Side:Itokiri & Yuki
イグニッション・ユニオン、待合室にて。
「さて、初動だが、まずは一緒に行動する」
「うん」
運命の機織り達の二人は打ち合わせを行っていた。
「バラけて行動して不意を打たれたらことだからな」
「うん、だから一緒に行動するのね」
「だが、交戦が始まったら巻き込まれない程度に離れてくれ。お前をうっかり斬りたくはない」
「私の力はどうするの?」
「発動しないに越したことはないんだよな……」
そう言って糸霧はゆきの帽子を脱がす。中に四葉のクローバーがあることを確かめて、また被せる。
「でも……」
反論しようとするゆきの口に指を当ててそれ以上の言を止める。
「一つ、ゆきのチカラは無差別広範囲だ。タイミングを間違えれば俺も対処できなくなるだろう」
「うっ」
「二つ、うまく行ったとして、ゆきが発生源と知れれば集中して狙いに来るはず。俺はお前を狙う奴らとお前の両方を相手取らなくてはならない」
「ううっ」
「三つ、そもそも心身の疲労が凄いだろ。お前になるべく負担はかけたくない」
「うううっ」
そこまで言って糸霧は大きく息を吐きだす。
「ともあれ、いざという時のとっておきだ。まぁ出来ることなら俺だけでなんとかしたいが……」
ならんだろうな、とひとりごちると、放送が入る。
『これよりイグニッション・ユニオン、第四試合を開始します。参加者各位は待合室にある転送地点に立ち、待機してくだし。繰り返します……』
「さて、ゆきよ。覚悟は出来てるか?」
「……はい!」
「じゃ、行くぞ!」
そして二人は鏡の世界の渋谷へ送られる……。
Side:Niav & Treh
イグニッション・ユニオン、また別の待合室にて。
そこで、長身の女性がスマホで通話をしていた。誰と?
あなたが善人なら見えるであろう。向かいに座る有翼の少女の姿が。
「つまり、だ。私たちは他にはない利点がある それは何だ」
備え付けの白板に描かれた絵を指差しながら、悪魔のニアヴは問いかける。
『私は善人にのみ視えず、聞けず、触れられず……』
「……そして私はお前が生きている限り不滅だ」
トレエの答えを継いたニアヴがやれやれと首を振る。
「当然、穴はある。私達を凌駕するような力を持つ善人がいたらアウトだ」
『そうですね。善き人は斬りたくないですし』
「そこは斬れよ。遠慮会釈無く」
ため息一つ。善の塊であるトレエが善人を斬るのを躊躇うのは悪魔たるニアヴには理解できないが、わかる。
「んで、相手だ。男と少女のコンビか」
『この子、善良そうではないですか?』
「男の方よりは、まぁ、そうだろうな」
『こんな子がこんな大会に参加するなんて、世も末ですね……』
そもそも何故こんな軽く握れば砕けそうな少女が参戦しているのか。何か凄まじいチカラでもあるのか。
「それよりちょっとスマホを置け。試合開始前にやることがある」
『何をするんですか?』
「いいから置け。三つともだ」
そう言って通話を切る。まもなく机の上に青いスマホが三台並ぶ。
ニアヴはその一つを取り上げ、すいすいと操作する。他の二台についても同様に弄る。
「あとは、これだ」
ニアヴが取り出したのはヘアバンド……ではなくマイクとイヤフォンのついた固定型スピーカーである。
「設定は済ませた。これでいちいちスマホ越しに話す必要もないだろ」
『わっ、すごいですね、これ!』
「ただの文明の利器にいちいち驚くな」
全く、とため息をつくニアヴ。
「ともかく、作戦は頭に叩き込んだな」
『作戦とも呼べない単純な代物じゃないですか』
「トレエ、こっちからはお前が見えないし、文明の利器を使わねば話すことも出来やしない。単純だろうが方針ぐらいは決めておく必要があることぐらいはわかるだろ」
『だいたいこんなの……』
トレエの言を遮るように放送が入る。
『これよりイグニッション・ユニオン、第四試合を開始します。参加者各位は待合室にある転送地点に立ち、待機してくだし。繰り返します……』
「さーてと。行くぞ。乗り遅れんなよ?」
『あっ、待って、待ってくださいー!』
「待たねーよ」
そして二人は鏡の世界の渋谷へ送られる……。
Side:Itokiri
「さて、ここが渋谷のスクランブル交差点か」
「広ーい!」
「物見遊山に来てんじゃねーぞ。敵がいつ来るかわかったもんじゃない」
鞘から剣を抜き、左手に短剣を握る。いつもの糸霧の戦闘スタイルである。
「それにしてもなんでここに来たの?」
「こっちとしては不意打ちバッサリは御免だからな。敢えて遮蔽が少なく見通しのいいここで待つわけだ」
警戒を怠るなよ、と付け加えて辺りを見回す。程なく、黒髪長身の女性がぶらぶらと近づいてくるのが見えた。
ゆきを下がらせ、庇うように一歩前に出る。見える相手は一人。不意を打つつもりか。はたまた別の策があるのか。
間合い、およそ十歩というところで立ち止まる。先に口を開いたのは黒髪の女性の方だった。
「あんた達、ここはデートスポットじゃなくて試合場。カノジョにいいとこ見せるつもりなら他所でやんな。それとも……」
刹那、灰の糸が弧を描き鋭く伸びる。糸霧にではなくその後ろ、ゆきの方を目掛けて。
一歩踏み込み、伸びた糸を斬り落とす。それと同時に女性も飛び出す。
「……こっちから退場させうぶっ!?」
女性はゆきの二歩手前で何かにぶつかったように弾かれる。
バランスを崩したところを斬りかかるがそこはさるもの、向こうも体を捻って回避しながら片手で着地しそのまま態勢を立て直す。
同時に糸がこちらに伸びる。伸びた糸が逸れたところで無防備になった右腕を斬る。
一刀両断とは行かずとも、腱を斬れば相方が来ようが不利を強いることが出来る。
だが、相手の闘志は衰えない。今度は左腕。そしてまた右……右!?
「おいおい、さっきの右腕結構深めに斬ったはずだぞ!?」
「気のせいじゃないのかい? そらっ!」
相手の蹴りを弾き、腿を削ぐ。常人ならこれだけ斬られれば苦痛でまともに戦えないだろう。魔人でも耐えるための能力かあるいは肉体的に強靭な種族でもなければ。
……うん、気のせいではない。斬ったはずの部分が完全に治癒している。右腕も、左腕も、脚も。他の部分も狙うが同様。服すら修復されている。
「冗談じゃない……!」
Side:Niav
(冗談じゃない……!)
最初はあのなよっとした少女を力任せにぶちのめせば終了、手札を明かすこと無く終わると思っていた。
だがあの男の力か、それとも少女の力か。見えない壁が私の突進を止めた。
空振ったスキを狙おうとしても拳が何かに阻まれる。蹴りも同じく。バランスを崩したところを確実に斬り込んでくる。
【死に損ないの契約者(バッドコープス)】がなかったら五体をズタズタに引き裂かれていたことだろう。
それよりもこちらの攻撃がことごとく防がれる。殴る、蹴る、掴む、貫手、その他諸々一通り試してみたが、かすらせすらさせてもらえない。
悪魔の肉体でもって強化されていようが、当てられないのでは意味がない。多少癪だが、トレエと協力するしかない。
ダメ元で捨て身の体当たりをぶちかますが、やはり弾かれる。その反動を利用し、後ろへ飛び退る。
「全く、テメェは何者だよ」
「タダのしがないトラブルシューターだよ」
Side:Itokiri
魔人案件専門のな、と付け加えてバックステップで距離を取り、再びゆきを庇うように立ちはだかる。彼女の手がぎゅっと腰を握る感触が伝わってくる。
「いきなり襲いかかるたぁふてぇヤツだ。ゆきも怯えちまってるじゃねぇか」
「悪魔に礼儀とか求めるタイプ?」
悪魔、すなわちこちらがニアヴ・E・ブレインらしい。
「まさかまさか。こんな事するのが天使の方でなくて良かったと思ってるくらいだ」
「それにしてもさっきのはどうやったのさ。お前? それともカノジョ?」
さっきの、とはまぁだいたい予想がつく。一撃たりとも通さぬ鉄壁の防御。ここは素知らぬ顔して押し通す。
「敵対者に企業秘密をそう簡単に話す奴がいると思うか?」
「そりゃそうだな。そっちの嬢ちゃんはどうだい?」
「あ、えーと、その、の、ノーコメントでっ!」
そう言ってさらに縮こまるゆき。
「さて、まだゆきを狙うか? 俺がいる限りは指一本触れさせるつもりはねぇぞ」
「へぇ、自分はやられないと。大した自信だな」
「当然だ」
嘘、いや強がりである。出てきた糸は刃が通ればふつりと切れるが、これはこれで神経を使うのだ。
向こうの持久力はわからないが、何度斬っても勢いが衰えないところを見るに長時間の交戦で不利になるのはむしろ自分だ。
再生能力が尋常でないなら一撃で心臓か頸を持っていくしか無い。
Side:Niav
一撃で心臓か頸を持っていくしか無い。そう思っていることだろう。
先程の交戦でわかった。後ろの少女はともかく、こいつは善人では無い。
必要ならば相手に死を与えることも厭わない仕事人。その精神が死へと導くのだ。
「トレエ、プランBだ」
スピーカーに囁く。
『……わかったわ』
多少の逡巡はあったものの伝わったなら問題はない。再び男――糸霧といったか――に襲いかかる。
今度はブチのめすためではない。蟻地獄のように罠に誘い込むためだ。
想定通り、少女は糸霧から一定の間を置いて離れる。糸霧も先程より踏み込んで刃を振るう。
相変わらず攻撃は通らない。向こうが一歩踏み込むたびにこちらも一歩下がる。少しずつ、少しずつ誘い込むように。
そしてたどり着くは路地裏。左右への逃げ場はない。一歩、二歩、三歩。罠に気づいた様子はない。
私にも見えはしないが私の上にトレエが浮かんでいるはずだ。コレばかりは信用するしか無い。悪魔が天使を信用するというのもバカバカしいが。
「トレエ!」
『はい!』
処刑の指示を下す。いくら何でも不可視の攻撃を防ぐなど有り得まい。
コレこそがプランB、回避が困難な路地に誘い込み、トレエが一閃、もし仕留め損なったとしても私が追い打ちでとどめを刺す。
だが、ヤツの行動は私の、いや、私達の予測に反し、上に向かって左手の短剣を投げたのだ!
Side:Treh
プランB。ニアヴが閉所に悪人を誘い込み、私が斬る。悪辣だが単純明快。
あまりに卑劣では、と異議を唱えたものの、使命のことと悪人相手だから問題ないという話を持ち出されて説き伏せられてしまった。
路地の方を向いても私に気づいた様子はない。ニアヴのスピーカーから聞こえてきた会話からはそう悪そうにも聞こえなかったけど、どれだけ業を溜め込んだのか。
呼吸を整える。ひとつ、ふたつ。
『トレエ!』
「はい!」
合図とともに飛びかかるように剣を振る……こっちを、見てる?
まずい、と思ったが勢いは止められない。短剣は私の胸に吸い込まれ……そのまま通り抜けました。
だが、私の振るった弔悪は見えない何かに弾かれてしまいました。
飛び出したニアヴの攻撃も弾いてそのまま後ろへ飛び退いてしまった。
『*fuck* 何やってんだトレエ!』
「攻撃が弾かれたのよ」
そう伝えるしか無い。明らかに私が見えてたとしか思えない挙動。しかし彼の攻撃は私に当たらなかったのです。
『お前が見えてたとでも言うのか?』
「腑に落ちないのはそこね。彼に短剣を投げられたけどそれは私をすり抜けたわ。私の【観善】は有効なはず」
『ハァ!? 見えないままに攻撃を防いだとでも言うのか!? マジでふざけてんな』
突然の怒鳴り声に耳が痛くなる。音量を微調整しながら尋ねる。
「それじゃどうするの? 私の攻撃もニアヴのも通らないじゃないの」
しばしの間。何か考えてるのだろうか。
『攻撃が通り抜けたのは確かだな?』
「えぇ、するっと。後ろを向けば短剣が落ちてるんじゃない?」
『ならば、攻撃の意志に反応したのかもしれん。そっと後ろから近づいてズブッといけ』
「ズブって、そんな……」
『あと奴の攻撃はやたらと空振りが多い。どういう仕組みかわからないがあれが防御の秘密かもしれん。ならば……』
Side:Itokiri
突然の上空からの攻撃。短剣を投げて糸を切ったものの、見えざる何かに当たることはなかった。
もう一人が隠れているのかと思ったが当てが外れた。追撃も凌いで飛び退く。何者かが隠れているとなれば閉所は不利。
どういうことか相手は追ってこない。そのまま待ち構えるつもりか。
「竜也さん、大丈夫……?」
ゆきが声をかけてくる。路地の奥を見据えながら、大丈夫だ、と返す。
コートから予備の短剣を抜き、左手に握る。右手の剣を軽く動かす。問題ない。まだやれる。
路地から飛び出す騎兵の槍の如き不運の糸。斬り飛ばすとニアヴがすぐそこまで詰め寄っていた。
そして再びの打ち合い。いくらでも再生する相手に長時間相手にしてはいられない。
一瞬の隙を突き、心臓のあるべき場所に刃を……通す!
だが、それは罠だった……!
相手の左手がこちらの手首目掛けて伸びてくる。素早く刃を抜こうとするが一足遅し。手首を掴まれる。
「お前、胸に心臓がない輩か……!」
「いいや、たしかにそこは私の心臓さ。だが私の命はそこにはない。さ、もう逃しはしないよ!」
右手から繰り出される拳を左手の短剣で糸を切って弾く。まずい。この状況でさっきの見えない攻撃が来たら……詰む!
Side:Yuki
「竜也さん、大丈夫……?」
竜也さんの大丈夫だ、との返事に安堵する。
彼は前に出て私を護りながら丁々発止、相手とやり合っている。
一方ドキドキしながら後ろで彼の戦いを見守っているだけ。
そもそも私の能力は基本的に自分に危害が及ばないと機能しない。
護られるだけではダメだ、と思っても、どうしようもない。
暴走させれば、彼にも被害が行ってしまうと思うと踏み切れない。
ふと、上を見ると銀髪、有翼の女の子がふわふわと浮かんでいた。それはまるで天使のようで……。
そこで気づく。天使ってことは対戦相手だ! 竜也さんの方を見ると、何か掴まれて動けなくなってるし!
天使さんの方はと言うと、剣を振り上げている。まずい! いくら何でもあれじゃ避けられない!
そう思うと体が勝手に動き出した。一歩、一歩、間に合えと念じつつ、竜也さんの背中へ!
飛びついたと同時に、背中に鋭い痛み。叫びそうになりながらも歯を食いしばり、そのまま倒れ込む。
Side:Itokiri
予期せぬ後ろからの衝撃。それを利用して左手の短剣を胸骨の隙間に叩き込む。
「*shit* 限界か!」
ニアヴは忌々しげに舌打ちすると砂のようにサラリと消え失せた。
躊躇の間もなくくるりと反転し、虚空から伸びてきた糸を裂く。
同時に背中のほうからなにか糸が虚空に伸び、何かに絡まったかと思えば消えた。
数歩下がって後ろからぶつかったものの正体を確かめる。
それは先程まで後ろにいたはずの、ゆきだった。
背中に痛々しいほどの斬撃痕。もし彼女がいなかったらおそらくは自分がこうなっていただろう。
ゆきのかぶっていた帽子が落ちる。葉の数は七つ。不運の糸――もはや綱と言っていい太さだが――が空に向かって伸びていく。
この後どうなるかは想像もつかないが、このまま見ているだけではどうしようもないのも事実。
しっかりしろ、と肩を貸しながら何とかゆきを立たせる。左側が塞がるが仕方ない。
直接こっちに糸は伸びてきていないが、天に向かった糸が無差別に降って来るのは明らか。
前を見れば消えたはずのニアヴがそこにいた。
斬れども突けども無為の悪魔に、ゆきを斬りやがった見えざる刃、それに暴走するゆきの力。これでどこまで戦えるか……。
Side:Niav
復活後、まず口から出たのは文句だった。こっちが命がけで相手を止めたというのに相手はまだ生きている。
「ちょっとちょっと、何で攻撃止めてんだ! あのタイミングならどっちか殺れただろ!」
『それが、追撃しようとしたら何かに弾かれて手首をくじいて剣を落としてしまって……』
トレエからの返事に舌打ちする。なんて不運だ。
「あぁ、クソッタレ!」
糸霧と言ったか、もう相方を引き起こして剣を構えている。
相手の防御も完全でないことは先ほどのやり取りでわかったが、今度はもっと警戒するはずだ。二度目はあるまい。空気も冷えてきた……冷えてきた?
ふと見上げると、太陽はいつの間にか暗雲に覆われ、ぽつぽつと雨が降り出してきた。
先ほどまで良く晴れていたはず。そもそも外部からの干渉のない鏡の中の世界で?
『冷たっ』
スピーカー越しに聞こえてきたトレエの一言。その時は天使でも雨には濡れるんだな、と思った。その意味を良く考えるべきだった。
Side:Yuki
竜也さんを庇えたのはいいけど、背中がものすごく痛い。竜也さんが肩を貸してくれてなんとか立つのがやっと。
このままじゃ自分は足手まとい、かと言って竜也さんから離れれば今度こそ殺されてしまう。
頭の葉っぱも限界まで生えた感触がある。自分の能力は基本己を巻き込まない範囲で無差別だと言う。
平時ならともかく、こんな状況では竜也さんも巻き込んでしまう。
あんなことを言っておいて、自分のせいで負けたらと思うと、痛む背中以上に心が辛くて、苦しくて……。
私の胸のうちを映すかのように、鏡の世界の空から雨が降り注ぐ。
Side:Treh
ぽつぽつ降りだった雨は、まもなく土砂降りへ変わった。
私の能力は善人以外から害されることはないというもの。これが自然に降り出した雨だと言うなら善悪なきゆえ冷たさなど感じずすり抜けるはず。
けれども、雨の冷たさはいや増し、もはや私もニアヴも濡れ鼠。つまり、これはあの少女、ゆきの能力によるものということになる。
善なるものだからこそ、私が見えるし割り込むことができた。
でも、今の彼女は能力を使っているというよりは息も絶え絶えに相方にしがみついているだけ。……待って、何で濡れていないの?
Side:Itokiri
突然の雨。だが俺たちの上には何故か降りかからない。不自然な軌道を描いて雨粒が逸れていく。軽く腕を動かすと濡れない範囲もそれに応じて追従する。
不運の糸の大半はとてもか細く、視界の邪魔にはならない。おそらくはこの雨なのだろう。ところどころに張られている太い糸に触れなければ問題はないはず。
一方ニアヴの方を見ると何もない空間に何か透明なものに水を浴びせたような歪みが見える。人の頭に猛禽類のような羽の形。あれこそがもう一人の対戦相手、トレエであろう。
ゆきが俺の袖を引っ張る。
「なんだ?」
「天使さんが……濡れてる」
「俺には輪郭しか見えないが、お前にははっきり見えてるのか」
「うん……」
刹那、思考する。見えない刃の発生源に何度か攻撃を仕掛けたが特に何かが当たる様子はなかった。一方、ゆきの降らせた雨は透明な天使に影響を与えていることは確実。
ならばやることは一つ。いつまでも消耗することのない悪魔の相手をそこそこに、見えざる天使――トレエに致命傷を与えることだ。
「さて、最終ラウンドとしゃれ込もうじゃないか」
雨雲は更に暗さを増し、ゴロゴロと不穏なうなり声を上げている。
Side:Niav
大雨。精密機器を使用している私たちにとってはこれは非常にまずい。防水加工と言ってもそれは一般生活における範疇のものに過ぎない。
こんな水中同然の土砂降りではスピーカーもスマホもいつ壊れるかわかったものじゃない。予備が何台あろうと関係ない。
「ったく! トレエ、屋内に退避するぞ!」
コミュニケーション手段を失ったら完全にアドリブでいくしかない。こちらから見えない聞こえないでは連携も何もあったもんじゃない。
いや、今は雨で輪郭が見えるがそれは向こうも同じこと。万一トレエに致命打を与える秘策があったらアウトだ。
手近なビルに向かって駆け出す。糸霧は少女を担いでいるので追ってくるまで猶予はある。その間に立て直す!
Side:Itokiri
一歩、二歩、動いたところで悪魔が飛び出した。俺たちではなく、ビルのほうへ。一拍遅れて天使も後を追う。雨に濡れることを厭ったか。
だが、不運の糸は悪魔を捉える。糸に触れた次の瞬間、ドゥン、と轟音が響く。水に圧されて勢いよく飛び出したマンホールがニアヴをしたたかに打ち付ける。
「逃げようったってそうはいかん」
ニアヴが着地点の糸に絡まる。同時に街路樹に雷が落ち、ニアヴの方へと倒れ込む。ぐしゃり、と聞き心地の悪い音がする。
トレエのいた方を向くと、リスポーンしたと思しきニアヴとそれに先んじて向かってくる空中からの鋭い糸。
雷が幾つも落ちるが、それより早く向かっているのか。ならばここで迎え撃つ。
俺一人では成し得ぬことも、ゆきと力を合わせれば不可視の脅威をも討ち果たせるだろう……!
Side:Treh
打ち付ける雨、飛び出すマンホール、倒れる街路樹、そして落雷。
これら全てがあの少女のチカラだというのなら、非常にまずいです。
スマートフォンも濡れて電源が入らなくなってしまいました。
破れかぶれかもしれませんが前へ前へと進みます。一瞬でも躊躇えば黒焦げ天使の出来上がり、一巻の終わりでしょう。
糸霧は今までの守りの姿勢と違い、大上段に剣を振りかぶってます。彼が私を斬れないのは証明済み。ならば、一方的に斬り伏せ……投げた!?
Side:Itokiri
明らかにすっぽ抜けたかのような剣の投擲。それこそが今必要なことだった。
天地を繋ぐかのような糸の柱。それはほとんどが落雷の予兆。あくまで予兆に過ぎない。
なればこそ、その予兆は動く。そして糸を切られたものは一瞬とはいえ、動きを止めざるを得ない。
一か八かの乾坤一擲。剣に向かって吸い込まれる糸の柱。断ち切るはトレエと思しき影から生えたもののみ。
轟雷一閃。剣に向かって収束した雷が虚空で弾ける。雨の中、ふらふらと墜落する影。これで決着……。
その一瞬の虚を突き、ニアヴが飛びかかってくる。右手の剣は今や無く、左腕はゆきを支えている。
コートから次の短剣を取り出すより先にニアヴが到達するだろう。まずい。
右腕に糸を絡ませるように防御する。次の瞬間、歯を食いしばらねば耐えきれないほどの衝撃が走る。
「っグゥッ!?」
「やっと、一撃だ。防御が硬いだけあって中身は案外脆いもんだなァ?」
ニアヴの攻撃の鋭さから考えて、一撃でも当たればこうなることは予想できていた。右腕に力が入らない。
「さぁ、こっちも時間がない。トレエが斃れる前に、お前たちを、殺す!」
使える糸はないかと見回すも先程の雷で粗方片付いてしまった。
試合が続行しているということはまだトレエを仕留めきれていないことに他ならない。
万事休すか……!
Side:Yuki
竜也さんの投げた剣が天使さんに当たると同時に雷が降り注ぐ。黒焦げになって落ちていく天使さん。
やっと終わると安心したのもつかの間、もうひとりの女性――ニアヴさんが竜也さんに襲いかかっていた。
掴まった腕を通して嫌な振動が響いてくる。嫌だ、怖い、死にたく、殺されたく、ない……!
せめて、私達と、彼女たちが離れてくれれば……!
Side:Niav
戦闘の終了条件は、チームの片方の戦闘不能ないしはリングアウト。あるいは降伏。
トレエがやられたと判断が下される前に、倒せばそれで逆転出来る。地面にも周囲にも邪魔するものはなにもない。
一気に踏み込み、一撃を当てる。右腕で防がれるもののその右腕は砕いた。もはや使い物になるまい。
消耗が激しいのか、能力の条件を満たせなくなったか、ともあれもはやあのイカサマじみた防御は出来ないらしい。
「さぁ、こっちも時間がない。トレエがが斃れる前に、お前たちを、殺す!」
アスファルトに足を叩きつける。道路がひび割れ、その反動で飛び……出せない!?
力を入れすぎたのか、それとも脆くなっていたのか。不運なことに、底なし沼に踏み込んだかのごとく足が地面に食い込んでしまった。
それだけにとどまらない。ひび割れはあっという間に広がり、私を、後ろのトレエを飲み込んだ!
Side:Treh
雷と落下の衝撃で全身が痛む。普通の人間なら、多分死んでいたでしょう。
ニアヴは……攻撃を当てました! ここで自分が倒れてしまっては彼女の努力も無に帰してしまいます。
そう思い、体を起こし、剣を杖代わりに地面に突き立て……不運なことに、想像以上に深く食い込んで、地面がひび割れ……!?
それだけにとどまらず、ひび割れはあっという間に広がり、私を、前のニアヴをも飲み込んでしまいました……!
Side:Itokiri
せめてゆきだけでも守ろうと庇ったら、ゆきの頭から鋭く糸が伸びるのを見た。
それは俺の頭を飛び越して地面に突き刺さり、網の目のごとく広まった。その交点をニアヴは踏み抜き、トレエは剣を突き立てた。
みしり、ぎしぎし。神経に障るほど嫌な音がする。そして激震とともに崩落は始まった。
巻き込まれないよう、ゆきとともに崩れ行く道路からよたよたと遠ざかる。揺れに足を取られ、倒れそうになりながらもなんとか歩道へ辿り着く。
殺意衰えぬ悪魔も、なお立ち上がろうとした天使も、破砕されたアスファルトとともに地の底へ吸い込まれていった。
「これでまだ、生きてるようなら、今度こそ、おしまいだぞ……」
息も絶え絶えにつぶやく。ふと、ゆきの方を見ると呼吸が荒く、時たま咳き込んでいた。
「ゲホッ、ケホッ……。どう、なった、の……?」
「連中は、今頃地の底で、おねんね、さ……」
挽き肉になった、という表現は避けた。後で顔を合わせるかもしれないし、単純に少女に聞かせる言い方ではないからだ。
「私達、勝った……?」
「決着がついたと判断されれば、戻るはずだ」
その言葉を言い終えるか終えないかのうちに目の前が白くなり……。
Side:Yuki
目の前が白くなったかと思ったら、気づいたときには私達の待機室に戻っていた。
背中に手を回し、ペタペタ手を触れる。服も、背中の傷も跡形も無くなっていた。正確には試合開始前に戻ったというべきなのだろうか。
落とした帽子も戻っている。帽子を脱ぎ、葉っぱを数える。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ。こちらも試合開始時の数に戻っている。
竜也さんも一通り身の回りの確認を終えたみたい。先程折れた右腕も元に戻っている。
こちらに気づいた竜也さんが反応するより先に私は彼に抱きついていた。
「良かった、良かったぁ……ぐすっ」
「まぁなんとか、勝てたからな。俺一人じゃ詰んでたろうよ」
「ううん、そうじゃなくて……私のせいで……」
「何のことかはともかく、気にすんな」
そう言いながら竜也さんは私の頭に手を置き、葉の一つを引き抜いた。ちくり、と痛みが走る。
彼がこうするときはだいたい私の葉っぱがさらに増えた時だ。
「いや、まぁホントヤバいとは思ってたんだ。あの時みたいにお前の頭から不運の糸の束が吹き出た時はな」
竜也さんは思い返すように目を瞑る。
「結果的に被害を受けたのは向こうだけだった。雨すら俺たちを不自然なまでに避けて通った。一体全体どうやったんだ?」
「……私も、あのときは朦朧としてたから……わかんないです」
竜也さんは腑に落ちない顔をしていたけど、まぁいいさ、と私の頭を一撫ですると、私の手をとって出口へと歩き出した。
私も手を握り返して後を追う。
……わからないというのは嘘。私の能力は私と私の持ってるモノについては巻き込まない。
巻き込むようならあの時、固定された万力か私自身が巻き込まれ、どちらにせよ竜也さんと会うことはなかったはず。
竜也さんを私のものと認識して、ぎゅっと握りしめていたから巻き込まれなかったのだ。
そんなこと、口に出せるはずもなく……。代わりに腕にぎゅ、と抱きついた。
「どうしたんだ?」
「んーん、こうしたくなっただけ」
「そうか」
次の試合はどうなるだろう。私は役に立てるだろうか。また足を引っ張ったりはしないだろうか。
期待と不安を胸に、また新たな一歩を踏み出す。
Side:Itokiri
部屋を出ると、ちょうど隣の部屋から黒髪ポニテの長身女性が出てきたところだった。今回の相手のニアヴだ。
「あー、なんだ。対戦ありがとうございました、とでも言うべきか?」
「ハッ! 馴れ合いなんざするつもりはないよ。今度やり合ったら私達が勝つ」
そう言ってニアヴは中指をおっ立てる。
相方のトレエはやはり見当たらない。視線を彷徨わせているとゆきが袖を引っ張る。
「もうひとり、天使さんなら悪魔さんの隣りにいますよ」
そう言われても見えないものは見えない。試合中も見えなかったし、そういうものなのだろう。
「『相方のニアヴがすみません、私が責任を持って改心させるので』ですって」
「まぁ気にしちゃいないが……」
一方ゆきの発言を聞いたニアヴはいわゆるタブーワードを口から漏らしながら憤怒の形相でスマホをぽちぽちしている。
隣りにいるなら口で言うのが早いはずだがわざわざスマホを使うということは彼女にも認識できないのだろうか。
何にせよ、奇妙な対戦相手であった。次やり合ったとして勝てるかどうかはわからない。
だが、今回は勝った。その事実を噛み締めながら、軽く会釈してその場を後にした。
Result
運命の機織り達(フェイトウィーバーズ) ○ ―― × 現世からの余り物