原辰徳
長くの間読売巨人軍の監督として何度も優勝に導いた顔芸がうまい監督。
三橋「あっとこぼした!」
三橋「
原サヨナラー!」
仁志「まあこれも野球です」
原晋(はら すすむ)とは青山学院大学陸上競技部監督、大学教授、コメンテーターである。
幼少期、現役時代
運動万能だった原は、小2の頃漁港で遊んでいる時に事故で足を複雑骨折し、入院した。その時のリハビリも兼ねて町をジョギングした。雨の日でもやってたそう。
中学生入学時に野球部に入ろうと悩んだが、友達の誘いもあり、陸上部に入部野球やってました
その後広島県立世羅高等学校に入学し、3年生時の1984年には、主将として全国高等学校駅伝競走大会総合2位に貢献した。
大学時代は中京大学に入学。5000m走では全国3位に輝いた。但し、原曰く「大学時代の1・2年生の頃はパチンコと飲み会に明け暮れてしまい、私が希望した実業団からは門前払いでした」とのこと。
その後は広島に戻り、中国電力に入社。
ただし、不振が続き、27歳の若さで引退。
ただし、彼はとある大学を常勝校まで育て上げたのであった…
監督時代
その後、10年間サラリーマンとして働いていたが、出身高校からのオファーが来て、青山学院大学陸上競技部監督に就任。
5年間特に何もなかったが、
就任5年目の第84回箱根駅伝(2008年)で関東学連選抜の監督としてチームを総合4位に導き、33年ぶりの出場に導いた。
第86回箱根駅伝(2010年)大会では8位、41年ぶりのシード権獲得を果たした。
その後、いろいろあり、第91回箱根駅伝では往路・復路共に首位でゴール。悲願の初優勝に導いた。
ここから名将・原晋として躍進する。
翌年の第92回箱根駅伝では青学を2連覇に導く。
第93回箱根駅伝で完全優勝による3連覇と、青学歴代初の「大学駅伝三冠」を達成。
更に翌年には史上4校目の4連覇達成。
その後5連覇は逃したが、2大会に1大会の優勝という強豪まで育て上げた…
コメンテーターとして
単に言うと
めちゃくちゃ喋ります。
評論家として
ニュース番組に出てくる。
原曰く、「出過ぎた杭は絶対に打たれない」「周囲の空気を読めずに発言出来る人を育成」をモットーに、「陸上競技以外の話題に関してはあくまでも素人だが、常日頃から『おかしい』と大変疑問に感じる事が沢山有る。日本の将来の為に、今後は是非とも思い切った改革をするべき」などと、メディアを通じて独自の意見で提言や苦言・持論展開を述べ続けている。
バトロイのデータ
25/36/26/13
攻撃「朝日が昇る2区 黒田朝日逝け!」いいことだけど生徒犠牲になっとるやん。
回避「あー」
被弾「よなあ」
会心「進化しないことはまさに退化」
勝利「いやあ、こんなに学生達は強かったですかね?(笑)」
敗北「準優勝でいこう!」
逃走「ひっそり監督業を去ろうかなと思った時もありました」
開始前「ずるずる原晋です」
最終更新:2024年02月26日 01:01