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その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい…

(マルコによる福音書13.32-33 新共同訳聖書)


※  ※  ※


最近、神様を信じられるようになってきた。
聖書なんてのは、ハハオヤが数年前にどこからか貰ってきた物で、ちっとも効きやしないと気付いてからは埃を被っていたけれど。

「音夢離、音夢離。大丈夫ですか?」
「おねえ…ちゃ…もう食べられないよ…。」

大の字になって寝転ぶ音夢離を、姿見の中から心配そうに覗き込む熾瑠。
枕元にはダイエットコーラと宅配ピザが置かれているが、手を付けた様子はない。
無理もない。先日執り行われたイグニッション・ユニオンの予選選考で、あれだけの盛り蕎麦を平らげたのだから。途中「ワシは燃費が良いから小食なんじゃアホー!」といって暴れ出した候補者のせいで戦況は荒れに荒れたが、音夢離は見事予選通過を成し遂げた。体格がドベから三番目の小ささだった事を考えると、大健闘と言えるだろう。
但し代償として、音夢離はもう、丸一日以上何も口にしていない。

「ぐえっぷ」
「音夢離!」

万一嘔吐した場合、睡眠中だとそのまま窒息死する危険性がある。そんな時、熾瑠では助ける事が出来ない。一応熾瑠の言う通り、枕と座布団をあてがって上体を起こしてはいるのだが…苦しさ故に深く眠る事は出来ず、日中も浅く寝ては起きてを繰り返している。

――せめて、背中をさすってやれたなら。

「…えちゃ…いる…?」
「!はい、いますよ、音夢離!熾瑠は、ここに、あなたの隣にいますよ!」
「…しいよ…くる…し…」
「無茶をするからです!あんな、蕎麦湯まで…もう、やっぱり大会になんて行かせるんじゃなかった!」
「えへへ…」

それでも。

「しあわせだぁ…」

それでも、音夢離の顔は幸せだった。
どれ位幸せかというと、ハハオヤとチチオヤにさえ感謝している位だ。
この世に産んでくれてありがとう!おねえちゃんとあたしに名前を付けてくれてありがとう!死んでいいよ!

苦しい筈なのに、吐きたい筈なのに。
動けないのに、心はずっと空を飛んでいる。
掴みたい物が出来た、成し遂げたい目標が出来た。
大好きなおねえちゃんを取り戻すための…名付けて”燃えて御仕舞(ファイヤーシスターズ)大作戦”!
やっぱりダサいと言われたけれど、今の音夢離にはそれが全てであった。ぱちぱち、ごうごうともえさかるゆめ。

夢の先にある物を夢見て、音夢離はまた微睡みの中に堕ちる。


※  ※  ※


鷹岡 集一郎様

お疲れ様で御座います。
例の件につきまして、ご報告を申し上げます。

■■月■■日未明、能力の使用を確認致しました。
使用対象はアウトされ、即日処理を終えております。
ご本人様は残念ながら、多少の傷を負ってしまわれました。ですが、至って健康な様子であられます。
予選選考も無事に通過されました。
ただ、本戦の方はどうなさるおつもりなのか、私の方では判断が付きません。
何らかの手段を講じる必要があるのではないかと愚行致します。

追伸:
この度のご指名、誠に有難う御座います。
大変目の保養になっております。
では、また次回の報告にて。


※  ※  ※


セミに小便をかけられた。来るのは見えていたが、避ける訳にもいかなかったのだ。

「よし!山入端さん、もういいですよ。」

隣で屈んでいた虎吉くんが、座席をぽんと叩く。その感触で我に返ると、車体の両隣にしっかりと、固定されたいくつかの箱を感じた。
イグニッション・ユニオンが参加者用に借りているホテルの中庭で、俺は”計画”に必要な荷物の受け取りを行っていたのだ。
一応目視で確認しようと腰をねじると、日陰のベンチに座るシャーロットさんが見えた。手元のアクロイド殺しに熱中しているらしく、ここに来て以来会話は無い。その脇には、”ワーうんこ”…大山 野摘も佇んでいる。見知らぬ大人と一緒で、大分居心地が悪そうだ。

だからだろう、こちらの準備が終わったとみるや、いそいそと駆け寄ってきた。ポケットティッシュを取り出して、俺の汗を拭こうとまでする。
その途端、俺は何故かとても気恥ずかしい思いに駆られて、知らぬふりをしてしまった。

「鮎川さんは?」
運営の接待(うちあわせ)してます、応援には間に合わせるそうで。」
「そ。じゃ俺はそろそろ行くわ。」
「はい、ご武運を祈ります!」

毛深い顔と髭を歪ませて、屈託のない笑顔を見せる虎吉くん。その視線が一瞬俺の隣に移る。
あえて触れなかったのに。

「…野摘を、よろしくな。」
「任せて下さい!山入端さんの恋人なら、僕の姉も同然ですから!」
「ばっ」「うふっ」

突然何を言いやがるのか、このバカ猫は!
隣で噴き出す声に、俺は顔を向ける余裕さえなく、早々にスタンドを払うとエンジンに力を込めた。辺りに駆動音が鳴り響く。
方向転換してベンチの前を通り過ぎると「ふむ」丁度本を読み終えたらしいシャーロットさんが、満足げに独り言ちていた。

「やはりホームズは最高だね。」


※  ※  ※


「ぎゃあーっはっはっはっはっはっはっはっ!」

あてがわれたスイート・ルームに入ると、けたたましい笑い声が俺を出迎えてくれた。
彼こそが俺の尊敬する兄貴分、ディック・ロング。人間とコンドームの間に産まれた半人である。
一口に『半人』と言っても数あれど、特に彼は出来が違う。身の丈二メートルを超える巨体に、人間の亀頭を模した頭部…噂では、彼の存在を理由に『神はいる』だの『死んだ』だのと宗教的議論が生じ、今アメリカが二分されているのはそのせいであると言うが、定かではない。何せ銃の国故に、ああも撃ち合っていては確かめようも……。

それはともかく。そのディックが、ベッドの上で顔を真っ赤に大笑いしているのだ。
バスローブに身を包んだ男が部屋でうねっていれば、誰でも面食らうだろうさ。

「大丈夫スか?なんか悪いもんでも食べた?」

ディックはもう堪え切れないほど涙目になっていたが、『男の涙ほど見苦しい物はない』というポリシーの下、顔を背けながら一枚の紙を差し出した。大会予選通過者の氏名と、分かる限りの情報を簡潔にまとめたリストだ。全てシャーロットさんの直筆で書かれている。

「『忍者』、『坊主』、『アイドル』、『力士』、『鬼』と『改造人間』、『ピエロ』、『推定悪魔』、『呪物その物』…?」
「ひ、ひひ、ひっひっひっ。最ッ高だなぁおい、リンジよぉ!」

小刻みに震えながら、彼が上体を起こす。

「半人どころか、人外のオンパレードじゃねぇか!いや予想はしてたが、ここまでとは…ぎゃっはっはっはっはっ!」
「…そんなにおかしいスかぁ?完全な人外って、別に珍しくも…って、何じゃこりゃ?」

初戦の相手として赤い丸で囲われた項目には、『遺骨とその妹』と小さく書かれていた。と、同時にディックが俺の頭を軽く叩く。

「俺たちの”ラブ・チャイルド計画”は、半人の偉大さを人間たちに知らしめるのが目的だ。だがそのためには、俺たち自身も…俺たちの偉大さと、その愚かさを知らなければならないのさ」
「お、おす…?」
「半人は半人であって、聖人じゃねぇって事だよ。」

ディックはたまに難しい事を言う。彼は俺の答えを今すぐには求めていなかったらしく、ベッド脇に立ち上がると、おもむろにバスローブを脱いだ。

「しっかしまぁ、人間と無機物のコンビたぁ何の因果か。ま、神は信じちゃいないがね…」

彼はブーメランパンツ一丁になる。それが勝負服なのだ。


※  ※  ※


【夢(ゆめ)】

①睡眠中に持つ幻覚。ふつう目覚めた後に意識される。多く視覚的な性質を帯びるが、聴覚・味覚・運動感覚に関係するものもある。精神分析では、抑圧されていた願望を充足させる働きを持つとする。

②はかない、頼みがたいもののたとえ。夢幻。

③空想的な願望。心のまよい。迷夢。

④将来実現したい願い。理想。

(広辞苑)


※  ※  ※


東京都内有数の公営墓地、青山霊園。
園内に植えられた無数の桜並木は、死者たちの揺り籠に優しく影を落とす。
敷き詰められた石畳を歩けば、都心では貴重な緑あふれる空間を堪能出来るだろう…昼間なら。

「音夢離、離れてはいけませんよ。」
「分かってるよ、おねえちゃん。」

背恰好のそっくりな、双子の少女が道を歩く。
空は赤く染まり、星が見えている。夕日は既に山の向こうに消えて、辺りは黒い影が残るばかりだ。
着込んだパーカーで寒くはないが、心なしか両手が冷たい。
墓石の前を通ると、刻まれた家名は鏡文字になっている。

この空間は最悪だ、死角が多過ぎる。

「油断、してはいけませんよ。」
「うん…分かってる。」

猶予は、あった。
予選で相手にも顔が知られているので、「しょうたいじょう」を直接渡すのは難しいだろう。
ならばファンレターやプレゼントの包装紙に偽装して、と思い立ったまでは良かったのだが…。
「しょうたいじょう」は未だ、音夢離の手の中にある。

そう、”スイート・ルーム”!大人達の作った鉄壁のバリアーが、音夢離と熾瑠の策略を見事跳ね除けてしまったのだ。まさか、透視能力者によるダブルチェックが入るとは。
こうして運営からイエローカードを頂戴した二人は、すごすごと引き下がる他なかったのである。

空が濃い群青に変わり、そして夜が訪れた。
石畳と靴の擦れる音。普段は気にも留めないほど小さいのに、今は銅鑼を打ち鳴らしているように思えてならない。
音夢離は、熾瑠の手をぎゅっと握る。冷たい。
その手を熾瑠も、ぎゅっと握り返す。暖かい。

二人の小さな息遣いが聞こえる。

「大丈夫、大丈夫…おねえちゃんと一緒なら、あたしは大丈夫。」
「熾瑠も同じです、音夢離…!」

柳が手招きした。

「大丈夫…」

どちらが呟いたか、もう二人にも分からなかい。
次の瞬間。
二人は、目の眩むような光に顔をしかめた。同時に鳴り響く、車のエンジン音。
前方からの光に石畳が、その上に置かれた小さな物を照らす。
それはコンドームだった。

「え、未使用…ですか…?」
「待っておねえちゃん、」

妹をかばうように、一歩前へ出る熾瑠。
その背中に追い付こうと、足を動かした音夢離。
瞬間。光に気を取られて気付けなかった、足元に、生暖かい、気配があると。
ソレは、いつの間にかそこに…


『ハァイ、お嬢さん(キトゥン)。良い夜だなぁ?』


熾瑠が振り返る。

「!音夢離、見ては   い
                   け


               ま



                       せ




                              ん!」






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『ショータイムッ!』



ダンゲロスSSイグニッション 第一回戦「墓場」

山入端 輪二とディック・ロング(PENIS AND GENTLEMEN)vs災禍熾瑠と災禍音夢離(BURNING GIRL AND BATTLE GIRL)



※  ※  ※


――夢の中では、いくらでも戦った。だがそれは、所詮都合の良い夢なのだ。

逃走、攻撃、絶叫。
現実においていずれの選択肢も選べないまま、音夢離は陰茎の上に尻もちを突く。
腰が抜けたのではない。両足首に突然強い圧がかかり、そのまま地面を離れてしまったからだ。

音夢離の小さな尻がぶつかるや否や、陰茎は更に巨大さを増し、地面から反り返った。
陰茎に”掴まれた”音夢離の両足はぐんぐんと上に持ち上げられ、自然と彼女の体は後方に倒れ込む。頭を石畳にぶつけた、痛い。
陰茎は黒い壁の如く、音夢離と熾瑠の間に聳え立った。

「いやあああアァァァァーッ音夢離ィーッ!」

巨大な影の向こうから響く、熾瑠の悲痛な叫び。それを聞いた音夢離は、思考能力を取り戻す。
――取り戻してしまった。
それが陰茎などではなく、身の丈が倍はあろうかという大男である事を。
それが今自分の両足首を掴み、覆い被さっているのだという現実を。
心臓の鼓動が早くなる。それはやがて、胸を突き破るのではないかと思えるほどの恐怖となって現れた。

「はっはっはっ、これぞ陰武流(いんぶりゅう)隠形術(いんけいじゅつ)根遁(こんどん)の法よぉ!」
「…ッ!…ッ!?」

巨漢の相貌は闇夜に紛れ、その白目だけが爛々と光って見えた。
男の名はディック。息を潜め、明かりとコンドームで気を惹く事で、完全に自身の気配を消した戦術巧者。
だが、その言葉の意味を音夢離は理解出来ない。
四肢も、五感も、取り戻したはずの意識でさえ、何一つ思い通りには動いてくれなかった。
体温がどんどん下がっていく。だが汗はとめどなく流れて、心臓は今や口から吐き出しそうだ。

「あっやべ」
「…?」

突然男の影がぶるぶると震えた。かと思うと、断続的に声をあげ始める。

「おっおっおっおっあっ」
「…え?…ッ!!!????」
「おぁぁぁああぁぁぁあ~」

巨体の全身から、白い液体が噴き出した。
顔から、目から、鼻から、耳から、口から、腕から、とにかく全身至るところからぬめついた液体が分泌されている。
それは音夢離の全身を伝い、顔中に降り注ぐ。

「お、ぶぺっ!うえ、がぼぼ!ぺっぺっぺっ!おえええええ!」

口に入った!

「音夢離ッから、離れなさァーいっ!」

半狂乱じみた声の熾瑠が、巨漢の背中に殴りかかる。
その体が突然宙を舞った。

「あいたっ!」

否、転んだのだ。地面にまで広がった、あのぬるぬるの液体に足を取られてしまった。
「うぐぅっ」それでも熾瑠は止まらない。背中の痛みも、付着した正体不明の液体も、今は意識の外……音夢離が、大切な妹が危ない。
しかし熾瑠が飛び起きると同時に、視界がぬるぬるの膜で覆われる。何かを上から被せられたのだ。

「ぷわっ!?な、何ですか!」
「あーあー、暴れんなって。別に傷つけないからさぁ」

背後からまた、別の男の声。
熾瑠は必死にぬるぬるの何かを外そうとするが、新手の男に腕一本で担ぎ上げられて、そのまますっぽりと包み込まれてしまった。
――それは秘忍具、巨大コンドーム。熾瑠が騒いでいる間にエンジンを切った輪二がこっそりと近寄り、彼女をコンドームの中に放り込んだのである。
口をしっかりと縛り、中身の白いの(熾瑠は白髪)が出られない事を確認してから、輪二はそれをひょいと背中に乗せた。

「ぎゃあーはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!これぞ”聖夜のサンタクロース作戦”!これで全員リングアウトだぜぇ!」
「ディックも乗って!さっさと決めようぜ!」

何たる策士か、ディック・ロング!そして意外と器用な山入端 輪二!
音夢離と熾瑠が悲鳴を上げる。だがそれを上回るディックの高笑いと無情なるエンジン音が、絶望の墓地にこだました。


※  ※  ※


「鮎川さんお帰りなさぁーい。」
「おぉ虎吉はん。と、そちらのお嬢さんが、もしや?」
「こ、こんばんはぁ~」

鮎川が観覧席にやってくると、ぽりぽりとチュロスを齧っている虎吉と野摘が居た。
野摘は鮎川の半魚人ぶりが予想以上だったのに驚いたが、すぐに笑って会釈をする。

「もぐもぐ、はい、もぐもぐ、山入端さんの彼女さんです、もぐもぐ。」
「ほほー、これはまたエラい別嬪さんですなぁ!」
「あはは…どうも。」
「…。」
「…。」
「あ、鮎川さんも食べます?」
「ええんでっか?ほなお言葉に甘えて。」

何故か鮎川は野摘の隣にドシンと座り、貰ったチュロスをもしゃもしゃと食べ始めた。

(…き、気まずい…)

外見に反応したのがバレちゃったかな?あぁ、自分は最低だ…。
とりあえず何か、会話が欲しい。そう思った野摘は、鮎川がチュロスを直掴みしているのを見て、駅前で貰ったポケットティッシュを差し出…そうとして、今朝それを輪二にあげた事を思い出した。

突然、くるりと鮎川がこちらに向いた。

「儂、旨そうでっしゃろ?」
「え」(えぇ~!?)

突然のブラックジョークですかぁ?
チュロスを口に咥えて笑いながら、鮎川は胸元からポケットティッシュを取り出した。
(何だ、持ってる。)野摘はそれが自分が貰った物と同じ広告のティッシュだと気付く。


…「しょうたいじょう」。広告紙の裏に小さく書かれたその文字には、誰も気付いていない。


※  ※  ※


墓場の境界線へ向かう道すがら、四人の泣き言がこだまする。

「いやあぁぁあああぁぁあ~…おねええええちゃあぁぁああぁああぁぁぁん…げほ、うええぇぇぇぇええぇぇぇぇえええええん…」
「むがー!べぶびぼばばびばばーい!」
「おいおいおいおいおい、泣くな泣くな!」

音夢離は本気で泣き、熾瑠は暴れ、ディック・ロングは困り果てていた。それを乗せている輪二も、表情が渋い。

「これじゃ、俺たちが手籠めにしようとしてるみたいじゃねぇか…」
「心が痛いス。」

確かに、現在の体勢は非常に紛らわしい。
輪二がコンドーム詰めにした熾瑠を肩越しに担ぎ上げ、座席にはディックが乗っている。音夢離はディックに両手首を掴まれ、向かい合うようにして彼の太腿の上に座っていた。右手に持つ怪しい紙切れに触れないよう、ディックは細心の注意を払っている。
熾瑠が暴れるのと、両手を封じられたディックが落ちないようにと、輪二も速度はあまり出せていない。

実際、彼をペニス系の淫魔人と勘違いしている視聴者の中には、これから政府公認の生中継レイプショーが始まるのだと思っている者も多い。
だがいくら人間嫌いといえど、ディックにそれをいたぶる趣味はない。まして十四歳を母にするなど。

それよりも重要なのは、ディックのブーメランパンツが横にずれている、という事だ。
音夢離がもぞもぞ動くので、段々と右に寄ってきている。既に左の玉がはみ出しており、そろそろ本命も見えてくるだろう。このままでは、お茶の間に特大のウマ息子がお邪魔してしまう。
先程は必死にローションを分泌して覆い隠そうとしてみたが、もうそろそろ誤魔化せなくなってきた。
音夢離も何か当たるものがあるなぁと認識しているのか、しきりに下を確認している。

「クソ、もーちょっと肉弾戦が出来れば、心置きなく戦えるのによぉ!」
「ひっ、ぐす、う、う…あ、っお、お、コ、コンドームおば、けぇ!」
「誰がおばけだ!せめておじさんと呼べ!」
「うえぇぇぇえぇぇええええぇぇぇえぇえん!」

音夢離がじたばたともがく。
もやしのように細い四肢では、この丸太を動かすのは不可能だ。
右手に握った「しょうたいじょう」も、ただ指の間でしわくちゃになるだけである。
だが、その紙切れは地獄への直通便かもしれず、さしものディックも何をするか不明な敵を前にガンホルスターの調整など出来ない。
輪二の背中で、二人は硬直状態にあった。

そんな空気を打ち消そうとでもしたのか、輪二が笑って喋り出す。

「でも、こんなもんスか。いや~、びびらされたっスよ。」

正直、拍子抜けの感は否めない。

作戦会議中、『よいねむりお』というチーム名が、今ネットで話題の「殺人請け負い業者」と同じだという指摘があった。ここ最近起きた不審死事件、その被害者の内何名かは、周囲の人間に怪しい手紙を貰ったと証言しているそうだ。
それを『標的に予告状を出す完全犯罪者の郵便屋』とか、『検出不可能の強毒性ウイルスを使用したテロ』とかいうシャーロットと鮎川の言に、野摘と虎吉とで震えあがっていたというのに。
ディックだけは、「魔人なんざ瞬殺すれば問題ねえ」と言って早々に寝たが。

石畳の段差にひっかかり、車体が大きく揺れる。コンドーム袋が跳ねた。

「おっと、わりぃな。」

熾瑠は、体を右に左にとずらすように動く。自分ごと輪二を転倒させようという腹積もりなのだろうが、彼のドライビング・テクは甘くない。
それに、この巨大コンドームは本来巨人(ネフィリム)用にと、ディックが特別にあつらえた一品だ。ローションによる摩擦係数の低下と合わせて、いくら魔人でもそう簡単に破ける代物ではないのだが…

そこで輪二は、違和感を覚えた。
後ろでワーキャーしているディックは、多分ネムリという女の子も、気付いてはいない。
速度を維持しつつ、周囲の景色に耳を向ける。

『声』だ、これは…






――ねん ねん ころりよ おころりよ…


――ねむりは よいこだ ねんねしな…


――ねんねの おもりは どこへいった…


――あのかわ こえて …






歌っている。オキルという少女の声だ。
何をしようとしている?手放すべきか?だがこの速度で落っことすと、怪我をするかもしれない…
なんて、そこまで考えたところで。輪二は自分の左手の甲に、奇妙なマークが浮かんでいる事に気が付いた。

「ちっ!」

やられた。何をやられたかは分からないが、一手譲ってしまった。
輪二はここに至って、ようやく背中の少女を”敵”と認識した。
放り投げようとする――が、出来ない。居ない、コンドームごと消えている。それにディックも。ネムリも居ない。

周囲の景色も奇妙だ。突如霧が立ち込め、あれだけ茂っていた樹木が一本も無い。代わりに、墓石の間には人間の生首の晒された台が置かれている。都内にはない光景だ。
左手の甲を、もう一度見る。突然浮かんできたマークは、まだそこにあった。
黒い馬。夢、それも悪夢の象徴…怪物、ナイトメア。

「ディック、こいつらは…只のガキじゃねぇみたいだぜ。」

ぱちぱち。

輪二は聞いた、万雷の拍手を。

ごうごう。

輪二は見た、燃え盛る白き炎を。


※  ※  ※


「災禍、さいか、さい、か…」

ホテルの自室で、シャーロットがぶつぶつと呟く。
手元のメモは、今まさに同胞が戦っている二人組の魔人について。

(わざわ)いと、(わざわい)……か。二つの『W』…ねぇ…。」

カタカタ。キーボードを叩く音。
持ち込んだノートPCの画面には、黒い画面を背景に無数の文字列が浮かんでいる。
それはあまりにも強固な電子の要塞であった。

「ふふん?強力な防火壁(ファイアーウォール)を雇ったようだね。相手も一筋縄ではいかないな…」

もう一台のノートPCを見る。並列作動させた攻撃システムも、あまり上手く行っていないようだった。

「音夢離、眠り、ねむり。熾瑠、おきる、おき、る。(ほのお)と、(ラピスラズリ)。石言葉は…」

タイプ音が止む。
ぬるい珈琲を一口飲む。
手にしたペンで、こつこつと机を叩いてみる。
頭の中にある辞書をめくる。

「…聖なる御業。転じて魔除け…いや、魔除けが先かな…燃え盛る、神の御業……」


――熾天使(してんし)


「ふむ。バチカンへ、」

ピンポーン。
突然、部屋のインターホンが鳴った。

「?」

シャーロットは、怪訝な顔で立ち上がる。……ルームサービスは、頼んでいない。


※  ※  ※


「うふふ、あはは!ようこそ輪二さん!」

身構える輪二の前で、墓場の灯篭に火がともる。
ゆらゆらと揺れるその明かりに照らされて、楽しげに浮かぶ少女が嗤った。

熾瑠だ。だが、その姿は大分違う。
髪の毛はローション塗れで、多分目に入ったのであろう。真っ赤に充血している。
巨大コンドームから頭と両手を突き出し、半透明のワンピースのようになっている
その足元は赤く燃え、火の中から生えた無数の赤子の手が互いに拍子を打ち鳴らす。
彼女の右手には火球が宿り、口からは包丁の刃が覗いていた。

「…どうして、すぐにこうしなかった?」
「聖書、読んだ事あります?きっとないでしょうね、うふふ。だからあなたは目覚めていないのですよ、眠っているのだから。…あ、じゃあこれはいかがですか?人間の意識って、起きている間中ずーっと続いている訳ではないって説、知ってます?知らない?どっちでもいいですけど。」

要領を得ない発言に輪二は首をかしげたが、ディックが聞けば分かっただろう。
魔人能力研究者の間で、『能力の拡大解釈』と呼ばれる現象だ。
それは自他の境界線の消失、とめどない誇大妄想、心理的抑制機構の欠如…理由はどうであれ、精神的に狂った魔人の末路。
場合によっては法的に殺害も検討され得る、危険な状態――怒り狂った末の覚醒である。

「随分と、こっぴどい目に遭わせてくれましたねぇ…?」
「戦いだからな。」
「音夢離の事です!!!」

ごうごう、という音は足元の炎だけではない。天空全体が蠢き、渦巻く音だ。

「あんな、粘液まみれで押し倒して!妊娠したらどうするんですか!!」
「ディックはそんな事しねぇ!」
「言い訳しないで!」

遠方に雷が落ちた。同時に天から鉄臭い雪が降り、触れた物を燃やしていく。
噴火した山が落ちてきた。腐ったよもぎの汁が鶏に変わり、己が命の在り方を嘆く。

輪二は、この光景を例える言葉を、地獄以外に知らない。

「何だか分からないが…雰囲気は最高だな、最終ステージって感じ。」
「えぇ、だって遊園地ですもの。」

熾瑠が火球を振るう。それは天にあまねく無数の星を、灼熱の槍に変える呪い。
だが。男の瞳に、恐怖の色はない。

「俺はディックほど強くねぇ…けどよ、運転技術(ドラテク)だったら負けはねぇのさ!」

エンジン音が鳴り響く。ごうごう、ごうごう。輪二の耳には、周囲の音全てがスローモーションのように聞こえていた。勿論、景色も――『俺たちに明日はない』。思考が加速する。時の流れが穏やかになる。

地獄の業火で焼かれ死ね!(さぁ、いっしょにおどりましょう!)

二つの光が、地上を駆けた。鬼ごっこの始まりである。


※  ※  ※


突然輪二が転倒した。
背中の三名は空中に投げ出され、倒れた車体が石畳の上を滑っていく。
ディックは投げ出されると同時に音夢離の両腕を折り、着地と同時に素早く体勢を立て直した。

「ぎゃ、あ、ぐあっ!」

叫ぶ音夢離を無視して、ディックは倒れたまま動かない輪二に駆け寄る。まだ息はある、が左手に妙なマーク。

(…あの紙は関係ない?見立て違いか?)

「ひ、ひひひひ。きひひひひ、ひひ。」

泣き喚いていた音夢離が、笑っている。口の端から血が滴り落ち、石畳に吸い込まれた。
両腕は折れ、右足も挫いている。ディックは、彼女の持っていた紙が風に飛ばされていくのを確認した。
コンドーム袋は転がったまま動かない。

ディックは警戒を解かない。…が、それだけだ。
彼は不機嫌だった。

「全く、地味で弱くて訳わからん。これじゃあ”ラブ・チャイルド計画”が台無しだぜ。」

彼はコンドーム袋に近づくと、手近な墓石を担ぎ上げた。
殺人即埋葬、能力を使うまでもない。これで頭を潰せば。

だが。

「……ぅぅぅうううううあああああああああああああああああっっっ!!!!!」

音夢離の絶叫が轟いた。
彼女は走り出し、足元の粘液で滑って思い切り顔を打つ。鼻血が噴き出る。
しかし構わず、ディックの背中へしがみつく。

ぺちっ!

折れた右腕で、壁のような背中を叩く。灼熱にも似た激痛が走った。
だが彼女は止まらない。次いで左腕、激痛。頭突きに変更、効果なし。
左足を軸に、挫いた足でローキックを繰り返す。ぺちん!ぺちん!

自爆じみた攻撃を繰り返しつつ、彼女は理解した。
これは全て、今日眼前の敵と対峙した時に、自分がするべき行動であったのだと。
熾瑠が今捕まっているのは、不甲斐ない音夢離を助けようとしたからだ。

「お、ね゛ぇ、ちゃ、か、…れろ!離れろっ!」

熾瑠のよく使うフレーズ。
だが、今は違う。音夢離が守らなければ――誰が熾瑠を救えるのか。
もうここは、ハハオヤの腹の外なのだ。

「べぶっ!」

必死の攻防も虚しく、ディックの足払い一つで音夢離の細い体は吹き飛んだ。
男が墓石を振り上げ、――それを、熾瑠の上にゆっくりと乗せた。

「ひ、ひくしょう!」
「仕方ねぇなお嬢さん(キトゥン)。姉はこのまま置いといてやる。」

ディックは溜息を吐く。その表情はご機嫌とは言い難いが…腰を落とし、拳法めいた構えを取った。
弱さは相変わらずだが、目つきが変わった……これをけなせば、男が廃る。ディックのポリシーだ。

「代わりに名乗れ、俺と戦え――ハーフ&ハーフ日本支部代表、ディック・ロング!ローション柔術十段、陰武流隠形術免許皆伝、あと」
「よい、ねむりお…おねえちゃんの妹。音夢離。」

ガシ、と。
折れた両腕で、ディックの腰に手を回す。彼もそれを許す。
本人としてはがっぷり四つに組んだつもりなのだろう。
大木の如きディックを動かす事は、出来ない。

「来いチビスケ!」
「ぶっ殺してやる!」

そう叫ぶや否や、音夢離はしゃがんだ。そして、

「ん?」

あらん限りの力を込めて噛んだ。

ブーメランパンツからはみ出していた、ディックのコルトパイソンを!


※  ※  ※


「待ちなさーい!」
「ひゃっほう、追い付いてみなあああ!」

熾瑠と輪二のデッドヒートだ!凄い!!


※  ※  ※


結論から言って、音夢離はコルトパイソンを噛み千切る事は出来なかった。
ディックはワーコンドーム、半人半ゴムだ。身体組成にゴムが含まれていてもおかしくはない。
そして人間の皮膚の厚さは存外分厚い…それがゴム製だとしたら、少女の細い顎では文字通り歯が立たないだろう。

だが、それは問題無い。当初の目的は達成したのだから。
音夢離は今一度、口の中にある薄い(・・)感触を確かめた。
「しょうたいじょう」は二名分用意されていた事など、ディックは知る由もない……







(うっ、ゴムくせぇ!)

ただ、音夢離も知らない。
ディックがワーコンドームであり、その出生ゆえに全くモテた試しがない事を。
彼は童貞である。だがロリコンではない。どちらかと言えばナイスバディの金髪が好きだ。

それでも諸君、童貞が突如、十四歳の少女に陰茎を咥えられたらどうなるか?


(……ッ!!!?????)


音夢離の口内で、コルトパイソンの銃口が大きくなる。
顎が無理やり開かされ、舌の上を進む銃身に喉を突き刺される。
ぬるぬるのローションが不味い。

「も、を、ごぇっ!お゛っ!」

鋭い犬歯は刺さらず、奥歯で噛み締める事も出来ない。
彼女の拙い銃知識では「噛み付けば小口径化する」はずだが、予期せぬ挙動に音夢離は容易く気道を明け渡す。
後ろへ退こうと試みる。右足がズキリと痛むが構わない。

――この間、僅か二秒。
音夢離は確かに、最善の行動を最速で取る事に成功した。


そしてディックもまた、加速した思考時間の中で作戦を立てていた。
このままだと俺に明日はない、児童ポルノ法的に。
彼は素早く結論を見出した。

(引き抜かねばっ)

この間僅か〇.二秒。
社会的に死にそうなせいか、走馬灯が見える。
あいつもこんな感じでゆっくり考えているのかな…

そうだ、思い浮かべろ。リンジの顔、トラキチの顔、ドクター・アユカワの顔……シャーロットとノヅミは思い出すな!














「はうっ」

駄目でした!

「ぶごごごぼげげえばぼべばべばぼべべべぼばばえっ!」

後退が間に合わず、音夢離の口内で四十五口径の弾丸が炸裂する。
そして発砲直後の精神的な弛緩――それは熾瑠の”拡大解釈”の範疇となり、ディックと音夢離は共に夢の世界へと誘われた。


※  ※  ※


”災禍家の墓へようこそ、こちらは災禍家の墓へようこそ私達がお住まいの電話番号は現在も重体となっており本日の日経平均は「光あれ。」こうしてあなたあぁぁぁ止めて止めてお腹の子供だけはこんどあたしおねえちゃんになるんだよだって先生先生のおかげで兎さんのおばあさんもなおりましたし狸さんのお父さんもなおりましたしあんな意地悪のみみずくまでなおしていただいたのに何でこの子ばかり「光あれ。」そんな大山さんの毎日の健康の秘訣がこの人殺し人殺し人殺しの自由が侵される時我々は団結してあくまで一日二粒を目安にあなたあぁぁぁ止めて止めてお腹の子供だけは取り出してレンジでチンしてねえねえこんどあたしおねえちゃんになるんだよ!『なれねぇよクソがお前はもう【エド・ウッド、二期制作決定!】なんだ妊婦だって二人も殺してるじゃないか』あなたあぁぁぁ止めて止めてお腹の子供だけは『三人かクズめ。』彼らの戦いはこれからも「光あれ。」はい、これ手作りのマフラー。何よ、今日は誕生日でしょう?あなたの首を括るのにぴったりだと思うんだけどぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちなんであたしをたたくのねぇおかあさん楽しい楽しい楽しい楽しい楽しいこれでおねえちゃんが近づく皆皆皆皆皆死ねば天国が近づくおねえちゃんが近づいてくるごうごうともえてぱちぱちとはくしゅしてばちんびたんばちんびたん何であたしが死ななければいけなかったんだ何でお前が死ななかったんだわたしはその方を見るとその足元に倒れて死んだようにディック・ロングがあなたを見守っているばちんびたんばちんびたんイィグニッションへようこそ!”


軽快なポップ・ミュージックと共に敷地中の墓石がミルクキャンディとなる。
天から降り注ぐミラー【編集済】を浴びてキラキラと乱舞し始めた。
【編集済】から迸る灼熱の天の川がダンボールに捨てられた子猫たちを彼方へと流し去り、山の向こうに待つ巨大なかっこうの口の中に押し込んだ。嘔吐する。
選民思想の果てに独りぼっちとなった赤のクイーンが、これを受けて飲み干した。
ティーカップに残る大腿骨は誰の物か?

『こんとん』だ。そこは、あまりにも『こんとん』としていた。
音夢離の受けた精神ダメージによって、夢の世界は完全崩壊している。
当然だ、あれで精神力保つ自信あるの?

アスファルトが波打ち、マグロ達の秘密が露わとなった。
非常口勤務の緑の人が、首を切られて死んでいる。
扉を開けて入ってきたゴルファーが裸足で逃げた。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

その『こんとん』の中を、山入端 輪二が疾走する。
車体は既にパステルピンクに染め上げられ、頭部はクワガタと化していた。
それでもこのピザを三十分以内にお届けしない事には、野摘が股を開いてくれないのだ。
ヘッドライトを突き破り、輪二の小さなディック・ロングが飛び出す。
あの子のアヌスにこれを突き刺せば、第二第三の野摘が出てきて一石二鳥!

「何だよこいつはド畜生ォォォォォォォォォォォォーッ!!!」
「あああああ音夢離音夢離音夢離、何ですかこの夢は」

輪二のピザボックスは透明だ。中には小さなカラスの巣がある。
そして巨大なコンドームを突き破って頭と両手を出した、惨めな子供を収めていた。
白い髪に真っ赤な瞳、両足と右手は炭化しており露出した骨には無数のパンダがマイホームを建てている。
子供は股間に手をあてがい、六本の陰茎を操って忙しなくマスターベーションしていた。

「あああああ音夢離音夢離音夢離、何ですかこの夢は」
「知るかァァァァァァーッ!!」

輪二は逃げていた。元凶ごと逃げているので逃げおおせるはずは無いのだが、クワガタにはそれが分からない。
山の向こうで、巨大なかっこうが野摘の顔となり、その尻穴をこちらに見せながら誘惑している。

「おおおやめろッ!野摘はなぁ!結構下ネタとかで赤面するそんな所がそそるからやめて下さいマジでッ!」
「あああああ音夢離音夢離音夢離、」

後ろからシンバルを叩く猿型ウイルスの世界的流行がやってきた。今年のパリコレを制したのだから、感染力は段違いである。

「デイィィィーーック!!助けてえぇぇぇぇーーーーーーーーっ!」



「よぉ!」
「居たぁ!」

ディックの前で急ブレーキを決める。
勢い余ってピザボックスの中身をぶちまけるがどうでもいい。
ディックは衆議院選挙に立候補していたが、ダチのためには乱闘も辞さない男だ。

「やべぇっスよディック、能力が暴走してる!何でか知らないけど」
「お、おう。」
「さっきまで、マジで白熱のレース展開だったのによぉ!」
「おねえちゃん!」

この秋一番のゴシックロリータに身を包み、兎耳を生やした音夢離がピザボックスに駆け寄った。箱を開け、中の巣から熾瑠を引き摺り出す。

「おねえちゃん!」
「音夢離…」

音夢離が、熾瑠を抱きしめた。
その途端…偶然だろうか?夢世界の狂気が歩みを止める。まるで明日のない世界のように。

敵が合流した。その認識が、一度罠に嵌っている輪二を身構えさせる。
しかし、その拳をディックが諫めた。
夢のコントロールが失われた時点で、少女二人に勝ち目は無いのだ。

「ごめんね、ごめんねおねえちゃん。ごめんねごめんねごめんね!」
「あああああ音夢離音夢離音夢離、何ですかこの夢は」

熾瑠のマスターベーションが止まらない。
音夢離は彼女にほおずりをしてから、思い切りキスをした。

「あたしが甘えてばっかりだったから!代わらなかったから、守ってあげられなかったから!」
「あああああ音夢離音夢離音夢離、かわいい音夢離音夢離音夢離」

熾瑠の手が止まった。炭化した右手で、音夢離の顔をなぞる。

「かわいい、かわいい、ねむり、おきるの、ねむり…受け止めて下さい熾瑠を熾瑠を熾瑠を、」

そういうが早いが、熾瑠は音夢離の上にのしかかる。
六本の陰茎が触手めいてウネウネと動き、先端から濃硫酸を噴き出した。

「おねえちゃん!?」
「せつないんです…音夢離、ずっとせつなかったのぉ…受け、受け止めて下さい熾瑠を熾瑠を熾瑠を、かわいいかわいいねむりあいしていますねむり音夢離愛しています大好き好き好き好き好き好き好き愛しているから受け入れろ、受け入れろ!」

音夢離の口を塞ぐ。秘部を触手の先端がなぞる。
じゅう、と肉の焦げる匂い。
熾瑠が音夢離の顔を殴打する。その度に骨が折れ、中のパンダが脳漿をぶち撒けた。

「愛しているんでしょう音夢離オキルも愛していますヨねむりかわいい受け止めて受け止められるでしょ受け止めろ受け止めろよ何で受け止めないの何でお前が受け止めなかった何で熾瑠が受け止めた何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で、何でッ!」
「む、むぐ、むっぐぁぁあああああ!!!」

熾瑠の触手が音夢離を貫通する。秘部、肛門、へそ、右耳、左目。最後の一本は自分の入ったお守りの中。

「愛してます、本当に愛してます。助けなければ、畜生、あぁ生きてくれてよかった!本当に…」

ぼろぼろと。熾瑠の眼球がいくつもいくつもこぼれ落ち、音夢離の体に嵌め込まれていく。
最早音夢離は動かない。ただ、全身の細胞で泣いている。

あまりの光景に輪二は目を逸らし、逸らさなかったのは…ディックのみ。
彼は道端に落ちていたttps://w.atwiki.jp/dangerousssig/pages/29.htmlを拾い上げると、

――『パンク・スタイル』。投擲されたそれは、姉妹の肉体を同時に貫いて、夢の世界の外へと飛び出していった。


※  ※  ※


「…おはよう、ディック。」
「おはようリンジ。」

ディックに揺り動かされて、輪二が目を覚ます。
一瞬、どこに居るのか忘れていた。
だが立ち並ぶ墓石の鏡文字を見て、慌てて声をあげる。

「勝負は!」
「俺たちの勝ちだ。」

ディックが、親指で指す。

「きゅぅ…」

その先では音夢離が、首から下げたお守り袋を飲み込んで気絶していた。腹部に大穴が空き、大量に出血している。
コンドーム袋の方は微動だにしない。

「勝敗は決しまして御座います!今宵の勝利者は――ハーフ&ハーフ日本支部のお二方と相成りました!」

丁寧過ぎて馬鹿っぽい声。
いつの間にか彼らの側に、スーツを着込んだ女が立っていた。
試合前に「鏡助」と名乗った奴だ。

「いやぁ誠に、誠におめでとうございます!!」
「あの、変な空間内の映像って、外部にも見えてんスか?」
「特別料金をお支払い頂ければご視聴頂けます。」
「よっしゃ!ディック、後で見ようぜ!俺の活躍知らないだろ!」
「あぁ。」

だが、ディックは生返事だ。徐々に死にゆく音夢離を見る。
…何だか、とても疲れた。

「あ~でも、あの箱使えなかったスね。」
「ま、機会はあるさ。…ん?」

ディックがそう呟いた瞬間、音夢離の体が大きく仰け反った。痙攣し、白目を向いている。
死が近いのだろうか。

「…やっぱ、後味悪ぃスね。」
「現実世界にお戻り頂ければ、責任を持って元のお姿にお戻し頂けますので、ご安心下さいまし。」
「そうだけどさぁ…」
「ご、ぶえ、ご、ご、ぼ、」

口から泡を吹く音夢離。やがてその口から、お守り袋が飛び出した。

「ぼええええええええっ!」

――同時に、『それ』も。
その姿を認めた瞬間、輪二も、ディックも、すまし顔の鏡助も、思わず声を上げてしまう。

「え。」「はぁっ!?」「まあ!」





それは、赤ん坊だった。
顔の半分を覆う、髑髏のお面を付けた、白い髪の。

音夢離によく似た、女の子の赤ん坊だった。


※  ※  ※


あの試合から数日後。

「かぁわいいぃ~っ!」
「い、いひひ、いひひひひひ…」

若干引き攣った笑顔を浮かべる音夢離さんを、野摘がスマホのカメラで容赦なく撮影していく。
音夢離さんの腕には、小さな赤ちゃん…おきるちゃんが抱っこされていた。

ここは都内の大手産婦人科医院、その一室。
鏡の世界から戻った者は多いが、流石に出産はイレギュラーなので、一度母体(?)ごと診て貰った方がいい…という鏡助さんの紹介である。

「さぁさぁ皆もっと寄って!ほら鮎川さんも!」
「ぼ、僕も抱っこさせて貰ってもいいですか?うわぁ~…可愛いいででででで!ひ、髭はやめてぇ~!」
「わっはっはっ、こりゃ将来大物になれるでぇ!」
「ひ、ひ、ひ、ど、ども…」

”半人半骨”、災禍おきる。全くの健康で異常なし。
法的には熾瑠さんの子供で、それを音夢離さんが引き取った形になる。
そして主治医には、半人専門の鮎川さんが付いた。今日、俺たちがここにいるのはそのおまけだ。
その鮎川さんがつい昨日、珍しくぼやくのを聞いた。

『どうも、揉めとるらしいんだわ。あのお嬢ちゃんの件でな?』

鮎川さんが言うには、魔人公安が音夢離さんの殺人代行に関する重要な証拠を掴んだらしい、と。
だが音夢離さんの魔人能力についての報告を行ったところ…「難病治療に役立てるべきだ!」と、他の医者たちが超法規的処置を求めてきたそうだ。
確かに『夢の中での出来事がダメージとして残る』なら、腫瘍を切除とか出来そうだが。
しかし魔人公安は死刑賛成派の急先鋒。ここにまた色々な勢力が噛み付いて、上は大混乱らしい。

まぁ、そんな訳で。音夢離さんのこれからは酷く不安定で、ぶっちゃけ俺らもどこまで役に立てるか分からない。
でも。

「ひ、ひひひひひっ。」

緊張しきりの音夢離さんは、おきるちゃんが褒められると笑う。
世話にはまだ慣れていないが、いとこのおむつを替えたという野摘と共に特訓中だ。
頭を撫で、ミルクを飲ませてやり、寝不足でも柔らかい眼差しは母のそれだ。
余程愛しているのだろう—―これだけの愛があれば、半人だろうが何だろうが、この子は大丈夫に違いない。…なんて、おっさん臭いか。

おきるちゃんの父親については、部外者が興味本位で聞く話でもなし、ディックと鮎川さんくらいしか知らない。あぁ、シャーロットさんも検討は付いているみたいだ。
彼女は最近、ずっと酒を飲んでいる。ぶつぶつと呟きながら。

「ヨハネの黙示録を知っているかい?世界がいつか終わり新しい世界が来るというキリスト教徒のあれだ。あれの中に黒い馬が出て来るんだよ。そう音夢離くんの事だね?預言書では黒い馬は飢饉の象徴と解釈されるが音夢離くんの能力を使えば死体を介して疫病でも高濃度放射線でもばら撒き放題なのさ。それでは熾瑠くんは何かというと彼女は黒い馬の前に出て来る者、つまり赤い馬さ、戦争の象徴だね!これは赤い馬を理由に黒い馬が殺戮を起こす事を意味する!ではそれは誰の差し金かというと黒と赤の前に出る者、白い馬なのさ。白い馬は勝利(V)の上に勝利(V)を重ねる者、つまりこの大会の裏主催者にして闇の世界の帝王と名高いミスターWを示す!黙示録の後に何が起こるか分かるかい?そう死者の復活だ。全てが終わり新たな世界が始まる時、音夢離くんと熾瑠くんは再会を果たすのだ!聖書を信じられないにしても、しかし認識が現実を凌駕するのが魔人だろう!熾瑠くんの拡大解釈でその片鱗は見えたね!では彼女たちは自分でこの計画を思い付いたのか?否聞いたところあのポケットティッシュは配った記憶がないそうだつまりこれは何者かの関与が疑われる!そうミスターW!私はこの事実を突き止めるべく奴らの電脳中枢に潜り込もうとしたがノートパソコンでは駄目だった!何せ連中ときたら銀座中のホストクラブからホストコンピューターを雇っていたのだから!しかしそこで私に転機が訪れた!あの伝説的天才ホワイト・ハッカーの二人組、ファイアーウォールとしての経験も豊富な二人組が、私の活動を検知して助け船を出してくれたのだよ!そう七百万円でね!私は預金通帳を印鑑ごとくれてやったさ!だがこの情報を入手して観覧席に戻った私が見たのは、熾天使の生まれ変わりと毒気の抜けた母親だった!つまり、私が何を言いたいかと言うと、」

ダン、と机に拳を振り下ろす。

「名・探・偵・の、登場を待たずして…事件を解決するなぁあああああああっ!!!」

その場の全員が驚いて振り向く。
せっかくここまでこじつけたのに…と泣きながら机に突っ伏す姿は、驚くべき駄目人間だった。…この人、見た目は普通の美人なのに。こんなんだから嫌われているんじゃないのか?

突然の大声に苦情を言いに来た看護師から逃げるように、俺は病室を後にした。
ディックを探して院内をあちこち回り、屋上でフェンスに持たれかかっている所を発見する。

「ちーっス、ディック。」
「大丈夫だ。俺は農家だし、独り身だしで貯金はある。」
「ディック?」
「あぁ、養育費くらい支払えるとも。」
「どうしたんスか?」
「リ、リンジか。元気か。」

珍しく上の空だったようだ。何か考え事でもしていたのかな?
ディックの隣に移動して、ブレーキをかける。

「ちょっと聞いてくれよ。」
「あぁ。」

これは少し、いや、かなり勇気が要る話だ。
俺は唾を飲み込み、深呼吸を二回してから、意を決して話す。

「…俺、ここしばらく、野摘に声を掛けられるのが嫌だったんだ。」
「あぁ。」

「何でかなーって考えて、最初は恋かな、なんて思ってたんだけど。」
「あぁ。」

「気付いたんだ、俺。野摘が”ワーうんこ”って所に、反応している自分を。」
「あぁ。」

「それに気付いた瞬間、俺、うわーってなってさ。」
「あぁ。」

「自分も半人でからかわれてんのに、俺も何考えてんのって感じで。」
「あぁ。」

「それでもさぁ…思っちまったんだよ…」

病室で、おきるちゃんを抱いていた野摘を思い出す。

「野摘との子供、可愛いだろうなーって。」

あの夢の世界は、完全に音夢離さんのコントロールから離れていた。
そしてディックが来るまでは、あの夢に居たのは俺と熾瑠さんだけだったんだ。
なら、あの光景は。明らかに性的な意図を持つ、あの野摘の姿は。

「あぁ。」
「野摘のワーうんこな所、まだ好きになれていないけど。でも、野摘の人間部分は、俺、もう滅茶苦茶好きみたいなんだ。」

半人は、半人であって、聖人ではない。
俺はまだまだ汚い所だらけの半人だけれど、野摘を好きって言ってもいいのかな?

「あぁ。」
「…ありがと。ディック。」
「俺は養育費を払える男だぞ。」
「何だよそれ!」


屋上から見える青い空に、一筋の飛行機雲がかかる。
季節は夏。どこか遠くで、風鈴の鳴る音が聞こえた。
最終更新:2021年05月09日 23:54