茶葉にも賞味期限はあると思うがパッケージに印字された日付は薄れて読めない。
元々大した品でもない。カビの臭いがするわけでもないからそのまま使ってしまうことにした。
俺の家、といっても借家ではあるが、ここにはあまり家具を置いていない。
今の仕事をしているとなかなか帰宅できないということに気づいて少しづつ処分してしまった。
たまに大家が訪ねてくるから急須とやかんと湯飲みは残してあるし、ガス台もまだ使えるようにしておいてある。
「確認なんだけど、その格好で出場するのか?」
ちゃぶ台に体を寄せて湯飲みに口を付ける忍はいつもと同じピエロの扮装でいた。
イグニッション・ユニオンはテレビとインターネットで世界中に中継される。余力を残して相手できるような参加者もいないだろうから、俺たちが魔人であることやその能力を隠すことはできない。
俺は元々隠そうとも思ってないので問題ない。しかし忍はどうなのか。
魔人というのはイメージが悪い。妙な能力を持っていて何をするかわからないから怖いというのもあるが、場合によっては身体能力の高さも非難の対象になり得る。
警備員のように何よりも強さが求められる仕事であればプラス要素としても捉えられるが、スポーツや芸能活動においては魔人というだけで体力や筋力や器用さが優れているのは公平さを欠くと見なされる。要はズルいと思われるのだ。
一芸で魅せる仕事であるなら魔人であることは不利になる。隠していて後でばれるよりは最初から公表していた方がマシではあるし、良識のある人間はそこまではっきり非難することもないのだけれど、それでも「魔人の身体能力ならそれくらいのことはできるだろう」という評価が常に付きまとう。
それを覆せるのは一握りよりも少ない一つまみの人物で、そこまで至るには本人の才能や努力や人徳だけでなく、周囲の環境や幸運にも左右されるだろう。それはきっと魔人でなくてもそうなのだろうが。
そういう自分自身ではどうしようもないことを諦めて、魔人であることを隠し通しながら活動するという選択肢はありなのだ。
忍の能力はパントマイムで表現している内容を他人から言い当てられることが能力のトリガーになっている。発動するかどうかは忍自身に選択権はないが、そもそもパントマイムをしなければ発動しない。隠そうと思えば隠せる能力だ。
そして忍の場合は普段の大道芸人としての格好が変装のようなものだから、逆にイグニッション・ユニオン中その扮装を解いて参加すれば、その辺で活動している最中に「あいつはイグニッション・ユニオンに出ていた魔人だ」とばれるのをある程度避けられるだろう。
そして先日は実際にパントマイムはせずジャグリングだけを披露していた。
能力を発動させないため、魔人だということを知られないようにするためにそうしていたのではないかと考えていたのだが。
「やる気満々だな」
湯飲みをちゃぶ台に置いた忍は座ったままファイティングポーズをとりシャドーボクシングを始めた。
無言でいるのが「このままやる」という意志表示だろう。
忍自身がそのつもりなら俺がとやかく言うことでもない。
考えなければならないことは他にもある。
「そもそもどのくらい戦えるんだよ」
繰り出される拳からはそれなりに風圧を感じるが正直あまり迫力はない。
体がでかいのはそれだけで強みではあるし、魔人であるから最低限の身体能力はある。しかしわざわざ闘技大会に参加する面子の中では本当に最低限の物だろう。
そもそも忍に戦うイメージがない。学生時代は喧嘩など一度もしていなかったし運動部にも入っていなかった。
忍の拳の速度が上がる。シュシュシュと空を切る音が響く。依然として迫力はない。
「まあ能力的にも俺が前に出て忍がサポートする形の方が良いよな。あとは大会までになるべく戦い方を教えるか。それも防御が優先だな」
俺もそこまで万能ではない。一人で二人を相手にするのはどう考えてもきつい。とはいえ人を守りながら戦うというのが仕事柄身についたスタイルだ。慣れた方法を活かすのは悪くない。
シャドーを続ける忍の顔には妙に力が入っている。
ブルース・リーってたまにこういう変な顔するよな、と思いながら俺は自分の湯飲みに口を付ける。
色は濁って、味も匂いも非常に薄く、茶柱と呼ばれるあの茎が何本も浮いていたが、立っている物は一つもなかった。
◆ ◆ ◆
私が子供の頃にはアイドルやサイボーグという言葉はそれなりに広まっていたけれど、それでもスターやロボットと呼ばれる者の方が多かったと思う。
彼、彼女ら、鉄腕アトムや美空ひばりは男の子からも女の子からも好かれていた。
最近の子供たちを見ていると、アイドルを好むのは女の子、サイボーグを好むのは男の子というような風潮を感じる。
そうであるべきという話ではなく、そういう傾向がある気がするというだけの話で、昔はよかったという話でもない。例えばマジンガーZのファンは男の子の方に偏っていたと思う。
更に言えば正確な統計を取っているわけでもないから、そもそも私の気のせいということもある。
当てはまらない子はいくらでもいるだろう。現に私を支えてくれるファン層は非常に幅広い。
ああ、でも私を例外として挙げるの不適切だろうか。どちらでもある者がどちらからも好かれているということだから。
私を見てくれる人々がいて、好かれるのは、応援されるのは、笑顔を見せてくれるのは、とても嬉しい。
それと同時に私だけを見ているのはもったいないとも思う。
私はアイドルとして非常に優れている。
自分の事だからそれが客観的な評価とは言わない。ただの自負だ。
アイドルは勝ち負けを争うものではないけれど、パフォーマンスの質や会場から上がる歓声の量では誰にも負けたくないと思うし、実際に様々なフェスでどの共演者よりもステージを盛り上げてきたと信じている。
それでも私は私以外のアイドルが放つ輝きを知っている。
他人よりも長い間ステージに立ち続け、数世代のアイドルを間近で見続けて、共に笑い、涙した。それも私の大切な自負だ。
自分自身が世界一のアイドルでいたいと思いながら、他のアイドルにかけがえのない価値を見出している。私が他のアイドルについてファンだとか推しているとか口にするのはリップサービスではなくただの事実だ。
そして私が好むのはアイドルに限った話ではない。
イグニッション・ユニオンへの参戦を表明した際の周囲の反応は概ね良好ではあったけれど、どうして今なのかという疑問の声も上がっていた。
確かに似たような大会は以前もあった。
例えば、グロリアス・オリュンピア。今回メインMCを務めている恵撫子りうむさんとファイヤーラッコさんが出場したあの大会では、5億円というイグニッション・ユニオンと同額の優勝賞金だけでなく、主催者のフェム王女が可能な範囲で願いを叶えるという約束や、各回戦での5000万円ずつの副賞もあった。
褒賞だけで言えばあちらの方が魅力的だったいう意見もわかる。
あちらの大会には出ずにこちらの大会に参加する者達にはそれぞれの事情があるのだろう。
私の場合、重要なのはイグニッション・ユニオンが無敵の二人を決める大会だということだ。
私は阿僧祇なゆ。ソロで活動しているアイドルで、グループには所属していない。
けれどステージには何度も二人で立ってきた。
クロスケ。獅童功一。私をアイドルとして導いてくれたプロデューサー。本人は自身が裏方であるかのように言うし、確かにそれは事実ではある。しかしそれだけの人ではない。
プロデューサーとしての彼に感謝はしているけれど、同じくらいの気持ちの強さでショーマンとしての彼にも期待と尊敬の念を向けている。
大舞台に立つのなら、彼と二人でいたかった。
私たちの舞台には爆発や崩落や破壊に巻き込まれる彼が必要なのだ。
「レディ、良からぬ企てを抱いてないかい?」
「私が常にアイドルとして最善を尽くそうとしていること、アナタもご存じではなくて?」
黒猫は身震いし、私は完璧な笑顔を浮かべた。
ちなみに完璧な笑顔のコツはただ一つ。
私自身が全身全霊を懸けられるアイドルの道を進むこと。
それだけで自然に笑えるものなのだ。
◆ ◆ ◆
そして舞台の幕が開く。
舞台の名は池袋。
演ずるは道化、警備員、アイドル、プロデューサー。
鏡の世界に勝者は二人。
“無敵”を示す時は今。
◆ ◆ ◆
808席の面前に4人2組が立っていた。
並ぶ客席、灰色のシートは総じて無人。
しかし実際には無数の観客が見守っている。【鏡の世界】の光景は全世界に中継されている。
舞台上に立つ一人、阿僧祇なゆは今大会の参加者の中でも屈指の知名度を持ち、それ故この試合も注目を集めている。観客の期待は彼女の活躍に向いていると言ってもよい。
中継映像は4人を一通り画面に映した後、彼女を大写しで捉えて見せた。
車椅子に乗った、黒いドレスを纏う淑女。
ゆるく波打つ銀髪の下、どこか遠くを見るような表情は物憂げでもあり楽しげでもあった。
そっとたおやかな仕草で口元に寄せられた右手には一本のダイナミックマイクが握られていた。
「鋼鉄少女」
告げられた曲名に世界が従うかのように、カワイイメタルのサウンドが高らかに響き渡る。
ギュィイイン! キャシャララァーン!
立ち上がった阿僧祇なゆの周囲を分離変形した車椅子が飛び回り、勇ましい音と共に装着され、彼女を飾る鎧となって光輝いた!
阿僧祇なゆ歌唱形態・不可思議だ!
「GHAAAAAAA!」
シャウトする阿僧祇なゆの表情にもはや物憂げさはない。
喉慣らしもせず開幕からハイテンションなナンバーを選択する狂戦士の歓笑だ。
その背後で黒猫がそっと距離を取る。この状態の阿僧祇なゆは味方であるクロスケも無差別破壊に巻き込む可能性が非常に高い。
しかしその危険の中であっても彼は落ち着いた微笑みを浮かべた。
暖かみある色調の空間はサンシャイン劇場。幻想企画にはそれなりになじみのある場所だ。扉や階段の位置関係は現実と反転しているが元の構造が可能な限り左右対称に作られている。
普段の調子を出しやすい。スタート地点としては良好な条件だ。
対するマイリーマンズ屋釘の表情は険しい。彼は曲が始まると同時に大道寺の手を引いてステージから客席に降り、相棒を背に守る形をとった。
屋釘はアイドルとしての阿僧祇なゆを人並みに知っている。有利な点と不利な点が頭に浮かぶ。
第一に阿僧祇なゆとその相方、よくライブで犠牲になってる頭が猫の人は、阿僧祇なゆ自身の魔人能力によるサイボーグのはずだ。
二人の全身は魔人能力により不可逆の変質を受けている。その体を使った全ての行動が魔人能力ありきの物だと認識できる。
屋釘自身はこの二人の直接的な行動によっては損害を受ける心配がない。
加えて言うなら阿僧祇なゆはライブに使用する機材のほとんども能力によるサイボーグで賄っている。爆薬、スモーク、スピーカー、プロジェクター、タオル、花火、紙吹雪、マイク、車椅子。
通常脅威となるはずのそれらも屋釘には無害な演出機材でしかない。
これが有利な点である。
一方で大道寺にとってはそれら全てが当然有効だ。
そして阿僧祇なゆによる破壊の規模は非常に大きい。
屋釘がその身を盾にしても絶対に守り切れるとは言えない。そして相手の攻撃のレンジの広さは自身が攻撃に転じることを困難にする。ルール上守っているだけでは絶対に勝てない。
総合的に見れば不利と屋釘は判断した。
距離を取ったのは防御的な判断であり、それでも劇場の外にまで出なかったのは攻撃の機会が遠ざかるのを敬遠したからだ。
それは中途半端な甘えだったと言えよう。
赤い燕尾服の黒猫が目を細め、ステッキを軽く振り上げた。
クロスケは大道寺の視界から消え、目前に現れた。
銃弾よりも速く重い、不可視の速度の突進を前に立つ屋釘が止めたのだ。
「……!」
大道寺の巨体が座席をなぎ倒して転がる。衝突自体は屋釘が止めたがその衝撃は伝わった。
屋釘の能力はあくまでも屋釘とその所持品の無事を保証するだけのもの。物理的な影響を全て遮断するわけではない。
身を起しかけた大道寺とクロスケの視線がかち合った。
ステッキの外装よりもやや短い刃が照明を浴びて煌めいた。
「ほう! そちら側の主演は君の方だったか!」
「演者に触れさせないのが警備員だ」
大道寺にはそれが振るわれるのを目視することができなかった。ただ『鋼鉄少女』のBメロの中に金属音が混ざった気がしただけだ。
気づいた時には彼の目の前で屋釘の警戒棒が仕込み杖を受け止めていた。
大道寺は真っ赤な唇を噛む。
わかっていたことではあるが。
この戦場に立つ4人の中で、自身は戦力として数段劣っている。
これでは、本当にただの道化だ。
阿僧祇なゆが大道寺に目を向けたのは対戦相手の弱所、突くべき穴としてだろうか。
あるいはそれは単純に、彼女のライブ会場で浮かない顔をしている者を発見したというだけのことだったのかもしれない。
事実として言えるのは、たった今、楽曲がサビに入ったということだ。
阿僧祇なゆが力強く腰を捻り、左腕を前に突き出す。その体には完璧な黄金比を描くねじれが産まれ、伸ばされた人差し指は大道寺を完全な直線上に捉えていた。
「Lovely,chilly,heavy metal girls and boys!」
その指から青白い光線が放たれる。
同時にすべてのライブ演出もまた大道寺一人へと向けられた。
閃光、轟音、大爆発。
あまりにも強い光は目のみならず神経を焼き、あまりにも強い音は耳のみならず内臓を揺さぶる。
その一瞬、大道寺は視覚、聴覚、触角を失った。
真っ白な眩む世界の中で真っ先に戻ったのは誰かに襟を掴まれる感触。
――に穴が開いた。出るぞ。屋釘の声。
薄っすらと戻った視界に映ったのは空の青さ。視線を動かせば崩落するサンシャインシティ文化会館ビル。
全身に鈍い痛みと熱。
「全部が真正面から一点に集中したからな。割り込んで止められた。それでも余波があったが。一瞬意識を失ったのかもしれんが戦闘不能判定にならなくてよかった。……今からでも飛べるか?」
屋釘と大道寺は文化会館4階の高さから落下している。
大道寺は二人が再開した日と同じように片腕を精いっぱい天に伸ばした。
「傘で飛ぶやつな」
体がゆったりと浮き上がる。
見下ろす町並みも、太陽の位置も、全てが記憶にある池袋とは反転している。
傘を傾け池袋駅方面へと向かう。逆へ向かえばすぐに大塚、即ちリングアウトの危険がある。
「マジでヤバいが二人でよかった」
屋釘が噛み締めるように呟いた。
こちらのセリフだと大道寺は思った。
◆ ◆ ◆
無人の池袋をライブ用巨大トレーラーが駆ける。
サンシャイン60通りを曲がりグリーン大通りへ、グリーン大通りを曲がり無名の片側1車線道路へ。
この時点で3車線分の幅を持つトレーラーは周囲の建物を破壊し始めた。
だがしかし、街を脅かす破壊音を打ち消す爽やかながら明るく勇壮な響きあり。
阿僧祇なゆの夢に向かう決意と応援の意志を込めたヒットナンバー『SKY PICTURE』だ!
そのサウンドは他ならぬ破壊トレーラーから流れている。
このトレーラーこそ阿僧祇なゆの魔人能力によって一般的な黒皮栗カボチャから生まれ変わったサイボーグステージカーなのだ。
マイリーマンズから僅かに遅れてサンシャインシティを脱出した幻想企画の二人は試合開始時点で屋外に転送、駐車されていたこの車を発見して追跡を開始した。
対戦相手を探すのは運転席でヒクヒクと猫ひげを動かすクロスケであり、阿僧祇なゆは開け放たれたウイングの下で自身のライブを遂行している。
共演者はいったん見失ってしまったが、テレビとネットの中継は止まっていない。
続ける理由は十分だ。
彼女を照らす虹色の照明が銀髪を宝石のように染め上げる。しかし彼女自身の存在感は何色にも染まらず、何よりも輝いていた。
『吾輩もピエロ君とは近い位置にいたのだけどね。もしも巻き込まれて戦闘不能になっていたらとは思わなかったのかい?』
クロスケの愚痴はイヤモニを通して阿僧祇なゆにも伝わっている。
『あのくらいの爆破ならいつも巻き込まれてるじゃないの。心配性の猫さん』
ライブ中の阿僧祇なゆはそう口に出すことができないものの、長年活動を共にする相棒同士その思考はなんとなく伝わった。
『いやあ頼もしい猫さんだなんて急に褒められても』
『言ってないわ?』
『うんうん、注意すべきは警備員の彼の方だねえ。レディの光線が効かないだけじゃない。あの爆破の中でスーツにも汚れ一つさえつかなかった。かなり防御に秀でた能力の持ち主なのだろう』
『彼自身は無事でも能力自体をキャンセルできるわけではないはずよ。機材の挙動に異常はないもの。彼ならリアルのステージに上がっても無事なのでしょうね。大会の後ならいい共演者になれるかも』
『純粋に勝ちを狙うならピエロ君を責めるべきだろう。闘技と考えるならそうするのが相手にも観客にも誠実だ。しかし警備員君に対しても吾輩なりの策はあるのだよ。無論失敗する可能性もあるけれどね。レディの好みはどちらかな?』
『ピエロさんにも注意は必要でしょう。能力は未知数だし、彼はパフォーマーよ?』
『ふふ、君ならそう言うと思ったよ。では観客の皆様の熱狂と興奮の為に、まずは警備員君に当たるとしようか! 吾輩のひげが彼を捉えた! 彼はシアターグリーンにいる!』
クロスケが大きくハンドルを切りアクセルを踏み込む!
トレーラー加速! 衝突! シアターグリーン突入!
破滅的な揺れの中でも阿僧祇なゆのパフォーマンスは崩れない!
灰色のコンクリート外壁が崩れ落ち、防振防音の為の絶縁体が零れ落ちる。
ビル1階のカフェは完全に破壊され、BIG TREE THEATER内壁の吸音材を食い破ったトレーラー上部が偶然にも構造的に劇場を支える形となった。
「ホント劇場壊すね……」
立ち昇るコンクリート破壊片の白煙の中、屋釘は力の抜けた笑いを浮かべた。
クロスケは運転席の窓からするりと抜け出しその前に降り立った。
「普段は止める立場だが、吾輩も正直ちょっとやってみたいと思っていたのさ」
警備員と黒猫紳士は互いを正面に見据えて武器を構える。
屋釘が眉根を寄せる。
トレーラーは建物に突っ込んだまま劇場内部に正面を向けている。
その後部で阿僧祇なゆはライブを続けているのだろう。そのステージを屋釘に向けないのは何故か。
「ではレディ、手筈通りに」
『そんな手筈はないけれどわかったわ』
瞬間、トレーラーが後退を始める。運転席は無人のままだ。
そう、このトレーラーもサイボーグ。運転手はそもそも必要ないのだ。
「!」
コンテナに突進しようとする屋釘をクロスケが阻む。
警戒棒と仕込み杖が火花を散らす。
「あんた裏方なんだろ。どいてくれねえか」
「アイドルを守るのがプロデューサーなのでね」
トレーラーは劇場に空いた穴に横腹のステージを向けた。
阿僧祇なゆは罪深い程愛らしいウインクと光線を残して去って行き、倒壊寸前のシアターグリーンは新たな劇場へと再建された。
「これはあれか。そっちの相方がこっちの相方を見つける前になんとかしないといけないやつだ」
「もしくは吾輩が君をどうにかしてしまうのかも知れないね」
クロスケの顔に恐らくは不敵な笑みが浮かぶ。頭頂部のハッチからは11時を告げるカッコウが出入りする。
猫の表情はわからないな、と屋釘は思った。
◆ ◆ ◆
吾輩が“闘技場の小公子”などと呼ばれたのはもう随分昔のことさ。
今でもその名を覚えているのは、そう呼ばれた長剣使いをを覚えている者は、かなりのもの好きかつそれなりの年寄りに限られる。
しかしだからこそ、今でもその名を語る少数の人々は、その言の葉に万感の熱を込めてくれる。
吾輩自身もその熱を決して冷ます気はない。
燻っているのだと言う者もいるかも知れない。
だがそうではない。この思いは種火なのだ。
レディ、なゆの能力によってサイボーグとなった吾輩は夢の動力を必要とし、人々を魅了する誓約を立てている。
吾輩の夢は再び表舞台に立って人々を熱狂させること。
レディにとってのアイドル活動に当たるものが吾輩にとっての戦いなのだ。
そう、吾輩が“闘技場の小公子”と呼ばれた所以は強さなどではない。剣を握れば吾輩が勝つのは当然だった。
吾輩がこだわったのは衣装、仕草、喋り方、そして勝ち方。一言で表すなら魅せ方だ。
あるいはそれが他の闘技者には不愉快だったのかも知れないね。
しかし吾輩が闘技場を去ることになった経緯はあまり面白い話ではない。それについて語るのは止すとしよう。
吾輩は再び人々を魅了し、熱狂させる。その夢を忘れたことはない。
はっきり言ってしまえば、アイドルのプロデュースをしているのにも彼女たちから魅力を学ぼうという下心がある。
アイドルの魅力、即ちパフォーマンス力。しかし歌や踊りの技能がそのまま闘技に流用できるわけではない。
吾輩が重視するのは心構え。何故アイドルを目指すのか、何故人々を魅了したいのか、そういった動機だけの話ではない。
ステージ上で観客の反応を見て期待に応える力。体力が付きかけてなお全霊を振り絞る力。同じ失敗を繰り返すまいと奮起する力。会場の全員と心を通わせ完璧な笑顔を生み出す力。
精神から生み出されるパフォーマンス力というのは確かにあるのだ。
吾輩はそれを教え、学ぶためにアイドルたちの傍にいる。
そんな吾輩がお返しとして彼女らにポテンシャルを与え、教え子たちの成功も心から願っているなどと言うのは醜いエゴに過ぎないのだろうね。
彼女らは彼女ら自身の才能を持っている。それを伸ばすのが正道ではあるのだろう。しかしそれで本物のアイドルになれるのはごくわずかだ。
アイドルは勝ち負けではない。それでも観客は他のアイドルと比べずにいられない。
世に多くのアイドルがいる中で、時間も資金も限られたファンたちはそもそも誰を見るのか絞らずにはいられない。
素晴らしい才能の持ち主が、たまたま人目に触れなかったというだけの理由で、その道を閉ざされる事さえあるのだ。
往年よりもアイドルと候補生、研修生の数は増え、淘汰の傾向は加速している。アイドル界がこのような事態に陥った責任の一端は吾輩にもある。
才能を開花させる多くのアイドル、次第に目の肥えて行く観客、頂点として物差しにされる阿僧祇なゆ。
来るべき変化であったかも知れないが、吾輩の『ラーニングメソッド』による指導がなければこれほど速くはならなかっただろう。
無論、優れた指導者は他にもいる。何より努力は彼女ら自身のものだ。
吾輩の成果ではない。吾輩の罪だということさえ思い上がりであるのかも知れない。
それでも吾輩はプロデュースを止めるつもりはない。
時が過ぎるほど過酷になるアイドル生存競争に対して、後の世代ほど有利になる『ラーニングメソッド』は何よりも有効だ。
アイドルを目指す彼女らを支えたいという想いは日増しに強くなっていた。
才能の保証だけではない。肉体の故障、精神の不調、経済の事情、それらから守るために幻想企画プロダクションの設備には多額の資金を投じて育成環境を整えた。
気付けば吾輩自身の夢よりも、教え子たちのことを考える時間の方が長くなっていた。
しかし、それはやはりエゴなのだ。
繰り返すが吾輩のプロデュースは吾輩の夢に根底から繋がっている。
何よりも吾輩がこうして活動していること自体が吾輩の夢を忘れず『おもちゃ箱』の誓約に従っていることの証左だろう。
吾輩は決して吾輩の夢を捨てていない。
しかし何故だろうか。レディがイグニッション・ユニオンの話を持ち掛けた時、吾輩は不思議と乗り気になれなかった。
吾輩が再び吾輩の夢に向かって動く絶好の機会だったというのに。
気持ちの整理がつかないまま、レディの思惑通りに熱量が増した。靄を抱えたまま戦うのも吾輩の業かと思ったが。
今は楽しみが勝っている。警備員の彼。
戦士として素晴らしい才能の持ち主だ。どのような努力を積んだのかはわからないが、隠しようもないダイヤの原石。
魔人能力の強みもあるとはいえ、武器を合わせる技術で吾輩に並んでいる。
吾輩の中の熱が大きくなっている。人々を魅了したいという欲求だけではない。“闘技場の小公子”の持つ熱はアイドルのそれよりも凶暴らしい。
そう、まるでネコ科の肉食獣のように。
◆ ◆ ◆
仕込み杖と警戒棒がぶつかり合う。
屋釘の手に返る感触は軽い。
クロスケの刃は押しも引きもせず、警戒棒の表面を滑り屋釘の手元に向かって行く。
屋釘は腕を捻り警戒棒を仕込み杖の下に。跳ね上げて刃を離す。
屋釘の魔人能力『普通の生き方』は彼が「魔人能力によって引き起こされたと認識した」事象によって損害を受けないという能力だ。
クロスケの刃は意識外の攻撃でなければ屋釘を傷つける事がない。
逆に言えば屋釘には攻撃を受けるならばそれを意識する必要がある。
屋釘にとってただでさえ大道寺と阿僧祇なゆの動向が気にかかる現状、他に注意を引かれる状況は不本意だ。
第一に警戒するのは警戒棒を弾き飛ばされること。そうなれば反射的に離れた武器に意識が分散して思わぬ隙を作りかねない。
傷はつかなくとも物理的な事象全てを遮断できるわけではないから、そっと屋釘の手からグリップを外されるということがあり得ないわけではない。
それができるほど器用な剣だと感じていた。
他に警戒すべきは不可視の攻撃。例えば毒ガス。サイボーグであるクロスケならばノーリスクで使える手段だ。
しかし、それはなさそうだと屋釘は思っている。
造り変えられた劇場の壁には相変わらず大穴が開いている。ガスを使うには不向きな環境だ。
クロスケが見栄え、勝ち方にこだわっているらしいというのも根拠の一つではある。
とはいえガスに限らず察知困難な攻撃の線は捨て去るべきではない。
クロスケの一挙手一投足を見逃せない。
「ところで自己紹介がまだだったね。吾輩の名はクロスケ。カタカナ4文字でクロスケだ」
「プロデューサーにも芸名使うやついるよな。本人もタレントになってるやつ」
「確かに吾輩もそんな面があるけどね。君の名を名乗る流れだろう?」
クロスケの大ぶりな横薙ぎ。
喋りながらの動きで雑になったか、と思う間もなく。
上半身のみを後ろに反らして躱した屋釘の脚を狙う左腕の二撃目。
二刀流ではない。クロスケは右腕で振り切る前に仕込み杖を左腕に投げ渡していたのだ。
「ああ! やはり効かないのだね!」
刃は屋釘の脚を捉えた。それだけだ。
武器狙いでないなら屋釘は体で止める。傷つくどころか体勢を崩すこともない。
屋釘の警戒棒がクロスケの喉を突き――クロスケは首を傾げる最小限の動きで躱した。
サイボーグである身に当たったとしてもどれだけ効くかは怪しいものだが。
互いに決定打がない。
焦れるのは屋釘の方だ。
時間がかかるほど阿僧祇なゆが大道寺を発見する可能性は高くなり、二人が対峙すれば勝ち目は薄い。
クロスケにとっても面白くはない。なゆの活躍で幕引きとなるのは構わない。
しかしその前に自身の策が屋釘に通じるか否か、勝算は薄いと思っているがせめて確かめたかった。それを試す機会すら得られていない。
会話を試みるのはその糸口を掴むためだ。
「警備員君、本当に強いね。やっぱり長いこと鍛えてるのかい?」
この仕事に就いてからのつけ焼き刃だ。内心の答えは口に出さずとも、屋釘の顔にはいら立ちが浮かぶ。
屋釘は魔人としての身体能力こそ優れていたものの、何かに打ち込み訓練するという経験はなかった。
そこで就職後に部長から課されたのが短期間で強くなれるという訓練の数々である。
決して効率的なトレーニングではなかった。
そもそも鍛錬でもなかったかも知れない。
例えば、銃口を突き付けた状態から発射される弾丸をかわす。
例えば、雲の上まで伸びる柱を道具無しで登る。
例えば、その柱の頂上で暮らす仙人が持つ毒を飲む。
例えば、そこからパラシュートなしで地上に飛び降り受け身を取る。
失敗すれば死ぬ。成功してもそれで強くなったと言えるのかいまいちわからない。
元々それができるくらいの身体能力があったというだけではないのか。
やはり黒服警備保障はブラック企業だ。
馬鹿馬鹿しいくらい嫌な思い出だ。
部長は漫画の読み過ぎだ。
というのが屋釘の感想だ。
「しかし我流なのかな? 吾輩には粗削りに思える。こういう技は使えるかね?」
クロスケが振りかぶり、袈裟掛け。警戒棒とかち合う前に仕込み杖を右手から左手へ投げ渡す。
「さっきもやったやつじゃねえか!」
意趣返しとばかりに屋釘も警戒棒を左手に持ち替えていた。
「おお、しっかり学んだね」
クロスケの顔に会心の笑みが浮かぶ。今度ははっきりと不敵な笑みだと言えるだろう。
彼は機会を捉えたのだ。
屋釘は恐るべき速度と力で警戒棒を振るう。
クロスケは仕込み杖を合わせ、素直に引いた。
屋釘は自身の体に違和感を覚える。
動きが鈍くなったわけではない。むしろ逆だ。必要以上にぶん回る。
「ところで筋力トレーニングの仕組みは知っているだろうね。疲労し傷ついた筋組織が再生することで以前よりも強く生まれ変わる。大きな負荷をかけるほど成長の度合いは増す。かといって負荷が大きすぎれば再生不能なほどに傷ついてしまうから、そこは注意が必要だとも。無理な努力は怪我の元だよ」
そして、クロスケの『ラーニングメソッド』は今までに教えた分だけ成長率を加算できる。
アイドルは体力勝負の仕事だ。当然筋トレの指導もしている。
その全ての教え子の成長率を加算させたなら、それに見合う負荷はどれだけのものか。
能力の対象は教え子に限られるが、教える形式は何でもいい。挑発して技を盗ませるというのもそうだ。
屋釘は武器を構え直し、それだけで歯を食いしばる。
ほんのわずかな動きにさえも『ラーニングメソッド』が屋釘の筋組織に想像を絶する負荷をかける。瞬く間に全身の筋肉が千切れそうな痛みが走った。
これがクロスケの策。
屋釘の能力が相手の攻撃を無効化する物であるならば。
これは攻撃ではない。成長のサポートだ。
傷つくこと自体は屋釘自身の動きによる。自壊とすら言えるかもしれない。
屋釘の能力の仕様はクロスケの想定と異なっている。
これがクロスケの能力による事態だと気づいていたなら、やはり屋釘は被害を受けなかっただろう。
しかしそうはならなかった。痛みがなければ気づきようがない。気づいた時にはすでにダメージを負っている。
「……策は半分当たりというところかな」
効果はあった。しかし致命ではない。
全てがクロスケの狙い通りなら屋釘には立っているだけでも負荷がかかる。
既に動けなくなっていてもおかしくはない。
屋釘は以前として構えを解かない。その一見無気力な目の奥の闘志も失われてはいない。
最初に痛みを認識した以降は効いていないというように。
屋釘の『普通の生き方』は確かにそのタイミングで発動していたのだ。
魔人能力によるものという認識さえあればよく、どんな能力か理解している必要はない。
通常起こりえない身体の挙動とそれに付随する痛み。屋釘にとって何らかの魔人能力の影響と判断するのに十分だった。
しかし『普通の生き方』が既に発生したダメージを遡って無害化することはない。
屋釘の全身には変わらず激痛が走っている。その状態の体を動かせば傷は悪化する。それもやはり止められない。
「まあ、なんだ」
今度は屋釘の方から口を開いた。
「無理な努力には、慣れてる」
軽薄な、ひきつった笑顔が作られる。普段の屋釘からは考えられない程下手くそな笑った振り。
睨むクロスケに油断はない。勝利はまだ手にしていない。
「ところで、爆弾があるんだよ」
屋釘がそう呟いた瞬間、確かにそれが現れた。どこか遠くまで続く長い導火線と共に。
◆ ◆ ◆
マイリーマンズは二手に分かれる直前に一つのパントマイムを行っていた。
大道寺が掌を上向けて両腕を広げ、よろけながら屋釘に近づく。
半ば倒れ込むような勢いで屋釘の手を取り、肩が軽くなったというように両手をぶらぶらと振る。
ここまでが大荷物を屋釘に預けるという意味合いの動作だがまだ続きがある。
軽快な小走りで屋釘から離れ、中腰になる。左右の手は同じ高さで肩幅の距離を取り一直線上に並べる。軽く肘を曲げるが手は動かさない。
パントマイムの基本の一つ、棒の表現だ。
そして上半身全体を使い体重をかけて棒を下に押し込み、背筋を使って引き上げる。
棒から手を離し屋釘からさらに距離を取り、耳を塞いでしゃがみ込む。
この一連の流れが爆弾のパントマイムである。
彼らの作戦としては大道寺は爆発があるまでしゃがむパントマイムをし続けて、屋釘は阿僧祇なゆに接近してから爆弾があると口にする予定だった。
普段から爆破に巻き込まれているクロスケに対しては効果が期待できない一方で、阿僧祇なゆ自身が爆破されたことは二人が知る限りなかったからだ。
しかし現実には屋釘はクロスケに追い込まれこの切り札を切らざるを得なかった。
次の攻撃手段を仕込み直さなければならないが屋釘が離れた今爆弾は使いづらい。遠くに運ぶ役がいなければ大道寺自身にとっても危険だ。
その一方、クロスケと屋釘が戦う間、阿僧祇なゆを乗せたトレーラーは鏡写しの池袋を手当たり次第に更地にしながら走り続けていた。
音楽はしめやかなバラード『i』へと変わっている。
「この詩届けるコンサート~、手と手を繋いで握手会~」
この詩届けるとか手と手を繋ぐとかの歌詞はよくあるから陳腐に思われがちだけどアイドルやってると実際にイベントでそういうことするしその場でやり取りされるお互いの気持ちは本物だよねという意味合いの神々しいまでに愛情深い歌声が響く。
阿僧祇なゆはライブの最中も絶えず舞台上から見える景色に気を配る。
一帯はトレーラーの活躍により見晴らしがよくなっているが人の気配は感じられない。
ライブとは無関係の爆発が起きたのはその時である。
爆風を受けてトレーラーが揺れる。
火の手が上がる爆発現場はクロスケと警備員が戦う旧シアターグリーン。
爆破規模は彼女のライブ演出以上か。
アイドルの中でもトップクラスの視力がそこから伸びる導火線を捉えた。
能力による実体化であり、それを解除したのであろう。ピエロへ繋がるラインはすぐに消えさった。
それを見たのが阿僧祇なゆの銀の瞳でなかったのなら、あるいは逃れ得たのかも知れないが。
「東武百貨店8階スカイデッキ広場~!」
静かながら力強いサビの盛り上がりの後の間奏の間に池袋駅ビルに手のマイクを差し向ける!
ライブ中の煽りに乗じて掴んだ敵の位置情報を知らせる知的パフォーマンスだ!
そのメッセージはプロデューサーとしてライブ音声を無線でモニタリングしていたクロスケにもリアルタイムで届いていた。
爆発跡にクロスケの姿はない。消し飛んだはずはない。それならばその時点で戦闘は終了している。
彼はその場を立ち去ったのだろう。
目前の警備員を追い詰めはしたがとどめを刺すことは困難であり、先ほどの爆破からピエロの能力も警戒すべきと判断したか。
屋釘も重い足取りで炎の燻るシアターグリーン跡地から離れる。
かくして4人は再び1か所へ集う。
戦いは最終局面を迎えつつあった。
◆ ◆ ◆
本当に小さな子供の頃、俺はヒーローとアイドルの区別がついていなかった。
正確には男の演者がヒーロー、女だったらアイドルだという解釈をして、そういう区別はあるけれど本質的には同じものなのだと考えていた。
わかっていなかったのはヒーローショーとアイドルのライブの違いだ。
どちらも見た回数は多くない。それぞれ一度しか見ていないのかも知れない。
覚えているのは断片的な場面だけ。
ステージの右側に三色のヒーローが並んだの対して左側の悪役は一人で向かい合っていたとか。
曲の終わりにアイドルがカメラに向かって指さすポーズを決めた瞬間、その背後で花火が上がったとか。
その前後に何があったとか、どんな歌詞を歌い上げていたのかといったことはまるで思い出せない。
あの頃それを見た俺がどんな風に感じていたのか、今はもうほとんど覚えてはいない。
僅かでも俺の記憶に残っているのだから、きっと興奮して、感動して、熱くなっていたのだと思う。本当に思い出せないが。
阿僧祇なゆは記憶の中のアイドルかも知れない。当時から活動していたはずだし、外見も衣装や髪形の違いだけだ。
どうでもいい。
別に確かめねばならないことではない。
俺がまだこの鏡像の池袋にいる以上、試合は終わっていない。
忍は身を隠したか、あるいは戦い、粘っているはずだ。
それもいつまで続くかわからない。
トレーラーは駅ビルの前に乗り捨てられていた。
阿僧祇なゆは確実に俺より先に到着している。
聞き覚えのある歌が行く先から響いてくる。
クロスケの走りも当然今の俺より速いはずだ。
そして忍も俺より強い人間だ。少なくとも精神的には。
エスカレーターを上がり切り、広場への扉を開く。
そういえば、ヒーローショーを見た場所は、どこかのビルのこんな屋上だったと思う。
「まあ、想定通りだな」
まだ勝負はついていない。
しかしこのままでは時間の問題だろう。
阿僧祇なゆは広場中を動き回っている。
流れる曲は『愛と欲望のシチリア』。
デビュー当時の演出を再現しているのか爆破はほとんど起こっていない。
しかし振付は暴力的だ。
舞うような動きの戦い。というか本当にダンスで戦っているのか。
喋りながら戦うのは難しい。下手なやつなら声に力が籠って仕掛けるタイミングが丸わかりになる。
しかしアイドルならば歌いながら踊るのは当然のスキル。つけ込む隙にはなるまい。
忍の方はボロボロだ。メイクも衣装も赤の割合がかなり増えている。
それでも立って構えて、倒れて転がる。
俺が教えたガードと受け身を愚直に繰り返している。
「行くか」
俺も長くは持ちそうにない。気合で誤魔化すにも限界がある。そもそも俺に気合なんてないな。
相手は芯まで鋼鉄のサイボーグ。こっちのメッキが剥がれる前にけりをつける必要がある。
痛みに耐えながら二人の間に割り込んでいく。
阿僧祇なゆの動きと表情に乱れはない。
気だるげに一歩踏み出しハイキック。振り返って元の位置に。
見覚えのある振りだ。
ダンスを全部覚えていれば先読みもできたかも知れないが生憎そこまで詳しくはない。
警戒棒を下段に構え、腿を目掛けて打つ。
感触は非常に硬い。
俺の体にはこの動作だけでかなり響く。
それでも打つ。
殴られながら、蹴られながら、ひたすら打つ。
奇妙な応酬だった。
お互いの攻撃は効いていない。
互いに自分の動きを押し通しているだけだ。
続ければ先に倒れるのは俺の方だろうが。
背後の相棒が息を整える時間は十分稼げた。
「忍、戦えるか?」
振り返りはしない。
シュシュシュとと空を切る音が聞こえた。
おそらくはファイティングポーズを取った後にシャドーボクシングをしている。
戦える力は見せかけだけ。一瞬の空元気。
「やる気満々、パワー全開かよ」
そして、今はそうなったはずだ。
◆ ◆ ◆
忍というのがピエロさんの名前らしい。
強い人なのだと思う。
二人での舞台が始まってから彼はまず壁のパントマイムをした。
私もライブ中だからレスポンスはできなかったのだけれど、本物のパントマイマーだとすぐにわかった。
だって彼は声を上げない。どれだけ拳と脚を届けても、苦痛の呻きも恐怖の悲鳴も漏らさなかった。
パントマイムの動作を止めてからも彼はひたすら耐え続けた。
そして遂に警備員さんがやってきた。
来ると信じる心の強さも持っているのでしょうね。
私だって私のパートナーを信じているけれど、まだ時間がかかるのかしら?
警備員さんの服は傷一つないけれどひどく汗をかいている。動きはかなりぎこちない。
クロスケは頑張ってくれたのでしょう。
さっきの爆発と導火線、そして今の回復、どちらも忍さんの能力だとして、キーになるのは忍さん自身の動きと警備員さんの言葉よね。
自身の動きを他者が口にすればそれが実現する能力。忍さんだけでは壁を作れなかったようだし多分間違いない。
警備員さんの発言を防ぐのが大事になるわね。
その警備員さんの打撃が何度も当たっているけど力は全然籠っていない。
ダメージがかなり深いみたい。
クロスケと渡り合える彼が万全だったら、おそらく私の体も耐えられなかった。
忍さんが見かねたのか警備員さんの横に立った。
「馬鹿、下がれ」
警備員さんがかすれた声でそう言うけれど。
ああ、そうか。気づいてないから警戒しているのね。
ちょうど曲と曲の間に入ったしMC変わりに教えてあげましょうか。
「忍さんにはもうおもちゃビームは当たってるわよ。それでも全然変わりなく動いているけれど」
「はあ!?」
手早く撃つために設計の手を抜いて見た目はそのままにしたからね。
忍さんとして私と戦っているのも本人の意思がそのまま残っているから。
人間はそうなるみたい。クロスケやサイボーグにした他のアイドルの子たちもそうだしね。
そして動き続けているのは人々を魅了するという意志を持ち続けているから。
そうしないと止まるというのは教えてはいない。忍さん自身にその意志があるのよ。
ちなみに赤い色は塗装が剥げたからです。
サイボーグになってからも多少はダメージを受けたでしょうけど、さっきまでの不調の原因はサンシャイン劇場で受けた負傷ね。
それも込みでそのままの設計だから傷ついた人間のようなサイボーグになったのよね。
「マジかよ……」
疲れた顔の警備員さんの横に今度こそ忍さんが並び立つ。
私たちもやっと準備ができた。
「それではラスト1曲聞いてください! 『HERO』!」
男の子向けというわけではない、単純に私好みのカッコいいイントロが流れる。
「ああ、効いてたんじゃねえか」
警備員さんが少し安心したようにぼやく。
私の隣には燕尾服もボロボロで、塗装も剥げて、その諸々傷ついたクロスケがポーズを決めて降り立った。頭頂部のハッチからは危な気な煙が噴き出している。
ここ、屋上ではあるのだけれど、建物の半分以上はもっと上まで突き出ているのよね。
「遅いじゃないの」
「確かに淑女を待たせるのはよくなかった、すまないね」
かなり落ち込んでるわね。
それでも老骨に鞭打ってもらいましょう。
これは二人のステージだから。
私たちのフォーメーションはいつもと同じ。
私が中心で動かず、クロスケが遊撃。今は前に出てもらう。
対してマイリーマンズは忍さんが進み出た。
武器は持たず、パントマイムでもなく、高速の連打。チェーンパンチ。
元来巨体で今は鋼鉄のサイボーグとなり、更に全快している。
先程までとは比べ物にならない圧力を感じる。
けれど。
クロスケはその全てを捌く。抜き身の仕込み杖を添わせて逸らす。
それだけではない。
ガリ、ガリ、と掘削音。
合間に放たれるクロスケの突きに忍さんは対応できていない。その首元に少しづつ傷が増えていく。
クロスケは相当にダメージを受けている。しかしそれがそのまま可動の問題とはならない。
そもそも私が設計する機械は構造的に不完全で、夢のパワーで無理矢理動かしている。
逆に言えばどんなに不完全な状態になっていても夢のパワーさえあれば変わらず動くのだ。
ただし本当に壊れかけの物を動かす場合、物理的に分解してしまう可能性もあるけれど。
クロスケが復帰に時間をかけたのはそうならないよう最低限のメンテナンスをしたからね。
両肩や両腿から分解してしまっても各手足の関節は動かせるはずだけれど、それだけでは戦闘不能ですからね。
勿論忍さんも条件は同じ。傷ついた彼という私の設定から「やる気満々、パワー全開」に切り替わっている。
もう好き放題に動けるはず。
けれどクロスケと互角ではない。
体を動かすのは彼ら自身の意志による。
そのように動くという明確なイメージが必要だ。
元々クロスケの速度に追いつけていなかった忍さんの思考は今も見るからに遅れている。
クロスケはペースを保ちながら、削れた傷の上を繰り返し斬り付けていく。
狙いは忍さんの分解だ。
それも長丁場になるか。
警備員さんも散発的にクロスケに向かうけど軽くあしらわれている。彼の限界は近い。
事態を動かすには新たな武器がいる。
しかし既にこの場にある物は目に付く限り照明と音響の設備に変えてしまった。
「wow wow wow wow wow wow!」
もはやこの場の誰にも大したダメージを与えられない爆破を足元に向ける。
崩れた床の下には7階のスポーツ用品店。
クロスケと忍さんが落ちていく。躊躇わずに私も続く。警備員さんが苦々しい顔で屋上に伏せているのが視界の端に見えた。
着地と同時、振りの動きの中でダンベルを一つ掴み取る。
おもちゃビームの光を纏う手で。
「クロスケ!」
質量保存の法則を無視して変化したそれを投げ渡す。
重く鋭い一振りの長剣。
本物を見たのはもうずっと昔のことだけど、上手にできているかしら?
「ありがとう、レディ」
猫頭が微笑みを見せた。紳士というより獅子のように。
そこに立つのは幼い私を魅了したヒーロー。“闘技場の小公子”。
実用的とは思えないキザったらしい構えを取って。
ちなみに今流れている『HERO』は密かに彼のことを詩に書いた。
本人は気づいているのかわからないけど。
きん、と澄んだ金属音。不可視の速度。無敵の一撃。
私の目にも見えなかった。
「ふむ、やはり君のサイボーグは丈夫だね」
クロスケは再び剣を構え、数十メートル離れた床を見据えている。
忍さんはそこでうつぶせに倒れている。
首はまだつながっている。
衝撃で気を失ってもいない。
彼はゆっくりと立ち上がった。
火花を散らす首元の傷は非常に深く、半ばまで切断されていた。
忍さんは一歩踏み出そうとしたのだろう。しかしそれは叶わなかった。
足が上がらないらしく前のめりに倒れた。
そのまま床に両手をつく。
今度はその手も上がらないらしい。
背や肩に力を込めている様子なのにまるで動かない。
いや、何かおかしい。
その動きは、体に力が入らないというよりも――
「その階の床は、触るとくっついて、動けないらしい」
荒い息の混じった警備員さんの声。
見上げれば天井に開いた穴から覗き込んでいる。
まずい。パントマイム。そして言葉通りだ。
私の足も床に張り付いている。
ステップが踏めない。
クロスケも手遅れになる前に動こうとしたのだろうけど、忍さんには僅かに届かない距離で止まっている。
そして何より。
「いい位置だな」
私の位置がまずい。
着地した地点から動いていない。
警備員さんが警戒棒を下向きに構える。
彼が力を込められなくても、ただそこから飛び降りるだけで、彼の体重と落下のエネルギーを警戒棒の先端一点に集中できる。
私はそれに耐えられる?
一点を貫通する傷ならそれが頭部でも戦闘不能にはならない。
けれどもしもこの細首に当たれば、頭と胴が分断されれば。
それで終わる可能性はある。
でも、まだできる事はある。
動かせないのは足だけだ。
落下する彼の軌道を見極めて上体の動きで致命打を避ける。
今の私にできるだろうか。
足が動かないという状況は魔人になる前、サイボーグになる前の私を思い出させる。
サイボーグでもなく、アイドルでもなく、ただ車椅子があるだけの私。
ハンドリムを少し回すだけでヘロヘロになった私。
ロボットやスター、色々なものに憧れた私。
たくさんの人に支えられて、私自身も頑張って、変わったつもりでいたけれど。
もしかしたらあの頃の私とそれ程変わっていないのかも知れない。
サイボーグになった私に鉄腕アトムほどの夢があるかしら?
アイドルになった私は美空ひばりより上手に歌えているかしら?
ああ、でも。
確かに変わったことがある。
鉄腕アトムにも、美空ひばりにも、私にはない輝きがある。
それでも、もう憧れはしない。
ステップを踏めなくても、今は私自身がアイドルなんだ。
上体だけでも、首だけでも、今できる私自身のパフォーマンスで人々を魅了してみせる。
ああ、なんだ。
その気持ちは全然変わっていない。
みんなの応援に応えたいという気持ちは変わらなくてもいいのよね。
「来なさい」
もうステップどころか歌も唄っていない。
それでもいい。
今はこの一撃を受け止める。
警備員さんは気合の声もなく、倒れ込むように落ちてきた。
口からごぼりと血を吐いた。
それでも目はしっかりとこちらを見ている。
鬼気迫る凄絶な姿。照明が彼を照らす。彼の周りに光の粒子が見えた。
その光は飛散した汗だ。
私の体からはもう出なくなった物。
「あ」
唐突に、一つ思い出す。
車椅子に乗り始めた頃。
当然パフォーマンスなんてできない頃。
それでも私を応援してくれる人はいた。
ええ、それはベテランアイドルの在り方とはまた別の話だけれど。
クロスケの指導について引っかかっていたこと。
そういう愛され方もあるとあの人は知っているのかしら?
一度話してみなくては。
――ライブ中にそんなことを考えるのは呆けているのと同じことだ。
警備員さんが首を狙って迫る中、私は少しも動けずにいた。
――阿僧祇なゆらしくもない。
けれど私にはそれが当たらない。
――注意しないとガールに逆戻りだよ。レディ。
効かない重火器を乱れ打ちながら、自身の脚を叩き折って、せっかく作ってあげた剣も棒高跳びみたいな使い方をして。
クロスケが私の盾になり、猫の頭が弾け飛んだ。
「そこまでして助けに来たって、アナタが戦えなくなれば結局負けになるじゃないの」
「それでも、プロデューサーとして、レディの負けは許容できないのだよ」
「ああ、もう」
本当に、一度ちゃんと話してみなくては。
◆ ◆ ◆
「まあ何とか勝ったってことで、乾杯」
この家に酒はない。湯飲みに注いだのは例の古くて薄い茶だ。
忍はちょっと口をつけただけでちゃぶ台の上に戻してしまう。
正座する忍が見据えるのは部屋の隅に置かれた木人拳。
俺の買った家具ではない。戦いぶりを反省したらしい忍が持ち込んできたのだ。
自分の家に置いてほしい。
忍がおもむろに立ち上がり中腰の構えを取る。
ヒュンヒュンヒュンヒュン!
その手から放たれた4つのジャグリングボールは過たず木人拳に命中した。
「なあ、それ意味あるか? 当たっても痛そうじゃないし。あとなんというか、お前がそれをそう使うの、なんか複雑な気分なんだが」
忍はこちらを見て軽く頷く。
結構マジらしい。
第一試合が終わってから忍はどことなく焦っている気がする。
クロスケの戦闘不能で俺たちの勝利。
そしてクロスケに与えた二つの有効打、爆弾とくっつく床はどちらも忍によるものだ。
俺の方はちょっと鍛え直さないとヤバいかもしれないが忍がそこまで焦る理由はないと思う。
どちらかというと防御技術を磨いてほしい。
「この前の反省というか、振り返りというか、ただの感想なんだけどさ、アイドルってカッコいいよな」
特に深い意味もなく、思いついたことを喋る。
忍は首をかしげて考えるようなそぶりを見せたが、すぐにこくりと頷いた。
次の試合に向けて考えるべきことは他にもある。
今回は奇跡的に有休をとって出場できたが次の有給届も受理されるかはわからない。
出場方法をどうにか確立する必要がある。
冷静になるために茶を口に運ぶ。
薄いが薄いだけで不味くはない。
ところで、封を切っていない茶葉の袋が戸棚から一つ見つかった。
こちらはパッケージの印字も薄れておらず、賞味期限切れだとはっきりわかった。
最初に数袋まとめ買いした記憶があり、その後買い足した記憶はない。
今飲んでるものも古さは変わらないと思う。
賞味期限はやはり当てにならないということだ。
◆ ◆ ◆
「こんにちバーニング~! キュートでパワフル、ファイヤーラッコです~!」
「ハローワールド! 恵撫子りうむです!」
『こんにちアイドル~! バーチャル阿僧祇なゆです!』
「ということでね。今日はブイチューバーのバーチャル阿僧祇なゆさんが遊びに来てくれました~パチパチ~」
「わ~いパチパチ~よろしくお願いします!」
『こちらこそよろしくお願いします。結構前からね、りうむちゃんとお話ししたいなあ~って何度か言ってたんですけども。ようやく会えたわね』
「わわわ、私の方こそ! お会いできて嬉しいです!」
「え、俺は?」
ファイヤーラッコTV、収録現場はC3ステーション社内の一室だ。
長テーブルに並ブファイヤーラッコ、恵撫子りうむ。その横に設置された大型モニターにバーチャル阿僧祇なゆの3Dモデルアバターが映し出されている。
「……うん、先に進もう! 今日の企画はこちら! じゃん! 『第1回イグニッション・ユニオン敗退選手反省会』~」
『ええ~? 死体蹴りのために呼ばれたの?』
「ラッコさん酷いですよ~!」
「俺じゃねえんだよ! そこでカンペとステッキ持って笑ってる猫が待ちこんだ企画なの!」
『負けたのアイツなのにねえ』
「いやもうね。今この3人が揃ったらこの大会の話をしないといけないわけよ」
「はい! 私とラッコさんはイグニッション・ユニオンという闘技大会のメインMCをやらせてもらっています。そしてバーチャルじゃないリアルの阿僧祇なゆさんと、画面には映ってないですけれどそちらのクロスケさんも、出場選手として参加していただきました」
『残念ながら1回戦敗退でしたけどね』
……収録は順調に進んでいる。
見守るクロスケの口元ににんまりと笑みが浮かぶ。
彼がこの企画を持ち込んだ理由は一つ。先の敗戦に対する印象操作だ。
クロスケが足を引っ張ったというイメージを広めて阿僧祇なゆの名誉を可能な限り守ることが狙いだ。
「あの、さっきからクロスケさんを結構ボロクソに言ってますけど大丈夫ですか? 大分悪そうな顔で笑ってますけど後が怖いやつじゃないですか?」
恵撫子りうむが優しさを発揮したがクロスケにとっては余計な心配だ。
すかさずカンペ!
「『全然大丈夫です。もっと猫のことボロクソに言っちゃってください。貶せば貶すほど喜びます』いや怖いですよ!? というか気持ち悪いですよ!」
「俺に任せろ相棒! さっきから言ってやろうと思ってたんだけど、あの猫ぶっちゃけジブリのパクリじゃねえの!?」
『そういうのは違います』
「あ、違う? 普通にごめん。今のカットで」
『じゃあ私から言わせてもらうわ』
バーチャル阿僧祇なゆが美の化身じみたポーズを取ってその場の空気を支配した。
『一番の問題だと思うのは意志疎通ができていなかったことよ。今だってできてないのよ。あの猫さっきから自分一人で泥を被ろうとしてるの! しかもそういうの全部一人で勝手に決めちゃうのよ!意思疎通ができないのって本当は二人の問題なのよ! でもね、話し合って意見がぶつかるならいいけど、そもそも話さないっていうのは本当にアナタの良くない所ですからね! いつも人の話を聞くだけで自分の悩みなんか一言も言わないんだから! そうだ、この前奥さんも言ってらしたのだけど――』
大型モニターの電源が切れた!
床に突き立った仕込み杖が電源コードを切断している!
想定外にプライベートな話題に踏み込みかけたことに焦ったクロスケの妨害工作だ!
「危ないところだった……」
額に流れる汗を拭うクロスケ。
えっこれどうするのという顔のメインMC二人。
空気が固まった部屋のドアが勢いよく開け放たれた!
「こらあ!」
隣室でモーションキャプチャーしていたリアル阿僧祇なゆの乱入だ!
入り口側から追い込まれとうとう収録画面に映り込むクロスケ!
あっじゃあもうこういう動画ってことでいいんじゃないのという顔のメインMC二人!
「コンビなんだから! ちゃんと! 話をしなさい!」
それは、胸につかえていたことを言えたからだろうか。
元々の顔がいいからだろうか。
阿僧祇なゆの表情は常なる完璧なアイドルの肖像とは異なっていた。
普段の完璧な笑顔とは違うけれど。
それもまた、嘘のない、本当の笑顔だった。