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準決勝第二試合 池松叢雲

名前 魔人能力
池松叢雲 統一躯
バロネス夜渡 ブラディ・シージ

採用する幕間SS
なし

試合内容

 富山県水晶岳・杉原宗義鉱山。
 富山県独立に寄与したドワーフの聖人、杉原宗義大佐を記念して掘られた鉱山――
 というより、近隣の富山県民にとっては聖域のようなものである。

 いまでは全ドワーフ企業の日本撤退によって打ち捨てられ、
 顧みるものもなく、ただドワーフの旧式電気灯が衰えた光で照らす坑道であるという。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 バロネス夜渡は、吸血鬼ではない。
 吸血鬼に特有の、闇を力に変える力も、暗視力もあるわけではない。
 しかし、坑道の闇が秘めた沈黙は、確かに彼の神経になんらかの力と、
 高揚をもたらしているように思えた。

(池松叢雲に、アタシが勝てる理由はいくつかある)
 狭い坑道だ。
 壁際に点々とともる、ドワーフの電気灯が橙色の光を投げかけている。
 歩くバロネス夜渡の影が八方に伸びていた。

(理由ひとつ、あいつの能力は、操作タイプの中でも極めて弱い部類に入る。
 決してアタシの能力より強くない)
 池松の能力でできることのほとんどは、バロネスにもできる。
 能力を応用した自己身体操作ならば、バロネスも当然のように練習を積んでいるし、
 かなり精密なレベルで制御できる自信がある。
 問題は、あの異常な英語だが――

(理由ふたつ、あいつの英語は、この坑道内部ではまともに使えない)
 池松の英語は強烈すぎて、崩落の危険が常に伴う。
 一方でバロネスの『飛行』というアドバンテージもある程度制限されるが、
 相殺というには、池松の不利が大きすぎる。
 それでも、あの男ならば打ってくるだろうか? 賭けのような一撃を?
 いや――

(そして理由みっつ。あいつはアタシ相手じゃ、きっと本気になれない)
 バロネスは強靭な肉体を持つバウンサーだが、決して戦いの技を収めた者ではない。
 経験上、ああいう手合いは、そういう『素人』を相手に全力で当たれない。
 どこかでこちらの手を見たがり、また、どこかで技を緩める。

(最悪でも互角以上。なのに、この嫌な予感は?)
 これもバロネスの経験上の話だ。
 オカマの直感は、当たる。

(直感だけで戦って、勝ち負けするなら世話ないわね)
 バロネスは電気灯の下を、決して店では露にしない真剣な顔で歩く――。
 そして、急に視界が開けたと思ったとき、その男はそこにいた。


 ・・・・・・


 それは、いくつもの坑道が合流する、広間のような場所だった。
 ある程度、派手に格闘するにも向くだろう。
 いくつもの電気灯が、殺風景なその空間を照らしていた。

「来たか(kit-tacker)」
 池松叢雲は組んでいた腕をとき、鳥面の奥の目を開いた。
 すでに自然体である。
 この炭鉱内部にこもった熱気の中でも、汗ひとつかいていない。
 上半身は裸であり、よく鍛えられ、絞られた筋肉が露出していた。

 おそらく、と、バロネスは思う。自分の能力を警戒したのだろう。
 衣服を操られることを。

「バロネス夜渡。待っていた」
「……あらら、待たせて悪かったわねぇ?」
 バロネスはことさら冗談めかして答えた。
 この広間に踏み込んだ瞬間から、異様な緊張感の高まりを感じていた。
 それを外すための、あえて道化じみた受け答えだった。

「どうしたの? ずいぶんやる気じゃない。
 そ~んなにアタシに会いたかったワケ? 照れるわ!」
 バロネスは見るからに滑稽であろうしなを作った。
 が、池松叢雲は微笑すら浮かべなかった。
 池松が真に何かを決意したのなら、話術や虚勢でそれを揺さぶることはできない。
 ――《統一躯》の、自己精神操作。

「操作能力者だそうだな。ああ――会いたかった(I-it-a-tacker)」
 池松は静かに肯定する。
「いま、ここで、お前を克服する。ささやかなprideだ。
 そうでなければ、俺は先に進めそうにない」
 彼は片手を挑発するように差し伸べ、そこで初めて笑った。

「お前にとっては迷惑な話だろうな」
「……まったくよ、もう」
 バロネスは心の中で毒づいた。
 ひとつ、計算外ができた。自分に大しては、本気になれないだろうと思っていた。
 それが最大の、致命的な弱点だと。しかし――

 この男に一回戦でなにがあったか知らないが、この異常な、肌がひりつくような闘志。
 この炭鉱内部の暑さのせいだけではなく、じっとりと汗が滲んできそうだ。

「誘ってもらうなら、もっと華やかな舞台でお願いしたかったわぁ。
 でも、まあ」
 もしかすると、池松の闘志に触発でもされたのだろうか、自分は?
 強烈な精神が、他人に影響を及ぼす。そういうこともあるかもしれない、と思った。

「アタシも、アナタみたいな人を乗り越えておきたかったの。
 負けっぱなしも癪だから、ね!」
「いや、まったく(year-mad-tack)」
 そして、バロネスと池松の影は、衝動的に動き出した。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 互いに、激越した一撃であった。

 池松の放った直突きを、バロネスは大きく身体を傾け、手を添えてそらした。
 そして傾きながらも、返礼のフック。
 こちらは池松がダッキングで回避し、旋回しながら回し蹴りを放つ。

「――吹ッ(foot:「足」という意味の英語)」
「わお」
 バロネスは軽く悲鳴をあげ、後方へ飛ぶ。その身体をとらえ損ねた。

 迅い。
 池松はバロネスの動きを見て、静かに判断する。 そして動作が異常だ。

 格闘攻撃には、その予備動作として最低限必要な体勢というものがある。
 上半身で回避しながらのフックならば、ある程度は威力を犠牲にしなければならないし、
 フックを放った直後の前傾姿勢からすぐに後方へ飛ぶ、という回避の仕方はまずない。

(やはり操作系……だな。彼と似たタイプの)
 池松は己の能力を知っている。
 操作系の中でも、おそらく最も弱い部類に属するだろう。
 大抵のサイコキネシスの使い手ならば、習熟すれば自分の肉体に
 物理法則を無視した動きをとらせることはできる。

 そして、バロネスは血の付着した物質を操ると聞く。
 おそらくは自分自身の肉体を、血流が浸透していると認識して操作しているのだろう。
 この異常な動きは、それだ。

 つまり、池松の能力に、限定的ではあるが周囲への影響をプラスしたものが
 バロネス夜渡の能力であるといえた。

 そして英語は、威力の高いものは使えない。
 崩落の危険性があり、そのような捨て身の戦いで勝利したとしても、池松には納得ができない。
 完全な形での勝利だ。それをこそ、池松叢雲は求めていた。

 結果、攻撃の補助としての英語にしかなりえない。
 速度、反射力、それらを総合した身体能力では互角。だが――

「疾ッ(shick:「病気の」という意味の英語)」
「あら」
 池松の貫き手――をフェイントに使った、さらに身体を旋回させての足払いが、バロネスの体勢を崩した。
 バロネスは自分の身体を後方へ飛ばして緊急回避を行おうとする。
 だが、それよりもさらに速く踏み込んだ池松の裏拳は、その鼻先を打った。

 身体能力が互角ならば、技の分だけ池松が勝る。

 ぶっ、と、バロネスの鼻腔から血が噴出し、さらに池松の回し蹴りがその身体を吹き飛ばす。
「グワーッ!」
 異様な悲鳴を発したバロネスはゴム球のように吹き飛び、土を固めた壁面に叩きつけられる。
 彼は血の滴る鼻を押さえながら、しかし、すぐに身体を起こした。

「は、鼻いったぁ~い…… やってくれるじゃないの。
 オカマの顔を殴るなんて!」
 池松はにやりと笑うバロネスの表情から、ダメージを観測する。
 直撃が入ったのは、裏拳だけだ。回し蹴りは自分から後方へ飛ばれ、ほとんど軽減されてしまった。

「ま、そりゃ身体能力が互角でも、ステゴロの接近戦だとちょ~っと分が悪いわよね~。
 ってわけで」
 バロネスは鼻からの血を撒き散らし、地面を蹴った。
 電気灯の下、薄ぼんやりとした影が躍る。

「第2ラウンドね」
 ざざざっ、と地面が蠢いたような気がした。
 バロネスが血をこぼした地面から、いくつかの石の礫が浮かび上がる。
「《ブラディ・シージ》……一本入れといたわ」
 石礫は、生き物のように飛んだ。
 バロネスはそれを追うように地面を蹴った。身体操作の圧倒的速度である。

「そう(so:「そう」という意味の英語)。それだ」
 池松は自然体に構えた。
 飛んでくる石の礫を、拳で弾き、あるいは身体を傾けてかわす。

 いくつかの礫がかすめ、皮膚を浅く裂いたが、これは牽制にすぎない。
 そしてバロネスが直進しながら放つ右の貫き手を捌くべく、右手を差し出し――
 それがフェイントであることに気づくのは、一瞬遅れた。

「hum(感嘆詞。特に意味はない)……」
 さきほどの、池松の見せたフェイントとまったく同一の動きだった。
 貫手を囮にした足払い。これを回避し損ね、体勢の崩れたところに裏拳。
 池松が鼻から血を噴出し、バックステップで後退するところまで同じだ。

「……どう? なかなか上手でしょう」
 バロネスは池松を追撃しない。
 池松を挑発するように、彼とまったく同じ自然体に構えていた。
 技を盗まれた。 もっとも驚くにはあたらない。
 一度見た動きなら、それとまったく同じように身体を操作すればいいだけだ。

「このくらいは、操作タイプなら練習しとかないとね」
「やれやれ」
 池松は鼻腔から流れる血をぬぐった。

「いつもなら、『まっすぐ行く』と答えるところだが」
 身体能力で互角。
 技でも、互角に並ばれるだろう。
 そして力。場所が悪い。こちらは最大の武器の英語が、ほとんど封じられている。

 接近戦で不利、遠距離戦闘ではより不利だ。
 ならば、とる道は一つ。

「今日の俺は、信念を通すためでなく、勝つために来ている。
 悪いがな。英語にはこういう言葉がある……」
 池松はわずかに腰を落とした。
 そして前へ――ではなく、後方へ飛ぶ。

「逃げるが勝ち(niger-Luger-cut-in)」
「あ!? ちょっと!」

(この能力に打ち勝つこと)
 池松はバロネスが怪訝そうに眉をひそめるのを見た。
(それができずして、最強の一打に近づくことができるものか?)
 そしてさらに後方へとべば、そこには一台の長方形状の物体がある――棺桶にも似ていた。
 トロッコであった。レールの上に鎮座している。

「追ってこい。バロネス」
 池松はトロッコを蹴り飛ばし、同時に飛び乗る。
「俺を始末するなら、ここがいいだろう?」

「へぇ……」
 動き出すトロッコを一瞥し、バロネスはふわりと宙に浮いた。
 《ブラディ・シージ》を応用した、空中飛行能力である。
 トロッコの移動速度程度なら、追える。

 どうやら、あの池松が何かを意図しているらしい。
 だが、それならば、バロネスにも考えはある。
 事前の地形説明を受けた時点で、そこに辿り着けば勝利できると思った。
「面白いじゃない。乗ってやろうじゃないの!」
 加速が始まった。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 トロッコはどうやら半電動式のようで、加速がついた後は時速百キロ程度で走り始めた。
 それでも、バロネスの飛行速度で追えないスピードではない。
 レールに沿って、電気灯が点々と先を照らし、それにつれて高速で影が流れる。

(いっそ幻想的だわ。……この暑ささえなければ)
 トロッコの走行路には、さきほどまでの通路以上の熱気が満ちている。
 バロネス夜渡は、加速しながらトロッコに追いすがり、片手に握った鉄片を構えた。
 鉄片は刃状に形成されている。

 道中、《ブラディ・シージ》により、血液を付着させた鉄鉱石を操作し、削りだしていた。
 生半可な不意打ちは池松に通じるとは思えなかったが、ある程度の助けにはなるだろう。

 すぐに、ゆれるトロッコの上で屹立し、腕を組む池松の姿が近づいてくる。
 バロネスは、ふと会話をしたい気分になった。空中を併走しながら隙を窺う。
「池松。アナタって、あの男に似てるわ」
「誰のことだ?」
「裸繰埜。闇崎」
「あの男を、知っているか?」

 不意に、池松の鳥面がめくれ上がり、何か異質な獣が顔をのぞかせたように思った。
 笑ったのだ、と、少し遅れて気づく。微笑ではなく。
「面白い(on-moss-ill-roy:「面白い」という意味の英語)。
 やつはどこにいる? やつはお前に何か言っていなかったか?」
「……知らないけど」
 隙はない。当然か。池松叢雲は、やはりあの男に似ている――。
 ゆえにバロネスは攻撃を決意した。

「そろそろ、いくわよ」
 バロネスは加速しながら上半身を捻った。池松は腕組みをとき、つぶやいた。
「いつでも構わん(it's-demo-come-one:「いつでも構いません」という意味の英語)」

「あ、そ~う?」
 バロネスはことさら軽く答えた。
 そして、加速しながらの――空中回し蹴りである。
 池松はこれをスウェイと、手の甲で逸らして捌く。即座に反撃。

「渇ッ(cut:「切る」という意味の英語)」
 低く抑えた英語の拳は、高速のトロッコが生む風に流され、さらに大きく威力を減じていた。
 バロネスは空中の急減速と、旋回でこれを回避。
 それでも、かすってはいたらしい。額の付近がぱくりと切り裂かれ、血を噴出す。

「……あらら」
 吹きだした血は、速度と風に流され後方のレール上に置き去りにされる。
(こういう形で、アタシの能力を凌ぐつもり?
 そして双方の体勢が違いすぎて、技を盗まれるのも防げる。
 悪くないけど)

 バロネスは、額の血を指にとる。
(甘いわ。こっちには遠隔攻撃もある!)
 《ブラディ・シージ》の応用のひとつだ。
 血液そのものを操作して飛ばす。弾丸のように――

「なるほどblood…か。参考になる」
 池松の右腕が、その一瞬、鋭く翻った。
 何か打ち出した。バロネスには、そのようにしか見えなかった。
 ――かわしたと思ったが、『それ』は空中で軌道を変えた。
 びすっ、と、左の肩に何かが直撃する感触がある。

「……ちょっと……人の十八番を簡単に盗むなんて、ひどいわ、ね」
 何かに貫かれたような痛み。
 バロネスの放った血の刃はかわされて壁に突き刺さり、トロッコのスピードに置き去りにされる。

「血液操作はこっちも特技の一つだ。
 飛ばした空気中の血液を、自分の身体の一部として認識する。
 お前の能力を見て考えついたが、やってみれば不可能ではないな」

 池松は血のしたたる右腕を掲げてみせた。
 その血流を操作して、弾丸のように高圧で飛ばしたのだ。
 そして、空中で動かす。

(遠距離攻撃……この男が? やっぱり)
 池松のなにかが、変わったらしい。まだ強くなっている。
 バロネスはその変化をこそ恐れるべきだと感じた。

 池松は鳥面の奥で微笑した。
「来い。その距離からでは、俺の命には届かない」
「……上等じゃない」
 挑発されている。それがわかったから、バロネスにも火がついた。
 相手を戦士に変えるような何かが、この男にはある。

「届かせてやるわ」
 バロネスは右手に即席のナイフを握りこみ、鋭く加速しながら、池松へ切りつける。
 頚動脈。

 かっ、と、空気が異様な音をたてて裂けた。
「……!」
 池松は上半身を大きく倒して、刃の閃きをかわす。やはり見切られた。
 しかし、その時点でバロネスは目的を達成していた。

 柄もない刃を握り締めたのだ。びゅっ、と血飛沫が流れ出て、トロッコの縁を濡らした。
 バロネスの攻撃は、相手を傷つけるだけではない。
 自分を傷つけることでも、戦況を有利にすることができる。

 池松は、自分を始末するなら『ここ』と言った。
 高速で走るトロッコの上。
 なるほど、ある程度はバロネスの能力を牽制できるが、トロッコそのものを動かす場合、不利は池松の方だ。
 この男には空を飛ぶことはできないのだから――
 それを承知で、ここでの戦いに挑んだということは、このトロッコの向かう先に何かがあるということだ。

(なにかの策があるってわけね?
 ……阻止するのなら、いま、ここで倒すに限る!)

 バロネスは、自分の血が付着したトロッコに意識を集中した。
 前方へのみ力のベクトルが向かっている物体である。
 動かすならば、側面から――唐突に強い力をぶつけてやることだ。

 そして、集中した瞬間。

「……いくぞ」
 池松の身体がバネ仕掛けのように俊敏に跳躍していた。
 能力使用の瞬間というのは、操作型にとって最大の隙の一つだ。
 特に、他者操作を手動で行うタイプは、いわば『チャンネル』の切り替えが必要となる。
 ――自分の肉体を動かすのと、糸で人形を操るのは、まったく別の作業である。

 池松の唐突な跳躍が、攻撃を目的とするものでなかったこともまた、
 バロネスの回避を遅らせる原因のひとつとなった。
 池松は空中のバロネスの足に飛びついた。

(うわ、マジ? こいつっ)
 バロネスは足を振り回すような中途半端な蹴りで、それを迎え撃とうとするしかなかった。
 池松はその一撃をあえて受け、同時にバロネスの足首を捕える。

 密着しての打撃戦闘。
 それこそが池松の意図したものだった。

「打ッ(duck:「あひる」という意味の英語)」
 バロネスの足首を支点に、遠心力をくわえて大きな回し蹴り――
 これは、バロネスがブロックしている。
 腕が痺れはしたが、ダメージはない。
 英語を流して《経絡(K-luck)》を乱す打撃も、身体操作の可能なバロネスには効果が無い。
 だが――

 唐突に重量と衝撃を加えられ、バロネスは体勢を崩す。
 加速がついていた。
「Coooooo――!」
 静かなバイリンガルの呼吸が、肌を粟立てるように響く。
 トロッコは激しい騒音を立てながら、彼方へ走り去り、池松は一撃を放とうとする。

(こんな速度で体勢崩したら、どっちも共倒れだっつーの!)
 バロネスは心の中で罵倒しながら、必死で安定した体勢を探そうとする。
 しかし、スピードがありすぎる。

「――打ッ(duck:「あひる」という意味の英語)」
 そして池松はブロックしたバロネスの腕をつかみ、
 今度はショートフックで顔面を打とうとしてくる。
 辛うじての防御。やはり速度は互角だ。池松との攻防に集中しなければ、やられる。

 ゆえに、飛行の慣性を殺しきれない。

「――――打!(duck:「あひる」という意味の英語)」
 池松は続けざまに身体を捻り、至近距離からバロネスの首筋に貫き手を放つ。
「な」
 バロネスは首の皮一枚で貫き手を捌きながら、目の前の鳥面の男を見た。
 鳥面の奥。落ち着き払った青い目は、狂気を孕んだ気がして仕方が無い。

「落ちるわよ? なに考えてるわけ、アンタ?」
 たずねると同時に、ナイフを池松の腕に突き刺そうとする。

「お前を倒すということ。そして」
 突き出されるバロネスのナイフを捌き、返答と同時に打撃。防御。 

「一撃」
 池松は、短くつぶやき、それを繰り返した。
「一撃、一撃、一撃、一撃、一撃、一撃一撃一撃一撃一撃一撃一撃。
 それだけだ」

「こ、この」
 バロネスは姿勢制御を諦めた。ダメージを緩和することに集中する。
 もはや加速して、どこかに着地、いや――落下した方がいい。

「狂人め! ザッケンナコラー!」
 暗黒の地面が迫る。いや、これは坑道の一種か、洞穴か?
 ちょうどいい。頭を切り替えろ。次だ。
(第3ラウンド!)
 バロネスは、落下しながら己の手首にナイフを滑らせた。

 いずことも知れぬ洞穴の暗がりに、落下していく……。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 吹きだした鮮血は、ある程度のところですぐに止めた。
 血液を固めて傷口をふさぐのは、血液使いにとって基本中の基本だ。

(でも、ちょっと貧血ね)
 バロネス夜渡は、闇の中に起き上がる。
 完全な暗闇。 電気灯ひとつもない。

 目を凝らしても、吸血鬼でないバロネスには完全な闇を見通すことはできない。
 ただ、地中特有の熱気と、かすかな風の流れを感じる。
 どこか、とても遠くの方で風のうなる音。

(ここ、どこかしらね?)
 トロッコの運搬領域からさらにはずれた、通常の坑道でないどこか。
 天然の洞穴空間か、すでに廃棄された区域ならばこんなものかもしれない。

(どこだっていいわね、こうなったら)
 バロネスは己の身体を操作し、物音を立てさせないように努力しなければならなかった。
 池松も、この暗闇の領域のどこかに落下したはずだ。

 こうなった以上は、先に居場所を特定した方が勝つ。
 心臓の鼓動ですら、相手に存在を知らせる手がかりになりそうに思えた。
 呼吸を細め、身体機能を抑制していく――一方で感覚は研ぎ澄ます。
 そういうことに関しては、あっちの池松の方がはるかに有利だ。

(……けど)
 バロネスは能力を起動させる。
《ブラディ・シージ》。
 周囲に飛び散ったはずの血液を操作する。
 まるで身体の延長のように、暗闇でもそれらはバロネスの意志に答える。

 闇の中になにがあるかわからないため、地面の石や砂などは認識できずに操れないが、
 確実にそこにあるとわかっている自分の血液ならば……

(それでも、アタシが勝つわ。この状況ならね。
 そうじゃなきゃ先に進めない。そうでしょう、池松?)


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 落下する地点に、確信があったわけではない。
(どうだ?)
 池松は完全な暗闇の中で、ダメージを確認する。

(やれるな?)
 どこか骨に亀裂が入っているだろうか?
 折れているだろうか?
 だが、関係は無い。バロネスを倒す。それだけだ。

 池松は己の未熟に思いを馳せる。
 バロネスに密着したとき、あのときに勝負を決しているべきだった。
 打撃はすべて阻まれ、決着を逃した。

(未熟だ)
 速度が足りなかった。技術が足りなかった。
 力が足りなかった――ガードの上から叩き込める一撃ではなかった。
 英語なしではこんなものか。

 真の英会話者ならば、彼を笑っただろう。
 『言葉がなくても伝わるのが真の英語』だと。

(それでも、勝つ。でなければ先へ進めない。
 そうだろう、バロネス夜渡?)
 池松もまた、先に相手の位置を特定した方が勝つ、ということを知っていた。
 身体活動を抑制し、一方で感覚を研ぎ澄ます。
 《統一躯》。

 ――その耳に、かすかな水音が聞こえてきた。
(blood……)
 バロネスの能力に思い至る。
 血が滴る音だとすれば、それは彼の囮か……いや。

 血液の滴る音は、増えた。 二箇所。三箇所。そして増え続ける。
 中には、ゆっくりとこちらに近づいたり、遠ざかったりする水音もある。
 すぐにその音は、びすっ、びすっ、と地面を貫くような音に変化していく。

(無差別攻撃か)
 血液を弾丸のように操り、地面を、壁を撃っている。
 まだ少し遠いようだが、いずれは自分のいる位置に届き、撃ちこまれるだろう。
 そうなったら、たとえ《統一躯》でダメージによる肉体反射を無視しようが、
 この射撃音の変化で位置を特定され、あとは集中砲火が待っている。

 いわば、ソナーの亜種だ。
 コウモリのように音の反響で位置を探り、標的を襲う。

(いいだろう)
 池松は、意識を尖らせる。
 闇の中だからかもしれない。通常の状態を超えて、感覚が冴えていく。

(一撃だ。聞くがいい)
 池松は静かに《統一躯》の制御に意識を集中させる。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(こうやって無差別に攻撃していけば)
 バロネスは血液を精密に操作しながら、
 闇の中にいるもう一人の男のことを考える。

(あの男も、焦ることがあるのかしら?)
 血液が壁や床を打つ音にあわせて、少しずつ移動してくるかもしれない。
 そのため、ランダムなタイミングで血液の射撃を行う必要があった。
 そしてこちらの位置の特定を防ぐため、範囲も分散せねばならない。

 時間はかかるが、確実にしとめるためだ。

(いずれにしろ)
 バロネスの血液は静かに池松へ迫っていく。

(これでチェックメイト――え?)
 不意に、バロネスは右腕に触れてくるなにかを感じた。
 錯覚? 違う。 ほんのささやかな、この感触は。

(これ――)
 ぎりっ、と、右腕に触れてきた何かが、急に生き物のように動いた。
 強くからみつき、バロネスの腕を締め付ける。

(これは!)
 バロネスは右腕の何かに触れたとき、背筋に戦慄が走った。

 彼の腕に絡みついたのは、どうやら髪の毛のようだった。
(髪の毛まで操作するわけ? そ、そりゃそうか――身体操作!)

 そして次にバロネスは聞いた。
 それは、闇の中から迫るバイリンガルの呼吸であった。

「――Cooooooooooooooooo――――」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(見つけた)
 池松は髪の毛を急速に伸ばし、バロネスの居場所を探っていた。
 熊野ミーコの触手操作、そして日谷創面の裁縫術から
 思いついていた技法であった。
 《統一躯》には、さらに洗練の余地があることを、池松は常に意識している。

(いくぞ)
 池松は身体の力を抜く、
 そして――鳥面を外し、少し遠くへ放り投げた。
 かぁん、と、離れた場所で音が木霊する。
 バロネスが本気で引っかかるとは思えない。牽制だ。一瞬の。

 闇の中ではあったが、その相貌が露になる。
 黒い瞳。
 そして、その顔立ちは、ほぼ典型的なアジア人の特徴を備えていた。

(英検は一瞬。一閃。そして一呼吸だ。その、本当の意味を)
 とん、と、池松は跳躍した。ごく軽く。ほんの少しだ。
 それでもバロネスは彼の位置に気づくだろう。

 だが、気づいたときにはもう遅い。
 これは、そういう英語だ。

(教えてやる)
 その瞬間、池松の瞳が闇の中で青く輝き、
 顔の彫りがローマ人のごとく深くなった。
 英語が発声される。


『 雷 神 (rising)』



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ――それは、とても池松の得意とする破壊的な英語と呼べるものではなかった。
 短い音節。静かな抑揚、アクセント、声量。

 しかし、それは洞穴内部の壁を、天井を、地面を、激しく反響して、
 バロネスの鼓膜の奥に突き刺さる。

(衝撃……? いや、音……!?)
 バロネスは、その瞬間、完全に平衡感覚を失った。
 決して破壊的な英語ではない。 しかし、その衝撃。

 池松の英語は、ただの英語ではない。
 敵を倒す。
 その目的のためだけに鍛え抜かれた、特別の発声による英語だ。

(やばっ……!)
 狭い通路を反響した英語は、echoにechoを生み、膨張し、バロネスの鼓膜の奥を直撃した。

 危機を感じたバロネスは、《ブラディ・シージ》の最高速度で
 後方へ離脱しようとし――そして失敗した。

 手動操作タイプの、もう一つの欠点が、ここにあった。
 操作には、対象をどの方向に、どのような力で動かすのか、明確なイメージが必要となる。
 平衡感覚を麻痺させられるようなケースでは、操作の失敗は必然といえた。

(迎撃、いや、き、緊急回避っ……!?)
 とにかくどこか別の方向へ逃げようとしたが、その右腕にからみつく、
 池松の髪の毛がミシリと張り詰めた。
 その動きをさらにもう一瞬だけさえぎる。
 そこまでであった。

 仮面を放り投げて意識をそらした一瞬。
 音の衝撃で平衡感覚を奪った一瞬。
 髪の毛で移動を封じた一瞬。

 三つの一瞬が、池松に接近の機会を与えていた。


「グワーーーーッ!!!」

 ――次の瞬間、バロネスは激しい英会話の衝撃とともに、
 どこかに叩きつけられる自分をはっきりと意識できた。
(迅い…… こんな英語が……)
 英語の衝撃がきて、平衡感覚が失われた、と思ったら、一撃を受けていた
 周囲に散らせた血液で迎撃する暇もなかった。

 意識が速やかに黒い何かに押しつぶされる。五感が朦朧とする。
(なにこれ?)

 黒い――何かの只中に浮いている。
 ちか、と、池松の青い片目が輝いて見えた。
 青い。青い――いや、青すぎる。違う。瞳ではない。

(これは……まさか……)

 ――地球――である。
 暗い闇の宇宙に浮かぶ、太陽系の紺碧の宝石。
 人類の、いや、すべての生命の源。

 英語を覚えれば、その数およそ七億五千人――
 この美しい地球の四分の一の人々と会話することができるのだ――。

(男性も、女性も、ニューハーフも、老人も若者も子供も吸血鬼も――
 皆、そんな立場には関係なく――)

 英語の前では、すべてが英会話者となるのだ――。

 バロネス夜渡は、そんな光景を幻視しながら、意識を手放した。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


(最速の一撃を――最速の英語を)

 池松は伸びすぎた髪の毛を振り乱し、片足を引きずりながら、坑道を歩く。
 左足は完全に砕け、骨が膝や足首から突き出している。
 右腕も似たようなものだ。筋繊維が爆ぜ、骨まで露出していた。

 肉体の限界を超える、《統一躯》による最速の英語の代償だった。

(半分以上が幸運だった。 地の利と、相手の戦い方)
 暗闇の中だ。
 あともう少し狭い空間ならば、バロネスの血の拡散射撃が
 自分のところに到達していただろう。

 それともあれが開けた空間ではなく、もっと遮蔽物が多ければ?
 直進しての高速の英語の一撃は不可能であり、
 接近する前に《ブラディ・シージ》で迎撃されていたはずだ。

(まだだ)
 池松の彫りの深い相貌から、汗が流れる。鳥面はない。
 その顔が、ゆっくりと……軋みながら、アジア人のものへ変容していく。

(未熟だ、俺は。あの『一撃』にはほど遠い)
 池松は砕けた足をひきずり、腕をかろうじて肩からぶらさげながら歩く。

(一撃……だ。 一撃、一撃、一撃、一撃一撃一撃一撃一撃一撃一撃……)

 ぶつぶつと呟きながら、池松は電気灯が照らす、闇の坑道を歩いた。
(新しい面が必要だ)


【バロネス夜渡:昏倒にて戦闘不能】
【池松叢雲:一撃一撃一撃一撃一撃一撃一撃一撃一撃】


最終更新:2011年11月13日 22:51