「本当に、君は魔眼なんて持っていない、透明化しかできない…そういうことかい?」
「――ええ。その通りです。俺は魔眼なんて使えやしませんよ」
イグニッション・ユニオン一回戦 前々日 帝国ホテル スイートルーム
イグニッション・ユニオン運営会社『C3ステーション』社長、鷹岡 集一郎は間もなく始まる本戦の準備に追われていた。常人なら発狂しそうになるほどの作業量であったが、鷹岡は“最高に盛り上がる宴を始める”という使命感、そして何より大会映像配信に伴う莫大な利益への高揚感によって、膨大な作業を消化していた。
今日も一日の仕事を片付け、最高のセキュリティとホスピタリティを提供してくれる帝国ホテル最上階の一室に戻る。日々の疲れをいやすために最高の赤ワインをグラスに注ぎ、簡素でありながら高級感に溢れるソファに身をゆだねた。
深紅の液体を喉に流し込み、その馥郁たる香りに酔いしれ一瞬目を閉じた。
その一瞬の間に何があったのだろうか。
眼を開くと向かいのソファにはハッとするほどの美少年が座っていた。
“闇の王”村崎揚羽が音もなく出現していたのだ。
「…こんばんは。鷹岡集一郎さん。我の…いえ、俺の自己紹介は必要ないですよね?」
突然の訪問にも、そこはイカれた祭りの運営の長。
驚きの声を必死に飲み込み、なんとか平静を装い応答する。
「村崎揚羽…だね。何故ここに?どうやって?と聞くのは野暮だろうか?」
「…夜分に急の訪問にも関わらず対応いただきありがとうございます。まずどうやって?からお答えしましょう。俺の能力は魔眼なんかじゃない。透明化です」
唐突な、あまりにも重要な告白に固まる鷹岡に揚羽は続ける。
「ハウスキーパーが入ったタイミングでこっそり侵入して、透明化したまま貴方の帰りを待っていた。それだけです。待っている間に盗聴器の類いがないかの確認と、防犯カメラに細工はしましたが」
「…ここに侵入した方法が確かにその透明化というなら、その…なんだ…すまない少し混乱している」
自身の混乱を正直に告げながらも鷹岡の頭脳は高速で回転し、揚羽の告白を飲み込んだ。
「本当に、君は魔眼なんて持っていない、透明化しかできない…そういうことかい?」
「――ええ。その通りです。俺は魔眼なんて使えやしませんよ」
何故そんな重要なことを自分に告げるのか、思考を巡らす鷹岡に揚羽が畳みかける。
「何故ここに来たか、と何故告白したか、はほぼほぼイコールです。まず、参加にあたり能力を偽装したことでなんらかのペナルティを被る可能性を考慮したからです。…まぁ、他の参加者の方々を見る限り能力原理をろくに明かしていない方もいそうですから杞憂かもしれませんが」
(その通りだ)
今回の大会参加者は自薦、他薦、スカウト入り乱れている。
【ザ・人間ズ】に代表されるスカウト組は運営に律義に能力の詳細説明なんてしていない。C3ステーションとしては村崎揚羽が能力を偽っていたとしても罰を与えるつもりはなかった。
「二つ目は、それを明かした上でお願いしたいことがあるからです。…鷹岡さん。“闇の王”のブランディングに協力してくれませんか?」
意外な提案。しかしこれはどうやらビジネスの話のようだ。ならばと鷹岡の頭脳は目まぐるしく計算を始める。
「勿論偽装をしろとかいうつもりはありません。村崎組二代目!“闇の王”!実力者!と盛り上げてほしい。それだけです」
「…こちらのメリットは?」
「金になります」
鷹岡の問いを想定していたのか、揚羽は即答する。
「続けてくれたまえ」
「…今回のトーナメントですが…偏っちゃいましたよねぇ」
表情には出さなかったが鷹岡は内心震えた。興行にあたり懸念していた点をズバリ突かれたからだ。
「勿論実力的には申し分ないメンバーなんでしょう。ただ盛り上げ、知名度という点では西側のメンバーが強すぎる…」
抜け忍狩り代行で名を轟かせた不忍池忍軍棟梁が率いる【ぱりなリサーチ事務所】。
百年間、裏社会で最強と言われ続けた鬼と元怪物狩りの夫婦。
生ける伝説、63歳現役アイドル阿僧祇なゆが率いる【幻想企画】。
学生横綱として最強と誉れ高い東海龍 勝正が率いる【お相撲ブラザーズ】。
揚羽は淡々と名を挙げていく。表、もしくは裏で名の通った実力者ばかりだ。
対する東側のメンバーはどうか。確かに実力はあるのだろう。しかし表、もしくは裏で目立った実績を持った参加者はほとんどいない。田舎町の少年コンビ、スラム街の少年少女、迫害され続けた半人間…。それこそ有名なのは村崎組二代目である揚羽か、イギリスで名をはせた殺し屋の【アップダウンコネクション・フロム・ロンドン】くらいだ。
「…それも、一回戦でどちらかが消えてしまう。興行的な盛り上がりは西側に比べて大きく劣ってしまうのでは?」
鷹岡は何も言わない。その沈黙が肯定であることは明らかだった。
「だからこそ、俺を使ってほしい。派手に、大げさに、西側に負けないくらいに、とんでもない実力者のように報道してほしい。そうすれば“闇の王”が勝ち上がるか、“闇の王”を打ち破った者が勝ち上がるという盛り上げが出来ます」
鷹岡の頭の中の算盤が激しく動き続ける。
「…確かにそれなら大いに盛り上がるだろう…だけど、それでもし“闇の王”が敗れることがあったら、馬脚を露わすことがあったら、反動を大きく受けるのは君ではないのかね?」
鷹岡の当然の懸念に対し、揚羽はニッと笑った。
「それもエンタメってことで!強そうに見せていたガキが派手に負けて正体を晒す、そういうの、皆スッキリするでしょ?」
自身の立ち位置すらエンタメの俎上に乗せる在り方に、思わず鷹岡は笑ってしまった。
「フフ、確かに視聴者受けは良さそうだ。悪いが、もし正体がバレて“闇の王”が叩かれる展開になってもC3ステーションは助け舟を出さないぞ?あいつらのハッタリに騙された!で通す。それでもいいのかい?メリットはあるのかい?」
その質問を待っていたとばかりに、真剣な顔で揚羽は答えた。
「少しでも、勝率が上がるなら俺は何でもする。対戦相手には俺たちが油断ならない強者だと思ってほしい。そう思ってくれなくては、まともに戦えやしない」
ふと、真剣な顔を緩めてさらに続けた。
「…あとはまぁ~、村崎組は使いやすいですよ!ってことのアピールです!俺の目的、村崎組の健全化はマジなんで!『政府や企業の発注に従って都合のいい動きしまっせ!ほれこの通り!』ってことで!」
急に人懐こい年齢相応の笑顔に変わる揚羽。
鷹岡は内心、舌を巻いていた。目の前の少年は自分と組織を売り込むために相当頭を使っている。
ビジネスにおいては百戦錬磨の鷹岡が思わず、無条件に心を許してしまいそうになるほどの緩急。
(急な登場で混乱させ、真面目な話をし、その後自らを卑屈に扱い隙を見せる…どのような印象を持たれるか考えてきている…)
正直に言えば鷹岡は九割方揚羽の提案に乗る気になっていた。
揚羽の言う通り、少し“闇の王”の宣伝を多めにするだけで運営の利益はノーリスクで上がる。
ただ鷹岡には、ここまで仕上げてきた少年をもう少し試したい欲求が湧いてきていた。
「確かに君の提案は魅力がある。しかしねぇ、君の作戦は現時点でも穴がある。乗るのは怖いね」
目を細め鷹岡は続ける。
「例えば私が断固拒否をしたらどうするつもりなんだ?いや、それどころか不法侵入者に対しての暴力を用意していたらどうするつもりだったんだ?」
鷹岡は、やや無理矢理な反論と自覚しながらも言葉を繰り出した。
(…さて、どうくる?)
「…そういうときのために、私がいる」
ピタリと、冷たい刃が鷹岡の首筋にあてられた。
最初から室内にいた刃山椿が、透明化を解いて日本刀を突き付けたのだ。
何かを睨みつけるようにつり上がった三白眼、全身から満ちる殺気は、潜り抜けてきた修羅場の数を感じさせた。
「…なるほど…穏便に話が進まなかったときの“暴”も用意していたわけか…」
「鷹岡さん、俺はなるべく穏やかに話を進めたいと思っています。目的のためには手段を選ばないつもりだけども、できる限り健全な手を打っていきたい…。俺たちは、“普通”になりたいんだ」
甘っちょろい考えだ、と鷹岡は思った。
こうして丁寧に話をしている暇があるなら、鷹岡を組み伏せ、従わせればいい。
そもそも馬鹿正直に能力を明かす必要だってなかった。
自らの能力を魔眼と偽ったまま、一気呵成に鷹岡を拘束し、言う事を聞かせることが出来た。
そしてそのことに、この聡明な少年は気が付いていたはずだ。
「…分かった。明日から君たちは優勝候補の一角として大きく持ち上げられるだろう。我々は君たちの名を利用し、しゃぶり尽くし、金に換える。それでいいんだな?」
無言で村崎揚羽と刃山椿は頷いて、そのまま消えていった。
透明化を発動したのだろう。スイートルームの扉がひとりでに開き、誰かが出ていく気配がした。
そうして、部屋は無音に包まれた。
これほど鮮やかに身を隠すことが出来る相手を裏切りでもしたらどうなるか、理解できないほど鷹岡は馬鹿ではない。
(速やかな退出。もし約束を反故にしたらどうなるかを鮮やかに示している)
静寂が支配する部屋で、鷹岡は去っていった二人を思う。
その気になれば暴力に任せて自分を屈服させ要求を通すなど容易かったにもかかわらず、彼らはそれをしなかった。特に刃山椿の方は“そういう”経験もあるだろうに村崎揚羽の在り方に従った。
(普通になりたい…ってのは本気なんだろうねえ)
“暴”を持ちながらも、最後は相手への信頼に訴える青臭いやり方。
彼らは鷹岡が約束を違えたらどうするつもりなのだろうか。
能力を全て公開したらどうするつもりなのだろうか。
あまりにも若く、そして眩しかった。
「…まぁ、私はビジネスマンだ。利を取るとしよう。彼らが気に入ったとかそういう事では決してない」
鷹岡は自らの顔が爽やかな笑みに染まっていくのを自覚しつつ、ただのビジネス的判断であると嘯いた。
「さて、明日に向けてやることが増えてしまった!」
イグニッション・ユニオン一回戦 前日 都内某所 高級フレンチレストラン
青い瞳、肩にかかる程度の長さのブロンドの髪。
スラリとした長身とけだるげな瞳を持ち合わせた女は、高級フレンチレストランだろうと気にせずにいつものように手巻式の煙草を吹かした。夜景が美しく見える席であったが彼女はまるで興味が無いようだ。
ガートルード・ビアリストック。
マフィア上がりの殺し屋にして、ロンドンよりイグニッション・ユニオンに殴り込みに来た武闘派。
彼女にとって喫煙は味のついた呼吸に過ぎない。
何者も自らの空間には踏み入れさせない、そんな空気の漂う女は器用に煙草をくわえ、生気のない目をしたまま無言で文字を追っていた。
「ねー、ガートちゃん何読んでるの?」
他者を寄せ付けない空気を出すガートルードを相手に、ぬるりと踏み込む童顔の女。
ガートルードとは対照的に生気のある瞳をしているが、その生気はどこか深海魚めいた、人外の生気を思わせる輝きだった。
八百 九十九。
ガートルードのパートナーで一応殺し屋。そしてガートルードをイグニッション・ユニオンに誘った張本人。
「…君はチェシャ・キャットか何かかい?気が付いたら懐にいる」
「アハ!残念だけどアタシは笑顔だけ残して消えたりは出来ないよ」
「…やれやれ。網で風を捕らえる、とはツクモのためにある語だね。読んでいるのはなんてことない、ただの新聞さ」
「あはは、イグニッション・ユニオンのことばっか書いてある!アタシたちのことも書いてあるじゃない!」
「いやはや盛大な祭りだこと。“参加者徹底解剖!激戦のトーナメントを大予想!”だと。いつからこの島国は殺し合いで乱痴気騒ぎする西部開拓精神を持ち合わせたんだい?」
「それこそチェシャ・キャットだよガートちゃん。『この辺りの人は、みんな気違いさ。俺も気違い。あんたも気違い』ってね!」
九十九の軽口をさらりと流しガートルードは続ける。
「この記事によるとだ、私たちの一回戦のお相手は優勝候補の一角らしい。“村崎組二代目”、“闇の王”、村崎揚羽とその忠実な骨の従者とやらと殺し合わなきゃならない」
「…へぇ~。その優勝候補の、お父さんがこの人?」
たわいもない話で盛り上がるガートルードと九十九の前には、仏頂面をした村崎大亜が座っていた。
「おお怖い怖い。ミスターはタバコを吸う女はお嫌いかい?」
「きらいかーい?アタシは大好き!」
二人の美女の軽口に多少慌てたように大亜は大声で答えた。
「む、すまんすまん!若い女との会話のネタが儂はあんまなくての!ムカついたりしたわけじゃないからのう、気ぃ悪くしないでくれるとありがたいわい!」
夜景の美しい高級フレンチレストランに二人を招待したのは村崎揚羽の父親、村崎大亜。このレストランは村崎組の息のかかる店であった。
「急に呼んだのはこっちじゃから、煙草一つでガタガタ言わんわい。まずは食ってくれ。この店は色々融通がきくから好きなもん頼むといい」
そういうと大亜はニコニコと笑いながら目前のスープをがぶがぶと飲み干した。
「…ミスター。貴方は私たちの敵側だろう?そんな簡単に差し出された食事を…」
「あ!じゃあホワイトアスパラとトリュフのかき卵!あと鮎の香味オイルコンフィ!苺とピスタチオのマリトッツォ!今日はチートデーにしちゃおう!」
「…ツクモ…」
「言いたいことは分かるよガートちゃん?でもさぁ、新聞読む限りは“闇の王”とやらは村崎組を表舞台に移したいって話でしょ?だったら毒を盛ったりはしないでしょ。証拠がいくらでも残っちゃいそうだし、“そういうこと”したいならもっと利口な方法はあるよ」
八百九十九の正論。
「大体、今回の大会は【鏡の世界】でやるから負傷が残らないってのが肝なのに、現実世界で襲ってどうするの~?…そんなことしたら戦争じゃん」
確かに九十九の理屈は正しい。しかしガートルードは、それはそれとして多少の緊張感を九十九に持ってほしかった。だがそれを言ったところで変わる相手ではないと諦め、溜息を一つつき、気持ちを切り替えた。
元々大会にかこつけて日本観光をするつもりだったのだから、ここも楽しむことに決めた。
「はぁ…分かったよ。じゃあ私はオマール海老のエチュベと、パンチェッタで巻いた仔牛フィレ肉のロティで」
一流の料理、最高のロケーションに二人は舌鼓を打つ。
そうして腹が膨れ気分がよくなったタイミングで、大亜が本題を切り出した。
「あんた方は明日、儂の息子と戦う…単刀直入に言うわい。優勝賞金の一部、一億を渡すから適当なところで降参してくれんか?」
あまりにも真っすぐな事前工作。
「新聞読んだじゃろうが、儂の息子は村崎組を健全にしたいらしい。美しいお二人を蹂躙する様を全国放送するのは外聞が悪くなるでな…」
傲慢極まる事前工作。
村崎大亜は【勝てないかもしれないから事前工作をする】のではなく、【無残に殺したくないから事前工作をする】のだと宣言した。
「…ミスター、なかなか面白い喧嘩の売り方をしてくれるねえ」
「…面白いかのう。事実を言っているつもりだが…」
ピキリとガートルードの額に青筋が浮かぶ。
普段の様子から、九十九のブレーキ役を演じているように思われているが、魔人能力同様燃え滾るような気性を持っているのはガートルードの方であった。
「…ミスター。私たちが日本観光ついでに大会に参加してる身分で良かったなぁ?本業でこの魚食いの国に来ていたら、あんたの無駄にデカい頭をツキジでマグロと一緒に並べていたよ」
そしてそんなガートルードの相方をしている九十九も、売られた喧嘩には応じるタイプであった。
「ガートちゃん、そんな言い方は違うよ?しっかりトヨスに並べてあげなきゃ!」
交渉は決裂。
穏やかなレストランには似合わない、血生臭い緊迫した空気が流れた。
痛いほどの沈黙が店内に広がる。
少しの間を開け、その沈黙を破ったのは大亜であった。
「…じゃあ儂は帰るとするわい。ここの支払いはしとこう。目の前の蜘蛛の糸を払う馬鹿に、このくらいはしといてやらんとな」
今までの取ってつけた笑顔を大亜は捨て去る。
『まず間違いなく揚羽が勝つ。出来ることなら痛めつけるさまを放送したくない』とは本心なのだろうとガートルードは受け取った。
(このデカブツは、本気で息子が圧勝すると思っている?一億を受け取らない自分たちを馬鹿だと思っている?)
ガートルードはマフィア上がりだ。堂々と喧嘩を売られて、引くような性質は持ち合わせていない。
売られた喧嘩は徹底的に買う。
「待ちたまえミスター。馬鹿ついでに自分たちの分の支払いはちゃんとさせてもらうよ。舐められているのが気に食わないし、こういうところで変に借りを作ると、のちのち高い食事になる、って言うのが経験則でね…」
ガートルードの返しに、フンと一つ息を吐き村崎大亜は退店していった。
(降参に乗るなんてハナから思っちゃおらん。『村崎揚羽は強い』そう思わせるためのハッタリは打てるだけ打った。揚羽。あとはなんとかせえ…)
「…思ったより大分高いな」
「ガートちゃん、私財布持ってきてないよ」
「最初から払う気ゼロか…ここ、カードは使えるよね?」
「はい、問題ございません。ではこちらに…」
店員が恭しくクレジットカードのレシートにサインを促す。
「まったく。早速高い食事になってしまった。この気持ち、どうすればいいだろうねえ」
「…明日にぶつければいいんじゃな~い?」
「名案。まったくもって名案だよ。降参?馬鹿馬鹿しい。徹底抗戦としゃれこもうじゃないか!」
二人は互いに好戦的な笑みを見せ合う。
美しい夜景をバックに、【アップダウンコネクション・フロム・ロンドン】の殺意は燃え上がるのであった。
イグニッション・ユニオン一回戦 戦場:山
「我の名は!“闇の王”!村崎揚羽なり!英国よりの刺客よ!死を恐れぬのであれば我の前に現れるがいい!!」
イグニッション・ユニオン一回戦 戦場:山。
参加者以外に命ある者のいない荒涼たる山に、揚羽の朗々たる台詞が響き渡る。
山間部頂上付近の上空に悠然と浮かぶ人影。それが“闇の王”村崎揚羽であった。
(うおっ…高っ…!落ち着け俺!冷静に!)
対峙しているものから見れば、何かしらの能力を使用して浮遊しているように見えているが、実際は高木を透明化しその上方に腰かけているだけである。
試合が開始してすぐに揚羽はこの位置的優位、そしてハッタリの材料を獲得するために移動をしていたのだ。
当然高木を透明化する瞬間を見られていないとも限らないので
「次元の扉!消失せよ樹木よ!」
という一芝居は忘れずに行った。
「さあ、どうした。弱者よ。疾く出て来い。我は弱い者いじめなど好まぬ。早々に終わらせてやろうではないか!」
揚羽から離れた樹木の影。
「…なんて言ってますけど、どうする?ガートちゃん?」
「相手の位置を補足できたのは良いけど…あれは誘い?本気?読みにくいな」
「もう少し近づけば壊れやすい恋の射程圏内だから空中から引きずり落とせるかもしれないけど…」
「能力を早々に明らかにするのは好ましくない。とりあえず能力を使わず一発打ち込んでみてくれ」
「アイアイ!」
欠片も躊躇わずに九十九はリボルバーを揚羽にぶち込んだ。
ガートルードと九十九はこの程度で揚羽を仕留められるとは思っていない。
距離を大きく取った様子見の射撃。
仕留められはしないだろうという予想は当たった。
揚羽に弾丸が届く寸前に、見えない何かに阻まれたかの如く銃弾が弾かれたのだ。
「深淵の波動。ちんけな鉛玉程度では我に傷一つつかんよ」
これはハッタリ。
透明化した刃山椿が、同じく透明化したキューブにより銃弾を防いだだけだ。
「ガートちゃん~。見ての通り、銃弾程度は防ぐみたい~。空に浮かんでいて銃弾効かないってことは、私の壊れやすい恋かガートちゃんの可燃性の愛じゃないと仕留められない。となるともっと近づくしかないね~」
緩やかに喋りながらも九十九は既に駆けだしていた。
銃撃を防がれたという事は位置がバレたという事。即座に距離を詰めにかかる。
「慌てるな弱者よ!我から貴様らに、最終通告を行う!」
そんな二人の足を朗々たる台詞がとどめた。
「繰り返すが、我は弱い者いじめなど好まぬ。我が力を開示しようではないか。それでも歯向かう愚者なれば、消失させるのもやむなし」
揚羽の瞳が一段と濃く紫に染まる。
仰々しく、両の手を天に捧げるポーズを取った。
「刮目せよ!これが!“闇の王”の全霊である!!空間切除!!」
そう叫んだ瞬間、谷間を挟んだ遠方の山頂付近が抉れ飛んだ。
「瞳に刻んだか!?これが我が全霊!空間を削る能力よ!我が視界に収まったが最後、貴様らは粉みじんに消えゆくが定め!今なら間に合う!潔く降参するがいい!」
当然ハッタリ。
目視で距離を測り、能力射程圏ギリギリの山肌を透明化しただけである。
しかしそれでも、確かに何かしらの能力で空間を削ったように見えた。
壮絶な破壊行為にガートルードと九十九に緊張が走った。
しかしそれでも恐怖に包まれるなどと言うことは無く、冷静にガートルードが語る。
「…あれだけの凶悪な能力を、何故説明する?何故問答無用で打ち込んでこない?可能性は3つ。
① 本当にこちらに慈悲をかけている
② 能力発動に何かしらの条件があって即座に発動できない
③ 本当は空間を削る能力などではない」
「③だとしたら…事前にマーキングしていた個所を爆破するとか、幻覚を見せるとか?」
「そこまではまだ分からない」
「②だったら、素早く動いて攻めれば条件は満たさない…かなあ?」
「そこまでは分からない」
「① だったら勝ち目はないね~」
二人は即座に情報を整理する。
それはまさに阿吽の呼吸。プロの殺し屋として、やるべきことが見えてくる。
「…と、なるとだ。理由はどうあれ私たちが取る手段は一つだねツクモ」
「そうだねガートちゃん」
「「速攻、全力で攻めるしかない」」
二人は瞬間飛び出し村崎揚羽を打破しにかかる。
「ほう!我を恐れぬか!ならば相手をしてやるしかあるまい!いでよ!死霊の騎士!」
揚羽が右手を掲げる。すると、手のひらの下にみるみると頭蓋骨が浮き上がり、その頭蓋骨からゆるゆると背骨が伸びる。真っ黒な洞のような眼窩に、ぎょろりと眼球が浮かぶ。
骸骨剣士の召喚。
実際には側に控えていた刃山椿の骨や眼球の透明化を解除しただけであるが、初見で看破出来る者などいない。それほどの精度で透明化の操作はなされていた。
「薙ぎ払え!死霊の騎士!!」
闇の王と骨の従者
VS
アップダウンコネクション・フロム・ロンドン
開戦
※※※※※
開戦から5分経過。
死霊の騎士に扮し剣戟を繰り出す椿に対し、
タクティカル・トマホークを振るうガートルードと、リボルバーを放つ九十九。
揚羽に近づかせないように椿が立ち回る結果、二対一の状況が続いていたが戦況は膠着していた。
理由はシンプル。
椿は居合を封印し、ガートルードは可燃性の愛を封印し、九十九は壊れやすい恋を封印していたからだ。
この大会は全国に配信されている。
当然この試合の内容は二回戦以降の対戦相手が視聴する可能性が高い。
椿もガートルードも九十九も、能力が発覚したからと言って全く戦えなくなるような弱者ではないが、先々のことを考えれば能力は出来るだけ秘匿しておきたい。
結果として椿の技は居合以外の剣術となり、ガートルードはタクティカル・トマホークを振るうのみにとどまった。両者はそれでも並の魔人であれば一瞬で葬るほどの近接戦闘の達人であったが、生憎お互いに並ではなかった。猛烈な攻防が椿とガートルードの二人を中心に吹き荒れる。
ガートルードの剛腕が木々を薙ぎ倒すが椿に届かない。
椿の鮮烈な剣閃が光るが紙一重でガートルードに躱される。
そして九十九には、日本刀とタクティカル・トマホークが飛び交う嵐に飛び込むほどの近接戦闘スキルがなかった。遠距離からガートルードを援護しようとしても木々生い茂る山間部ではなかなか適切な援護が出来ない。
そうして三者が歯噛みする中、よく通る声が響いた。
「戯れはそこまでにせよ!深淵の波動!!」
村崎揚羽の瞳が紫に染まる。
右手を派手に突き出す仰々しいポーズを揚羽が取った瞬間、揚羽と九十九の間を遮る木々たちがめきめきとへし折れ破壊された。その破壊の波は猛烈な速度で九十九に迫りくる。
何かが来る。そう判断し九十九は横っ飛びに躱した。
躱した直後、九十九がいた場所の背後の木々がぐしゃりと潰れた。
「ほう…我が深淵の波動を躱して見せるとは、やるではないか」
当然これもハッタリ。
揚羽のポーズとセリフに合わせて、透明化されたキューブを椿が放っただけである。
キューブは人を直接傷つけることが出来ないが、透明化し軌道上の木々を薙ぎ倒して見せたことで、躱さざるを得ないオーラ攻撃として九十九とガートルードに認識された。
いつ襲い来るか分からない深淵の波動を警戒しなくてはいけない。
ひょっとしたら空間切除発動の条件が整うかもしれない。
そして何より、無理をして目前の骸骨剣士を撃破したとしても“闇の王”には復元可能かもしれない。
三つの要素が絡み合い、ガートルードと九十九は攻め切れないでいた。
「埒が明かない!!ツクモ!あのお坊ちゃんを潰せ!骸骨は私が引き受ける!トマトのように叩き潰せ!」
大声でガートルードが指示を出す。
【トマトのように】 それは事前に決めていた暗号。
九十九は一直線に揚羽に向かい駆けた。
椿を一切無視し、オーラ攻撃を警戒しながら揚羽に突っ込んだ。
そのような動きをした。
「…なんてね」
椿から離れるそぶりを見せながら、九十九はぐるりと体を椿の方へ捩じった。
足首、腰が通常では考えられぬほど奇妙に曲がる。
そうして到底走っているとは思えないほど安定した姿勢でリボルバーの引き金を引いた。
先天的な二重関節と後天的な訓練の積み重ねにより、
九十九は走りながら真後ろに正確に銃撃を放つという曲芸めいた技術を会得していたのだ。
BANG BANG BANG
放たれた銃弾は三発。
しかしどこを狙ったのか、それら銃弾は椿のはるか上方に向けてバラバラに飛んでいった。
(今だ!壊れやすい恋!)
その銃弾に対し、九十九が能力を発動する。
壊れやすい恋により下方向へのエネルギーを受けた銃弾は、大リーグピッチャーのフォークボールがお遊びに見えるかのような急激な弾道変化をし、椿に向かって降り注ぐ。
体を反転させたトリックショットと能力による弾道変化。
初見では躱すことが非常に難しい一撃。ましてや椿はガートルードと対峙し、意識をそちらに向けている。
(骸骨だか何だか知らないけど、頭を銃弾で砕けばお終いでしょ!)
九十九は命中を確信する。
しかし、その奇襲極まる銃弾の雨を椿はステップで躱して見せた。
まるで頭上に目があるかのような、視点が高みにあるかのような、そんな動きであった。
ガートルードと九十九は、その動きから揚羽が骸骨剣士を操作している、もしくは指示を出していると判断した。骸骨剣士である椿の回避は、揚羽の視点が無くては到底できないものであったからだ。
能力によるテレパスか、もしくは完全に揚羽が遠隔操作をしているのか。それは判断がつかなかったが、二人は揚羽こそを司令塔であると判断した。潰すべき指示役であると判断した。
(やはり、ヘッドはあの坊ちゃん!クソ!距離を取られている…)
当然ながら、揚羽にはテレパス能力などない。
椿を遠隔操作などしていない。
ガートルードと九十九には見えていなかったが、揚羽の胸元には透明化されたピンマイクがついていたのだ。
そして同じく見えていなかったが、椿の耳には透明化されたワイヤレスイヤホンが付けられていた。
(ツバキ、四時の方向100mからキューブを真っすぐ放ってくれ)
(後ろに引け、リボルバーで狙っている)
(!右斜めにステップ!銃撃が降ってくる!)
ただ小声で直接指示を出していただけだ。
“闇の王”としての大仰な振る舞いと“骨の従者”としての異形が隠れ蓑となり、ガートルードと九十九は、魔人能力を用いない電子機器による通信に考えが及ばなかった。
※※※※※
九十九必殺の弾道変化による奇襲すら対応された。
壊れやすい恋を開示してしまった以上、ガートルードはもはや能力の出し惜しみをしている暇ではないと悟った。
「チッ!手ごわい!これ以上長引くようだとサッカーの放送に間に合いそうにないね!」
【サッカーの放送】
これも暗号だ。意味は『すぐに自分のそばに来い』。
即座に九十九はガートルードに駆けよる。
「出し惜しみはなしだ。消えてもらう!可燃性の愛!全開だぁぁぁぁ!!」
ガートルードのタトゥーが奇妙に蠢き、右手のひらに集中する。
めらめらと、バーナーのような炎が吹き出て、周囲の木々に火をつけた。
「気が付かなかったようだな!戦いの最中に私は木々を薙ぎ倒していた!満遍なくよく燃えるように!木材を配置していたんだ!安全地帯は!私の周辺だけだ!二人まとめて燃えろ燃えろ燃え尽きろぉ!!!」
山が、あっという間に炎に包まれる。
透明化した高木に座っている揚羽にも間もなく炎が届くだろう。
椿もあっという間に炎に包まれた。
可燃性の愛を直接くらったわけではないので、即死級の高温ではないが、それでも猛烈な熱が椿を襲う。
(PSYCHO=LAW!)
しかし椿は、自身が焼かれているにも関わらず透明化したキューブを発現させて揚羽を乗せた。
そうして炎の範囲外の上空に飛ばした。
椿のとっさの回避サポート。
その意味を瞬時に理解し揚羽は大げさに、朗々と叫ぶ。
「氷結の守護!この程度の炎!我が魔眼の前では相手にならぬ!!」
揚羽の瞳が紫に染まった瞬間、骸骨剣士である椿の周囲の炎が消えうせた。
ただ、これは炎を透明化し、消えたように見せただけ。炎なんて効かないと、動揺させるためのハッタリに過ぎない。
(ツバキ…!ごめん!耐えて、耐えてくれ!!)
揚羽はマイク越しに小声で指示を出す。
骨以外を透明化しているため誤魔化すことが出来ているが、椿の全身はガートルードの業火により焼けただれていた。本来であれば、黒く煤だらけになった肌や溶けて足と癒着した革靴があらわになっていただろう。
当然椿の体中には、文字通り焼けるような痛みが走る。
それでも椿は耐える。声を出さず。身じろぎもせず。
炎などものともしない死霊の騎士を演じ切る。
(熱っ!熱っ!いってぇぇぇ!!!畜生!肌が!髪が!服が!焼け、焼けて!!)
悲鳴が口から飛び出しそうになるが必死にこらえてガートルードと九十九に向かって猛然と駆けだした。
全身全霊を振り絞り駆けながら椿は思う。
(アゲハ、あいつは頭が良いから、本当なら、大会に出るなんてリスキーなことせずに真人間になれるんだろうな)
渾身の一刀を繰り出すために気を落ち着けながら椿は思う。
(周りの環境に流されて生きてきた馬鹿な私にだって分かることはあるさ。アゲハはさ、私も普通の世界に連れていきたいから、こんなしんどいやり方してるんだろ?)
ガートルードと九十九に猛進しながら椿は思う。
(ビビりな癖にかっこつけて!矢面に立って!それでも何でもない風に振舞って!)
全身を火だるまにしながら、弱音一つ吐かずに椿は思う。
(色んなもの背負って!毎晩不安で震えやがって!それでも、それでも!こんな私を信頼して!!その信頼に!応えられなきゃクソだろうが!!女が!すたるってもんだろうが!!!!!)
もしも透明化をされていなかったならば、誰もが見惚れるであろう決意と誇りをたたえた顔で刃山椿は【アップダウンコネクション・フロム・ロンドン】に迫っていった。
※※※※※
猛烈な炎にも全くのノーダメージ(のように見える状態)で骸骨剣士が駆ける。
(炎が効かない?それとも何かしらの…クソ!思考に割く時間が足りない!)
迫りくる脅威に対しガートルードは覚悟を決めた。
愛用のタクティカル・トマホークをギリリと強く握りしめる。
(細かいことを考えるのはヤメだ。その剥き出しの頭蓋をぶち砕いて、“闇の王”も一気に叩く!!)
「ツクモ…二人がかりでこの骸骨を潰すぞ…!」
「ガートちゃん…!でも!こいつを倒してもあの“闇の王”がまた生み出してきたら…」
「この骸骨剣士は強い…!!余力を残して仕留めるなんて出来ない相手だ…!これほどの剣士を再生産可能だとしたら、初めから私たちに勝ち目はない」
「…それはつまり、再生されない方にオールイン、ってことかな…?」
「ギャンブルはお嫌いかい?」
「嫌いだねえ。ただ、それは一人でなら、ね。ガートとならなんだって賭けてあげる!」
二人は笑い合い、椿に向かう。
前面に出るはガートルード・ビアリストック。後方で支援に走るは八百九十九。
もはや言葉もない。
椿とガートルードは互いに致死の一撃を見舞う事が出来る距離に近づいた。
刃山椿は田宮流の居合の構えを取った。
椿は今まで居合を封印して戦っていた。
二回戦以降を考え、居合使いであるという情報を伏せておきたかったのだ。
しかし、今ここに至っては出し惜しみなど出来ぬ。全身を包むやけどの痛みを無視し、凛とした剣気を放ち必殺の構えを取る。
(こいつ…居合使い!!?まずい…!間合いに入ってしまったからにはこちらが不利か!)
椿が構えを取ったことでガートルードもようやく椿の切り札に気が付く。
透明化さえなければ。
ガートルード程の経験の持ち主であれば、椿のタコで硬くなった右手のひら、地面を踏みしめるために太く発達した脚、居合使い特有の機を探る眼光などから椿が居合使いであることを見抜いていただろう。
しかし、勝負にタラレバは禁物。
刃山椿は揚羽の能力で身体を偽装し、ガートルードはそれに気が付くことが出来なかった。
ピシリと空気の冷える音がする。
椿の必殺の居合が繰り出された。
(ッッ!速ッ…!)
タクティカル・トマホークで防ごうとするが、防御よりもはるかに速く椿の一刀が迫る。
必殺の一太刀を防げない以上結末は見えた。
即ち、ガートルードの敗北。瞬き一つほどの時間ののちにガートルードの首は落ちる。
その結末を、八百九十九は覆す。
「壊れやすい恋!」
両の足を踏みしめ椿の一刀を地に堕とす。
この瞬間を狙って“闇の王”のオーラによる攻撃が来るかもしれないとは考えた。
しかし九十九はそれでもいいと思ったのだ。
即死さえしなければ、最愛のガートルードは骸骨剣士を仕留めてくれると信じた。
そしてその判断は大正解であった。
オーラ攻撃として使用していたキューブは、揚羽の退避に使用していたからだ。
軌道を大きく変化させられた剣閃は本来の素早さを欠いた。
その結果、本来であれば間に合わないはずのタクティカル・トマホークの防御が紙一重で間に合った。
ガートルードはタクティカル・トマホークを左手で操る。
余った右手のひらにタトゥーが集中する。
守りと同時に可燃性の愛による熱放射。
目前の骸骨剣士に全開で出力し決着。
その未来がガートルード・ビアリストックには見えていた。
八百九十九にも見えていた。
対峙する刃山椿にすら見えていた。
その未来を覆したのは、“闇の王”村崎揚羽であった。
「次元の扉!!肉体よ!消え失せよ!!」
村崎揚羽のよく通る声が山に響き渡る。
その瞬間、ガートルード・ビアリストックの肉体が消失していった。
正確には透明化していった。椿と同様、肉体の一部が透明化されたのだ。
ガートルードは、自身の腕の骨や筋肉が剥き出しになるのを見た。
肉体の変容は大きな衝撃を与える。
例えば、虫に刺されて腫れた顔を認識した瞬間。
骨折によって赤黒く膨らんだ腕を見た瞬間。
病により蒼白になった顔を見た瞬間。
人は硬直する。
自分自身の肉体に訪れた変化に脳の処理が追い付かず、一瞬ではあるが固まるのだ。
それが通常であるが、ガートルードはその人間的本能を乗り越えた。
自らの腕が骨と化したように見えても、心を殺し、一切揺るがず、椿に襲い掛かった。
コンマ何秒かの差で可燃性の愛は、再度の居合より先に椿を焦がし、その命を無慈悲に奪う。そうなるはずであった。
「いや…いやぁぁぁぁぁぁあああああ!!!ガート!!ガート!ガートぉぉ!!!」
八百九十九の絶叫がガートルードの耳に届く。
ガートルードには認識できていなかったが、透明化はガートルードの全身に及んでいた。
顔面の皮膚が透明化され、まるで何かに浸食されたかの如く骨や筋肉や血管が剥き出しになっていた。
それどころではない、まるで理科室の人体模型のように全身が不気味に赤裸々にされていたのだ。
八百九十九は普段の飄々とした態度を投げ捨て、地面を踏みしめることすら忘れ、顔面を涙でぐちゃぐちゃにしてガートルードに向かい駆けた。日本由来のルッキズムに染まり、可愛くない顔をかたくなに見せようとしない九十九が、無様な泣き顔を躊躇わず晒していた。
その姿を目にし、ガートルードの心は奇妙な満足感に包まれていた。
物心ついた時からマフィア稼業。流れ流れて殺し屋に。
まともな死に方なんて出来ないと思っていた。
自分が死ぬときは路地裏で小汚くドブネズミのように果てると思っていた。
しかし、今この瞬間、自分を悼んでくれる人がいる。
自分が消え去ることを惜しみ、恥も外聞もなく泣き叫んでくれる人がいる!
それは、まさに愛。可燃性の愛が、ガートルードの心を燃やし尽くした。
誰かが自分を想ってくれる。
その事実が達人たるガートルードに戦場での苛烈さ、冷たさを忘れさせたのだ。
愛で戦うことを知っていたら。
誰かのために戦う事を知っていたら。
結果は違ったかもしれない。
しかしガートルードは今まで愛のために戦ったことなどなかった。
皮肉なことに、今この瞬間に認識された燃えたぎる愛は、百戦錬磨のガートルードに闘争を忘れさせた。
ガートルードは一瞬ではあるが愛に溺れたのだ。
そうして、あまりにあっけなく刃山椿の一刀を受け入れた。
(嗚呼!やはり君は私のファム・ファタールだった!)
ガートルード・ビアリストック 死亡
決まり手:田宮流居合斬り
一回戦 終了後 村崎大亜別邸
激戦を終え、村崎揚羽と刃山椿は元々いた大亜の別邸に転送された。
紙一重ではあったが勝利をつかんだことに、互いに安堵の息を漏らす。
「っっっ~~!!ぶはぁ!なんだあの人たち!無茶苦茶強かった!」
冷や汗を顔面に浮かべ、揚羽が叫んだ。
「ほんとヤバかった!御免!アゲハ!居合使っちゃった!次の相手は私の居合を知った状態になる…」
「いやしょうがないっしょ…。あれは達人クラスだよ。色々と準備してなきゃ絶対勝てなかったって…」
今回揚羽と椿が勝利を拾う事が出来たのは、ガートルードと九十九が魔眼の力を警戒したからだ。
事前に鷹岡に頼んでいたブランディング、大亜に頼んでいたハッタリがなければ、揚羽は今頃消し炭になっていただろう。二人で一気に近づき、可燃性の愛と壊れやすい恋を同時に繰り出されていれば成す術は無かった。
下手すれば消し炭になっていた
その事実に今更ながら、揚羽はガタガタと体を震わせていた。
生まれて初めて本物の殺意をぶつけられた。
生まれて初めて人を害するために能力を使った。
(こんなことを、ツバキは日常的にしていたのかよ…!)
揚羽は“普通”への渇望を新たにした。
絶対に椿と共に“普通”の道を歩んで見せると誓った。
そんな揚羽に対し、椿は一つの疑問を口にする。
「ところでさ、なんであの斧の人を透明化できたの?あれのおかげで勝てたようなもんだけど、アゲハの能力って、人間を透明化するには本人の了承が必要なんじゃなかったけ?」
「その通り。了承無しに透明化は出来ない…だけど、事前了承でも透明化は可能…ってね」
そういうと、揚羽は一枚の紙を取り出した。
それはクレジットカードのレシート。
村崎大亜とガートルードと九十九が会談した夜景の美しいレストランでのレシート。
しっかりとガートルード・ビアリストックのサインが刻まれている。
「親父に会談を頼んでいたんだ。あわよくばこれが出来たらと思ってね…。降参の勧告も、何もかも全部フェイク。マフィア上がりなら面子を重んじて自分で支払うと信じていた…」
クレジットカードのレシートのサインが、ふわりと空中に浮かび上がる。
否。サインが浮かんだのではない。
サインは透明化された紙に書かれていた。
透明化された紙が、クレジットカードのレシートに重ねられていたのだ。
「親父が会談したレストランのキッチンに俺も控えていた。能力の射程圏内にいなきゃいけなかったからな」
揚羽が透明化を解除すると、契約書があらわれた。
そこにはハッキリと、
【この契約書にサインしたものは村崎揚羽の透明化の対象となることを了承する】 という旨が刻まれていた。あまりにも明確な事前了承の証。
顔を覆う冷や汗を拭ってから、揚羽は気持ちよく咆えた。
「まったくもって、高い食事になったなぁ!」
一回戦 終了後 某ホテルの一室
「…負け、か。すまないツクモ。最後の最後でヘマをした」
謝罪をするガートルードに、何も言わずに九十九は抱き着く。
可愛くない、涙目になっているのを見せまいとするかのように、顔面をガートルードの腹部に押し付ける。
「…今度、私の涙のせいで負けたら許さないんだから」
「仰せのままにお姫さま。臭い台詞だから一回しか言わないけれど聞いてくれ。今度から私は君への愛のために戦う。もう二度と、愛に溺れて動けなくなるなんてヘマはしないと誓うよ」
そういうと、ガートルードは九十九に口づけをした。
深い深い口づけだった。
燃えるような、壊れるような口づけだった。
それは酷く長い口づけに思えた。ほんの一瞬の口づけにも思えた。
ポン、と軽い音と共に唇が離れる。うっすらと濡れた二人の唇は淫靡でありながら清らかで美しかった。
九十九は涙と鼻水で酷い顔になっていたが隠そうとはしなかった。
熱に浮かされたような、真っ赤な顔で九十九は言った。
「この日本観光をさ、特別な旅行にしちゃおうよ。予算はそんなにないかもしれないけどさ。ふわふわで素敵な旅行にしちゃおうよ」
その言葉にガートルードは満面の笑みで返す。
「そうだね。楽しむとしよう。…でも、予算はたっぷりある気がするよ。…私は、ヘマしたままなんてのは癪なんだ」
ニィっと大きく、それこそチェシャ・キャットのごとき笑顔をガートルードは浮かべ、一枚の写真を取り出した。
「現代科学の進歩には感謝しなくちゃあいけないな。ドローンを使えば、色んな所の写真が撮れる。例えば、夜景の美しいレストランの店内であってもね…組織の、こういうのが得意なやつに頼んどいて大正解だった」
その写真にはハッキリとガートルードと九十九と村崎大亜が写っていた。
大会前日、夜景の美しいフレンチレストランでの一幕だ。
ガートルードは組織のメンバーに頼んで、ドローンを用いて会談の様子を外から写真に収めていたのだ。
画像は隠し撮りにもかかわらず鮮明。ガートルードが読んでいた新聞の日付もしっかりと写っている。
「どうやらあの“闇の王”は勝ち方にこだわっているようだ。実力を示し、政府に取り入って、組織を表舞台に移したいと…」
ガートルードの思惑を読み取り、九十九も大きく微笑んだ。
「あれあれ~?ガートちゃん、じゃあ、大会直前に、参加者に対して、対戦相手の親族が会っている…この写真はまずいんじゃないかな~?裏で結託していたと思う人もいるんじゃないかな~?」
「その通りさツクモ。勿論これが八百長の証拠になったりはしないよ。ただイメージが重要なあのお坊ちゃんは、疑念の種になりうるこの写真が表に出て欲しくはないだろうね」
「そうだよね~。別に私たちも彼に不幸になってほしいわけじゃないから、穏便に買い取ってもらっちゃおう!」
「おお!悪いことを考えるものだねファム・ファタールよ!誰をも破滅に追い込む女神よ!ならば!いかほどで!」
大仰に、芝居かかった様子でガートルードは言葉を紡ぐ。
そうして、自らの人生を輝かせてくれた悪辣なる女神の神託を待つ。
「私たちも、鬼じゃないからねぇ~。半分。2億5千万くらいで勘弁してあげるとしようか!」
ガートルードは手巻式の煙草を深々と吸い、紫煙よ空に届けと言わんばかりに気持ちよく吹かした。
そして大きく、まるで勝者であるかのように高々と叫んだ。
「まったくもって、高い食事になったなぁ!」
イグニッション・ユニオン
第一回戦
戦場:山
闇の王と骨の従者
VS
アップダウンコネクション・フロム・ロンドン
勝者:闇の王と骨の従者
ガートルード・ビアリストックと八百 九十九
最強を示すことは出来なかったが、変わらず日本旅行を満喫している。
風の噂では帰国後に籍を入れたそうだ。
To be continued