【村崎組組長、序列一位、村崎大亜引退。村崎組は大亜の息子である村崎揚羽が引き継ぐ】
この短いニュースは関東の裏社会を駆け巡った。
村崎大亜。
巨躯と怪力、そして何より自身の肉体をダイアモンドに変質させる魔人能力により数多の強者をねじ伏せ、屈服させ、従えた伝説的怪物。
彼の強さにしびれた荒くれ者が集まることで生まれた村崎組は規模こそ大きくはないが、命知らずのバトルジャンキーで構成された生粋の武闘派集団であり、かなり厄介な存在と裏社会では認識されていた。
怪物も老いという普遍的な流れには抗えぬのか、引退が近いらしい
そうした噂自体は少し前から流れていたが、裏社会ですら厄介扱いされる村崎組の後継者が全く無名の息子という点が、裏の住人たちを驚かせた。
順当に考えれば賭場を管理する序列四位の“血達磨の慎”か、序列二位の特攻隊長“切り込み椿”あたりが後継者と見られていただけに、
「…こりゃあ、村崎組、内輪で血を流すことになるぞ」
「大亜の引退にも何か裏があるんじゃないか?」
様々な噂が人から人へと飛び交うことになるのだった。
某日午後八時 村崎大亜別邸
「…なぁ、下衆山さんよぉ…あんた、ボスの息子と会ったことは?」
顔面傷だらけの筋肉質な大男、村崎組序列四位、“血達磨の慎”こと高倉慎太郎が隣の長身痩躯の男に話しかける。
「キヒヒィ!あっしは昔にちょいと顔を見ただけデスねぇ!生っちょろい女みたいなツラした小生意気なガキでしたよ~!」
三下丸出しの口調で喋るのは下衆山根津太郎。名前の通りドブネズミを思わせる醜い出っ歯が目立つ痩せぎすの男だ。その風貌からは予想もつかないが、村崎組序列三位、任意の音を消し去る『スニー王』を完璧に使いこなす血濡れた暗殺者である。
二人を含む村崎組の幹部連中は、巨大なエレベーターで地下に潜っていた。
幹部が向かうは村崎大亜別邸、地下深くの巨大スペース。
大亜の引退にあたり、村崎組を引き継ぐことになった村崎揚羽から話があるという事なので、主だった連中が集められたのだ。
「ボスの別邸に来るのは初めてだなあ。随分とまあ立派な家で。俺ら、互いのプライベートなんざ全く興味ねえからなあ」
「キヒヒヒ!まぁこんくらい許されるでしょうねえ!地下にスペース!邪魔な奴をバラしたり、色んな事に使えそうデスねえ~!」
「下衆山さんはよぉ、納得してんのかい?ボスの跡目をガキが継ぐことに」
「…納得してるわけないデスねぇ~。まぁ、話とやらがあるらしいので、それを聞いてから、デスねえ」
「話で納得いかなけりゃ」
「ぶっ殺すまでデスねえ~。村崎組の掟はシンプル。『強者に従う』!いくらボスの息子だからって、雑魚だったら従う義理なんて欠片もありゃしないって話デス」
剣呑な会話で盛り上がるうちにエレベーターは目的階についたようだ。
ゆっくりと巨大なドアが開く。
コンクリート打ちっぱなしの、殺風景ながら広大なスペースが村崎組幹部連中の眼前に広がる。
冷え冷えとした空間は、かすかに残る血の匂いも相まって幹部連中を大いに警戒させた。
「キヒ!呼び出しておいて、待たせるつもりデスかねぇ~?誰もいないじゃないデスか?」
下衆山の声が高い天井に跳ね返る。
「誰がいつ、貴様らを待たせたのだ?」
朗々たる美しい声が地下に響く。
それは、いつの間にかいた。
そうとしか表現が出来なかった。
空中に、優雅に腰かける人影。
戦い慣れした幹部連中の誰一人として、いつの間に現れたのか知覚できなかった。
切れ長の瞳が煌々と光り、高みから見下ろしていた。
「よくぞ来てくれた。我こそは村崎組二代目組長にして“闇の王”。村崎揚羽である」
あまりにも尊大な名乗りと態度。しかしそれが不思議と許される圧倒的な空気感が揚羽にはあった。
「最初に貴様らに問おう。貴様ら、暴力は楽しいか?弱者を蹂躙し、いたぶるのは楽しいか?」
皆問いの意味を理解できず小首をかしげる。
村崎大亜の強さに惹かれて集まった生粋の戦闘狂集団、村崎組。
その幹部連中が暴力、殺しが嫌いなはずがない。
沈黙を肯定と受け取り揚羽は続ける。
「我には分からぬ。そんな行為は、あまりに下らなく、つまらないものではないか?強者が弱者を蹂躙して何が楽しい?出来て当たり前ではないか。弱者を活かし、踊らせてこその強者であろうよ」
溜息と共に、暴力行為を心底下らないものと切り捨てた。
「故に、我は村崎組を変える。弱者に寄り添い、崇め奉られる組織とする。…早い話が、下らぬ暴力はもうお終い、表舞台に移ろうというわけだ」
あまりにも急な組の方針転換に、幹部連中は固まらずにはいられなかった。
「そのための足掛かりとして、イグニッション・ユニオンに出て優勝して見せよう。我の強さと優秀さを世界に知らしめ、政府に村崎組を売り込もうではないか!!」
沈黙する幹部連中に揚羽は気持ちよく語り続ける。
しかし当然その沈黙は肯定的な沈黙ではない。
馬鹿なボンボンが何か抜かしていることへの呆れ、開いた口が塞がらない故の沈黙でしかなかった。
「…キヒヒ、お坊ちゃんよぉ~?急に出てきてなに抜かしてるんですかい?寝言は寝て言え、って言葉知ってますかい?」
下衆山が幹部連中の気持ちを代弁する。それと同時に殺気を膨らませる。
“殺る気”だと皆理解した。そしてそれを誰も止めようとはしなかった。
「ふむ…確か下衆山…であったか。貴様の気持ちも分からんではない。要するに強さを示せ、という事であろう?」
「キヒヒ!お坊ちゃんにしては話が早い!あっしらは強い者の…ウグェ!?」
急に下衆山が苦しみ始めた。顔面を蒼白にし、喉元をがむしゃらに掻きむしっている。
何が起きたと幹部連中が困惑する中、唯一落ち着きを崩していない揚羽が淡々と語る。
「我は、本当に弱い者いじめは好きではないのだがな…致し方ない」
揚羽の瞳が紫に染まっていく。
「我が魔眼の力…一端を見せようではないか。次元の扉!」
「あ…アッギャアアア!!イギゥギィィィ!あ!あ!あ!」
下衆山の体がじわじわと何かに蝕まれるかのように消失していく。手が、脚が、胴が、空間に消えていく。
「我が魔眼の力で、こやつの体を別の世界へ送っているのよ」
あっという間に下衆山は首だけとなり宙にぷかりと浮かんでいた。
「あ…ヒィ…痛い…痛いよォ~…体が、体がどっかに行っちまって、だけど死ねなくて…あ!あ!気持ち…気持ち悪いよぉ…」
「安心せよ。異世界に飛ばすだけで死ぬわけではない。一年くらいしたら戻してやろうぞ。ま、我は異世界に行ったことはないから生き延びられるかは知らぬが」
「待っ…」
最期に下衆山は何かを言おうとしたが、その言葉ごと下衆山は消失した。
「…さて、これで我の強さは理解してくれたかな?」
序列三位の暗殺者を瞬殺してなお、揚羽は汗一つかいていなかった。
※※※※※
序列三位を瞬殺。
その底知れぬ実力に多くは慄いたが、怯まぬ者もいた。
序列四位、“血達磨の慎”こと高倉慎太郎だ。
「おどれぁ…何してくれるんじゃゴラァ!!?」
一般人であればこれだけで失神してしまいそうな猛烈な恫喝を揚羽は涼しい顔で受け流す。
「ふむ…我は弱い者いじめは嫌いと言ったはずだが?貴様はそこで寝ておれ」
再び瞳が紫に染まる。
「魂の束縛」
揚羽が一つ呟いた瞬間、慎太郎はビクリと体を震わせたかと思うと、白目をむいて音もなく気絶をした。
「言っただろう?弱者は庇護すべきと。あまり暴れないでくれ…」
顔中傷だらけの無頼漢を、心の底からという風に“弱者”と評して見せた。
「さて、他に何か言いたいことのある者はいるか?我は組織を表舞台に移す。そのためにイグニッション・ユニオンで優勝する。異論がある者はいるか?」
「いる」
揚羽に皆が気圧される中、凛とした声が響いた。
声の主は序列二位、“切り込み椿”の名で恐れられる刃山椿であった。
「横から急に出てきて組織を変える?傲慢にもほどがある」
椿は静かに構えを取った。
「悪いが、従う気は無い」
構えを取った瞬間、猛烈な剣気が地下に満ちる。
「ふむ」
ゆっくりと揚羽は空中から降りてきた。
「よろしい。手間ではあるが、我の強さをしっかりと見せねばな。同じ場に降りてきてやったぞ?どこからでも来るがよい」
その言葉が終わるか終わらぬかのうちに、椿は駆けだし、揚羽との間を詰めていた。
「早いな!その足で逃げられても面倒故…悪いが早々に終わらせようか。次元の扉!」
下衆山を葬り去った無慈悲な権能。揚羽の瞳が紫に染まる。
哀れ椿も下衆山の二の舞か、そう思われた刹那、椿が能力を発動する。
「PSYCHO=LAW!」
瞬間、漆黒のキューブが椿と揚羽の間に現出した。
「…ほう!」
「いかに強力な能力と言えど、無条件で相手に作用するほど理不尽な能力は無い…お前の能力、魔眼などと言うからには目視が重要と踏んだが…アタリのようだな」
そのまま椿はキューブを揚羽に向けて発進させる。PSYCHO=LAWは相手を直接傷つけることはできない。しかしそれを知っているのは一握りだ。キューブが猛烈な勢いで迫りくるとき、反応を示さない者などいない。その瞬間のブレを狙い居合を叩きこむのが椿の必勝法であった。
しかし、奇妙なことにキューブはピタリと止まった。
直接傷つけることが出来ない故の緊急停止ではない。
椿の意志と反し、キューブは揚羽に近づくことなく運動をやめた。
「…な!?」
「深淵の波動。ちんけな箱程度ではこの守りは破れんよ」
キューブを止められたことに動揺しつつも、“切りこみ椿”は瞬時に切り替える。
止められたキューブを消滅させると同時に、キューブの裏から居合を見舞う。
キューブを目隠しとした神速の居合が揚羽の首元に迫る。
しかしその一太刀も深淵の波動に防がれたのか、揚羽に触れる寸前で停止した。
「…馬鹿な!」
必勝の型を防がれたことに狼狽しながらも、椿は斬撃とキューブによる圧迫を繰り返す。
しかしどれも届かない。村崎揚羽の深淵の波動を打ち破ること能わず、寸前で防がれる。
「これなら!どうだ!」
叫ぶと同時に、椿は大きく飛翔をした。
居合使いの飛翔は、愚行である。居合とは体のひねりと、地面を軸とした反発を推進力に変える技術。
踏ん張りの効かない空中ではその威力は十全に発揮されない。
空中でフックパンチを放つようなものだ。ただの手打ちとなり一撃が軽くなってしまう。
「PSYCHO=LAW!」
その摂理を椿は覆す。
自らの側面にキューブを生み出す。そしてそのキューブを思い切りよく蹴り飛ばした。
空中で軌道を変えると同時に、十全な踏ん張りを得て、渾身の居合を繰り出す。
無限に軌道の変わる玄妙たる居合。奥義・千変居合斬り。
神業と呼んで差し支えのない一閃。
「シィッ!!」
怖ろしいまでの冴えを見せる剣閃。
…その一撃は揚羽に触れる寸前で静止していた。
深淵の波動は、“切り込み椿”の渾身にして必殺の一撃すらも、容易く防いでみせたのだ。椿の顔が、絶望のためか青白く染まる。その顔を見て、揚羽は軽くため息をついた。
「やれやれ、これでは勝負の形にならぬな…。我が合わせてやろう…いでよ!死霊の騎士!」
揚羽が右手を掲げる。すると、手のひらの下にみるみると頭蓋骨が浮き上がってきた。
頭蓋骨からゆるゆると背骨が伸びる。
真っ黒な洞のような眼窩に、ぎょろりと眼球が浮かぶ。
あばら骨がみるみると構築される。ドクドクと気持ち悪く振動する心の臓が現出する。
何もなかったはずの空間に、剣を携えた不気味な骸骨騎士が召喚された。
「フハハ!遊んでやれ!死霊の騎士!」
ヒューヒューと乾いた風のような音を鳴らしながら骸骨騎士が椿に襲い掛かる。
「この…!」
椿はキューブを呼び出し骸骨の一撃を防ごうとする。
しかし呼び出した次の瞬間、キューブは端から綻ぶように消えていった。
「次元の扉…遊ぶといったであろう?剣のみで我の騎士と競り合って見せよ」
村崎組の幹部たちは、徐々に体を恐怖が支配していくことに気が付いた。
女のようだと小馬鹿にした二代目が、序列三位を瞬殺し、序列四位を手加減して昏倒させ、序列二位を遊び感覚で翻弄している。下衆山が、高倉が、刃山が敵わぬ相手に自分たちが敵うはずなどない。
その一方で、圧倒的なまでの強さに対しての敬意も芽生え始めてきていた。元々大亜の強さに惹かれて集まった荒くれ者たちである。“弱者を庇護する真っ当な組織”とやらにはまだピンとこないが、揚羽がトップの組織に興味を持つ者たちも出始めた。
「そろそろ飽いたな。終わりとしよう」
そう揚羽が呟いた瞬間、椿の腹部に何かが叩きつけられた。
椿は体をくの字に曲げて苦悶の表情を浮かべる。
「オーラは攻撃にも使えてな…」
揚羽が紫の瞳と共に腕をかざすと、椿の体が何かに持ち上げられているかのようにふわりと浮かんだ。
「…やはり、圧倒的な強さというものを見せなければ、貴様らは従わないのであろうな。本気の魔眼を見せてやろう」
揚羽の紫の瞳が一段と濃くなっていく。
切れ長の瞳は爛々と輝き、殺気に満ちていた。
「刮目せよ!天を仰げ!これが!“闇の王”の全霊である!!空間切除!!」
次の瞬間、幹部連中を月光が照らした。
地下深くのスペースにもかかわらず、月光が照らしたのだ。
揚羽が本気で能力を振るった結果、コルク抜きでもしたかのように地下スペースの天井から地上まで通る穴がぽっかりと開いていたのだ。その穴から除く月は奇妙なまでに大きく見えた。
コンクリート、岩盤、そういったものを一切無視し、瞬時に大穴を通すという規格外の破壊力の前に幹部連中は震えた。
「さぁ!これでも我に反抗するものはいるか!?我がイグニッション・ユニオンに参加することに、異を唱える者はいるか!?」
誰も何も言えない。
「…文句は…ありません…」
見えない力に束縛され宙に浮かぶ椿が言葉を絞り出す。
凛とした気配は消え失せ、涙を浮かべ懇願をする。
「貴方は…強いです…とても…ゲホッ…敵いません…どうか…許して…」
この瞬間、幹部連中の反抗心は完全に折れた。
刃山椿が序列二位の地位にあることに誰も文句を言わないのは、その実力もさることながら不撓不屈を体現したかのような精神力があったからだ。
その椿の心が完全にへし折られ、無様な命乞いをさせられている。その事実が幹部連中から反抗心を消し去った。
「ククク…従順な態度は殊勝であるが…我の強さを見た上で逆らった愚昧に関しては仕置きをせんとな…」
「アギィ!」
悲鳴と共に椿は気を失った。
四肢をぶらりと垂れ下げる。まるで何かに担ぎ上げられているかのような姿勢でふわふわと浮かばされている。
「さあ!決着はついた!これで話は終わりである!疾く失せよ!」
村崎揚羽の完全なる勝利宣言により、この日の会合は終わりを迎えた。
※※※※※
幹部連中が逃げるように帰っていった後、何も言わずに揚羽は自室にむかった。
ふわふわと浮かぶ椿とともに部屋に入る。
部屋に入るとすぐさま鍵を閉め、誰も側にいないことをキョロキョロとせわしなく確認する。
先ほどまでの支配者然とした空気感は既に揚羽から消えていた。
「あ~、おやっさん、この体勢、結構しんどいんでそろそろ降ろしてくださーい」
苦悶に呻き、気絶していたはずの椿が、呑気な言葉を放つ。
「お、もういいか」
その瞬間、揚羽の能力で透明になっていた村崎大亜が姿を現した。
見えない何かに持ち上げられているかのように見えた椿は、透明化した大亜が本当に持ち上げていたのだ。
ゆっくりと地面に椿を降ろした大亜が豪快に笑う。
「…にしても、椿また腕上げたなあ!ガハハ!居合がますます鋭くなってたわ!」
「どもっす。いや~打ち合わせ通りとはいえ、アゲハに全力で居合かますのは緊張しました。透明化したおやっさんが止めてくれると分かってましたけど…」
全て。全てが演技。全ては村崎揚羽を強者と思わせ、イグニッション・ユニオンへの参加を村崎組幹部連中に納得させるための茶番。
そう。揚羽はオーラなんて使えない。浮遊能力なんてない。骸骨騎士なんて生み出せない。
空間を抉ることも相手の意識を奪う事も次元の扉を開くこともできない。
村崎揚羽の能力はただ一つ。
【物質の透明化】のみだったのだ。
※※※※※
「っっっだっあああぁぁぁぁ!!緊!張!したぁぁ!!どうだった?俺、ちゃんとヤバい強そうなやつに見えてた!?」
先ほどまでの威圧的な空気感はどこへやら、年齢相応の喋り方で揚羽が叫ぶ。
「うるさっ」
「どうよツバキ?結構よかったんじゃね?特にさ!天井を透明化して空間切除にみせかけるやつ!計算通りきっちり月が見えたし!」
「あれは良かったねー。でもまあ65点ってとこじゃない?」
「厳し!」
「最初登場した時、声少し震えてたじゃん」
「仕方ねーだろ!?ツバキのキューブ透明化して腰かけてたけど、思ったより高かったんだよ!」
「もうちょっと演技練習しないとねー。演技と言えば、文句なしの100点は下衆山さんでしょ!」
「キヒヒ!褒められるのはこっぱずかしいデスねえ!」
いつのまにやら、下衆山根津太郎も姿を現していた。
次元の扉なんて揚羽は使えない。
ただ人体を段階的に透明化し、消失していくように見せかけただけだ。
「下衆山さんマジでお疲れさまでした!本当に助かりました!」
揚羽は深々とお辞儀をした。
「慎さんを後ろから眠らせたり、骸骨騎士やってもらったり…下衆山さんがいなかったら今回の計画は上手くいかなかったです!」
「キヒヒ!あっしの体、骨以外が透明になるってのはなかなか変な感じでしたねぇ~!にしても坊ちゃん、あんたマジに能力操作の精度高いデスね!?本番でもあそこまで出来るとは想像以上でしたよぉ~!」
下衆山の指摘に揚羽の表情が締まる。
「…必要でしたから。戦闘能力の無い自分は、これをひたすらに磨くしかなかった。そうでないと…普通になれない」
普通。それこそが村崎揚羽と、その協力者である刃山椿の目標にして夢であった。
村崎揚羽は、村崎大亜の息子として生まれた以上、村崎組と関わることは避けられない。
仮に家を出て逐電したとしても、父・大亜のアキレス腱と判断され狙われる可能性は捨てきれない。
揚羽が心安らかに過ごすには、村崎組の荒くれ者どものように闘争と殺し合いに愉悦を見出すか、村崎組自体を変えるしかなかったのだ。
そうして揚羽は後者を選んだ。
「にしてもアゲハー。うちの組の人たち、闘争以外興味なくてプライベート無関心極まるから助かったねー。普通だったら私とアゲハが同い年、私はおやっさんに拾われてる、この辺りで接点を察してもいいのにねぇ」
「ガハハ!うちの奴らはそのあたりアレだからのう…」
村崎大亜も下衆山根津太郎同様、二人の協力者だ。
「さて!儂らに出来るのはこのくらいじゃ。あとは揚羽、お前が何とかしてみい」
「…親父、ありがとう」
「なに、儂も下衆山もどうしようもない屑だからのう。お前や椿が、殺し合いを好きじゃないなんて発想自体が無かったのよ。儂の息子なら血みどろの戦いが大好きと思い込んでおったわい」
「おやっさん、そういうところがあるから奥さんに離縁されるんすよ」
「じゃかましいわ!…あ~、なんにせよ、好きじゃないことをする必要なんてないわ。…とはいえ、儂の息子って枷はついて回るでのう」
「…だから、今回の大会に出るんだ。組の連中に強さを示して、世界中にこれからはクリーンな組織になると宣言して、C3ステーションには行政との橋渡しをしてもらう…5億はうちの奴らを納得させるために使ってもいいし、いっそ被災地に寄付でもして健全アピールをしてもいい…!」
「…ま、きっつい道だわな。儂が言うのもアレだが、村崎組は暴れすぎとる。強さと害意の無さを十分に示すことが出来れば政府と裏取引が出来て表舞台に移れるかもしれんが…最低でも優勝が条件じゃろ」
それは百も承知という風に、揚羽は表情を引き締めた。
「ところで、じゃ。大会は二人一組じゃろ?お前は誰と出るんじゃ?」
揚羽は軽く視線を泳がせた後、小さな声で告げた。
「下衆山さんに…お願いできればと…」
※※※※※
「いや、ほら、下衆山さんの能力と俺の能力が合わさればまず負けないかなって…」
妙に気まずそうに言い訳じみた言葉を繰り出す揚羽。
下衆山は、そんな揚羽を笑い飛ばした。下品な笑い声で嘲った。
「キヒ!キヒヒヒィ!坊ちゃん!あんた頭が良いけど馬鹿デスねぇ!?」
下衆山は心から楽しそうに言った。
「キヒヒ!確かにあっしの『スニー王』と坊ちゃんの能力を組み合わせれば完璧に近いサイレントキリングが出来るでしょうがねぇ…」
可笑しくてたまらないという風に、目じりに涙まで浮かべて下衆山は続けた。
「ここまで我儘通して、組織を丸ごと変えちまおうって坊ちゃんが!妙な遠慮をしなさんな!」
そうして下衆山は刃山椿に視線を送った。
「あっしはね、どっちでもいいんデスよ。もう長年殺し合って、十分に戦ってきたんデス。これを続けたっていいし、ここらで新しいことを始めたっていい…」
ふと笑みを消し去り下衆山は続ける。ビシっと指を揚羽につきつける。
「いいですかい?今度の大会は坊ちゃんにとっては千載一遇、生まれた時から巻き込まれたクソみたいな戦場から抜け出るチャンスだ。でもあっしはね、本当の本当にどっちに転んでもいいんデスよ。自分から望んで戦場にいるクソ野郎なんデスから!」
同じくクソ野郎である村崎大亜は大いに頷く。
「さあ坊ちゃん…あんたの賢い頭をちゃんと使うときデスよ?」
真剣に下衆山は語りかける。
「あんたは願いを掴むための舞台で、本気であっしに背を預けられますか?」
その言葉を聞いた時、揚羽の頭に浮かんだ背中は下衆山の背中ではなかった。
「本当の本当に全てを出し尽くし、悔いはないと言い切れる戦いの場にいる相棒はあっしですか?」
その言葉を聞いた時、揚羽の耳には凛とした声が届いた気がした。
「…もし負けることになって、夢が潰れることになって、最期に手を握ってほしい欲しい相棒はあっしですか?」
その言葉を聞いた時、揚羽の目には軽いオレンジ色の髪が浮かんだ。
違うでしょう?と下衆山が揚羽を見つめる。
下衆山の言葉を噛み締めた揚羽は、澄んだ瞳を返した。
他人からの指摘によって自身の心情を把握するなど三流もいいところであるが、その若さも下衆山には眩しかった。
「…下衆山さん、ありがとう…」
「キヒヒヒィ!駄目ですよ坊ちゃん、あっしに恩義なんて感じちゃあ!クズが気まぐれに年寄りのお節介してるだけなんデスからねぇ~!」
「それでも、ありがとう」
下衆山は照れくさそうに頬を掻いた。
「その感謝は、優勝した時にでも取っておいてくださいな。…じゃ、旦那!うちらはもうお邪魔虫でさぁ。あとは若いお二人に任せるとしましょうねぇ~」
そういうと下衆山と大亜はそそくさと部屋を出ていった。
「旦那、あんたの血が入ってるとは思えない良~い子デスねぇ…あっしらみたいなクズとは違う、光の当たる舞台にいていい子だ」
「本当じゃのう。殺し殺されの世界は楽しいし大好きじゃが…あいつらにその道しか用意できなかったのは、面目ないわ…」
※※※※※
椿と揚羽、二人だけになった部屋を沈黙が包む。
揚羽は、自身の心臓がバクバクと派手な音を立てるのを聞いた。
下衆山に背を押される形になったのがみっともないと思いつつも、勇気を振り絞り椿に告白をした。
「その…なんていうか…色々と迷惑かけるかもしれないし…凄いしんどい道だけど…一緒に大会出てくれないかな!?やっぱり、一番信頼できるのはツバキなんだ」
部屋に残った椿は、これでもかというほどの不機嫌な顔をしていた。
「…椿ポイント、マイナス100点~」
「はぁ!?なんでだよ!?」
「いや、引かれないと思ってる方がおかしいわ。なんで下衆山さんに先に声かけてんのよ」
「いや…その、それはアレだよ、ほら…」
揚羽は冷や汗を垂れ流し、大きく狼狽する。
その姿は村崎組の海千山千の猛者どもを前にして“闇の王”を演じた男だとは到底思えない。
「…全国放送の危ない大会に参加させるわけにはいかない!とかじゃないでしょうね?」
うぐ、と図星を突かれ揚羽が言葉に詰まる。
「そういう考えがうっすら見えたからマイナス100点なんだっつの…大体、弱っちいチビッ子アゲハが私の身を心配するなんて百年早いわ!」
ベチッ!と強めのデコピンが揚羽に刺さる。
「ふんぎゃ!」
揚羽が妙な悲鳴を上げるのを無視し、椿は続ける。
「頼れ!抱えんな!自分だけで夢を叶えられると思うな!バカアゲハ!アホアゲハ!」
連続のデコピンが次々と叩き込まれる。
じゃれ合いのような口調ながらも、椿の瞳は真剣そのものだった。
そしてその真剣な輝きをさらに強め、低い声でぽつぽつと語り始めた。
「…それにさぁ、アゲハの夢は、私の夢でもあるんだよ。クソおやじにダメおふくろのせいで真っ当な青春できずに斬り合い稼業…。平気な振りしてたけどさぁ…やっぱ厳しかったわ」
村崎組の序列二位まで上り詰め、荒くれ者どもからも若くして女傑と認められている刃山椿。
その椿の声が、あまりにも小さく部屋に響く。肩もかすかに震えている。
“切り込み椿”は村崎揚羽の前でだけは年齢相応の弱音を吐く。
そうして、必死に、何かに祈るように願いを絞り出した。
今までは夢見ることすら許されなかった願いを。
「…ねぇ、アゲハ。聞かせて。優勝出来たらさ、本当に真っ当な組織に出来るの?」
「出来る。俺なら。そして、椿が協力してくれるなら」
即答。“闇の王”ではなくただの男の子の顔で村崎揚羽は真っすぐ告げた。
「20点。良いね」
あまりにも純粋な回答に椿の瞳は少しばかり潤んだが、誤魔化すかのように軽い口調で加点を言い渡した。
「お!これでマイナス80点!」
椿の潤んだ瞳に気が付きながら揚羽も軽い口調で返す。
「じゃあさ!じゃあさ!原宿でクレープ!食べれるかな!ゆっくり買い食いも出来ない身分なんだけど!あちこちで恨みばっか買ったから!」
「勿論!裏のしがらみ恨みつらみも吹っ飛ばしてやらあ!」
「最高!30点!」
「それだけじゃないぜ!映画見に行こう!ピクニックいこう!暗殺とか抗争とか面倒なこと気にせずに、海辺のカフェでお茶しちゃおう!」
「天才!素敵!50点!」
「イエス!マイナスポイント完済!」
「レッツ優勝!イエイ!」
二人は派手にハイタッチをする。
互いに互いを鼓舞するように明るく振舞う。
本当は二人とも分かっている。
世界の猛者が集まる大会はそう簡単に優勝できるほど甘くはない。
ましてや、陽の当たる道を堂々と歩ける未来は、曲がりくねった茨道の先の話だ。
それでも俺たちなら、私たちならできると鼓舞する。
一緒に輝かしい未来を夢想し、ひたすらに笑い合った。
笑って笑って笑い疲れた後、椿が最後の問いを口にした。
「じゃあさ!じゃあさ!……じゃあさぁ…学校、通えるかなあ。私とアゲハでさ、本当に本物の制服着てさ、平和に普通に過ごせるかなあ…」
今更。
今更揚羽は迷ったりしない。
いくら難しくても、可能性がどれだけ低くても。
村崎揚羽は刃山椿に即答しなくてはならない。
「過ごせる」
飾り一つない簡素な返事。
それが椿にはありがたかった。
椿はじわりと浮かんだ涙をグイと拭い、笑顔で告げる。
「そか!それならよかった!じゃあさ!もっと互いの連携の練度高めないと…!今日もう少し練習しよ?先に地下行っといてよ」
やや強引に椿に促され、揚羽は部屋を出た。
そうして誰もいなくなった部屋で椿は鼻をかみ、息を一つ整えた。
これから始まる戦いは修羅の道。
互いの信念ぶつかり合う炎の戦場。
自らの目的のために他人の願いを踏みにじる畜生共の宴。
それを理解し、気持ちを引き締めつつも、椿はその先の未来に思いを馳せた。
「アゲハと一緒に平和に学校に通える、ねぇ…」
椿は小さく、しかし確かに呟いた。
「…100点」
To be continued