こそお前にハッキング勝負で勝って、男として認めさせてやるぜ」
ジャガーノートこと能戸ジャガーは赤裸々にイチに思いを寄せていた。
「いつも言ってるけど、チェスにフルコン空手を持ってくんじゃないよ」
「俺のベースはMMA(総合格闘技)だ」
「アンタと話すならハンドアセンブルやってる方がまだマシ…」
ハンドアセンブルとはパソコン自身が理解できる様に0と1のマシン語に変換することだ。ご想像通り途方もなくめんどくさい。
「アンタのその“ブルートフォースアタック(総当たり攻撃)”…致命的な弱点は、分身に違う動きをさせられないこと。それじゃ私には一生勝てない」
ジャガーは不敵に笑った
「そいつはどうかな。俺も日々バージョンアップする!」
ジャガーの残像が実態を帯びれば、それぞれが違う動きでウォーミングアップを始める。
イチは不可思議な光景に顔を顰める。
増えながら、分身たちは個々に飛びかかってくる
「さあ!イチ!!戦おう!!そして2人の愛を確かめアゴ」
ジャガーの望みは一瞬にして潰えた。
分身が霞となって消えてゆく。
増え続けながら攻撃を仕掛けてきた肉の壁をすり抜け、黒山の肉集りになる前に本体の顎を鋭く撃つ。
いくらイチといえどもひしめく男の肉に囲まれて身動き取れなくなって仕舞えば、お手上げだったろう。
だが、そうならないのがイチの能力。
寸分狂いなく精密に情報を得ることができれば、未来は予知できる。
また、自身の状態も神経系の電気信号に至るまで、極正確に把握することもできるため、無駄もなく、ミスもない。人間の潜在能力でさえ容易く引き出し、100%のパフォーマンスを常に発揮することができる。
ハードでもソフトでも脆弱性はなし。これがイチを最強のファイアウォールと言わしめる所以。
――だが、そんなイチと双璧を成す存在がある。
イチはその存在が来ていることを今確証した。
「ゼロッ!」
「遠くからごめんね。だって近くにいたらイチに直ぐ見つかっちゃうんだもん」
モニタに顔の絵文字が映り、舌舐めずりしながら幼さある音声を発した。
「決着の前にすこしお話ししようよ」
今度は両手を合わせる絵文字とキラキラの絵文字が表示される。
「させるかッ!!」
イチの左腕にスマートウォッチが2つ
それらはVRデバイスの役割を担い、周りにウィンドウを立ち上げる。
「なんかやばっ?」
他2人も慌てて各デバイスの操作に移る。
◇
白。
何もない。
天地の境もない無機質な空間が目の前に広がる。
一つの動作、
一つの思考、
どれもじれったいほどゆっくりに感じる。
「久しぶりだね。イチ」
呼ばれた声に振り向くと、先程はなかった影。
小柄というより幼いと表現した方が正しい。
丈の長い白いシャツに灰色のレギンス。
髪も灰色と、その空間に今にも溶けてしまいそうに淡い存在。
ダボついたTシャツに“両面印刷”と書かれている。
「…相変わらずだな。ゼロ」
その姿は2人が出会った小学2年の時のままだ。
「アバターじゃないよ?あれから力がどんどん強くなっちゃって。いろんなものと勝手に通信しちゃう僕の時間は、イチの計算通り、ゆっくり進む」
ゼロは穏やかな表情をしながら、力無く目線を落とした。
ここはゼロと通信しているものが感じる“Null空間”。
0秒の時間の中で通信し合える存在しない記憶領域。
ゼロは通信(コミュニケーション)できるものに、電波などの情報を乗せる手段を使わず、自身のコードを送信し、体や、思考、心まで書き換えることができる。
つまり、通信した相手を操ることができる。
本来、人体にはなんらかの“ロック”が存在していて、コードが到達し、コントロールを得るまで、時間を有するはずだが。
「ジャガーには時間稼ぎをしてもらったよ。もっとも彼は知らないけど。彼、単純だからハッキングしやすかったな」
「ですよねー…ジャガーの能力いじったの、アンタでしょ。そんなこともできるワケ?」
「昔、イチの能力を変えようとがんばってたからね。あと、彼、単純だったから」
絶対感覚を持っているイチは、自分の体内で起こってることが手にとる様にわかり、こうして侵入に対して対抗することができる。
だが、他の面々はどうだろうか。
「結局私らの負けでしょ?最初から私が目を離すのを待ってたんだ」
「そうだね。すでにサーバと“バックアップ”は抑えたし」
「…だったらさ」
徐々に時間がイチの感覚に追いついてくる。
「今すぐここから」
何もない地面を蹴り出す。ここは自分の頭の中だ。“蹴った”と思えば“蹴れる”のだ。
「出てってくんない!」
ゼロの幼い顔に蹴りの一撃がはいる。
いつもならこの一撃で相手の意識を刈り取れるはずだが、相手はデータ…
ゼロはほんとは無い距離を取る。
「ハハ、イチも全然かわって――」
ザラ…。視界がチラつく。自分の像を成していたデータが0と1の羅列に乱れる。
「ほんとすごいな…ここにあるはずのない“脳”が揺れたよ…」
「ふん、結局はイメージの域をでないのよ。アンタが私に通信し続ける限り、私もアンタに“打撃”というコード送り続けるだけなのさ!」
「じゃあこのまま聞いてもらうよ!イチ!」
2人は同時に飛び込む。同時に離れる。距離などないのだ。
左、右のワンツー。殴ってなどいない。拳などないのだ。
ゼロは0と1の帯になり、ほどけて、無数の槍のようになりイチに降り注ぎ肉を霞める。
純粋なデータの侵略。イチの体もデータの様に乱れる。いや血が吹き出る。
体もないのに。イチが“これが体だ”と思えばこれは体なのだ。相手のルールには乗らない。
ほどけたコードは、離れてまたゼロとなる。油断すればゼロにもダメージというコードを返されてしまう。
「あの時体験した空間!覚えてるでしょ?」
インプットすれば、送信される書き換えのコード。
イチはそれを“攻撃”だと正しく認識し、実態を捉える。
白い空間は徐々に影を帯びる床ができ、重力のようなものが発生し始める。時間が動き始めている。降り注ぐ光の帯を、永遠の大地を途方もなく駆け、躱す。駆けた先に離れたはずのゼロを捕捉し、鋭い右ストレートから流れるような肘。頭突きを入れてヒザで蹴り飛ばす。その着撃は殆ど同時。すぐさま距離を詰めて左の拳を振り上げた。
データのはずのゼロの体に傷が残り血が吹き出す。
ゼロも意地になり、イチを睨み返す。
そして、2人とも白い椅子に腰掛けて、
ガーデンテーブルを挟んで、
お茶を飲む。
ゼロはある動画をイチに見せて無邪気な笑顔を見せた。
「これこれ!」
「ッ!」
シーンが強制された。イチはテーブルを蹴り上げ、ゼロは悲痛な声を上げて
お茶を飲む。
ゼロはある動画をイチに見せて無邪気な笑顔を見せた。
「これに参加しようよ!」
「ッ! このッ!」
同じシーンに強制的に戻される。振り払おうと、席を立つ。
「待って!」
呼ばれた声に振り向くと、先程はなかった影。
小柄というより幼いと表現した方が正しい。
丈の長い白いシャツに灰色のレギンス…
髪も灰色と、その空間に今にも溶けてしまいそうに淡い存在…ゼロ。
ダボついたTシャツに“2回目だね”と書かれている。
ゼロのほほ笑む顔に影が落ちる。
「この、やろッ!」
振り下ろした拳が空を切ると、
「――説明をします」
天井から取り付けられたモニタと、
非常灯の緑色だけで辛うじて四方の視界を得る、
オフィスビルの一室に集められ、
3人はそのモニタに映った試験官の説明を待った。
だが、モニタに映し出されるゼロの姿。
「イグニッション・ユニオン! 2人の無敵を決める大会だよ!」
「この大会で“無敵のファイアウォール”の名を勝ち取って、一緒に運用しようよ!」
「安心安全のVR空間を!」
「私の記憶を勝手に使うなッ!!」
窓ガラスに向けて椅子を放り投げる。椅子はガラスを打ち破り、そのまま闇の空間もガラス片と化して崩れ去る。
「…そもそも、子供のころ考えた極小情報通信空間はそこらの喫茶店みないなもんだ。人それぞれが、独自の空間を持ってる。それで十分なんだよ。ユーザなんて集まらない。」
「イチは遊び心がないな~。いいんだよ。ユーザなんて集まらなくって」
「ほらそこらの喫茶店と同じ考え方じゃないか。余生にはまだはやい」
「余生でしょ。もう」
ゼロの穏やかな表情が消える。
「イチはあと5年で死ぬんだ」
イチも肩の力を落とした。
「…いいや。やっぱりまだ早いわ。4年6か月に寝たきりになってからね」
イチの絶対感覚は、ゼロとは逆。その情報処理は命を加速させる。
そして全ての感覚を正確にわかるイチは、自分の体の“老化”もわかる。
つまり寿命が正確にわかってしまう。
策は講じた。ゼロの力で、進む時間を遅くできないかとか、命のプログラムを変更できないかとか。能力自体消してしまおうとか。肉体を捨ててデータだけで生きるとか。でも駄目だった。それらは肉体と結びつきが強く、どうしてもロックを解除できなかった。
裕福だったイチの両親は、小学2年の頃、イチを様々な研究機関で診て貰ったが、どれも駄目だった。
最終的には“優勝すれば願いが叶う”というおかしな大会に追いすがり、様々な人選を送り込み、融資したが、多額の金額を請求され、破綻してしまった。
これ以降学校にも行けなくなったイチは独学でここまでやってきていた。
「お互い力もつけたし。2人でまたおもいっきり遊ぼうよ」
「――遊びって… かなり狂暴な遊びでしょ…」
「なんだ、イチも知ってるんじゃん」
「それになんの戦闘能力もないアンタと一緒なんて」
「僕だって自衛手段はあるよ。それにイチが守ってくれるんでしょ?」
「どこが最強なんだよ…脆弱性ばりばりじゃないの…」
「あ、気持ちが傾いてきた?」
「うるさい。“そこらへんで喫茶店してる人”に失礼だったなって思ってね」
「イチが間違えるなんて、やっぱり歳ですかね~」
「うるさい!」
「よし決まり!!」
ゼロは満面の笑みを浮かべてくるりと宙返りした。
「話せてよかったー!じゃあ、勝負は僕の勝ちってことで」
そして、あざ笑う。
――動き出す、現実。
◆
「――残念ね。勝ったのは私よ。ゼロ」
◆
翌日、駅直結のタワーマンションのゼロの部屋に、“作戦会議”と称して招待された。
この炎天下に晒されなくていいのはとても良い。
念のため、サクサク系のお菓子とチョコを少し持ちよったが、とても好評だった。
モデルルームのように綺麗に整頓された広いリビングルームのL字のソファーに、イチは徐に腰掛ける。ここに一人で住んでいるらしい。通報されないのだろうか。
「アンタはほんとにゼロでしょうね」
キッチンにいるゼロに訝しげな視線を送った。
「うん実体あるよ」
カウンター式のキッチンから辛うじて頭の先だけ出してゼロは答えた。
「でもほんとにすごいなー!イチは!僕のコードに紛れて、サーバとバックアップに送信したコードを書き換えちゃうんだから」
「アンタが不用心なだけよ。ちゃんとモニタしとけば違うコードが紛れていることはわかったはずよ」
「僕はイチみたいに完璧じゃないんで~ あ、コーラでいい?」
「酒がいいな」
「何言ってんの未成年でしょ~」
コーラの2リットルペットボトルを抱えてくると、ゼロの幼さが良くわかる。
あぶなっかしく、グラスにコーラを注げば、力がないからとポテトの袋をイチに開けてくれとせがんだ。
「まじでこの大会にでる気か?“闘技”って言ってるぞ」
巨大な壁掛けテレビに映る、ファイヤーラッコTV。ファイヤーラッコと恵撫子りうむが大会説明をしている動画と、ゼロを見比べながら明らかに嫌な顔して睨みつけた。
「私の弱点知ってんでしょ?“物理的に回避できないものは無理”、“感覚を疎外されると著しくパフォーマンスが低下する”…私にも致命的な脆弱性はあるのよ」
「僕とイチが協力すれば、絶対最強だと思うよ。僕の通信は常に行ってるから、情報としてイチに送信することができるし」
「それが何の足しにもならないって言ってるのよ。シックスセンスが解放されるわけじゃないんだから」
「とりあえず、申請するにあたって、コンビ名を考えるんだけど~」
「何でもいい」
「あー!そういうの良くない!夕飯のメニューは一緒に考えてほしい派です!」
「あーじゃあコンビ名“牛丼と天丼”でいいや」
「適当すぎ~!」
「んー。じゃあ、カフェ・アドミン」
「落ちつけなさそ…」
少し自信があったイチは首を縮めてコーラを啜った。
「やっぱりイチは創造力が欠如しているよ。何よりそこが危険だ。でも、喫茶店、いいんじゃない?そのくらい気楽なものが僕も好みだよ」
ゼロも真似してコーラを啜った。
「じゃあ、こんなのはどうかな?“カフェ・アイオー”」
「…なんで今から殴りに行くって時に喫茶店の名前考えてんだ…」
「はい、これで決まり!…もうエントリーしたー!」
「げー。まあ、変えようと思えばいつでも変えれるしいっか…」
「え、侵入は犯罪です。ホワイトハッカーの倫理観を今一度勉強しなおしましょう…」
「あほか。私、そこの動画配信サイトのファイアウォールを務めるにことなったのよ」
説明動画などそっちのけ。再生が終わった後もしばらく話は続いた。
お互い噂は聞いていたが、こうして話すのは本当に久しぶりだ。
あの頃の記憶が蘇る。
テレビはいつのまにか午後のニュース番組に切り替わっていた。
「――次です。山乃瑞一人さんが遺体で発見されたニュースの続報です――」
こうして誕生した二層の防火壁。
如何にして参加者の猛火を止めることができるのか。
コーラにいれた氷がからりと崩れる。
今年の夏もとてもあつくなりそうだ。