最も相性が悪い相手
≪○○県の家出少女が、イグニッション・ユニオンに参加?≫
≪英コトミ 1○歳 ○○高校を中退 非行少女の実態とは!≫
≪非道な犯罪組織“AGAIN”が、少女を戦う奴隷として調教?≫
≪今話題の英コトミは、かわいい? ブス? 写真を独占入手!≫
インターネットに流れる下世話なニュースを眺め、アタシは静かにスマホの画面を消した。
「やっぱり、マスク被っておいた方がよかったんじゃないかい。偽名を使ったりとか」
涼やかな風が吹くログハウスのリビングで、ソウスケがアタシに声をかけた。
ここは、ソウスケが個人所有している隠れ家のうちの一つだという。
一つということは、こんな別荘みたいなところをいくつも持っているということだろう。
仲間内では一番付き合いが長いアタシでも、ソウスケがどれほどの資産を持っているのか想像もつかない。
「参戦前に話し合ったでしょ。“英コトミ”はここで消える」
アタシがこれまで“英コトミ”として行ってきた悪行は、消えることはない。
ならばいっそのこと、“AGAIN”の“英コトミ”という存在を、この大会で有名にしてしまう。そして、アタシ自身は顔も名前も変えて、誰も知らない場所に行く。
それが、大会前にソウスケと相談して決めたことだ。
この大会が終われば、私に帰る場所は無くなる。
寂しいような、すっきりするような、複雑な気分だ。
「心無いニュースが多いだろう。あまり、ネットは見ない方がいいよ。自分じゃ気が付かないうちに、ダメージを受けているものだからね」
「うっさいな。自己管理の範疇だから、好きにさせてよ」
我ながら、棘のある返事をしてしまった。
理由はわかっている。ソウスケに対する不信感だ。
前回試合に関する話は、ソウスケがアタシとの約束を守るということで終わった。
それはいい。あれが、ソウスケの考える最適解だったということはわかる。
仕方ないとは言いたくないが、終わったことをいつまでも引きずるつもりはない。
だが、ソウスケがアタシとの約束を守るとは思っていない。
コイツは殺人に抵抗がない。必要があれば、また人を殺すだろう。
なるべくソウスケの動向に目を光らせてはいるが、どこまで効果があるかは疑問だ。
そんなアタシの心中を知ってか知らずか、ソウスケは軽い調子でスマホを差し出した。
「わかった。それに関してはもう何も言わないよ。そうしたら、この動画見てくれる? この画面の中にさ、人が何人いるかな」
ソウスケが差し出したスマートフォンには、渋谷の光景が映し出されている。
動画の中には、白いワイシャツを着た女性が一人。アタシと同じくらいの年齢の女の子が一人。30歳くらいの男性が一人。
男性は、何もないところでナイフを振り回している。一体何をしているんだろうか。
「3人いるけど、それがどうしたの」
「だよねえ。僕も3人いるようにしか見えない。ということは、だ」
ソウスケが、口元に手を当てた。
「次の僕たちの相手は、この大会で最も相性が悪い相手だ」
Angels want to know the Devil.
それが愛ならば
生育化学脳研究所から流出情報。
【この動画の○○が見える人は、40%が脳に異常!?】
放置すると、死亡リスクが高まる!
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当社は本サービスに関し,本規約のほか,ご利用にあたってのルール等,各種の定め(以下,「個別規定」といいます。)をすることがあります。これら個別規定はその名……
「なげぇ~~~~!!!!」
ホテルの一室で黄色いスマートフォンを操作するニアヴが、叫びと共に画面を高速で連打する。
【はい】【同意する】【はい】【はい】【いいえ】【もう一度はい】……。
いくつもの説明文を華麗に読み飛ばすと、スマートフォンに一つの動画が映し出される。
それは、ニアヴたちが渋谷で【運命の機織り達(フェイトウィーバーズ)】と戦っている様子を、ドローンか何かで録画した映像だ。
“Duwitter”で拡散されているこの動画サイトでは、イグニッション・ユニオン第一回戦の動画が、全て無料で公開されている。当然、違法アップロードだろう。
公式サイトにも動画はアップされている。
しかし、視聴をするにはクレジットカードを登録する必要があり、ニアヴはそれを面倒くさがったのだ。
『何を見ているの、ニアヴ』
トレエが、ニアヴの肩越しにスマートフォンの画面をのぞき込む。
『あら、私達が映っているわ』
「私には、お前の姿は見えないけどな。私は脳に異常がなく、死亡リスクは高まらない。よかったねえ」
『何の話?』
「世の中の三分の二は、お前が言うところの悪ってことさ」
『ええっ、それはなんて悲しい事なのかしら』
理解しないまま嘆くトレエを相手にもせず、ニアヴはお目当ての動画を探した。
それは、次の対戦相手である“AGAIN”と、お相撲ブラザーズの戦闘動画だ。
トレエは、動画の中のコトミを指差す。
『結局この子は人質なのかしら』
「小さな問題だな」
『大きな問題よ。この子が悪にかどわかされているのであれば、私が見えるかもしれない』
「なるほど、確かにな。戦略上大きな……」
『だとしたら、かわいそうよ。助けてあげないと』
「予想を裏切らず、期待を裏切る答えだねぇ」
ニアヴがお手上げといった具合に、両手を上げた。
この天使につける薬はない。
『いいえ、ニアヴ。コトミだけの問題ではないわ。このソウスケと言う男、試合場にいない人たちを人質に取っていたんでしょう。私達も、善人を人質に取られたらどうするか、考えておかないと』
「無視の一手だな」
『そんな!』
「まあ聞け」
トレエの非難を、ニアヴが片手で制す。
「要求を聞けば、際限がなくなるぜ。無視が一番効く。私達にそういうのは通用しないと見せつけるのさ」
『見捨てるってこと』
「少ない善人を犠牲にするか、多くの善人を犠牲にするかってだけの話さ。同じ善人なら、犠牲は少ない方がいいに決まっている」
『悪魔的な発想ね。合理的なのはわかるけど。同じ悪だからわかることもあるのかしら』
「おいおい、悪魔のような人間と、人間のような悪魔を一緒にされちゃあ困る。私はあんなずるがしこいだけが取り柄の奴よりも、もっと短絡的で、もっと享楽的で、もっと快楽主義さ。スウィングだけが人生だ、ってね」
『それは、悪魔だからなのかしら。それとも、ニアヴが人間だった時からかしら』
「どうだったかなぁ。過去は振り返らない主義なんでね」
トレエが、ふと視線をニアヴに落とした。
『そう言えば、あなたはどうして悪魔になったの』
「おやおや、天使様がこのしがない悪魔に興味を持ってくれたのかい」
『ええ。私はニアヴに興味を持ったわ。だって、あなたは元人間で、地獄の……口に出すのもおぞましいあの存在と契約したんでしょう。人間が悪魔と契約する理由なんて、一つしかないもの』
トレエは、生まれてから二年しかたっていない新米天使だ。それでも、人間がなぜ悪魔と契約するかを知っている。
それは、身の丈に合わない何かを、渇望するときだ。
「あーは。そいつはプライベートな質問だな。パパラッチは、銃で撃たれても文句言えないぜ」
『まあ。酷いものに例えるのね。私はただ、あなたのことをもっと理解したいと思っただけだわ。改心させるためには、悪の根源を突き止めなければいけないもの』
トレエは、白詰ゆきと糸霧竜也の“絆”を思い出す。
『あなたの根源が愛ならば、それを改心させるのは、とても難しいことだと思ったの』
やるべきことを、できるだけ
「コトミ、概ね情報は集まったよ。やっぱり、頼れるものは集合知だよね」
ソウスケが、パソコンのディスプレイをアタシに向ける。
画面には、前回見た時と同じ、“現世からの余り物”と“運命の機織り達(フェイトウィーバーズ)”の戦いが映し出されている。
一つ違うところは、前回見えなかった天使の動きを、アバターが現しているところだ。
「アンケート作戦、うまくいったんだ。アクセスした人の特定とか、インタビューとか、3日足らずでよくできたね」
“生育化学脳研究所から~”と書かれた投稿も、違法アップロードの無料動画サイトも、ソウスケが作成したものだ。
SNSで天使が見える善人を選定し、動画サイトへのアクセスログから特定して接触、アンケートを取る。そうやって、天使の詳細な動きを把握し、3Dモデルに起こしたのだ。
SNSの投稿を狙ってバズらせるとか、相当難しいことだと思うが、どうやっているのか私には見当もつかない。
「僕には頼りになるお友達が多いのさ。面白いところからのアクセスも確認できたから、次の試合は有利に運べると思うよ」
「すごいね」
「お金さえ払えば、何でもしてくれるよ。コトミにも、連絡先を教えておこうか」
「いらない。アンタにはなるべく頼りたくない」
「そうか、残念。気が変わったら言ってね。Anytime.Anywhere.お待ちしてます」
ソウスケがウィンクをした。
気持ち悪い。
昔からずっと思っていたけど、コイツなんでたまに英語になるんだろう。
それが格好いいとでも思っているのだろうか。
「その、英語になるやつ。格好いいとでも思ってるの」
あ、口に出ちゃった。
「格好いいと思っているし、クセでもあるかな。生まれが外国なんだ」
「ふうん」
「はは、もう興味ない」
「まあ、ごめん。全然興味なかった」
ソウスケがハーフか何かだということは、なんとなくわかっていた。金髪だけど、全然根元が黒くならないし。だから、今更驚くこともない。
そもそも、ソウスケの生まれがどこだろうと、アタシにはたいして関係ない。
アタシが気になったのは、英語でしゃべるのが格好いいとマジで思っていたことくらいだ。
中学生かよ。
「さて、話を戻そう。相手の動きを見る限り、戦闘前に策を練るタイプじゃない。作戦を立てるのは戦闘中で、現状把握→相談→意思決定→行動って感じでサイクルを回しているね。臨機応変さがウリみたいだ」
「悪魔の方、無茶苦茶強くない」
「身体能力が高いだけだよ。練度はそれほど高くない。まあ、不死身だからごり押しで全然いけちゃうんだけど」
「で、天使は見えない」
「そう、そこが一番の問題なんだよね。攻撃も通らないし、防げない。天使が僕らを発見し、僕らがそれに気づけなかったら、何もできずに試合終了だ。天使の位置を把握する方法があれば、手はあるかもしれないんだけど」
「まあ……、今から善人になるってのは難しいかもね。お互い」
「善人って基準も、よくわからないからね。そもそも、キリスト教的に言えば、善は神しかいないし」
「人を傷つけないとか、嘘をつかないとか、そういうことじゃないの」
「嘘をつくことが優しさになることもあるし、それが善行とカウントされることもあるだろう。かなりファジーなんだよ」
「なるほどね。善人の基準は、神様に聞かなきゃわからないか」
「お、それいいね。改宗してこようかな」
コイツ、また適当なことを。
「で、もうなんか考えはあるの」
「うーん。まだある程度だけどね。ここから詰めていく段階かな」
「覚えてるよね。アタシとの約束」
作戦を立てるのはソウスケだ。そこにアタシが注文を付けるのは、筋違いとも思う。
でも、聞かないわけにはいかない。
ここで白黒はっきりつけなければ、アタシはソウスケを疑い続けることになる。
例え仮初でも、信用するためには言葉が必要なのだ。
「もちろん。コトミに相談をしないで、他人の尊厳を傷つけない。なんの恨みもない人を殺さない。必ず守るよ」
アタシの気持ちを知ってか知らずか、ソウスケは事もなげに答えた。
何を考えているのかわからない笑顔。アタシには、ソウスケの本心はわからない。
でも、ソウスケは守ると言った。
ならば、アタシもそれに応えないといけない。
「アタシは何をすればいいの」
「前回と同じような感じかな。ちょっと考えがあるから、安全なところにいてほしい。天使と悪魔は、二人とも僕が相手をするよ」
「それはさ、アタシが弱いからだよね」
ソウスケは珍しく、少し困ったように笑う。
「正直そうだね。コトミでは、ニアヴとトレエ、どちらが相手でも厳しいと思う。レオナルドの時は、ある程度手を緩めてくれるだろうという打算はあった。でも、今回の相手は容赦がない」
「アタシが下手に動かない方が、成功率は上がるってこと」
「はは、そんなに睨まないでよ。コトミがどれだけやれるかによる、かな。当然、コトミが戦えれば作戦の幅は広がるし、僕の負担は軽減される。でも、コトミがやられてしまえばそこで試合終了だ。リスクは高まる」
「じゃあ、そのリスクを減らす立ち回りを、試合までにアタシに叩き込んでほしい」
「コトミ、あんまり気負う必要はないよ。僕が上手いことやるからさ」
「そうしたら、ソウスケがきついでしょ」
ずっと考えていた。
人に嫌がらせをすることにかけて、ソウスケの右に出る者はいない。
人の心理を読み、最も動揺を誘う手を打ち、その隙をついて勝つ。それは、ソウスケの最も得意とするところだ。
それに制限をかけるということは、ソウスケからしたら飛車角落ちだ。
だったらアタシは、自分ができることを最大限こなさないといけない。
「アタシがソウスケに要求したんだ。だから、アタシがその分カバーする。それくらいしないと、フェアじゃないでしょ」
「……人を殺すなって要求がフェアじゃないとか、本当にコトミはいい子だなあ」
「ケンカ売ってんの」
「いやいや、感心したんだよ」
ソウスケの表情はいつもどおりだ。
でも、その声が少し弾んでいるように聞こえるのは、気のせいだろうか。
「わかった。不必要な努力はさせないよ。僕が、必ずコトミを仕上げて見せる」
悪魔のような人間と、人間のような悪魔
東京駅は、東京の表玄関とでもいうべきターミナル駅だ。
日本で最もプラットホームが多く、構内は地上二階から地下五階にまで広がっている。
赤レンガで組まれた丸の内南口の駅舎は、国の重要文化財にも指定されるなど、歴史的な意義も高い。
「あーっはっはぁ! Clickety‐clack! 暴力が参りまぁす!」
だからこそ、ニアヴは駅舎を楽しそうに半壊せしめていた。
改札を出ると戦闘領域外と判断されかねないため、わざわざコインロッカーやATMを放りなげて、ブロック崩し感覚で遊んでいる。
トレエは鏡文字で書かれた時刻表の看板に座りながら、ニアヴを呆れた目で見ていた。
(やっぱり、悪魔の口車に乗るべきではないわね)
トレエはニアヴから、この破壊行為は意味のあるものだという説明を受けていた。
曰く、もしも“AGAIN”が地下からスタートしていれば、会場自体を破壊して生き埋めにし、労せず勝利を掴むことができるとのこと。
実際、物質を透過するトレエと、不死身のニアヴがタッグを組んでいるのだ。それは理にかなった戦法だと、トレエも渋々納得した。
だが、戦闘が始まった瞬間、ニアヴは一目散に破壊しがいのありそうな丸の内南口駅舎へとすっ飛んでいった。
戦闘領域の端に位置するこの場所で、いくら破壊行為をしたところで、駅を倒壊させるなどできるとは思えない。
(結局、ニアヴが暴れたかっただけじゃない)
もう二度と悪魔に許しを与えないことを、トレエは静かに誓った。
「貴方たちが、ニアヴさんとトレエさんですね。すごく楽しそうなところすみませんが、僕と少しお話しませんか」
その声は、丸の内口改札とは反対方向。通路の奥から響いた。
ニアヴはすぐさま破壊活動をやめる。トレエは宙に浮き、周囲の警戒を怠らない。
コツコツと靴音を鳴らしながら、金髪の美丈夫は現れた。
その男は、黒色の修道服を着用し、首からは十字架を下げている。
手に持つ聖書の一部を宣いながら、片手で何度も十字架を切っていた。
ニアヴが、ぽかんと口を開けた。
「……お前、仙道ソウスケか」
「いいえ、僕は悔い改めたんです。これまでの生き方を反省して、教会に行き、洗礼を受けました」
ソウスケが、十字架を切る速度を上げた。
たくさん切れば、その分聖なる力が高まるとでも思っているのだろうか。
「今の僕は、フランシス仙道ソウスケです。紛れもない、善人オブ善人と言って過言ではないでしょう! トレエさん、もう貴方は恐れるに足りません!」
ソウスケが、勢いよく人差指を突き出した。
しばしの沈黙。
ニアヴが持つ黄色のスマートフォンから、静かに声が発された。
『……報告。ソウスケが指差す方向に私はいないわ』
こみ上げる笑いに耐えられず、ニアヴは腹を抱えて転がった。
「バカだ! バカがいる! ひーははは!」
「あ、やっぱり外れました? ヤマ勘じゃダメですねぇ」
ソウスケも笑いながら、修道服をそそくさと脱ぎ捨てた。服の下は、いつも通りのストリートスタイル。その変わり身の早さから、神への敬意は微塵も感じられない。
トレエは、不満げな声を漏らした。
『笑えないわ。彼は、神を道具としてしか見ていないじゃない』
「人間にとっては、神は道具さ。共同体を維持するために、必要な道具」
『なんて不敬な』
「まあ、その辺のことは置いておこう。問題は、英コトミの所在だ。ハートからは見えるか」
トレエは周囲を見渡す。だが、駅構内ということもあり、高所を取っても死角が多い。
『報告。姿は見えないけど、遮蔽物が多いから、隠れていたらわからないわ』
「ということは、今回の仕込みはコトミの方か」
『コトミを探す?』
「必要はないだろう。天使が見えない悪人が、目の前にいるんだからな。原案。私が仙道ソウスケの話し相手をしている間に、サクッとやっちまいな。それで、二回戦突破だ」
『意見。コトミが私の姿を見えていて、ソウスケの近くで反撃を狙っている可能性はないかしら』
「却下。コトミにハートが見えるなら、指差す方向くらいは指示できたはずだ。つまり、コトミも善人ではない。ハートに危害は加えられないぜ」
『……決定稿。行くわ』
「ねえねえ、僕を無視して面白そうな話をしないでくださいよ。仲間に入れてー」
ソウスケは、一本道の通路の中心にいる。
トレエは、剣を構えた。まっすぐ飛んで、心臓を貫く。それで、お終いだ。
ニアヴは、ソウスケの注意を引くため、返事を返す。
「あははぁ。顔がいいからって、いつでも女がホイホイ乗ると思うなよ。私は不死だが尻軽じゃあないんでね」
「ああ、そうか。3対1じゃあ、人数が合わないですもんね。では、名残惜しいですが、そちらのお二人にお帰り願いましょうか」
「いつだって退場するのは野暮な男と決まっている。バーに行って女を誘ってみな。つまみ出されるのはお前の方さ、ヒョロガリ野郎」
「バーにはあまり行かないんですよ。体が資本なもので。ブランデーで健康は買えないでしょう」
頭の痛くなる会話だ。トレエは、飛行速度を速める。
「違うんですよ。僕がお話したいのは、天使様だ。この場にいるんでしょ」
ピクリと、トレエが耳をすませる。
ソウスケは、滑らかな早口でぺらぺらとしゃべり始めた。
「僕はね、自分が善人だと思っているんですよ。善とはつまり、利他的な行動でしょ。僕は今、コトミのために行動しているんです。コトミのために人をいっぱい殺したり、人質を取ったり、たくさん苦労をしているのに、神様は全然認めてくれない。これはなぜか。僕はわかりました。神は公平ではない。自分に忠実な人間を、えり好みしているんですよ。だから、こんな愚かな間違いをするのです」
なんと自己中心的で、身勝手な物言いか。
トレエの心中に怒りが沸く。
ソウスケの話が真実だったとしても、それは利己的な利他だ。誰かを幸せにするために、誰かを傷つけるという自分勝手な行いは、まさしく悪の所業ではないか。
もはや仙道ソウスケは、目と鼻の先。この不愉快な演説を終わりにすべく、剣を構えたその時。
プチン、と何かが切れる音がした。
トレエが、音の方を見る。
いつの間に仕掛けたのだろうか。ソウスケを囲むように何本も張られた透明なワイヤーが、【弔悪】に触れて切れていた。
(でも、なぜ。悪は私に触れられないはず)
トレエだけならば、事もなげにすり抜けていただろう。
だが、それは悪によって張られた、天使を害するためのワイヤーだ。
一切の例外なく悪を断ち切る【弔悪】が、その悪意を見逃すことは決してない。
「今度は、間違いなくそこにいるね」
ソウスケが呟き、糸が切れた方向……そこにいるはずのトレエに向かって、煙幕手榴弾を投げる。
勢い良く噴出する煙は、通路を真っ白に覆った。
(なにも見えない)
無機物が天使の体をすり抜けるとしても、透視ができるわけではない。
視界を奪うことは、トレエに有効な数少ない手段だ。
標的を見失ったトレエは、かろうじて足音から、ソウスケが地下へ向かったことを察知する。
(いったん引く? いやでも、ここで逃がすのは……)
仙道ソウスケをフリーにしてはいけない。それは、ニアヴとの共通理解だ。
悩むトレエの耳に、聞きなじんだニアヴの声が届いた。
「トレエ、ソウスケを追え!」
携帯を使わずに伝えたということは、ニアヴにも何か非常事態があったのだろうか。
だが、後ろを確認すれば、ソウスケを逃がす。
トレエは、意を決してソウスケの後を追った。
トレエは気が付かなかったが、トレエの背後には一台のスマートフォンが落ちていた。
スマートフォンは“合成音声ソフト”を起動していたが、トレエが立ち去った後、本体ごと消失する。
ソウスケが能力で作成したスマートフォンだった。
「……クソ、どういうことだ」
煙幕が晴れる。トレエとソウスケの姿はない。
ニアヴは、不通になったスマートフォンを恨めしげに見ていた。
印鑑不要の現実
≪貴方たちが、ニアヴさんとトレエさんですね≫
アタシは、イヤホンマイクから聞こえるソウスケの声に耳を傾けた。
イヤホンマイクは、事前にソウスケが作成したスマートフォンに繋がっている。
ソウスケも同じ状態にしているので、お互いの状況は逐一把握できる。
「受け取る」
アタシは、能力を発動する。
受け取るものは、“ニアヴの携帯電話に関する契約の名義”だ。
同意は既に得ている。
ソウスケの、Dwuitterへの投稿。そこから動画サイトに飛ぶ時の利用規約。
その中には、「なお、接続した者が天使若しくは悪魔の場合、サイト管理者に接続端末の契約者名義を譲渡する」と言う一文が書かれていた。
ニアヴがDwuitterから動画サイトにアクセスして、利用規約を読み飛ばし、それをソウスケが把握した時だけ使えるという、ほとんどおまじないのような仕込みだ。
ソウスケがそういった“おまじない”を、どれほど仕込んでいるかは知らないけど。
ソウスケとの通話状態を切らないようにしながら、ニアヴの携帯を管理する会社にアクセスして、アタシ名義の携帯電話を全て解約する。
本来、【鏡の世界】は閉鎖空間だ。【現実世界】のインターネットにアクセスはできない。
それが可能なのは、現実の回線を使用せずにアクセスをする、ソウスケの“心覗の嗜み”で作成したスマートフォンだけだ。
ソウスケが煙幕を放った。
ニアヴが黄色いスマートフォンに向かって「ハート、一度合流するぞ」と言うが、それはトレエには届かない。
既に、そのスマートフォンは契約を解除されている。
「クソ。どういうことだ」
ニアヴが、完全に意識をスマートフォンに向ける。
狙うのは、その瞬間。
アタシは、ニアヴが暴れる前から待機していたキオスクのカウンターから飛び出した。
まったく、こういう時のソウスケの指示は、ムカつくくらい的確だ。
短絡、享楽、快楽
ニアヴが“それ”に気が付いたとき、もう回避は不可能だった。
上階のホームへ行くエスカレーターの脇に設置された、キオスク。
その中から、コトミがニアヴに向けて無反動砲を構えていた。
「そんなもんまで持っているのかよ」
コトミが引き金を引くと、後方から放たれたガスで、キオスクの商品が吹き飛んだ。
ニアヴは腹部にすさまじい衝撃を受け、そのまま壁まで後ろ向きに運ばれる。
視線を下げると、腹から巨大な杭が出ており、壁とニアヴを縫い付けていた。
ニアヴが再生することを見越しての、武器選択だろう。
「あははぁ、ちゃんと勉強してきているなあ。お嬢ちゃん」
「アンタは、ソウスケと天使を追いたいわよね。でも、アタシがそうはさせない」
コトミがキオスクのカウンターを乗り越え、丸の内北口方向の通路を背負う。
懐からニアヴに見せびらかすように、Wi-Fiのような機械を取り出した。
「これがある限り、アンタたちの“密接なコミュニケーション”とやらは、永遠に不通だからね」
「あはーは。電波妨害装置ってやつか。なかなかレアな物、持ってるじゃないの」
これは、コトミのフェイクだ。手に持つ機械は、秋葉原のジャンクショップで買った、なんの効果もないガラクタである。
だが、ニアヴはその機械が電波妨害をしているのだろうと、自然に信じ込んだ。コトミの能力は、物体の召喚をする能力だと誤認しているからだ。
コトミの能力が“権利”も受け取れるものだと知っているのは、現在のところソウスケ以外にいない。
ニアヴからわかることは、慣れないフェイクにコトミの手が緊張で震えていることくらいである。
「一生懸命二本足で立って、可愛いねえ。荒事に慣れてないのかい。そんな姿を見せられると、お前と夜の“密接なコミュニケーション”をしたくなっちゃうよ」
「そういう冗談、マジで気持ち悪い」
「つれないね」
(さあて、どうするか)
ニアヴは考える。
トレエが戻ってこないということは、ソウスケを追っているのだろう。
それ自体は、最上ではないが愚策でもない。どちらにしろ、トレエはソウスケを一方的に攻められるのだ。
それに、ニアヴは“コトミは善人ではない”と言う推測をしたが、それは確かな情報ではない。
であれば、今最も恐れるべきことは、ソウスケとコトミが連携してトレエに攻撃することだ。
(ハートがソウスケを、私がコトミを相手取るのが最良、か)
ニアヴは、一歩前に踏み出した。杭頭が腹を圧迫する。
それでもなお前に進むと、腹部から血を吹き出し、内臓を置き去りにしながらも、ニアヴは自由の身となった。
大きく空いた穴は、すぐに血液が蠢き、瞬く間に完治する。
コトミは、喉にこみ上げるものを何とか抑えた。グロに耐性はないのだ。それでも、無反動砲の照準は油断なくニアヴに向け続ける。
「まぁ、なんだな」
ニアヴは、ポリポリと頭を掻いた後、えいえいおーと右手を上げた。
「敷かれたレールの上を走る人生なんて、まっぴらだぜぇ。私は、私のしたいことをする」
「は?」
「やっぱり私はイケメンが好きってねぇ!」
ニアヴが叫びながらコトミに背を向け、ソウスケが消えた方向に走り始めた。
「なっ」
コトミが照準を合わせようとするが、ニアヴは細かくフェイントをかけ、捉えさせてくれない。
コトミからすれば、ニアヴはこちらの相手をしてもらわないと困るのだ。いくらソウスケと言えど、見えない敵と不死身の敵の二人に囲まれれば、流石に持たないだろう。
「ま、待て」
コトミが無反動砲を捨て、全力でニアヴを追いかける。
ぐんぐん距離を詰め、あとわずかでニアヴの肩に手がかかる、と言う時だった。
「いーよ」
ニアヴが、通常であれば不可能と思えるほどの急反転をした。
脚が複雑骨折をするほど思い切り地面に叩きつけたことで成せる、荒業だ。
(しまった)
コトミが、とっさに両腕で自分の体を抱く。強烈な衝撃。ニアヴのボディストレートは、コトミの体を易々と吹き飛ばした。
ゴロゴロと転がった後、すぐに立ち上がろうとするが、膝ががくがくと笑う。左腕が言うことを効かない。恐らく、折れている。
「言っただろう! 私は、私のしたいことをするって! お前たちの策に乗らず、お前をここで叩き潰すことが、私のしたいことだぁ!」
ニアヴがコトミをあざ笑う。恐ろしいほどのプレッシャーを、コトミは感じた。
(だけど、この感じは初めてじゃない)
人を食ったような言動。裏をかく大胆な行動。そういうやつを、コトミは知っている。
それに比べれば、ひどく短絡的で、ひどく享楽的な相手だ。
(大丈夫。アタシは動ける)
左手を動かす。まだ痛みはあまりない。もう少ししたら、死ぬほど痛くなるのだろう。
だったら、今はまだ大丈夫だ。
「出来るもんならやってみな」
精一杯の虚勢を張り、コトミは当初の予定通り、丸の内北口方向に走る。
「Bubblegum, Bubblegum, In a Dish! 私が鬼だぁ!」
ニアヴは、楽しそうにコトミを追いかけた。
無様
「ぎゃひぃぃぃ! い、痛いいいい! なんて、なんてひどいことをするんだぁ! この、天使の皮を被った悪魔めぇぇぇぇ!」
ソウスケの悲鳴が、水平型エスカレーターが設置された長い通路に響き渡った。
ソウスケは、肩口やわき腹など、体中に傷を作りながら逃げ惑っている。
トレエは、そんなソウスケの姿に困惑していた。
(ソウスケには私の姿が見えていないはずなのに、どうして倒すことができないの)
京葉線連絡通路は、決して広い道ではない。
だが、ソウスケはその中を恐ろしくランダムな動きで走りまわることで、致命傷を避けていた。
その様は、糸が不揃いの操り人形の如く。
(ああ、この気持ち悪い動き!)
極めつけは、声だ。
「神様ぁ! こんなことを許して良いんですかぁ! いくら僕が悪人だからと言って、痛めつけて殺すような真似をさせるんですかぁ!」
『ああもう、それはあなたが動くからでしょ!』
ソウスケには聞こえないことも忘れて、トレエが叫んだ。
ソウスケは、先ほどの滑らかな喋り方とは一転、ブタの悲鳴のような汚い声を出しながら、トレエを罵倒し続けている。
トレエは、もう完全に辟易してしまっているのだ。
『ええい、もう。今度こそ!』
トレエが、ソウスケの心臓を刺し貫こうとする直前、ソウスケがスマートフォンを操作する。
連絡通路の壁が、突然爆発した。粉塵が巻き上がり、トレエの視界がふさがる。
狙いが逸れて、ソウスケの太ももを【弔罰】がかすめた。
「ぴぎゃああああ! ゲボボボボ! もう、もうやめてくださいいい!」
『ケホケホ……。こんなもの、いつの間に仕掛けたのよ』
先ほどから、同じようなことが何度も起こっている。
ソウスケは、トレエが見えないにもかかわらず、まるで狙ったかのように煙幕、閃光弾などのトラップを発動させ、トレエに狙いをつけさせないのだ。
結果として、トレエの攻撃はソウスケの体に傷をつけるだけで終わる。
「助けてぇ! 人間を殺す天使だ! 悪魔のような天使が来るぞ!」
ずるずると足を引きずりながら逃げていくソウスケが、トレエにはわからない。
どれだけ逃げたところで、ソウスケがトレエを傷つけられないことは変わりない。いずれ力尽きて倒れるだけだ。
これほど無様な姿をさらしながら、一体何を狙っているのだろうか。
(やはり、時間稼ぎをしているだけなのかしら)
だとしたら、真の仕込みはコトミの方ということになる。
さっきから、ニアヴに電話がつながらないのも気になっている。地下だから圏外になっているだけだと思っていたが、これも策の一つなのかもしれない。
(ソウスケは放っておいて、ニアヴと合流した方がいいのかもしれないわ)
トレエの頭には、何度もその考えがよぎっている。
「あれぇ。追いかけてこないなあ」
ソウスケが、壁にもたれかけながら立ち上がり、見えていないはずのトレエに振り向いた。
そこには、平時とまるで変わらぬような笑顔があった。
「もう、僕は許されたんですかねぇ。天国に行くことができるんですかぁ」
トレエの背筋に、悪寒が走る。
どれだけ弱らせても、人を馬鹿にしたような、それでいて全てを見透かしているような雰囲気が崩れない。
これが、ソウスケを放置できないと思わせる、最大の理由である。
(そうか。似ているんだわ)
人を食ったような態度。底知れない迫力。そういう悪魔を、トレエは知っている。
「good results.」
ソウスケが、壁に取り付けられたステンドグラスに手を置く。
輝かしい未来を象徴する絵が、べっとりと血で汚れた。
悪魔は天使に何を見るのか
「Is there a bad boy? ははは! コトミは、ナマハゲって知ってるかぁい?」
エキナカのショップが立ち並ぶ区画を、コトミは左腕を押さえて走りまわる。
ニアヴは、もはや若干鼻歌交じりで、コトミを追いかけまわしていた。
「火炎放射で燃やしつくした! 液体窒素で凍り付かせた! 次はどんな贈り物をしてくれるのかしら、ダディ!」
ニアヴが、コトミにとびかかった。
コトミはそれに正対する。
「受け取るッ!」
コトミの目の前に、巨大な金庫が現れる。
ニアヴは、ジャンプした勢いのまま、金庫の中へと押し込まれる。
すかさずコトミが扉を閉め、ニアヴは中に閉じ込められた。
「これで、少しは……!」
ガコンガコンと、金庫の中から轟音が響く。ニアヴが、力の限り叩いているのだ。
だが、金庫は壊れない。僅かにひしゃげただけで、人が通るような隙間はできなかった。
相手が人だったならば、これで手詰まりだっただろう。
だが、ニアヴは悪魔だ。
ニアヴは、そのわずかな隙間から全力で体を押し出した。
当然、体は潰れていく。皮が、肉が、骨が押しつぶされる。
金庫からは血液と、その他の水分が混じったどろどろした液体が流れだした。
液体が蠢き、瞬く間に人間の形に戻る。
「いやあ、よくネタが切れないな。正直、感心してるよ」
「そいつはどうも」
拍手をするニアヴを、コトミは歯がゆそうに睨み付けた。
左腕の痛みが増してくる。初めての骨折は、想像を絶するほど痛く、脂汗がとめどない。
「アンタ、何企んでいるの」
コトミからの突然の質問に、ニアヴは眉を顰める。
「はぁ? いきなりどうした」
「なんか目的がないと、わざわざ天使と組んでまでこんな大会に出ないでしょ」
「おいおい、勘弁してくれ。その辺の問答は、前回やったんだよ。録画見てないのか。同じような展開をしたら、視聴率は下がる一方だぞ」
「戦いたいって欲望だけで動いてるってやつ? 信じられるわけないでしょ。悪魔が何の企みもなく、天使に手を貸すわけがない」
「お前、お前お前。私とハートのことじゃないな。誰のことを言っているんだ」
「……っ」
コトミが言葉に詰まる。ニアヴは、興が冷めたとばかりに肩をすくめた。
「まあ、親切な私が一つだけ忠告してやろう。悪魔と言うレッテルだけを見て判断するのは、ただのアホか、視野狭窄ってやつだ。私には、お前はアホに見えない。だとすれば、先入観があるんだろうよ」
レッテルを見て、相手を判断する。それは、コトミが最も嫌うことだ。
「事実だけを見てみるといい。そうすれば、自ずと真実が見えてくるぞ。それと、もう一つ」
ニアヴは、死角から放たれた毒入りの弓矢を、事もなげにかわした。
ニアヴが金庫に閉じ込められている間に、コトミが仕掛けたものだ。
「しゃべりで注意を引くには、お前はまだ青すぎる。一生懸命話しすぎて、自分の言葉じゃなくなってたぞぉ。こなれてないねぇ」
ニアヴが、ゲラゲラと声を上げて笑う。
「……アンタが、天使を見る目」
「あぁ」
「目よ。アンタが天使を見る目は、なんだかとても穏やかで、そう、そうか」
コトミは、ニアヴのその目に既視感があった。
悪魔が天使を見るその眼差しは、どこか居心地が良くて離れがたく、真意が読めずに気持ちが悪い。
その目は、ソウスケがコトミを見る目に似ているのだ。
「アタシには、アンタが悪魔だと思えないんだ」
それが、コトミがソウスケから離れられない、一つの理由だ。
ニアヴは、もう笑わなかった。
余り物の人生
全ての人を救いたいと思い、全ての人から慕われる女がいた。
博愛に満ちて、多くの人から愛される彼女は、聡明で美しかった。
彼女には一人の親友がいた。
全ての人に尽くす人生は、決して楽なものではない。彼女は、親友を心の支えとして、日々の勤めに励んでいた。
親友は、それが気に食わなかった。彼女を、自分だけのものにしたいと思っていたからだ。
親友は、その強欲が故に、生きながらにして地獄に落ちた。
その燃やし尽くすがごとき欲望は、やがて地獄の帝王の目に止まり、直々に契約するに至った。
親友は喜んだ。強大な力を手に入れたことで、彼女をあらゆる苦難から守り、自分のものにできると考えたからだ。
親友が地上に戻った時、彼女は死んでいた。
親友と言う心の支えを失った彼女は、糸が切れたように倒れ、全ての人に愛されながら、全ての人を愛して逝った。
彼女は全ての人のものとなり、親友はその余り物となった。
親友は余り物の人生を、その時々に快楽を求めて惰性で生きている。
天使とタッグを組んだのも、その底なしの善性に、少しだけ興味が沸いたから。
でも、それだけ。
それだけのはずだ。
天使は誰を救うのか
「天使様、まだそこにいるんですか」
トレエは京葉線のホームで、全身から血を流すソウスケと相対していた。
間合いを取り、【弔悪】を構えるが、それ以上の追撃をするつもりはない。
ソウスケは明らかに動きが鈍くなっている。致命傷はないが、血を流しすぎているのだろう。
このまま時を待てば、ソウスケは倒れる。
(ならば、これ以上深追いをすることはないわ)
ニアヴは不死身だ。まず、負けることはない。
ソウスケが死に体であり、トレエを傷つける手段がない以上、大勢は決した。
そうやって言い訳をして、これ以上ソウスケに近づきたくないと考えている自分に、トレエは気が付かない。
「いるなら、返事をしてくださいよ。寂しいなぁ。それとも、僕の話を聞いてくれる気になったんですか」
ソウスケが語る声は、場違いに流ちょうだ。とても、瀕死の人間とは思えない。
「ねぇ、天使様。僕は本当に、善と言うものがわからないんですよ。僕は確かに、興味があるとか、都合がいいとかの理由で、これまで何人も殺したり、傷つけてきました。効率よく金を稼ぐために、強盗団も組織した。面倒くさくなって、チームの連中を適当に放り投げた。今は、他人を傷つけないように詐欺師なんてやっていますが、過去の罪悪が大きすぎる。きっと僕は、許されることはないのでしょう」
当然だ。口にしても伝わらないから、トレエは思う。
そもそも、人からお金をだまし取ると言う悪事を“他人を傷つけないこと”と捉えている時点でもうダメだ。
この男は、魂から汚れきっている。
「でも、コトミは違う」
ソウスケの言葉に、熱がこもった。
「最初は、能力が目当てだったんです。コトミの能力は、詐欺の受け子として最上だ。適度に利用させてもらおうと思いましたよ。でも、しばらく一緒に働いて、気が付きました。コトミは、僕とは全く違う。花の名前を知って喜んだり、動物を愛でたり、タバコを吸うときはわざわざ喫煙所にいったり。人間として、何も壊れていない、そういう子なんだ」
天使の直観がトレエに教える。驚くことに、ソウスケの言葉は演技ではなかった。
ソウスケは、完全なる悪だ。それは間違いない。
だが、その口から出る言葉には、確かな慈しみがある。
他者の善性を慈しみ、それを守りたいと思う心が、善でなくて何だというのか。
「コトミは、誰かを傷つけたかったわけじゃない。自分らしくありたかっただけだ。なのに、コトミは追いやられた。最後は自分を傷つけるか、他人を傷つけるかの二択を迫られた。それでも、他人を傷つける選択をしたコトミは、許されざる悪なんですか。誰かを傷つけなければ救われない魂は、救われるべきではないんですか」
『……そ、そうよ』
戸惑うトレエの声が聞こえるはずもないのに、ソウスケはまるで応じるように続けた。
「だとしたら、人は誰も救われない。人間は生きている限り、必ず誰かを傷つける」
『そ、そんな。そんなの』
まだ生まれて2年程度の純粋な天使に、ソウスケとの問答は荷が勝ちすぎた。
この場に能弁な悪魔がいたならば、また話は違ったかもしれない。
だが、彼女と連絡を取る術は、今のトレエにはないのだ。
「天使様。貴方は、誰を救うためにいるんですか」
(どうしよう。どうすればいいの)
トレエはただ、立ちすくんでいた。
かったるいことは大嫌い
≪天使様。貴方は、誰を救うためにいるんですか≫
エキナカにある、ショッピングモール内。逃げ惑うコトミが持つスマートフォンのスピーカーから、ソウスケの声が流れ出た。
ソウスケとトレエの会話をニアヴに聴かせる。それが、ソウスケの指示だ。マイクは切っているから、コトミとニアヴの声はトレエに届かない。
「おいおい、ひどいことするねえ。動物を愛する少女に、なんの段階も踏まず屠殺場の映像を見せるが如き所業だ」
「そうね。アタシもひどいと思う。ごめん」
この展開は、事前にソウスケと打ち合わせをしている。
コトミは相手の心理を攻めるやり方が好きではないが、約束通り相談してきたこともあり、渋々了承した。
だが、実際に聞くとやはり辛い。
それと、口には出さないが、ソウスケがやたらと自分を褒めたり、ソウスケに話していないことがばれていたりするのが、とても辛い。
確かに、道で見つけた花の名前を調べるのは趣味なのだが、どうしてアイツが知っているのか。
「スピーカーにしたのは、私を動揺させるためかい。それはどうかねぇ」
言葉とは裏腹に、ニアヴの目がぎらついた。
あまりトレエのアイデンティティを揺らされると、次の戦いに支障が出る可能性がある。
速くキメるに越したことはない。
「だけどまあ、ご希望とあらば仕方ない。終結に向けて激しくしていこうかぁ!」
ニアヴが駆けた。コトミは、折れた左腕を上げようとするも、少し動かすだけで激痛が走る。
ニアヴが走ったままの勢いで、薙ぎ払うように腕を振る。コトミは体をひねるが避けきれず、もんどりうって倒れた。
「あっ!」
飛ばされた拍子に、ズボンのポケットから機械が零れ落ちる。
それは、コトミがニアヴに電波妨害装置と思わせたジャンクだ。
「おっと、こいつはありがたいお土産だ」
ニアヴが、落ちた機械を踏みつぶした。
「クソッ」
「よっし、これでスマートフォンも……?」
ニアヴが取り出した黄色のスマートフォンは、未だ不通状態にあった。
(電波妨害は、機械のせいではない)
(だとすれば、これはコトミかソウスケの能力)
(召喚ではなく、手に入れる能力? 他人名義の契約もか?)
(だとしたら……)
ニアヴは、コトミを見る。
コトミは、ショッピングモール内のテナントの一つ。きらびやかなお菓子屋の中に移動していた。
(このショッピングモールの契約も、コトミは手に入れることができるんじゃないか?)
「受け取るッ!」
コトミがその言葉を言い終わる直前、ニアヴはとっさに、近くの出入り口からショッピングモールを脱出した。
静寂が流れる。何も起こらない。
「あーは。お前の狙いは、リングアウトか」
「……バレバレ、か。ええ、そうよ。私が今いる、このテナント以外の全てを私有地にした。」
駅構内の敷地の一部を買い取り、そこを私有地として立ち入り禁止にする。
その場合、私有地となった敷地は駅と言えるのだろうか。
ニアヴがショッピングモールに足を踏み入れた瞬間、敗北が確定する可能性があるのだ。
「ずいぶん盛り上がらない“とっておき”だなぁ。そもそも、そんな理屈がまかり通るとは思えないんだがねえ」
「試してみればいいじゃん。どちらにしても、私に近づくためにはそれしかないもんね」
ニアヴからすれば、ほとんど勝ちの確定している戦いなのだ。そんなギャンブルをする必要性がない。
かといって、コトミの周囲が戦闘領域外の可能性がある今、ニアヴはコトミに近づけない。
ここからできることは、地道に投石などで削るか。駅構内を崩落させるかといったところか。
どちらにしても、確実に長期戦となる。
「あーは」
ニアヴは、かったるいと思った。
「めんどくせ」
ニアヴが、拳で自らの頭を砕いた。
ニアヴの全身が血液に代わり、血だまりだけが残る。
そうして、後には静寂が残った。
コトミは、ゆっくり一息をつく。
痛む左腕を気にしながら、イヤホンマイクに語り掛けた。
「予定通り、そっちにいったわよ。ソウスケ」
コトミはショッピングモールの契約権を受け取っていない。
例え契約権を受け取ったところで、駅は旅客会社の所有する建物である。
その中の一部が戦闘領域外になるなど、そんな理屈はまかり通らない。
ニアヴの予想は、当たっていたのだ。
「本当に、ムカつくくらい的確な指示を出すわね」
ニアヴも、臨機応変な判断力は高かった。
だが、ソウスケはニアヴの判断力も加味した上で、作戦を立てた。
事前に計略を巡らすことに関して、ソウスケの右に出る者はいない。
人間と、悪魔
京葉線のホームにリスポーンしたニアヴが、目の前にいるソウスケに渾身の前蹴りを放った。
「Woo-hoo!!!! ヒーロー参上だぁ!」
ソウスケはとっさに後ろに飛ぶが、勢いを殺しきれない。
ゴロゴロと転がりながら、自動販売機にぶつかって止まり、大量の血反吐が出る。
「あっははぁ。ずいぶんまずそうなトマトジュースだこと」
『ニアヴ! どうしよう、私どうしたら……』
「多分ハートはピーチクパーチク言ってるだろうが、私達の携帯は使えない。話し合いはできないから、このままソウスケを畳んじまうぜぇ」
「ガ………ハッ……」
「っても、もう虫の息か。このまま放っといても死にそうだ。こっちに来る必要もなかったかな」
あまりの失血に目がかすむというのは、ソウスケにとっても初めての経験だった。
内臓を損傷したのだろう。喉からはとめどなく血反吐が迫ってくるし、ひどい頭痛が止まらない。
死は近い。それを、ソウスケは感じ取っていた。
だが、ソウスケの頭は冷静だ。むしろ、普段より冴えているようにすら思う。
「ニアヴさん……。やはり……、貴方は、僕とは違う……」
「あん?」
ソウスケは、もはや体を起こすこともできない。
だが、その口は止まらない。
「僕は……、人の嫌がることをするのが……、得意なんです。貴方は、ガハッ! 自分の……好きな事をする」
「それが、どうした」
「僕が貴方だったら……、絶対にこっちには来ない……。トレエさんは、まず負けないんだ……。長期戦になろうが何だろうが、コトミをゆっくり殺すだけでいい……」
「はっはぁ! 私は、かったるいことが死ぬよりも嫌いでねぇ! まあ、死ぬのもそんなに嫌いじゃないが!」
「そんなに、天使様が心配でしたか?」
「はぁ、なにを……」
ニアヴは鼻で笑おうとして、できなかった。
確実な勝利のためならば、素直に投石か何かでコトミを削ったほうが良い。それは間違いない。
わざわざ状況のわからない戦場に、危険を冒してくる必要はないのだ。
ならば、なぜここに来たのか。
「まあ、そんなことは……、僕はどうでも……いいんです。本当に安心した……。攻撃が来なくなった……から、心配だったんですよ……」
ソウスケは、懐からスマートフォンを取り出した。
トレエは、京葉線連絡通路の爆発を思い出す。
また爆弾だとしたら、無意味なことだ。
トレエに攻撃は通らないし、ニアヴは不死身なのだ。
ここで爆発が起こったとしても、ソウスケが生き埋めになるだけだと、そう思ったとき。
トレエに、強烈な違和感が走った。
先ほどの爆発で、自分は何をした。
舞い散った埃に、咳き込んではいなかったか。
「ニアヴさんがここに現れたということは、天使様もいるんですね」
『ニアヴ、押させないで!』
その声は、届かない。
「We look forward to serving you again.」
爆発音が轟いた。
善人の使い方
戦闘開始の一日前。
アタシとソウスケは、東京駅にいた。
「次の戦闘場所は駅ということだけど、東京都内である程度の広さがあり、渋谷や池袋などの戦闘場所と被っていないところは限られている。知名度も考えると、東京駅が舞台になる可能性は極めて高い」
「だから下見ってことよね。わかってるよ」
「帰りはどこでディナーにしようか」
「え、ヤダよ。アンタとごはん? ヤダよ……」
「僕ら、もう二年の付き合いなのに」
「……缶コーヒーくらいならおごってやるよ」
ニアヴの性格を考えると、真っ先に壊しに来るであろう丸の内南口。
アタシのハッタリに使えるエキナカのショッピングコーナーなどを見ながら、京葉線連絡通路へ向かう。
「で、今回はどうすんの。正直、アタシには全然勝ち筋が見えてないんだけど」
「うん。その説明も兼ねて、今日はここに来たんだ」
ソウスケが、懐から携帯電話を取り出した。その画面には、大きく【起爆】と書かれたプッシュボタンが表示されている。
「結論から言おう。狙うのはトレエだ。善人を使って駅を爆破して、それで倒す」
「……え? は? え?」
「大丈夫。順を追って話すよ」
ソウスケの説明はこうだ。
まず、前回の試合を見る限り、トレエは白詰ゆきによる攻撃だけではなく、白詰ゆきが起こした災害の余波でもダメージを受けていた。
つまり、善人による行動の結果ならば、トレエに対する害意がなくても、トレエにダメージを与えることができるということだ。
また、試合中は【現実世界】と【鏡の世界】は干渉できないが、試合前ならば【現実世界】に置いたものを【鏡の世界】に反映させることはできる。
それは、第一回戦秋葉原で、駐車していた車が反映されたことから明らかだ。
この二つの前提により、「試合前に【現実世界】に仕掛けた爆弾は、【鏡の世界】に反映する」「その爆弾を善人が仕掛けることで、【鏡の世界】にトレエを倒すことが可能な爆弾が出来上がる」という仮説が成り立つ、とのことだ。
「これは、あくまで仮説だからね。できれば当日、効果測定をしたい。爆弾で砂ぼこりを起こして、天使の姿を浮き上がらせるとかね。まあ、方法は考えるよ」
「……いやそれって、【現実世界】の東京駅に爆弾を仕掛けるってことでしょ。しかも、それを爆発させるってことでしょ。マジのテロじゃん」
「大丈夫。起爆には、僕が作ったものではない普通のスマートフォンを使う。【鏡の世界】から発信された電波は、【現実世界】に干渉できない。【現実世界】では、爆発は起きないんだ」
「だとしても、どうやってトレエが見えるようないい人を見つけるの。その上、爆弾を仕掛けてくれなんて、いくら頼んでもやってくれないでしょ」
「善人は、例の動画のアクセス履歴で特定している。既に、天使による電磁波の影響を調べるボランティアと言う名目でアポを取っているんだ。試合開始直前、東京駅の指定した場所に、これを置いてもらう」
ソウスケが、持っているバッグからレターパックを取り出した。
「中身は、小型の爆弾さ。試合が始まって10分ほどしたら、回収して指定のポストに投函するよう指示してある。レターパックのあて先は、僕の隠れ家だ。これで、【現実世界】の爆弾は回収しつつ、【鏡の世界】には爆弾が残る」
「ボランティアが封筒を開けちゃったらどうするの」
「そこは、善人の善性を信頼するしかないね」
「それに、爆弾を持っているときに警察に見つかっちゃったら、捕まったりとか……」
「善人が、実際に爆弾を持っている時間は少ない。捕まるリスクは低いと考えているよ」
「そもそも、誤爆の可能性とか……」
「コトミの、できるだけ人を巻き込みたくないと言う思いはわかるよ。そういうところ、僕はすごく好きだ。でもこれがコトミとの約束を守りながら、僕が考えられる一番勝率の高い方法なんだよ」
確かに、ソウスケからしてみれば、かなりアタシに気を使っているのだろう。
この男はその気になれば、【現実世界】の東京駅を吹き飛ばせるだけの爆弾で、駅にいる人間全員を人質にしかねない。
ソウスケは、目的を達成するためならば、手段を選ばない男だ。
結局、アタシに代案が思いつかない以上、約束を守ると言ったソウスケのことを信用するしかないのだ。
(ソウスケを信用するとか)
そんな最悪の手段しかないことに、笑えてくる。
「……どうせ、うまくいかなかったときの別案もあるんでしょ」
「流石コトミ。僕のことをよくわかっているね」
「わかった。これ以上文句は言わないよ。でも、絶対誤爆だけはしないようにしてよ」
「もちろん。天使様に誓うよ」
「それを明日倒すんでしょ」
はは、とソウスケが笑った。
アタシたちは、京葉線ホームにたどり着いた。
「ここの天井を破壊して、トレエを生き埋めにする。コトミはイヤホンマイクで僕との通話を保ち、安全な場所で待機するんだ。僕はトレエを釣っているから、合図をしたら引っ張ってくれ。事前に、コトミの好きなように僕を使う事を承諾しておくよ」
「いや、物じゃないんだから。……合図は、なんにするの」
「ああ、それはもちろん」
事実の中に、真実がある
≪We look forward to serving you again.≫
イヤホンマイクからソウスケの声が聞こえた瞬間、ソウスケを“受け取る”。
ソウスケが目の前に現れると同時に、遠くから轟音が響いた。
「ふう、お疲れ。うまくやれたの、ソウ……!」
ソウスケの姿を見て、アタシは息を飲んだ。
全身が血まみれで、顔面は蒼白だ。血はとめどなく溢れ、呼吸も浅い。
既に死んでいると言われても、信じてしまうような姿だった。
「ちょっと、アンタ! だ、大丈夫なの!」
「あー、ヤバい……かな。内臓もやっちゃってるっぽい」
「ま、待ってて!」
腰につけたスカーフを、ソウスケの傷に巻こうとする。でも、アタシも左腕を骨折しているから、うまく巻けない。
そもそも、傷口が多すぎる。こんなの、一つや二つ塞いだところで、どうにもならない。
「あ、コトミ、腕折れてるじゃないか。痛かったでしょ。頑張ったんだね。えらいよ」
「いや、今そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! ああ、もう……」
少しでも出血を抑えるため、一番深い太ももの傷に片手を当てて、全体重をかける。
ソウスケのあまりにも低い体温に、鳥肌が立つ。
(これが、死か)
棺の中で目を瞑るおじいちゃんの姿が、脳裏をよぎる。
歯の根が合わない。よく知る人が死へと向かっているという実感が、これほど怖いものだとは思わなかった。
なのにソウスケは、いつもと変わらず軽口を叩く。
「あと、ごめん。聞こえていたよね。トレエをこっちに引き付けるためとはいえ、コトミのこと勝手に話しちゃった。気分悪くしてないかな」
「そんなの、どうでもいいよ」
「はは、そうだね。僕が死んじゃったら、優勝できなくなっちゃう」
生き返ることはわかっている。でも、そういう問題じゃない。
痛いに決まっている。苦しいはずなのに。
コイツは本当に、どうしてここまでするのだろうか。
――――事実だけを見てみるといい。そうすれば、自ずと真実が見えてくるぞ。
ニアヴの言葉が、頭の中で回る。そんなはずがないと否定しても、一度浮かんだ考えが、頭から離れない。
そもそもの話だ。
ソウスケは、数多くの土地を持っている。
いくらでも武器を買えるだけの財力がある。
詐欺の腕も良い。ひと月に1000万以上稼いだこともあった。
5億円なんて、ソウスケには大した金額じゃないんじゃないか。
(じゃあ、コイツはなんでこんな大会に参加しているの)
多くのリスクを背負って、多くの資金を使って、勝とうとしているのはなぜか。
こんな傷だらけになってでも、戦っているのはなぜか。
アタシが、毎回軽傷で済んでいるのは、なぜか。
大会参加前の会話が、アタシの脳裏をよぎる。
――――ソウスケ、別に金に困ってないじゃない
――――コトミは困ってるでしょ。
信じられない。だけど、それですべて説明がついてしまう。
「ソウスケ、アンタ」
今聞くことではないのかもしれない。
でも、抑えられなかった。
「アンタ、本当にアタシのためだけにこんなことしてるの」
ソウスケは一瞬目を丸くした後、血の気のない顔を笑顔に変えた。
それは、いつものソウスケの顔だ。
「信用する気になってくれたかい。嬉しいなあ」
なんでこんな瀕死の状態で、いつも通りの顔が作れるんだろう。
意味が分からない。
気持ち悪い。
最善を尽くすということ
「ハート! ハァァート!」
天井が崩落したプラットホームで、ニアヴは叫んでいた。
瓦礫をどかそうにも、トレエの姿はニアヴには見えない。下手をすれば、ガレキごと吹き飛ばしてしまう可能性もある。
スマートフォンで連絡を取ることができない以上、ニアヴはトレエに呼びかけるしかなかった。
(そんなに叫ばなくても、聞こえているわよ)
トレエは瓦礫の下で、やけに冷静にそう思った。
手足が潰れている。お腹にも何か突き刺さっているようだ。
脳内麻薬が出ているのか、痛みはない。しかし、腹部に感じる強烈な異物感は、すぐに力尽きるだろうと思わせるに十分だった。
もはや瓦礫を押しのける気力も無く、トレエは思考の海に沈む。
(なんだか、よくわからなくなっちゃった)
ソウスケは、完全な悪だった。それでも、その言葉には確かな善性が宿っていた。
彼は、例え善なる存在であっても、生きている限り誰かを傷つけると話した。
誰かのために善を成す悪がいれば、やむを得ず悪に染まる善がいる。
天界のルールは簡単だ。天使が悪を裁く。話はそれで終わる。
だが、人間界は違う。彼らの世界は、複雑なマーブル模様に染まっており、それは単純な二元論では収まらない。
善悪の天秤があまりにも容易に傾くこの世界で、天使は何をすればいいのか。
トレエには、わからない。
「トレエ!!!」
深く沈みそうになった意識を、悪魔の予想外の大声が引き戻した。
名前を呼ばれたのは、初めてだ。
「まだ死ぬんじゃねえぞ! 私達は勝つんだろ! 相棒なんだろ! なんか悩んでるかもしれないが、とりあえず勝てば官軍だぞ! 面倒くさいことは、勝った後に考えろ! 絶対死ぬなよハートォォォ!」
なんという言い草だ。トレエは、姿の見えない悪魔に、ため息をつく。
だが、その言葉は意外なほどすんなりと、トレエの中に入ってきた。
(そっか。後回しにしてもいいんだ)
難しいことは後回しにして、今やるべきことから目を背けない。
それが、最善を尽くすということだ。
(今だけは、私と同じ目的を持つ友達の声に耳を傾けよう)
トレエは、歯を食いしばる。
死んでなるものか。
決着
トレエとソウスケは、二人とも瀕死だった。
どちらも、後数分と持たない。
勝利へのモチベーションは互角。
ならば、勝敗を分けたのは。
――――ニアヴは、見えないトレエに叫び続けた。
――――コトミは、ソウスケの傷を押さえ続けた。
死亡:トレエ・A・ハート
死因:内臓損傷による失血死(なお、その46秒後に、仙道ソウスケが失血死)
イグニッション・ユニオン
第二回戦 結果
戦闘場所:駅
勝者:“AGAIN”
友達
蒸し暑い雨の中、蓮の花が咲く湖のほとりには、遊歩道が設置されていた。
しとしとと濡れそぼる道を、ニアヴは傘を広げながら、トレエはその傍らに付き従うように歩く。二人の手元には、スマートフォンがある。
トレエの体を、雨は濡らさない。
だから、ニアヴが傘をトレエ側に傾けるのは、ごっこ遊びのようなものだ。
『天啓を達成できなかったわ……』
「ハートが死んだせいでな。私は、何度殺されても生き返ったっていうのに」
『何回でも死ねる方がおかしいのよ。命を大切にしなさい』
「あーは」
軽口を叩くニアヴに、トレエは不満げに唇を突き出す。
「まあ、私は十分に楽しめたから、特に文句はないな。賞金は惜しいが、金を稼ぐ方法なんていくらでもある。それじゃあ、この辺で。もう会わないことを祈ってやるよ」
『何を言っているの』
「優勝はしていないが、サービスだ。契約は解除、タッグは解消。私達は、ただの天使と悪魔に戻る。これにて一件落着だ」
『それは、ニアヴの都合だわ』
「……なんだって?」
ニアヴが眉間に皺を寄せる。
『私は天啓を達成できなかったけど、ニアヴの改心を諦めたつもりはないわ。だって、ソウスケのような人間ですら、僅かな善性を持つことができるのよ。だったら、悪魔だって改心できるはず。私は、なんだか自信が沸いてきたわ』
「おいおい、それこそお前の都合だろう。私は、そこまで付き合う義理はないぜ」
『義理ならあるでしょう』
トレエは、ニアヴの目を覗き込んだ。
ニアヴには、トレエの姿は見えない。
『私たちは、わかりあえなくても友達だった。だったら、これからわかりあうことで、また友達になれるはずよ』
それは、はにかみながらおもちゃをおねだりする、子どものような声だった。
無理を言っていると知りながら、それでも聞いてくれないかと言う期待を寄せている。
『やっぱり、ダメ……かしら』
悪魔にこんな声を出す天使がいてたまるか。
ニアヴは、とてもこらえきれず、笑いを吹きだした。
「あーはっはぁ! やっぱり、ぜーんぜん似てないな!」
『え、え、なに。何の話』
戸惑うトレエに、ニアヴが肩をすくめる。
ニアヴのかつての親友は、これほど傲慢ではなかった。
「ま、これはこれでいいか」
ニアヴとトレエは、ごっこ遊びをしたまま、一緒に歩き続けた。
アンタの話を聞かせてほしい
雨の中、ソウスケが運転するバイクは、海沿いの東屋に到着した。
アタシはタンデムシートから降りて、激しい振動で痛めたお尻を伸ばす。
屋根の下だけど、またすぐに移動するかもしれない。カッパは着たままにしておいた。
「警察、前回よりも増えてたね。次回はどうやって逃げようかな」
ソウスケは、雨具も使わずびしょ濡れの状態で、次回の脱出ルートを考えうんうん唸り始めた。
でも、アタシはそんなことより、ソウスケと話したいことがあった。
「あのさ、ソウスケ。試合中のことなんだけど……」
「ん、なんだい。コトミの話は何でも聞くよ」
「あの、あれ。全部アタシのためってやつ」
「うん。そうだよ。僕は、コトミの役に立ちたいのさ。コトミがお金を受け取ってくれれば、僕が全部出資してもいいんだけど、コトミはそういうの嫌いだろう。だから、なんとしても優勝したいね」
「い、いや、あのさ」
アタシのためだけに、あんなたくさん武器を買ったり、情報を集めたりしているのか。
なんか、貢がれている感じで落ち着かない。
「なんでアタシのためなんかに」
「コトミのことが大好きだからだよ」
「どこが……」
「いっぱいあるよ。素直なところ。僕に、いつも真っ直ぐ向き合ってくれるところ。喫煙所でタバコを吸う倫理意識の高さ。お年寄りをだましていると気分が悪くなる優しさ。嫌いな人間にも、自分からケンカを吹っ掛けない思慮深さ。なんだかんだ自分を大切にしているし、箸の持ち方がきれい。字もきれい。散歩している動物を思わず目で追っちゃう。時々横断歩道の白いところを歩いている。鉄柵の隙間に指を入れてダダダダッてやる。クールキャラを保つために、爆笑を我慢している。総括して純真さが素敵。ハードロックが好きそうな空気出してるけど、おじいちゃんの影響で歌謡曲も聴く。あとは……」
「ききき気持ち悪い! もういいもういい! わかったからやめて!」
「はは、まだまだ言えるのに」
どんなことを言っても、ソウスケの表情は変わらない。
変わらないから、気持ち悪いと思えた。何か企んでいるんだと、ずっと思っていた。
でもそれは、アタシがソウスケのことをちゃんと見ていなかったからだ。
アタシもソウスケに、“クズの極悪人、仙道ソウスケ”というレッテルを貼っていた。
アタシがされて一番嫌だったことを、アタシ自身がしていたんだ。
「ソウスケ。アタシさ、アンタのことを全然知らなかったみたい」
「そうかい。僕のことをここまで知っている人間は、この世にコトミしかいないと思うよ」
「ううん。アタシには、ソウスケの言っていることが嘘か本当かわからない。それは、今までソウスケの話をちゃんと聞いていなかったからだ」
こんな悪党と関わりたくないと、どこかで思っていた。
でも事実として、アタシに一番協力してくれているのはソウスケだ。
アタシは、ソウスケを知りたい。知った上で、信用できるかどうかを判断したい。
「今までごめん。アタシは、アンタのことを知りたい。だから、アンタの話を聞かせてほしい」
ソウスケは目を逸らさない。しばらく見つめ合った後、ソウスケがため息をついて、頭を掻いた。
「少し長くなるけど、いいかい」
「嘘はつかないでね」
「コトミに嘘はつかないよ」
ソウスケは、自分のことをゆっくりと話し出した。
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「DANGEROUSネットニュース 新着1時間前 東京駅に爆弾? 犯罪グループ“AGAIN”の蛮行」
「Duwitter 新着40分前 ≪ふじRIこ≫さんがツイートしました:私もあのバズってた動画みたー! “AGAIN”の仕業だったってこと?」
「傍受メール≪○○警察署宛≫ 新着5分前 イグニッション・ユニオンに出場している、英コトミの父です」