野試合 池松叢雲
試合内容
どこにでもある、とある廃ビル。
夜の風に吹き付けられ、いまにも倒壊しそうなほど頼りない。
……だが、誰が知っているだろう?
そこがいま、苛烈な英検会場となっていることに。
――1st STEP――――――――――――――――――――――――――――――
間断なく。
緩めることなく、迅速に、激しく……。
糸をたぐり、放ち、そして針を打ち込む。そのすべてが必殺の奇襲である。
そうでなければ、池松叢雲にダメージを与えることはおろか、
バイリンガルの呼吸を阻害することすら難しいだろう。
日谷創面には、そのように思えた。
『なにをやってんだか』
彼の中に宿る手芸者の魂、ロクロは、日谷創面に聞こえるようにはっきりと嘲笑った。
(黙ってろよ、ロクロ)
創面は池松が振り返るよりも早く、壁を軟化させ、身を隠す。
もちろん、そのまま移動し、池松の死角――いや、少しでも攻撃を捌き辛い位置を探す。
(攻め続けて呼吸を阻害する。英検を受けて、俺にも少しだけわかった)
ロクロに対して語る。
あるいはそれは、自分でも理解したことを再び捕えるための作業でもあった。
(英会話は、すべては呼吸なんだ。呼吸からはじまる。
池松叢雲にほんとうの英語の一撃を撃たせちゃいけない。
溜めに溜めた英語の一撃はマジにヤバイ。だから――)
また、奇襲。背後から、針と糸を弾丸のように飛ばす。
「ふむ(hum:感嘆詞。特に意味はない)……」
が、池松は低くうめくと、上半身を倒すようにして針を避けた。
それに隠す形で撃った第二の針も、手刀で弾かれる。
「そろそろ、本気で来ないか?」
池松は片手を創面に差し出した。
「様子見だけでは、敵は倒せない」
(そりゃわかってる……けどな!)
創面は、間断なく攻撃を仕掛け続ける。
そうすることで池松の最大級の英語を防ぐ……もしかすると、あの男の英語の一撃で、
このビルそのものが倒壊するかもしれない。そんな危惧すら感じている。
《裁縫》の術は、手芸術の中でも基礎とされる。
いかに特異な魔人技術の持ち主であれ、裁縫技術をおろそかにする手芸者は生き残れない。
そして英語を載せた創面の裁縫技術は、威力だけなら、いまや上級手芸者の域に達している――
それでも、すぐに離脱することを考えた裁縫では、池松にダメージを与えるに及ばない。
『やれやれ。ソメン、わかったのは英語のことだけか?
悲しいねェ、オイ、手芸のこともちっとは勉強しろよ』
(なにがいいたいんだよ、さっきから。気が散るんだって!
後で死ぬほどトーフを食わせてやるから、ちょっと黙って――)
『英語が《呼吸》なら、トーゲイは《回転》なのさ、ソメン』
(……回転? おい、どういうことだ?)
なにかひっかかるものを感じた創面は、心の中ではじめてロクロの声に集中する。
むろん、奇襲の手は休めない。
輪を作るように繰り出した糸を、池松の首に絡めようとする――サイドステップで回避される。
いつまで続けられる? 創面はかすかな焦燥にとらわれそうになる。
だが、ロクロはかえって焦らすような嘲笑で答えた。
『池松叢雲。ハハハ! 池松だとよ。あいつには散々な目にあわされたぜ。
最後にはぶっ殺してやったがな!』
(……! 知ってるのか? しかも……殺しただって?)
『希望崎、部活間戦争。お前が知らねえ昔話だがな。
英語弁論部に凄腕の英検士がいたのさ。
あいつ一人に手芸部が何人も殺されたが、最後には……ハハハ!』
(あ、あいつ……池松叢雲って、自己蘇生も能力の範疇なのか!?
アホか! そんなもんどーすんだよ!)
『いや、そりゃないだろ。さすがにない。たぶんな。
俺の予想じゃ、あいつは何人目かの《池松叢雲》だ。
《池松叢雲》は希望崎の英語弁論部のエースが背負う名前だぜ。
……まあ、そりゃともかくとして』
ロクロは今度こそ、はっきりと心の中で笑った。
『トーゲイで重要なのは《回転》だ、創面。
シロートが一から身に着けるのは何年もかかるが、
お前の能力の特性ならすぐにでも実践できる』
(……)
『《回転》が陶器を形作るのさ……へへ。
俺に身体を貸せよ、ソメン。お前の貧弱な肉体を俺が操作してやる……
あの池松の英語を、ふっとばしてやる』
いつもの創面ならば、ロクロの言葉に耳を貸すこともなかっただろう。だが……
(待て、ロクロ)
創面はきゅっ、と音を立てて立ち止まった。
激しい戦闘の最中で、いや、むしろ間断ない緊張感を強いられる戦いの中で、
創面はこれまでになく英語と手芸が研ぎ澄まされているのを感じていた。
(俺……作戦を思いついたかもしれない!)
『…………ア、アア?』
ロクロは困惑した。
創面が「作戦を思いついた」と言ったのだ。
この、姉への愛と、わけのわからない強迫観念のみを精神的武器にしてきた男が。
「うまくいけば」
創面は声に出してつぶやいていた。
「池松叢雲、倒せるかもしれない。
ロクロ、陶芸の《回転》ってのを教えてくれ。やってみる」
『お前の作戦ってところに大きな不安感を感じるぜ、オイオイオイ。
なんだ? 言ってくれ、取り返しつかないことになる前に!』
「お前が俺をどう思ってるかよくわかったよ。だが、まあ」
創面は静かに呼吸を練り上げる。
「あたって砕けろ(at-at-taked-dack-yellow)、だ」
『テメーは豆腐だろ。それと、砕けたら俺もヤバイ』
「……姉貴の豆腐は砕けない! そういうことが言いたいんだ!」
緊張は解けている。
創面は針と糸を握りこんだ。
――COLUMN ―――――――――――――――――――――――――――――――
「見つけた! こいつ、間違いない、池松叢雲ですよ」
「よし。いま、どれくらい集められる?」
「30は。手の空いてる魔人なら3人。それが限界です」
「50集めろ。私も出る」
「……なんとかなりますかね?」
「さあな。くそ、どうやって逃げた?
……不動昭良を使いたい、出せるか?」
「連絡はとってみますが。……ちょっと待ってください。
……何かおかしい。もしかしたら……交戦中?」
「交戦中? なんだと? いったいどこの誰だ、相手は?」
「わかりません。でも、嫌な予感がします」
「急ごう。今度は逃がさん、その交戦相手も捕縛する」
――2nd STEP――――――――――――――――――――――――――――――
天井から飛び降りてきた創面は、さきほどまでの奇襲とは少しだけ違っていた。
なにがどう違うか、ということは、池松にもはっきりと表現できるわけではない。
ごくわずかなイントネーションの違い。アクセント。テンポ。
そういったものの違いを、池松は放たれる英語の兆しとして読み取る。
「コォォォォッ!」
頭上から急襲する創面の呼吸は、確かにバイリンガルの響きを宿していた。
針のきらめきが、一瞬だけ、しかし確実に池松の目はとらえている。
英語が存分に乗せられた、針と糸の一撃。
「見事(me god:「お見事ですね」という意味の英語)」
池松はそれを捌くのではなく、大きなバックステップでかわす。
「わずかな時間で、よく覚えた」
英語検定において、バックステップによる回避は必修の技術だ。
英語の射程範囲は、直線ではない。その響きがもたらす球形。故に、後退回避は基礎中の基礎となる。
ロケーションは直線的な廊下。池松は判断する。
互いに激突してsee-you(雌雄)を決するなら、良い地形だ。
「……まだまだ」
創面は着地を果たすと、今度は逃げるのではなく、身体を大きく捻った。
その目に、英語と、奇妙な闘志がある。
「今度は、ぶっとばさせてもらうぜ、《先生》!」
「構わん(come one:「構わないのでいつでもきなさい」という意味の英語)。 やってみろ」
できるものならば、だ。
そして、創面の構えにそれだけの英語を感じ取った。
「こ、れ、が」
創面の上半身の捻りが限界に達する。
「回転―――――――だ、ぜ」
ゴムのように大きく捻られた創面の右拳が、弧を描いて放たれる。
荒削りだが、正面に筋の通った英語を載せて。
「破ッ(hat:「帽子」という意味の英単語)!」
発音を聞いた瞬間にわかった。 これは、違う。
ただの英語ではない。
池松は鳥面の奥の目を細めた。迎撃する。
「覇ッ(hack:「叩ききれ」という意味の英語)!」
軽く打拳を放ち、捌く。瞬間、これまでにない打撃の威力を手首に感じた。
強い。
それも、英語だけではない。英語だけなら、自分の方が圧倒している。
しかし、この奇妙な感触は……。
「まだまだ……! 俺の能力は……いや、俺は」
創面は退かない。回転を弾かれた反動を利用し、さらに逆から。
「こんなもんじゃないからな!」
捻りこむようなフック。
その右腕が、ゴムのように捻りこまれていた。
なんという柔軟な身体――いや、これはその度合いを超えている。
それはあるいは、魔人能力か、それとも英語がもたらす効果であったか。
世界には、英語テキストを読んだだけでみるみるうちに背が伸び、
健康的な肉体とコミュニケーション能力や豪運を得る使い手もいるという。
「螺ッ(rat:「ネズミ」という意味の英単語)!」
「羅ッ(luck:「幸運」という意味の英単語)!」
池松はこれもさばくが、やはり手に痺れるような感触が残る。
リピート・アフター・ミーとはいかないらしい。
池松には、この技術に心当たりがあった。
「陶芸(too-gey:「陶芸」という意味の英語)!」
創面が口にしたそれは、どこか、懐かしさのある響きだった。
too-gey。
あまりに危険な術の一つであるため、ジーニアス英語辞典からも封印された英語の一つである。
その技を知っていたのは先代の池松か、さらにその前の池松であったか……。
回転を操る技術。
強烈な四肢の捻りこみや、その旋回を利用した動きで、打撃の破壊力を飛躍的に高めるという。
「まだまだ!」
創面の身体の捻りが、技の威力を倍化させていく……!
「次は本気でヤバイぜ、池松先生!」
池松は鳥面の奥で目を細めた。
「上等だ(joe-too-dat:「上等だ」という意味の英語)」
面白い。
この自信の奥には、とっておきの何かがある。
ならば、受けてたつことしか、池松は知らない。
「Coooッ」
ここにきて、池松は初めて後方へ飛んだ。
距離をとり、互いに直進しての一瞬の交錯で決める。
バイリンガルの呼吸――短いが、それでも、腕に英語をいきわたらせるには十分。
互いに、一歩で拳の届く距離。
池松のとるべき行動は決まっている。
腕をだらりと下げた自然体から――深く、冴えた呼吸を持って踏み込み――そして撃つ。
「いいだろう。みせてみろ、日谷創面」
そして、池松は一歩を踏み込み――その一歩を踏み外した。
――3rd STEP――――――――――――――――――――――――――――――
(かかった)
創面は、かえって静まりかえった心で、その瞬間を迎え入れる。
『信じられねぇ』
ロクロがうめくようにつぶやいた。
『お前が作戦を立てたってところと、それに引っかかるやつがいたってのが、特に』
創面はロクロを無視した。大きなお世話だからだ。
池松の苛烈な踏み込みは、完全に失敗していた――
床がその軟度を変化させ、泥のような軟らかさで池松の震脚(sing-cat:踏み込みのこと)を迎えた。
《アゲインスト・トーフ》。
頭上からの襲撃を行い、着地を果たしたと同時、すでに軟化処理を仕掛けていた。
創面は、この一撃の交錯に、己のすべてを出し尽くすつもりだった。
(まずは、踏み込みを弱めること……)
踏み込みに失敗しながらも、平然と、冷静さと英語の呼吸を失わず、池松は掌底を突き出してくる。
その腕に、無数の糸が絡み付いていた。
何度もの奇襲は、ただ呼吸を阻害するだけではなく、その道着の袖に糸を仕込むことも兼ねていたのである。
(プラス、裁縫術……)
むろん、絡みつく糸ぐらいは、池松は引きちぎりながら打ち込んでくる。
承知の上だ。それでも、ほんの少し、ごくわずかにではあるが、勢いは削いだ。
創面はその掌底に合わせるように、拳を突き出す。
(プラス、陶芸術……)
創面の拳は、ゴムのように信じがたいほど捻りこまれていた。
自分の肉体の軟化――粘土状の一歩手前で調整された、陶芸の一撃が加わり、
池松の腕と交錯する。自らの能力の特性とあわせた回転は強烈だが、まだ弾くことはできない。
池松の英語がまだ上回っている。
(プラス、《アゲインスト・トーフ》……)
池松の腕に触れた瞬間、創面の魔人能力が恐るべき速度で伝達し、浸透するのがわかった。
比類なき池松の打撃が、軟化によって相殺され、さらに威力を弱める。
(プラス、英語!)
「Coooooooo――!」
気づけば、創面はバイリンガルの呼吸を完結させている。
ありったけの策と技で、池松の一撃を弱めた。
あとは、ただ、こちらも全力で打ち込むだけだ。
創面は鳥面の奥、池松の瞳を見た。静まり返った、無表情な青さ。
この状況においてもこの冷静さは恐るべきものであるといえた。だが。
「豆――(too:「~もまた」という意味の英語)」
創面の裂帛の英語とともに、池松の必殺の――確信の掌底は弾かれた。
陶芸と英語の入り混じった一撃が、池松の絶対の信念を凌いでいた。
そして、さらに一撃。今度はまっすぐ――池松のその胸へ、正面から左拳を打ち込む。
陶芸の回転と、英語をもって。
「腐ッ(hook:「留め金」という意味の英語)!」
めぎっ。
と、強烈な衝撃音と、何かが折れたような手ごたえ。
池松の身体は、風車のように回転しながら後方へ吹き飛んでいた。
『――やっぱ、信じられねえ』
ふたたび、ロクロが脳内で小声でつぶやいた。
「俺の能力って」
創面は拳を突き出した姿勢のまま、落ち着き払ってそれに答える。
自分でも驚くほど心が澄んでいる。
「意外と、強いのかもしれない」
『そうじゃねえ。いや……そうじゃねえというか、アー……、とにかく』
「なんだよ、うるさいな。せっかく人が余韻に浸ってるところを」
『浸ってる場合か、バカ。ヌードルバカめ。
いますぐ逃げろ。二度は通じない、次はヤバイぞ!』
「……ああ?」
『いいかソメン。トーゲイってのは相手を回転させながら吹っ飛ばす技じゃねえ。
それじゃあ威力が半減する! 半減するんだよ!』
「ど、どどどどどういう意味だよ」
『クソッタレ! ブッダファック! あいつ、俺の回転を盗みやがった!』
「うげ……」
そして創面は顔をひきつらせた。
ゆっくりと――池松叢雲が立ち上がっている。
「見事(me-god)」
池松は、明瞭な発音で告げた。
――4th STEP――――――――――――――――――――――――――――――
池松叢雲は考える。
(日谷創面。やはり逸材だ)
池松は常に強者を求めていた。
SLGの会に入ったのも、より多くの強者と接する機会が増えると考えたためだ。
彼にはなんとしても到達したい一撃がある。
絶対無敵の、『最強の一打』。
かつて、とある魔人のそれを目の当たりにした池松の目から焼きついて離れない。
そこにたどり着くためには、さらなる強者との戦いが、
その技を盗んでいくことが必要不可欠であった。
(陶芸の《回転》。覚えたぞ――)
池松叢雲の《統一躯》は、自分の心身を完全にコントロールする。
一度見た技術ならば、その動きを完全に再現することができた。
創面の陶芸の《回転》にあわせ、自ら同じ方向に回転し、威力を減じることも、また。
そして、英語を相殺することはたやすい。
衝撃を受けた瞬間、体内に英語を放ち、外部から浸透してくる英語を相殺した。
呼吸もままならない状態であったので、完全に、とまではいかないが、
おおよそ三割程度の衝撃を咄嗟に緩和することができる。
結果、致命傷を免れた。
(もっと強くなれるだろう、日谷創面)
池松は起き上がり、自然体に構える。
(俺もだ)
距離は十メートル。駆ければ一息だ。深く、呼吸を練る。
「Cooooooo――――――」
日谷創面はここで逃げない。向かってくるだろう。池松にはその確信があった。
先刻の激突では、確かに策と気迫、そして覚悟で凌駕された。
だが――
(英語とプライドでは、俺が勝る。聞かせてやろう、日谷創面)
――5th STEP――――――――――――――――――――――――――――――
『逃げろ、ソメン。バカか。一旦退いて、別の作戦を考えろ!』
(いやだ)
『……アア!?』
ロクロの激昂する感情が伝わってくる。
しかし、創面は無視して、体勢を低く構えた。
(俺の能力が入ってる。持続時間は数十秒。
もう一度触れば、池松先生の拳だって、もっと軟らかくできる。
やってみたい技もある。仕込んだ糸もぜんぶきられたわけじゃない)
『確実に勝てねぇときは逃げろ、それが手芸者だ』
(知るか。それに)
創面は、緩やかに踏み出してくる池松叢雲に対して、同じく自然体に構えた。
(いま、いいテンションなんだ。逃げたくない)
池松は鳥面の奥の瞳を青く輝かせ、つぶやいた。
「いくぞ(ix-though:「いくぞ」という意味の英語)」
日谷は呼吸を整えながら応じる。
「かまわない(come-one-night:「構わないからいつでも来てください」という意味の英語)」
――再びの交錯までは、一瞬。
その間に、創面はいくつかの信じられないものを見た。
(……《アゲインスト・トーフ》!)
創面は真っ先に床に手をつき、そして能力を全開に、腕を突きこんだ。
陶芸の《回転》をくわえながら。
すでに一度軟化させていた床は、《回転》のくわわった創面の手によって、
あっという間にぐしゃぐしゃの破片状にミキサーされる。
その破片を、《回転》の運動力によって、突進してくる池松へと飛ばす。
空中に飛び出す破片から能力を解除すれば、それは瓦礫の散弾銃と化す――。
「伏ッ(foot:「足」という意味の英語)」
池松は身体を這うように倒し、破片の群れをかわす。
そして、四肢の力を使い、獣のようにとびあがった。
(天井――)
創面は池松の姿を追おうとした。だが、天井を蹴り、今度は創面の飛ばした瓦礫を足場に。
これも蹴って勢いをつけ、壁へ。そしてまた床、瓦礫片、また天井。
(うそだろ……!)
ががががっ、と、池松が足場を蹴る音だけが反響する。
創面は瓦礫の散弾を飛ばすのをやめた。飛ばす瓦礫が、池松の空間軌道の足場にされてしまっている。
その頃には、池松はすでに創面の頭上へ落下してきていた。
(上かよ。天井を足場に?
軟化で踏み込みを弱める方法に対抗された。くそっ)
だが、相手は空中だ。こっちが自由に迎え撃てる。
(まだだ、手芸……!)
創面は片手をすばやく動かした。池松の身体に未だ絡ませていた、数本の手芸糸が彼を締め付ける。
こっちは先刻、あえて使わなかった――姉が能力を施していたエプロンを解れさせたものだ。
切り札の一つである。池松の力でもたやすく切断することは……。
「疾ッ(sick:「病気の」という意味の英語)」
池松の肺から奇妙な呼吸が吐き出され、じゅっ、と、何かがこげるような音がした。
瞬間、池松の身体に絡み付いていた糸が、いっせいに千切れた。
刹那の間に圧縮され、研ぎ澄まされた創面の目と神経は、焦げ付いた糸をとらえる。
(な、なんだこれ、これも英語なのか!?)
『体温操作だ、ブッダシット! こいつは自分の身体を操る!』
(糸が焼ききれるほど、体温を高くできるって? 物理的におかしいだろ!)
『それが魔人能力なんだよ』
見れば、確かに池松の身体のあちこちからも煙が立ち上っている。
糸を焼ききるために、自らも火傷を負ったのだ。
だが、創面の頭上から迫る運動エネルギーには、いささかの減退もない。
やるしかない、と、創面は思った。
(まだだ。《アゲインスト・トーフ》を……もう一度、全開で入れれば……!)
豆腐同然に軟化させれば、どれだけ威力があろうとも、打ち勝てる。
創面は頭上の相手を迎撃すべく、掌底を捻りながら突き出す。
池松が頭上から放つ掌底にあわせて、弾くように……。
(集中しろ……! 一瞬で豆腐状態にしてやる!)
「「Cooooooo――――――」」
両者の呼吸が静かに高められ、そして完結し、互いに放たれる!
「破ッ(hat:「帽子」という意味の英単語)!」
「覇ッ(hack:「叩ききれ」という意味の英語)!」
――池松の掌底とぶつかった瞬間、創面は二つの違和感に気づいた。
(……硬い……!?)
さきほど、確実に池松の腕には《アゲインスト・トーフ》を入れたはずだ。
だが、この硬さは……軟化が解除されている……
(まさか)
自分の心身を自在に操作する能力。《統一躯》。
自分の心身を――物理法則を無視するほど、自在に操作する――能力――。
(軟らかくなった自分の身体を、元通りに復元したのか?
物理法則を無視してる……いや、魔人能力だ、定義に順ずるならなんでもアリだ!)
しかし、池松が意識しない瞬間的に能力を浸透させるなら、ある程度は効果がある。
それでも、やはり二割程度の衝撃を緩和するのがせいぜいだ。
そして、池松の掌底は、たしかに陶芸の《回転》を持っていた。
技を盗まれた。
それも創面の《回転》と、逆方向へ。
(やばい、こっちが)
びきっ、と親指に鋭い痛みが走った。折れたか。
(弾かれる!)
池松の掌底は、まっすぐに創面の胸部へ吸い込まれる。
さきほど創面が池松に打ち込んだ部分と、まったく同じ場所を。
(まだだ)
創面は諦めてはいない。
衝撃は、不完全ではあるが《アゲインスト・トーフ》と回転により衝突威力は軽減している。
(……根性で耐える!)
『この状況でよくその選択肢が出てくるな、オイ。感心するぜソメン』
創面はロクロの呆れたような声を無視する。集中……!
だが、創面の覚悟に反して、池松の掌底は彼の胸部に触れただけで止まった。
(す、寸止め……!? いや、の、能力! 《アゲインスト――》)
創面が意表をつかれた。瞬間だった。
「Coooo――」
短いが、鋭い呼吸。そして池松の英語が放たれる。
『麒 麟 (killing)』
暗勁(and-'K')といい、寸勁(soon-'K')ともいう。
密着距離から、英語の衝撃だけを相手の体内に伝え、内側から破壊する技術である。
人間の身体はほとんどが水分であり、英語の振動をよく伝える性質を持つ。
拳による外部破壊とは逆の、『軟らかい英語』として知られる――。
これならば、手足の軟化にも、回転の力にも弱められることなく、英語の衝撃が伝わる。
――その英語は、速やかに創面の全身を満たし、そして激しく彼を打ち砕いた。
――Final STEP――――――――――――――――――――――――――――――
倒れた創面に、池松は話しかける。
「足場を軟化させる……実際、あれが最も脅威だった。
天井まで軟化していたら、打つ手がなかった」
どこからか、サイレンの音が聞こえるような気がする――
創面は白熱化したような五感でそれを感じた。錯覚かとも思う。
池松の英語が、まだ全身を逆流させるように駆け巡っている。
「無理はするな。あと五分もすれば動けるようになる」
池松は、創面を見ていなかった。窓の外にその黒い瞳を向けている。
『だから俺は逃げろっつったんだ』
ロクロはひっそりとぼやいた。
『面倒なことになるぜ。絶対に面倒なことになる』
(うるさいな)
窓の外で、赤い光源が明滅している。 池松は一歩、窓に歩み寄った。
「まもなく、魔人警察がやってくる。俺の居場所をかぎつけたのだろう。
そっちは俺が片付ける」
『恩着せがましいぜ、こいつ』
(ロクロ、ちょっと黙ってろ)
池松は窓枠に足をかけながら、創面を振り返った。
「よければ、あとで鈴木三流に会ってやってくれ。
お前に頼みたい仕事があるが……、それだけでは惜しい男だ、日谷創面」
そして、池松は夜の闇に身を躍らせる。
「See you again(「また会いましょう」という意味の英語)」
――創面は朦朧とした五感で、サイレンの音と、やがて聞こえてくるだろう戦闘音に耳を澄ませ、
ゆっくりと寝返りをうつ。天井が見える。
「ロクロ……」
『なんだよ。黙ってろとか言わなかったか?』
「もっと強くなりたい」
『それで?』
「……俺に陶芸を教えてくれ。頼む」
『最初からそう下手に出りゃいいんだよ。ついでにその身体をよこせ』
「だめだ」
【池松叢雲:行方不明】
【日谷創面:STEP UP!】
最終更新:2011年11月08日 00:03