――華々しい輝きを放つ人間には、二種類いる。
過去に光のある者と、未来に光のある者だ。
前者はわかりやすい。過去に実績を積み上げて「光」を得た人間だ。
過去を背負うことで光をまとっている人間だ。
たしかな根拠をもって光るその人物には、地に足のついた輝きがある。
一方で、未来に光のある者とは何か。
それは根拠なく輝く謎の人物である。
何も背負っていない軽薄な光。
しかしその光は、確かに未来を照らしていて……なぜか人々はそんな光に惹かれていく。
そう。並んだ時に周囲を惹きつけるのは、未来に光を持つ者のほう。
これは残酷かつ意味不明な真実ではあるが……それでも確かに。
未来に光のある者に対して、過去に光のある者の放つ輝きは、
どこか、くすんで見える。
◆
「フゥー」
伊賀虎之助(いが・とらのすけ)は、路地裏に身を隠して大きく息をついた。
とんでもない奴に目をつけられてしまったようだ。
――お相撲ブラザーズ。
闇稼業をする者の間で、この名を知らない奴はモグリだろう。
同業者からは耳にタコができるほど聞いた名だが、何度聞いても緊張で奥歯をかみしめる。
それほどに恐ろしい噂が付きまとう名だという事だ。
「忍者」の需要が減って幾年月。
そんな中、この街で「伊賀忍者」として世渡りしてきた虎之助には、一流の忍者としての自信も矜持もある。
修羅場もくぐってきた。大抵の事態なら物怖じせず向かい合えるつもりだ。
その虎之助が、今、逃げに回っている。
「……冗談じゃねぇぞ」
虎之助は体を一切動かさず、眼球のみの動きで路地裏の外、自らを追う影を視界にとらえた。
その、ふくよかな影を。
油断ならぬ擦り足で、滑るように音も立てず(あの巨体で!)進んでくる男が一人。
それは、一人の力士だった。
――東海龍 勝正。
通行人もそこそこ通る往来で、堂々たるマワシ一丁。
しかしそれに違和感を感じないほどに美しい所作。
彼の神々しい顔つきを見ていると、己がここに隠れている事など、すべて見透かされている気すらした。
いや。気のせいではなかった。
事実、そうであった。
目が、合った。
(――バカな!!)
忍者である虎之助が、完全に気配を消し、眼球のみの動きで、無音で、視界の端に捉えていただけなのだ。
それをはっきりと、勝正は知覚していた。
(これも「チャンコ」の力だとでもいうのかよ……クソッたれが)
力士の、あの大きな腹の中では「チャンコ」という不可思議なエネルギーが渦巻いているのだという。
噂で聞いた話だ。その時は虎之助も「まさか、そんな」と一笑に付した。
だが話によれば彼らは「チャンコ」を腹から波のように放出し、レーダーのように使うらしい。
その噂が本当なのだとすれば。
(逃げも隠れも……無意味ということかよ)
噂は本当だった。虎之助は、勝正と目が合った一瞬でそれを悟った。
おそらく「チャンコ」は実在する。自分たち忍者が丹田で練る「チャクラ」と同質のものだろう。
(……腹ぁくくったぜ。隠れ合いは不利。となれば)
虎之助は腰からクナイを三本、引き抜いた。そこからゼロコンマ二秒。
――ヒュッ。
と、空気を裂く音がした。虎之助の投げたクナイが飛ぶ音が。
直線最短距離で、レオナルドの目、首、腹を狙った三本だ。
ノーモーションから虎之助はこの投擲を行った。
いかに場所がバレていようと、この速度に反応できなければ意味はない!
……と。
勝正はそれに対し、瞬時に右足を、わずかに持ち上げて。
ズシン、と、下ろす。それは超高速の四股であった。
――パァン!!
すると同時、空中の三か所で三本のクナイが弾け飛んだ!
その刃は、力士の肉体に到達する事すらなかった。
「クソッたれが……」
伊賀虎之助はもはや隠れる事すら忘れ、目の前の存在に畏怖した。
おそらく今の技もチャンコによるものだろう。
「だが……」
だが。ここで彼の言葉は逆接に繋がれた。
虎之助は一流である。自信だけではなく矜持がある。彼は表通りに姿を現した。
「俺の価値を、クナイ三本で決めてくれるなよ?」
もはや白兵戦しかない。虎之助は全身にチャクラをみなぎらせた。
◆
実は。
自分はこの稼業に、もう疲れ始めている。
お相撲ブラザーズの兄・東海龍 勝正はそれを自覚していた。
元々は、勝正のネームバリューによって始めたこの稼業。
学生横綱として最強の呼び声も高い自分であれば依頼には困らないだろうという読みは当たっていた。
今もハンターとしての経営は順風満帆そのものだ。
だが、それでも。
この仕事を続ける限り……見続けなくてはならないものがある。
それに自分はこの先、耐えられるのか……?
「……っと、仕事中に余計な考えは良くないな」
目の前の男から、ビリビリとしたエネルギーを感じる。
この男、ただならぬチャンコの持ち主のようだ。
◆
クナイを持った手が縦横無尽に迫りくる。
チャクラによる肉体強化を限界まで引き出た虎之助が、勝正に躍りかかっていた。
虎之助が右のクナイを縦に斬りおろす。
勝正は己の得物である刀を構え、それを受け止めんとする。
――が、そこでクナイの軌道がぐにゃり、と曲がる。変幻自在。
勝正の刀身を避けるように蛇行したクナイは、刀を持つ指へ。
瞬時に、勝正は己の刀から手を離した。
刀を持ったままであれば、彼は四本の指を失っていただろう。
「……獲った!!」
それを一瞬の隙と見た虎之助、残った左手で握るクナイを相手の心臓めがけて突き出す。
なにせ、相手はマワシひとつ。胸を守るものはなにもない。
一流の力士である勝正を相手に、ここまで追い詰める。
それは実際、ほかならぬ虎之助の地力であった。
が。
状況はそう単純ではなかった。
ヒュゥッ、と、短く風を切る音を虎之助は聞いた。
それは虎之助の投げクナイにも似た音だった。
つまり。
鋭い刃先が、こちらに猛スピードで迫る音だということだ。
「……っとぉ!!」
彼は左手を防御に使うしかなくなった。
まさに彼の背中を狙っていた一本の矢を、防ぐ必要があったからだ。
そう。わかっていたことだ。相手はお相撲ブラザーズ。
無論、一人ではない。あそこにいるのだ。弟のレオナルド・西雲海が。
瞬間。
虎之助は勝正との戦いすべてを放棄して体を反転させると、矢の放たれたと思われる樹上を目指した。
『狙撃手は、位置が割れているうちに潰せ』。
戦いの鉄則である。
――と。
ガササ、と短い音がした。続けてドスンという落下音。
情けなくすらあるその音を発していたのは、もちろんこの男、レオナルド・西雲海。
なんたる悲劇。一生に一度の迂闊。
レオナルドは樹上からの、弓矢での狙撃を得意とする。
だがここの街路樹は、二百キロを超えるレオナルドの巨体を支えられるようにはできていない!
そもそも、力士と狙撃は、相性が良くないのだ!!!
「その命もらったぞ、レオナルド・青雲海!!」
隙をつく形で虎之助が急襲する。圧倒的速度で迫りくる伊賀忍者を前に、
レオナルドは、ただその場で合掌した。
「――天遁の術」
直後。上空から空気の塊が降り落ちて、伊賀虎之助はひとたまりもなく押しつぶされた。
◆
目を覚ました虎之助は、命がまだあった事に驚いた。
相手は魔人ハンターだ。ターゲットの命は奪うのが普通である。
しかし、いかなる理由によってか、彼は生かされていた。
ならば、考えるべきことは一つだ。
彼はプロの忍者――ほぼ暗殺業だが――として、こうした場合にどうするか決めていた。
すなわち、命乞いだ。
いかなる修羅場でも、絶対に生き延びる。
生き残れば、また己の力をプロとして生かせる場所はある。
命が続けば、仕事も続く。命がなければそれまでだ。
問題は、どちらに声をかけるべきか。
それだけでも間違えれば、即座に死に繋がることもある。
(どっちを選ぶか……その判断基準は……)
虎之助は考える。これも、事前に決めてあった。
(光、だ)
虎之助にはこれまで闇稼業の人間として生きてきて、磨いてきた眼力とでも言うべきものがある。
彼には「光」が見える。
そして、なるべく「光」を感じる人物にすり寄って生きることで、これまで命を繋いできた。
(おそらくは兄の方、だろうな)
最初、虎之助はそう感じていた。戦ってみての強さ、圧倒的なチャンコ。武人然とした凄み。
いずれも申し分なかったからだ。
実際、勝正からは「光」を感じることができた。
しかしそこから弟・レオナルドのほうに目を移した瞬間。その考えは覆る。
そこには、まばゆいばかりの後光がさして見えた。
(バカな……これは……滅多にいない。「未来の光」じゃねぇか……!)
◆
――華々しい輝きを放つ人間には、二種類いる。
過去に光のある者と、未来に光のある者だ。
前者はわかりやすい。過去に実績を積み上げて「光」を得た人間だ。
過去を背負うことで光をまとっている人間だ。
たしかな根拠をもって光るその人物には、地に足のついた輝きがある。
一方で、未来に光のある者とは何か。
それは根拠なく輝く謎の人物である。
何も背負っていない軽薄な光。
しかしその光は、確かに未来を照らしていて……なぜか人々はそんな光に惹かれていく。
そう。並んだ時に周囲を惹きつけるのは、未来に光を持つ者のほう。
これは残酷かつ意味不明な真実ではあるが……それでも確かに。
未来に光のある者に対して、過去に光のある者の放つ輝きは、
どこか、くすんで見える。
◆
この二人ははっきりしていた。
どう見ても過去の光を放つ、勝正と。
どう見ても未来の光を放つ、レオナルド。
二人とも光を放ってはいるものの、虎之助には、その色までも違って見えた。
「……ああ……あんた、なんてモノを持ってやがる」
つい、声に出していた。
「ん? 目を覚ましたか」
レオナルドが気付く。
「おお、俺を……どうか、この俺を……子分にしちゃくれないか」
口をついて、出た言葉がそれだった。
命さえ助かれば良い、という考えはどこかへ消えていた。
この男についていきたくなっていた。
それに対し。
レオナルドの答えは、こうだった。
「嗚呼」
「残念です」
「――あなたも、私を選ぶのですね」
それから先はよく覚えていない。
虎之助は命あるまま、逃がされていた。
ただ、その直前に誰と戦っていたのか、まるで思い出せなくなっていた。
◆
「――兄さん」
「弟よ」
「話があるんだ」
「ちょうどよい。俺からも一つ、話があったところだ」
「じゃあ兄さんからいいよ」
「む、そうか。あのな……」
勝正は少し間をおいて、
「今日までで、俺はこの稼業から手を引く」
「…………!!」
驚愕するレオナルド。
「なぜだ、兄さん」
「わかっているだろう。俺の力はすでにピークを過ぎている」
「そんなばかな」
「自分でも明らかにわかるんだ。今の俺に、五年前の鋭さはない。閃きというものもない。ただ、あの頃の自分の実績を頼りに、惰性で生きているだけだ」
「それでも、兄さんは強いじゃないか。プロとして通用するほどに」
「それでは俺が納得できないんだよ。周囲の目もお前に向きつつある。このままじゃ俺はそうして、ひっそりと枯れていくんだ。その前に潔く去りたい」
「…………」
「それで? お前のほうの話というのは」
「ああ。じゃあ、引退する前に、僕の話を聞いてくれよ。これを見てくれ」
「――イグニッション・ユニオン? なんだこれは」
「『最強の二人』を決める大会さ。僕たちにふさわしいと思わないか」
「…………」
「これに出て、優勝するんだ。そうしたら……」
「そうしたら?」
「結婚してくれ」
「……?」
「だから、結婚してほしいんだ」
「誰が?」
「兄さんが」
「誰と?」
「僕と」
「……レオナルド。相撲は日本の国技だ。残念ながら日本では同性での結婚は……」
「別に、それに準じる何かでも構わない。とにかくだ」
「僕たちが最強だと証明しよう。その称号をもって、二人で仕事を続けよう」
「お前は……本当に、めでたい奴だな」
「それは取柄だと思っているよ」
「……フン」
「あ。その『フン』は、肯定と受け取るからね? 大会エントリー受付、しておくから」
◆
――レオナルド。
お前は本当にめでたい奴だ。
お前からは光が見える。
眩くて、眩しくて、思わず目をそらしたくなるほどに、
時折……その光を消してしまいたくなるほどに。
俺の消えかかった光とは違う、その光を。
本編へ続く