野試合 裸繰埜闇裂練道SS
試合内容
「――鈴木会長が心配してます。ぼくは先生のことが嫌いですけど、
できるだけ早く戻ってきてくださいね」
「take care.」
その会話は練道にも聞こえていた。既に池松は臨戦態勢に在るという事だ。
口の端を僅かに吊り上げ、急速に間合いを詰める。
大気が渦を巻いて歪み、戦場への転送準備が完了した事を告げていた。
昇り始めた朝日が静かに呼吸を整えて屹立する池松を赤く照らしだした。
二者の距離が三十メートルまで縮まった瞬間――練道は跳んだ。
地を這うように低く、砲弾の如き常識外の速度で池松に迫る。
歩数にして五、時間にしてゼロコンマ数秒。
文字通り瞬く間に間合いを無に帰した練道の右拳が、池松の身体を捉えた――。
■ ■ ■ ■ ■
「ぐぅッ(good:「良いですね」という意味の英語)!」
転送と同時に吹き飛ばされた池松は、
腰を落としたまま五メートル程地滑りした所で停止した。
黒々と跡を残す二本の線の先には、打撃の体勢をゆっくりと引き戻す練道。
二者は豪華客船の先端部、広々とした甲板の上に立っていた。
池松は練道に倣い、両腕を十字に組んだ防御姿勢を解いて油断なく口を開いた。
「久しいな、兼石次郎。いや……裸繰埜闇裂練道と呼んだ方がいいか?」
「その名を知っている人間は少ない筈だが」
練道は肩を竦めた。
「まぁ良い。ともかく俺は兼石次郎としてこの大会に出場した。
お前が出場していると知った時は驚いたが……結果は知っての通りだ。
女子供に翻弄され、無様に敗北を晒した……武人・兼石次郎の地金はそんなものだ」
「それを言うなら俺とて女子供に負けている」
淡々とした口調で言う池松に対し、練道は皮肉げに鼻を鳴らした。
「それよりも(so-let-you-lea-more:「そんな事よりも」という意味の英語)
――わざわざそんな事を喋る為に俺をここへ連れてきた訳ではあるまい」
「まぁそう急くな」
練道は懐から煙草とマッチを取り出し、火を付けた。
吐き出された煙が潮風に乗って流れて行く。
池松は緩やかに呼吸を整えて全身に英語を巡らせ、不意の事態に備えていた。
一見ただ直立しているだけのように見えて、その実微塵の隙も無い。
池松は確信していた……己の予想が的中していた事を。
それは即ち、全身全霊を振るい尽くして戦わねば勝機は無いという事実を意味する。
「お前の実力は試合を見て大凡把握したつもりだが……先の一撃、何故加減をした」
「加減などしとらんさ。あれで全力だ」
池松の問いに、練道は心外だと言いたげに片眉を吊り上げて答えた。
ゆっくりと煙を吸い込み、細く長く吐き出す。
「言った通り、武人兼石次郎はその程度のものだ。
己の人生を賭けて武を磨いてもな……まったく情けない」
「謙遜も過ぎれば嫌味になるぞ」
「謙遜では無い。事実お前は初撃を加減したものと認識したではないか」
「その通りだ(so-not-to-reader:その通りですという意味の英語)」
池松は静かに構えをとる。
「何も間違ってはいない。どういうつもりかは知らんが、お前は間違いなく
力を隠している」
「眼力は確かなようだな」
練道は苦笑と共に紫煙を吹き出す。
不敵というよりも不気味と形容する方がしっくり来るような笑みだった。
「今までは武人としての全力だ。しかしその力試しも終わった。
……お前が相手なら不足は無い。俺個人の闘いをさせて貰う」
潮気を含んだ生温い風が、不意に池松の長髪を揺らした。
練道が咥え煙草をデッキに落とし、踏みつける。
練道が現れてからずっと感じていた肌を刺すような殺気が、
暗く重い、絶望を予期させる空気へと変わった。
ただそこに立っているだけで命を削られていくような、異様な圧迫感。
池松の背筋に思わず冷たいものが走る。
「ここからは――魔人・裸繰埜闇裂練道としての全力を以て闘おう。
……この名を名乗るのは本当に久しぶりだ。だからせめて――」
失望させてくれるなよ。
瞬間、纏っていた殺気すらも置き去りに練道が消えた。
池松がその姿を視界に捉えたのは寸毫の後。
気付けば眼前に、存外丸みを帯びた練道の拳が迫っていた。
池松は思い出す。練道が闘った三つの試合の内容……その共通点を。
一回戦、バロネスに加えた一撃。ミドに踏み込んだ震脚。
敗北を喫した後の裏トーナメント一回戦、医師仮面との打ち合い。
準決勝……は、
意志乃鞘の能力が発動していた為にあまり参考にはならないが。
総じて抱いた感想は一つ。――こんなものか?
確かに練道の動きは洗練されており、威力、速度も常人離れしていたが……
その実力は、池松の予想には遥か及ばぬものだった。
結果、池松は練道の余力を確信するに至る。
それは半分正解であった。武人としてトーナメントに参加した練道は、『人の膂力』を
保ったまま闘っていたのである。全力を出していたとする練道の言葉も虚言では無い。
但しそれは飽くまでも人の力の上限を超えるものでは無かった。
人として、武道家として大会に臨んだ結果、練道は敗北した。
そしてその枷を今、練道は自らの意思で外す。
己の全てをぶつけて尚立っていられる可能性を持つ者は、
少なくともこの大会には池松叢雲をおいて他には居ない――。
視界に広がる拳に驚愕しつつ、池松は咄嗟に身体を捻った。
耳元を寒気のする勢いの込められた打撃が掠める。
ここまで間合いを詰められるまで池松が反応すら出来なかったという事実は、
練道の身体能力そのものが恐ろしいまでに上昇している事を否応無く知らしめた。
池松が反撃に移る間もなく、返しの左拳が突き上げられ、皮一枚でこれをかわす。
仰け反った所に右の貫手。左腕で払うが、捌き切れず小指が池松の首筋を掠めた。
「(迅い(her-yat-eat:「スピード感のある」という意味の英語)!)」
それは映像で見た練道の実力を明らかに上回る連撃であった。
統一駆で精密な身体制御を行い、最善手を打ち続けて尚
その打撃は確実に池松の身体を削って行く。
左耳を掠めた拳は風圧によって鼓膜を破っていたし、
貫手を払った左腕は痺れが抜けない。
「シィッ!」
鋭く放たれた突き上げるようなフックが池松の脇腹を狙う。
衣服を裂かれながらこれをバックステップで回避すると、両者の間にスペースが空いた。
瞬間、攻勢に転じようとした池松の気を潰すかの如く、練道の巨体が激突する。
鉄山靠――猛烈な体当たりをまともに受け、池松の身体が人形のように吹き飛んだ。
大型トラックが突っ込んできたような凄まじい衝撃に意識を飛ばされかけながら、
辛うじて受け身を取り前を見た池松に、木片や飛礫が散弾の如く襲いかかる。
練道が泥濘にでも突っ込むような仕草で甲板に足をめり込ませ、一気に蹴り上げたのだ。
「Coooooo――」
池松は慌てる事も無くバイリンガルの呼吸を巡らせた。
礫は広範囲に及んでおり、避ける事は叶わない。背後は船室の外壁だ。
負傷覚悟で防御したとしても間髪入れず練道が飛んでくるだろう。
では隙を見せずにこの場を切り抜けるにはどうするか?
「喝ッ(cut)!」
池松はその場を動かず、鞭のように腕をしならせて飛びくる木片の一つを撃った。
絶妙の角度と力加減で拳を撃ち込まれた木片は英語の波動を纏い、
さながらビリヤードの如く池松の直線上にある礫を叩き落としていく。
「疾ッ(sick)!破ッ(hat)!」
同じようにもう二、三個の破片を撃ち、礫を落とす。
そして最後の一欠片を、迫りくる練道目掛けて撃ち放った。
それを僅かに首を傾けてかわし、目も眩むような速さで距離を詰めると、
巨大槍のような突き蹴りを放った。紙一重で身体ごと捌き、これを回避する池松。
轟音と共に船室に大穴が空いた。練道の足は壁にめり込んだ形になる。
この機を逃す池松では無い。
「邪ッ(jack:「ジャックさん」という意味の英語)!!」
渾身の英語を乗せた拳が練道の胴に触れようとした瞬間、池松はくの字に吹き飛んだ。
突き蹴りから真横に軌道を変えた練道の回し蹴りが、
壁ごと池松の横腹を蹴り飛ばしたのだ。
粉々になった壁材と共に宙に浮く池松の奥襟を、電撃の如く伸びくる練道の手が掴んだ。
そのままハンマー投げの要領で遠心力を付け、池松を船室目掛けて投げ付ける。
穴の空いた壁をぶち破り室内に転がり落ちた池松に、再び流星のような礫が襲った。
素早く反転し、僅かに残った壁に貼りついて礫をやり過ごす。しかし次の瞬間、
頭のすぐ横の壁を突き破った練道の右腕が、鬼のような力で池松の肩を掴んだ。
「ぐッ(Gmm:感嘆詞。特に意味はない)」
そのまま壁ごと引き摺り倒された。振り下ろされる左拳。
池松は強引に身を捻り、ギリギリの所で拳をかわした。耳をつんざく破壊音が響く。
一秒前まで池松の頭があった位置に練道の体が半分隠れる程のクレーターができていた。
拳を引いて剥き出しとなった鉄骨を踏み、練道が身を起こす。
素早く距離を取り構え直した池松の左肩からは、真っ赤な肉が露出していた。
「そうだ、それで良い」
練道は握っていた掌を開いた。血に染まった服の一部と肩肉が零れ落ちる。
「随分と使うようになったじゃないか。いつぞやとは大違いだ」
「こちらの台詞だ」
池松は無表情に言った。
枷を外した練道の実力は、池松の想像をも上回るものだった。
しかし池松に動揺は無い。肩の出血は止まり、呼吸も乱れ一つなくスムーズだ。
破れた鼓膜も既に修復しており、三半規管にも問題は無い。
相手が誰であろうと、どれだけ強かろうと、池松のやる事は常に一つ。
最大最強の一撃を叩きこむ事である。
そんな池松の様子を見て、練道は犬歯を剥き出して笑った。
「お前の力が何であろうと興味は無い。流儀にも頓着しない。
ただ、お前が俺の全力を引き出すに足る存在であれば、それで良い。
さぁ教えてくれ……俺は強いか?お前の全てを捻じ伏せられる程に」
「良いだろう、教えてやる。Now, I will begin a lesson.Repeat after me.」
その言葉をきっかけに、練道は甲板を蹴り一息に間合いを詰めた。
地面を擦るように踏み込んだ練道の打拳が霰の如く池松の全身に繰り出される。
「Coooooo――!!」
池松は呼吸を崩さず、鉄鋼弾のような拳の雨を捌き、かわし、弾き、受け止める。
どれもがまともに喰らえば戦闘不能になりかねない威力を持っているにも関わらず、
池松は淡々と攻撃をいなし、反撃の機会を待ち続けた。
しかし――練道の攻撃は途切れない。その顔を、池松はよく覚えている。
二十年以上も前、まだ少年だった練道と闘った時の表情。
あの時も、練道はこんな風に――本当に楽しそうに、笑っていた。
「くく――はははっ、ははははは!!」
打撃の嵐が一層激しさを増した。鳥面の下の表情が苦悶に歪み始める。
ただ無茶苦茶に打っているのではない。一瞬の間断も無く、急所を正確に狙っている。
無理に反撃を試みれば、たちまち全ての拳がカウンターとなって返ってくるだろう。
今は防御に徹するしかない。今は――そこまで考えた時、
池松の心にほんの一滴の不安が湧いた。もし、このまま攻撃が途切れ無ければどうする?
じりじりと体力を削られ、遂には押し切られるのではあるまいか。
それは思考の全体量と比すれば大海に浮かんだ一艘の手漕ぎ船のような、
到底身体に影響を及ぼし得ない程小さな憂慮だった。
だが。相手は他ならぬ闇裂練道。不世出の怪物である。
ほんの僅かな心の曇りが、針の先程の誤差を産み。
その誤差が、受け手の選択を誤らせた。
「破ッ!」
裂帛の気合いと共に、練道の右拳が池松の鳩尾に深々と突き刺さった。
■ ■ ■ ■ ■
「……未熟な(me-juke-now:「未熟な」という意味の英語)」
どれ程飛ばされたのか、池松はルーレット台にめり込んだ己の身体を引き抜きながら呟いた。
ごぼりと嫌な音を立てて食道を駆け昇ってきた血を吐き捨て、正面を見据えた。
瓦礫の山を踏み分け、練道が姿を現す。その表情は先程の笑みが嘘のような仏頂面だ。
「まだ闘えるな?池松叢雲よ。俺を失望させてくれるな」
「Of course(「勿論」という意味の英語).俺とした事が知らぬ間に弱気になっていたようだ」
池松の闘志は萎えるどころか益々燃え盛っている。練道は頷いて構えた。
「遠慮も容赦も必要無い。全身全霊でお前を砕く」
静かに、だが確固たる決意を秘めた宣言だった。
練道が大股で間合いを詰め、たちまち二人の制空権が触れ合う。
瞬間、先に踏み込んだのは池松であった。十分な英語を乗せた、右の掌打。
「底ッ(tail:「尻尾」という意味の英語)!」
練道はそれを中段突きで迎え撃つ。鋭く弾けるような破裂音がカジノ場に響いた。
速度は互角。威力も互角である。
「(これは……?)」
内心で驚きつつ、練道は空気を裂くような勢いの回し蹴りを繰り出した。
「吹ッ(foot:「足」という意味の英語)!」
同じく回し蹴りで応ずる池松。鋼鉄をぶつけ合ったような音が響く。
やはり互角である。練道の胸中に不気味な違和感が立ち上り始めた。
「(あの一撃を受けて何故威力が増している?)」
そう、つい先程まで防御する事しかできていなかった池松が、
練道の攻撃と互角に渡り合い、相殺している。
慣れや読みではあり得ない変化である。
「射ッ(shark:「鮫」という意味の英語)!」
池松の貫手が迫る。手刀で叩き落とす練道。間髪入れず左のフックを右腕で防ぐ。
密度の濃い打撃戦。先程との違いは池松も練道と同等に攻撃を仕掛けている事と、
――徐々に練道が押され始めている事だ。
「ぬぅッ」
練道が右の手刀を袈裟掛けに振り下ろす。これを半身でかわした池松が練道に密着した。
その鳩尾には左手が添えられている。
「破ッ(hat:「帽子」という意味の英語)!!」
「が、は――!」
それはsing-to-'K'(浸透勁)の一つ、sung-'K'(寸勁)であった。
体内の水分を英会話によって揺らす、英語の奥義……
それを受けた練道は思わず崩れ落ちそうになった膝を支えた。
しかしこれは、次なる一撃の布石に過ぎない。
「Cooooooo……」
腰を落とし、右拳を引きながらバイリンガルの呼吸を繰り返す池松。
練道は血に染まった口元を吊り上げ、池松と同じように構えた。
「上等だ……流儀では無いが、俺の『一撃』を見せてやる」
「come-one(構わないからいつでも来なさいという意味の英語)」
静まり返ったカジノ場に、二人分の呼吸音が反響する。そして――
「呼ォオオオオ!!!」
「Cooooooooooo!!!」
二者は同時に踏み込んだ。選択した技は偶然にも――否、二人は解っていた――同じ、
先程池松に痛打を与えた鉄山靠である。
同時に地面を踏みしめた。
物理的衝撃と英語的衝撃がかち合い、巨大なクレーターを形成する。そして。
一トン級の爆弾が炸裂したような轟音が響き、カジノ場の床が崩落した――。
■ ■ ■ ■ ■
豪華客船、客室内。
広々としたロイヤルスイートは見る影も無く瓦礫でボロボロになっている。
その廃墟然とした空間に佇む男が一人、倒れ伏すもう一人の男を見下ろしていた。
男の名は、池松叢雲。
肺に残存した空気を吐き出すように喉を震わせ、倒れる男に短く声をかける。
「立て(tar-to-it)」
「……ようやく理解した」
呻くように応え、練道がむくりと身を起こした。
「お前が強くなっていたのでは無い。俺が弱くなっていたのだ」
「然り……これはeye-show(相性)の問題だ。原因はお前のchose-'K'(聴勁)だ」
聴勁……それは全身を目とし耳とし、敵の動向を体で感じ取る技術である。
極めれば読心と変わらぬ程の効果を発揮し、目を閉じたまま闘う事も可能だ。
「chose-'K'(聴勁)は一度覚えれば忘れるという事はできない。
自転車の乗り方を忘れる事ができないのと同じく、だ。
全身を耳とする技術……お前は知らず、俺の英語を身体で浴びていた事になる」
練道は英会話者では無い。当然英語に対する耐久力は一般の人間と何ら変わらないのだ。
聴勁によって体内に侵入した英語は、ゆっくりと毒のように練道の全身を蝕んでいた。
「同情はしない。これもお前の未熟だ」
「当然だ。……これでやっと良い勝負ができる」
練道は不敵に言い放った。それを受けた池松は僅かに口角を上げ、構えをとる。
「そして、止めを刺さなかったのはお前の未熟だ」
言い捨てた練道が不意の貫手を放つ。首を傾けて回避する池松。
一歩踏み込み、接近戦に持ち込んだ。
英語に全身を蝕まれた今――元よりそんなつもりは無かったが――
最早長期戦は望むべくも無い。強烈な震脚が部屋を揺らした。
鋭く息を吐き、同時に引き絞った左拳を解き放つ。同時に池松がそれを迎え撃った。
極限まで気を込めた左正拳と、一切無駄の無い英語を纏った右掌打がぶつかり合う。
空気が震え、衝撃が渦を巻いて周囲の瓦礫を吹き飛ばしていく。
互いの腕に亀裂が走り、肉が裂け、同時に弾き飛ばされた……が。
練道は左腕の軌道など無視して更に踏み込む。狙いは一点、池松の胴。
しかしあまりに強固な意識はそれ故に読まれやすい。
渾身の力を込めた一撃を繰り出そうとした練道の胸に、
池松の振り被っていた左掌打が叩き込まれた。
「征ッ(say:「言う」という意味の英語)!!!」
同時に流れ込む英語の奔流。
あまりに膨大な英単語の羅列が、練道の胸を、肺を、臓腑を押し潰していく。
不気味な感覚が全身に広がり、練道の七孔(頭にある七つの穴)から血が噴き出した。
鮮血が池松の右手を濡らす。勝負あり……そう確信した。
練道の左手が、その手を掴むまでは。
「not-need(何)ッ?」
「一……撃……」
練道の血に塗れた眼がぎらりと光った。池松は瞬時に息を吸い込む。次弾を穿つ為だ。
だが、もう遅い。
左手で手首を掴んだまま右肩を池松の伸び切った左肘にぶつけ、極め折った。
そして、震脚――。
「一……撃……だ!!」
下から突き上げる練道の拳が、再び池松の鳩尾を貫いた。
八極拳の絶招(実戦の妙技)、大纒崩捶。
魔人の中でも傑出した膂力と、中国拳法の極北が融合したその一撃は、
池松の身体をロケットの如く打ち上げ、天井を突き破って尚止まらず。
それを見届けた練道はがっくりと膝をついた。掛け値無しの、渾身の一撃だった。
「……――……――…ii……」
練道が弾かれたように顔を上げたのはその数秒後である。
何かが、聞こえた。
これは。
「――iii……――iii……」
これは、英語だ。――否。
何かが違う。非英会話者である練道にもそれは理解できた。
一体何が起こっている?練道は力の入らぬ足を叱咤し、床を蹴った。
一蹴りでカジノ場に戻り、もう一蹴りで船の天辺へ。
空を見上げた練道は我が目を疑った。
「……何だ、あれは……!!」
空を一面に覆っていたのは、どれ程の大きさなのか検討すらつかない黒い影だった。
「――Siiiiiiiiiiii!!!」
その中心で真っ逆さまに落下してくるのは、紛う事無き池松叢雲。
毒蛇の如き荒々しい発音は、アングロサクソンの風合いを色濃く残したceltic sound。
その言葉は、現代において既に消失した筈の言語――『古英語』であった。
あまりにも凶暴で荒々しく、そして強大過ぎるが故に封印された、英語の源流である。
池松が何故に禁断の言語を知っていたのか、その理由は定かでは無い。
ただ解る事は、池松が古英語によって纏ったオーラの正体。
それは――
「グレートブリテン島……!」
説明されずとも、心で理解できた。
イメージの召喚は即ち究極のボディランゲージである。
イギリス本島を引き連れ、真っ直ぐこちらへ降下してくる池松と眼が合った。
練道は確信する。
「受け止めてみろ、という事か……!」
知らず練道の口角が裂けんばかりに引っ張られ、瞳は爛々と輝いていた。
かつて池松と闘った時のような純粋な笑みを浮かべ、練道は天に吼えた。
「それでこそ!それでこそだ池松叢雲!これこそが俺の求めていたものだ!
来い池松!!島だろうが大陸だろうが、俺の拳に砕けん物は無いぞ!!!」
その咆哮に池松は頷き、空中でぐんと右腕を引いた。
古英語のエネルギーが右手に集中していくのが解る。
練道もぐっと身を沈めた。身体の傷など最早どうでも良かった。
そんなものは今全身を駆け廻っている昂揚感の前には塵同然だった。
「SiiiiiiiiiiiiAAAAAAAA!!」
「轟ォオオオオオオオオオオ!!」
二頭の狂獣が吠える。そして、空が落ちてきた。
『 大 英 落 地 勢(die-ake-luck-cheek-say)』
『 通 天 砲 』
両者の奥義がかち合い、炸裂し、宙空に一条の閃光が走った。
次の瞬間、衝撃と爆音が大気を波打たせ……豪華客船が、砂糖菓子の如く真っ二つに割れた。
■ ■ ■ ■ ■
衝撃の余波で荒れる海面を漂う男が二人。
一方は比較的大きな残骸の上で仁王立ちになり、
一方は木片を下敷きにして仰向けに浮かんでいる。
燦々と降り注ぐ太陽の光に眩しげに眼を細める。
仁王立ちの男――練道が声をかけた。
「動けるか?俺はまだ続けられるぞ」
「いや(eat-yat:否定を意味する英語)」
鳥面の男は呟くように答えた。そして溜息混じりに言う。
「体が動かん……俺の負けだな。」
「そうか」
練道は喜ぶでも悔しがるでもなく、淡々と勝利を受け入れた。
「古英語の反動か……俺にはまだ使いこなせなかったようだ。
イメージの召喚までは成功したんだが」
「ああ、正直あれは度肝を抜かれたぞ」
くつくつと愉快げに喉を鳴らす。池松は無言で漂っていたが、
不意に何かを思い立ったように口を開いた。
「……近々大きな抗争がある。時が来たら力を貸してくれ」
「ほう、相手は?」
「ウルワシ製薬」
ぴくりと練道の眉が動いた。
「また面倒なのを敵に回したな。潰すのか?」
「Of course(「勿論」という意味の英語).完膚なきまでに」
「面白いな」
口元に楽しげな笑みを浮かべ、練道は上機嫌に言った。
池松はその様子をじっと見つめている。
「あるいはウルワシに付いた方が面白いかもしれんが」
「関わらんならまだしも、それだけは止めろ。一国を相手取る以上の戦力が要る」
「冗談だ。良いだろう、協力しよう。俺は暇人だからな……条件さえ呑めるなら、だが」
「何だ」
池松は半ば答えの解っている質問をした。
練道は眼を爛と輝かせて言い放つ。
「お前が古英語とやらを完璧に操れるようになった時、もう一度俺と勝負しろ。
それだけだ」
「I eye saw(「アイアイサー」「了解」という意味の英語)」
その答えを聞いた練道は、やはり子供のように笑った。
そして波間に揺れる池松の鳥面の下にも、静かな笑みが浮かんでいたのだった。
了
最終更新:2012年01月02日 21:33