【貴方をよく知る人】

白龍部屋所属 若者頭 聖闘士山関は語る。

「東海龍勝正は、非の打ち所のない人ですよ。学生相撲で輝かしい実績を残して、名門白龍部屋に入門。あっという間に十両まで上がり、だけど慢心することはなく、毎日の稽古に一生懸命でした。
お人柄も良いんです。先輩は立てて、後輩には厳しくも優しい。まさに、理想の力士でした。兄弟仲も、すごく良いんですよ。弟のレオナルド君も含めて、三人でちゃんこを囲んだことがあります。
だから、魔人狩りを生業にすると聞いたときは、みんな驚きましたが、納得もしました。正義感の強い人ですから、土俵の上だけでは収まらない人だったんですよ。
今でも尊敬する先輩です」

黒龍部屋所属 力士 邪神王関は語る。

「レオナルドは、めちゃくちゃ優しいやつだね。誰かが悲しんでいたら一緒に悲しんで、誰かが喜んでいたらそいつより喜ぶような、そんなやつ。アイツの同期は、俺を含めて三人いるんだけど、今でも仲良いよ。
ただ、どうしてもお兄さんと比べられるから、相撲での評価はいまいちだった。黒龍部屋に入ったのも、白龍部屋の親方に認められなかったかららしいよ。決して弱くないんだけどね。
ただ、東海龍と組んで魔人狩りを始めてからは、随分雰囲気が変わったよな。なんだか、超越者じみているというか……。一目見ただけで分かるよ。後光が射してる。
まあ、あれじゃあもう角界に復帰することはできないだろうけどね。今なら相当いい成績を残せるだろうに、残念だよ」

――――――――――――――――――――

【おめでたいやつ】

「兄さん、体の調子はどうだい」

試合開始30分前。イグニッション・ユニオン運営が用意した控室で、レオナルド・西雲海は、東海龍勝正に声をかけた。

「チャンコの練り具合は、50%というところか。やはり、“OCHANKO倶楽部”が臨時休業だったのが痛かったな」

四股立ちで気を整えながら、勝正は答える。
“OCHANKO倶楽部”とは、両国に所在するちゃんこ鍋の名店である。食材が十分に入らなかったらしく、臨時休業になっていたのだ。
勝正とレオナルドにとっては、学生相撲時代からのなじみの店だ。そこのちゃんこ鍋を食べることが、体内のチャンコを整えるルーティンだった。

「聖闘士山さんも食べそこねたみたい。スマホにメッセージが来てたよ。兄さん、大丈夫かって」
「あいつ、明日が13日目だろ。全く、人の心配をしている場合ではないだろうに」

そう言う勝正は、どこか温かい表情だ。
レオナルドは、素直ではない兄をかわいく思ったが、そこに言及するのも無粋と思い、話を変える。

「“AGAIN”って二人組は、どうかな。強いかね」
「調べた限りでは、仙道ソウスケと言う男はちんけな詐欺師だ。2年前から活動してはいるが、投資詐欺や還付金詐欺をしているくらいの情報しか出てこなかった。英コトミはさらに小物だ。全く情報がない」
「じゃあ、大したことないね」
「本気で言っているのか」

魔人戦闘において、得体が知れないというのは、どのような高スペックよりも厄介だ。それこそ、致命傷になる事もある。
それを、百戦錬磨のレオナルドがわかっていないはずもない。

「半分だね。どんな相手だろうと、僕と兄さん二人なら大したことはない。これまでも、これからもさ」

レオナルドの穏やかな語り口には、確かな自信が存在した。
それは、根拠のない自信だ。それでも、レオナルドの言葉には安心感があった。彼が言うなら間違いないと思わせるだけの風格が漂っている。
そこには、光があった。

「もうすぐ時間だ。頑張ろうね」

レオナルドが、勝正の背を叩く。輝く笑顔に、後光が差した。
さしずめレオナルドは、よく磨かれた玉。つるつると輝き、衆生を救済する光。

(おめでたいやつだよ、お前は)

勝正は、レオナルドを見る度に胸の奥が痛んだ。
レオナルドが変わってしまったのは、自分が魔人狩りなんてものに誘ってしまったからだ。
日に日に輝きを増すレオナルドを、見ていたくはない。
それでも、レオナルドを見続けることは、勝正の責任だ。
その責任を果たすため、勝正はイグニッション・ユニオンに参加している。

勝正は、レオナルドの頭を見た。

何も背負っていない、軽薄な光が目に入った

その頭頂部は、見事に禿げあがっていた。

――――――――――――――――――――

【輝きの代償】

レオナルドは、禿げている
原因は魔人狩りだ。

勝正は、もともと正義感が強い男だ。世に仇なす魔人を退治する、魔人狩りと言う仕事はまさしく天職だった。
しかし、レオナルドは違う。彼は強い共感力を持ち、たとえ相手が犯罪者であっても、犯罪に手を染めるだけの事情を慮り、世の理不尽を嘆き、愛と哀しみを背負った。

そのためハゲた。

レオナルドのストレスは、頭髪に現れたのである。軽くなった頭部からは後光が差した。実に(頭部が)軽薄な光だ。つるっつるの頭は、見る者におめでたさを感じさせる。
ちなみに、伊賀虎之助の記憶を奪ったのは、頭の輝きを利用したMIB(メン・イン・ブラック)フラッシュである。

だが、話はここで終わらない。
レオナルドは髪の総量と反比例するかのように、超越者じみた雰囲気を増していった。
悟りへと近づいていったのである。
「おいおい、相撲は神道じゃないのか」という疑問はもっともだ。
しかし、相撲は仏教とも合流しているという歴史がある。
金剛力士には力士と言う言葉が使われているし、ある文献には釈迦が相撲を取ったという記述も存在する。「相撲隠雲解」の中では、土俵について「外の角を儒道、内の丸を仏道、中の幣束を神道」と論じている。
なので、仏教ともちゃんと関わっている。歴史が証明している。仏教と言えば、坊主である。つまり、坊主になったら仏教なのだ。絶対にそうなのだ。

こうしてレオナルドは、期せずして剃髪により雑念をそぎ落とし、仏門に入る資格を得た。

もともと持っていた一切苦を受け入れる性質と、仏教と係わりが深い相撲の素養。
これらが奇跡のように絡みあい、レオナルドは日々悟りへと近づいている。
こうして、レオナルドの頭の輝きは増しているのだ。

――――――――――――――――――――

【予感】

試合場となる図書館は、アタシの想像よりもはるかに広かった。
真っ白い清潔感のある内装に、ふかふかのじゅうたん。視界の端に、カフェや休憩スペースも見える。
窓からは、家がパズルのように敷き詰められた住宅街を見下ろせる。どうやらここは4階か5階くらいの高さらしい。

「病院みたいじゃん。こんな図書館ってあるの」
「たまにあるよ。ここまで大きいところは珍しいけど」
「アタシの知ってる図書館は、学校の教室くらいの広さなんだけど」
「それ、公民館とかにくっついてるやつだよね。よかったよ。そんなところで闘わされなくて」

ソウスケは肩をすくめながら、手近にあった館内図をちらと見て、そのまま歩き出す。今の一瞬で、もう覚えたのだろうか。

「とりあえずは、仕込みからかな。コトミ、僕の机の上にある、大きい箱を取って」
「わかった」

印鑑不要の現実(インダストリアル)を発動。アタシの手元に、アタシの身長を超えるくらいの大きな箱が現れた。

「いっや、重い!」

取り落としそうになったが、何とか堪える。ソウスケが、ひょいと箱を受け取った。

「うんうん。鏡の世界でも、コトミの能力は使えるみたいだね。よかった。これができないと、かなり厳しい戦いになってたよ」

ソウスケは、アタシが一瞬と持っていられなかった箱を、軽々と持ち上げる。
意外と力があるんだな、と妙に感心してしまった。
感心してしまった自分に、なんとなくイラつく。

「コレ、何入ってんの。めちゃめちゃ重いんだけど」

思わず、少し口調が強くなってしまったかもしれない。相手がソウスケなので、罪悪感は特に沸かないけど。

「んー。ちょっと見せらんないかなあ」
「なんで」
「見せたら多分、嫌われちゃうから」
「……今もそんなに好きじゃないけど」
「あ、僕は4階の多目的室に仕込みをしてくるから、コトミはマップをしっかり覚えておいてよ」

話題を反らしたのは、意識的にだろう。どうせ、いつもと変わらずニコニコしながら、ろくでもないことを考えているのだ。
絶望的に嫌な予感しかしないが、今は余計なことを考えている場合でもない。アタシは、館内図に向き合うことにした。

この時のアタシの判断は、間違っていなかった。
箱の中身を知っていたら、戦いどころじゃなくなっていただろうから。

――――――――――――――――――――

【勝正の役目】

勝正とレオナルドは、巨大な図書館の1階ホールに転送された。
正方形のホールに1階の天井はなく、2階まで吹き抜けている。開放感のあるホールは、受付や読書スペース以外は、整然と並び立つ本棚で埋め尽くされていた。
本来2階がある高さにはキャットウォークが設置されており、そこにも壁沿いにずらりと本棚が並んでいる。
キャットウォークへの階段は建物の端に設置されている。上り下りには不便な設計だ。

「どうやらここが、この立ち合いの仕切り線か。視界良好とは言えないな。レオナルド。射線は確保できるか」
「よくないね。弓を使えるとしたら、上の通路くらいかな。でも、相手もそれくらいわかってると思う」
「弓手には、あまり嬉しくない地形だな。外に出ることもできないし、狭すぎて隠れるのも難しい」
「まあ、僕にはあまり関係ないさ」

レオナルドが、合掌をする。
天井の一部が水あめのように垂れてきて、レオナルドを包み込んだ。垂れた天井が元の位置に戻ると、地面にレオナルドの姿はない。レオナルドは、天井の中に隠れたのだ。
これが、レオナルドの天遁の術だ。
この能力でレオナルドは、ありとあらゆる天井に隠れる事ができる。無限に有利な狙撃位置が作れるのだ。
勝正が矢面に立って敵と戦い、レオナルドが天遁の術を使って、敵の意識外から狙撃する。これが、お相撲ブラザーズの必勝パターンだ。

「さて、と」

勝正は、腰に下げた刀を握りこむ。肩の力を抜きつつ、いつでも戦える準備をしておく。
体内のチャンコ残量は、そう多くない。序盤にチャンコレーダーでロスをするべきではないだろう。
自分の役割は理解している。いつも通り、できることを尽くすだけだ。

――――――――――――――――――――

【世界が求めるヒーロー】

勝正は、ヒーローになりたかった。
強きをくじき、弱きを助け、正義を貫く。そんな、テレビ番組で見たヒーローになりたいと、本気で思っていた。
そんな勝正少年が選んだ道は、相撲だ。
己の肉体だけを頼りに、どんな相手ともぶつかり合う。一瞬の輝きを求めて、毎日厳しい稽古に望む。
勝正が理想とするヒーローは、力士だったのだ。

そうして勝正が相撲を始めたころに、母親が英国人の義父と再婚して、レオナルドは連れてこられた。
柔らかいふわふわとしたブロンドの髪が特徴的なレオナルドは、4つほど年上の勝正によく懐いた。
近所の公園で、日が暮れるまで何度も相撲を取った。そのころは、勝正が負けることなどなかった。

今は違う。

レオナルドは、戦う度に悟りの如き高みに近づいている。
そんなレオナルドに、勝正は嫉妬している。

(全く、ひどい兄貴だ)

兄として、弟の成長を素直に喜べない。そんな自分の器の小ささを自覚し、さらに落ちていく。
努力をしていないわけではない。弟に追い抜かれて負けん気を出さないほど、老いてはいない。心技体を、自身ができる極限まで磨きあげたつもりだ。
だが、どれほど磨いた石ころも、隣にダイヤモンドを置かれれば、ただの石ころでしかない。
いつしか、磨くことに意味を見いだせなくなり、磨くことをやめてしまう。
そうして、どんどんくすんでいく。

(俺は、主人公ではなかった)

勝正は、ヒーローになりたかった。
だが、世界が求めるヒーローは、自分ではなかった。
それが、勝正が土俵を下りる理由だ。

――――――――――――――――――――

【気持ち悪い男】

勝正が1階を探索していると、ホールに大きな声が響いた。

「こんにちは! お相撲ブラザーズの皆さん! 僕たちは、“AGAIN”と言います! まずは、ご挨拶をしたいのですが、よろしいでしょうか!」

勝正は、キャットウォークで声を張り上げる仙道ソウスケと、その前に立つ英コトミを確認した。
勝正から見えているということは、向こうからも見えているということだろう。
まあ、大した問題ではない。あちらから姿を現してくれたのならば、好都合だ。
勝正は丹田に力を入れ、両足からチャンコを放出し、宙に浮いた。
チャンコの密度は空気よりも軽い。足裏から絶えず放出することで、浮上することができる。これを、『CLS(CHANKO Levitating System)』という。

勝正が、キャットウォークにゆっくりと着陸した。
そこは、大人二人が少し譲り合ってすれ違える程度の広さだ。片側の壁は本棚で埋められており、片側は胸くらいまでの高さのガラス製の手すりが設置されている。通路の突き当りは、壁になっている。
仙道ソウスケは、その突き当りの壁を背にして、英コトミを盾にするように立つ。手には、拳銃が握られていた。

「こんにちは。貴方は勝正さんの方ですかね。レオナルドさんはご不在ですか。困ったなあ。この子の耳とか撃ち抜けば、お顔を拝見できますかね」

ソウスケが、コトミの耳に銃口を突き付けた。
コトミは一瞬体を硬直させ、煩わしそうな顔をする。

「お前ら、仲間じゃないのか」

勝正が声をかける。勝正にはまだ、これがどのような意図を持つ行動か量りかねる。

「それが、僕ってすごく友達が少ないんですよ。だから適当な子を拾って、“英コトミ”にしたんですよね。あ、もしも降参してくれるなら、差し上げましょうか? “ストック”はありますんで、お気遣いなく」
「反吐が出るな」

勝正は考える。
位置関係上、仙道ソウスケを攻撃するには、コトミごと叩く必要がある。
だが、ソウスケの発言の真偽がわからない。
英コトミを攻撃させないための方便である可能性は高い。実際、コトミの反応が乏しすぎるようにも思う。
ただ、そう言った疑念を俺達に持たせるための指示を与えている可能性もある。
その判断をするには、情報が少なすぎるのだ。

(このように考えさせることが、仙道ソウスケの狙いなのだろうな)

迷いは躊躇を生む。ならば、迷わなければいい。
問題は、一人の少女が傷つく可能性があるということだ。鏡の中の世界とはいえ、それは看過できない。
騙されていたならば、その都度対処すればいい。
相撲取り(ヒーロー)は、どんなことがあっても無関係な少女を傷つけない。
レオナルドも、そう思っているはずだ。

ソウスケの真横に位置する天井が、ぐにゃりと形を変える。
弓を携えたレオナルドが上半身を露出し、すぐさま矢を放った。
狙いは、ソウスケのこめかみ。コトミに当たらずソウスケだけを狙える、唯一の射線だ。
レオナルドの魔人能力だからこそできる、本来想定されることはない一撃。避けられる道理はない。

ガキン、と硬質な音がしたのと、矢がソウスケに突き刺さる直前で止まったのは、ほぼ同時。
空中に現れたスマートフォンが、レオナルドの一矢を防いでいた。

「BINGO!!」

ソウスケが、レオナルドに向けてウィンクをした。そのままコトミから離れ、まっすぐ勝正に向かう。
勝正とレオナルドは、狙いを完全に読まれていたことに少なからず動揺をする。
それも、スマートフォンで防いだということは、頭を狙う動線まで読んでいたことになる。
博打か、それとも。

「コトミ、Aの2!」
「受け取った!」

ソウスケが叫ぶと、コトミの手にマシンガンが現れる。
コトミはそれを迷うことなく、レオナルドに向かって放った。

「わっとっとと!」

突然の銃撃に、レオナルドが叫んだ。天遁の術で天井を足にくっつけ、逆さまのまま滑るように移動し、乱射される銃弾を回避する。
コトミは重火器の扱いに慣れていないため、精度は低い。だが、レオナルドを近づかせないためならば十分だった。

(狙いは、分断か)

お相撲ブラザーズの肝は、遠距離と近距離の連携だ。以心伝心とすらいえるコンビネーションで削り、魔人能力で一撃必殺を狙うのが必勝パターンである。
連携ができなければ、その実力は十分に発揮できない。それは、間違いない。

だが、相撲とはもともと孤独な戦いである。

「1対1なら勝てると思っているのか。舐められたもんだな」

ソウスケが勝正に向かって走りながら、拳銃を連射する。狭い足場で、かわすスペースはない。
勝正は、刀を抜いて銃弾を切り落としながら、高速のすり足でソウスケに近づく。
ソウスケも足を止めない。超近距離ならば、刀は振り下ろせない。十分に近づいたソウスケは拳銃を捨て、腰から取り出したナイフで勝正の手首を狙う。
だが、それは相撲取りの間合いである。
勝正は刀を落とし、迫りくるナイフを意に介さず、渾身の突っ張りを放った。
チャンコに満ちた突っ張りの圧に空間が歪み、ナイフの刃が削り取られたかのように消し飛んだ。

「やばっ」

ソウスケが、紙一重で体をのけぞらせて回避する。そのまま滑り込み、勝正の股を抜けた。
相撲ならば決まり手は腰砕けと言ったところか。だが、これは相撲ではない。
勝正は、眼下のソウスケに張り手を放つ。チャンコを込めてこそいないが、一撃が迫撃砲の如き威力を持つ。
ソウスケは素早く身を翻し、勝正の足元に水面蹴りを放った。
素人の蹴りでは、相撲取りの足を刈ることなどできない。だが、異様な気配を感じ、勝正は一度飛びのいた。
ソウスケのつま先からは、鉤爪のような金具が飛び出ていた。

「これ、かわしますか。勘もいい。流石は、お相撲ブラザーズですね」
「計算が狂ったか」
「いやいや、実に予定通りですよ」

体勢を整えたソウスケが、どこからか取り出した携帯電話を操作した。
電子音が響いた。

「BOOM!!」

ソウスケの言葉と同時に、爆発が起こる。
爆心地は、勝正の真上。2階の天井が爆風と共に砕けた。

(誘導されていた?)

勝正に、上階のコンクリートと本棚が砕けたような瓦礫がのしかかる。ダメージは少ないが、すぐに行動することはできない。
ソウスケは積み重なった瓦礫を軽やかに上り、爆発で空いた穴から、焦げた本が散らばる3階へと移動する。一息ついた後、顔だけを穴から覗かせ、1階ホールに明るい声を響かせた。

「コトミ、燃やすよー」
「はあ?」

コトミの非難するような声には応えず、ソウスケは携帯電話を操作した。キャットウォークに設備されたスプリンクラーが起動する。
噴出された水からは、油の臭いがした。

(こいつ、どこまで仕込んでやがる)

勝正が、この試合で始めて冷汗をかく。
試合開始から接敵まで、15分もかかっていない。その短時間で、スプリンクラーの中身を変え、館内設備を携帯電話で操作できるようにしていたというのか。
急ぎ瓦礫から抜けだす勝正を尻目に、ソウスケが油にまみれた廊下に銃弾を放つ。
コトミが1階に、勝正が3階に飛ぶのは、ほとんど同時だった。

キャットウォークが炎上する。
燃え盛る炎は、1階に並び立つ本棚にも燃え移る。火種は小さいが、古びた本を飲み込みながら、炎は確実に大きくなる。
勝正は、残されたレオナルドの無事を思うが、すぐさまソウスケに目を向けた。

「あ、燃やせませんでしたか。惜しいなー。もうちょっとで勝てたのに」

ソウスケは、指を鳴らしながら苦笑した。あまりにもわざとらしい。
勝正とソウスケがいるのは3階のフロアだ。天井がある分、1階ホールよりも開放感は薄いが、蔵書数は勝るとも劣らない。
今勝正が通ってきた穴は、燃え盛る炎に包まれ、とても通れない。
レオナルドとは、完全に分断された形になる。

(まんまと敵の思惑通りか)

階下への階段は遠い。どちらが移動するにしても、勝正とレオナルドがすぐに合流するのは難しい。何より、これまでの仕込みを見る限り、ソウスケをフリーにすることによるデメリットの方が大きい。
レオナルドは大丈夫だ。コトミが敵であっても1対1で負けるようなやつではない。コトミが戦いに不本意だとしても、アイツは人間ができている。うまいことやってくれるだろう。

「さて、ここで僕はお別れですかね。二人がかりで、コトミちゃんをいじめに行くんでしょ。賢明な判断です。僕は邪魔しませんよ」
「安心しろ。俺は、どこにもいかん。お前はこの場で倒す」
「え、本当ですか。二人がかりの方が楽だと思うんだけどな」

余りにも露骨な誘導。この発言の意味を考えれば、どつぼにはまるのだろう。
口達者の相手をするときは、聞く耳を持たないに限る。
問題ない。俺は、俺の役割をこなすだけだ。

「もしあれだったら、殺す前にヤッちゃってもいいですよ。多分、具合は悪くないはず」

だが、これはいささか目に余る。

「お前、もう喋るな」

勝正の正義が、ソウスケを許すなと叫んでいる。
塵手水を切る。体内のチャンコが全身を巡り、力が沸いてくる。
鬼神の如き迫力に、ソウスケは思わず後ずさった。

「はは、こわーい」

軽薄な笑み。光のない目。
気持ちの悪い男だと、勝正は思った。

――――――――――――――――――――

【光の射す方向】

レオナルドは、燃え盛る本棚に囲まれる中、コトミに向けて弓を引く。
コトミもまた、レオナルドに対してマシンガンを向けていた。
どちらかが口火を切れば、どちらもただでは済まない。
炎の中で、二人はこう着状態になっていた。

「や、やめて。助けて。アイツに脅されてただけなの」

口を開いたのは、コトミだ。
レオナルドはこみ上げる笑いを抑えるため、懸命に奥歯を噛み締めた。

「棒読みにもほどがありますよ」
「……うるさいな。こっちも一生懸命やってるんだよ」

コトミは、少し恥ずかしそうに舌打ちする。
レオナルドは、コトミが脅されているわけではなく、自らソウスケに協力していることを確信した。

(ならば、遠慮をする必要はない。殴って気でも失わせれば、それで僕らの勝ちだ)

実際、レオナルドにはそれが可能だという確信があった。コトミとレオナルドの力量差は、それほどの差がある。
だが、レオナルドはそれをしない。
ゆっくりと、口を開く。

「あなたはなぜ、仙道ソウスケと協力をしているのですか」
「ハァ? なんでそんなこと聞くの」
「私には、あなたが悪人には見えないからです。貴方からは、光が見えるんですよ。未来への、光が」
「私はハゲてないけど……」
「でも、その光はくすんでいる」

コトミが、ピクリと肩を震わす。レオナルドは、なるべく穏やかに、少しずつコトミに近づく。
レオナルドは、悟りの道を歩む中で人間を見る目が養われた。
これを、仏教では天眼という。外見に捉われず、人の本質を見抜く目である。
仙道ソウスケの本質は漆黒の闇であった。英コトミも黒く汚れていた。だが、コトミはその奥に確かな光がある。それを、レオナルドは見逃さなかった。
もちろん、優先すべきは勝つことだ。だが、それは目の前で苦しんでいる人を放っておく理由にはならない。

「貴方は、自分の行いに疑問を持っているのでしょう。貴方にも事情があるのはわかります。ですが、それは本当にあなたを救う道ですか」
「何勝手なこと言ってんのさ」
「気を悪くしないでください。私は、あなたにも救われてほしいだけなんです」

レオナルドが弓を降ろす。コトミはそれを見て、訝しみながらもマシンガンを降ろした。
戦闘中に、本来あり得ない出来事だ。コトミもまた、レオナルドの光に当てられたのかもしれない。

「幸せを追求するのは、人として当然のことです。ですが、それは煩悩になり得ます。今あるものを大切にして、身に余る欲望を捨てることが、生きやすくなる道なのではないでしょうか」
「いや、ムチャクチャでしょ。アンタ、なんの大会に出ていると思っているの」
「まあ、矛盾していると言われても仕方ないですね。それでも、私はあなたに伝えたいんです。自分の望むものを得ることが、本当の幸せにつながるとは限らないことを。今ならまだ、間に合うかもしれません」

「僕は、間違えてしまったから」と、レオナルドはぽつりと呟いた。

――――――――――――――――――――

【レオナルドと言う男のヒーロー】

幼いレオナルドにとって、勝正という義理の兄は、誰よりも輝くヒーローだった。

正しく、強く、厳しい中にも優しさがある。そんな勝正に、気弱な子どもだったレオナルドは憧れを持った。
勝正と一緒にいたいという思いで、相撲に明け暮れた。勝正が魔人狩りを始めたときも、正義のために戦う兄が誇らしく、それを支えたいと思った。頭髪を失おうとも、勝正のそばにいるために努力をし続けた。
努力の結果が報われるのは楽しく、勝正から向けられる信頼は心地よかった。
もっと強く、もっと頼りにしてもらえるように。勝正のために、レオナルドは不断の努力を続けた。

いつしか、レオナルドは輝きすぎてしまった。

勝正がレオナルドに向ける目は変わってしまった。強く優しかった眼差しに、嫉妬と自嘲が混ざり始めた。
レオナルドがどれほど勝正を想っても、勝正はレオナルドから離れてしまう。
全ては、レオナルドが身に余る高みを目指したからだ。

(悟りになんて、近づかなければよかった)

子どものころ、近所の公園で、日が暮れるまで兄と相撲を取っていた。
あの夕暮れの時間が楽しかった。成長し、競い合い、笑いあえた日々があった。
それだけでよかったのに。


――――――――――――――――――――

【自分を作り上げてきたもの】

レオナルドは、押し黙るコトミの言葉をじっと待った。
コトミは、ゆっくりとポケットに手を入れると、タバコとライターを取り出す。一本火をつけ、煙を吐き出した。

「アタシ多分さ、タバコのおかげで生きてこれたなって思うことがあるの」
「タバコ……ですか」
「そう。アタシは、煩悩のおかげで死なずにすんだ」

コトミは、まっすぐにレオナルドを見る。
そこに敵意はない。同じ人間として、話をしていた。

「アンタが煩悩を捨てたいなら、そうすればいい。でも、アタシはしない。アタシは別に、幸せになりたいわけじゃない。アタシでいたいだけだから」
「それで、取り返しのつかないことになるかもしれない。もっと辛いことが起こるかもしれませんよ」
「それはさあ、もうしょうがないじゃん。確かに辛かった。正直、今も辛い。メチャメチャ間違えたなって思ってるし、人生をやり直したいよ。けど、救われたことが無いわけじゃない」

コトミの脳裏に、祖父の顔が浮かぶ。

「今まで辛かったとしても、これからいいことがあるかもしれない。それを知ってしまったから、アタシは変われないよ」

レオナルドは、理解した。
どのような苦難でも、この子は諦めない。苦しみ間違いながらも、良い方向に向かおうと努力する。
この生命力こそが、コトミの光だ。

「すみませんでした。余計なことを話しましたね」
「別に。アンタが、アタシを心配していることくらい、わかるし」
「ありがとうございます。では……」

レオナルドが、再び弓を構えた。

「始めますか」
「……やっぱり、もうちょい話さない」
「いいえ、兄さんが待っていますので」

少しずつ燃え広がる炎の中で、戦いは始まった。
コトミは思う。
ここまでは、予定通りだと。


――――――――――――――――――――


【大っ嫌い】

試合が始まる前、“AGAIN”の倉庫で、アタシとソウスケは作戦会議をしていた。

「本当に、これいらない? いざと言う時の為に、あったほうがいいんじゃないかな。心配だよ」

ソウスケが、額に肉と書かれたマスクを突きだしてくる。
悪ふざけ以外の何物でもないだろう。

「いらない。顔を隠す気もないけど、そのマスクだけは絶対に着けない」
「頑張って作ったのに、ひどい! おっと、材質はトップシークレットさ。聞かない方がいいよ」
「はいはい。聞きません」
「それじゃ、本題に戻ろうか」

ソウスケはそう言いながら、マスクをゴミ箱に放り投げた。どうやら思い入れはあまりないらしい。

「お相撲ブラザーズは、かなり有名な二人組だね。勝正は、正義感が強く、生真面目。レオナルドは、優しくて甘い。性格的には、扱いやすい方かな。ただ、二人とも単純な身体能力がすごく高い。その上、兄弟だからこその連携は、全参加者でも一番の練度かも。まあ、強敵だね」

ソウスケは、スマホをいじりながら会話をする。何かの情報をニュースサイトに流しているようだが、内容はわからないし、興味もない。
ソウスケのマルチタスクはいつものことなので、あまり気にすることでもないのだ。

「とりあえず、事前にできることはしておいた。二人の馴染みのちゃんこ屋には、食材がいかないようにしておいた。コンビニの監視カメラには、伊賀虎之助って忍者と戦っているところが映っていたから、戦闘パターンの分析もできる。面白い会話も拾えたから何かに使えるかな」
「コンビニの監視カメラって、音声入ってるの」
「ううん、読唇。得意なんだ」

また一つ、気持ち悪いポイントが増えてしまった。
ソウスケから見えるところで誰かと会話をするのはやめよう。

「作戦は8つくらい立てたから、後は試合場の構造を見て決めることになるかな。あ、コトミはこれをある程度覚えておいて」
「ある程度でいいの」
「うん。余計なものもいっぱい入ってるから」

ソウスケから、アルファベットと数字が書かれた表を渡される。
表には、拳銃、マシンガン、ナイフなど、武器になるものから、灯油、塩コショウ、テレビのリモコンなど、何に使うかわからないものまで入っていた。なんでだよ。

「僕が認識していれば受け取れるはずだから、全部覚える必要はないよ。重要なのは、武器関連かな。コトミに渡すことを了解しておくので、好きなのを使っていいよ」
「銃とか、どこで手に入れたの」
「ツテがあるんだよ」
「前から思ってたけど、アンタ何者なの」
「仙道ソウスケだよ。“AGAIN”のリーダー。コトミのことが大好き」
「ハァ……」

ウィンクするソウスケに、盛大な溜息を浴びせる。
もういい。これ以上話しても、らちが明かなそうだ。

「話を戻すね。さっき言ったとおり、敵の強みは連携。特に、地遁の術と天遁の術を同時に出されたら流石に勝ち目はない。だから、僕らがすべきことは分断だ。2対2よりは、1対1と1対1の方がまだ勝ち目がある。僕は勝正の方と戦うので、コトミにはレオナルドを担当してもらう」
「いや、待ってよ。前も言ったけど、アタシ一人じゃ勝ち目ないと思うんだけど」
「大丈夫。コトミは、自分が思っているより素早いんだ。レオナルドは、相撲をベースにしたスナイパーだから、中距離を保って立ち回れば、守勢に回ったコトミを捕まえることはできないよ」
「でも、相手の魔人能力があるでしょ」
「天遁の術は、破壊力はすごいけど制圧には不向きだ。レオナルドの性格も鑑みて、事前にコトミを殺しづらくしておけば、そう簡単には使ってこないと思う。なので、コトミは僕の人質って設定で行くから、よろしく」
「ええ~……普通に嫌なんだけど……アンタ殴り飛ばしちゃいそう」
「はは、そこをなんとか」

半分冗談だが、半分本気だ。
人質の芝居が嫌なことは間違いないが、だからといってソウスケを殴りたいわけではない。
そういうのとは関係なく、割と常に殴り飛ばしたいと思っている。

「そんなわけで分断までの手順は教えるから、その後は時間を稼いでくれたらいいよ。レオナルドが僕を追ってきたら、あまり深追いはしないで」
「アンタはどうすんの」
「勝正を倒す。だから、コトミは無理をする必要はない。絶対に死なないことを念頭に置いてほしいな」
「いや、アンタも別に強くないんじゃないの。デスクワークしてるところしか見たこと無いんだけど」
「実は僕、それなりに動けるんだ。暗器もいっぱい仕込んでおくから、負けないことはできると思うよ」
「負けないだけじゃ、勝てないじゃない」
「策はある。大丈夫。レオナルドが追い付くころには、終わらせるよ」

ソウスケは、喋りながら倉庫の奥に引っ込み、何かガサゴソと物を引っ張り出した。
この話を終わりにしたかったのだろう。

(アンタのそういうところが、大っ嫌い)

ソウスケはたくさん喋るけど、肝心なことは言わない。
今の話だって、結局のところコイツはアタシに死ぬなと言っているだけだ。邪魔をするなとでも言いたいのだろう。
いつもそうだ。ソウスケは、一番大変な部分を、他人に持たせない。私の戦いなのに、私は蚊帳の外だ。
だから、ソウスケと言う人間を、信用したことは一度もない。

(だけど……)

絶対に目標を達成する。それだけは、信頼できる。

「アンタを信じていいんだよね」
「もちろん。僕は、コトミに嘘なんてつかないよ」
「珍しい。すぐにバレる嘘もつくのね」
「はは、全然信じてない」

ソウスケの乾いた笑いが、倉庫に響き渡った。

――――――――――――――――――――

【ちんけな詐欺師と主人公と】

「フンッ!」

図書館4階、パソコンが並ぶ視聴覚室。
勝正が、すり足ドリフトで机を弾き飛ばしながらソウスケの背後に回る。そのままの勢いで、張り手を撃ちこんだ。しかし、ソウスケは地面に倒れ込むようにそれをかわし、鉤爪付きの靴で反撃をする。
勝正は、それを四股で撃退しようとするも、ソウスケは屈伸してかわし、逆立ちの要領で立ち上がろうとする。

「地遁の術ッ!」

ソウスケの進行方向を塞ぐように、床を隆起させる。そこに張り手を撃ちこむが、ソウスケは隆起した床を利用してジャンプし、部屋の壁にとりついた。リストバンドにも鉤爪が付いている。靴の鉤爪も、本来の使用用途は恐らくこれだ。

(よく研究してやがる)

勝正は、ソウスケの相撲取り対策と思われる戦法に、攻め込めずにいた。
付け焼き刃とは思えないほど、練度が高い。身軽さもあり、なかなか致命傷を与えられない。
地遁の術に関しても、まるで予知の如き精度で、こちらが使うタイミングを読まれている。戦闘の癖を読まれているのだ。
そうやって、追えども追えども捕まえられず、4階まで来てしまった。

(全く、対策を立てられる側は辛いな)

大相撲で十両だったころを思い出す。
目立てば目立つほど、戦い方を研究される。魔人狩りでは狩る側だったので、久しく味わっていない緊張感だ。
同時に、違和感もある。
ソウスケの攻め手に欠けるのだ。勝正に体力の消耗はあれど致命傷はない。だらだらと時間を稼いでいるようにしか見えない。
ソウスケは、明らかに息が上がっている。当然だ。一撃喰らえば致命傷の張り手や、かすかに触れれば地面に叩きつけられる投げ技を、紙一重で何度も躱しているのだ。如何に対策をしていようと、神経は確実にすり減っていく。
相撲が短期決戦型の格闘技とは言え、素人がスタミナで挑むのは無謀だ。このまま続けば、後数分程度でソウスケは捕まえられるだろう。
それを、ソウスケがわかっていないと、m勝正は思えなかった。

「いやあ、困りました。全然勝てる気がしませんね」

ヤモリのように部屋の壁に張り付きながらソウスケが言う。勝正は聞く耳を持たない。

「やっぱり、愛の力は偉大ってやつですか。道ならぬ恋と言うのも、なかなかオツなものですね」
「おい」

聞く耳を持たない、つもりだった。

「お前は何を言っている」
「え? 弟さんとご結婚されるんですよね。おめでとうございます。多くの困難が待ち受けているでしょうが、僕は応援していますよ」
「おい」

ソウスケがその情報をどのように知り得たかは、今は問題ではない。
問題は、この戦いは、全国中継されているということだ。
個人のパーソナルな問題を、本人の意思とは無関係に暴くなどあってはならない。ましてやこれは同性婚と言うデリケートな事柄だ。
そんなことをすれば。

(レオナルドが、傷つくだろう)

勝正の脳裏に、幼いレオナルドの泣き顔が想起された。

「その口を閉じろ」
「あ、そう言えば、携帯電話の中に、プロボーズの録音が……」
「てめえッッッ!」

携帯電話を懐から出すソウスケに勝正が頭から突進しようとする。だが、果たしてそれは叶わなかった。
ソウスケはニコッと笑い、携帯電話を勝正に向かってパスするように放り投げたからだ。
勝正は、反射的に携帯電話を凝視した。
その液晶には、赤と青の強烈なフラッシュが映し出されていた。

「ガッ!」

勝正の目が眩み、不快が押し寄せてくる。強烈な刺激により、光過敏性発作を起こしたのだ。
勝正はたたらを踏みながらも、とっさに地遁の術を使う。自分を囲む壁を作り、次に来る攻撃に備えた。
だが、ソウスケからの追撃はない。
数秒経ち、眩暈が収まる。地遁の術を解除すると、ソウスケの姿は既になかった。

(なぜ、攻撃してこなかった)

千載一遇のチャンスだった。やられないまでも相当な深手を負わされたはずだ。
だが、ソウスケの姿はない。
勝正の心中に不安が沸き上がった時、図書館中に館内スピーカーから声が響いた。

『皆様、本日はお忙しい中、新郎勝正くんと新郎レオナルドくんのウエディングパーティーにお集まりいただき、誠にありがとうございます。
私、本日司会を務めさせていただきます、勝正くんと殺し合いをしている仙道と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします』

勝正は、茫然とする。
なんだ、アイツは。一体こんなことになんの意味があるのだ。
人の尊厳を、こんな形で弄んで楽しいのか。

『パーティーの場所は、4階多目的室となっております。お時間が許すようでしたら、ぜひご参加ください』
「仙道ソウスケェェェェ!!!!!」

勝正は絶叫し、廊下に飛び出る。どのような罠があろうとも、もうそんなことはどうでもいい。あの男をこの手で粉々にしなければ気がすまない。

『なお、私からもお二人の幸せをお祈りして、心からの贈り物を用意しております。気に入って頂けると、嬉しいですね! さあ、新郎の入場です』

ソウスケの溌剌とした声を意に介さず、勝正は多目的室の扉を開けた。

部屋の中は、真っ赤に染まっていた。

むせかえるような悪臭の中、まるで結婚式場のように設置された丸テーブルや椅子。それぞれのテーブルは中央に花が置かれ、椅子分の食器が揃えられている。
壁紙や、天井。わざわざ付け替えたのであろう、シャンデリア。新郎新婦の席に置かれた、妙に形がいびつなウエディングケーキ。
その全てが、丁寧に、どす黒い赤で塗られていたのだ。

「これは……!」

勝正が最初に気づいたのは、ウエディングケーキだ。
このウエディングケーキは、ケーキではない。大量の人肉を、ケーキの形に固めたものだ。
そうして部屋を見てみると、よくわかる。
テーブルクロスや壁紙は、人皮を内側にして張り付けたもの。食器や椅子は、人骨で作ったもの。丸テーブルに至っては、数人分の死体をミンチにして、新たに固めているようだった。

『now and forever I will love the way you are and I swear forever even if the sun goes out!!!!!!!』

スピーカーからは、ソウスケが絶唱する『結婚行進曲』が流れる。
それを勝正は、指一本動かせずに聞いていた。

(俺は、とんでもない思い違いをしていたんじゃないか)

“AGAIN”のソウスケと言う男は、ちんけな詐欺師。そう思っていた。
だが、実際にはどうだ。いくつもの重火器を手に入れる財力がある。勝正の攻撃を躱し続ける身体能力がある。これだけの人間を殺しても捕まっていないばかりか、死体を加工して保管する”力”がある。
こんなことが可能な人間が、ちんけな詐欺師であるはずがない。

「お前は、何者なんだ。仙道ソウスケ」

呆ける勝正を、電子的な光が照らした。多目的室に設置されているプロジェクターが、突然起動したのだ。
その画面の中には、見知った顔が映し出されている。

『聖闘士山さんは、東海龍勝正さんにとてもお世話になってと聞いています。その時の印象など、お聞かせください』

『ええ。東海龍勝正は、非の打ち所のない人ですよ。学生相撲で輝かしい実績を残して……』

インタビューに答える聖闘士山。その後ろでは、白龍部屋の後輩たちが稽古に勤しむ姿も見える。
テロップには、『新郎をよく知る人にインタビューをしてみました!』と書かれている。
インタビューをしているのは、仙道ソウスケだ。
再び、館内スピーカーからソウスケの声が響く。

『ここで残念なお知らせです。まだ、彼らは“この会場に到着していない”ようです。このまま試合が終わってしまえば、披露宴には間に合わないでしょう。ああ、なんという悲劇! でも、安心してください。少しでも間を持たせていただければ、私が彼らを会場にお連れしますので』

ソウスケは、「今すぐ勝正が降参すれば、人質を殺さない」と言っているのだ。
勝正は、歯噛みする。白龍部屋の人たちを巻き込むわけにはいかない。だが、ここで降参したところで、彼らが無事だという保証はない。
一度屈してしまえば、安全はなくなる。ならば、彼らを守るためには、ソウスケが白龍部屋に危害を加えるよりも早く倒し、現実世界で拘束するべきだ。

(やるしかない。俺が、やるしかないんだ)

ヒーローは、逆境にこそ立ち上がる。
折れかけた心を、正義感と、邪悪への怒りと、責任感が繋ぎ止めた。
勝正が、渾身の四股を踏む。張りつめきった緊張を力に変え、次の手を思索したその時だった。

「兄さん!」

多目的室の扉が開き、レオナルドが入ってきた。
コトミとの対戦中にソウスケの放送を聞いたレオナルドは、コトミとの戦闘を切り上げ多目的室にやってきたのだ。

その頭には後光が差し、その眼差しには優しさを揺蕩え、その体には力強さが宿る。
それが、レオナルド・西雲海だ。
勝正の目には、勢いよく扉を開けるその姿が、主人公の登場シーンのように見えた。

(俺じゃない)

レオナルドは輝かしかったのだ。
眩くて、眩しくて、思わず目をそらしたくなるほどに。
消えかかった光を持つ勝正が、自身の存在意義を忘れてしまうほどに。

(俺は、主人公じゃない)

それは、一瞬の綻び。極限の緊張で張りつめきった糸が、僅かに緩んだ。

その瞬間を意図的に作り出した者が存在するなど、誰も想像できなかった。

レオナルドは、見た。
勝正の背後に置かれた、人肉のウエディングケーキ。
その中から、拳銃を持ったソウスケが現れるのを。

ソウスケは、ニコニコと笑っていた。

「We look forward to serving you again.」

無防備な勝正の後頭部に、銃弾が撃ち込まれた。

――――――――――――――――――――

【イグニッション・ユニオン第一回戦 結果】

戦闘場所:図書館

勝者:“AGAIN”

――――――――――――――――――――

【主人公のヒーロー】

控室に戻った勝正とレオナルドは、とり急ぎ白龍部屋と黒龍部屋に連絡を取った。
運営には、“AGAIN”を拘束するよう訴えたが、取り逃がしたとの報告を受けた。所詮、民間会社だ。どこまで本気で捕まえる気があったのか、勝正にはわからない。

「黒龍部屋は無事だって」
「白龍部屋もだ。とりあえず、一安心だな」

勝正が聖闘士山に聞いたところによると、仙道ソウスケは「あの人は今」と言う番組の取材と称して訪れた。
テレビ局にも確認して取材を受けたので、事の次第を聞いても、どこから騙されていたのかわからないとのことだった。
取材に来たソウスケは礼儀正しく、人のよさそうな風貌で、とても犯罪者には見えなかったらしい。
詐欺師の本領発揮と言ったところだろう。

一息つき、勝正は改めてレオナルドに向き直った。

「すまない。俺のせいで負けた」
「それは違うよ、兄さん。僕が早くコトミを倒していればよかったんだ」
「違う。問題はそこじゃない。俺は、扉を開けるお前を見て、これで何とかなるとホッとしてしまったんだ。その瞬間を狙われた。俺の意識の低さのせいだ」

肩を落とす勝正に、レオナルドが泣きそうな顔を向ける。
そんな顔をするな。お前は、主人公なんだぞ。
勝正はそんな軽口を言おうと思ったが、喉に風船が詰まったように声が出なかった。
引き絞るように言葉を紡ぐ。

「俺のようなくすんだ光では、お前の光を受け止められない。俺は、お前のそばにいるべきではないんだ」

勝正が、自嘲するように笑う。兄として、こんな情けないことは言いたくなかった。
いつからこうなってしまったのだろうか。魔人狩りをコンビで始めた時か。二人で相撲部屋に入った時か。それとも、そのもっと前か。
レオナルドが義父に連れられてきたときから、こうなる事は決まっていたのだろうか。

「くすんでいようが、それは兄さんが磨いた光だ」

レオナルドが、勝正の手を握りしめる。その言葉は、力強い。

「気休めか」
「僕は真剣にそう思っている。気を使っていると決めつけるなら、それは身勝手だよ」
「……言うようになったな」
「僕は、兄さんが相撲に真剣に取り組んできたことを知っている。魔人狩りに対しても、一度も手を抜いたことはなかった」
「そんなのは、当たり前だ」
「そんなことはない。兄さんは時として卑屈になるけど、それは謙虚さでもある。現状に満足することは決してなく、時には自分の存在さえ否定する。新しい自分に出会うため、苦しみながらも稽古と言う基本を積み重ねる。そんな兄さんを、僕は心から尊敬しているんだ」

勝正が押し黙る。
レオナルドの言葉に嘘はないのだろう。それは本当にうれしく思う。
だが、それが何になるのか。俺はもう、折れてしまったのだ。

「兄さん。昔、近所の公園で相撲を取っていたことを覚えているかい」

レオナルドが、ぽつりと言う。
勝正は頷いた。覚えている。当然だ。
あの夕暮れの時間が、人生で一番楽しい日々だった。

「僕がこれまで努力できたのは、あの時間があったからだ。僕が光り輝いているというなら、それは兄さんが作ってくれた光だ」

勝正と相撲を取った、夕暮れの時間。その楽しさを追い求めて、今のレオナルドがある。
兄という土俵があったから、どこまでも飛べたのだ。
レオナルドは、流れる涙を拭おうともしない。懸命に、勝正の手を握った。

「兄さんが大好きだよ。だから、僕は僕を好きになれたんだ。結婚とか、悟りとか、どうでもいいんだ。一緒にいてくれれば、それでいいんだ」

とうとう俯いたレオナルドを、勝正はじっと見ていた。
昔もそうだった。レオナルドはよく泣く子どもだった。
勝正に転がされては泣き、でもすぐに泣き止んで「もう一番!」とおねだりをしてきた。
それがうれしくて、レオナルドに負けないように、たくさん相撲を研究した。

ああ、そうだ。俺はヒーローになりたかったんだ。
誰でもない、レオナルドのヒーローに。

「……お前、さっきのあれ。新しい自分に出会うためってやつ」

勝正の呟きに、レオナルドが顔を上げる。とめどなく溢れた涙と鼻水は、レオナルドの端正な顔を余すところなく濡らしていた。

「あれ、大鵬の言葉だろ」

レオナルドは、一瞬きょとんとした後、ぐしゃぐしゃの顔のまま笑った。

「ばれた」
「当たり前だろ。俺の方が相撲、大好きだからな」
「知っているよ。兄さんは、相撲が大好きなんだ」
「だから、さ。大好きな相撲で、やられっぱなしってわけにはいかないよな」

これは、虚勢だ。
勝正は今後も光り輝くレオナルドと、くすんだ自分を比較して、ひどい嫉妬や自虐心に悩まされるだろう。
だが、それでももう一度。頑張ってみようと思えた。
自分がまだ、主人公のヒーローならば。

「まずは、“AGAIN”のソウスケを必ず捕まえる。その後のことはまあ、二人で考えよう」

勝正の言葉に、レオナルドが笑った。
そう、それでいい。守るべき人を泣かせるなんて、ヒーロー失格だ。
勝正は、ゆっくりと立ち上がった。

――――――――――――――――――――

【傷つけたくない、傷つきたくない】

「オッケーオッケー。ここまで逃げれば大丈夫かな。一番心配だったのは出口を封鎖されることだったから、がら空きで良かったよ。やっぱり、イグニッション・ユニオン側も、この程度で出場停止にする気はなさそうだね」

高速道路で外国車を走らせながら、ソウスケは明るい声を出した。
アタシは助手席に座りながら、何一つ話をできずにいる。
試合のことを思い出しては、ムカムカと気分が悪くなるからだ。

ホールの1階でレオナルドと話した後、アタシはソウスケの指示通り、近からず遠からずの距離で逃げ回っていた。
燃え広がる炎も味方して、レオナルドとアタシは均衡を保っていたけど、それが崩れたのはスピーカーからソウスケの声が聞こえてからだった。
結婚式の司会のような口上を聞いたとき、レオナルドの顔から血の気が引き、アタシを放って多目的室に向かった。
その意味はすぐにわかった。勝正と、レオナルドの結婚式。ただの悪趣味な遊びなら、レオナルドはあそこまで焦らないだろう。だったら、それは真実だということだ。
アタシはソウスケを心底クソ野郎だと思った。
勝つためとはいえ、他人の趣味趣向を平気で暴き、白日の下にさらそうとする行為を許せなかった。レオナルドが悪い人間じゃないというのも、怒りに拍車をかけたかもしれない。
アタシも、ソウスケを許せなかった。レオナルドを追いながら、ふざけたことをしてんじゃないって、怒鳴りこもうと思った。
そして、多目的室の中を見た。
そこには、アタシの想像を超える光景があった。

「まあ、犯罪者だろうと参戦権がなくならないことは、他の参加者を見て予想できたけどね。そもそも、殺し合いの催しだし。試合の日まで捕まらなければ、次の試合も安心して出られると思うよ」
「……アンタ、何してくれてんの」

頭の中を落ち着かせて、ようやく口を開くことができた
ソウスケは、あっけらかんと答える。

「運転とか?」
「バカか!」

頭に血が上り、ダッシュボードを思い切り蹴る。

「いや、コトミが怒ってることはわかるよ。でも、思い当たることは結構あって、どれに怒ってるかがわからないんだ」
「戦っている相手だからって、何をしてもいいわけじゃないでしょ」
「あー、結婚式のことね。確かに、コトミはそこに怒るよね。ごめん。配慮が足りなかったよ。もうしない」

コイツ、マジで倫理観がぶっ壊れているのか。
ソウスケはへらへら笑いながら、申し訳なさそうな声を出す。アタシの伝えたいことが一ミリも伝わっている気がしない。
だけど、もうしないと言われたらこれ以上問い詰めようがない。何を言っても、ソウスケに口で勝てる気もしない。
面倒くさすぎて、大きなため息が出る。

「それと、多目的室。アンタが人殺しなことは知ってた。だけど、なんなのよ、あの死体の山。どう考えても異常でしょ」
「んー、そっちはねー。異常に見せる必要があったんだよ。でないと、勝正に動揺を与えられないからね。途中で持ち直しそうになった時はかなり焦ったけど、コトミがいいタイミングでレオナルドを釣ってくれて助かったよ。ありがとう」
「そうじゃなくて……!」

言葉が通じるのに、話が通じない。もう、なんなんだコイツ。

「でもでも、新しく殺したのは十人くらいだから安心して。ほとんどは今までのストックだよ。今回で吐き出しちゃったから、もう使えないけどね」
「いや、人をストックって!」
「普通そう言わないんだっけ。なんていうの。在庫? コトミと会う前は、強盗殺人とかそれなりにやってたからさ。その時の余りがまだあったんだ。なになに、やっと僕に興味持ってくれたの。嬉しいなあ」

この、クソ野郎……。

「今はもう、強盗も殺人もあんまりやってないよ。人を傷つけて金を奪うよりは、人を傷つけないで金を奪う方がマシだと思ったんだよね。でも、なかなかうまくいかないや。殺しちゃった方が楽なことは多いから、ついついやっちゃう。困ったもんだよ」

今のやり取りで、少しソウスケがわかった。
ソウスケにとって人を殺すことや、それを道具として使うことは、日常のことなのだ。
絶望的な断絶に、頭がクラクラする。
それでも、アタシがアタシでいるために、言うべきことは言わなければいけない。

「ソウスケ、聞いて」
「もちろん。コトミの話は何でも聞くよ」
「アタシは、アンタが気に食わない相手を殺すのは別にいいと思う。人間同士の話だから、気持ちいいわけじゃないけど、仕方ないと思っているんだ」

それは、ソウスケが“AGAIN”のメンバーを殺したときに思ったことだ。
どんなやり取りがあったかはわからないが、誰かが誰かを殺したいと思う感情に外野が口を出すべきではない。
それは二人の問題だから、アタシが何かを言える立場じゃないと、そう思った。

「でも、今回は事情が違う。アタシが当事者で、アンタはそれに協力してくれてるんだろ。だったら、アタシに何の相談もしないで、他人の尊厳を傷つけるな。なんの恨みもない人を殺すな。これ以上誰かを傷つけるのは、もうイヤなんだよ」
「うーん。でもほら、そういう話なら、僕らがやってた詐欺だって、人を傷つけるって意味では大して変わらな……」
「だから、許さないって言ってんだよ」

運転席のソウスケを、睨み付ける。
アタシだって、アタシを許していない。
何もなかったことにして逃げるなんて、許されることじゃない。
それでも、これ以上人を傷つけたくないから。これ以上、アタシが傷つきたくないから。
だから、この戦いに参加しているんだ。

「わかったよ」

いつもよりトーンの低い返事だった気がするが、夕日を背負ったソウスケがどんな顔をしているのか、アタシにはわからない。
ポケットからハイライトの箱を取り出し、車内だったことを思い出してまたポケットにしまう。代わりに、爪を噛んだ。
ソウスケとアタシは、見ている景色があまりにも違う。
今後も、ソウスケが当たり前と思っていることで、自分も他人も傷つくことがあるかもしれない。
それはイヤなのに。
それでも、一緒にいることをイヤだと思えないのは、何故だろうか。

沈みかける夕日とともに、アタシの心もどん底に沈んでいく。

わけのわからないソウスケも、そこから離れない自分も。

ぜんぶ、ぜんぶ、気持ち悪いと思った。

――――――――――――――――――――

【3件の通知があります】

「大銀河新聞 新着1時間前 SSIG参加者にあの犯罪グループか」

「DANGEROUSネットニュース 新着30分前 詐欺グループAGAINのメンバーが大量殺人? 人質を取る卑劣な戦法に、視聴者から苦情の声」

「Duwitter 新着25分前 ≪世界の中心でスクワットなう≫さんがツイートしました:この試合に出てる女の子、○○県で行方不明になった子じゃね?」
最終更新:2021年05月09日 23:31