第一回戦第四試合 池松叢雲
採用する幕間SS
なし
試合内容
――【22:00 芦屋ビル7F 『芦屋会事務所』】
武装陰陽師『芦屋会』とは、現在の関東でもっとも勢力の強い指定暴力団のひとつである。
京都を追放された陰陽師たちが武装蜂起した《2004陰陽大戦》の残党であり、芦屋道明を会長として強い結束を誇っている。
ここはとある繁華街にある、そんな彼らの事務所だった。
「さっすがヤクザ。こんなものまであるんだ」
がしゃがしゃがしゃっ、と、連続してフラッシュが瞬く。
小宅麗智奈は事務所のロッカーを撮影しながら、鼻歌でも歌いだしそうにつぶやく。
「ねえ、あんたら、ロケットランチャーとか持ってない?」
「ふ、ふざけんな……クソガキっ」
この夜、もっとも不運なのはこの男かもしれない。
小宅の足元に転がされ、手錠とロープで拘束された、一人の男がうめき声をあげた。おそらくこの事務所の構成員であろう。
「た、ただじゃおかねえぞ……こんなことしやがって……!
京都のモンか? それとも他の組か? なんの目的があって……」
「そうそう、それ。賞金も気になるんだけどね」
『目的』、という単語に、小宅は男を振り返った。その間も、撮影の手は休めない。
同じ被写体を何枚も何枚も、執拗に撮影し、現像をし続ける。
「池松叢雲。あいつには何かあると思わない? これは勘みたいなものだけど」
「い……池松……? 誰だそりゃあ……」
「急に姿を消した男が、急に現れる。
あいつの方こそ、何か『目的』があって動いてるんじゃない?」
小宅にとっては、どうやら男が何を答えようが関係ないらしい。無視して独白のような言葉を続ける。
「これは入念な取材が必要だと思うわけ。 池松の背後には、何かがある……と。
すごい。これ、機関銃じゃない? ラッキー」
「くそっ…… 覚えてろよ、クソガキ。絶対ぶっころす……!」
「やめといた方がいいよ。今夜の私はツイてるみたいだから」
――【22:10 メインストリート『白波モール』】
どこか遠くで、花火のような音が響いていた。
それを聞きながら、ひとりのジャージ姿の少女が、ふらりと車道に歩み出る。
その仕草は、あまりにもさりげないように見えた。
「アーーーー…… 本当は、何でも、誰でもよかったンダけど」
その足元の影は暗く、そして濃い。
「もうちょっと様子をみていよウかと思ったんだけド」
一台のバイクがあわててハンドルを操作し、危うくその少女を避ける。
だが、次の車はそうはいかない。
「楽しそうデ、我慢できなイ!」
クラクションが鳴り響いたが、その少女は避けるどころか、大声をあげて立ち止まった。
そして、暗い目つきで突っ込んでくる軽自動車を見つめ、笑っただけだ。
「邪魔だヨ。ヰ・ソノ君、よろしク」
避けるべきなのは、軽自動車の方であった。
突如として横合いから伸びた虹色の触手が、軽自動車をいとも簡単に吹き飛ばしている。
運転手には声も無く、まっすぐ吹き飛ぶ――騒然となる雑踏の中、ひとり腕を組んでいる、鳥面の男に向かって。
「Cooooo――」
風変わりな呼吸音。そして、鳥面の男は一歩を踏み出し、回し蹴りを放つ。
「覇ッ(hat:帽子という意味の英語)!」
轟音が響き、アスファルトが砕けた。
吹き飛ばされてきた車は火花と煙を吹き散らし、ボンネットを粉砕され、地面に打ち付けられて止まる。
運転手はエアバッグにうずもれる形で、どうやら命だけは取り留めたらしい。
鳥面の男、池松叢雲は、もはやそちらを無視して一歩踏み出す。
「いきなりだな。自己紹介もないのか?」
「ア、そういえバ」
車を吹き飛ばした少女は、ゆっくりと這って来る触手を迎えながら応じる。
「はじめましテ。私は熊野ミーコ。こっちはヰ・ソノ君」
『てけり・り!』
虹色の巨大な触手が、奇怪な鳴き声をあげる。周囲の人々が絶叫をあげながら逃げ始めている。
池松は軽く首を振った。
「Nice-to-meet-you(初めましてという意味の英語)。
……やれやれ。そっちの触手は発音の基礎から始めねばならないようだな」
「噂は聞いてるヨ、池松叢雲。英検四十段の男」
熊野ミーコは池松を興味深そうに眺めながら、足幅を広げ、戦闘態勢に構える。
虹色の触手がざわついて、背後から熊野を抱きかかえるように――あるいは守るように蠢く。
「一度、手合わせしたみたかっタんダ。いますぐいいかナ?
っていうカ、いいかナ? よくなくテも、やっちゃうんだけド?」
「どうぞ」
池松は片手を差し出し、手招きするような仕草で答える。
「構わん(come-one:「構わないからいつでも来い」という意味の英語)」
「そうこなくちャ!」
『いあ!!!』
言った瞬間、熊野ミーコの姿が消えた。
そして、虹色の触手が激しく鳴き声をあげ、伸縮して池松を襲う。
「正面からとは」
池松は伸びる触手をステップでかわし、あるいは、打拳で弾く。
「そういう手合いとやるのは、久しぶりだ。
面白い(on-moss-ill-loy:「面白い」という意味の英語)!」
打拳で弾かれる際に池松の腕を捕らえようとする触手だが、撃たれると一瞬だけ硬直してしまい、紙一重で逃す。
――経絡を、英語が走っているのだ。
経絡(K-lack)とは、人間ならば正経にして十二、奇経にして八と言われる。
この流れを乱されると運動機能に障害が生じ、そうでなくても外的な衝撃を受ければ痺れが起きる。
池松は接触時に英語を流すことで、軟質なヰ・ソノ君の触手を弾いているのである。
「そして」
池松は触手を弾きながら、背後を振り返る。
「中国系英語か。リーの技に似ている」
「……チッ! TK・L・リー先生は、私の師父だヨ」
虚空を舞うように動いた池松の腕が、不可視の衝撃を受け止める。
透明化した熊野ミーコの、背後からの全力の回し蹴りであった。
「やっぱリ、気配でわかルの?」
「聞こえるだけだ。お前の放つ英語が……闇夜の中に、はっきりと」
答える池松の目は、確かに透明化したはずの熊野ミーコを捉えているようにしか思えない。
かえって鍛えているがゆえに、身についた英語が池松にその存在を知らせてしまっている。
(だったラ!)
熊野ミーコは蹴りを受け止められながら考える。
やりようはある。それを確かめるために、わざわざ正面からこの能力を使って見せたようなものだ。
しかし、まずはこの至近距離で、池松の英語から逃れなければ――
果たして、幸運は熊野ミーコに味方した。
その一瞬、爆撃じみた音が連鎖的に響き渡った。
殺気を感知した池松と、ヰ・ソノ君が防御行動をとるのは、それが銃撃音であることを判断するよりも一秒ほど速かった。
『――てけり・り!』
ヰ・ソノ君の触手が、熊野ミーコに覆いかぶさるようにして、放たれる銃弾から彼女を守る。
軟らかい皮膚に銃弾が突き刺さってはじけるが、貫通するには至らない。
そして、池松は――
――【22:12 メインストリート『白波モール』】
「うはー、これを避けますか」
小宅麗智奈はアサルトライフルを両手で抱えながら嘆息する。
建物の影、ファストフード店の看板を遮蔽物にした、完全な奇襲だったはずだ。
「なんか化け物が二匹もいるんだけど。取材まで持っていくのが大変そうね」
とはいえ、小宅も本気でいまの射撃でしとめられると思ったわけではない。
相手の動きを確認するためだ――熊野ミーコの操る怪物は、彼女を覆うようにして防御した。
ということは、熊野ミーコ本体の防御力は銃弾を凌げるほどではないということだ。
そして、池松は人間とは思えない動きで回避した。防御ではなく。
つまり当てれば倒せるということ。
「よし。取材計画は第2フェーズに移行……と」
小宅はふたたびアサルトライフルを構えなおそうとして、気づく。
池松叢雲の姿がない。
「――逃げロ! 上!」
熊野ミーコの声が響いた。
「ぅえっ?」
小宅は反射的に頭上を見上げ、そして、まったく淀みのない動きでその場を転がって回避した。
それから一瞬の間もない。
がぁん!と、ファストフード店の看板がひしゃげて粉砕され、アスファルトに激しい亀裂が走った。
直前まで、小宅の身体があった位置だった。
「いい反応だ(E-hand-no-order:「良い反応ですね」という意味の英語)」
池松は砕けたアスファルトの中心で、ひしゃげたファストフード店の看板を蹴飛ばした
「自己紹介をするか? my name is――」
「あー」
小宅は地面を蹴って、同時にアサルトライフルを撃発させる。
「取材はまた後で!」
射撃の成果も見ず、小宅は路地裏の逃走を開始する。
(思った以上にヤバイわ、あれは)
小宅は弾の切れたアサルトライフルを放り出し、ポケットを探る。次の武器だ。
「ああいう男が動いてる……いったい何をしようっていうの?」
「――知りたいか?」
「うわぉ!」
小宅は思わず急ブレーキをかけた。正面に、池松の姿。腕を組んでこちらを観察している。
鳥面の奥の目は、敵意というより、興味を持っている風に見える。
「俺に勝てたら教えてもいい。だから、お前の能力を見せてみろ」
「……足、速いのね」
小宅は写真に手を突っ込む。やむをえない。能力を明かしてでも、この場は逃げる。
そして、今度こそ近づかないように攻撃を仕掛ける。
この男についても、あの熊野ミーコについても、能力は知っているし、見ることもできた。
やりようはある、いくらでも。
「私は小宅麗智奈。英検は3級……かな。あんまり得意じゃないんだけどね」
喋りながら、写真の中からそれを取り出す。
「構わん(come-one:「構わないからいつでも来い」という意味の英語)」
池松は鷹揚にうなずき、戦闘態勢を構える。つまり、自然体である。
「特別に、無料でレッスンしてやろう。
まずひとつ、不意打ちにあれだけ強烈な殺意を撒き散らすのは良くない」
「そう。じゃあ、これは」
小宅は写真の中から引っ張り出した、手榴弾――を紐で連結したものを、まとめて投げる。
すでに安全装置は外し、爆発寸前の状態で撮影していたものだ。
「殺意ないよね? 殺せると思ってない……し!」
爆音。
それも小宅は確認しない。フライト・ユニットを起動させると、風がうなりをあげた。
夜空へ急上昇しながら、傍らの雑居ビルの高さをひとつ超えたところで、ようやく下界を見下ろす。
粉塵が舞い上がり、よく見えないが――何か、ネズミのように俊敏な影が、煙の中から大通りへと転がり出た。
(仕留めたと思わない方がいいってことね)
近づきすぎたのは失策だった。 小宅は己がとるべき戦い方を考える。
遠距離からの攻撃。飛行能力と範囲攻撃性能を活かす。
池松と熊野ミーコ、あの両者は互いに近接戦闘を得意とするタイプだ。
だったら、遠距離から、両者が戦っているところをまとめて倒す。それが最善……。
(大丈夫、今夜の私はツイてる)
――【22:15 『HP・ラブホテル・クラフト』裏手】
熊野ミーコもまた、ヰ・ソノ君を前に、己がとるべき戦い方を考える。
「大丈夫だっタ?」
『てけり・り……』
触手はいくらかちぎれたところがある。
マシンガンの掃射は、彼のタフネスを持ってしても完全に無事というわけではなかった。
が、まだ戦える。
『いあ!いあ!』
ヰ・ソノ君はそれを主張するように、鋭い鳴き声をあげた。
しかし、熊野ミーコは真剣な目で首を振った。
「いエ。それは危なイ」
『いあ……』
「池松叢雲にはただでさエ、ヰ・ソノ君の攻撃は捌かれタ。
そしてあの女、どこから武器を調達してきたのか知らないけド、
攻撃力と反射神経が並じゃなイ。おまけに空まで飛ぶシ」
もっとも、だからこそ熊野ミーコはあの場を安全に逃れることができたといえる。
逃げろ、と警告したのは親切心でもなんでもない。
あのまま池松に瞬殺されていれば、次は自分と至近距離で、策もなく一対一の状況になっていただろう。
「だからヰ・ソノ君。次は私がヰ・ソノ君を守るかラ」
熊野ミーコはサバイバルナイフを取り出し、ヰ・ソノ君の触手の一つを掴んだ。
「ちょっと我慢しテ」
『……いあ!』
ヰ・ソノ君は応じるように、触手から力を抜いた。
これは奥の手だ。しかし、そうでなくては倒せる相手ではない。
透明化した自分とヰ・ソノ君の連携、それが通じなかったのは確認が済んだ。
池松は自分の英語が聞こえるという。
人ごみにまぎれての暗殺も考えていたが、どうも通じそうにない。
そして《統一躯》による精神力を持つ池松に、長期戦は不利。
まずは速攻による奇手で池松を排除し、もう一つの手で小宅を追い詰める。
故に、これが最善……。
――【22:30 中央大通り交差点】
池松叢雲は、己がとるべき戦い方を考えない。
なぜならば、それはいつも一つしかないからだ。
(全力で……)
交差点の中央で構えているのは、他の二人が見つけやすいようにだ。
(最大の英語を)
目を閉じ、静かな息吹を繰り返すのは、『最初の一撃』の威力を高めるためだ。
(ただ打ち込む)
交差点から人気はすでにない。周囲のアスファルトが陥没している。
それを見て去ったのだ。
英会話を学ぶ者に最初に与えられる鍛錬とは、ただ立ち、呼吸をすることである。
馬に乗るように腰をわずかに落とし、両手を腰より前へ突き出し、呼吸を繰り返す。
これを站椿(tang-to)といった。
正しく立ち、正しく呼吸することができなければ、英会話は成り立たない。
より強く、苛烈な『最初の一撃』のために、池松は呼吸を繰り返す――
覚えた英単語をひとつずつ思い出すように。
(Do you like sushi ?)
(yes, I like sushi.)
(What kind of sushi do you like?)
(I like tuna.)
(I like tuna , too.)
複雑で精緻な英語が、ゆっくりと組み上げられて行く。
「やっぱリ、こんな目立つ場所ニ」
と、池松の正面から声がかけられる。
「来たか」
池松は繰り返す呼吸を疎かにせず、目を開いた。
熊野ミーコ。
両者の距離は、10メートルに満たない。
そして、なぜか熊野ミーコの周囲にヰ・ソノ君の姿はない。
いや、あの異形の英語の気配すらない。
あれだけ特徴的な発音をする生き物ならば、池松にその接近が感知できないはずはない……。
「一人か?」
「まあネ」
熊野ミーコは軽く小刻みなステップをはじめながら答える。
顔色が青白い。さきほど出会ったとき、始終浮かべていた奇妙に暗い笑顔は、無表情に変わっている。
(どちらにせよ)
池松は自然体に構えた。やることは一つだけだ。
「来い。ちょうど、英語が練りあがったところだ。
俺のとっておきの『最初の一撃』を見せてやろう」
「そウ。じゃ、行くヨ」
「構わん(come-one:「構わないからいつでも来い」という意味の英語)」
池松の応じる言葉より先に、熊野ミーコの体が跳ねた。
向かってくる。
(先ほどよりも……)
若干の意表をつかれながらも、池松に動揺は無い。
(速い)
瞬く間に距離がつまり、ミーコが身体を旋回させる。爪先が振り出されてくる。
池松は捌くのではなく、バックステップでそれをかわす。
あるいはそれは、直感であったか。受けてはならないと、何かが告げた。
「まだまダ……もット……もット!」
熊野ミーコの攻撃は連続した。
身体を旋回させたその勢いで、裏拳、肘打ち、足払い。
その技の切れと速度はほとんど、池松のそれに迫るものであった。
(これは)
池松は連続したバックステップにより、それを回避しながら考える。
(俺の英語に似ている。自分を完全に操作しているかのような……!)
大きく後方に跳んだ池松の背に、ビルの外壁がつきあたる。
もうバックステップでは回避できない。
「もらっタ……!」
熊野ミーコの放つショートフックを、池松は右腕でブロックする。
衝撃は軽い。だが、池松は何かに腕を強く掴まれるのを感じた。
(この感触、さっきの触手)
しかし見えない。 瞬間的に池松は判断する。 この少女の能力は透明化――
「私がヰ・ソノ君に隠れルんじゃなくテ」
熊野は呻くようにつぶやく。
彼女の右腕から……いや、足、腹部、背中、全身からだ。
見えないが、確実に空気をかき乱すほどの『何か』がウジャウジャと伸縮している。
「私の中に隠ス」
おそらく、相応の痛みを感じているのだろう。 熊野は荒い呼吸をしていた。
身体のあちこちに穴が穿たれ、そこから微量な出血が見られた。
『てけり・り――』
その鳴き声は、彼女の体内から響いた。
熊野ミーコの能力は自分自身の『透明化』である。
ヰ・ソノ君を自分に寄生させることで、自分の身体の一部としてしまえば、彼を透明化することはできる。
そして、普段はあまりやらないし、やっても意味の薄いことだが、
自分の一部だけを透明化することもできる――。
熊野はそこで初めて笑った。
「捕まえタ!」
「そうだな。だが――」
池松は鳥面の奥の瞳を、頭上へ向けた。
「来る(crew:「来る」という意味の英語)。 やれ、熊野ミーコ」
「ふン。うまくイカないネ」
熊野はつまらなさそうに鼻を鳴らす。次の瞬間。
池松は熊野を蹴り飛ばし、熊野は無数の触手で池松を弾いた。
交差点をまるごと吹き飛ばすような、衝撃と爆炎が炸裂したのは、それとほとんど同時であった。
――【22:32 中央大通り交差点 上空】
「げ……。失敗したわ、ちょっと早かった?」
小宅麗智奈はビルの隙間を旋回しながら、炎と粉塵におおわれた地上を見下ろす。
手榴弾の一斉投下は、十分にタイミングを計ったと思ったが――
「あいつら、あんなことできるんだ」
投下よりも一瞬はやく、池松は熊野を蹴り、熊野は池松を弾き飛ばし、
互いにその運動力を利用して爆破の被害範囲から逃れた。
遠距離から両者を同時に吹き飛ばすという戦術は、確かに最善と思われたが、
あれができるのなら少し軌道修正が必要かもしれない。
どちらも動けないような状態になってから投下するべきだっただろうか?
いや、戦闘がどのように推移するかわからない。
そこまで待つのは、かえってタイミングを失することになるのでは?
「今日はツイてると思ったんだけどなあ。次は――」
呟きかけた小宅の耳に、奇妙な音が響いた。
がごっ! ぎゅぎゅっ! ――何かを砕くような破壊音と、ゴム質のものが伸縮する音である。
『……テケリ・リ!』
「う、うわ?」
小宅はそれを見た。
全身から触手を生やした熊野ミーコが、猛烈な速度で雑居ビルの壁面を登り、彼女に迫ってくる。
壁面を『登る』手段は簡単だ。触手で外壁を穿ち、伸縮させてそれを繰り返す。
小宅麗智奈の一撃は、熊野ミーコにもまた戦い方の軌道修正を余儀なくしていた。
速攻で池松を排除するには、小宅の遠距離攻撃が邪魔になる。
常に遠くから狙われていることを意識しながら、池松叢雲の相手をするのは困難だ。
なにより、小宅がどこからか調達していると思しきあの武器群。
あれがあれば、熊野の透明化能力を使った戦術にも、また別の選択肢が生まれる……
小宅麗智奈を排除し、その武器を奪えば、すでにこの奥の手を見せてしまった池松撃破にも使える。
「逃がさなイ」
熊野ミーコは、あっという間に小宅の高度にまで登り詰めた。
「やば」
小宅が呆気にとられていたのはほんの数秒。それでも十分な精神の強さだ。
宇宙的恐怖を促すその姿を見て、精神に影響を受けぬ者はそういう能力を持つ魔人ぐらいのものだろう。
触手の攻撃範囲に届いている――
「でも、まあ」
小宅は身体をひねり、アサルトライフルを構えて笑った。
熊野ミーコと目があう。ここに、互いの戦術がかみ合った。
「上等ね。池松よりも先に」
「こっちヲ」
「片付ける」
アサルトライフルのマズルフラッシュが閃けば、熊野ミーコは触手の一本を隣のビルに突き刺し、
ぶらさがるようにして掃射を逃れた。
さらにはその反動を利用して、壁面を蹴り、ほとんど曲芸のように空中へ飛び出す。
無数の触手が小宅を狙う。
が、小宅の目は、正確にその動きの間隙をとらえている。
「このくらい」
回避しながら、さらにアサルトライフルの引き金を絞る。 狙うのは熊野ミーコ本体。
「よけられるって!」
「こっちこソ!」
『いあ!』
すでに、熊野ミーコの触手もさらに別のビルに突き刺さっている。
触手の数本が千切れ飛んだが、熊野ミーコ本体は無事だ。
(あと1分……ト、何秒カ)
熊野ミーコには勝算がある。
(能力の再使用ができれば、こいつを暗殺できル……。この火力に耐え切れバ)
そして小宅の戦術は、速攻であった。
(膠着はまずい。逃げる? ――いや。完全な一対一で、空中戦!こっちがかなり有利。
ここは、能力を見せることになるけど)
小宅はアサルトライフルを捨て、ポケットの中の写真に手を伸ばす。
(ここでこいつを片付けられるなら、悪くない。火力で押し勝つ!)
「池松は空を飛べないから…… 後で、倒せる方法はある……!」
「――いや、まったく(year,mad-tack:「まったくそのとおりです」という意味の英語)」
「え?」
不意に耳元で流暢な英語が聞こえ、小宅は振り返る。
背中に違和感――フライトユニットを、何者かに掴まれている。
「アー……さっき、こっそり腕くらいは折っタと思ったんだけド」
熊野ミーコは信じられないものを見るように目を見開き、同時に呆れたように笑った。
「己が身体を制することは、世界を制するも同じこと」
その男は、腫れた右腕を軽く掲げて見せた。《統一躯》。
「ビルの壁面の登り方は、熊野の方法を参考にした。
俺もまだまだだな……思いがけず、Lessonを受けることになったぞ」
池松は鳥面の奥で嘆息した。
彼は、ビルの壁面に垂直に立っていた。
「英会話で最初に教えられるのは、ただ立ち、呼吸すること。そういうことだ。
たとえそれがビルの壁面だろうと」
壁面に転々と穴が空いている。 池松の歩幅と同じ間隔で――彼の両足はビルの壁面にめりこんでいた。
小宅はポケットの中の写真ではなく、フライトユニットの制御装置に手をかけた。
「あのー、もしかして、ビルの壁面を歩いて?」
池松は答えず、片手で鳥面の位置を直した。
『てけり・り』
「非常識にモ、程があル」
熊野ミーコが突っ込んでくる。
触手を思い切り大きく展開し、小宅と池松を押しつぶす砲弾のように飛ぶ。
「まだまだ」
池松は片足をビルの壁面から抜き、ぎゅっ、と身体をひねる。
「このくらいで非常識といってもらっては困る」
小宅を振り回す形になる。投げるつもりだっただろうか。
「いやいや」
小宅は振り回されながらフライトユニットを加速させる。
熊野ミーコの突撃をかわしながら、池松を吹き飛ばす。ビルの内側へ。
それしかない。
「こんなの、どうかしてるって!」
一瞬の後、三者が紙一重で交錯し――
そして、三人ともそろって池松の立っていたビルの7Fに突っ込んだ。
轟音と地響きがビルを揺らした。
――【22:34 芦屋ビル7F 『芦屋会事務所』】
奇しくもそれは、小宅が武器の調達のために押し入った、武装陰陽師『芦屋会』の事務所であった。
「うげーーーー!?」
今夜、もっとも不運なのは、間違いなくこの男なのだろう。
「な、なんだ今度は!? テメーらなにしにきやがった!?」
手錠とロープで拘束されたままの男は、突如として飛び込んできた三者によって、混乱を極めた。
破壊された壁面がこげるような粉塵をあげている。
「どーーーーなってんだよ、今夜はよォ! 最悪だ!」
「……確かにな」
最初に立ち上がったのは、池松叢雲であった。全身から出血しているが、その量は少ない。
己の心身を操作する――《統一躯》が、ここに真価を発揮していた。
「まだ『最初の一撃』すら撃てていないぞ、俺は。
まったく。ことごとくツキがない。だが」
すでに、バイリンガル特有の呼吸が始まっている。
「――いくぞ。俺の英語、聞いて驚くなよ」
「ヰ・ソノ君」
『いあ』
次に活動可能となったのは、触手でダメージを緩和した熊野ミーコであった。
ささやき、触手を這い出させる。静かに。長く――もっと長く、広く。
(能力ハ……回復していル! これなラ)
熊野ミーコは確信する。透明化させたヰ・ソノ君を、限りなく伸ばして周囲を覆う。
本来なら、空を飛ぶ小宅を引っ掛けるために使おうと思っていた『結界』だ。
ここで両方とも始末するには最も適している。
だが――
「私、やっぱりツイてるんじゃない……!」
三番目は小宅麗智奈。
フライトユニットは生きている。いまの衝撃で破壊されてはいない。
そしてこの事務所は、自分ならよく知っている。銃火器がどこにあるかも!
それは池松叢雲と、熊野ミーコのいる傍らのロッカーだ。
あれに誘爆させれば、蹴りがつく――フライトユニットでこちらは即座に離脱する。
彼女の反射神経ならばそれができる。
(《リアライズフォトグラフ》……! いける!)
小宅はポケットの中の写真に手を伸ばす。これが最適だ。
だが――
「Coooooooooooo――――――――――!」
池松の、長く、奇妙な呼吸がついに完成していた。
自然体から、一歩を踏み出す。
最善手を捨て、この一撃のために練り続けていた英語だ。
(掌底?)
熊野ミーコはその構えに気づいた。
(でモ、私とモ、小宅とモ距離がありすぎル…… 何に向かって撃つ?
――まさカ)
熊野は池松の鳥面の奥の瞳を見た。これは――青い! 瞳の色が青い……!
(まさカ……池松叢雲、本当ニ、ハーフ!?)
池松は、踏み込みながら床に掌底を叩き込んだ。
『――抜・山・蓋・世(bat-than-guy-say)』
熊野と小宅は確かに聞いた。
池松の英語が大気を震撼させるのを。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
床に転がされた、この夜で最も不幸な男もまた、それを幻視した。
何かが迫ってくる。 大気を満たして、膨れ上がる。
巨大な……これは……この形は!
「U・S・A(アメリカ合衆国)!!!!」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『アメリカ合衆国国歌』
作詞・作曲:フランシス・スコット・キー(Francis Scott Key)
O say can you see,(おお 見ゆるや)
By the dawn's early light,(朝まだき光の中に、)
What so proudly we hail'd(過ぐる黄昏時 我等)
At the twilight's last gleaming?(いとも誇らかに仰ぎしものを。)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
その苛烈な英語は、圧倒的な衝撃と、決定的な破壊をそのフロアにもたらした。
遠目からは、ビルそのものが揺れ、傾いたようにも見えたと言う。
それは、池松の英語が、あるいはフロアの崩壊が、ロッカーの中の爆発物を誘爆させたせいであったか――
――【22:35 芦屋ビル?F 残骸】
崩れ落ちたフロアの残骸の上に、壊れたスプリンクラーの水流が降り注いでいる。
熊野ミーコは残骸の上で、荒い息をつきながら池松叢雲を見ていた。この水流では、透明化は使えない。
「もしもここまデ計算していたなラ、びっくりすルんだけド」
『いあ……』
英語の衝撃の直撃からは、かろうじて触手が身を守った。
だが、ほとんどの触手が戦闘不能に陥っている。おまけに本体の負傷も大きい。
――左足はたぶん骨折しているだろう。
それから、肋骨が何本か。
「違うよネ、池松叢雲」
「その答えを知りたいなら、もう少し続けるか?」
池松は瓦礫の上で、自然体に構えている。
負傷は見受けられるが、その構えに疲労は見えない……。
「やめとク」
熊野ミーコは首を振った。
「ここからじャ、勝てる気がしなイ。敗北宣言だヨ」
「俺の能力はSLGだからな。一対一ならまた別の結果になったかも知れんぞ。
とくにあの触手の透明化はよかった」
「あなたがSLGって……」
瓦礫の影で、もう一人の少女が呻いた。
「冗談きついわ、ホント」
小宅麗智奈は身体を起こそうと試みたが、失敗する。
フライトユニットも壊れている……そしていま、熊野ミーコも敗退を宣言した。
「取材はまたの機会にするわ。降参。こうさーん」
「残念だ」
池松叢雲は、ほんとうに残念そうに呟いて、鳥面の位置を直す。
その仕草に、熊野ミーコは違和感を覚えた。
(あの目ハ……)
池松の鳥面の奥の瞳は、黒く静かにこちらを見据えている。
(……ハーフじゃなイ? いや、でモ、あのときは確かニ……)
「……おい!」
瓦礫の中から声が聞こえる。
「誰か! 助けてくれ! なんで俺がこんな目にあうんだよ!
なあ、おい! ……最悪だ、今日は、クソッ!」
「あいつって」
小宅麗智奈は、少し呆れたようにそちらを見た。
「実は、めちゃくちゃツキまくってたんじゃない?」
【熊野ミーコ:敗北を宣言】
【小宅麗智奈:降参を宣言】
【池松叢雲:欲求不満】
最終更新:2011年10月28日 10:59