決着-フーケ暗躍


所変わって、ここは本塔の最上階にある学院長室。
トリステイン魔法学院の現学院長は、白い口ひげと白髪が仙人のような印象を与える
偉大な魔法使い、オールド・オスマン。

百歳とも三百歳とも言われているが、彼の本当の年齢も誰も知らない。
本人すら忘れているかもしれない。

「『土くれ』のフーケか。また厄介なことになりそうじゃの」
王室から届いた警告の書状に目を通したオスマン氏は、渋い顔を上げて秘書の
ミス・ロングビルに諮った。
今年23歳になるという、眼鏡の似合う理知的な美女だ。

「それはそうですが、フーケといえどもメイジ揃いの当学院を狙ったりはしないのでは
ないでしょうか」

土くれのフーケはこのところトリステイン中の貴族から怖れられている盗賊である。
『土』系統のメイジで、貴族の邸宅を襲っては盗みを繰り返している。
強力な『錬金』で『固定化』の魔法をものともせずに壁や扉をただの土くれに変え、
まんまとお宝を頂戴する、というのが二つ名の元にもなったその盗みの手口だ。
忍び込むばかりではなく、時には身の丈およそ30メイルの巨大なゴーレムを使役して
力任せに屋敷を破壊してしまうこともある。

そんな土くれのフーケの正体を見たものはいない。男か、女かもわかっていない。
ただわかっていることは……。

おそらくトライアングルクラスの『土』系統のメイジであること。

犯行現場の壁に『秘蔵の○○、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』
と、ふざけたサインを残していくこと。

そして、いわゆるマジックアイテム、強力な魔法が付与された数々の高名なお宝が
何よりも好きということであった。


だが、そんなフーケもこの本塔の五階にある宝物庫が相手では分が悪いだろう。

何しろ学院自体がメイジの巣窟である上、数々のマジックアイテムが収蔵された宝物庫の
壁や扉には、スクウェアクラスのメイジによる『固定化』の呪文がかけられているのだから。

「それもそうじゃの」
ミス・ロングビルの言葉にうなずき、オールド・オスマンが杖を一振りすると、羽ペンが勝手に
動いて書状への受領証にサインを書き付けた。

「メイジには宝物庫を破ることはできん。物理的な衝撃や高熱ならともかく…」
「ともかく?」

「…いや、何にせよ不可能なことじゃ」
ハルケギニアにおいては、スクウェアクラスのメイジの攻撃魔法を除けば、『錬金』以外に
分厚い石壁や頑丈な鉄扉を破壊する手段はまずない。

盗賊に対する宝物庫の備えは万全といえた。

ミス・ロングビルが会釈して受領証を受け取り、学院長室から退出した直後――

「たた、大変です!」
ドアがガタン! と勢いよく開けられ、秀でた額も眩しいコルベールが飛び込んできた。

ミスタ・コルベールは、口角泡を飛ばして、学院長のオールド・オスマンに説明していた。

春の使い魔召喚の際に、ルイズが謎の生き物を呼び出してしまったこと。
どうやら平民だったらしい彼の左手の甲に現れたルーン文字が、気になったこと。
それを調べていたら……。

「始祖ブリミルの使い魔、『ガンダールヴ』に行き着いた、というわけじゃね?」
オスマン長老は、コルベールが描いたベイダー卿の手に現れたルーン文字のスケッチを
じっと見つめた。

始祖ブリミルの伝説の使い魔、『ガンダールヴ』。
その身には、まさにこのスケッチと同じルーンが刻まれていたという。

つまりあの平民は伝説の使い魔ガンダールヴなのか、二人の間でそう結論付けられようとした時、
唐突にドアがノックされた。

「誰じゃ?」
「私です、オールド・オスマン」
扉の向こうから、先ほど退出したばかりの秘書のミス・ロングビルの声が聞こえてきた。

「なんじゃ?」
「ヴェストリの広場で、決闘している生徒がいるようです。阿鼻叫喚の地獄絵図になっています」

「まったく、暇をもてあました貴族ほど、性質の悪い生き物はおらんわい。で、誰が暴れておるんだね?」

「一人はギーシュ・ド・グラモン。相手はメイジではありません。
ミス・ヴァリエールの使い魔の平民です」

オスマン氏とコルベールは顔を見合わせた。

「教師たちは、決闘を止めるために『眠りの鐘』の使用許可を求めております」
オスマン氏の目が、鷹のように鋭く光った。
「アホか。たかが子供のケンカを止めるのに、秘宝を使ってどうするんじゃ」
放っておきなさい――そう言いかけたところで、学院長室のある本塔がかすかに揺れた。
オスマン氏の使い魔、ハツカネズミのモートソグニルがちゅうちゅう、と執務机の下に逃げ込んだ。

「……やっぱりちょっと見てきてもらおうかの、ミス・ロングビル」
「わかりました」
ミス・ロングビルが去っていく足音がした。

「で、なんじゃったかのぉ、ミスタ・コルベール? 近頃年のせいかめっきり物忘れが激しくなってな」

「頼みますよ、オールド・オスマン」
ミス・ロングビルのいなくなった学院長室で、人に説明することが大好きなコルベールは再び
その早口ぶりを発揮するのだった。

ギーシュに向かって飛んできていたワルキューレの半身は、激突寸前で軌道を変え、
すぐそばの地面に突き刺さっていた。

「……何のつもりだ」

ベイダー卿は、右手にしがみつくルイズを睨みつけた。

「だめっ! もう勝負はついたでしょ! 平民が貴族を殺したりしたら、あんた今度こそ
ただじゃすまないわ。国中のお尋ね者になっちゃう!」

「貴族が平民を殺しても許されるというのにか。気に入らんな」

空気が震撼する。ルイズの小柄な体は数メートル飛んで地面に受け止められた。

「次はないぞ、マスター」

振り返りもせずそう言い捨て、悲鳴を上げて本塔のある方角に逃げていくギーシュの方を見る。
本塔の方向にいた生徒たちは、ギーシュがそちらに走ってくるのを見るとクモの子を散らすように
逃げ惑った。

ゆっくりとした大またの足取りで、ベイダー卿はギーシュの後を追った。

「ルイズ、あんた大丈夫?」

『微熱』のキュルケが、その二つ名通りの燃えるような赤い髪を揺らし、ルイズのそばに駆け寄ってきた。
その傍らには、キュルケの親友『雪風』のタバサもいる。


「ベイダーを止めなきゃ…」
キュルケの手を借りて、ルイズはようやくのことで立ち上がった。

「本気なの? やめときなさいよ」
「危険」
ルイズは二人を振り返り、この高慢な公爵家令嬢が取るとは思えない恭しい態度で、深々と頭を下げた。
「二人とも、どうかお願い。わたしに協力して」
キュルケとタバサは顔を見合わせた。


「どうしてこんなに正確に僕のいる場所がわかるんだ!」

本塔に駆け込んだギーシュだが、どこに隠れてもベイダーは彼を必ず見つけ出し、
執拗に追ってきた。
獲物を追い詰めるのを楽しむかのように、ゆっくりと。

あの呼吸音が近づいてくるだけで身のすくむ思いだ。

上へ上へと追い立てられ、気づけば既に五階である。

このフロアはほとんど宝物庫で占められている。
その入り口に面した廊下は外壁に沿って湾曲し、その両端にそれぞれ上と下に通じる階段が
付属している。

廊下の中ほどにある巨大な鉄の扉の前でギーシュは息を整えていた。
分厚い外壁に穿たれた窓から、嵌め殺しのガラス越しに外の光が差し込んでくる。

今のところベイダー卿の呼吸音は聞こえてこない。

とりあえず一息つける、とクタクタのギーシュが座り込んだ途端、目の前の床を貫いて
赤い光の刃が出現した。

「あ、あわわわわ…」

腰を抜かしてギーシュは、ライトセイバーの描く円が完成するまでその情景から
目が離せなかった。

床が落ちる。彼の目の前にぽっかりと丸い穴が開いた。

ベイダー卿が人間離れした跳躍力でその穴を通り抜け、彼の目前に現れた。

あの呼吸音……。

「待ったか?」

辛うじて立ち上がったギーシュは、生存本能の命ずるまま、さらに上へ通じる階段に
向かおうとした。

だが、ベイダーの軽い手振りと共にその体は殺人的なスピードで鉄扉に叩きつけられた。

右腕の骨が折れ、内臓が損傷するほどの衝撃に、ギーシュは気絶した。


「もう少し楽しめるかと思ったが、そろそろ飽きたな」

その右手に光る円筒状のグリップ。

ベイダーがその刀身を伸長させた直後、彼の数歩先にある採光用の窓ガラスが
音を立てて割れた。

それとともに廊下に降り立った小柄な少女。

その手にした杖の一振りを合図に、無数の氷の矢がベイダー目がけて飛来した。
タバサの得意とする『水』、『風』、『風』の攻撃呪文、『ウィンディ・アイシクル』だ。

ベイダーはフォースの流れに体を任せ、手にしたライトセイバーで氷の矢を迎撃した。
多少数が多いが、亜光速で飛来するブラスターの光弾に比べれば、速度は大したことがない。
一つとしてかすらせることもなく防ぎきるのは、そう難しいことではなかった。

氷の矢が撃ち尽くされた時、ベイダー卿はまったく無傷で立っていた。

タバサがわずかに眉をしかめた。

「やめておけ」

その言葉を合図としたかのように、今度は後方のガラスが破られ、それと同時に炎の塊が飛んできた。
『火』と『火』を相乗させた攻撃呪文、『フレイム・ボール』。

必殺の魔力が込められたその火球は、しかしながら振り返ったベイダー卿がかざした掌の数サント先で
不可視の何かに遮られて止まり、さらに彼が腕を一振りすると、鉄扉の正面にあった窓を破壊して外に
消えていった。

雲間に消えていく火球を、やはり窓から廊下に飛び込んできていたキュルケが、半ば呆然と見送っていた。


タバサが囮になり、キュルケが止めを刺す連携攻撃。
完璧に決まったと思ったのだが……。


(ルイズ、あんたどうする気なのよ…)
ルイズの懇願に多少なりとも感動してしまった自分を、今さらながら恨めしく思うキュルケであった。


「そうそう僕に奇襲が成功すると思うな」

「あっ!」
「……っ!」

突然何かに引っ張られるように二人の杖が持ち主の手を離れ、ベイダーの目の前の床に転がった。

杖を持たないメイジが無力なのは、ベイダー卿も授業で学習済みだ。

ベイダー卿を挟む形で、左にキュルケ、右にタバサ。
そしてその足元に転がるギーシュ。

ベイダー卿がとりあえず目の前に転がるギーシュに狙いを定めた刹那――


「ロード・ベイダー、キャン・ユー・ヒア・ミー?」


全く予想外の声がベイダーの頭の中に響いた。

『イエス、マイ・マスター』

銀河を遍く支配する、彼の本当の主の声だった。


「ああもう! もうちょっと注意を逸らしなさいよ! キュルケがお得意のストリップでも
やればいいじゃない!」

本塔の外を飛ぶタバサの使い魔、風竜のシルフィードの背で待機中のルイズは歯噛みした。

あっさりと二人が無力化されたのは、かなりショッキングな光景だった。
完璧な奇襲が要求されるのに、早くも手詰まりだなんて……。

ルイズが焦燥感のあまりジタバタと暴れると、シルフィードがきゅいきゅいと悲しそうに鳴いた。

ルイズの視線の先で、ベイダーがギーシュに向き直った。止めを刺すつもりだろうか。

もうこれ以上待てない。
そう判断したルイズが、破れかぶれで呪文の詠唱を開始する直前、ベイダーが何かに
気を取られて頭上を仰ぐのが見えた。

(今しかない)

唱える呪文は『ファイヤーボール』。
いや、本当は何だっていいのだ。
だって、ルイズの魔法は――

ルイズはルーン文字の刻まれた黒いグローブをぎゅっと握り締め、短い呪文の詠唱を始めた。


(皇帝がついにこの星を見つけた!)

シス卿の途方もない思念が、時空を超えてべイダーの頭の中に流れ込んできていた。
さすがのベイダー卿も、気持ちが高ぶるのを禁じえなかった。

皇帝によれば、ハルケギニアの位置は特定したものの、彼を救助するのには少々時間を要する、
とのことであった。
まったく未知の航路をハイパースペース・ドライブで移動しなければならない。
明言はされなかったが、最長数ヶ月かかる見通しのようだ。

ベイダーにしても、それ程度は覚悟している。

ならばその間にこの星の傲慢な貴族を一人でも多く……。

ベイダー卿が残忍な想像に思わず目を細めた時、フォースが警告を発した。

窓の外から再び攻撃魔法。
虚を突かれたベイダーは反射的にその方向にフォースの障壁を展開させる。

だがそれは、二重の意味で奇襲だった。


背後で宝物庫を守護する鉄扉の表面が大爆発を起こし、ベイダーは派手に吹き飛んだ。

その右手から、光を失ったライトセイバーのグリップが離れ、窓枠を抜けて地上へと消えていった。

(まさかこっちのマスターに出し抜かれるとは…)

ルイズの魔法は、生成した何かをぶつける類のものではない。
ただ物を爆発させるだけの、誰もその原理を知らない「失敗」魔法。

それがフォースの不可視の力場をかいくぐり、直接背後の扉を爆発させたのだった。

気を失うほどのダメージではないものの、わずかの間体の自由が奪われた。

『ロード・ベイダー、キャン・ユー・ヒア・ミー?』
弟子の応答が急に途絶えたことをいぶかしむ皇帝。
頭の中に響くその声を聞きながら身を起こそうとするベイダーの金属製の左手に、柔らかい
何かが触れるのが感じられた。

『ガンダールヴ』のルーンの刻まれたグローブを、竜の背に乗って窓から飛び込んできたルイズが、
泣きそうな顔で必死にベイダーの義手に被せようとしていた。

グローブが左手を覆い、その甲のルーンが一瞬光る。

ただそれだけでなぜか怒りと憎しみが溶けていき、心が安らぐのを感じた。

全身の緊張が解け、アナキンは突如襲ってきた疲労に身を委ねて目を瞑った。

意識を手放す直前の光景、視界一杯に映るルイズの泣き顔が、やけにはっきりとそのまぶたの裏に残った。


その夜。

「フフ、願っても無い展開になってきたじゃないの」
一部始終を見ていた土くれのフーケは、自然と顔が綻んでくるのを止めることができなかった。

重傷を負ったギーシュ、そして仲良く気を失ったルイズとベイダー卿が運ばれていき、宝物庫の
周辺は閉鎖された。

双方の同意の下に行われた決闘として、とりあえず二人にお咎めはなかったようだ。

ガラスの割れた窓には応急処置として板が打ちつけられた。

表面が抉れ閂が吹き飛んだ鉄扉は、『錬金』で精錬された鉄板で補修されたものの、
それに『固定化』の魔法をかけてくれるスクウェアクラスのメイジは、ハルケギニア広しといえど
そうそう見つかるものではない。

とりあえずトライアングルクラスの教師、『赤土』のシュヴルーズらが『固定化』の魔法をかけていたが、
それだけではフーケの『錬金』は防ぎきれないだろう。

そして、残る本来の扉の部分に手こずらされるようなことがあっても、今のフーケには「これ」がある。

「ここまで来るのにはずいぶん苦労したけど……、『破壊の杖』、そろそろ頂くわ」

フーケの細い指先が、その円筒状の道具を愛おしそうに撫でた。



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最終更新:2007年10月17日 18:11