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野試合 池松叢雲SS

名前 魔人能力
池松叢雲 統一躯
裸繰埜闇裂練道 永劫

採用する幕間SS
なし

試合内容

 雨が降り始めていた。
 波が深くうねり、船の巨体を徐々に揺らし、軋ませる。
 嵐の領域に侵入しつつあるのだ。
 空は暗く、朝か夕かも判然としがたい。

 そして、大粒の雨が落ち始めた甲板で、二人の男が対峙している。
 両者の輪郭は、闇の中でもなお圧倒的に際立っていた。
 それは内側に留めた気の高揚によるものか。

「池松叢雲」
 片方は、着物に袴姿の大男。
 裸繰埜闇裂練道である。

「ようやく追いついたな。よく二十年も逃げ続けてくれた」
 すでに、腰を落とし、両方の拳を中段に構えている。
 その構えは洪家拳(南派拳法の一つ。船上戦闘を想定した動きを取り入れた打撃拳法)に似ているが、
 やや前傾姿勢気味であることを見るに、何かの自己流拳術が混合されていると思われた。

「今日は、降参などと言わせるつもりはない」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「逃げた続けたつもりはないな、練道」
 もう一方は、黒いスーツの男。ネクタイは緩み、顔には鳥面。
 池松叢雲であった。

「お前が方向感覚に乏しいせいだ。
 どうせ対戦場所を教えても辿り着けなかっただろう?」
 すでに自然体であり、一見したところ無造作に両手を垂らしている。
 その構えはネイティヴ・スピーカーのフランクな会話に似ているが、
 わずかに左足が前に出ているところを見るに、何かの自己流会話法が混合されていると思われた。

「お前のコミュ力では、この会場にたどり着くのも苦労した。そうだろう?」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「大きなお世話だ」
 練道は眉間にしわを寄せた。
 図星であった。

「そろそろ――はじめるか」
 濃密な殺気、波のような戦意が、練道の全身から立ち上り、
 その姿の輪郭を膨れ上がらせる。
 それはさながら、サウスダコタ州のマウント・ラッシュモアに刻まれた、
 歴代大統領の巨顔のごとき威容を思わせる。

「互いに、気になっていたはずだ。はっきりさせるぞ、池松叢雲。
 今日はくだらん邪魔も入らん」
 腰を落とし、やや前のめりに構える練道の姿は、まるで一匹の獣。
 攻撃的なアメリカスラム街のブロークン・イングリッシュ!

「come one (構わない)」
 池松もまた、澄んだ闘気を四肢に漲らせる。
 外ではなく、内部へ向けた気の収束。
 練道の気を溢れる波とするなら、こちらの闘気はまるで内側から燃える炎か。
 八極拳の功の練りに似ている。爆発する瞬間を待つ、火薬の塊のような。

「はっきりさせようか、練道。どちらがより強靭か。
 miss set me yellow(見せてみろ)」
 波に揉まれる船の上でなお、揺らぎもせず自然体で立つ池松の姿は、まるで一本の槍。
 『神槍』と呼ばれた八極拳の伝説、李書文のごとき気迫!



「最強の」
 それは、どちらのつぶやきであったか。
「一撃は」
 雨が激しさを増し、甲板を強く叩き始めたが、
 両者の間の空気は糸が張力を増すように強く張り詰める。
「俺の」
 風がうなりをあげる。
 あるいは、それは両者の激しい呼気であったかもしれない。

 空気が張り詰め、破れる。
 そう思われた瞬間、両者の影が動いた。互いへ向けて。
「「俺の――」」

「英語」
「永劫」

「「だ!!!」」

 同じエイゴ使い同士(と思っている二人)の激突に、雨粒が砕け、彼方で稲妻が響いた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 先に仕掛けたのは、池松叢雲であった。
 闇裂練道ははっきりと、その技の起こりを見ていた。

「――覇ッ(hat:帽子という意味の英語)」
 短く、鋭い呼気。
 池松の鳥面の奥の目が、火を吹いたように錯覚する。

(鑚拳……)
 あまりにも単純な、形意拳のアッパー・ショットの技法の一つである。
 拳をひねり、ねじり込むように打つ。
 が、軌道は直線的であり、牽制に打つような打撃ではない。

 むしろ練道が驚いたのは、その拳にこめられた異常な勁の密度である。
 練道の目には、背筋の毛が逆立つほどに強力な、
 煮えたぎるような勁がその一撃にこめられているとみえた。
(だが――)
 それに気圧される練道ではない。
 その顔に、獣じみた笑みが浮かんだ。

「いいぞ、池松叢雲」
 練道は、半歩。
 髪一重、いや、二重ほどの余裕をもった回避であった。
 鼻先を、焦げ臭いようなちりちりとした感覚がかすめる。
 それとほぼ同時、身体を開いたわずかな勢いで、左手を降り出す。
 腕のしなりを使った、鞭のような速度の打撃。

(まずは)
 しなり、加速して振り出される左拳を、池松は当然のごとくスウェイでかわす。
(見せてもらおう)
 しかし、練道は止まらない。左を打った反動で、即座に右。
 もはや拳は開き、その手は、ほとんど虎爪と呼ばれる獣の鉤爪のような形になっている。
(こういうのは、どうだ?)

 ほぼ、練道独自の技法による打撃である。
 ボクシングでいえば、フリッカー・ジャブに相当するだろう。
 だが、その腕のあまりにも自由自在な軌道、しなる鞭のような打撃は、その領域を超えている。
 あえて似た格闘技術を探すとしたら、ロシアの格闘術システマの打撃法に似ていた。
 『流水の打撃』、と、この技を使っていた男はそう呼んでいた。

「――!」
 池松は瞬時に呼吸を詰め、連続して振り出される練道の打撃を回避する。
 右から左――左から左、左、右、そして背後から手前。
 雨粒が散弾のように砕け散る。

 近距離での打撃戦――火の出るような。
 あるいは、鉄塊と鉄塊が小刻みにぶつかり合うような。
 傍目には、それは、巨大で俊敏な猛獣同士が戯れているように見えたかもしれない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(変わった英語だ)
 池松は飛来する練道の流動的な打撃をかわしながら、
 その軌道を見極めようとする。
 が、その打撃はまるで流水のように変幻自在である。

 かわした、と思ったら、一撃をかえすまえに、
 頭上から次の一撃が降ってくるようだ。

(おそらくは、Singlish)
 シングリッシュ、といい、シンガポール・イングリッシュのことである。
 シンガポールで日常語として使われている、独特な話法だ。
 中国語、マレー語、タミル語が相互に入り混じった特有のアクセント、文法の違いが、
 ときとして英語と思えぬ独特の発音を生む。

 このとらえどころのない奇妙な打撃方法は、その使い手の技に似ている。
 あるいは、練道独自の英会話メソッドだろうか?
(やれやれ――)
 池松は、冷たい呼気を吐き出した。
(世界は広いな)

 首筋を、抜き手のような練道の一撃がかすめた。
(この距離はよくないな)
 旋回する刃の鞭を前にしているようなもので、練道の制空権に近づけない。
 二歩分。
 それほどの間合いを保ち、練道の攻撃を捌くことを強いられている。

(強引に突破するか? いや――隙を見せれば――)
 池松が構わず突っ込もうとする気配を見せた瞬間、
 練道の腕が迅速に引き戻された。
 中段に拳を構える。
 それまでの変幻の英語とは異なる、激しい波のような英語が伝わってくる――

 おそらくはコックニー訛り。
 ロンドンの下町で生まれた、野性的な破壊の英語だ。
 直撃を受ければ、内蔵が爆裂四散するだろう。
(そんな安直な手を許す相手か)
 池松は、自分が笑っているであろうことに気がついた。
 楽しんでいる。

 池松が強行突破を中断して身を引くと、
 即座にそれを追いかけるように、再び練道の腕がしなった。
 払いのける防御もあるが、この柔軟な打撃の軌道。
 そのまま絡みつかれ、関節を極められるのは目に見えていた。
 そんな、凡庸な技術が通用する相手ではない。

(いいだろう、闇裂練道)
 池松はゆらりと大きく上体を傾け、それを回避する。
(こっちの技も見せてやる)
 そのまま、大きく後ろに一歩、後退した。
 練道が低い獣のような唸り声をあげ、追撃してくる――
 しかし、池松の目はその動きを何度も観察し、そして、その動きを精密に分解していた。

「Coooo――――」
 遠くで稲妻が鳴り、ひときわ大きな揺れがやってきた。
 その瞬間、池松の右拳が、振り出される練道の手首を機械のように正確に迎撃している。
 《統一躯》。

「疾(shick:病気という意味の英語)ッ!」
 がっ、と、苛烈な打撃音が響いた。
 まるで金属同士の激突である。

 練道の腕が大きく弾かれた。
「突っ込んでくるとは、いい度胸じゃないか、闇裂練道」
 池松の鳥面の奥の目が引き絞られ、半歩、距離が詰まる。
 至近距離。
「俺の間合いだよ」

 池松の肩が動き、加速と英語を乗せた肘が打ち出される。

「――喝ッ(cut:「切断する」という意味の英語)」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(こいつの「勁」は、独特だな)
 練道は自分の『流水の打撃』を撃ち落とした、池松の一撃について考える。
 手首を撃たれて弾かれたが、一瞬、痺れたようになった。
 それだけではない。
 あれほど綺麗に弾かれたのは、池松の拳に奇妙な『捻り』があったからだ。

 ボクシングのコークスクリュー・ブロー、陳氏太極拳の纏糸勁など、
 いくつか練道もその手の打撃法を知ってはいるが、
 これほど強烈な『捻り』の使い手ははじめてだ。

(技の引き出しは互角か。
 俺の知らん技も、いくつか持っているらしい)
 至近距離であった。
 池松叢雲の肘を、練道は皮一枚を残して回避する。

(――この距離はまずいな)
 びっ、と、頬の皮が引き裂かれて、血が滲んだ。
 雨が染み込んでくる。

 池松叢雲は、わずかな動きでさらに掌打を打ち込んでくる。
 本来ならば、お互いにほとんど密着に近いこの距離では、
 威力のある打撃は使えない。

 だが、池松と練道のレベルの達人ならば別だ。
 短距離で十分な加速を与える打撃法もあるし、
 勁を乗せた一撃ならば密着状態からでも致命的なものとなる。
 そして、池松叢雲はそうした戦闘術にかけては、強烈無比といえた。

(しかし)
 練道は続けざまに放たれる、池松の打撃を寸前で回避する。
 掌打、肘、肩、抜き手、その全てがおそらくは必殺。
 めまぐるしく打たれるその一撃を捌きながら、練道は思考が鋭化するのを感じた。

(至近距離。掴んで投げるか?
 馬鹿馬鹿しい。寸勁使いを相手に)
「Cooooooo――――」
 練道の回避・迎撃の隙を突き、池松の掌が彼の胸部に触れていた。
 池松の呼吸が響く。

(これだ。こいつならば、必殺の一撃を『徹して』くる)
 寸勁といい、暗勁ともいう。
 密着距離から放たれる打撃であり、達人の寸勁は砲撃にも例えられる。
 池松の四肢に勁が満ちた。
「麒 (kill――)」
「池松叢雲」
 勁が放たれようとした瞬間、練道は最小限の動きで打拳を放ち、
 自分の胸に触れる池松叢雲の腕を弾いた。
 勁の使い手を相手にする場合は、勁を打たれる前に潰す。
 単純だが、これしかない。

「次は俺の芸も見てもらおう」
 練道は両足に力をこめた。 

 船がふたたび大き浮く揺れる。
 練道はそれに逆らわず、飛ぶ。
 斜め後ろへ、全身する池松をかわすように一歩。

 ぼっ! と雨粒が弾け、空気が裂けて、池松の右肘を紙一重にかわす。
「征ッ(say:「言え」という意味の英語)」
 さらに左掌。 
「破(ha:感嘆詞。特に意味はない)――」
 さらに踏み込んで、肩口からの体当たり。
「覇ッ(hat:「帽子」という意味の英語)」

 三度、立て続けに練道は斜め後ろへ交代してかわしていた。
 そのすべてが紙一重である。
 だが、どういうわけか―― 池松と、かわす練道との距離は、二歩分ほど開き始めている。
 池松が鳥面の奥で目を細めた。

「見るのははじめてか、池松叢雲?」
 練道は獣じみた歯を剥き出して笑った。
「これが迷蹤芸」

 秘宗拳、迷蹤芸(めいしょうげい)という。
 雪の上にも足跡を残さぬ、精妙な足運びが可能とする移動法とされる。
 加速と減速を駆使して距離感を混乱させ、
 徐々に相手との距離を離し、あるいにはいつの間にか間合いを詰める。
 そうした移動術である。

「次は、俺の技を見てもらおう」
 練道は笑いながら前足を跳ね上げる。
 いつの間にか、蹴り技が有効な距離にまで間合いが離れていた。

 べきん、と、脆い音が響いた。
 軽く虚ろな音が、軽い水しぶきとともに床を跳ねる。

「hum...(感嘆詞。特に意味はない)」
 池松叢雲の鳥面は割れ、そこには彼本来の、ローマ人のように彫りの深い相貌があった。
「――やはりか」
 練道はつぶやいた。
「池松叢雲。ネイティブだな」
「So……(「そう」という意味の英語)」

 池松叢雲は、自然体に立ち尽くし、押し寄せる波に鳥面がさらわれるのを見送った。
 青い瞳が輝いている。

「そろそろ、はじめるか?」
 池松の流暢な日本語での問いかけに、練道は小さくうなずいた。

「そっちがよければな」
 練道は後方へ飛んだ。
 じゃ、じゃっ、と甲板に溢れつつある水が、飛沫を生んだ。
 池松は追撃をしない。

 池松叢雲は知っているのだろう。
 自分たちの勝負が、どのようにして決着がつくのか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(may-show-gate《迷蹤芸》か)
 池松は後方へ飛び、体をかがめた練道の姿を見て、獅子の姿を思い浮かべる。
 イングランドの紋章に描かれた、金色の獅子だ。
 この男の英語からは、獣じみた野生の力を感じる。

(いそうもない男がいるものだ。独自の会話法か。それとも――いや)
 池松は考えるのをやめた。
 そんなことは些細なことだ。

「小手調べはいいだろう。練道」
 池松は自然体に構え、片手を差し出した。
 招くようなジェスチャー。
「俺たちの戦いの決着は、一つしかないと思うがな」

 風雨が、両者の周囲を渦巻くように強くなる。
 何らかの大きな力が、そこに満ちているようだった。

 柄にもなく、遊んだ。
 さきほどの攻防は、互いの技で戯れただけのことだ。
 互いに、必殺の一撃は――最も得意とする一撃は、撃っていない。
 そろそろ、雌雄を決するときがきていた。

 池松は、静かにバイリンガルの呼吸を繰り返す。
 体内の炎に点火され、すぐに燃え上がる。

「it is get kit down(「一撃だ」という意味の英語)」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(なにを言ってるんだこいつは?)
 練道はよくわからない英語めいた言葉を発した池松を前に、
 緩やかな深呼吸を繰り返す。

 なにを言っているかわからないが、池松の言うとおりではあると思う。
 ――勁だ。
 最大級の「勁」の一撃が、勝負を決める。

 互いの距離は、およそ三歩分。
 雨と風がその空間を隔てている。
 稲妻の走る音が聞こえた。さっきまでより、いくぶん近い。

 波による揺れを感じる。
 練道はそれに逆らわない。
 彼が勁を練るとき、イメージするものは「波」だ。

 精神の奥に、ささやかな波紋を生み、
 それを全身に広げていくイメージである。
 やがてそれは、津波のようになる――。

 いつしか、目を閉じていたらしい。
 練道は全身に勁の波が満ちているのを感じ、腰を落として構えた。
「構わん」
 いまにも溢れそうな勁を、押しとどめるのがやっとだ。
 練道は自分が笑っているであろうことに気づいた。
「かかってきやがれ、だ」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(言葉が不要になる)
 池松は、自然体に構え、軽く跳躍する。
 その場で、ごく軽く、弾みをつけるためのかすかな溜め。
(俺たちの英会話は――)

 激しく叩きつける雨と、渦巻く風に向かって、池松叢雲は一塊の炎であった。
(これが完成形)
 全身から湯気を発していた。
 そのまま、数秒、さもなくば数分も睨み合っただろうか。
 互いの英語が高まり、これ以上ないほど膨張した一瞬、どちらからともなく動いた。

 練道の体が、その一瞬、大きく膨れ上がったように感じた。
 池松の顔の彫りが、その一瞬、グランドキャニオンのごとく深くなった気がした。

「――呼ォォォォォ――」
 それは、練道の息吹。
 バイリンガルの呼吸――池松が聞く限り、獣の咆哮にも近いように聞こえた。
 池松は正面からの英語で応じる。

「Cooooooooooooo――――!」
 そして激突。
 踏み込みの瞬間、確かに激しい衝撃が、船舶それ自体を揺らした。

「 抜 山 蓋 世 (but than guy say)」

「 永 劫 」

 かっ、と、乾いた音が響き渡ったのは、雷鳴の音であっただろうか。
 閃光が両者の姿をモノクロームに照らし出した。
 池松は掌底。
 練道は拳であった。

 それも一瞬のこと、おそるべき破壊音が雨粒を砕き、風を止めた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~





(――――――、!?)
 雨粒の冷たさ。
 風の唸る音、船の振動、押し寄せる波。
 それらの認識が徐々に戻ってくる。

(俺は――――)
 闇裂練道は混沌とした意識を、強引に覚醒に導く。
 指、手、足、すべて動く。
 だが、鈍い。

(なんだ? どうなった? いや)
 そこではじめて、練道は己が目を閉じていたこと、
 床に倒れていることに気づかされる。
(まさか)
 体中にしびれがある。
 関節が熱い。内臓が沸騰しているようだ。

(俺は)
 ここは、どこだ? 雨粒、風、動力音、波。
 相変わらずの甲板である。
 ただし、床には蜘蛛の巣状の激しい亀裂が走っている。

 これが意味するところは一つ、すなわち練道は――
(ただ、打ち負けた)
 ただ打ち負け、数秒、あるいはほんの一瞬ほど気絶していた。

 それだけのことだ。

 そのことは、倒れ伏す自分を五歩分の距離をおいて見下ろす、
 池松叢雲の姿が証明していた。
 見上げる池松の姿は、風雨の中で黒々として、ただ青い瞳だけが輝く、
 異形の巨人のようであった。

(まったく)
 練道は嗤ったつもりだが、顔がひきつっただけかもしれない。
 ダメージがある。
 否定しがたいダメージが。
(なんという勁だ。こんな使い手がいるとは)

 激突の瞬間、練道は《永劫》を使った。
 最大の勁をぶつけて、一瞬、確かに池松の動きは止まったように感じた――
 その直後、何の影響も受けていないかのように動き出した。

 池松のこの勁から考えるに、己の勁で練道の《永劫》を相殺したのだろう。
 それでいて、なおかつ、練道の全身にこれほどのダメージを与える勁を打ってきた。

 八極拳の使い手たちと戦ったことはあるが、ここまでの勁の使い手はいるだろうか?
 まるで体内を直接爆破されたような衝撃だった。

(SLGの会とやらが、強いわけだ)
 練道はゆっくりと呼吸を繰り返す。
 勁の衝撃を抜かなくてはならない。極めて特異な勁の一撃だった。
 いままで練道が受けてきたのとは、まったく違うひとつの極致。
(認めよう。池松叢雲の勁は俺以上かもしれん)
 練道は全身に力をめぐらせた。
 漣のようにあらたな勁が流れていく。
 動ける。立ち上がることができる。

(武というものに対して、これほど敬虔な気持ちになるのは、いつ以来だろう)
 練道は起き上がる。
 澄んだ気持ちだ。
(だから戦える)
 冷たい風雨の中を、練道は再び中段に構え、池松と相対した。

「この気分を、どう言えばいいか――」
 練道は、しっかりと拳を固めた。
 次は、《永劫》は抜きだ。すべての力を、勁に注ぐ。
「そう。初心に戻った。続けるぞ、池松叢雲」

 そして練道は中指を立て、血の混じった唾を吐き捨てた。
「この程度だと思ってもらっては困るぞ、クソッタレ」
 応じるように、池松の頬に硬質な笑みが浮かんだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(信じられんな)
 中指を突き立てた練道を前に、池松叢雲はようやく深い呼吸を取り戻した。
 信じがたい威力だった。

 とても英語とは思えないほど、異形の英語であった。
 おそらくは、コックニー訛りに徹底して独自のアレンジをくわえたものだろう。
 この野性的な破壊力、池松ですら英語として聞き取れないほどの英語。

(一瞬、体の動きが止まった)
 《統一躯》で身体の制御を取り戻さなければ、決着していたところだ。
 彼自身の英語で相殺するつもりだったが、あまりにも英語の質が違いすぎて失敗した。
(こんな英語があるとは)
 池松は自身の体に浸透した、練道の英語を少しずつ中和しなければならなかった。

 池松叢雲は立ってはいたが、それは倒れることができなかったということでもある。
 練道の苛烈な英語に、全身がこわばり、呼吸は止まった。
 もしかすると、数秒ほど気絶していたかもしれない。
 バイリンガルの呼吸を繰り返し、精緻な英語を繰り返して衝撃を抜く。
 幾度も繰り返す。

(Do you like sushi?)
(Yes, I like sushi.)
(What of kind do you like?)
(I like tuna.)
(Really? I like tuna, too)

 力が、英語が四肢に行き渡り、細胞の一粒までが活性化する。
 冷えた雨風が全身を叩くのを感じる。
(やれやれ、まったく)
 池松は英国人めいた、皮肉げな笑みを浮かべた。
 こわばっていたため、うまくできたかはわからない。
(上には上がいる、か。
 認めよう、闇裂練道、お前の英語は俺より上かもしれないな)

 池松は四肢からそっと力を抜いた。
 自然体の脱力。
 英語はいつもそこからはじまる。
(だが、要するに――)
 池松叢雲は、自分の内側で脈打つ炎を感じた。
 溶岩流のように、新たな力が、英語が流れていく。
(それでも戦う)
 それしかなかった。

「闇裂練道。お前も、みくびるなよ」
 池松は片手を差し伸べ、挑発するように手招きをした。
 欧米式のジェスチャー。「かかってこい」という意味だ。
「初心に戻る、か。俺もだ」
 近くで雷鳴。
 池松の青い瞳が細められた。

「次の一撃は一味違うぞ。
 その次はもっと、その次も、そのまた次も」
 何度でも、撃ち込む。 それだけだ。
 一撃を、その次の一撃を、そのまた次の一撃を――

 池松の宣言に、練道は、今度こそはっきりと嗤った。
「付き合おう。徹底的にな!」
「joe too dat(「上等だ」という意味の英語)」

 そして、両者の影が再び動く。
 破壊の衝撃が再び響き渡る。

「 抜 山 蓋 世 (but than guy say)」

「 永 劫 」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 一撃。
 交錯した次の瞬間、強い風と波が押し寄せてきた。
 船体が絶叫のような悲鳴をあげる。

 どちらが吹き飛んだのか、定かではない。
 激しい風雨がつくりだす陰影の中で、両者は異様な陽炎を立ち上らせる、
 二頭の怪物であった。

「Cooooooooo―――――!!!」
 どちらかの口から、白い蒸気とともに呼吸が漏れた。
 首筋への抜き手をフェイントに、直突き。

「……!」
 どちらかの足が、無言のまま床を蹴った。
 あるいは、激しい波と稲妻の音が、その声をかき消しただろうか。
 フェイントを受けるとみせて、最小限の体の捻りでショートフック。

 さらに一撃となった。
 巨大な鋼のくだけるような激突音。
 どちらかが雄叫びをあげ、また、どちらかは無言で体勢を立て直す。
 もはや、この段階になってしまっては、技も魔人能力も意味をなさない。
 ただ呼吸を整え、構えを定め、お互いに最強と信じる一打を撃ち込むだけだ。

 フェイント、それを見越したフェイント、牽制とみせかけた本命、そして迎撃。
 また一撃が交わされる。
 激突音。

 また一撃。
 一撃、一撃、一撃、一撃、一撃、一撃、一撃――――。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 一撃の最中、闇裂練道は考える。
 最強の一撃とは何か。
 自分にとっての最強の一撃について、である。

(強くイメージすること)
 無念無想の境地、などというものを、闇裂練道は信じていない。
 強く動作を、構えを、威力を思い描き、打つ。
 それでこそ最強の一撃足り得る。

(俺にとっての最初の一撃)
 思い出すのは、最初に学んだもの。
 技ともいえない技。
 あのスラム街で、誰もが強くなければ淘汰されるべき者だった。
 だから練道は、力の制御を、あるいはそれを解放する方法を学んだ。

(俺の、最初の技だ)
 この技を練道に教えたのは、みすぼらしい風体の、浮浪者のような男だった。
 まだ裸繰埜となる前の記憶。
 すなわち、その技とは――

(ゆくぞ、池松叢雲)
 いつしか、両者の間には五メートルほどの間合いがあった。
 激突に次ぐ激突が生んだ、一呼吸ほどの間隙。

 練道は、次の激突が最後になると確信していた。
 中段に拳を構え、白い息吹を放つ。
「呼――――ォォォォォ――――――!」
 勁の力が、津波のように全身に溢れている。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 一撃の最中、池松叢雲は考える。
 最強の一撃とは何か。
 自分にとっての最強の英語について、である。

(無数の英語を学んだが)
 いま、必要なのはそれではない。
 ただ一撃。
 多数の語彙ではなく、必要な目的を達するための、
 研ぎ澄まされた唯一絶対の一撃である。

(俺にとっての最初の英語)
 思い出すのは、最初に学んだ言葉。
 あまりにも稚拙であったが、
 その言葉は無限に広がる国際社会への扉への鍵であった。
 だから池松は、繰り返しその言葉をリピートし、覚えた。

(俺の、最初の英語だ)
 夢中になって学んだ。
 聴くだけレッスンCD、駅前留学、家庭教師、イギリスの知り合いと文通――
 それらすべてが、池松叢雲の血肉となって、最強の一撃を結実させようとしている。

(いくぞ、闇裂練道)
 この英語からすべてがはじまった。
 英語の新たな可能性に気づかされた。

 池松は、次の激突が最後になると確信できていた。
 自然体に構え、白い息吹を放つ。
「Coooooooooooooooo――――――!」
 英語の力が、炎のように全身を沸騰させた。


 次の瞬間。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「――五行、」
 練道の突き出す拳は、この上なく単純な――直線の、ただの中断直突きのようにみえた。
 すなわち、形意拳。
 それは形意五行拳のなかでも、もっとも初歩的な技として知られている。

「崩拳」

 半歩崩拳遍く天下を打つ、とも言われる。
 初歩にして、最秘奥ともされる一撃であった。

 幼少期、闇裂練道はあのスラム街において、数多の敵を相手にしていた。
 その戦いの中で、唯一自分が信頼できたもの、己自身の肉体と戦闘術。
 その最初の技――。

 雨粒が砕け、風がうなりをあげる。
 ほとばしる雷光は、豪華客船の艫先を打った。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「――I (私は)」
 池松叢雲の突き出す掌底もまた、、この上なく単純な――直線の、ただの掌打であった。
 だが、池松にとって、この英語は最初に覚えた、はじまりの言葉である。
 すなわち――

「 I can't speak English (私は、英語を話せません)!」

 なまじ両親ともがアメリカ人であったため、池松叢雲はその容貌から、
 英語を話せるという予断をもって接されることが多かった。

 池松叢雲の両親は、日本贔屓が高じてついに日本で池松を産み育てたのである。
 そんな池松が、幼少期、唯一頼りにできた英語がこれであった――。

 ――そして、最後の両者の激突の衝撃は、
 豪華客船そのものを完膚なきまでに粉砕した。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 荒れ狂う波間に、木片がいくつか浮いている。
 粉砕された豪華客船の破片だ。
 丸太ほどのもある木材だが、この嵐の中では木の葉のように頼りない。

 池松叢雲と、闇裂練道は、それぞれ別の木片に静かに立ち尽くしていた。
 暴風も波も、彼らのバランスをいささかなりとも崩すことはない。

(闇裂練道)
 池松叢雲は、心中で語りかけた。
 もはや英語を話すどころか、声も出ない。
 かすれた風のような音が喉から漏れるだけだ。

(俺はすべての力を使った)
 全身に力をこめようとしても、ぴくりとも動かない。
 まもなく、木片の上に立っていることもできなくなるだろう。

(お前は強い。それに、いいやつだ。
 次に会うときには、そう――)
 池松の霞みかけた視界の中で、闇裂練道の巨躯が傾いた。
 波の力に逆らわず、それは力をそらすための動きにもみえた。

 が、次の瞬間には、無言で波間にその体を投じている。

(殺し合いにならなければいい)
 池松叢雲は、かすれた白い呼気を吐き出し、練道に遅れること数秒で波間に体を沈めた。


最終更新:2012年01月02日 21:30