「……」
夜、目を覚ます。
隣に寝ている女の姿を確認する。
普段彼女が持つ堅い雰囲気はなく、眠っている間は見慣れた眉間のシワも無くなっていた。
「ガートちゃん」
腕に抱かれて眠っているから幸せなのだろうか。
時々、八百九十九はそう思う。
こうやって彼女と眠ることはイギリスにいた頃からの習慣であり、そこに何か不満や違和感などはない。
満たされているという実感はある。
幸福であるという実感もある。
それが愛されているということなのだろう。
「ガートちゃん」
先程とは少し違う声色、だが返事はない。
眠っているのだから当然なのだがそれが何だか不満だった。
軽口も不平不満も文句もいつもの態度の悪い言葉も耳には入ってこず、ただ静かな寝息だけが聞こえている。
「……ん」
口付けをすると条件反射のように自分を抱き寄せようとする。
それに気付いたのはふた月程前で、運良く彼女より先に目覚めたり深夜に目が覚めた時はそれを試すようになった。
今まで抱かれた人間もそうだったのだろうか。
それは分からないし確かめようがない。
もう彼女から逃れられないことはわかってる。
精神の繋がりは肉体の繋がりを凌駕するらしい。
その気になれば抜け出せてしまうこの二本の腕の円からすら八百九十九は抜け出せないでいる。
「……明日がんばろうね」
優しく微笑み、また口付けをする。
これ以上は彼女が起きてしまうからやめておこう。
自分だけが知ることにしておきたい。
「……」
お互いにまだお互いに知らせていないことがあるのだから。
「この国の夏は暑い」
「イギリスも暑い日は暑いよ」
一回戦、山。
対戦相手は『闇の王と骨の従者』
現在、山頂付近。
「ヴィジュアル系バンドかな」
「歌うたいならバンドハウスにいて欲しいものだね」
「……村崎組かぁ」
思い返すことがある。
どこか遠い目が空を眺めていて、ガートルードはそれを横目で眺めていた。
時々、九十九はそういう表情を見せる。
あまり面白いことではなかった。
「……何かあったのかな?」
「イギリスに来る前にちょっとねー」
「私のことをパートナーと言うなら、そういうことも明らかにしておいてもらいたいね」
誤魔化すように九十九は咥えた棒付きの飴を舌で転がす。
そういう辺りで見えてきた。
今日の相手だ。
「よくぞここまで辿り着いた……我は闇の王」
「……」
宙に腰掛けるように浮いている少年─────村崎揚羽。
伝説的戦闘魔人の村崎大亜の息子にして組の次期当主とのことらしい。
「君ひとり?」
「ふふ……我ひとりであると、本気で思っているのか?」
「……ツクモ、どちらかを戦闘不能にすれば勝負は終わるんだ。我々は既にチェックに至っている」
ガートルードの持つ斧が陽の光を跳ね返す。
そして、右足が思い切り地面を蹴りつけた。
「燃え上がる愛(ゲット・ハイ)」
ドウ、と鈍い音がしてガートルードの体が浮あがる。
足から発生した爆発が彼女の体を押し上げる。
「チェックメイトになるかどうか……!」
「!」
ガートルードが上昇するのを九十九は見ていた。
空中にいる相手を銃で狙うことは出来るが、ガートルードに当たる可能性も否めない。
相手の能力も分かっていない以上はなるべく確実な手段で攻めておきたいのはガートルードと共通している。
なら、いま自分がするべきは『壊れやすい恋(ゲット・ロウ)』でガートルードの落下速度を上げて攻撃と離脱の両方の補助をすることだろう。
「ククク……」
大きく浮き上がったガートルードを見つつ、村崎揚羽は笑う。
パチリと指を鳴らすと目の色が紫の色に変じる。
それをガートルードの青い瞳が捉えた。
何かが起きる。
……それを先に感じたのは九十九の方だったが。
匂い、胸を高鳴らせる夏の匂いではない。
「魂の拘束(ソウル・ボンテージ)」
「!」
ガートルードに対して使われるはずだった能力は九十九自身に発動した。
彼女の体が一気に下降し、跪くように姿勢を移行する。
(クロロホルム……!)
九十九は人の懐に入り込む暗殺方法をとる。
そして本人の性質として貞操観念が低く、異性や同性との揉め事が多い。
そういう彼女の抱える特性を指してガートルードは理解し合えないと考えていたわけだが。
ともかくそういう人間であるためマフィアである以上に恨みを買いやすい。
また、下心を持った人間に狙われることもある。
ゆえゆえ、薬物による被害に晒される可能性が高い。
人を狙う薬物には敏感だ。
匂いが離れる、それは安全圏の証。
「……この」
ぐにゃりと体がねじれる。
猫のように体を操作し、体の一部を地面に預けながら銃を構える。
狙うのは先程まで自分の頭があった位置。
関節の可動域と天性の柔らかさ、衝撃の吸収は万全である。
「あれ」
弾丸は空を切る。
いると思ったものがそこにはいない。
そもそも誰もいない。
(見誤った……?)
ガートルードは斧を振り下ろすのを中止し、空中での姿勢制御に集中していた。
「……なるほど、殺して終わりじゃないものな」
「我が魔眼の魔力は世の理をねじ曲げるのだ」
「魔人はみんなそうだよ」
宙返りし、九十九の傍へと向かっていく。
「魔眼の支配は逃れられない」
地面に村崎が降り立ち、そう呟いたのをきっかけに周囲の木の一部が抉れていく。
攻撃速度が速い。
「もー」
少し苛立った様子で九十九が二度三度と地団駄を踏む。
その背を叩くガートルード。
冷静でなければ勝てはしない。
「ツクモ!」
銃口が村崎に向く。
引き金を引く……ことは出来なかった。
むしろ、九十九の腕に一筋の線。
赤い雫と傷痕が生まれる。
「死霊の騎士(スケルトンナイツ)」
気付けば、骨だけの存在が九十九の傍。
追撃をしようと構えたところに割り込んだのはガートルードだ。
火が吹き出る。
服や皮膚ごと燃やしながら放射された熱、倒れる骨野姿。
「知らなかったな、まさかハロウィンの時期になるほど時差があるとは 」
そうは言いつつも視線はそらさず倒れた敵へ。
「我が従者は不死身だ」
起き上がり、再び刀を構える骨の従者。
おかしい。
ガートルードの知識にはない構え方だ。
いや、正しくは知識の中にはあるがまさか現実として目にするとは思わなかったのだ。
「イ、アイ……」
かつて見た日本の映画作品。
そのシーンが脳内に浮かぶ。
静かに、目を閉じていても感じられる域の技術。
「だが、見えている」
骨の従者の獲物……刀とガートルードの斧が交差する。
ふむ、と考える。
初撃から感じる重さはかなりのものだ。
一撃の速度も同様。
今まで戦ってきた人間と比べても上位であることは否定しがたく。
ぶつかる刃と刃、硬い音が山中に響く。
「剣戟が晩鐘の音に変わるのも近い」
「は、え、なに……そういう感じ?」
余裕そうな村崎の笑みに九十九が不満を漏らす。
しかし口だけではなく手も目も動く。
「ツクモ、狙えるかい?」
「今やってるー!」
何度も放たれる弾丸。
しかし、弾丸が到達していない。
途中で静止したかのように止まっていくのだ。
(バーナーは負担が大きいうえにこいつに撃っても効果があるものか……)
(ガートちゃんのアレは……息子さんには距離的に当たらないだろうし……)
そして、二人の脳内から離れない敵の存在。
『闇の王と骨の従者』
ハッタリのような名前。
だが事実目の前にはその二人がいる。
……『骨の従者』は村崎揚羽の能力で発現されているのに、だ。
村崎は極道組織の人間である。
彼が自分が前に出ることで注意を引き付けているのだとすればどうだ。
どこかに彼のパートナーが潜んでいるとすればどうか。
ならば、ならば。
「ガート!」
「キトゥン」
判断は素早く。
九十九がひとつ踏み込み、ガートルードも合わせるように踏み込む。
『壊れやすい恋』によって『骨の従者』を足止めすると同時に位置を入れ替える。
アップダウンコネクション・フロム・ロンドンの伝統芸。
「女王陛下の前に闇の王に謁見することになるとはね」
後ろ手での武器のスイッチ。
王を守る札がまだあるのならそれは王の傍にあるはず。
対策を講じる必要がある。
「君の国では知らないが、この国の工場性労働者に不可欠なものがある」
シリンダーはスリングアウトした状態で渡された。
九十九はガートルードの教えをちゃんと守っている。
スイッチの完了と共にリロードは完了する。
マルセルの一件以降、二人は訓練の種類を増やすことにした。
敵も拳銃を使うことが考えられる状況を意識して武器の交換にも気を遣う。
九十九の弾数と敵の弾数、両方を意識し続けた上で戦闘するのは困難だ。
ならば、初めから弾数を考えないでもいい方法を取る。
ガートルードも九十九も銃器の専門家でも戦場のプロでもない。
殺すこと、殺されないことが出来る暗殺者である。
「耐久テストだ」
銃口が向かうのは『骨の従者』
必然、弾丸が向かうのもそちらへ。
また弾丸は到達せず。
『骨の従者』がガートルードに接近する。
しかしそれも折り込み済みの話であることは間違いない。
タネの割れた手品に驚く者などどこにもいない。
九十九の能力は相手が動き出す前に作動する。
抜く前の居合は引き金を引く前の銃と同じであり、その時点で対策をすれば問題は無い。
相手の死角から近付き九十九が斧を振るえば『骨の従者』はそれに合わせるように刀を抜こうとする。
が、それを許さないのがガートルード。
火を撒き、銃を撃ち、対処するべき事項を一つから二つへ。
『骨の従者』が消えれば周囲に火を放って防御を行い、それが不自然に歪んだりしていればそこに従者がいる可能性がある。
その地点を狙って九十九が能力を発動する。
現れれば体術と銃器の連携で合わせる。
超軟体による射線避けを行える九十九、パートナーの能力による強制的なしゃがみこみや培った感覚によって攻撃ルートを生み出すガートルード。
二対一ならば二人は負けない。
「日本人的だな坊や」
「……」
ガートルードはそう言葉を投げる。
「部下は使い捨てかね?」
スイッチ、銃口は村崎へと向く。
殺しのための連携。
積み上げた工程は必要十分の領域へ至ったと判断した。
従者に集中するばかりでは無い。
「キトゥン」
引き金を引くと同時、ガートルードの背から火が生まれる。
火山の噴火めいた一撃は『骨の従者』の動きを制御し、その隙を見逃さない九十九が斧に付属しているピックを突き刺す。
背中、背骨の中ほど。
そこに命中し『骨の従者』がたたらを踏んで視界から消える。
九十九の一撃、それを放つための踏み込みで作動する能力。
村崎の動きを止める。
殺しに長ける、だから二人は暗殺者な。
「……まだだ!」
しかし、銃弾は届かず。
それだけでなく。
「闇の王からロメロに名を変えた方がいいぞ」
再び王の傍に従者。
だがガートルードの目の奥は燃え、九十九の口元には弧を描く笑み。
剥き身の刃物のような殺意。
村崎がこれまで出会った極道者の誰とも違う匂い。
あまりにも血生臭く、獣めいたもの。
「名乗っておこうか。ガートルード・ビアリストック」
「アタシは八百九十九」
「……闇の王。村崎揚羽」
「そちらさんは?」
答えはない。
その代わりに『骨の従者』の体がその場で跳んだ。
宙に夜の闇を思わせる黒いキューブが現れ、真っ直ぐに従者の体が二人に向かって飛んだ。
キューブが従者を押し出すように突き進む。
刺されるか、と思った二人だったが現実そうはならなかった。
ならなかった、が。
「ガードちゃ……!」
「ツクモ!」
九十九が乱暴にガートルードを蹴り飛ばす。
それは相手の目論見通りだったか、骨の従者は九十九の体にまとわりついて離脱する。
考慮していなかった要素。
この大会の戦闘終了条件。
「リングアウトか……」
忌々しそうな表情と共にガートルードは煙草を咥えた。
そして火をつける。
山中、子供が前であることもお構い無しに。
「……さて、三人目がいるかいないか待ってみようか」
「……」
「あぁ、そうか。やっぱりそうだったんだね」
ガートルード・ビアリストックの考察の一つが正解だったらしい。
そうして、ガートルードは九十九から教わった酷く不器用な日本語で話し出した。
「このエイゴがわからないんだろう?」
「貴様……!」
「イいっぱなしはアンフェアだ。ツクモにもそうイわれる」
日英同盟のよしみだ、と付け加えて。
「さて、キいておこうか……」
※※※
宙を進む九十九は不機嫌だった。
殺されて負けるならまだしもこんな方法で負けるなど後でガートルードになんと言われるかわかったものでは無い。
ガートルードであれば火で体を包めば『骨の従者』を焼き殺せる。
落ちても爆発を起こして落下の衝撃を和らげられる。
だが自分はどうだ。
ただ落ちていくだけだ。
それでもやらなければならない。
示すべきものがあるのだから。
「離して……ってばぁ!」
ブンブンと振っていた足が従者の体を蹴りつけ、何とか自分をキューブを踏みつけた。
急降下。
山の中腹へと二人まとめて落下する。
木の枝にぶつかり、それが荒っぽい緩衝材となって地面に体を預けることになった時には全身は擦り傷や切り傷だらけになっていた。
骨は折れていない、意識も飛んでいない。
ならば、まだ戦える。
ガートルードの教えは魂に刻まれている。
彼女は案外努力の人で、泥臭いことも平然とする。
だから、九十九もそうする。
涼しい顔で生ききる。
だがそれは骨の従者。
否、刃山椿も同じことだった。
「初めまして……じゃあないね?」
「あぁ……!」
痛みの上に成り立つもの、それを知っている。
再びの衝突であった。
お互いの攻撃をかわし、牽制しあい、致命的な負傷を避ける。
「PSYCHO=LAW」
「壊れやすい恋」
キューブによる防御と立体的な攻め手。
キューブ自体の移動速度もかなりのものであり、そのキューブが九十九の移動先に回り込み逃げ道を潰す。
しかし、九十九の能力は彼女の動きを制御する。
本来であれば刃山の方が優位である。
これは疑うところではない。
ガートルードからの指導があるとはいえ、村崎組の序列二位の腕前と年季は伊達ではない。
ガートルード単体、あるいは二人同時に相手取ってやっとというところだろう。
それなのに決定的な一撃を与えられていないのは先程の負傷が後を引いていることであるのは否定出来ない。
骨の従者、即ち村崎揚羽の能力によって透けていたことが裏目となった。
肋骨の隙間など明らかに骨のない位置を九十九は狙わなかった。
自身に首を落とせるだけの力がないことも自覚していた。
ガートルードが仕掛けるのは本能的に理解していたとはいえ、そのタイミングはわからなかった。
故にその時できる最大の決断、背骨に対する攻撃を選んだ。
脊髄ないし内部神経の損傷は叶わなかったが、今回は姿勢制御への不利が引き起こされている。
落下や途中で木々にぶつかったものも傷の悪化を手伝った。
そして、刃山の内面を支配する感覚。
『ガートルードと村崎揚羽を二人にしている』
ガートルードは銃を持っている。
刃山のキューブによる防御がなければ直撃する可能性が高い。
だから二人まとめて連れ去るつもりだった。
攻撃は万が一成功しなかった時のリスクが大きいから選べなかった。
その作戦が成功しなかったのはガートルードを九十九が庇ったからだ。
山というこの広大な戦場でそれを選ぶのは悪手だと分かっていたが、そうするしか無かった。
村崎と事前の取り決めもしていない連携、キューブも透明化がなされていない状態での特攻。
そうせざる負えなかった。
そうまでして勝ちたいのだから。
だが、勝ち方にこだわらないことはこの二人に対して取れる中でも悪手。
こだわりを持たぬ者を取って喰らう。
「……こ、の!」
「こわーい」
九十九が地面を踏みしめる。
刃山の体に重圧、背に痛み。
思わず表情を歪め、一手が遅れる。
九十九の足は二本ある。
もう片方の足で発動する『壊れやすい恋』の対象は刃山の武器である刀そのものへ。
刃が地面に落ちる。
それでも柄を離さないのは刃山の意志の力のためだった。
九十九の片足が上がって刀の峰を踏みつける。
ゆっくりと、しかし確実に切っ先が地面へと埋まっていく。
詰みに向かうように向かうように、丹精込めて工程を積み上げていく。
「流石、村崎組序列二位」
「……なんでそれを知っている」
「アタシがアタシだから」
憎しみにも似た目が九十九を見ている。
だが九十九からすれば野良猫の目と何ら変わらず。
べぇ、と赤い舌を出す。
「下衆山さんに聞いてみれば? アタシが誰なのか」
その言葉に刃山の目が見開かれる。
目の前にいる女のことなど、聞き及んでいない。
「あんた何者……?」
「八百九十九。大学生、休学中だけど……あ、こっちだと行方不明者扱い?」
ぺたり、と服が張り付いたような不快感が生まれた。
底の見えない夜の海。
その奥を無理やりに覗き込もうとするのにもどこか似ている。
見えているはずなのに見えない。
透明なはずなのに不透明。
八百九十九という人間の持つ何かに触れさせられそうになっている。
「……ガートちゃん遅いなぁ。負けてるってことはないと思うけど」
「アゲハだって」
「負けないって言いきれる?」
弧を描く口元が言葉を紡ぐ。
その言葉に刃山の瞳が少しばかり揺らいだ。
「なんであの時、勝手に突っ込んだの?」
「私たちは……勝つんだ。勝たないといけないんだ!」
「は? みんなそうでしょ?」
目的はどうであれ、全員目標は同じ。
勝つためにここに来た。
「じゃあ質問かえようか。取り繕わないでね」
刃山の目が周囲を伺う。
キューブの性質を九十九は理解している。
だがそれは刃山も同じ。
この能力の発動と維持の条件に察しはついている。
だからいい気に話させておいて、隙を伺うほかない。
「なんで戦うの?」
その言葉に心が揺れるのを感じながら。
*
「何故戦うか、だと……?」
「はい」
「……我は全てを支配し」
「ダマれ」
ガン、と銃声が鳴って弾丸は村崎ではなく近くの木に着弾する。
……村崎の力によってえぐられたはずの場所に向かって。
(おい、これ……バレてる……!)
べぇ、とガートルードが舌を出す。
「トりツクろうな。セントウケイケンもそうナいだろう?」
引っかかりを覚えたのは初撃の段階だった。
余裕そうな顔ではあったものの、瞳が揺れているのが見えた。
演技はどこまでいっても演技であり本能を覆い隠すことは出来ない。
村崎揚羽は演技のプロではないのだから。
「ナゼ、タタカう」
再度、問う。
意を決したように闇の王は……村崎揚羽は口を開く。
「俺は村崎組を変えなきゃいけない」
「コロしはキラいか」
「そんなの間違ってる!」
暗殺者、ガートルード・ビアリストックはその叫びをただ受け止める。
「誰かを傷つけて何になるんだよ! そんなことでいいわけがないだろ……!」
緊張状態のまま、村崎は言葉をガートルードにぶつける。
煙草の煙が昇っていくのをガートルードは見ていた。
「力で押さえつけられて、自由じゃない人間はどうしていけばいいんだよ! 魔人なら……強いなら人を守るべきなんじゃないのかよ!」
「……セカイがそれほどヤサしいなら」
殺しなどいらない。
ガートルードは確かにそう告げた。
「そうだよ……人を殺したり傷つけたりもいらない……椿だって……!」
あぁ、そうかとガートルードは思う。
どこまでも青いがそれは不愉快なものではない。
酒に酔った夢想家の語る言葉とは違う。
この青は晴れ渡る空の青によく似ているのだ。
自分の生きて来たロンドンの重々しい曇り空とは違う。
この世には正義を成す英雄がいないのに、真正面からそんな英雄の理想を掲げているのだ。
「キミのソコをミたかった」
椿、その言葉をガートルードも反復する。
***
「で、全部終わったらどうするの?」
「……私は」
「うんうん」
「……学校に行く」
ふぅん、と首をかしげて見せる。
それからあぁ、と納得する。
「学校行ってないんだ。なぁんだ」
「……なんだ、服装が言いた」
「違う違う。アタシ、そこ通ってたの。後輩だと思っちゃったよ」
刃山の着ている制服を指さしてそう告げる。
なんだなんだと一人で納得して頷いている。
「学校行きたいんだ。あの子と行くんだよね?」
「……なんでアゲハが出てくる」
「好きなんでしょ?」
あっさりと言ってのける。
やはり刃山には九十九が分からない。
極道顔負けの殺意を向けたと思えば日常会話を簡単に振ってくる。
「分かるよ。だから守りたかったんでしょ? アタシだってそうだからガートちゃん蹴っ飛ばしたもん」
ぐっと九十九が自分の服をまくり上げて見せる。
その感情が真実であると示すために。
黄色人種としては薄い肌の色。
そこに小さく赤い痕が転々と残っている。
大きな傷や手術痕がないのはガートルードが彼女を守り、そしてガートルードの教えがその身を守ったからだ。
「……なっ」
「ウブだなぁ。貴方だってこうなるかもしれないんだよ?」
「そんなわけ……」
「愛して愛されて、それが欲しいんでしょ? 普通になって、鎖を断ち切って、自由な二人になって、それで……」
その言葉はそこから先へは行かなかった。
近くの木が一つ倒れる。
そして、木の腹を食い破るようにキューブが現れる。
他者を傷つけることは出来ずとも、これだけのことは出来る。
後ろに下がって木を避ける九十九、能力は解除された。
再び、居合いが作動する。
キューブに刃山の足がかかる。
「逃げられないんだね、弱いから」
*
守れない人間はみじめだ。
それをガートルードは知っている。
彼女が暗殺者になった理由は本を正せばそういうことだ。
ガートルードは守れなかった。
何のために金を稼いだ。
何のために生きていた。
殺し殺されの世界で何で生き始めた。
自分の人生は何のために、誰のせいで。
硬質な外面と軟質の内面を引きずって何度歩いた。
震えた手を押さえて人を殺した日を置いてここまでやってきた理由は何だった。
苦しみと痛みが混ざって胃の中から飛び出したのは何故だ。
それを酒のせいにして笑ったのはいつのことだろうか。
ガートルード・ビアリストックの完成を迎えるまで何度自分を殺した。
守れない人間はみじめだ。
奪われる弱者はみじめだ。
踏みにじられてみじめだ。
俯いて道を譲ることなど、もうしたくないのだ。
*
「世界が優しかったなら、私はまだ手を握れていただろう」
話す言葉が英語に切り替わり、村崎の理解の外に。
そして、銃を投げた。
「来なさい」
構える。
簡単な言葉で伝えたからか、その意図を理解したらしい。
村崎も構えた。
酷く不格好だが、確かに構えたのだ。
透明にする。
タネが割れた手品、刃山はここにはいない。
まだ決着がついていないなら。
「俺だって……やってやるよ……!」
二人で高い所まで飛ぶためには決断せねばならない。
村崎揚羽は守られるばかりではないと証明せねばならない。
だから少年は拳を握るのだ。
「……勝ち方にもこだわるものだ」
今日のガートルード・ビアリストックはいつもよりも熱っぽい。
その青さに当てられたからではない。
青い火が熱いことをガートルードは知っているからだ。
だからほんの少し、この瞬間だけ合わせてやる。
「この世で最も強い時期を知っているかい?」
それは誰にでも訪れる。
「ティーン。特に十七の頃だよ」
どうしようもない万能感と未来への期待、それから無謀な挑戦心がある年頃の話。
*
空を切った刀。
それを承知でキューブを蹴りつけて移動する。
倒れた木の影を見ればそこには九十九。
背後は塞がれている、進行方向もキューブで塞いでおけば問題ない。
詰めに至ったのは自分だ。
そう感じた。
「お手上げー」
斧が宙を舞う、飛んだのは刃山の頭上。
何の意味もない行動に見えて意味を持つのはすでに理解している。
浮いた九十九の足が見えた。
「『壊れやすい恋』」
踏み込む。
斧の落下に備えて一旦刀を上にあげる。
弧を描くは口元と目元。
時間外れの三日月が三つ。
「今日のお天気は晴れ」
落ちてこない。
九十九が跳ぶ、踏んだのは背後の木。
一気に跳び上がる。
それと反比例する様に刃山の体が落ちていく。
空中でのすれ違い。
咄嗟に刀を振るったものの胴を両断するには至らず。
首に九十九の腕が巻き付き両者の体が地面へと向かっていく。
着地と同時に首へと力が入力されていく。
刃山の方が背が高いはずなのに自分から落ちていくせいで首に腕が食い込んでいく。
だが完ぺきではない。
指二本が腕と首の間、しかしこれが抜ければ。
「……いいとこ見せるのはアタシ」
この腕を離しはしない。
刃山の刀が山頂に向けられる。
キューブが浮かび、それを運んでいく。
「ア、ゲハ……!」
*
殴れば殴った方の手も痛い。
そんなものは詭弁だ。
殴った罪悪感を痛みにすりかえて被害者の顔をするだけだ。
だが、それをまだ実感出来てはいない。
村崎の攻撃はまだ届いていないのだから。
「……!」
頬を打ち抜かれる。
骨に引っ張られて皮膚が切れる。
ガートルードの徒手における技術もまた殺しに長ける。
だが、まだそれを使いはしない。
圧倒的に勝つ。
目の前の少年の心を打ち砕かんとする。
それが彼に対する唯一の敬意である。
「タップするかね?」
「まだ……だ……!」
相手の攻撃が来る前に攻撃を通す。
腹を殴られくの字に曲がる体、膝を蹴り抜けば跪く。
起き上がる動きに合わせて顔を蹴り飛ばした。
意識が飛ぶ直前で意識を保ち続ける胆力は少年の意思を表す。
そして、蹴り上げられて視線が上を向いたからこそ見つけたもの。
宙を飛び、消えるキューブ。
落ちる日本刀の姿を村崎は己の能力で消し去った。
そして彼の足は弾ける。
感覚に従い、刃山からの贈り物を掴む。
追うガートルード。
その動きに合わせるように、がむしゃらに腕を振るう。
「……あぁ、待っていたよ。それを」
立ったのは中指ではなく人差し指。
九十九は決定的な場で札を切らないことで欺く。
だが、ガートルードは決定的な場面になるまで切らなかった。
「100インチ、ファーストジョイント」
急ブレーキ、攻撃を誘えれば万々歳。
刀の射程の一歩後方で動きは止まっている。
「ワンス・イグニッション」
爆ぜる閃光は青を超えた白い炎だった。
*
「いてて……くそっ」
「アゲハ……」
試合は終わった。
結果として正確にガートルードはその炎で村崎の頭を撃ち抜いていたのだから。
「ごめん椿……」
「いや、勝手したのは私の方だアゲハ」
一回戦敗退、ここで二人の道は閉じてしまうのだという事実は真綿で首を絞めるが如く。
控室内に重苦しい空気が充満していくのが分かる。
天井も出る前よりも低く感じる。
「お二人とも、なかなかのものデスよぉ~! 今回は残念でしたけど、他にも方法はきっとあるはずデスからねぇ」
「下衆山さん……そういえば、椿」
「あぁ……アイツ、下衆山さんなら自分を知ってるって」
椿の言葉に下衆山が視線を落とす。
「いやぁ……変に警戒を煽っちゃあいけねえと思ってたんデスけどねぇ」
下衆山の脳裏をよぎる記憶。
それは。
「あのお嬢さんは……」
*
「ツクモ」
「待ってね」
控室で九十九が紙の上にシャグを伸ばしていく。
手慣れた様子でそれを巻いて、赤い舌が紙を舐めてのり付けをする。
それをガートルードに手渡すと頷いてケースの中に収められた。
「ここ禁煙だから」
「分かってるが……口寂しいよキトゥン」
そう告げると満足そうな顔をして顔が寄せられる。
「それは甘えてるの?」
「どう聞こえた……ん」
重なって押し込まれる。
甘いフレーバーは林檎の味であった。
珍しく棒のないものを選んで口にしていたらしい。
「それも美味しかった。イギリスに送ろうかな」
「いいんじゃないかな」
コロコロと飴玉がガートルードの口の中で転がされる。
「ガートちゃん、なんで二人きりになった時に撃っちゃわなかったの」
「……知りたいかね」
「うん」
本当に話していいものかと考えて、何でもない風に言葉をこぼした。
「彼を見ていて弟を思い出した」
「……なにそれ聞いてない」
「今の私の家族は君だけだよ」
「そういうことじゃありませーんーブーブー」
文句を言って九十九が胸を叩く。
不満ですと顔に書いてあるのがよく分かる。
「キトゥンだと思ったらピグレットか」
「もー」
「牛さんかな」
いつものように冗談で包んで、その奥の真実を渡す。
ガートルードの目が揺れていて視線を落とせばその手も。
「ガートちゃん」
「悪い、ツクモ……ホテルに帰るころには話すよ」
もしも世界が優しかったなら、殺しなど手にしなかった。
「おかしいね、雨が降るなんて」