アタシは、普通に生きていけなかった。
だからせめて、人を傷つけても平気な人間でありたかった。
それすら叶わない中途半端なアタシは、一人で膝を抱えることしかできない。
(人生を変えたい。もう一度、やり直したい)
人を傷つけるのも、人に傷つけられるのも、もうこりごりだ。
ソウスケにどんな思惑があったとしても、アタシはそれを出し抜いて、五億を手に入れてみせる。
アタシは、人生をやり直すんだ。
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一回戦、前日。
新宿。"AGAIN"事務所にて。
切実な動機を胸に秘め、英コトミは自らの出番を待っていた。
目の前ではコンビを組むことになった片割れ、仙道ソウスケが思索に没頭している。
「……どうするつもりなんだよ」
その思考に割って入る形で、コトミは沈黙を破った。
聞かずにはいられなかった。
「何をだい?」
「しらばっくれるな。『お相撲』のことだよ」
コトミたちが参加を決めた大会「イグニッション・ユニオン」。
そこで対戦の決まった相手「お相撲ブラザーズ」。
彼らの本業は魔人ハンター。社会に仇なす魔人を狩る仕事。
闇で商売をするならば、知らぬ者はいない名だ。
この世界では「闇で遊びすぎると"力士"が来るぞ」とおとぎ話のように語られる存在でもある。
仕事の規模を決める際には「"力士"が来ない程度にとどめよう」などという符号にも使われる。
"AGAIN"は魔人犯罪者だが、極端に足のつかない方法で儲けていることと、何よりほとんど人を殺していないことから、幸い、まだ彼らに狙われるには至っていない(正確には六人殺しているが、すべて身内だ)。
「最近だって『伊賀の虎』が急に姿を消した。あんな手練れがだよ。『お相撲』の仕業に決まってる」
コトミはまくし立てた。大会への参加を、ほんの少し後悔しかけているほどだった。
「どうやって勝つつもりなんだよ。『力士』に」
「なるほどね」
だが、ソウスケの表情は些かも変わらなかった。
この男の顔に張り付いた笑みは、「力士」ですら変えることはできないというのか。
「確かに力士はバケモノだ。人とは思わないほうがいい。あれは、人類が『チャンコ』によって進化・変貌した何かだ」
「そうだろ」
「だから何だい?」
ソウスケは椅子の背もたれに体をあずけ、大仰に脚を組んだ。
それは彼が人を信用させようとする時にする態度のひとつだったので、コトミはわずかに吐き気を覚えた。
「繰り返そうか? 前にも言っただろう」
ソウスケは言った。
――「勝てるさ」
――「僕たちは、相手より強くある必要はない。勝つことができればいい」
――「だったら、手はいくらでもある」
「方法については追って伝えるよ。必要な時に、必要な分だけね」
「……チッ。たいした自信家だな」
「ああ。後で言わせてあげるよ。『心配して損した』……ってね」
ここまで話して、コトミは理解した。
……ソウスケは、きっと勝利するだろう。
ソウスケの人間性は全く信用していないけれど、目的を達成することに関しては、誰よりも信頼している。
コトミは自分の不安が消え始めているのを感じた。
同時に、ソウスケによって安心させられている自分に、少し嫌気がさした。
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同刻。
同じく真剣な悩みを持つ力士、レオナルド・青雲海は先輩力士のもとを訪ねていた。
「えーーーーーーーっ!! それって、プロポーズしたのに回答が保留みたいなもんじゃないのよぅ!」
「そうなのです」
レオナルドは出された茶をぐっと飲み、目の前の相手を見据えた。
――大関・ミセス若乃穴。
文句なしの相撲の実力に加え、角界一の情報通。
さらには高潔な人格者でもあり、あらゆる力士の悩み相談に乗るほどである。
男性でありながら「ミセス」の称号で親しまれることからも、彼の慕われぶりがわかるだろう。
「んもう、相変わらず、勝正ちゃんったらお堅いんだからァ」
「はは……僕の伝え方も、良くなかったかもしれませんから」
レオナルドはあの時、確かに言った。
――「結婚してくれ」
多少の驚きはあったにせよ、その意図するところは勝正にも伝わった……はずだ。
しかしその後の会話は「イグニッション・ユニオン」参加に関することにすり替わり、最終的に彼は
――「フン」
とは口にしたものの、それで了承したのかは明言されていない。大会参加をOKしただけかもしれない。
……誤魔化されたのだろうか?
あの厳格な兄が、そんな「逃げ」の会話をするだろうか。
仮にも一度は横綱を目指した男が。
「……言葉が強すぎたのかもしれないわね」
ミセス若乃穴は、煙草の煙をフゥー、と深く吐いた。
「強い……とは?」
「何の前触れもなく、突然『結婚してくれ』って言ったのよね? それは、立ち合いから完璧なぶちかましを相手に食わらせるのと同じことよ」
「なんと」
「『結婚しよう』って言葉はね。ある意味で『殺す』という言葉と同じくらいの強さがあるのよ。『一生を共にしよう』ということは『それまでお前を生かす』ということだものね」
「…………!!」
「突然強い言葉を受けた者は、一瞬とはいえ頭が真っ白になってしまうものなのよ。意外なタイミングだったなら尚更」
「僕のプロポーズが……間違っていた……?」
「そうかもね」
ミセス若乃穴は顎に手を当て、艶っぽくひと息ついた。
「フ、若さって……羨ましいわね。そういった暴走気味なとこまで含めて、アタシは好きだけど」
「しかし、失敗しては意味がありません」
「……いい?」
ミセス若乃穴は大きな瞳でまっすぐにレオナルドを見つめ、
「相撲とは、男と男が巨大感情と巨大質量をぶつけ合う競技よ」
「はい」
「あなたは力士同士でありながら、巨大感情だけを先に投げつけてしまった」
「…………」
「感情と感情は、うまくぶつかれるかも分からない。相四つかもしれないし、喧嘩四つかもしれない。『強く当たって、あとは流れで……』なんてワケにはいかないのよ」
「……!!」
「なるほど……なるほど。僕は、急ぎすぎたのかもしれない」
「目が変わったわね……レオナルド」
「ありがとうございます、ミセス関。まだ僕にもできることがある気がします」
「次は、しっかりと組み合って見せる。心も、体も」
頭を下げてレオナルドはミセスの部屋を去った。
それを見送り、ミセス若乃穴は目を細めるのであった。
「未来を開きなさい――光ある若者よ」
そして、決戦当日がやってくる。
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<イグニッション・ユニオン>
【一回戦】図書館
"AGAIN" V.S. お相撲ブラザーズ
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ところ狭しと並べられた、背の高い本棚の群れ。
色とりどりの背表紙に並んだタイトル群はすべて鏡文字になっており、ぱっと見ではとても読めそうにない。
ここが……「鏡の世界」。この大会で戦場となる、ちょっとした異世界。
コトミは軽く周囲を見渡し、状況を確認する。ここは二階のようだ。これは僥倖といえた。
まずは敵の動きを確認することこそが肝要だからだ。……ソウスケの作戦通りにいくのだとすれば。
「おい、これでいい……んだよな?」
「ああ。まずは敵の移動先をよく見ておいてほしいかな」
コトミは図書館二階のテラスから、一階をのぞきこむ。相手に場所がバレても構わない。
それよりも相手の場所を把握することを優先しろ。それがソウスケの事前指示だった。
しかし、力士というからもっとズシンズシン動くものだと思っていたが、そうでもないらしい。
敵の移動音がほとんどしないのは面倒だった。それでも……テラスからの観察で、敵影を捉えることはできたが。
「じゃあ……行こうか。コトミは外人のほうを頼んだから。くれぐれも死なないでね?」
「チッ。アンタこそ大丈夫なのかよ」
「そこはうまくやってみせるさ」
コトミに背を向けて去りながら、ソウスケは片手を上げて余裕そうに親指を立てた。
「『力士』だろうが……この分野で僕に勝てるはずは、ないんだからさ」
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「……む。敵が動いたか」
兄・東海龍勝正は二階にいた敵コンビが移動し始めたことを察した。
平常心を保ち「チャンコ」を空間に張り巡らしていれば、相手の位置は容易にわかる。
これは力士の、人間に対する圧倒的アドバンテージと言えるだろう。
お相撲ブラザーズは、いつも通り距離をとったフォーメーションをとる作戦だった。
すなわち、前線に刀使いの勝正、後衛に弓使いのレオナルドを配置する戦術だ。
勝正の背後ではレオナルドが二階に向かっている。高所を抑えるのはスナイパーの基本である。
そして敵の動きは……一人は二階に残っている。もう一人は、こちらに近づいているようだった。
(両方とも一階に降りてきてくれたほうがありがたいが……各個撃破すれば関係ないか)
そのように考えつつ、勝正は接近してくる敵を、警戒しつつ待った。
接近しなければ何もできないのは、こちらも同じだ。ならば万全の態勢で待つのが良い。
やがて姿を現したのは、長い金髪が特徴的な長身の男だった。
「やあ」
男は片手を上げて挨拶した。表情は、余裕に満ちた薄ら笑い。
すぐに勝正は異変を感じた。
(この男――チャンコに乱れがない!?)
チャンコはいかなる人類にも宿っている。微弱な電波のように、その者を覆っているものなのだ。
徹底的に鍛え上げた力士ならば、他者のチャンコを感じることは難しくない。
概ね、心理状態によってわずかに揺れながら拡散していく。そんな形のチャンコが多い。
だが、勝正が見たこの男……仙道ソウスケのチャンコは、これまで見たものとは一線を画していた。
「東海龍……勝正、さんだね? まあ緊張しないでよ。ちょっとおたくとは、腹を割って話してみたくてさ」
「話……だと?」
ソウスケが近づいてくる。片手で、並ぶ本棚をタン、タン、タンと触りながら。遊ぶように。
(……どうなっている?)
今は試合中だ。一流の力士である、この勝正と容赦なき真剣勝負をする局面なのだ。
この距離ならば、勝正は、自慢の刀の斬り下ろし一閃で勝負を決めることもできる。
だというのに。
「ここから―― ここまでってとこかな」
タン、タン、タン。嬉しそうに本棚にタッチする。
目の前の男は、恐怖などないかのように平然と歩を進めてくる。依然、チャンコに1ミリの乱れも無し。
百戦錬磨の勝正とて、初めて経験するタイプの相手だった。
「いや、僕の相方……コトミちゃんなんだけどね。可愛いし腕は確かなんだけど……学がなくって。本を読んでくれたらなあ、と思うんだよね」
ソウスケがやわらかな声で話す。その内容が嘘か本当か、わずかたりとも分からない。
「……何の話だ」
「最後まで聞けばわかるよ。だからさ、僕は思うんだ。この世界、教養はあればあるほどいい。だから僕は彼女にこれらの本を全部――」
「――プレゼントしよう、と思うわけだ」
ーーーーーーーーーーーー
「――プレゼントしよう、と思うわけだ」
それが合図だった。
ソウスケの声は、二階にいるコトミにもすべて聞こえている。
"心覗の嗜み"。携帯電話を生み出す能力。
ソウスケとコトミは一台ずつのデバイスを持ち、常に通話状態にすることで互いの状態を把握している。
そして、ソウスケから「合図」があった場合、即座に反応できるようにもなっている。
つまり。事前に取り決めてあるのだ。
ソウスケがコトミに「何かを渡す」類の発言をした場合、即座にコトミが能力を使用する。
――"印鑑不要の現実"。
あらゆる手順を省略してコトミのもとに物質を転送できる。
そして先ほど、ソウスケがコトミにプレゼントすると言っていたのは……。
「ったくよー、学がなくて……悪かったなァッッ!!」
コトミが手を前に構えた。するとそこから一瞬にして――巨大本棚6個ぶんの蔵書が現れる!!
「なん……だって!?」
コトミの目の前で驚愕しているのはお相撲ブラザーズの弟、レオナルドである。
二階にきて狙撃位置を確認していた彼は、想定よりも早くコトミと出会った。
慌てて対応しようとしたところで、これである。
いくら力士とて、何の前触れもなく現れた圧倒的質量の本の津波を前に、抗いようもない!
ズ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ……
こればかりはどうにもできない。レオナルドは本の波に流され、勝正をサポートできる位置からかなり離されてしまった。
「ふん、ざまあ」
そしてそれを、コトミが追ってくる。レオナルドは彼女の相手をしなくてはならないだろう。
つまり――ソウスケとコトミは、この作戦によって、お相撲ブラザーズの「分断」に、完全に成功したのだ。
局面は二つ。ソウスケVS勝正。
そしてコトミVSレオナルド。
ーーーーーーーーーーーー
「はは、どうやら上手くいったようだ。……といっても、ここからじゃ何が起きたのか見えないけれどね」
「何だと……貴様、何をした」
「さあ。考えてごらん」
引き続き向かい合う、ソウスケと勝正。
どうやらこの相手は油断ならん。勝正は警戒を強めた。
……正確に言うと、ソウスケによって警戒を強め「させられた」。
実際のところ、勝正の最も早い勝ち筋は、己の身体能力にまかせて、刀でさっさと切り伏せてしまうことだ。
戦闘力に限れば、勝正が圧倒的に上回っている。それは間違いない。
しかしソウスケの話術と不可思議な挙動が、彼からその選択肢を奪っていた。
迂闊な行動はできない、と思わされているのだ。
「……薄気味悪い相手だ」
「そりゃどうも」
勝正は正直な胸の内を吐いた。
常に真正面から正々堂々を旨とし、公衆の面前やいかなる冠婚葬祭でもマワシ姿を譲らない高潔なる力士からすれば、ソウスケのようなタイプは不気味と言われても仕方ないところであろう。
「薄気味悪いついでに、もう少し話に付き合ってよ。聞いてみたかったことがあるんだ」
「話だと?」
「そう。戦いを前に、君たちについて調べて回るうちに、どうしてもわからない事があってね」
「話ならば後にせよ。今はこの場で正々堂々と、戦いを――」
「それは駄目だ」
立ち合いの構えを取ろうとした勝正を、ソウスケは制した。
「この質問の答えなしに、戦いなどありえない。それだけ重要なことだからだ。つまり」
「……?」
「東海龍勝正。君はなぜ、この大会にエントリーした?」
「ああ、そのことか。それは弟が……」
「相方のことはいい。そうではない。なぜ『君が』ここにいるのか。そういう質問さ」
「…………」
勝正の動きが、止まった。
「即答できないのかい? この問いに答えをもたないのに、力づくで目の前の僕を殺そうと?」
相手の精神的脆弱性を突き、手のひらの上で転がすように話を続ける。
そうして相手の心にわだかまりを作れれば、反応や判断力など、戦いに必要な力の何割かは奪うことができる。
「いやむしろ……戦う理由すらもおぼろげなら、ここで僕らに勝ちを譲ってしまったほうが、利口なんじゃないのかい?」
ソウスケは語りながら、流れるように自然な動作で拳銃を取り出した。
「さあ」
驚かれる方も多いだろうが、拳銃は対力士において有効な武器である。
チャンコによるガードを完全に固めた状態ならば力士は銃弾にも耐えるが、逆に言えば、そうでなければ仕留められるということ。
ソウスケが銃口を勝正に向ける。
一瞬遅れて、勝正がそれに反応する。
――そして、銃声。
ーーーーーーーーーーーー
「これから、あんたを殺すワケなんだけど」
時を少し戻して、本による津波の直後。
英コトミはつとめて自然に、レオナルドに対して通達した。
――なるべく強い言葉を選べ。
これは事前にソウスケから受けたレッスンの中でも重要なものだった。
一瞬でいい。どんな「揺れ」でもいい。相手の心を動かせる言葉には価値がある。
だから「殺す」という言葉選びは正解だ。それがいかに空虚で、実現性のないものだったとしても。
「……殺す、って?」
「そのままだよ。だけど」
事実、レオナルドはこれに反応した。こちらの言葉に興味を持たせてしまえば、あとはいかようにも相手の心理を誘導できる。それがソウスケの魔性の話術。
……とはいえ、そのすべてを、この短期間でコトミがモノにできたわけではない。
ここから先は己の口先頼りだ。少々頼りないが……ここは。
「その前に、あんたに聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと……?」
相手の心を揺らす、という目的に照らした場合、「素直」にいくべきだろう。
つまり自分の本音でぶつかって、相手を揺り動かそうというわけだ。
まるで相撲だな。コトミは心中で自嘲した。
コトミの本音での、レオナルドに対しての疑問。
ある種失礼なくらい踏み込む話だが、戦闘中だからこそ許される話題というものがある。
つまりこうだ。
「あんた……なんで力士になろうと思ったんだ?」
それは、コトミにとっては自分自身に向けたような疑問。「お前はなぜ今、こうしているのか? 後悔はないのか?」と。
「詳しくは知らないけどさ……、あんたの国だとメジャーじゃないだろう、相撲。その恰好だって、変に思われたんじゃないのか? あんた顔もいいし、背も高い。他にいくらでもできる事あったはずだって、他人から言われたんじゃないか。それでも相撲を選んだ……ってことなんだろ?」
「…………」
拙い、まくしたてるような疑問の数々に、レオナルドは目を閉じた。そして、
「……ごめんよ」
と、謝った。
「え?」
思わぬ返答に、逆に動揺してしまうコトミ。しかしレオナルドはその隙を突くことはせず、こう言葉を繋いだ。
「君の思うような立派な回答を、僕は持っていない」
「ど、どういうことだ」
「適当だからさ」
「は?」
「最初は、なんとなくカッコいいと思ったからだった。ジャパンっぽくてハイセンスだと思ったよ」
「……そんな、軽い……」
「軽いだろう。当然、そんな理由じゃ続かないさ。やってみると痛いしね。しばらくして理由が変わった」
「何?」
「負けたくない、と思ったんだ。誰でもいい、目の前の相手に、負けるよりは勝ちたかった」
「それは、そうだろうけど」
「もちろん、この理由も長続きしなかった。大変だよね、続けるのってさ」
「い、今は……?」
コトミは思わず言葉を挟んだ。それほど理由が変遷するというなら。今は。
マワシ姿が似合っていないのも織り込んだ上で、カッコよさでも、負けたくないからでもなく、
それでもなお続けるという理由は何なのか。
レオナルドの、答えは。
「隣にいたい人がいる」
レオナルドは、笑った。
それを見て、コトミは。
落胆した。
「な……んだそりゃ……」
「? お気に召さなかったかな。まあそうだよね、こんな軽薄な生きざま……」
「そうだな。全くその通りだよ」
納得がいかなかった。
そんなの、運が良いだけじゃないか。
たまたま、隣にいたいような素晴らしい人物が、あんたの人生に現れただけ。
アタシは。今のアタシには……「あんなヤツ」しかいないというのに。
「でも、今度の理由は本気なんだ。結婚も考えているんだよ。式は――」
「もういいよ、アンタは」
コトミは覚悟を固めた。幸い、相手は油断しきっている。会話の目的は達せた。
「この試合、もうおしまいにしよう」
そう言ってコトミは、丸腰のまま、手を前に。
レオナルドはいぶかしむ。
「……何だ?」
そう言い終わるかどうかのタイミングで。
コトミの手の中に、拳銃が出現した。
ーーーーーーーーーーーー
また時を少し巻き戻し。ソウスケと勝正。
「……まさか、今のを耐えるとはね」
「…………不覚」
銃声は二度あった。銃弾だって無料ではない。だから狙いは頭と心臓だけに絞った。それで二発。
そして銃弾は二発とも命中した。だというのに。
目の前の力士は存命しており、意識を失ってすらいない。
おそらく咄嗟の反応で、重要な臓器のいくつかにチャンコを集中させたのだろう。
「相手が銃とはいえ……傷を負ったのは何年ぶりか、だな」
勝正の目は死んでいない。おそらくもう油断してはくれないだろう。
拳銃による勝正殺害プランは失敗したということだ。
ソウスケはその事実を静かに、しかし確かに認めた。
現実を正しく認識することも、戦術立案には欠かせない能力だ。
「いや、まったく大したものだ。これでこっちは、『番狂わせプラン』しかなくなったワケだからね」
「番狂わせ……?」
「オスモウではそう言うんだろう? 予想外の下剋上が起きることをさ」
最初、勝正は相手が何をするのかわからなかった。
だからまず自分の防御を固めた。だが目の前の男はヘラヘラ笑うばかりで、こちらへ銃を撃つ様子を見せない。
とすれば?
「この銃は、もう僕には必要ないんだ。次のプランではね。だからこれを――」
ソウスケはそう言うと銃を上に向かって放り投げた。
「――コトミちゃんに、あげようと思う」
そして銃が、姿を消した。
ーーーーーーーーーーーー
「――コトミちゃんに、あげようと思う」
通話状態のデバイスからその声が聞こえると同時。コトミが能力を発動する!
――"印鑑不要の現実"。
コトミの手の中に、無から拳銃が出現した。
同時、間髪入れずに引き金を引く。三回。
この不意打ちは、拳銃がすでに見えていた勝正の時とはレベルが違う。
無から拳銃が現れ、それと同時に発砲しているのだ。
「――……!!」
レオナルドには対応する術がない。チャンコの防御も間に合わない。
コトミの銃の腕は拙いが、それでも、胸を狙って三発。どれでも当たれば致命傷だ。
意識でも失えば、試合はあっという間に決まってしまう。
万事休す、か――!
と、思われた、その時。
ゴ ゴ ……ン
「!?」
「何?」
「これは……」
図書館の建物全体が大きく揺れる。三人の人物が意外そうな声をあげる中、
力を振り絞り、能力を発動する一人の力士がいた。
東海龍 勝正の魔人としての能力。
――地遁の術。
一階の床を大きく揺らすことで、局地的な地震を起こしたのだ。
建物の揺れは、拳銃の狙いのズレを引き起こし。
レオナルドは、肩に三発の銃弾を受けた。
「……ぐうっ!!」
痛みに顔をしかめる。しかし……存命!!
「や……るね……今までの会話は全部、注意をそらすためだったってわけかい」
「そういう……コトだよ」
じり、と一歩踏み出すレオナルド。一歩下がるコトミ。
弾丸はまだある。だが、もはや油断を捨てたレオナルドを相手に、まともに命中させられる自信はなかった。
自分はこれから、この頼りない銃一丁だけを武器に、力士と戦わねばならないのか。
相手が手負いとはいえ、あまりに無茶に思えた。
「……ふ」
と、その時。レオナルドは薄く笑い、息を吐いた。
「安心しなよ。これから君を、相撲で傷つけるようなことはしない」
「な、なに言ってやがる。決着がつかねえだろ……」
「傷一つつけずに、勝って見せるさ」
「はぁ? ギブアップなら、しねえぞ」
「ああ。それでいい」
レオナルドは思ったのだ。さっきの問答、彼女は本気だった。
そんな本気の疑問をぶつけてきてくれたコトミを、むざむざ傷つけたくはないと。
レオナルドは両手を合わせ合掌した。能力を発動する。
――天遁の術。
建物の「天井」を操るこの術の力で、二階の屋根の一部が下りてきた。
天井のあった箇所は穴となり、空が見えている。
そして下りてきた「天井」は嫌がるコトミをつかむと、たちまち空へ放り投げてしまったのだ。
「リングアウト……だろう? これで」
「なっ……簡単に……やりやがって……!!」
すぐにコトミは落ちてきて、図書館の中へ着地した。だが、一度リングアウトしてしまった事実は変わらない。
「簡単ではないさ。魔人能力を使うたびに……僕たちは、プライドを捨てなけりゃならない」
「それは力士としての……か?」
「ああ」
能力に頼って戦う者は力士ではない。
相撲で戦うからこそ、力士なのだ。
ーーーーーーーーーーーー
「さて……と」
痛む肩を押さえながら、レオナルドは立ち上がった。
「何だおい、試合は終わりだろ。どこ行くんだ」
「下の階さ。どうしても、君の相方と話しておきたいことがあって」
「はぁ?」
「君は……ここで待っていてくれればいい。内緒の話なんだ」
「内緒? お前がアイツと? 何なんだよ」
「ごめん、言えないんだ。言うなれば……乙女の秘密ってやつさ」
レオナルドは投げキッスをひとつ、その場に残すと、一階にいるソウスケのもとへ向かった。
「……何が乙女だよ。あの巨体で……」
言ってから、コトミはそれが失言であることに気が付いた。
自分のベリーショートの髪型や、男らしいファッションをバカにしてくる奴らと同じ考え方だ。
アタシは、アタシがカッコいいと思ったものを好む。
レオナルドも、同じなんだろう。
西洋人が。
常にマワシ一丁で。
相撲と言いながら弓を使い。
あげくの果てには乙女を名乗る。
「……なんだろうな。あいつ。ギャグみたいな存在のくせに……」
「……本気なんだよな」
だからだろうか。今、コトミはあまり嫌な気はしていなかった。
あいつは、あいつでいることを、後ろめたいとか思っていないんだろう。
「アタシが悩まされた世間とかいうものに……あいつは既に勝ってる」
コトミは、誰に言うでもなくつぶやいた。
「アタシも……そうならなきゃ、いけないんだ」
ーーーーーーーーーーーー
レオナルドは考えていた。
ミセス若乃穴の助言。あれは正しかった。
「……言葉が強すぎたのかもしれないわね」
「『結婚しよう』って言葉はね。ある意味で『殺す』という言葉と同じくらいの強さがあるのよ」
「突然強い言葉を受けた者は、一瞬とはいえ頭が真っ白になってしまうものなのよ。意外なタイミングだったなら尚更」
まさに自分がこの試合、「強い言葉」に振り回されてしまった。
突然「殺す」と言われて混乱しなければ、銃撃を受けることもなく、もっとスマートに決着できたはずだ。
なのに自分は相手の会話に乗り、ずいぶんと時間を稼がれてしまった。
相手の作戦通りに動いてしまったということだ。
この作戦を考えたのはコトミではない。おそらくもう一人の男……ソウスケのほうだろう。
ならば聞かなくてはならないことがある。
言葉の魔術師である仙道ソウスケに、絶対に聞いておかなくてはならないことがある。
「……いた! ねえ、お兄さん。聞きたいことがあるんだけども」
「何だい、無様な敗者に気遣いは無用だよ」
既に場内のアナウンスで敗北を知っていたソウスケは面倒そうにレオナルドを一瞥した。
「いや。貴方を心理戦の専門家と見込んで、どうしても頼みがあるんだ。教えてほしいんだよ」
「教えてほしい? 何をだい」
レオナルドは、先ほどまで殺し合いをしていた相手に対するとは思えぬほどやわらかに笑い、言った。
「効果的なプロポーズの言葉、さ」
一回戦 了