どうしようもなくロクでなし、向こう見ずで馬鹿な子供だった僕ら二人。
あのチラシを手に取った時から、舞台へ上がる時の名前はもう決まっていた。
チーム『DAFT PUNK!!』と。
・・・。
どうしようもなかった。向こう見ずで馬鹿な子供だった。
甘い言葉に目が眩んで、誘われた先になにがあるか。
夢を見ていた。
夢はいつか終わり、そして現実が訪れる。
夢のあとに立ち現れるものは、すべてまぎれない現実なんだ。
だれか俺をゆるしてくれ。
・・・。
●開戦前夜● 覚悟完了(現在進行形)
昨今の感染防止政策のかいあって人気ない街並みの奥まった薄暗い路地。
細い外灯のもと、ぶんぶん風切る金属バットの素振り音。
振り方は野球打者のそれではなく、上から下。硬球を遠くへ飛ばすためではなく、人の頭部を粉砕するための動きだ。
鬼気迫るさまに、連れの涙目の小男は、黙って背中を見ていた。
ピタリと素振りがとまり、ゆっくりと振り向く。黒縁メガネの奥の垂れた気だるい目のまま、大男は、バットを振り上げる。
涙目の小男に振り下ろす。
寸前でとめる。
「にゃぴ・・!」
突然の暴力に珍妙な声をあげ頭を抱きかかえ身を縮こまらせて、涙目の小男は、ぼろぼろと泣きだす。
バットの大男は、コツン、小男をこづいて、ため息する。
「ナミタ・・・・分かってんのか? やるかやられるか、ビビってちゃ明日は掴めねえぞ」
「ビビビビビックリするに決まってる! 何怖急に何!」
涙目の小男・ナミタは怯えて泣いて歯の根も噛み合わないくらいだ。
「今みたいに丸くなって、したらそんままタコ殴りで終わりだぞ。負け。死。反撃の気概みせねぇと舐められるぞ」
「だってトウマが襲ってくるとは思わないよ!!」
「そうか? そうかな、そうかもな。でもなナミタ・・・」
優しげな大男・トウマは膝をついてナミタと目線を合わせる。
対称的。ぐしぐしに滲んだナミタの目と、強い決意を秘めたトウマの目。
「勝敗は4人のうちだれかが死んだら終わりなんだ。分かるだろ? 負けん気見せてみろって。殺されたくないなら殺せ。殺したくないなら・・・首くくれ」
勝つために敵を殺す。
その想像をして、またもナミタはじんわり涙をためる。
ナミタは人を殺している。
しかしそれは、希薄した自我がもたらしたものだ。
一種の事故。一種の幸運。
それを願っているだけじゃあ勝利はきっと、ずっと訪れない。
「勝利に必要なのは相手を殴ることじゃない。心臓を握ることだ。どくどく脈打つ心臓を、懇願されても力強く潰すことだ。・・・なあ、バックに大企業がついて魔人がついて、ゲームみたいに殺し合い遊びをしようってノコノコとやってきた俺たちにも想像力ってもんがある。どこまで吹っ切れる? 人の命を自主的に利己的に能動的に、人の命を完全に着実に明確に、倒す奪う勝つ負かす・・・そんなんじゃなく直截! 俺たちが殺す・・・」
勝敗つけば、終われば全て元通りになる、らしい。
生き返る。と言っても、そう、うたっているだけだ。
言葉だけの保証。
言葉だけ、頭の中だけの納得に、どれだけの力がある。
生きた人を、意思をもって、ナミタは殺せるのだろうか?
そして、ナミタへの疑念は、自らにも跳ね返る。
(ナミタができねえってんなら、俺がやるしかねえ)
そう、決意している。
決意しても、心の靄が晴れない。
言葉だけの決意。
言葉だけ、頭の中だけの結論に、どれだけの力がある。
明日が怖い。
素振りをすれば雑念は消えると言ったのはだれか--。
(一球入魂!)
懐かしい声を思い出し、それを振り払うように、トウマはバットを投げ捨てた。
「くそっ、絶対勝つぞ俺たち」
「トウマくん・・・・」
ナミタは、トウマの震える手を握ろうとして、ためらい、ひっこめる。
かわりに後ろから背を強く押してやった。
「いって!」
「あは、大丈夫だって」
伏し目ではにかむナミタは、きっぱりと言いきった。
「優勝、五億、Happy new life!! そう決めた、でしょ?」
「・・・・分かってるじゃねーか」
ナミタの決意がどれだけのものか、トウマには分からない。
しかし、ナミタは前を向く。泥だらけで這いずり回っても、必ず立ち上がって前を向く。そして歩き出す。未来に向かって。
ナミタの諦めない心は、信じられた。
それでこそ、俺の信頼する相棒だ。
その言葉は口に出さなかったが。
トウマは、投げたバットと小さな砂利石をいくつか拾って、ナミタの正面に座る。
「俺たちの能力でどんな戦いができるか、作戦会議だ」
「うん!」
「じゃあまずは役割からだな。さっきはああいったが攻撃は俺が--」
トウマが戦略を練りだす。
やると決めたらやる。万全の準備をして、全霊の覚悟をもって。
「トウマくんのそういうとこ、本当に尊敬してる」
「話をちゃんと聞け」
照れ隠しにナミタを小突こうとして、かわされた。
戦いの覚悟が、夜と共に深まっていった。
●開戦直前● 準備完了
見知らぬ天井。
目が覚めて、やけに扇情的なライトに照明に彩られた天井が、トウマのかすんだ目に映る。
あの田舎から抜け出たことを鮮明に思い出した。
抜け出して・・・ここはどこだ?
「おはよう。ごめん起こしちゃった?」
広いベッド。隣でナミタが体育座りしている。まるみある肩がむきだしだ。髪が濡れ、頬が紅潮している。
「ああ、いや、おはよう。むしろ寝過ぎたか? いま何時?」
「8時45分。・・・ふふっ、学校なら遅刻だね」
あと15分でイグニッション・ユニオンの一回戦が始まる。
変に気を昂らせず、平常心でいこう。
深呼吸して、ゆっくりと辺りを見回して・・・。
壁にかかったチャイナ服やナース服、ベッドをまるまる反射する鏡、大きなTVモニタ、ガラス張りの風呂場に、湯が張られたジャグジー。
昨日の夜のことを思い出した。
素振りをして作戦会議をして後、なけなしの金でとまれる漫画喫茶に泊まろうとした。そのとき思い当たる。鏡。ある程度の鏡がないと、イグニッション・ユニオンには参加できない。
思わぬ落とし穴に悩んでいると、ナミタが連れ込み宿を提案したんだっけ。ここなら鏡もあるし、人目にもつかない。妙案だ。
「男同士でも入れるもんなんだな・・・」
(都会は進んでいるようだ。・・・ナミタが男だと思われなかったのかもしれないな。傷つくだろうから言わないが)
ちらっとナミタの様子をうかがう。
呼吸が荒く、頬に紅さしてる。ぼんやりとトウマを見ている。
「緊張してる?」
「え? あ? なにが?」
思ったよりガチガチに固くなっている。こりゃ重症だ。ほぐしてやらないと。
「顔赤いぞ」
「へっ!? あ、ふ、お風呂、あがったばっかりだからかな」
トウマは、ナミタの腕をとる。
腕はぷにぷにと膨らんでおり、既にある程度の水分が含まれていることがわかる。
ナミタの能力『涙を飲んで生きる』は、万物に吸水性を持たせる。人間の60%は水分と言うが、現在のナミタの80%が水分だ。
「向こうに水があるか分からんからな。・・・昨日も言ったと思うが、水がマジで足りなくなったら小便でもなんでもかけるからな、気を付けろよ」
「は、はは・・・」
「それで、俺の血はある?」
「・・・ここ」
ナミタは唇に指をあてた。紅さして見える唇は、多分に水分を含んでおり、ぷるんとしている。
トウマは掛け布団から抜け落ちた羽毛をふっと吹く。ゆっくりとたゆたいながら、ナミタの唇にくっついた。
「よし、発揮してるな」
トウマの能力『トップを狙え』は、血判に意思なき運動を引き寄せる能力。
「・・・とは言え顔か。爪先とかにした方がいいんじゃないか?」
「たぶんイメージの問題だと思う。キスマークってよく見るでしょ。口なら、転写、出来るみたい」
血と水。
ナミタは血判を体内に取り込むことが出来る。
トウマとナミタの能力は、ほんの少しだけ、組み合わせがいい。
とはいえ、ほんの少し。
「実際には使いどころありませんでしたーかもしれないけどな。やれるだけはやっとかないと」
勝負は戦いが始まる前に決まる。孫子の言葉だ。
出たとこ勝負だなんて、うぬぼれちゃいられない。
行き当たりばったりでもうまい感じにやっていけばいいおさまりがつく、はずがない。
「あ」
時計の針が9時をさす。
連れ込み宿の大きすぎる鏡がぐにゃりと歪み、その鏡像が、戦いの舞台を映し出す。
後楽園スタヂアム。
日本プロ野球史上、もっとも本塁打が出た球場。
「・・・トウマくん」
「行こう」
なにをためらう。
過去を抜け出し、この場所へやってきた。
未来を掴むために。
野球が、兄貴が、過去が迫ってくるのなら、
引き離してやるだけだ。
頂上の栄光まで駆け上がってやる。
●開戦● 全プラン崩壊
鏡面世界をくぐる。
一瞬ふわっとした感覚のち、照りつける太陽。
まぶしい。
目も眩む夏の日差し。
一塁側--王ゲートのベンチにはふたつの人影がある。どうも女性らしい。
トウマはほっと安堵する。
(女か。女は弱きもの。どう頑張ったって女が男にかなうはずないよな。勝ちじゃん)
トウマは自分の頭が冴えていく感覚を覚える。いまだかつてないほどに。
戦闘開始の高揚感のためだろうか。すべての物事を冷静に確実に反証の余地なく真実として受け止めることが出来た。
対面の二人の女性は、こちらに気づいた。その表情は遠目には定かではないが、極めて異様に映った。
トウマはその女性から目を離せない。
その理由は、すぐに思い当たった。
(美人だ)
これまで目にした女性すべてが、決してそうではなかったと言い切れるほどの、本物の美人。
この人を殺す、今すぐに。これ以上思い入れる前に。覚悟がぶれないうちに。
トウマはバットを固く握りしめる。
ふりあげて、ふりおろす。
それだけの動作だ。
勝つためには、殺さないと。
大丈夫、鏡の世界で死んでも、彼女たちは現実で生きている。この美しさを世界から消してしまう罪を背負うわけではない。
天使のようにほほえんで駆けてきた女性は、頭を垂れた。
差し出された、無防備な頭。
まるでトウマの殺意を汲むかのように。
ふりあげて、ふりおろす。
それだけの動作だ。
勝つためには、
勝つためには、殺さないと。
トウマは意を決して、バットをふりあげた。
それを、ナミタが慌てて押さえる。
「ちょ、なにやってるのトウマくん。僕たちも頭下げなきゃ!」
「なにを言って--」
天使のような女性は顔をあげ、そしてもう一度さげた。
美声が響く。
「よらあーしゃっしゃっしゃ~~っす」
?
「トウマくん、ほら、よらあーしゃっしゃっしゃ~~っす」
??
ナミタと対面の女性が頭をさげあっている。
(なんだ? 俺たちは殺し合いに来たんだぞ?)
助けを探すように、トウマが周囲を見渡すと、対面もう一人の女性が、眉根をひそめていた。あきれているような、怒っているような。夏の陽光にあっても涼しく思える怜悧な顔だちだ。
「あの、すみません、コレなにコレなんですか?」
切れ目の女性は、トウマの殺意のしぼみを見、ひとつ長い息をはいて、告げた。
「…………………………第一回戦は野球対決…………なんでしょ。だから普通に、プレイボール前の挨拶よ。よらあーしゃっしゃっしゃ~~っす」
--そうか。俺自身が野球を忌避していたから、つい理解を拒んでしまった。
俺は、ナミタと二人でテッペンとるって決めたんだ。
この・・・兄貴からもらったバットで。
そのために、昨日も素振りをしていたのに。
打撃に自信ないナミタに代わってホームラン打つって覚悟したのに。
俺はもう・・・負けない。
もう・・・過去からは逃げない。
現実と向き合うんだ!
トウマは頭をさげ、掛け声をあげた。
「よらあーしゃっしゃっしゃ~~っす!!」
☆一回戦 第七試合
☆ダフトパンク!!vsザ・人間ズ
☆勝負形式:野球
☆勝敗判定:試合終了時の獲得点
お互い自ベンチに戻る。
切れ目の女性・ヨニが、だれにも聞こえない声でつぶやく。
「まあ、殺し合いよりはマシか……」
●一回表● 好打悪守
「ペイボーゥ!」
「ピッチャー、ザ・人間ズ、リン」
「一番、ダフトパンク、トウマ」
野球。打席に立つのは何年ぶりか。
トウマはずっと、体育の授業であっても野球を避けてきた。けれども構えは堂々としており、プロ野球選手のそれと同等の風格を持っている。
(憶えているもんだ。兄貴の後ろ姿、ずっと見ていたもんな)
対面ピッチャーは、にこにことして、一切の緊迫感がない。遊びに来たって感じだ。大きく足をあげて、背が見えるほど身をよじって、第一球が投げられた。
やまなりのへろへろぼーる。
チャンスは逃さない。チャンスを掴みとるために打席に立ってるんだこっちは! 覚悟が違う!
トウマは力んだ。若干のアッパー気味のスイングが、弧を描く球筋と重なる。
快音。
後楽園球場は狭い。
白球はフェンス奥へと運ばれた。
「あー……」
一塁二塁三塁を回る。ホームではガッツポーズを決め満面の笑みを浮かべるナミタ。トウマは左を見る。ブルペンで美人バッテリーがこそこそ話している。
「やるわね彼。でも今のは肩慣らし。次から確実に押さえて見せるわ。魔球ダイナミックS180ターボが火を吹くよ」
「私が捕れるのそれ。そもそも野球経験ないのにいきなり魔球だかなんだか投げれるわけないでしょ。理屈で考えて」
「………………私、野球経験……ないの?」
「ないよ」
「そう。……じゃあしょうがないわねうんうん伸び代十分ってことね」
ホームに戻り、ナミタとハイタッチ。電光掲示板に1と記された。
「打って打って打ちまくって、1回コールドで終わらせるぞ」
「うん!」
続いてナミタの打席。照りつける太陽。ノーコンのピッチャー。3-0、慎重にストライクをいれたい場面。ふわっと置きにきた球をナミタは見逃さずミートした。
ぼてぼてのゴロ。
「サード!」
もちろんサードはいない。二人野球だから。
「ヨニ頼む~!」
「そっちが近いだろ!」
打球はサードベースにぶつかって止まる。しぶしぶ拾うヨニ。走者は二塁残留。
ナミタは二塁を離れ、ネクストサークルへ向かう。二塁には透明ランナーが立つ。
全力疾走で守備したヨニが、息を切らせてピッチャーに問う。
「…………はァはァはァはァ……、……これ、どこに打たれても終わりだ。守備範囲が無理すぎる。透明守備はないの?」
「なにそれ? そんな変なルールあるわけないでしょ。透明ランナーはあるけど」
「けー! ァァ切れそ~~~」
「痛」
脛蹴ってヨニはぷんすかホームに戻った。
●一回表(2)● 魔球
打者一巡して、トウマ。
バットを小刻みに揺らす構えは、兄と瓜二つである。
「行っくよー」
相変わらずのやまなりのへろへろぼーる。
タイミングをとるのが難しいほどの超スローボール。
しかしプロ野球選手を兄に持ち、兄と比べて『やや劣る』程度の身体能力を持つトウマにとって、打ち返すというのは難なきことである。
金属バットの真芯がボールをとらえる。
そしてすり抜けていった。
スポッ。力ない音でミットに収まる。
「スタァーィク!!」
トウマの目が驚愕に見開かれる。
確かに真芯をとらえた。なのに手応えはなにもない。
まるで幻を見ていたかのように。
ハッしてトウマは頭上を見上げる。
ギラギラの太陽。
トウマは思い至る。
(鏡の世界はイグニッション・ユニオンを開催するための作られた空間でしかない。同じように、それに参加する俺自身の人格も他者がこしらえたものでしかない。次元の違う存在が俺たちのもがき戦う様を見て喜んでいるに違いない。人工太陽の洗脳宇宙線が脳に影響を与え思考をコントロールしており、この世界の全てが幻覚で、弥勒菩薩ミュオンは既に訪れた後だったのか)
トウマは愕然と膝を折る。全てが繋がる。
憔悴するトウマを、ピッチャーが高らかに笑い飛ばす。
「ハーッハッハ! 見たか私の魔球!」
「・・魔球?」
打者一巡という野球経験を経て、想像力あるピッチャーは、ひとつの魔球をあみ出した。
「この魔球はバットをすり抜ける絶対最強の技ァ! 勝ち! 1000%勝ちィ!」
トウマは立ち上がる。
魔球であれば話は別だ。
全ての魔球はいずれ打たれる運命にある。
「野球は9回裏2アウトまで分からねぇぞ」
「ほう?」
トウマはうでまくり、構え直す。
ピッチャーふりかぶって第二球。
やまなりのへろへろぼーる。
トウマはバットを横に倒す。
バント。
体を開き両目で球筋を見極めるそれは、魔球を分析するに最適の構えだ。
マウンドからのんびりやってきた白球は、バットと重なると、たしかに手応えなく、すり抜けていく。
目の錯覚や手元の狂いでは、断じてない。
情けない音でミットに収まるその魔球は、バットに当たらない。
文字通りの魔球だ。
「当たらなければ、いやさ打てまい! これが私の……魔球『奇跡』だ!」
自信満々に笑む、彼女の名はリン。
彼女の魔人能力は、『周囲全員は閃きやすくなる、またリンの閃きは真実になる』。
リンが閃いた、バットをすり抜ける魔球。
これは真実である。
●一回表(3)● 魔球『奇跡』
「スッッターィヶ! バッターアウト!」
魔球『奇跡』に三振。ナミタが涙目でトウマを迎える。
「普通のボールみたいだけど、魔、魔球、とか言ってて・・・」
「マジの魔球だ。ボールがバットに当たらない。ふたつが重なって、抜けてしまう」
「・・・じゃ、じゃあ僕たちは創作されたキャラクターにすぎないってこと?」
「いや違う」
トウマは肩の力を抜いた。腕はだらりとさがらず、ナミタの唇に触れる。
意思なき運動を引き寄せる。血判は有効に働いている。
「なんでかな、今日は冴えてる。俺の考えが正しければ、ナミタ、なにも気にせず行け。それで打てる・・・はずだ」
トウマはナミタの胸を叩く。
「勝とうぜ」
「うん!」
トウマはタイミングを見計らう。
大きく振り上げた足。体一杯をバネにする力強いフォーム。蝶々が止まりそうな遅い球。ナミタが脇を閉めてコンパクトに振りかぶり、ヘッドが下がって
(ここだ!)
トウマは能力を発動した。
あらゆる意思なき運動の向きを変えるその力で、白球を『ある程度』を引っ張る。全部ではない。全部だとまたすり抜けてしまう。『ある程度』だ。硬球を構成する粒子の『ある程度』だけをわずかに引っ張る。方向を曲げる。
これで、トンネル効果を阻害する。
ボールがバットをすり抜ける。確率は0じゃない。白球を構成する全ての粒子がトンネル効果を引き起こす可能性は0ではない。
しかしインパクトの瞬間に、粒子の方向性を乱してしまえば、奇跡は起こらない。
「ストラァーッケ!」
(空振り……だと! いや何かの間違いだタイミングのずれがあったんだ。あるいはナミタが空振りしたんだ。そうだ、そうに違いない。次こそ成功する俺は勝つ勝つんだ)
スカッ。
スカッ。バッターアウト!
トウマの想いも虚しく、ナミタは三振に終わった。
「ご、ごめん・・・・」
「いや、俺の間違いだった。そもそも俺はなにもかも間違えてきた。イグニッション・ユニオンに参加したのも間違いだった。産まれるべきではなかった。言われるがまま、望まれるがままの人間がなにか掴めると思い違いをして。望むべきではなかった」
ナミタは思い切りトウマの背を叩く。その威力たるや、彼の目を醒まさせるには十分だった。
「うるさい! 僕は置いてかないぞ! 突っ走って、未来に! 泥の掃き溜めから抜け出して勝つって!」
息を荒げるナミタを見て、トウマは、自分がどれだけ情けない顔をしているか分かった。
ナミタに尊敬される自分でいられるよう、すっくと立ち上がり、トウマは背を伸ばし、げに美しきピッチャーと対面する。
彼女はくすくすと笑う。
「しらけさせて申し訳ないけれど・・・そのような覚悟で『奇跡』に触れられるとでも?」
「俺は打つ、打つと決めた、ナミタが見ている」
「御愁傷様」
ピッチャー振りかぶって、やまなりのへろへろぼーる。
勢い十分衝動十二分の若きスイングは虚しく空を切る。
「スサーッス!」
トウマは、足元から震え上がる暗く冷たい感覚をおぼえた。
なにか、間違っているような。
己が道を踏み外し、断崖絶壁の一歩外へ、勇気を出して駆け出したような。
取り返しのつかないものと対峙しているかのような。
「カウントはノーワン。君の覚悟など遠く及ばないもの、それが『奇跡』だよ」
目には、なんの変哲もないスローボール。
いったい如何なる仕掛けが施されているのか?
冷静沈着に物事を見据えよう、とトウマは努力する。
続いて第二球。
ジュニアリーグの7番手でも楽々打ち返せそうな緩球が、なんの変哲もなくトウマを横切り、ミットへ収まった。
「ッターク、ツー!」
わからない。
トウマにはわからない。
ただそこに存在するだけの硬球が、なにか空恐ろしい魔法にかけられ、見かけ上そこにあるようで実際には別の、全く異なる世界のものに思えた。
力なく見送るだけのトウマを見て、ピッチャーは期待はずれに呟いた。
「諦めたのかしら? それは残念」
そしてトウマに、決定的な一言を告げた。
「バットは振らなきゃ当たらないよ」
トウマははっとして、その姿を注視する。
逆光に陰るピッチャーの顔は、美しく、そして見覚えがある。
兄の面影。
「な!?」
「気をしっかり持って」
取り乱すトウマを、キャッチャーのヨニが、落ち着いた声でなだめる。
「あなたがアレに何を見たとしても、それは気の迷い」
「気の、しかし、今、本当に」
「アレは本当に美しいから。あなたの中の美しさを、反射するだけのただのイデア」
吐き捨てるようにいうヨニ。
「本当の真実を、きっと忘れないで」
語気は重く、そしてトウマではなく自身に言い聞かせているようだった。
●一回表(4)● 『奇跡』
ピッチャー・リン。姿かたちは決して、記憶の兄とは似ていない。無骨で無神経な兄からは、むしろ最も遠い存在に思えた。
しかし・・・。トウマは記憶をたどる。
マウンドに立つ佇まいは、確かに似ているところもある。
どこから湧いているのか、いつも自信満々に胸を張る。
いったい何が楽しいのか、口端を歪ませて不敵に笑う。
打者の目を、まっすぐに見る。
俺に何かを伝えたかった兄・・・使い古された金属バット・・・血に縛られ引きつけられる自身の能力・・・美しいピッチャー・・・面影・・・未来を掴もうとした俺たち・・・ナミタの言葉・・・遠い記憶・・・触れられない魔球・・・『奇跡』・・・トンネル効果をも上回る奇跡的確率・・・
脳内に散らばったいくつもの点。
トウマの穏やかな目が、血走って見開かれる。
脳が蠢く。
開花する。
扉が開く。
全ての点が繋がり、真実が現れる。
すべての疑問を解決する一条の光線が、トウマの脳天を貫く。
そのようなヴィジョンを、トウマは見た。
手に持った金属バットが、やけにくっきりと輪郭を持つ。
真実が明らかになった世界では、なにもかもがはっきりと感じられた。
傍目には、放心してバットを見つめているようだが。
「・・・へぇ」
リンは、興味深くトウマを観察する。
彼が見出した真実が、本物かどうか。
彼の血に問う。
確かめるには、たったひとつ。
ピッチャー振りかぶって。
やまなりのへろへろぼーる。
ストライクゾーンを通る。
瞬間。
理想的なスイングで、当然そうあるように、白球を叩いた。
快音。
悠々とダイヤを回るトウマの表情に、喜びは薄い。
その心内は喜びより、感謝に満たされていた。
「あ〜あ……」
「絶対打たれないと言ったのに、珍しいね」
ヨニの言葉に、リンは首を振る。
「未来を掴む…………なんてギラついていた彼には、絶対打たれなかったけどね。人は変われるから」
白球の飛んだ先――トウマの兄の形をした雲の下、スコアボードが書き換わる。
透明ランナーを加え、一回表の得点数が1からEに。
「E!?」
「ああ、3だよ。ここ鏡の世界だから」
「鏡の世界!?」
驚愕するリンに、ヨニは手短にイグニッション・ユニオンの説明をする。
いちおうの納得を見せたあと、リンは気づいた。
一塁、二塁、三塁・・・。
「逆走してるじゃん!」
裁定により5アウト。
こうして長い一回表が終わった。
○魔球『奇跡』
宇宙誕生以来の歴史から紡がれる、途方も無い偶然によって『今、ここにある奇跡』を帯びた魔球。過去を捨て未来に向かうものには決して届かない領域に存在している。そのため『奇跡』を打つには、同じ奇跡を身に宿す必要がある。
球言葉は、『生真に神謝』。
●タイム● 雨宿り
未聞の5アウトからはじまった試合に水が差す。
大雨が降る。
4人はベンチに横並び、ぼんやりと、リラックスして、たわいなく話す。
「トウマくんの変化球、原門りんご投手に似てたね。横に落ちるストレート」
「ああ。あの人も魔人らしいですね」
「うっそソースどこ」
「トウマの兄ちゃん、プロの野球選手なんですよ」
「へぇ〜。いいね」
「最高の兄貴です」
・・・。
雨はまだやみそうにない。
「ナミタくんの能力っていいよね~。金庫とか簡単に開けられるじゃない」
「あう、あ、あ・・・」
「リンさん、それ、ヤバイっすよ」
「へぇ。苦労してたんだねえ」
リンはナミタの頭を撫で、彼が泣き止むまでそうしていた。
・・・。
雨はまだやみそうにない。
「ねぇねぇナミタくんってさあ好きな子とかいるの?」
「えあいや僕は特に・・・」
「同級生にも一人くらいいるでしょ気になる子が」
「あ僕、その、高校行ってないんで……」
「じゃあさじゃあさ、来年から私たちと一緒にスクールライフしましょうよ」
「へ? リンさんって、おいくつなんですか?」
「いくつ? いくつかしら。いくつなの?」
「気にしなくても、年齢制限の法はないでしょ」
ヨニは、リンがいつから生きているかを知っているが、頑なにごまかした。
リンとヨニとナミタの三人で翌春同じ高校に通うと、リンが決めた。
ちなみに、トウマに留年を提案するも、むべなく断られた。
・・・。
雨はまだやみそうにない。
「このまま降り続けたらどうしよっか。同点だったから雨天コールドでもないしねえ」
「再戦? ねえリン、もうお流れでいいんじゃないの」
「グラウンドは僕の能力ですこしはマシにできますけど、でも・・・」
ナミタはトウマをちらりと見る。トウマはひとつ頷いた。
「俺ら、もう十分です」
「? 優勝はいいの?」
「賞金より大事なもの、分かりましたから」
トウマは目をつぶり、頭上を向く。
自らの身体を構成する細胞ひとつひとつが、古来、綿々と続く生命の歴史を綴る奇跡の一条であり、人類の歴史という巨大な営みの中に記された、己の名、漆原トウマの名が、決して必然のない混沌の世界に、穏やかな流れ、すなわち水、海、循環の中で意思をもって、時を刻み、生命のバトンを渡すことができる。奇跡の連続を後世に伝えていく、すなわち奇跡を感ぜられる今となっては、時雨ナミタ、親愛と幸福を伴侶として、力強く宣言せしめる心の所作にこそ、確かなものがあり、身体に暖かく、また、ずっしりと重く、触れるほど心静まる光とは、すなわち時であり、敬意をもって拝すれば、音の根、つまり言葉を賜ることで、常に覚え、また機会のごと拡張し、対話によって交差するほどに価値を高めていけるのだ。
そのように確信している。
「俺たちの日常を大切にします」
「そう」
・・・拍手。
慈雨はやむことなく地上に降りそそぐ。
「二人の前途に幸多からんことを。心からそう思うよ」
●エピローグ● 一切の悩みなく幸福に満ちたマン
イグニッション・ユニオンを終えて、故郷へ帰る二人。
彼らは、あまり悩まなくなった。
思考を定めた人たち特有の、早い時間が流れた。
秋。
トウマの元に、リンから手紙が届く。長い長い手紙だ。
正鵠を射たリンの知見のうちで、もっともトウマを喜ばせた文章を紹介しよう。
――過去よりもやっぱ未来! 未来のこと考えたら少子化ってよくない! 特にトウマくんたちみたいな田舎は特に。二人も子供をもうけましょう? 男の人は肛門のメスイキスイッチで女の子になるって知ってた?
トウマは目をつむり、幸福な未来を想像する。
静かに微笑む。
さあ、人類の未来に、君たちも想いを馳せてみよう。