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 転送を終えた火友の目に映ったのは、ごく普通の教室だった。
 黒板、教壇、そして生徒用の机が規則正しく並び、そしてその机の上をジョーが駆けてくる。

「えっ! ちょっ! タンマ! はやいはやい!」

 鏡の世界への転送先はどこになるか分からない。
 火友の方はいきなり鉢合わせは無いだろうと高を括っていたが、ジョーの方はそれもひとつのパターンとして想定していた。
 そこが初動の差に現れている。
 とは言え教室の対角。ひとっ跳びとはいかない距離。

「みんな、行って!」

 なんとかポーチを開けるくらいの時間は火友にあった。
 逆に言うと、それくらいの時間しかなかった。
 ジョーに突っ込んでいく火たちはその直線的な動きを見切られ、簡単にかわされる。

 そのまま跳躍したジョーは、火友に渾身の飛び蹴りをかます。

「ふべっ!」

 仰向けに倒れ込んだ火友の上に跨り、ジョーはさらに追撃を掛ける……つもりだったが、熱を感じて跳び退いた。
 中空に飛び出した多数の火がUターンして襲ってきたのだ。

「意外とやっかいですわね」

 ジョーの攻撃手段は、徒手の他にはスカートの内側に隠してあるナイフくらいのもの。
 火友自身の戦闘力は一般人と変わりないと踏んだが、火への対抗手段が薄い。
 一旦逃げを打ち、対抗手段を探しながら、反男との合流を目指すか?
 しかしそれをするにしても、先に相手の詳しい情報は得ておいて損はないだろう。
 ジョーは火友を「招待」し、お茶会を開催した。


 そーーっと、そーっと、反男は扉を開く。

「ここでもない、か」

 残念さとホッとした気持ちが混じった溜め息を吐く。
 ひとり別の場所に転送された彼は、ジョーを探していた。
 もちろん敵の方を先に見つけてしまう可能性もあるので、ビビり倒しながら、慎重に、慎重に。
 呼吸を落ち着けてから次の教室の扉に手を掛けた。
 その時だった。

 ゴロガラドコゴロガッシャーーーーン!!

 少し離れた廊下端の階段前に、薄汚れた巨大な塊が落ちてきたのが見える。

「あれって確か……」

 対戦相手の片割れ、呪物ゴーレム(仮称)だ。
 その姿を認識した瞬間、反男の体に悪寒が走る。
 アレはヤバい!
 我流ゆえに真っ当な仏教知識の無い反男だが、と言うか仏教とか関係なく、生来の危機察知能力が告げている。
 ゴーレムを構成しているのは、どれも一級品の呪物だ。
 急いで、しかし慌てず、今手に掛けている扉の中を覗き込む。
 よし、無人だ!
 さっと中に入る。
 教室内から見て廊下側、前後両方の扉が開くことを確認する。逃げ道の確保だ。
 それから、扉を少しだけ開けて、廊下にいるゴーレムの様子をうかがった。
 こっちに来る!

「……」

 反男は、武器の、なんかそれっぽい文字を書いた細長い板を強く握った。

 ズシン、ズシン

 音を立てながら、ゴーレムが歩いてくる。
 そしてゴーレムがついに反男のいる教室の前まで到達し――

「……」

 ズシン、ズシン

 しかし、反男を全く気にすることなく通り過ぎる。

「あ、おい!」

 ゴーレムはあてもなくふらついているというより、どこか目標があって向かっている。
 反男は、直感だがそう思い、こっそり後を付けていくことにした。


「で、全然知らないけどそのヒトを誘って参加したってワケ!」
「そ、そうですの……」

 ジョーは頭を抱えた。
 特に駆け引きなんてものはなく、ほぼ一方的に情報を引き出すことはできた。
 それはいい。
 問題は、火友が相方のことについて何も知らないということだった。
 「本音」と「真実」は違う。知らないことは話せないのだ。

 これ以上火友から情報を得るよりも、こちらの情報をしゃべってしまうリスクの方が高い。
 ジョーはそう判断し、お茶会を切り上げようとカップを置いた。
 ちょうどそのタイミングで、火友が話しかけてきた。

「ねえねえ、そろそろ放火していいかな? いいかな?」

 ジョーはこの言葉に警戒してしまった(・・・・・・)
 能力を解くのを先延ばしにしようとしたのだ。
 その結果、拒否以上の情報を火友に渡してしまう。

「できるわけないですわ。このお茶会では人を傷つけることができないんですもの」

 それを聞いて、火友はにこにこしながら。

「そっか、ありがとう」

 持ってきた油をばしゃばしゃと撒き散らして。

「人を傷つける心配がないんなら、安心して放火できるね」

 ライターで着火した。

「な……
 何をしてるんですの!!?」

 ジョーは頭が追いつかなかった。
 当然だろう。『秘密のティータイム』発動中に暴力行為はできない。
 まさか人を傷つける気がなく火を放てる人間がいるなどと、夢にも思わなかったのだ。

 そのショックから立ち直るまでの数秒の遅れのせいで、ジョーはもはやお茶会を終えるわけにはいかなくなった。
 既に辺りは火の海なのだ。
 通常火が燃え広がるにはそれなりの時間が掛かる。
 しかし火友が着火した場合は『友なる炎』で意思を持った火が暴れまわるため、引火が速い。
 こうなったら、外にいる反男が何とかしてくれるまで、お茶会を維持したまま耐えるしかない。

「信じてますわよ」

 普段なら絶対言えない言葉でジョーは祈った。


 ゴーレムをストーキングして廊下を進んでいた反男は、その前方に火の手が上がっているのを見た。
 既に戦闘が始まっているようだ。
 ゴーレムは燃えている方向に向かって歩いていき、それよりも速く、火はこちら側に燃え広がってくる。
 これ以上付いていくのは厳しそうだが、状況としてはジョーもこの火の向こうにいる可能性が高い。
 どうにかできないだろうか。試合前のジョーの言葉を思い出す。

『反男さん、勝利のために伝えておきますわ。貴方の能力は『なんでも』できますのよ』

 それならば、火の海も越えられるだろうか。
 ゴーレムはついに火の中に突入する。
 この先、どれだけの距離を抜ければたどり着くのだろうか。
 反男の緊張が高まる。

「なんまいだぶなんまいだぶなんまいだぶ……」

 そしてついに反男にも火が迫る!

「なんまハッ! ゴホッ! ゴホッ!」

 やはり、「できるとは思えない」。
 そもそも『無我無中』発動条件の「念仏」途中で煙にむせたら無理ではないか。
 引き返し、火から逃げながら、消火器を探す。

「あ、あれか!」

 苦戦したが何とかピンを引き抜き、消火材をぶっぱなしながら前へと進む。
 しかし、

 ズガシャーーン!!

 前方でまた大きな音がした。
 火を消し切って、音の所までたどり着いた反男は唖然とした。
 道が完全にふさがれていたのだ。
 崩落した天井に、ゴーレムが埋まっていて、じたばたともがいている。
 そのうち抜け出しそうではあるが、それを待つよりも別ルートを探した方がよさそうだ。
 使い終わった消火器を捨て、反男は廊下を再度引き返す。

 ちなみになぜこのようなことになったかと言うと、ゴーレムの体表を形成する呪物の一部に施されていた封印が熱によって溶けだしたからだ。
 最初に剥がれたのは「そんなバナナの呪い」。それによってゴーレムはすっころんだ。
 するとその衝撃で新たな呪い「またガチャで天井行っちゃったよもっと低く設定しろの呪い」も解け、天井が落ちてきたのである。


 ふと、涙がこぼれた。

「どうしたの?」

 火友に聞かれて初めて、ジョーは自分が泣いていることに気付いた。

「学校が、学校が燃えていますの」

 事実を口に出して、余計にその辛さを認識する。

「わたくしは……行けなっ……ぐすっ……」

 スラム街の子供にとって、学校は憧れの場所のひとつだ。
 たまにそこから逃げてきた子もいるが、学び自体が嫌いだったわけではない。
 そんな場所が目の前で燃えて、壊れて、灰になろうとしている。
 鏡の世界だと理解はしていても、目に映る景色の前には関係なかった。

 そんなジョーの姿を見て、火友はある感情を抱いた。

「うらやましいな」
「え?」
「あなたはきっと、リッパな動機で戦ってる。でも……」

 それは、後ろめたさという名の昏い炎。

「私は、ただ燃やしたいだけなの。リアルじゃ放火できないから。ただそれだけ」

「別に深い事情だって無い。火が好きで好きで仕方ないだけなんだ」

「ここを燃やし尽くしたら、次の戦場も燃やしたい。その次も、その次も燃やす。燃やして燃やして、燃やし尽くす」

「だから」

 バン、とテーブルを叩いてジョーに訴えた。

「絶対負けない」

 火友の姿勢に気迫を感じたジョーは、涙をぬぐった。

「わたくしの態度で勘違いさせたのなら謝りますわ」

「こちらだって自分たちのために戦っているだけですもの」

「わたくしは、わたくしたちは、決して『恵まれない』わけではありませんの。同情なんていりませんわ」

 そして、同じだけの強さで睨み返す。

「だから、絶対負けません」

 今はこのテーブルの上が、女2人の戦場。


 消火器を3本ほど使い切ったところで反男は悟った。これではキリがない、と。
 廊下はもうどこもかしこも炎に包まれている。
 こんな中で火元を探すのは無謀だ。

 となると、攻め方を変える必要がある。
 中がダメなら……外からだ!

「いや、これ、大丈夫か?」

 屋上に立った反男は冷や汗を感じた。
 おかしいな、こんな炎天下なのに。
 服で消火器を背中に括り付け、フェンスを乗り越える。
 ここから壁を伝ってベランダに降りていくのだ。
 はっきり言ってできる気がしない。
 しかし、できる気がしないということは、自力でやらなくてはいけないのだ。

「ひえっ」

 校舎は4階建てで魔人が落ちて死ぬような高さでは無いのだが、下を見ると恐怖を感じる程度の高さではある。
 パイプを伝い、震える足で、なんとか最上階のベランダに到達した。
 一息つくと、体を乗り出して横方向に他の教室を確認する。
 やはりまだ外側に火は回っていなさそうだ。
 だが急いだほうがいい。既にほとんどの教室は火の中だ。
 落ちないようにだけ気をつけながら、隣のベランダに回る。
 教室の中を見る。誰もいない。次だ。
 隣のベランダに回る。
 ここにもいない。次。
 回る。
 次。
 回る。
 次。
 下の階。
 さっきよりはもたつかず降りられた気がする。
 しかしこの教室でもない。
 次……っと、火が漏れ出してきた。

「うわっ!」

 まずい、早くしないと!
 隣のベランダに移る。
 覗き込んだ教室の中に、

「っジョー!」

 お茶会をする女子2名の姿を見つけた。
 しかし、扉にも窓にも鍵が掛かっていて開かない。
 そこで反男は、背中の消火器を降ろした。
 そして、反対向きに持ち、

 ガシャァァァァァァン!

 窓に思いっきり叩き付けた。

 で、勢い余って、そのまま教室の中に投げてしまった。

「馬鹿ですの!?」

 反男に聞こえないことをいいことに、ジョーは素直に叫んだ。

「これがあなたのパートナー? ねえねえ、どんな関係?」

 そして別の意味で火が点いた15歳女子。

「あんなのだからわたくしがいないとダメなんですわっ!」

 に本音を言わされ、17歳女子が赤面する。

 『秘密のティータイム』の効果で、間近にもかかわらず反男には2人が何を話し合っているのか分からない。
 分からないが、なにやら激論していることだけは確かだ。
 消火器を失い教室にも入れず、かといってこのままジョーを置いて去るわけにもいかず。
 反男がおろおろしていたとき、それは起こった。

 火災中に密閉された室内を急に開放すると、その部分から酸素が入り込み爆発的な燃焼が発生する。
 「バックドラフト」だ。
 ちなみに、通常これが発生するような室内では火勢は一時的に収まったように見えるものだが、火友の火は能力者の溌溂さが伝染したように元気だった。
 それはともかく。

 爆風によって反男はベランダの柵に叩き付けられた。

「反男さん!」

 ジョーは火友の方に、一転青くなった顔で叫ぶ。

「お茶会はおひらきですわ!」

 そして能力を解除する直前に大きく息を吸った。
 席を立つジョー。たちまち灼熱が身を焦がす。
 息を止めたまま割れた窓を飛び越え、反男に近寄る。
 後頭部から血が流れている。
 完全に意識を失っているというわけではないようだが、危ない状態には違いない。
 ジョーは反男の背中と膝を抱きかかえた。いわゆるお姫様抱っこである。
 覚悟を決めるしかないだろう。退路はそちらにしかない。

「行きますわよ」

 ジョーはベランダから……飛び降りた!

 ズン、と自身より重い反男の体重分を含めた負荷が足腰に掛かる。
 ジョーは顔をしかめた。
 動けないことはないが、このままの体勢では厳しい。
 反男の足を降ろして立ち上がらせ、横から腰に手を回す。
 二人三脚のような姿勢になって、2人は歩き始めた。

「待ちなさい!」

 遅れて火友も校舎から飛び降りる。

「へぶ!」

 が、勢い余って顔から突っ込んだ。

「ほら、今のうちですわ」

 ジョーに背中を叩かれ、朦朧とした意識の中、反男は思った。
 やらかい。
 えっ、ちょっとこれ近くない?
 なんか当たって……
 待て反男、そんなことを考えている場合ではないだろう。
 COOLになれ反男! 拙僧は、拙僧は……

「……んま……ぶな……いだぶ……」

 反男が何かをつぶやいている。
 ジョーは力づけるように腰に回した手をギュッとし、身を寄せた。
 それがいけなかった。

「ナンマイダブナンマイダブナンマイダブナンマイダブナンマイダブナンマイダブ!!!!」

 どうか、彼を責めないでやってほしい。
 無の技を使うのはあくまで「無意識」なのだ。
 「無考え」という無の技もあるが、それは思考する状況、流れが既に出来上がっているからに過ぎない。
 だから彼は強い意志の下で「そう」したのではなく、あくまで反射的なものだったのだ。

 何をしたかって?
 反男は忽然とその場から消えた。
 逃げずに逃げる、「無逃げ」であった。

「そ、反男さん!?」

 急に寄り添い合っていた体が離れ困惑するジョーに

「っ()!」

 後ろから火が浴びせられた。


 それは、燃えていく校舎の中で再び立ち上がった。
 全身に浴びる火からはまだ「不満」の感情が読み取れる。
 また一つ、封印が解けた。自らの体から剥がれた呪物を手に取る。
 この呪物がその「不満」を埋める鍵になるかもしれない。
 もしくは破滅をもたらすことになるかもしれないが。
 どちらにせよ、ただの暇つぶしなのだ。
 それは火に導かれるように、動きを再開した。


「忠告しておきますわ。早くとどめを刺しなさい」

 縄で電柱に手足を縛り付けられながらも、ジョーは気丈にふるまう。
 既に逆転の手は無く、本当にそれをされるとジョーたちは負けてしまう。
 それでも、彼女はそう言わずにはいられなかった。
 だが、火友はその忠告も否定する。

「駄目だよ。あなたを倒したらそこで試合が終わっちゃう」

 立ち上がり、火友は広い校庭に目を輝かせる。

「校舎はもう焼け落ちるだろうけど、体育館とか、寮まであるんだよ! これに手をつけないなんてこと、ある?」
「……」

 お茶会の席で、火友は「人を傷つけたくない」と言っていた。
 他の建物も燃やしたいのは本当だろう。
 だけど、ジョーを傷つける判断を先延ばしにしたいという意図もあるのだろうか。
 もはや能力を発動する体力の残っていないジョーは、答えを聞けなかった。

「じゃ、見張りよろしくね~」

 火友は小さな種火を置いて、浮き足でスキップしながら残る建物に向かった。

「……」

 それが、見えなくなるのを確認して、

「……」

 ジョーは足をくねくねと動かし始めた。
 別に催したわけではない。
 太ももにバンドで固定してあるナイフを使おうというのだ。
 足で挟み、下の方まで降ろして、擦る動きで刃の角度を変え、足首を固定する縄を切る。
 かなり無茶に思えるが、今はこれくらいしか方法が無い。

(それにしても、武器すら調べないなんて)

 甘い、と思ったわけではない。
 「普通」の女の子はそこまで危機感を持たないんだよ、と言われているような気がして、ショックだったのだ。

(わたくしは……)

 そして、そんな風に感じる劣等感を、「お嬢様」になってなお抱いている自分自身にも、ショックを受けた。


「んっへっへ~、上から燃やす? 下から燃やす?」

 だらしない笑みを浮かべて寮を下見する火友。
 しかしその心中では、どろどろしたものが渦巻いていた。

 あのお茶会の時。
 うらやましいと思ったのは本当だ。
 だからと言って別にリッパな動機が欲しかった訳じゃない。
 ただ、今の自分はどこか不完全燃焼で、燃やしても燃やしても、多分この気持ちはスッキリしない。
 じゃあ、本当は何が欲しいんだろう。

 「本音」と「真実」は違う。人の心の中ですら、実はそうなのだ。
 自分の知らない自分の心の真実は語り得ないのである。

「ええい思い立ったが着火点よ!」

 まとわりつく思考を焼き払うように、火友は寮に火を点けた。


 燃やした。
 校舎も寮も体育館も中庭も倉庫も二宮金次郎も燃やした。
 ここはもう焼け跡だ。
 さっさとジョーのいる所に戻って試合を終わらせよう。
 結局もやもやは晴れなかった。
 次の戦場は燃やし甲斐のある場所ならいいけど。

「待て!」

 後ろからの呼び止める声に火友が振り返ると、そこには反男がいた。
 反男は手押し台車を持って、その上に消火器を載せられるだけ載せている。
 しばらく見ないと思ったらそんなものをコソコソと集めていたのだ。

「衆生を脅かす放火魔め! 君のような、お、女の子だろうと! 拙僧は容赦しないぞ!」

 その、あまりにも「真っ当」な主張に、火友は笑ってしまった。
 自分だってエゴで世界を改変する魔人のくせに、と。
 しかし今、ひとつ分かった。

「私の気持ちを分かってくれなくて……」

 ポーチからありったけの火を放つ。

「嬉しいよ!」

 理解されたくなかったのだ。
 なぜなら火を点けることこそが今生火友のアイデンティティーで、それを取られたくなかった。
 もやもやが少し晴れたことで、火たちも心なしか活発になっている。

「ひっ!」

 火は本能的な恐怖を呼び起こす。
 多数の火に囲まれた反男は、何とか助かろうと念仏を唱え始める。

「なんまいだぶなんまいだぶなんまいだぶ……」

 火たちが襲い掛かる。
 が、
 反男はするっとすり抜け、さらに「無はたき落とし」した。
 火を、である。

 実際の物理ならば、火そのものをはたき落とすなどということはできない。
 だが、意思を持って飛び回るそれらのひとつひとつを、反男は個体として認識していた。
 だから何となく、はたき落とし「できる」と思ったのだ。
 そして「できる」と思ったことは過程を無視して「できる」。
 ジョーに言われた「なんでも」できるというのはそういうことだ。

(けど……)

 一方で反男は、自分の無意識が危機を避ける傾向にあることを把握している。
 このままだと殴りに行けない。
 落ち着きが戻ってきて能力の切れた反男は、消火器を手に取る。

「この程度の火なら!」

 もう慣れた手つきでピンを抜き、消火剤を浴びせる。
 恐怖を持たない火たちは次々と飛び込んできて消火される。
 飛んで火に入る夏の虫、の逆か?

「まずっ!」

 火友は慌てて新たに火を起こそうとする。
 その隙に、反男は新品の消火器を手に取った。

 ピンを抜かないまま、ホースを手に取る。
 火友の方に突進しながら、レバーを持つ手を放す。
 あの教室の件で、反男は理解した。
 消火器は本来火を消すための道具である。
 しかしそれはそれとして――

 ――消火器は鈍器!

「うおおおおおおおおおおおおおお!」

 ホースを構え、本体を火友にぶつけるよう、さながらチェーンハンマーのように。

「ちょちょちょっとダメええええええええ!」

 振り切った。
 が、その一撃は乱入者によって止められた。

「あ……」

 呪物ゴーレムである。
 消火器を受けてもびくともせず、かわりに反男の鼻から鼻水がとめどなく流れ始めた。「鼻炎超えてぱおんの呪い」が解けたためだ。
 ゴーレムは、火友に一振りの刀を差し出した。

「これは……?」

 それは呪物ゴーレムの一部を形成していた刀。
 もちろん妖刀である。
 妖刀・村正。
 妖刀と言えば村正だし村正と言えば妖刀のあの村正である。

「……分かったよ」

 火友はそれを手に取った。
 途端、妖刀に込められた「恨み」が火友の精神に流れ込んでくる。

「あ……がっ……!」

 だが、これでいいのだ。
 火友はこれまで、人を燃やしたいわけではなかった。
 だから、火たちが人に向かうよう自分自身で指示を出すことはなかった。
 人が苦しんでいるのを見ると嫌な気持になる。
 当たり前で素朴なその感情が、人を焼きたいという気持ちを封じていた。
 しかし今、戦場の建造物をあらかた焼き尽くした火友は、それでもまだ満足できないでいた。
 おそらく次の戦場でも、その次の戦場でも、火友は物足りなさを感じるであろう。
 もしかしたら、彼女が本当に燃やしたいのは建物ではなかったのかもしれない。
 今、そのタガは外された。
 これで人を……人を……

『斬レル!』

「ってなんでやねん!」

 妖刀を地面に叩き付けた火友は、改めて拾い直す。
 刀身に油をドボドボ掛けて、火を点けた。
 もはやこれは村正ではない。新たな妖刀・村焼正(むらやきまさ)の誕生である。

「これで人を……燃やせるっ!」

 「やりたいこと」の邪魔になるなら「本音」だってぶち壊してみせる。それが魔人だ!
 火友は反男に斬りかかり、反男はそれを消火器で受ける。

 プッシャァァーーーー!!

 消火器は真っ二つに割れ、周囲に消火剤をまき散らす。

「うっ!」

 火友は村焼正の火が消えないよう、後ろに跳んだ。
 反男の方はと言うと、逆だ。突っ込んできたのだ!
 消火剤を全身に浴びながら、反男は火友の刀を持つ手を押さえる。
 その勢いのまま、火友を押し倒した!

「あ……」

 しかし反男はここからどうすればいいか分からなかった。
 「容赦しない」とは言ったが、実際に女の子と戦ったことは無いし。
 真っ白な顔に鼻水を垂らしながら、反男は考える……。
 その姿と体勢がよほどヤバかった。

「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
「ガッ!? ッッッハァッ……」

 生理的嫌悪感に突き動かされ、火友は渾身の金的を決めた。

「はぁ……はぁ……アレだけは、絶対燃やす!」

 もはや火友は反男を人として見ていなかった。
 殺意ならぬ焼意をあらわに、立ち上がる。

 一方、大事なところをやられて千鳥足で後ずさる反男を、ひとつの影が受け止めた。

「もう、何やってなさいますの?」

 ジョーだった。

「えっ! なんで抜けれたの!?」
「だから早くとどめを刺しなさいと申したでしょう?」

 実際、運が良かったのだ。
 あの後、実はうっかりナイフを落としてしまった。
 その音に反応して、見張りの種火がナイフに突っ込んできた。
 咎めようと思ったのだろう。が、そのおかげで足を縛る縄に火が点いた。
 ジョーはそれを手の縄の方にも燃え移らせ、縄を抜けたのだ。

「火友さん……だったかしら」
「今の私は人を燃やすのも恐れないよ」
「そう。でも、他にもまだ火を点けてないところがあるでしょう?」

 ジョーの静かな問い。
 火友の答えを待つように、その場の全員が待った。



 やがて、火友はゴーレムの方に静かに歩み寄った。

「あなたを最初に見たとき……は別に何も思わなかったけど」

「きっとその時から気づいてたんだと思う。どっか私たち似てるねって」

 松明のように、村焼正の火を、ゴーレムに継ぐ。

「あなたも、まだ火が点いていなかったんだ」

 妖しい火に包まれ、ゴーレムは「魂」を感じた。
 ゴーレムには今まで、目的など無かった。
 持ちたいと思うことすら無かった。
 だが今は、火友の勝負の行方を最後まで見届けようと思う。
 そのためなら、自身も戦う。妖刀の戦意も燃え移ったのだ。
 そして、火友と共に戦い抜く中で、自分自身の目的らしき何かを探してみようかなと思えた。
 全く物体らしくない考えではあったが。

「ゴオオオオオオオオオオッ!!!」

 ゴーレムはついに「意志」を持って吠えた。

「反男さん」

 ジョーは今度はパートナーに語り掛ける。

「敵に塩を送るような真似をしてごめんなさい」

「彼女の思惑が何であれ、わたくしは一度『見逃された』」

「施しを受けたままなのが許せなかったのです」

「なぜならわたくしは『与えるほう』でなくてはならない」

「そうでなければ、わたくしは目的から遠ざかってしまいます」

「もちろん、勝利はいただきますけれどね」

 ああ、と、反男はうなずいた。

「君しか聞いてない事情もあるんだろう。問題無い。2対2だ」

 反男はまた消火器を手に突っ込んでいく。
 火友の火が迎撃しに行くが、消火器を普通に使って鎮火する。
 ゴーレムの攻撃もやっかいだ。
 腕を振り下ろすだけで脅威だし、即死級のヤバい呪物を投げ飛ばしてきたりする。
 「リア充爆発しろの呪い」「100時間残業の呪い」「公式からの供給死の呪い」……。
 だがこの状況、興奮が治まるわけがない!

「なんまいだぶなんまいだぶなんまいだぶ……」

 一瞬の「無避け」あるいは「無弾き飛ばし」で危険な呪物は逸らしていく。
 そして反男が囮になっている間に、ジョーが火友の懐に潜り込んだ!

「うなっ!?」

 刀の長いリーチが仇となった。ナイフを薙ぐのを止められない!

「にゃああああ! みんな来て!」

 既に着火した全ての火をジョーに集める。

 ボボボボボボボボォォォーン!

 突撃を受け、背中に大やけどを負ったジョーだが、その勢いを利用して、さらに突っ込む!
 そのときだった。
 ゴーレムが、反男ではなく、ジョーに向けて壺を放ったのである。

「しまっ!」

 反男は慌てて壺に飛びつき、触らぬよう消火器で殴り落とす。
 だが、それがゴーレムの狙いであった。
 この呪いの発動条件は壺を「触ること」でなく「割ること」だったのだから。

 あっけなく割れた壺から、黒い煙がもくもくと上がる。

 これは、無の技で……しかし、何をすればいい?

 おろおろしている間に、煙は空へと昇っていく。

「まったく」

「仕方ない人ですわ」

 バチコオォォォーーーーーーン!

 激しい雷が反男に落ちた。
 「雷おやじの説教の呪い」である。
 だが、彼は無傷だった。

「あ……あ……ジョー……」

 ジョーは固まる反男の前で、優雅にお茶をたしなむ。

「ありがとう、反男さん、あとは任せてくださいな」

 ジョーは椅子をくるっと回す。
 招待されなかった火友がこちらをにらんでいた。

 結局最後まで、2組が分かりあうことはなかった。
 でも、それでいい。
 分かり合えないから戦うのだ。

 ジョーはナイフを構え、お茶会をおひらきにした。
 先に動いたのは火友だった。
 お茶会で直前まで戦意を抑えられていた分、ジョーが遅かったのだ。

 火友は、ジョーの胸を大きく袈裟切りにした。

 これだけ大きな傷をつけられたのだから、勝ったと思った。

 しかし違う。
 ジョーはギリギリ急所を避けていた。
 そして的確に、火友の心臓を

 突き刺した。



 ジョーは、火友の攻撃を先に受けることを分かっていたから、カウンターの準備ができた。
 火友は、手加減は無かった。だが、人がどうすれば倒れるのか、分かっていなかった。

 だから、勝敗を決めたのは、動機がリッパかどうかでも、気持ちの強さでもない。
 単純にジョーの方が喧嘩慣れしていた。それだけだった。

「あーあ、もっと放火したかったな」

 心底残念そうな火友のつぶやきを前に、ジョーは躊躇なくナイフを引き抜いた。
最終更新:2021年05月10日 00:53