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Mic check one two………


All right !!


TEAM "DAFT PUNK !!"
1st session……


【Episode:01-Thank you, my twilight】
———feat. Rin&Yoni



◇◇◇


 『———東京FMが午後三時をお知らせします』

 ラジオの放送が、ふと耳に入った。
 今日はなんでもない日。
 特別な事なんて何も無い、小雨の降る昼下がり。
 リンの希望でサンドウィッチを作った。とびきり大きなパンで、ロブスターにトマトとバジルのソースを豪奢に使った、食べきれないほど大きなロブスターロールを。
 やはり、と言うか当然、食べきれない大きさを食べ切れるはずもなく。おまけに食べるのが下手なリンは、ボロボロとカケラをランチョンマットにこぼしていた。

「———リン、大丈夫ですか?」

「ヨニうるさ〜い! ご飯くらい一人で食べれるよ!」

「無茶しないでください……私が手伝いますから」

 結局、半分は残して私が食べることになるのだ
 私は上手に食べる、美味しそうに見えるように。

「ヨニ知ってる〜? ロブスターって寿命が無いから、永久に生きられるんだよ。でも殺されちゃうから、死ぬんだって」
「まぁでも無理だよね、ロブスターは美味しいから。そう知ってても、私はやっぱり食べちゃうね」
「そうですね」

 私は咀嚼したロブスターを胃に収める。
 食事も、睡眠も、とうの昔に必要なくなってしまったと言うのに。滑稽だが、人間らしくするために私はそんな『生きるフリ』を行っている。

『———続いてはスポンサーからのお知らせです、来月開催の闘技大会、イグニッション・ユニオンについて———』

「ヨニヨニヨニ! 五億だってよ! これ出よ!? 出るでしょ!? ねぇ出るって言って〜!!」
「良いと思います、でも続きは食器を片付けてから」

 強い恨みや妬みを持って死んだ者は、生ける屍としてこの世をさまようことになるらしい。中国では、こうした動く死体をキョンシーと呼ぶ。

 清廉のキョンシー・ヨニ、それが私の名前。

 彼女を肯定し、付き従うだけの死体。

 人間のフリをした醜い肉人形。

 それでも昔、私は人間だった。


◇◇◇


 ———20XX年5月10日 (水) PM 12:00
 転校生鏡助が魔人能力【虚堂懸鏡(きょどうけんきょう)】にて生成した鏡の世界。その26のフィールドから天運(ダイスロール)で選ばれた場所こそが本戦に辿り着いた猛者達の戦場となる。

【イグニッション・ユニオン】

1回戦 第7試合
ザ・人間ズ VS ダフトパンク

 彼、彼女らの戦場はスタジアム、邪魔者無し、本来の世界においてはベースボールスタジアムとして使われるその場所は、無敵の称号を巡って戦うのに十分な戦場となり得るだろう。
 しかし、辿り着いたトウマとナミタが見たのは『本来有り得ない』異様な光景だった。

「……何だ、これは」

 大賑わいのスタジアム入り口は野球帽、メガホン、ユニフォーム、これから野球観戦に行きますと言わんばかりの人々でごった返していた。
 そして、等間隔に並べられた宣伝用のフラッグには達筆な文字で『ザ・人間ズ VS ダフトパンク 間もなく開戦!!』と記されていた。

「一応、俺たち二人の認識を確認しておくが」

「う、うん」

 トウマは大きくため息をつく。

「鏡の世界には、俺達と対戦相手以外の生物はいない、説明通りならな」

「にも関わらず、この大群衆」

「運営側の手違いがあったなら試合は中断。イグニッション・ユニオンは試合がリアルタイムで中継されているからな……だが現状は野放し、想定外のことは起きていないんだ」 

「じゃあ、これも魔人能力?」

「そうだと思った方が良いだろうな」

 トウマは使い込まれたバットを、ナミタはペットボトルを詰めた大きなサックを。身の回り、装備に加えて自分達に何か変化が起きていないか確かめる。

「まぁ、細かいことを気にしてても始まらないだろう、行こうぜナミタ」

「……うん」

 二人は静かに拳を打ち合わせる。そして、人波をかき分けるように、スタジアムへと入ってゆく。

「……なるほど」

 目の前に広がっていたのは、満員となった観客席に囲まれたグラウンド。エントランスはどこか、入り口と観客席の中間に存在する廊下や、本来あるべき建築物としての構造を無視している。

 そして周りにいた観客は蜃気楼のように消え、門を潜れば、次元を跨いだように中へと辿り着いた。
 トウマは舌打ちをする。

「欠陥だらけだ、ここの建築士は建物を初めて建てたのか?」

「そうなの……?」

「そんなわけないだろ、皮肉だ」

 それはまるで、トウマとナミタを出迎えるためだけに歪められたような。

「やっと来たね! 待ちくたびれたよ!」

 グラウンドの中央、盛り上がったピッチャーマウンドに彼女は立っていた。
 腰まで伸ばしたブロンドヘア。小柄だがどこか浮世離れした美しさを感じさせる少女、忘れっぽい天使・リン(リン・ザ・エンジェル)
 その側には、対照的にすらっとした切れ目の女、清廉のキョンシー・ヨニ(ヨニ・ザ・セイレーン)
 おそらく今回の対戦相手の『ザ・人間ズ』。二人はお揃いの赤いユニフォームに身を包んでいた。

「これは闘技大会だよな、何なんだこの有り様は」

「眼鏡の少年! 想像力が足りないよ!」

 トウマが睨み付けるのにも構わず、リンは意気揚々と答えた。

「一つ、ここはベースボールスタジアムだね? 故にここで行われるのはもちろん野球!」

「二つ、私達はダフトパンクという『チーム』と戦う」

「三つ、故に決着をつけるなら野球しかない!」

「野球……したいよね!? 観たいよね!?」

 その言葉に観客席から盛大な歓声が上がり、唸るようなサイレンと共に球場アナウンスがコールする。

『打順代わりまして、3番、バッター、漆原トウマ、漆原トウマ』

 トウマは大きく息を吐き、静かに舌打ちする。

「……トウマ」

「問題無い、俺は大丈夫だ」

 ナミタは頷き、裏へと下がった。トウマはリンに背中を向けて右のバッターボックスに足を踏み入れ、マウンドに立つリンへと掲げるようにバットを向けた。

「一打席だけ、付き合ってやる」

 再び湧き上がる歓声、球場特有の一体感。人々はメガホンをリズミカルに打ち鳴らし、声を揃えて叫び出す。
 トウマはそれに見向きもしない。静かに、姿勢を整える。両足をガッチリと地につけたオープンスタンス。野球のルールなんて知らない、兄の動きを見様見真似で覚えたバッティング、俺の持つ唯一の武器。

 ———背番号3番、兄と同じ背番号。

「ふふふ、準備はいいかな?」

「来いよ、打ち返してやる」

「その威勢や良し! 私の魔球をくらえ!」

 リンの投球フォーム。ボールを五指で掴み、全身を深く沈め、左脚は極端に前へ踏み込む。腕を大きく振り回し、関節可動域を越える異常なスローイング。
 指先から球が離れる。
 どんな投法にも無いめちゃくちゃな握りにも関わらず、球には強い左回転が掛けられ、浮上したかと思えば落下、再度浮上を繰り返す。
 やがて、見えてきたのは螺旋の軌道。物理原則を無視するような加速で伸び、キャッチャーミットに向かう。
 まるで漫画のような、文字通りの『魔球』。

「捉えられるかな……漆原トウマ!」

 トウマの目には魔球など映っていない、考えていたのは兄のこと。
 どこまで行っても自分は兄の影法師。
 だがその手でトップを狙えと、そう言うのなら。

「やってやるさ」

 そのスイングは的確に芯で魔球を捉えていた。振り抜かれた打球は大きなアーチを描き、コツンと観客席へと放り込まれた。

「難しい球を投げれば良いってもんじゃ無い。ピッチャーが自分をアーティストだと勘違いしたなら、そいつはもうゲームじゃ役に立たないのさ」

「……さて、茶番は終わりか? ザ・人間ズ」

 リンの顔から笑顔は消え、ただトウマを無感情に見つめていた。観客席もそれに呼応するかのように沈黙する。

「んーじゃあ良いや、飽きたよ」

 リンはグローブを投げ捨てた。彼女の着る白いワンピース(・・・・・・・)の裾がくらげのようにふわりと揺れる。

「おかしいね、私達どうして野球なんてしてるんだろ?」

「これって闘技大会だったよね、なら『バトル』をしないとね、忘れてたよ」

 リンは機械のように淡々と告げる。豹変、先程までの無邪気な少女が全て嘘だったかのように切り替わった。
 彼女の秘匿された異常性。小さな変化だが、どこか致命的に人間性が欠陥している。

「ほわちゃー!」

 気の抜けた発声と共に、リンは構えを取った。
 左半身を前に突き出し、両手の掌を広げた奇妙な構え、中国拳法「もどき」。カンフー映画に影響された子供のモノマネのようで、傍から見れば酷く滑稽に映る。
 だが、次の瞬間リンの姿はトウマの視界から消えた。

「———ッ!!」

 殆ど反射的に行った防御がその拳を受け止めていた。金属バットを介しても尚重い衝撃。腕が痺れ出す。

「インチキ魔球の次はインチキ拳法かよ……!」

「やー!」

 リンが再び拳を振るい、トウマは金属バットで合わせて凌ぐが、大きく弾かれる。更に追撃のキックを即座の切り返し、間一髪受け止める。
 たった三発の攻防、しかし冷や汗が止まらない。
 先ほどの構えは偽装(フェイク)か? 否、むしろ素人同然なのは明白となった。乱雑に振るわれるパンチ、腰も入っていないキック。拳の握り方すらもおぼつかない有様だ。
 なのに、その貧弱な打撃は何故か重いのだ!
 少女の細い腕が、まるで油圧式パワーショベルのような破壊力で襲いかかる、あまりにも不条理な暴力。

「その骨と筋肉じゃ、どう逆立ちしたって反動で四肢が砕けちまうだろうに……それも魔人能力か」

 『型』のような、武術の体系に則ったものではない。それ故に予備動作は存在せず、めちゃくちゃな拳と蹴りは間髪入れずに繰り出される。しかし全てが恐るべき威力、喰らいながら反撃する選択肢は存在しない。
 あらゆる『矛盾』を無理矢理丸め込んだ最悪の格闘能力に、トウマは防戦一方となる。

「やあ!」

 リンは強く地面を踏みつける……おそらく震脚のつもりか。太極拳などの、地面を踏みしめる力を掌底へと流す為の所作。
 リンは、それにより文字通り地震を引き起こした(地面を揺らした)

「震脚は……地震起こす技じゃねーだろ!!」

 トウマの防御姿勢は無理やりに引き剥がされる。まるで『震脚は本当に地面を揺らしている』というリンの勘違いを叶えるように。

「とー!」

 その隙は見逃されない、振りかぶられた大振りのパンチ、トウマは防ぐにも避けるにも後が無い。

「ナミタ、今だ」

「わかった!」

 突然の通り雨のような放水、グラウンドの地上用散水システム(スプリンクラー)だ。別行動をとっていたナミタは、スタジアム内にある水源や放水装置を探し回っていた。

「ぶひゃっ!」

 リンは意識を乱され、尻餅をついた。回転するスプリンクラーの放水によって一帯に撒かれた水が土に染み込む。
 彼女はスカートに冷たさを感じながら、立ち上がろうと試みる……が。

「あ、あれ? 何で?」

 体が持ち上がらない。腕で押し上げようと力を込めれば、その大きな力を飲み込むように地面が吸い付く。まるで湿原の底無し沼のように呑まれる、沈む。
 魔人能力『涙を飲んで生きる(Summer Rain Diver)
 時雨ナミタの能力は既に起動していた。

「———捕まえたぞ」

 バッターボックス……ひと繋がりになったグラウンドの土にのみ作用した能力はしかし、ホームベースの滴水性によって水を吸わなかった土はまだ足場として機能する。
 ナミタの能力の仕様を把握しているトウマだけが、この場で的確に動ける。距離を詰め、一撃で仕留める。リンの後頭部へ、狂いなく金属バットがフルスイングされる!
 ガキィン、と鈍い音が響いた。
 人体に当てた感触ではない。

「筋が良いですね」

 ヨニが間合いに立ちはだかる。その両腕は金属バットの速度を殺し、見事に押さえ込んでいた。
 このタイミングでのインターラプト、最悪だ。

「けれどまだ青い、あなたはまだ人を殺したことがありませんね?」

 トウマは力尽くでバットを引き抜き、ヨニの両腕を振り払う。

「ナミタ! 能力解除!」

 濡れた土は既に固まっている。半歩後退、選んだのは大上段から最速の打ち下ろし。

(リンが起き上がる前に、速攻でコイツを退かせる!)

「そして咄嗟の判断も甘い」

 素早い切り返し、だがその軌道上にはヨニはもういない。振りかぶりを見てからたった半歩、体軸を逸らすことでトウマの肘の外に回った。
 すり抜けるように距離を詰め、打ち込みに合わせた掌底が正面から首元を捉える。自分自身の踏み込んだ勢いがほとんどそのまま体幹に返されたトウマは、大きく吹き飛ばされた。

(この女はリンとはまるで違う……武術や、戦闘行動に関する専門知識がある)

 そのあまりに鮮やかな洗練された一撃、見た者全てに理解させる。
 ヨニは本物の実力者だ。

「トウマ!!」

 ナミタは即座に再び地面を軟化させ、落下の衝撃を和らげる。ヨニの追い討ちの牽制……しかし、その隙にヨニはリンを引き上げ、グラウンドの外へと走り出していた。

「一時てったーい! じゃあね!」

 二人の姿はあっという間に見えなくなった。
 追いかけられない。ナミタはトウマに肩を貸して抱き起こすことを優先した。

「……助かったよ。地面が硬いままだったら、頭打ってノビてたかもしれない」

「強かったね、あの人」

 短く言葉を交わす。トウマの中で、方針は即座にまとまっていた。

「隙があるのは常に出たがりのリンの方だ。ヨニは積極的に戦おうとはしないが、あいつはリンのデタラメな能力を気にしながら戦えるような易い相手じゃない」

「性格の問題なのか? まぁ、どうでもいいけどよ」

「とにかく出張ってきたリンを叩く、ヨニのサポートが回るより速く、だ」

「……あぁ、うん」

「ナミタ? どうした?」

 ナミタは考え込む素振りを僅かに見せ、そして何でも無いと首を振った。
 二人はリンとヨニの後を追って走り出す。
 振り返ると、観客席の人影は蜃気楼のように消え去っていた。


◇◇◇


 振り返る、距離は十分離した。
 逃げ込んだ用務室の中、周囲の足音に聞き耳を立てる、問題無し。
 だが、私たちはここで一旦プランを立て直さなければならないだろう。

「リン、なるべく楽しんでとは提案しましたが、過度に前へ出過ぎないでください」

「違うのヨニ、あれ本当に漫画だと誰も打ち返せてない魔球だから大丈夫だと思っただけなの! 格闘技だってジャッキーの映画で勉強したからいけると思って!」
「……はぁ」

 頭痛がしてきた気がして、私はこめかみを押さえた。

「見込みが甘かった……私達は常に彼らの想定を上回って動かないといけません」

「情報を整理しましょう、まず涙目の少年は地面を触って能力を起動しましたね、眼鏡の少年はまだ不明瞭ですが、攻撃方法は物理のみ、飛び道具は無く、能力は近づいた物体に影響を与える物だと考えられます」

「すなわち、彼らは物理的で近接戦に関係した能力、及び戦法を取っていると考えられます」

「私達の強みは柔軟性、近接戦に縛られた相手ならば有利な戦法、中距離以上を保ってる攻撃方法を考えましょう」

「鉄砲とか……?」

「その通り。ただしそこにひとつまみのスパイスを加えて……インスピレーションを働かせるのです」

「あ……あぁ〜〜! なるほどね!」

 彼女は得心いったという顔で膝を打った。

「リン、あなたなら出来ますよ」

 そうだ、彼女はなんだって出来るのだ。

「……そう、あなた一人でも」

 私の助けなど、本当は要らない。
 不意にそんな、暗い感情が湧き出てしまった。


◇◇◇


 スタジアム、バックヤード。
 トウマとナミタはリンとヨニを追って廊下を進んでいた。居場所は不明。常に周囲に気を張り巡らせ、奇襲を警戒する。

「あの無法ぶりだ。どこから現れるか———」

「ここからだよ!!」

 目の前だ。

 何もなかったはずの壁の一部が文字通り回転し、ガパりと開く。そこから現れたのは黒のパンツスーツに身を包んだ金髪のロングヘアーの方、忘れっぽい天使・リン。
 手には拳銃……スライドはグロックに似たのっぺりと凹凸の無い角張った形状だが、ハンマーやサイトシステムが明らかに違う。ついでに本来そこにあるべき薬莢の排出機構も無ければ、グリップやトリガー周りがその小さな手に合わせてか、異様に短く細い。
 その銃は、まるで詳しくない人間が想像で描いたかのように歪で不出来だが、その銃口は避けようの無い距離でトウマを捉えている。

「またインチキかよ!!」

 銃声は2発。トウマはナミタの射線上に割り入るように即座に前へ飛び出し、金属バットを振るう。
魔人能力『トップをねらえ(Aim for the TOP)
 漆原トウマの血判は、半径20mの『意思の無い運動』を引き寄せる。
 金属バットに押された血判は弾道をねじ曲げ、引き寄せられた弾道がスイングの軌道へ収束し、見事に弾き落とす。
 そして、ナミタも同時に動き出していた。飛び出したトウマの側面に回り込み、リンに向けて『ペットボトル』を突き出す。

「戻れ!」

 炭酸ジュースでも吹き出すような勢いでボトルから放たれたそれは、水を吐き出しながら本来の形状を取り戻してゆく。

「うひゃっ!!」

 リンは慌てて顔を逸らし、間一髪で回避。飛び出したそれは長さ2メートルの棒状に復元されると先端には『ザ・人間ズ VS ダフトパンク 間もなく開戦!!』と達筆で記された旗が垂れ下げられた。
 スタジアム前に飾られた宣伝用フラッグ。それをスライム化してボトルに仕込み、能力を解除による復元、元のサイズに戻す不意打ち。
 リスクの高い巨人化以外の戦い方を模索した結果の産物だ。

「まぁ、そんな甘くないよね……!」

「うわーすごいすごい! そんなのもできるんだ!」

 リンは淡々と、述べる。

「まるで『蛇使い』! でも大丈夫? その子あまり君と打ち解けられてないみたい」

「え……?」

 ヌルり、指先の触覚が訴えナミタは即座に気付く。己が掴んでいるのは『宣伝用のフラッグ』ではなく『2m超の青白いニシキヘビ』と言うことに。

「うわぁ!!?」

 驚き、咄嗟に手を離す。床に放り投げられたニシキヘビはチロチロと舌を震わせると、目があったナミタに牙を剥いて飛びかかった。

「ボサッとするな」

 トウマは、その体格割に小さなニシキヘビの頭をバットで叩き潰した。無意識を誘導する能力は小動物相手にはほぼ一方的に作用する、最も今回の闘技大会では有って無いような物だと思われたそれが、ナミタの窮地を救った。

「それでは、皆さんごきげんよう」

 ニシキヘビに意識が逸れた隙に、リンは銃口を上に向けて引き金を引いた。放たれたワイヤーフックは窓に引っかかり、まるでスパイ映画のようにリンの体ごと巻き上げる。
 リンは再び『白いワンピース』を翻しながら駆け上がると窓に細い足を掛け、二人に手を振りながら姿を消した。

「階段だ、回り込むぞ」

 二人は駆け出す、呆けている暇など無い。トウマとナミタは既に理解した。忘れっぽい天使・リンを野放しにしてはならない。

「全く腹立たしいが、あいつの魔人能力は『世界改変』ということになるんだろうな」

「世界の改変……さっきのヘビも?」

「だろうな」

「ワイヤーガンで登っていったあの窓、どうして建物の内側へ向かって取り付けられてる? あの窓を開けたって部屋から見える景色はコンクリートの壁だ、取り付ける意味がわからない」

 不自然に一部だけ極端に高い天井から続く不自然な構造、まるで『ワイヤーガンで上に逃げ込むため』だけに歪められたかのように。
 恐らく、彼女は本当に歪めている。
 一個人の魔人能力が、ここまでの力を発揮することなど可能なのか。制約(ゲームバランス)など存在しないかのように振る舞うリンは一体何者なのか。思考を巡らせながらトウマとナミタは殆ど飛び越えるように階段を上がり、廊下へ突入する。

「Mulde、Felsen、Hubschrauber、Flughafen……」

 先ほどと打って変わって紫のローブを身に纏うリン。彼女を中心に床には魔方陣のようなものが展開され、真剣な表情で言葉を紡ぎ続けている。

 突き出した両手の先に生成されているものは火球。

 決してサイズは大きくない、だがその熱は狭い廊下を蒸し釜にするほど。即死を回避したとしても致命傷、或いは延焼で数秒と持たないだろう。

 しかも退路無しの一本道、面のある飛び道具。

 忘れっぽい天使・リンは『ごっこ遊び』によって他者を蹂躙する。

 今、この空間の支配者は間違いなく彼女だ。

「……Angestellter、Kaulquappe!!」

 リンが叫び、火球は放たれた。

「……お前の戦略は正しい」

「だが、理にかなった行動は対処もし易いんだぜ」

 火球は軌道を変えて壁に衝突、爆発を起こして霧散する。

「えっ!?」

 火災報知器のベルが鳴り響く。スプリンクラーが作動、消火のための水が一面に放たれる。合わせるようにナミタは地面に手をついた。

「んにゃ〜ッ!!」

 リンは己のミスを理解する。頭に残っていたスプリンクラーから防火装置を再現したこと、そしてその空間で炎を使ったこと。
 あのナミタという少年が、水を利用する能力だと見て知っていたというのに!
 もう一度スライム化が来る。そう悟り足を取られる前に直上へ向かって跳躍した。ワイヤーガンで更に上の階の窓へと向ける。
 床はスライム化し、飛び退いた自分だけが素早く逃れられるはず。

「逃さねえよ」

 追走するトウマ、どうして濡れた床に沈まない?

 床は——————?

「ナミタが触ったって、能力が発動するとは限らないんだぜ」

 追いつかれる!

 ワイヤーの巻き取りが間に合わない!

 火球を見た時点で、トウマは直感的に理解していた。

 ———リンは漆原トウマの魔人能力を把握していない。

 そうでなければ、飛び道具を選択するなんて下策に至るはずがないから。

 故に、二人は即座に一つの算段を組み立てた。

 壁に血判を押すことで火球を引きつけ、回避。

 炎上の熱によるスプリンクラーの作動。

 それを媒介とした『涙を飲んで生きる』の発動———

 ———否、その偽装!

 一度見せた行動からリンの思考を誘導。空中へ追い込み、逃げ場を奪った上で渾身の一撃を叩き込む。

 金属バットの直撃を喰らい、リンは大きく吹っ飛んだ。何度かバウンドし、床に五体を広げて倒れる。
 だが、ゲームセットの審判は下されていない。まだ動けるか。
 とどめを刺すためにリンの元へ行こうとした時、その目の前に立ち塞がる影があった。

「……またかよ」

 どこに隠れていたというのか、今まで姿を見せなかったヨニは、現れるや否や無言で構えを取る。
 ヨニの行動、その意思が、トウマには未だ理解出来なかった。しかしただ一つ、リンを攻略する為に、彼女との交戦は避けられない。
 ヨニの所作から出る殺気や威圧感、二人は一瞬で気圧される。

「いた、いたた……」

 ヨニの背後で小さな影が動いた。左腕で右腕を支えながら、酷く細い両足で起き上がる。

「あー、折れちゃった」

 金属バットの直撃を受けた右腕は中で骨から逝ったらしく、コブのように青黒く腫れ、力無く垂れ下がっている。

「ヨニ~、包帯! 包帯巻いて!」

 ヨニはリンに駆け寄って、懐から包帯を取り出すと丁寧に巻き始める。
 この状況での骨折に包帯? 一体何の助けになるというのか。ごっこ遊びのような治療行為、その光景を眺め、トウマは観察に徹する。
 負傷箇所を包帯で包まれたリンは、ニッコリと笑った。

「ありがと! 治ったから包帯取るね」

 巻かれた包帯をリンは引きちぎった。
 そこには既に、傷も腫れも無い。まるで時間を戻して復元したかのような不自然なまでの完璧さ。

「羨ましいね、本当に単一の能力なのか目を疑うよ」

「あなたは何も知らなくて良いのです、ただ黙ってリンと戦ってもらえれば、それで良い」

「まぁ……勝つのは私たちですが」

 そう返すヨニは、どこか神妙そうな表情を浮かべていた。

「リン、退きますよ」

「だってさ〜それじゃあね!」

 二人は背を向けて走り出す、恐らくこのタイミングを狙っていたのだろう。リンは一気に加速する。

「……あのヨニって女は厄介過ぎる。リン一人ならまだしも、あの女に引っ張られてる限りどうにもならないぞ」

 トウマとナミタは追いかけようと試みたが、今までの交戦によって体力がかなり失われている。
 世界改変だけじゃない、即死で無ければ肉体の損傷程度容易に回復するリンに、温存しつつ的確に戦闘に介入してくるヨニ。現時点では深追いするにはあまりにも分が悪い。
 場が落ち着いたところで、今まで忘れていた疲労が一気にやってくる。トウマは深い呼吸を繰り返し、少しでも体力を戻すことに集中する。
 そして、あの二人から勝利をもぎ取る方法を。

「……ねえ、トウマ」

 顔を上げれば、ナミタがこちらを見つめていた。疲労の色はある。だが、それ以上の何かがナミタには見えているようだった。

「何かおかしい……よね?」

「あぁ、リンは強さはデタラメだし、ヨニの意図は訳がわからない」

「違う、おかしいのはリンさん……の身体というか」

「あの身体は、このデタラメなスタジアムの建築に似ておかしいんだよ」

 殆ど確信を得ているかのように、ナミタはそう呟いた。

「足が細すぎるんだ、痩せてるとかそういうのじゃあなくて、とても自重を支えられているとは思えない。ましてやあんな派手な動き、バランスが合ってない」

「走り方は足の動きも操り人形みたいに極端でカクカクしてる気がするし、呼吸もおかしい」

「喋ってる時、息継ぎもしなければ胸郭も動いてない。それで喋り終わると、思い出したかのように呼吸し始めてるんだ」

 違和感、あまりにデタラメなことばかりが起きるから、気にも止めていなかった。
 確かに、忘れっぽい天使リンには、その能力による改変以上の、何か根底に秘められた異常性が、あるのかもしれない。

「ナミタお前……」

「よくこんな状況で、女の胸と尻を観察している余裕があったな」

「見てないよ、そんなに」

ナミタは考え込むように腕を組む。

「———もしかしたら僕の突飛な妄想かもしれないけど……トウマの目には、あの子って生きてるように見える?」

「どう言う事だ?」

「僕の能力って、多分僕が泣きべそかいてる時に現実逃避で思っている『水に溶けて消えちゃいたい』……みたいなネガティブな感情を具現化したものだと思うんだけど」

「マジで、お前卑屈すぎるよ」

「いや、僕の話は良いんだよ今は……」

「なんて言うか……例えば、例えばだよ」

「自分の周囲を対価無しに改変して、感じた痛みや記憶すら全て自由にできる能力……って言うか、そうしたいって思う人って、どんな人だと思う?」

「……あぁ、そういうことか」

 魔人能力の根幹は、その当人の持つ抽象的な概念に具体性を与えた現実改変である。
 『そうしたい』以上に『このくらいは出来る』が重要なのだ。
 不老不死を願った人間が居たとして、当人が心の底でそれを達成不可能な願望だと諦めている限り不老不死の能力は発露しない。不老不死に歪曲した解釈や発動条件を加えた擬似的な能力、あるいはもっと別の目的を持った能力になるのが自然な流れだ。
 『この世の全てを自分の思い通りに出来る』と心の底から確信している、そんな人間が果たして存在するのか、と言うことをナミタは言っているのだろう。

「一理、いやそれ以上のあるかもしれないな」

「例え病床で植物状態の患者が発露した能力であっても、それはおそらく『夢の中限定で』とかの枕詞が付くはずだ。何故なら自分の身体すら思うまま動かせないのだと言うことは当人が一番理解しているのだから」

「だからこそあの女はおかしい、生物として矛盾している……だろ?」

「そ、そう! そんな感じ!」

「それを踏まえて仮説を立てるなら、三通りだ」

 一つ、既に世界改変の為の莫大な対価を既に支払っている。
 二つ、世界改変が出来るだけの素質を持って生まれた怪異的存在である。

「そして三つ、この両方を兼ね備えた存在である」

「だとしたら対価は……あのデタラメな身体の動かし方に関係してるのかな」

「かもしれない……早合点するにはまだ情報不足だがな。それに、あのヨニとか言う女は能力を発動する素振りを一切見せない上に、妙に戦闘慣れしている」

「そしてその半面、積極的にリンと俺たちの戦闘に介入してこない不気味さが気になる。リンを目立たせた上で何か達成したい別の目標、その為のブラフとして俺たちを誘導してる可能性も考慮するべきだろう……が」

「今日はナミタ、お前の直感を信じてみよう」


◇◇◇


 俺たちは二人の足取りを追って迷宮のように捻じ曲げられたスタジアムの中を彷徨い、再びあのグラウンドの入り口へと辿り着いた。
 まるで、そう招かれたかのように。

「やぁ少年たち! 傷も治ったし次の種目に移ろうか! 野球と格闘技とスパイアクション、おまけに魔術対決もやったから別のやつね!!」

 リンはまた、戯けたように誘った。依然変わらず、世界の支配者が自分であると微塵も疑っていないかのような顔で。

「———あぁ、だがその前に一つ言いたい事がある」

「お前、人間じゃないだろ」

「え〜何言ってるの?」

「ねぇヨニ、リンは普通でしょ?」

 振り返るリンの視線を受けたヨニの顔が、確かに苦しそうだった。目元の筋肉の一瞬の痙攣、強いストレス、俺はそれを見逃さない。

「……そうですリン、あなたは普通の女の子です」

 少し遅れてそう答えるヨニ、だが嘘だ。彼女の顔は口から出た言葉ほど利口では無い。
 咄嗟に嘘をつく事くらいは誰にでも出来る、だが咄嗟に自分の動機を隠す事は、難しいはずだ。
 俺は言葉を続ける。

「俺達の推理を聞かせてやろう」

「無痛症って先天性の病気がある……アレは肉体が痛覚を失うことで、自分が怪我や病気にかかったことにすら気が付かず、更に症状を悪化させてしまうみたいな副次的作用がある」

「お前が孕んでいる違和感はそれに良く似ている」

「野球ボールの投げ方や格闘術の体捌きの事を言ってるんじゃ無い、もっと根本的な———」

「足を動かして、歩くとか」

「息を吸い込んで、呼吸するとか」

「唇を動かして、言葉を喋るとか」

「汗をかいたり、疲労したりするかのような事だ」

「不気味だよ、お前からは生き物としての整合性が全く感じられないんだ」

 リンの呼吸が僅かに乱れる。まるでこれまで嘘のように掻き消していた疲労を『思い出す』ように。
 そうだ、思い出せ。

「……詭弁だ」

 ヨニが溢すように口を開く。

「オイオイオイオイオイ待てよ話を遮るなよ、俺がまだ喋ってる、だろ? ヨニ」

「———ッ……このガキ」

 怒った人間は嘘をつけない、良いぞ、それで良い。

「仮に世界の改変が無条件で行える強力な魔人能力者だとしてもそこは辻褄が合わない」

「そこで一つの仮説が立つ……リン、お前の魔人能力は『忘却』をトリガーとして自分や世界の現在を改竄する能力だ。お前が能力で行っているのは自身がこの世界に存在できない存在であることを『忘却』することによる強引な存在証明」

「生きていない者が、それを自体を忘れることで生きていることにしている」

「そして世界改変能力はその逆だ、お前は元々世界を思うがままに出来るだけの力を持っていると同時にこの世界に存在できないと言う制約を課せられている」

「俺たちが小説や映画を鑑賞して没頭したり、新たに生み出す事はできても、その二次元の世界の住人として自分自身を産み直すことだけはできないのと同じように」

「根拠を示そう、お前の能力はこの世界を完全に掌握できるほどに完璧だが、同時にこの世界に地に足つけて生きる存在としてはあまりに不完全過ぎる」

 治ったはずのリンの傷口が、開く。
 ドッと冷や汗が吹き出し膝を折ると、彼女は自分の呼吸が不規則で、まともに肺に酸素を取り込めるような有り様では無いことを思い出した。

 おかしい、なにが?

 全てが、おかしい。

「わた、私は……え? ね、えヨニ?」

「違……うよ、ね?」

「全、部デタラ……メだ、よね?」

 そのあまりに辿々しい唇を前に、ヨニは完全に沈黙していた。

「心臓の脈拍は正常か? 横隔膜の動作は? 食った物はちゃんと消化されるのか? 髪や爪は代謝して伸びるのか? 眩しい光を浴びた時の瞳孔の反応は? 鏡を見て自分の表情や筋肉の動き方を確認したことはあるか?」

「自分が、生命体だという確証や根拠はあるか?」

 リンがグラウンドへ倒れ込む。自分の生命活動への疑いはついに臨界点を超え、嘘で覆い隠された真実を剥き出しにしたのだ。
 ヨニは意識朦朧とするリンを抱き抱え、今にも俺を喰い殺さんとする剣幕で詰め寄る。

「黙れッ——————」

「———もう良いでしょ、トウマ」

 意外にも真っ先に割って入ったのは、ナミタだった。

「ごめん、この話は僕が言い出した事だし、試合に勝つためには、どうしても世界改変の能力を攻略する必要があった、だから僕らの推論を伝える事は仕方ないと思う」

「……でも僕らの目的は、リンさんを精神的に追い詰めることじゃないでしょ」

「それ以上の追い討ちは、禍根を残すよ」

 その時のナミタは、珍しく泣いていなかった。
 少々、調子に乗りすぎた。

「と言うわけだ、どうするよザ・人間ズ。続きはまた喧嘩で勝負ってんなら、付き合うけどよ」

 リンを抱えるヨニは、苦しい顔で思案していた。
 リンの虚ろに開かれた眼を見て、それからこちらを見返す。

「……リンがその気になったら、ゲームが開始した瞬間、あなたたち二人を廃人にした上で、試合終了後にダメージの残るような残酷な方法で殺害する事も、可能でした」

「けれど、そんな事は絶対に起こらない。この子が誰よりも善人で、そのような在り方を望まないからです」

「交渉をさせてください」

「今から一時間の停戦協定。それから……身体機能に関する情報攻撃の禁止を、この子はあなたが考えているより、脆い」

「……虫の良い話だな、どんなメリットがある?」

「一つ、現在の彼女は能力を暴走させ、この空間そのものを破壊する危険性があります。そうなれば試合続行不能、貴方達も望むところではないでしょう。約束してくれるのならば私がそれを防ぎます」

「そして、容赦を条件にリンと私に関する情報の全開示も」

「その情報の信頼性、その約束は誰が保証してくれる?」

「……私の能力は『法則(Rule)』、理屈にかなったことだけが起こり、そうでないものは起こらない」

「私はルールを破らない」


◇◇◇


 漆原トウマは思案する。
 ヨニの提案、情報の信頼性。リン攻略の糸口、そしてナミタに呈された苦言のこと。
 誰が正しく、何を信じるべきか。
 あの兄なら、こんな時どうしただろうか。
 思い出す、あの憎たらしい顔を。

「———良いぜ、ヨニ」

「お前の提案に乗ってこの場は流してやろう、歩き方が下手だなんて指摘するのもやめてやる」

「その代わり、決着はもう一度野球でつけよう」

「…………え?」

 鳩が豆鉄砲でも食ったように、そしてヨニは息を整えてから聞き返す。

「ぐ、具体的には?」

「俺たちとのバッティング一本勝負」

「お前達のどっちかがピッチャー、打ち返すことができたら俺たちの勝ち」

「シンプルで良いだろ?」

「……良いでしょう、その条件で飲みます」

「やけにすんなり受けたな、俺が嘘をついているかもしれないとは考えないか?」

「いいえ」

「スポーツマンは競技に嘘をつかない、でしょう?」

「……勝手に言ってろ」

 ヨニから能力の情報と彼女らのバックボーンについて聞いた。そして一時間後、そう約束して俺たちは別れた。
 バッティング一本勝負、何を思って俺はそんなことを口走ってしまったのか。

 ———それ以上の追い討ちは、禍根を残すよ。

 ナミタの言葉を思い出す。
 俺はどちらかと言えば陰湿な方の人間だ。だから他人を慮るとか、爽やかな決着だとか、そう言ったことは苦手である。
 同情など、してはいない。

「トウマは、自分が思ってるより他人に関心がある人間だと思うよ」

「……勘違いするな、俺はそういうキャラじゃない」

「でも、僕の意見を聞いてくれてありがとう」

「当然だ、俺たちは対等なチームだからな」

 ナミタは珍しく笑っていた。
 俺も少し、笑っていたかもしれない。


◇◇◇


 昔、私は人間だった。

 私には、とある存在を殺す使命があった。

 曰く、強力な世界改変能力によって世界の物理原則そのものを歪めてしまうほどの『異物』であると。
 私の魔人能力は『法則(Rule)』、私には世界改変を抑止し、その異物を殺し得るだけの力があった。

 しかし、私たちはその存在に関して二つの見落としをしていた。

 一つ、生命体でない存在を殺す事は不可能である。
 二つ、法則を破るのではなく、法則を創造する存在に対して、私の能力は全くもって無意味である。

 私は敗北した。あまりにも呆気なく、なす術なく

 いや、敗北したという表現すら不適切だろう

 その姿を見る事なく、相手にもされなかった。

 地上5000メートルに浮遊する砂糖菓子でできた山脈の奥深く、異星人達の遺したメガロポリスの一角に立つ真新しいレコードショップの、妙に手触りの良いカーペットの上で、私は血反吐を吐いていた。
 ノイズがかったレトロなプレイヤーからはヨハン・ゼバスティアン・バッハ『主よ、人の望みの喜びよ』が、そのワンフレーズを狂ったように繰り返している。

 ———◇◇◇はいつでも私の喜び。私の心の慰め、心の潤い。◇◇◇はすべての悩みを防ぐ。私の命の力、喜び。だから私は◇◇◇を心からも目からも離さない———

『貴女は何故、苦しんでいるの?』

 私は、遂にその存在と対峙した。

『苦しむって、どういう事?』

 それは、半ば白昼夢のように現れ。

 それは、目が眩むほどに美しかった。

「……苦しむとは、生きる事です。私はまだ生きているから、苦しいのです」

『ならどうして、生きるの?』

「それは——————聖者に在らず、生者にしか分かりませんよ」

 苦し紛れの皮肉を吐き捨て、私は死んだ。

「ふーん、そっか」

 人間が全ての生命活動を停止した瞬間、そこから僅かばかりの時間、聴覚だけは脳へと信号を送り続けるのだという。
 だから、私が覚えているのはその声だけだ。

「なら私も『生きる』って事、やってみようかな!」

「あなたが、私の最初の友達かな?」

 私は、結果としてその存在に『形』と言う名の縛りを与えた。

 概念の受肉、或いはそれを『堕天』とでも呼ぶのだろうか。

 私は、それを人間へと堕天させた。

 ヨニがリンを『少女』として認識する事でそれを生命体として縛り、またリンはヨニを『親友』として認識する事で死にながらにして生きている存在として縛っている。

 これが、『君や僕をつないでる緩やかな止まらない法則』に関する、私が知っている真実。

 これがハッピーエンド?

 いや、これが未だ続くバッドエンドだ。

 ご存知の通り、リンは生命体としての辻褄が合っていない。彼女は人として生きるには、あまりに不出来だった。

 そして私はまだ、リンを殺すという使命を終えていない。

 ……こんな嘘塗れの二人が、いつまでも生きていてはいけないのだ。

 この関係を、完結させなければいけない。

 リンの安楽死、それが私の最終目標。

 リン……私の最後の親友。

 目が眩むほど美しく、穢れなき存在。

 彼女の……彼女の本当の名は———


◇◇◇


「リインカーネイション・ザ・エンジェル、それがあなたの本当の名前です」

 輪廻天使 / Reincarnation the Angel。
 『現世からの余り物』トレエ・A・ハートのように現世にて確認された『天使』の一体。
 時にそれは鳥の姿で、時にそれは嵐の姿で、時にそれは少女の姿で、輪廻転生しながら世界を改変し続ける災害級の存在。
 私の所属していた組織はそれをそう名付けた。

「リン、私はあなたを殺すために出会った」

 ダフト・パンクの二人と別れたのち、私は日当たりのいいバルコニーのベンチでリンを寝かせていた。生命活動の論理を補完し、自己修復が終わるまでの約一時間。
 私は、秘匿していた彼女の真実を開示しようとしていた。

「けれど私にはもうできない。あなたの被造物として作り替えられたキョンシーはあなたの存続を望み続ける、そうデザインされてしまうから」

「……私は、最初から親友になるために蘇っただけの偽物の友達なのです」

「そして、私があなたを『忘れっぽい天使・リン(リン・ザ・エンジェル)』として存在を縛りつけている」

「私たちは……最初から友達じゃない」

 言った、私がずっと告げるべきだった彼女の真実を。
 この刺激で彼女が暴走して世界を崩壊させたとしても、鏡の世界での出来事は現実に反映されない。全てを忘れたリンと共に、また死に場所を探すことはできるだろう。
 それでも、目を閉じて黙りこくったリンの顔を、私は怖くて見ることができなかった。

「ヨニってもしかしておバカさん?」

「…………え?」

「私はそんなの気にしないよ」

 リンは、いつもの調子でそう答えた。
 いつもの笑顔で。

「どうして……? 私はあなたを裏切って殺そうとしていて、あなたの過去や真実を隠して騙していたんですよ!!」

「でもそれで、リンもヨニも、他のみんなも幸せになれるって信じてたから、そうしたんでしょ?」

「でもッ!!」

「ヨニが優しい人だって、知ってるから」

 リンは、自分の力で立ち上がった。
 黄金色の夕陽を浴びて、私の手を取って語り出す。

「バッドエンドなんかじゃない」

「私、苦しいって感じてる。辛いとか、何か見つからないものを探そうとしてる」

「ねえヨニ、それが生きるってことでしょ?」

「きっと私はあの場所でずっと誰かが来るのを待っていて、それはヨニだった」

「ヨニ、間違いなんかじゃない、君を待ってたんだよ」

 パキリ、パキリと、リンの肉体にヒビが入ってゆく。硬化した表皮のカケラは薄氷のように夕陽を吸い込んで、彼女は自分の肉体を覆っていた皮膜を脱ぎ捨てた。
 眩く光る天輪と、空気が透けるような純白の翼を携えた、あの時の姿を取り戻して。

『ヨニ、私のことをいっぱい愛してくれてありがとう』

『私に人間としての生き方をくれて、ありがとう』

 リンは窓辺から飛び立つ、最後の約束を果たすために。


◇◇◇


 広いグラウンドに、もう満員の観客は居なかった。サラサラと吹き抜ける風を追えば、その輝く影が目に入った。
 ピッチャーマウンドに天使が降り立つ。

「イメチェンか?」

『イメチェンだよ、これが私の本当の姿』

「そりゃあ良い、景気が良くて良いな」

 俺と天使はスポーツマンシップに節って握手を交わした。俺は他愛もないやり取りをしながらも、彼女の純白のワンピースの袖に血判を押すのを忘れなかった。
 保険、まだ能力が割れていないという唯一のアドバンテージから僅かでも勝ち筋を探り出すための布石。
 彼女は気づいていただろうか、だが言及することなく、ただ無言で上空へと昇っていく。
 唸るようなサイレンが鳴り響き、最後のゲームは始まった。
 息を整え、全身をリラックスさせる。ダラリと、だが体幹は大木のように硬く。
 遥か上空から振りかぶる、彼女の手元は———

「———は?」

 野球ボールじゃない。
 天使の身の丈から計算、目測で直径ニメートルはあろうかと言う超質量の岩石塊……隕石!

「このインチキ女がよ……!!」

 打てるのか?
 否、打つ。
 俺はいつも通りにバットを構えた。
 バットは、振らなければ当たらないのだから!

『どぅおりゃあーーーーーーーッッッ!!!!』

 裂くような怒声と共に指先を離れた隕石は初回と同じ、螺旋回転する異次元軌道の魔球。
 だが、まだ仕掛けがあった。

「———発火、なるほど」

 螺旋軌道により伸びた弾道と落下による位置エネルギーが超加速を生む、更に金属を含む岩石から生じる摩擦熱で空気が発火。
 燃える魔球!
 それも夕陽の落ちる角度を調整し、太陽光の中に燃え上がる隕石を隠して!

「———トウマ、あと頼んだよ」

「……ナミタ?」

 ベンチに控えていたナミタは、そこにはいなかった。
 視線が逸れた一瞬のうちにナミタは自身に与えた吸水性により———最初の野球勝負の時にスプリンクラーで巻かれた水で———水浸しのグラウンドを泥水ごと吸い上げ、巨大な黒い『腕』となって射線上に割り込んだ。

「僕を信じて」

 スタジアムを飛び出すほど長く伸ばされた濁流の腕は隕石と衝突し、指先から爆散してゆく。僅かにその加速に抵抗し、熱を奪い、そして暗い雲となって夕陽を覆い隠しながら。
 降り注ぐ土砂降りの夕立ちの向こう。
 俺は確かに、星を見つけた。


「——————捉えたッ!」


 反作用、凄まじい衝撃と熱でバットは焼け落ち、両腕は引きちぎられるように骨ごと潰れた。
 それでも確かにその鋒は振り抜かれていたのだ。

『そんなっ!?』

 隕石は、夕空の彼方を目指して。
 高く、高く打ち上がった。
 バットに込められた血判が失われ、打ち返された隕石は最後の血判へ向かって軌道を定めた。

『……あぁ、ヨニ』

『あの子達、キラキラしてるね』

『キラキラで、ちゃんと生きてる』

 暗い雲を突き抜ける巨岩は、輪廻する天使を撃ち堕とす。純白の翼は落ちる夕陽と黄昏を反射しながら散り、身を包む炎が肉と、骨を焼き尽くしながら。
 天使は黄昏れる。

「やっぱり、私の幸せは天使に戻ることじゃない。奇跡なんて起こらなくても、苦しくて不自由に縛られたままで、私は良かったんだ」

『ヨニ、君がくれたんだよ』

『———ありがとう、私だけの黄昏を』


◇◇◇



———1st Session is over!!

 【Winner: ダフト・パンク!!】

 Finisher:デッドボールの直撃による戦闘不能———



◇◇◇


 『———東京FMが午後三時をお知らせします』

 ラジオの放送が、ふと耳に入った。
 今日はなんでもない日。
 特別な事なんて何も無い、よく晴れた日の昼下がり。

「ヨニ〜! 見て見て! 力こぶ! 力こぶ作れた!」

 リンは、あの日から徐々にリハビリに取り組んでいた。
 物を握る力すら無いほどに身体を衰弱させていた彼女が、見違えるほど……でも無いが。横隔膜を動かして息をすることや、車椅子で移動できる程度には、人間らしさを身につけていて。

 ほんのりと、肉付きは良くなった。

「はい、ナイスマッスルです」

 私の使命は、まだ道半ばに居て。
 生き難さも、苦しさも、全て抱えて生きていく。
 そう決めた彼女の死を、最後まで見届けなければ。

「明日は、歩く練習するから! 肩貸してよね!」

「……はい! もちろんです!」

 私も、一人の人間として。
 『生きる』って事を、やってみようと思う。
最終更新:2021年05月09日 23:16