昨晩降ったゲリラ豪雨で、じっとりとした夏の墓地。
あちこちにそびえ立つ墓石がまばらに濡れ、てらてらと輝いている。
イグニッション・ユニオン、トーナメント第一回戦、東京都内某所、墓地。
観客席はこれからの戦闘の期待でざわめいており、シアター越しのセミの合唱をかき消すほどであった。
突如、爆発────観客席が一斉に湧いた。
半人───山入端輪ニ。
魔人───災禍音夢離。
二人が墓地の中程で会合し、何か会話をしている。
輪ニ、音夢離、両名の相棒の姿は見えない。
代ヶ崎は煙草の煙をくゆらせ、じっとそのやりとりを見つめる。
「代ヶ崎警部、ここ禁煙っすよ」
「ハァ。最近のキツエン者へのアタリは強くてかなわんな」
音夢離に向けていた注意を外し、周囲を見渡せば、観客が迷惑そうにちらちらと代ヶ崎を見ていた。
代ヶ崎は愛想笑いを浮かべ、会釈をし、携帯灰皿に煙草をもみ消した。
「アレが今回のホシっすか」
「ああ」
音夢離が輪ニに、何か小さな───紙のようなものを渡そうとするのが見えた。
輪ニは少し困ったように苦笑し、音夢離は気味の悪い笑顔で、にんまりと笑っている。
「どう見ても小学生…いや中学生…?細っこいガキじゃないですか。本当に彼女が…」
「歳なんかで判別すんな、新人。おれァ悪ならなんだって必ずお縄にすんだよ。」
「はあ…」
「そのために今から起きることは一切見逃すな、どんなヒントでもいい。必ず…災禍音夢離の魔人能力を暴いて、殺人容疑で逮捕する。」
よいねむりお───災禍音夢離が立ち上げたサイト名。
場所はばらばらだが、音夢離自身の母親を含む、関東近辺での連続変死事件。
すべて自殺とされているが、その死体たちには共通点がある。
メールボックスだけの簡素なサイト「よいねむりお」───殺人代行依頼サイトに、申請された者たち。
音夢離の母親以外は。
「正義になれ。…か───拳条さん、おれが必ず、正義を継ぐからよ。」
ハ ン ジ ン ハ ン ギ
その家には、チャイムがなかった。
正しくは、チャイムがあったであろう場所に、電子金具の部品と導線が、
適当にちぎられたようにぶら下がっている。
実家を捨てた輪ニは、宅配業とディックの手伝いでなんとか生活していた。
不自由なこともあるし、ちょうど今みたいな冬の時期は、ガレージも寒けりゃ、車体も冷えて毎朝バッテリー上がり寸前まで陥るが、宅配業は冷えた体に丁度いい労働だった。
そして午前中、8時から12時までの指定。
輪ニの配達業の、巡回経路の一つに、その家がある。古い木造建ての家だ。
「しゃース、トマト運輸でぇす、災禍さーん、お届けも」勢いよく引き戸が開く。
5センチほど空いた隙間から、にゅっと伸びてきたのは骨のように細く白い右腕。
「はこ、」
「ハイ?」
「…いといて…い…」
「ハイ?」
扉が閉まった。
「あのー…災禍さん…受け取りサイ」また引き戸が開く。
今度はボールペンを手にした右手が伸びてきた。
送り状にめちゃくちゃな字で、かろうじて「さいか」と読める字を書いた右腕は、
また扉に吸い込まれるように消えた。
「おいと…て…くれ」
「あ、ハァ。え?じゃ…えっと置いときますんで。結構重いスよ。」
「うい。あ」
返事だろうか。
「ありあとやーしたー!」
輪ニがゆっくりと速度を上げ次の目的地に向かう途中で、流暢に「ウワやっべクソおっもてえ!!ざけんな!!」という子供の大声が聞こえた気がした。
▲
いつの間にか、春が近い。
朝方はまだ冷える空気を吸い込みながら、輪ニは白い息を吐く。
徐行運転で配達を済ませて行くと、またあの家に着く。
「災禍さァん!トマト運輸でェす!お荷も…」ドアが開き腕が伸び───
───血まみれの右腕がにゅっと現れた。
「え!?ちょっ…!」
輪ニは思わずその腕を掴み、中途半端に空いた引き戸を開く。
出てきたのは年端も行かぬ少女。血まみれなのは腕だけではなかった。
見えるのは頬、オーバーサイズのパーカーから見える首にも血と痣、
ぼさぼさの髪もところどころ血で固まっている。
「なっ…どしたんスか!?救急車呼びましょうか!?」
輪ニはふと気づく。
少女の目が、前髪のシャッター越しにせわしなく動いているのが見える。
──しまった、下半身に驚いたか…?
「い…」
「い、え?あ、あの、下半身は」
「いらん…」
「はい?」
「いつ、も、こんな…だ!ひ、よぶ、と、こ、ころされる」
「え?何?…殺される…って、ヤバくねっスか…!?じゃあ警察…」「いらん!!!!!」
「うるさい黙れ!!!!」
突如現れた右手が少女の髪の毛を掴み、奥へとひきずって行く。
「あ゛ああ!ごめ、ごめな!さい!あ゛」
突然の出来事に輪ニはフリーズした。
少女の母親だろうか。若くも老いても見える、不気味な女性だった。
左腕の手首から先が無く、火傷のような跡がある。
「結構です」
「は」
「結構です。」
地の底から響くような威嚇の低音に、輪ニの意識が戻る。
「お引き取りください。」
ぴしゃり、とドアが閉まる。
すべてを拒絶するかのような、その扉の向こうで、泣き叫ぶ少女の声が聞こえる。
▲
「俺、人間って全員幸せに暮らしてるもんだと思ってました。」
飲むか?と手渡されたマグカップ。温かいコーヒーのいい香りがする。
っす。と礼をいい受け取ると、同じカップを持ったディックが対面のソファに腰を落とした。
「なるほどねえ…リンジ、またテメエは人間なんぞの心配してんのか。」
「ちげっス。なんつーか……ショーゲキ的だったんで。」
一口すすると芳醇な香りに包まれ、ほう、と思わずため息が出る。
ディックの淹れるコーヒーは美味い。だが、輪ニの頭にはあの女の子の影がちらついて、
その味を充分に堪能することが、できない。
「ラブ・チャイルド計画……」
「…なんスか?」
「いや、こっちの話さ。──多分、人間だからこそ、人扱いされてねえ奴は目立つんだろうな。」
「え」
「なんでもねえよ、独り言だ。」
コーヒーを一気にあおったディックが、その手に持ったチラシをひらひらさせる。
「ま、ダチの頼みってんなら、作戦考えねえこともないな。俺に任せとけ。」
「は?俺、なんか頼んだっスかね。」
ディックはその強面を緩め、少し寂しそうに笑った。
「なあリンジ、…妥協して5億だ。俺らの新たな計画には───5億、必要なんだ。」
▲
少女が転がっている。
チャイムがない家、午前8時から12時指定便。
いつもと違うのは、軒先にあの女の子が血まみれで倒れているところだった。
死─────いや、生きている、わずかだが、呼吸をしている。
───リンジ、またテメエはまた人間なんぞの心配してんのか。
ディックの言葉が一瞬頭によぎる。それを振り払い、後部座席へ少女を載せようとして───輪ニは思う。ここは、ディックと───初めて乗せる人間は、野摘だって決めてたはずだ。
しばしの逡巡ののち、輪ニは少女を右脇に抱え、近所にある公園へと徐行運転で向かった。
軽いとはいえ、意識を失った人間はそこそこ重い。
しびれた腕をさすりながらゆっくりとベンチに少女を横たえると、しばらくして唸りながら目をさました。
「う゛、う、………あひ、は?」
「あー…すんません、その、倒れてたんで、とりあえず、家から離しました。」
「はなっ……ハハ…ヤ…?」
「こないだあんたを連れてった奴はいないっスよ。」
少女はすこしホッとしたような表情になる。
輪ニは驚いていた。自分の下半身に気づいているであろう彼女が、
畏怖の目で俺を見てこないことに。
「えーっと…お嬢ちゃん、いくつくらい?」
思わず、輪ニは話しかけてしまう。好奇心を抑えられない。
ぼんやりとした目が、前髪の隙間から輪ニを捉えた。
「よ、よ、じゅ、…よ」
「じゅ…え?何?」
「…………じゅ、よん」
「なんだ14か……14!?」
俺と3つしか違わねえじゃねえか!てっきり小学生くらいだと思っていた輪ニはまじまじと少女を見る。骨と皮のような体、ぼさぼさに伸びた髪にヘッドセットが引っかかっている。胸元に小さな赤い袋…
「そのお守り、親から?──安ざ……安産祈願って…え…14で子供…いるんスか!?」
首にぶら下がったお守り、その文字を輪ニは思わず二度見する。
先程から輪ニは驚いてばかりであった。
少女は首を振る。
「おねえちゃん」
初めて、よどみない答えが返ってきた。
▲
墓石のひとつひとつの名前が、反転していて読めない。
青々とした木々の隙間から眩しい日差しと、ところどころ濡れた墓石。枯れた菊、羽虫の群れ。んーーーみんみんみんみんみんみんみんみんみんみんみ…セミの大合唱もなんとなく反転しているように思えるのだが、輪ニにはよくわからない。
鏡の世界というのは、いまいち実感がわかないが、本当だということにしておこう。
イグニッション・ユニオン──この試合は、どうやらトーナメントの観戦と中継が行われているらしい。この墓地は、近くにスタジアムがある。そこでも試合があるらしいが、わざわざこんな陰気な場所を選んで見に来るのは、相当変わってるやつに違いない。半人に言われたくない、とでも言い返されそうなものだが。
狭い通路をゆっくりと徐行していくと、墓地の中程に人がぼんやりと佇んでいる。人影は近づけば次第にはっきりとしてきて、大きな黒のパーカーに、派手な柄のレギンス。ぼさぼさの髪。
「…ディック」
隣を歩く巨漢が、察して立ち止まる。
俺は徐行を続け、墓地を進む。
「───音夢離ちゃん、ここにいるってことは、あんたが俺らの対戦相手だったのか。」
「……」
「相棒は?今は、一人か?」
「……」
「世間って…狭ぇんだな…お母さんとは、どうなんだ?」
「しんだ」
思わず音夢離の顔を伺う。髪で表情が見えないが、どこか笑っているように思えた。
「…そっか」
輪ニは、あれから宅配がなくても、時々音夢離の家の前を通るようになった。なんとなく、グレて家を出た、自分自身と音夢離を重ねていたのかも、しれない。音夢離が幸せになれば、輪ニも幸せなのだと、思うことができた。
名前を聞いて、聞き取れなくて、39回くらい聞き返したら前輪を蹴られ横転した。
肉まんを差し入れしたら、その場でがつがつ食べだした。母親に殴られたという傷に、絆創膏を貼ってあげたら、即座に剥がされ捨てられた。
仲良くなりたかった。この子に、自分が人間だと思い出してほしかった。
────多分、人間だからこそ、人扱いされてねえ奴は目立つんだろうな。
────仲良く、なっても、俺は人間にはなれやしないが。
「あげる」
「え」
声に我に返る。
ふと音夢離ちゃんを見ると、にんまりと笑みを浮かべ、右手に何か紙を持っている。
つられて俺も右手を伸ばす。さいか───あの宅配のサインと同じに、雑な字で何か書いてある。し、うたい…?
ぐ ん
理解する前に、突如右手に重力がかかる。受け取るな。『俺たちに明日はない』、発動。分かっている、しかし、こちらが指を止めるよりももっと別ななにかが俺を動かし──────……──────仲良く、なりたかった。指先が紙に触れる。
「しょうたいけん」
きし、という音は、歯ぎしりか、笑ったのか。
「しね」
遠くから、足音が、
「リンジ!!」
「ディ、ック…!ダメだ、来────!」
ばしゅっ、と目の前で吹き出した霧のにおいが、独特の甘さで鼻を刺す。
体が勝手に横転した。もう、自分の意識下に、無い。
音夢離ちゃんが、すこしがたついた歯を噛みしめながら、満面の笑みで言った。
「おそろうける」
音夢離ちゃんが指差している俺の右手に、黒い馬の痣が浮かんでいる。
「よいねむりお」
野摘、ごめん───────
▲
音夢離ちゃんは、カータウロスに畏怖などしていない。
なぜなら、最初から、他人に興味がないのだ。
───────暗転。
▼▽
あたしたちの遊園地へようこそ、しんでいってね。
軽快な音楽がなる。ターキーレッグという看板が見えるが、実際なんの足だかわからない。軽快な音楽がなる。軽快な音楽がなる。なんの足だろう。
「…ディック?」
気づけば墓地には輪ニしか居なかった。
あたりを見回しても、墓、墓、墓。文字逆さま。墓。軽快な音楽。
とりあえず、礼儀としてノックする。
──こんこん。
──入ってます。
──こんこん。
──入ってます。
──こんこん。
──入れません。
──こんこんこんこん。
──人間ではないのでお前は入れません。
軽快な音楽がだんだん歪む。いらっしゃいませえ、ターキーレッグはいかがですかあ?いらっしゃいませえ、ターキーレッグはいかがですかあ?ターキーレッグはいかがですかあ?足、いりませんかあ?
「───輪ニくん?」
「…野摘…?」
墓地にひときわ大きな競泳プールが七色に光っている。
野摘が紺のスク水で胸の高さまでプールにつかり、こちらをじっと見ていた。
「どうした?」
野摘が、目に涙をため、つぶやく。
「あのね、驚かないでね…あたし、足、足。足はいかがですかあ?足はいかがですかあ?」
「何?」
足はいかがですかあ?
「輪ニくん…あたし、汚い?」
「そんな事は───」
ない、と言いかけた輪ニの目の前で、野摘が溶けていく。
「あた し きたな い ?く さい?」
髪が抜け落ち、両目が時差でぼとりぼとりと水面に落下する。首がゆっくりとかしげられ、ずりりと音を立てて筋がちぎれていく。「あたし、人間になりた」ぼちゃりと首がもげて、野摘はもう喋れない。肩が外れ、両腕が水面に浮かぶ。足もちぎれバランスを失った体はだんだんと輪郭を失って溢れ出す血液の代わりに野摘の焼けた皮膚と同じ茶色の液体がどばどばどばどばどばどばとぷとぷとととととととととととととと
「…あ…」
輪ニの前輪が傾く。バランスを崩し、横倒しになった。
腕に力が入らない。ぶるぶると震える体も、見たくないのに瞬きすらできないまぶたにも力がゆ っ く り と 時 間 が 流 れ る。
───『俺たちに明日はない』再発動、即ち、危機。
「は、はは…」
思考加速が、目の前で繰り広げられる人溶劇を急速に強制的に輪ニに理解させた。溶けている。野摘が溶けて、人間になりたい、って、いつか泣いていた、野摘が、笑うしかない。笑うしかもうない。
涙が止まらなかった。涙が────
▶▷
「リンジ!!!聞こえるかリンジ!!……クソ!仕方ねえ!」
夢の墓場を彷徨っていたディックは輪ニの姿を見つけたが、どうも様子がおかしい。
足の裏から分泌された自身のローションで加速しながら、『パンク・スタイル』で近くにいる音夢離の心臓の貫通を狙い、小石を弾いた────が。
「チ、外したッ!」
胸元にあった小さなお守りが、皮肉にも音夢離を守ったのだ。
あれではダメージにならない!秘忍具を──とブーメランパンツに手を伸ばしたディックは、つんざくような悲鳴を聞いた。
「ぎっ!あ!?ああああ!!!あああああ!!!おね、ちゃ!?やだ、なん!きえな、で!」
音夢離は真っ青になり、真っ赤な血を吐いた。ヘッドセットは、緑から黄色に変化している。大量の血を吐きながら、パントマイムでもするように、何かを必死に手繰り寄せ、力をこめすぎたのか血が滲んでいる。あれは、…あれは、なんだ───?
───次の瞬間、夢が崩れだした。輪ニとディックもろとも、地面が垂直落下する。
プールに溜まった茶色く濁った汚水が慣性に従い、茫然自失の輪ニを激しく殴打していく。ディックが伸ばした手の向こうで、いつも俺を支えてくれるシートが、ハンドルが、吹っ飛んでいくのが見えた。
「リンジ!!!リどどどどどどどどどどごごごごごごごごおおおおううううう。」
ディックの悲痛な叫びを濁流がかき消す。
汚水がすっかり流れきったあと、ばらばらになった骨片と、肉片と、なにかの部品と、手作りのマフラーが、濡れたままごろりと転がっていた。
▼▽
熾瑠は、大丈夫です。音夢離、音夢離。どうして、あなたの痛みは熾瑠のものではないのでしょう。先に熾瑠が音夢離をかばったから、神様は音夢離に罰を与えたのでしょうか。
平等であれと。
▲
「こりゃ、証拠が残らんわけだ…」
代ヶ崎はただ愕然としていた。
周囲の観客たちには、嘔吐したり卒倒する者もいた。
どうして墓地なんか見に来た、近くのスタジアムに行けばよかった、おまえが誘ったんだろう、肝試し?笑わせんな、笑えねえよ!金返せ!様々な怒号と、汚物の匂いと、我先に帰りたがるもの、野次馬で前列へ見に行きたいもの、叫び声と人とがあちこちで飛び交う。例えるなら、墓地観覧席は、地獄で見る悪夢のような空間になっている。
災禍音夢離は、山入端輪ニに何かを渡した。その瞬間、輪ニの顔色が変わった。
輪ニの能力はおそらく───第六感のようなものだろう。
輪ニを呼んだ相棒、ディックの声に、輪ニはまずディックを守ろうと睡眠ガスを正面から浴びた。
睡眠ガスはかなりの強力なものだったようで、庇われたディックも次第に苦しそうに眠りに落ちた。
そこからしばらくは、退屈とも呼べる時間だった。
対策でもしたのかと思えば、自らも真正面からガスを吸い眠った災禍音夢離。
体はディックの方へ向いていたが、同じく真正面からガスを吸った山入端輪ニ。
そんな輪ニの様子に危機を察したものの、濃度の落ちたガスを吸ってしまったディック・ロング。
三者三様で、眠ってしまったのである。
動揺でざわめいた観覧席から、次第にブーイングが飛び出した。つまらない、全員失格にしろ、金返せ、だの、罵倒を浴びせられ続けながら尚、眠り続けた3人。
ブーイングが最高潮に達した瞬間、突如、山入端輪ニが破裂した。
「う…代ヶ崎さん、すいません…もう大丈夫です。」
その後災禍音夢離がこれまた突如吐血したのだが、代ヶ崎が連れてきた新人巡査は、輪ニが破裂した時点で悪夢の一員となっていたのであった。
「よう新人、まだ学生気分が抜けてねえみたいだな。警察学校からやり直すか?」
「勘弁してくださいよ!…この状況、なんとかします?」
「ああ。覚悟しろ新人。───こりゃ面倒な戦いになりそうだ。」
▲
頭が、手が、車体が、ある。
「山入端輪ニ、死亡!勝負あり!勝者『よいねむりお』!」
唐突に、どこからともなくアナウンスが響いた。
「あ………かはっ……!ゲホッ…!」
輪ニは盛大に横転し、見知らぬ人間の墓にぶつかって、嘔吐した。
文字は反転していない。ここは現実世界だ。
「リンジ」
声の方を見ると、ディックが真っ青な顔で立ちすくんでいた。
「なんて…ツラ、してんスか…」
「……俺は…俺は、とんでもないモンにおまえを巻き込んじまった…ダチが…ダチが目の前で、好きな女に潰されて…おまえがそんなに傷ついて…そんな…そんな悪夢があるかよ……!」
震える声でつぶやくディック。膝から崩れ落ちそうな巨漢は、心なしかしおれて見える。
「ディック…俺は…」「やだ!おねえちゃ!おね、ちゃ!?しん…しんだのは!あたし!だ!どうして!おね、きえ!死んだのは、消えた!何で!どうして!」
突然音夢離がヒステリックに叫びだした。尋常ではない様子に、思わず輪ニは声をかけた。
「…音夢離ちゃん、少し落ち着───」
「うるさい!人語しゃべんな!!」
輪ニが息を飲む音が、はっきりとディックの耳に聞こえた。
涙の残る目で、前髪の隙間から音夢離が睨みつける。子供の癇癪、八つ当たりだが、今の輪ニを傷つけるには充分な言葉だった。
「この「災禍音夢離様。今回の勝負は貴女がたの勝利です。次回の勝負にて、鏡の世界に入れば、きっとまたお会いできますよ。」ガキ───!!」
流れた唐突なアナウンスを完全スルー。ディックは激怒した。ブーメランパンツの中に仕込んだ秘忍具に手をかける。「殺してやる!!!!!!」
「ディック・ロング様。現実世界での相手への攻撃がみなされた場合、貴方様も強制排除となりますが、よろしいですか?」
アナウンスの死刑宣告。ディックは腸が煮えくり返る思いだった。音夢離の方は、先程のアナウンスを聞いたとたん、憑き物がおちたように落ち着き、今度はにたにたと笑っていた。
怒りで赤くなったディックが、虚空に向かって、大声でわめく。
「今のは!絶対に許せねえんだ!俺は!俺たちはそれでもこのガキを───!こいつみたいな奴も、救おうとして……!!どうして……俺たちは……!!!」
「ディック」
いつの間にか隣に立った輪ニが、ディックの肩に手を置く。
「俺は大丈夫…今のは、夢っスから。もう、……忘れちまったから、いいよ。」
「リンジ…!」
輪ニの手は、震えている。
ディックは音がするほど奥歯を噛み締め、灼熱の炎のように熱い涙を堪える。
「すまねえ…すまねえな…俺ァ…どうもおまえにばっかり迷惑かけちまう…」
「ったく…あんたがそんな弱気でどうすんスか。…計画、まだ始まったばっかっスよ。」
ディックはズ、と鼻水をすする。「ああ…」
「…俺はな、まだ諦めねえ。計画は続行だ。けどな、ひとりでコンドーム会社からの刺客の奴らから逃げれる気がしねえんだ。───だからよ、カータウロスは、まだ俺の足に、なってくれるか…」
輪ニは弱々しくも、嬉しそうに微笑んだ。
「何言ってんスか。──俺を乗りこなせんのは、あんたくらいっスよ。」
つられて、ディックも笑う。
「そうだな。俺ら二人でハーフ&ハーフ日本支部、必ずいきり立たせようじゃねえか。」
▲
ディックと輪ニを交互に眺めながら、音夢離はにたにたと笑っていた。
視線に気づいたディックは舌打ちをする。
「…だから俺は人間が嫌いなんだよ。裏切られてばかりだ。──もっとも、お嬢ちゃんは出来損ないみてえだが。」
「きひ、しゃべ、ちん、ね、おねえちゃ、いお」
「何言ってんのか分かんねえんだよ、人間なら人語喋れ。」
真正面からの毒も、音夢離には通じていない。
「ところでお嬢ちゃん、イグニッション・ユニオンは二人組参加だろう。あんた、ずっと誰に話しかけてたんだ?」
「…………は?」
音夢離の表情が、歪む。
何かを察したディックは、憐れむような目をしたあと、輪ニに跨る。輪ニは、もう二度と振り返らなかった。ゆっくりと墓地を去る。
その背中を見つめながら、音夢離はただ、呆然と佇んでいた。
夏の高い空に似合わない、じめじめした生ぬるい風が、音夢離の頬を撫でる。───また、ひどい雨が降りそうだ。