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DemonStayer公認wiki

コタ

最終更新:2024年08月05日 03:16

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メンバー

※本記事では「STAYのコタ」と「カンコタワークス」を総称した代名詞として「コタ」を用いります。


「二度とやらない」

  • 緋夲想 & カンコタワークス
  • STAYのコタ
  • 名義の使い分け
  • 経歴・来歴
  • 人物
  • 作風
  • 主な作品
  • 脚注
  • 外部リンク

緋夲想 & カンコタワークス


緋夲想及びKhanKotaWorks(ひもと そう、生年月日:1990s ~ 2000s 7月4日 - )は、日本の映像作家・モーションデザイナー・グラフィックデザイナーである。Web関連も研究中。
通称はカンコタ。あるいはコタ。裏設定として、実はミドルネームが「コタ」(イサが咄嗟に提案したもの)。
別名義STAYのコタは、日本のゲーム実況グループ「DemonStayer」のメンバーとして活動する際に使用する。
映像作家としての活動を開始して以来KhanKotaWorksを主な名義として使用していたが、2024年8月より商業制作と自主制作の両方において緋夲想で統一する方針を示している。現在、KhanKotaWorksは自主制作プロジェクト名という扱いになっている。
また、緋夲想の作風を指して「カンコタワールド」と呼ぶ風潮も存在している。

STAYのコタ


STAYのコタ(すていのこた、生年月日:7月4日)は、日本のゲーム実況グループ「DemonStayer」の創設者及びメンバーである。また、創作活動で使用している名義「カンコタワークス(KhanKota.works)」としても知られている。
通称コタ、コタさん、あるいはカンコタ(メイン名義より)。
メンバーカラーは緋色(赤)・黒。STAYでは動画編集やデザインを担当。
カンコタワークス以前より、ずっと使用している名義である。

名義の使い分け


彼が主に使用している名義は「緋夲想」である。STAYの動画内では「STAYのコタ」として活動している。
実写の映像や非公開の案件(公式に緋夲想として告知していない作品)では本名(非公開)が使用されている。
ただし、2023年11月以降は案件映像の契約で本名表記を拒否しており、それからはインターネットでの活動名義名を徹底して名乗る。

創作活動は全て緋夲想名義で行っているが、例外として小説や詩などの文学作品は「STAYのコタ」を使用している。

「KhanKota.works」と「カンコタワークス」の表記に違いは無い。
SNSなどの投稿では「.」が付いている事でURLと認識されてしまうことが頻繁に発生している。
よってカンコタワークスと表記するパターンが多い。

STAYのコタは表記揺れとして「STAY_Kota」や「DemonStayerKota」がある。
これらは「STAYのコタ」と同義であり、オンラインゲーム等のハンドルネームに使用している表記である。

ゲームに「KhanKota.works」や「カンコタワークス」「カンコタ」という名前を使用することは無い。
例外として「KhanKota_works」を使用する場合は稀にある。

2019年から2021年までは「K」と呼ばれていた。現在、そのような文化は見られない。

経歴・来歴


※本人へのインタビューを元に作成しています。

7月4日に北海道にて誕生する。だが産声は「泣き声」とは程遠く、周囲は「まるでカラスのような、詰まっている声が断片的に発せられていた」と語る。周囲は非常に不安そうにしていたという。
周囲の予感は的中してしまう。誕生し時間が経つ猶予を待たずに、間も無くチアノーゼを起こす。
奇跡的に一命を取り止めるが、誕生して1か月ほどは集中治療室にて入院をすることになる。
頻繁に心電図のアラームがなったらしい。ただ、それら全てが「コタが暴れて心電図の装置が外れる」だった模様。

退院後、しばらくの間は油っこいものなどを禁止される(呼吸が止まる可能性があった為)。
揚げ物などは年をある程度取ってから初めて口にした(具体的な時期は不明。流石に幼少期の記憶は曖昧である模様。)。
そもそもの話、飲まず食わずの態度を貫いていた。(小学校1年生の頃まで深刻な偏食傾向があった。)

幼少期は「暴走マン」であった。親戚中に様々な伝説を残している。証人の話や証拠から考えても、コタの幼児期は異質であったと言うしかない。
鍵などを無理やりこじ開けて脱走はするし、動きがとにかく多くて抱っこ出来ないし、歩けもしないのに走ろうとする。
背後を確認せず、後ろ向きで走る時もあったらしい。
「本当に危ないから、絶対に1人にしてはならない、できない、でないとコタは死ぬ」ということで、親を翻弄した。親は休む時間も無しにコタを必死でガードしていた。周囲の人間を振り回していた。
この頃のことを「忙しいと思う暇すら無かった」と母親は振り返っていた。あまり思い出したい記憶でもないだろうから、これ以上は詮索できなかった。何しろ、自分が暴れたせいで手首を痛めたりしていたわけだから何も言えなかった。本当に。←コタ加筆

…このように、周りを注意深く観察・警戒出来ず、すぐにケガをする困った幼少期であった。
その頃、親は深刻に悩んだ(というよりも不安や心配で悲しんだ)様子であり家族単位で苦しい時期が続いた。
※乳児期から幼児前期・後期おけるエピソードは本人が親・親戚に尋ねた内容であるので、コタ本人の記憶では無い。20%くらいは残っているらしい。
両親への認識としては、母親は安心感であり父親は遊び相手といったものであった。父親が仕事に出ると「ぱぱ嫌い!」と駄々捏ねて大泣きしていたらしい。

両親とプロの人以外は「だっこ」が出来なかった。常に落ち着きがなく静寂が無いので、抱っこしている間もそれは例外では無かった。暴れ過ぎて大人が両手全身を使っても、まともに体を持ち上げる事すら出来ない。

幼稚園に入園。だが、入園までには多くの苦難があった。
母親は入園した幼稚園と巡り会うまで、いくつかの幼稚園や保育園を訪ねたが、入園拒否という厳しい現実が待っていた。母親も入園したところで難しいと思った瞬間があったらしく、園児幼児は手を繋いで散歩をしていた風景を見た時「コタには無理だ」と、並んで歩道を真っ直ぐ歩く子供たちをみて「コタなら轢かれてしまう」と、昼寝をする子供たちを見て「コタは泣く」と、入園拒否には納得しざる得なかった。
だが、素晴らしき幼稚園と出会う。園長はコタといった子供の特殊事例に理解があったのだ。
母親は園長が開催するセミナーへ参加。母親も同様に知識的な面でも理解を深めた。同時にコタの育児で得た実例に基づいた経験、これらで理論的にもコタという事例を考えられるようになった。母親にとっては、ようやく先が見えた瞬間であった。

幼稚園時代はマイペースを貫いていた。気分がコロコロ変わり、そして困り、すぐに女子から助けられていた。
よく怪我をして、鼻血などを出していた。帰りのバスでは鼻にはティッシュを丸めて捻り込んだ”つっぺ“をしていた。
トラブルメーカーというより、トラブルの中で生きている園児だった。木から取った実を幼稚園のゼッケンにあるポケットへ長期間放置した結果、家にいる母親がドン引きするほどゼッケンがポケットを中心にこの世のものとは思えない惨憺たる風景を生み出した事件などもあった。

詳しくは後述するが、帰宅後はDSiで遊んでいた。
はじめて自力でクリアしたゲームは「スローンとマクヘールの謎の物語」であり、偶然父親のDSiに刺さっていたゲームを勝手に自分のDSiで遊んだ結果である。後に母親もハマる。ちなみにコタよりも後にこのゲームを知った母親の方が先にクリアする。

「ごっこ遊び」といったシミュレーションを好んだ。何故か架空の居酒屋の運営を最も行っていた。(最初はレストランだったが、後に居酒屋となった。)
その経営…?というのも非常に力が入っていた。

例:
  • メニュー表を自分でパソコンでデザイン
  • (レジを想定して)ポイントカードの使用ディスプレイを「うごメモ」で作った。
  • 看板やポスターを不格好ながらも自力で作る
  • 集客の計画表を作る
  • (小学生になってからは)お小遣いで事務用品を百均へ買いに行く
  • 店内BGMを流す(後に動画編集のBGM選曲感覚のベースとなった)
  • うごメモとWindowsムービーメーカーでCMを作る

…など、普段の暴れ具合からは想像出来ない行動をしている。これは「集中力」で決まるものらしい。
コタが集中できないときは多動や危険行動がある。半面、一つの何かに集中する際には並外れた集中力を発揮する。
これは周囲も「能力」みたいなものであると思った。
割と本人も楽しそうであった模様。(←コタ加筆)

前述からわかる通り、既に幼稚園の頃にはパソコンを使用していた。FlashゲームやFlash動画に出会う。
最古の記憶として、初めてマウスとキーボードに触れたのは3歳くらいであるらしい。
最初は親が使用しているのを横で夢中に見ていただけだったが、家庭世のPCを新たに購入した日を境に覚醒する。
かつてのPCが家の「メインPC」から「使用していないPC」となり、このPC(OSはWindowsXP)を譲り受ける。
XPの方は有線LANに繋げれなくなっていてインターネットを制限されていたが、逆にインターネットの機能以外の機能をこの地点で網羅した。
インターネットを使用したい場合は新たに購入したメインPCを親に使用させてもらった模様。そこでFlashアニメーションや脱出ゲーム大百科に出会う。
特にピクトさんシリーズを多くプレイしたらしい。最も印象に残っているのはピク焼き屋編。
また、この頃から、ニコニコ動画やYouTubeを多く視聴していた。
印象に残っているのはヒャダイン氏の「The World Warrior」。

パソコン以外ではゲームへ没頭。WiiFitの「スキージャンプ」で「着地失敗→雪だるま」になる演出が好きでたまらなく繰り返し失敗した。
だが…圧倒的に運動能力が低かったのもあり、Wiiボードに両足で立ってもバランスが取れないといった事態が起こる。
「カラダ測定」では重心の軌道を表示しただけで意味不明な作品となっていた。平均のバランス年齢は真面目にやっても40代であった。
マリオカートではふざけて逆走するなど、その暴走っぷりはゲームでも発揮されていた。
他にも自宅にPS1やPS2があったこともあり、「ワールド・ネバーランド2 〜プルト共和国物語〜」を遊びまくる。イムの虜となった。
DSiの「うごくメモ帳」や「ちびロボ(おかえり、咲かせて)」に夢中。「おかえり!ちびロボ」は、ラストに人生で初めて涙したゲーム作品となった。レイトン教授シリーズや逆転裁判などを遊んだのも、この頃。

意外な面として、幼稚園時代は多少外で遊ぶ機会、体を張る一面などもあった。本人は父親と「戦いごっこ」的な遊びを頻繁にしていたと語る。
公園では遊具で「風を受ける」ことを好んだ。疾走感のある体験が好みであったらしい。
しかし、遊具に上っては一人で降りれなくなるのがオチであった。アスレチックなどは優しいものでも一切できなかった。
ご察しの通り、公園では毎回のようにケガをしていた。ので、親は常に絆創膏などの応急手当できる物を携帯した。

好きな仮面ライダーは今でも仮面ライダーダブルと電王。後にドライブとフォーゼ、ウィザードにも心を奪われる。

レゴを使い架空のストーリーを考えて、自分で物語を考えるなどして遊んでいた。アニメも見てた。
DSで撮影し、「このコマは、こんなストーリー」みたいな事もして遊んでいたらしい。
(この頃の写真は本当にごく一部であるが残っている。)(←コタ加筆)

長期記憶が優れていた。曲の歌詞などは一度聴いたら覚えるレベルであった。
※だが、これも興味や関心の程度、集中力に依拠していた。

半面…短期記憶が、めっぽう極端に弱い。現在もそうであるらしい。
これは医師や専門家からも指摘されており、他にも脳機能が全体的に優れていない。
※特に言語分野が弱いらしい。理解できる単語量や語彙の数なども、平均より何歳か遅れていると診断が出ていた。

小学校入学後、「うごメモ帳3D」で、ドナルドやムスカのMADに執着する。棒人間バトルや文字PV等にも夢中になり、完全に虜となる。
また、「アルクアラウンド(サカナクション)」」)のMVに出会う。この頃から「文字の動き」といった要素に関心を持つ。また、音MADなどのURLをメモ帳などに集めたり等の行動もあった。ということで、趣味は幼稚園時代と同様パソコンとゲーム。
ちなみに、例の架空居酒屋運営の最盛期は小学3年生。4年生まで本気で行っていた。ちなみに、閉店日も正式に設けて閉店セール的なものもあったらしい。
閉店地点では、北海道に4か所、その他本州に6か所、沖縄に1か所へ支店を設けていた設定。設定では、全国が一斉に閉店したらしい。
閉店理由の設定は「株価の暴落」「各店舗に相次いで強盗が入った」「ストライキが起こった」「その他、これらが同時期に起こった」らしい。
ここまでの「おままごと」は、全部ひとりで行っていた。ちなみに、実際のお客(もとい協力者)は母親であった。

ゲームは「メタルマックス2リローデッド(本人曰く「人生最も長いプレイ時間を誇る」)」や「モンスターハンターXX」と「バイオハザード4(PS2版)」を遊んだ。
そして特記せねばならないのは、現在も相変わらず夢中「ペルソナシリーズ」である。これに関しては、後ほど詳しく書く。

勉学は非常に得意苦手がはっきりしていた。
算数のテストは実力で0点を叩き出せた。半面、国語は(漢字や語彙、文法関連以外)非常に得意であった。
読解に優れていたと言える。
…なのに、算数(後の数学も同様)の文章題では問題文を最後まで読まないで衝動的に回答してしまったりと、読解力が十分に発揮できていなかった事例も多い。

計算が特に苦手であった。1年生の頃に、0-10の数で足したら10になる組合せを思いつけない程。
九九は記憶力で早い段階に覚える。だが、応用が全く効かず文章題で活用できなかった。

社会と理科が追加されてからは、歴史と公民の分野で関心を持つ。
特に歴史では開国~戦後までの資料などを熟読した。周囲(学校以外の人)から博士と呼ばれるほどには歴史を極めていた。
公民は、当時の真面目な性格が影響していたのか法律や経済の仕組みに興味を抱いていた。
ゲームの「逆転裁判」がきっかけで、裁判制度の仕組みには最も興味を抱いていた。その話題に詳しい人へ直接質問などで伺いに行ったこともあるらしい。

…半面、地理が壊滅的であった。朝、教室に入る際には入口の横にある都道府県パズルを埋めなければならなかったのだが、コタは北海道、東京、沖縄以外全く分からなかった。
これは流石に母親も「まずい」と思ったのか、コタ専用の都道府県覚えようレポートを作成。そのおかげで、一時期は全部覚えてた。
にもかかわらず、すぐに全部忘れてしまう。ごめん。←コタ記入
単刀直入に言おう。それは悪化した。
高校2年生になるまで、都道府県は54あると確信していた。
※これを書いている管理者が最も驚いた質問に「京都と大阪って、どっちが東?」である。この質問は、彼が高校1年生の頃に受け取ったものである。

(おそらく2014年)Minecraftにハマる。最初に遊んだのはPS Vitaエディション。ペルソナの特記で詳しく説明するが、とある事情によりPS3へプラットホーム移行。
一番好きなブロックはTNT。「Minecraft軍事部」のような活動をPS VitaやPS3で行っていた。自分の中で、架空の国家設定などもあった。動画などを見るたびに「PS3でもModが使えれば…」と思っていた。(←コタ追記)
PS3にして以降は、後述する小学校の後輩と(時々言い争いながらも)楽しく画面分割でプレイする。現在STAYで「ゲームを、みんなと遊びたい」といった気持ちがあるのは、これがオリジンである。
PS Vitaでは、頻繁にデータが消えた。今の鬼没兄弟がやっているように、よく刑務所を作っていたのだが…毎度消えては別のワールドを作り、村をTNTで爆破していたらしい。やつあたり。
ちなみに、刑務所関連は一人でやっていた。なので、テストプレイヤーもおらず完全に一人遊びであった。

2年生になり、父親が見ていたペルソナ4のアニメを目撃、以降共に最終話まで見る(True End Episode No One is Aloneを含む」。これをきかっけにペルソナシリーズを知る。
とても愛してしまい、ゲームを直ちに購入。その時は敢えてペルソナ3フェスを購入。かなりやり込んで、ペルソナ4も購入しプレイする(ペルソナ4ザ・ゴールデンは既に発売されていた。
当時、運悪くPS Vitaが故障してしまいPS2の無印を購入した。おそらく不良品であった。)。ペルソナ4を網羅した時期に丁度ペルソナ5が発売された。
ペルソナ5を徹底攻略し、加えて女神異聞録ペルソナとペルソナ2罪・罰、ペルソナ4 ジ・アルティメット イン マヨナカアリーナ、ペルソナ4 ジ・アルティマックス ウルトラスープレックスホールド、ペルソナQ、真・女神転生…
多くのアトラス作品に触れた小学生時代を送る。

他にはパワーポイントやワードで遊んでいた。その際に最低限の基礎レベルを覚える。

小学4年生より、極端に不得意であった算数のカバーを目的として近所の学習塾へ通い始める。個人塾であり「学習面での自立」を目指す方針であったのでコタは自習での吸収効率を伸ばした。授業の最初は「わくわく文庫」という実際の本を手に取りながら、PCにて収録されている朗読を自分好みのスピードで再生可能な読書システムでの速読を行なっていた。耳と目の両方を活用する読書である。
これまで本を読んだ事が無かった事から、本人としては内容が頭に入ってくるか不安であった。しかし、最終的には推理小説を十数倍速で読解できるスキルを身に付けた。
夏期講習の割合計算講座では分数の概念をようやく理解して、同時に利便性にも気が付く。後に中高の化学分野で用いる計算でも、この講座で得た知識を十分発揮する事ができた。
塾は中学校卒業まで毎週通っていた。毎度楽しく問題に挑めていた記憶がある。

周囲の大人の多くは理解者であったので、コタも支えられながら(頻繁に転びながらも)壁を乗り越えてきた。
だが、学年が上がるにつれて、ある問題が深刻化の一途を辿る。
学校での人間関係においては最悪であった。小学生時代は、底知れぬ劣等感に悩まされてながらも、苦手な勉学に励む。
(理由は様々にあるのだが…)当時は被害妄想が強く、非常に警戒心が強い人間であった。そのため、周囲と頻繁に衝突。
その上(客観的に見たら)自身に非がなくとも「どこかで自分が悪いんだ」と必ず考える傾向があった。
確かに、一般で想像される小学生の姿とは程遠いい、変わった人格の持ち主であったかもしれない。自分のことは1人で全く出来ず、それに加えて常に危険に直面。不安がった多くの大人が力を貸していた。これは別の子にとって妬ましく、邪魔に思われていたのかもしれない。

小学1年生の頃に希死念慮・自殺願望を抱く。以降、長期に渡って突発的な自殺衝動に悩まされる。このあたりは後に、コタの作風へ強く影響している。
(例えば階段を上ったり下ったりすると「落ちると何も考えなくて大丈夫だ」と思考を張り巡らせる…等)

この問題は後に、軽い「いじめ」へと発展した。これをきっかけに、コタは学校を欠席する。同時に「条件が揃った」環境下でパニック発作を起こすようになる。
1年生の頃から耐えてきていたが、5年生となって忍耐できず、崩壊してしまう。
この事件発生時、幸いなことにコタの周囲には味方となってくれる両親や担任と養護教諭(当時の)などの大人が存在した。
これが良くて、学校側での迅速に対応が進んだ。
当時の担任養護教諭は、後にコタが「恩師」と語る人物となる。

小学校の同級生とは馴染むことができなかった。友達は0では無かったのだが…コタの精神状態が疑心暗鬼となっていた。
一部友達は出来るも、よくいる「グループ」的な存在が好ましく思わずにコタと関われないよう「細工」をする。
せっかく友達になってくれた相手と「ずっと」一緒にいることで、コタを関わらせないといった戦法だ。
(何名かは歩み寄ってくれていたはずなのだが、ストレスMAXだったので思いやりを無下にしてしまった)←コタ加筆
小学校へ在籍していただけで、遺書を複数枚書いたらしい(所持していた僅かな額のお小遣いに関する遺産相続についても書いていたらしい)。
だが、周囲の支えてくれた人間の気持ちを無下にして死に逃げようとする自分に対し更なる嫌悪感を抱く。その度に遺書はビリビリにしていた。
一通のみPCで書いたものがあったが、数日後に気が付いたら消滅していた。

当時は恋愛など全く関心も興味が無かった(おそらく、精神状態がそれどころでは無かった)のだが…
コタは「告白」されても「愛の告白」だと気が付いていない。今になって思えば…あれは疑う余地もなく愛の告白であった。
このように、恋愛だけではなく多くの誤解や勘違い、あるいは余計に人を疑ったりして多くの人を傷つけてしまったと後悔している。
もっと言おう。「逆転裁判シリーズ」が好きで、当時は「告発」という単語は「告白」と同義であるとしていた。←コタ加筆
休み時間の遊びに誘ってくれているのかと勘違いして嬉しかった覚えがある。←コタ加筆
コタは誤解しているので、コタは本来の意図を理解せずOKを言ってしまっていた。後に、これが大きな修羅場を生む…

実は後に、上級生のグループから「変わり者」として目を付けられた。
最初は彼らと良好な関係を築けていると確信していたのだが…
どうやら本人と関われば関わるほど「弱い部分」が見えてきたらしく、弱いのに委員会や係活動などを真面目にこなしていたコタを「出来損ないの足掻き」のように感じたらしく以降は排除する動きを見せる。
最終的に学校の先生が仲介した事で和解はするが…彼らが卒業すまで、関わるのに恐怖心を抱いていたので接点が激減した。

一方で、後輩からはとても好かれた。むしろ、護衛みたいに守ってくれていたらしい。
登下校を共にしてくれることで、抑止力となっていた。1人になる時も勿論あったが(曜日・学年ごとに何時間授業か決まっていた)、逆にそれ以外は彼らがいた。
理由はコタに敵が多く、登下校が命がけであった為である(これで少しケンカに強くなったのだが)。
こうして後輩にはコタを中心としたコミュニティーが形成されていき、当時の記憶では男子が5名、女子が10-12名程いた。
教室は先生以外で話せる人が少なかった中、後輩と一緒に活動できる時間は(ケンカとかもしたけど)紛れもなく救いだった。←コタ加筆

その後も色々あって、自分の悩みに自分が翻弄される。
加速する自己否定に、ある日突然教室を飛び出した。そうして家庭科室に引きこもり、担任が来る。
「自分から逃げるな」と𠮟責されることで、同時に先生の優しさに触れて、改めて今の自分がどうしたいかを考えてる。
そうして、自分の死は思考放棄であり、つまりは自分は思考することをやめたがっているのだと解釈。
ここで、客観的に自分を考える事よりも主観的に自分を捉える必要性に気が付く。
この成長は、はじめて「自分がどんな人間でありたいか」に関して考えるきっかけともなる。

5年生の後期、特別支援学級へ「通級」という形で通うこととなる。
前述した欠席騒動以降、これまで以上に自己肯定感を失った挙句、対人関係に(アレルギーのような、あるいは発作的に)極端な拒否反応を覚えるようになる。
挨拶、人の目を見て話す、集団の中で昼食をとる、冷静に物事を分析する…といった日常生活に明らかな支障が出ていた。
※これは現在も影響しており、他人の目を見て話すと強迫観念のような強い不安感と緊張感に襲われる。

在籍しているクラスは今までと同様だが、時々授業から離れて自分1人の特別な授業を受けることになる。
そこで…
「自分がどんな人か」「このイラストの、この人はどんな気持ちか想像してみる」
「自分がパニックになりそう、どうするか」「最近思ったこと、考えている事(カウンセリングのようなもの)」
…などのプログラムをコタ1人の為に設定してくれて、時間も設けてくれた。

地元の学校には進学せず、少々遠方にある私立中学校に入学。体験入学でヒトーンと出会う。
ちなみにきっかけは両親、そして当時通っていた学習塾の先生と担任にオススメされてのことだった。
趣味としては相変わらずゲームや「うごメモ3D」である。文字PVとか棒人間バトルとか見てる。自分で作ったりもしていたが、データを既に消してしまっているので現存している作品は無い。
それ以降、2名を除いて一切かつての同級生とは関わっていないらしい。
別に恨んでいるとかそんなことは全くなく、どちらかといえば合わせる顔が無い…というやつ。←コタ加筆

クラスでゲームを一緒にやってくれる人が居ないか募集していたところ、そこでイサと出会う。当初はお互い変人だと思っていたが、性格や思考も正反対なのにもかからわず妙にノリが合った。PUBG Mobileや第五人格を遊びつくした。人狼ジャッジメントもやった。
STAYのイサと共に、PUBG Mobileにて世界大会に出るも敗退。
STAYのイサとゲーム実況をする。実況では、収録と動画編集を担当した。それを全部スマホで行っており、技術の幅の狭さには悩まされるも、毎度面白い表現を追求した。
当初は声を公開しないで動画をアップロードしていた(その代わりに、通話していた際の発言はテロップで表示していた)。
ちなみに動画もチャンネルも既に全てが非公開であるが、内容は現在改めて振り返ると過激なものが多かった(コタ・イサ談)。

後にスマホでの編集技術向上を目的としおり、ちょっとした文字PV(的な)動画も作るようになった。イメージとしては、アニメのOPの様な映像を目標にしていて、例えば…とあるFPSゲームのスペクテイター機能でゲームを撮影、それに編集で歌詞の表現を加えるといったことをしていた。

中学校2年生になり、ジャンク品の格安PCを購入。AviUtlを使い始める。ゲーム実況の動画編集を毎日続ける。
1か月(?)ほどボーカロイド楽曲の二次創作MV制作に没頭するも、ゲーム実況の動画編集へ路線を戻す。
しかし一時期は不安感などが原因で一時期教室に通えなくなる。このままではいけないと思い、思い切って西オーストラリア州のパースへ1週間程度の非常に短期間で留学をする。ホームステイであり、その間お世話になった(帰国後、メッセージをやり取りしたりと現在でも交流は続いている。)。その家の子供はコタと趣味が非常に会い、就寝前はスターウォーズや日本の漫画について語ったりした。現地学校も共に通った。
高校卒業後は「誰かの力になりたい」「北海道を守りたい」と北海道警察に務めたいと考え、動画の投稿頻度が多少落ちる。

ソルジャーと出会う。3年生の時にはイサらと共にゲームを開発、全世界に公開した。
高校は内部進学することにした。

2020年は、受験などの影響で多忙を極める。イサとソルジャーとコタは、しばらく生活が安定するまで大人しくする流れとなる。その上、進学先がコタとヒトーン以外バラバラになってしまい(諸事情で後にコタと同じ学校へ転入する)、以降はDiscordやLINEなどで通話などをしていた。再びイサが表に出るのはしばらく経った後となるが、コタとイサは通常通り頻繁にゲームなどをしていた。

2021年、コタとヒトーンが進学先でかにぱん(カニ)とツナに出会う。
DemonStayerがYouTubeにて結成される。

入学後、卒業後の進路に大きな不安感を抱く。
警察官を目指す事よりも、今日を生きることだけで精神的に余裕が無かった。

至極傲慢な自問自答であるかもしれないが、「誰かの為は、必ずしも誰かの為になるわけじゃない」と思うようになる。理解しややすい例として「責任を取る」という行為がある。
普遍的な意味において、自分の行動に責任を持つ事は「困難」ではなく「不可能」である、と。
他人にとっての「責任」とは何かわからないのに軽々しく「責任を担う」とは言えない、というものである。
コタはこれ以降、それまでの自分の考えを改めて「正解が無いことを前提」として生きるようになる。
それゆえに、正解が無い中で正解を出すことを求められる場面では以前よりも余計に苦悩する。
(本人曰く「絶対的に絶対は無い」という「絶対」がたった一つの絶対である、としている。言ってしまえば、これは論理的に自己矛盾がある。ゲーデルの完全性定理。)
自分の行動に責任を持つということは、自分の行動の結果や影響について認識し、それに対して正当化や弁明ができるということでは無いのだと思った。だからこそ、自分は何をしてもダメなのではないかと思った。
加えて、それを一般・普遍といったレベルの広さで考えると「自分の全ての言動に対して『正解が無い』としてしまえば、それは周囲の言動を全て否定する事になる」と気が付く。そうして、自分は無意識の内に他人へ酷いことを思ってしまっているのかとなり、さらに自身の気持ちを沈めた。そのうえで多くの人の世話になっている事がどれだけ不敬なものなのだろうと思い、自分への殺意が以前と比べても明確になっていた。それは最初「不安」であったが、後に「怒り」へと変わっていくのを自覚していた。

状況は悪化し、試験勉強にも身が入らなくなる。そこで、親が叱責をして「あんた中学の時とかに動画作ってなかったっけ?」と話を振る。
これがきっかけで、自分は全く何も出来ないわけではなかった事を思い出す。同時に、今の自分は何もしていない、甘えていると強く反省する。
中学校時代での映像制作経験を将来の生活に使うことを考えた(現在とは方針が全く異なるものであり、とてもアートとは無縁であった)。

別の学校へ進学したSTAYのイサも誘い、進学後出来た友人らとDemonStayerを結成。ゲーム実況では「刑務所からの脱出」などのシリーズがある。
動画編集を更に極めるために、Adobe製品を購入。同時に長年貯めていた小遣いの貯金を全て切り、高額なPCも購入する。
BF4やGTA5をSTAYで遊びまくった。あと、AviUtlが落ちなくなる。

改めて、アニメに夢中になる。一番好きなアニメは「三月のライオン」。

高校1年生の12月には、改めてSTAYの活動で行っている様な動画編集を担う動画編集者として生きていくことを目標にする。

そこからAdobe製品を使用した動画編集や映像制作、サムネイルを制作をする。
が、一向にAeに慣れず苦戦。動画編集はPremiere Proに完全転換した。自主制作すら作れないほどAeの習得に時間がかかったが、この壁をどうにかしなければという一心でなんとか操作方法は覚えた。

しばらくして、STAYのサムネイルにマイクラのキャラを3Dで追加したいと思うようになる。
2021年に初めてBlenderを試すが、全く理解できず挫折。書籍を頼って操作は覚えたが、当時のコタにはお世辞にもビギナーを言えるほどの3D技術も無かった。illustratorも同様にパスといった概念が理解できず、気が遠くなり起動すらしなくなる。改めて再び使う様になったのは2023年からである。(そのかわり、Photoshopは比較的上達が早かった。早い段階でサムネイル制作はAviUtlからPhotoshopに移行した。)

自身の学習能力の低さに改めて落胆する。だが、生きるためには死ぬ気で喰いつかなければならない。
将来的に使う事になるであろうAfterEffectsは覚えておきたいと思い、AfterEffectsだけは必死に覚えた。
自分に言い聞かせる。自分の代わりはいくらでもいる。だからこそ、自分に出来る事を全力でやる、と。
使いこなせなければ、待ち受けるのは死であると。無であると。さもなければ、人生など無駄だと。
かつて中学時代に使っていたAviUtlとの違いにも驚くが、慣れなくても使いこなす必要性を十分に感じていた。

2022年以降はメインとして活動する名義となっているカンコタワークスを名乗り、AfterEffectsとBlenderの練習で作った二次創作MVをYouTubeとTwitterに投稿。現在は非公開である。その際、PVSFに投稿した。
この頃の制作目的は、まさにSTAYでやっているような動画編集の上達であった。

その後も自主制作として二次創作MVやモーショングラフィックスを作っていたが次第に楽しくなる。創作の楽しさに気付く。
かつては焦りと緊迫感が活動のエネルギーだったものが、次第に生命維持に欠かせない欲求レベルにまで優先度が上がっていた。
こうして「表現をしたい」という思いに変わった。

技術を磨き続けて、気が付いたら学校から映像制作を頼まれるようになっていた。学校だけではなく、インターネットでも制作依頼が来るようになった。
このため、DemonStayerでの編集に時間を割けなくなってきてしまう。STAYの更新頻度は急激に少なくなる。だが、深夜に収録をしていたので動画のストック自体は問題なくあった。(2024年3月までSTAYは限定的活動休止となった。)

高校3年生になり、はじめてデザインというものを知る。以前はソフトの知識や操作技術のみを意識していたが、なんとなくデザインの本を買いillustratorを触れてみたら、デザインを設計する楽しさを知る。デザインの奥深さに興味が絶えなかった。これをきっかけに、デザインの本を読むようになった。
これまで苦手であった3DCGを演習するようになる。Blenderをフルに使い、2023年には二次創作MV「火焔」を制作。3DCGとテキストモーションで一つの映像を仕上げた。また、寝る前の時間を使いUnreal Engine5も学んだ。後に、ある案件で大いに役立つ。
その夏までは全て順調だった…

...
(更新未定、本人と相談中)
...

2023年夏以降、ノンクレジットの作品に多く携わった。スケジュールの密度が大変な事になってしまい、その反動で年末と1月は体調不良で寝たきりを余儀なくされた。

2024年3月に「死神 竹雫まいカバー」を公開。
STAYで不定期に更新されていた動画に出演していた機会を省けば、カンコタとしてインターネットに姿を現したのは久々の事だった。
映像はストーリー仕立てになっており、原曲がそうであるように落語の「死神」グリム童話「死神の名付け親」をモチーフとして新たな「死神」を構築した。ここで、2023年度のはじめに使っていたUnreal Engine5が役になった。

DemonStayerの更新頻度は、前よりかは改善を見せる。コタが死神MVのレンダリング中合間を縫って編集を進めていた。

人物


端的に言えば、驚天動地。変人。あるいは、天然TNT。
STAYのムードメーカー兼ムードブレーカーである。マージャングやイサが「奇人・変人」とする程に変わっている。被害妄想が強く、非常に警戒心が強い人間。ソルジャーとマージャングの狂気レベルを超越しており、言動の全てがメンバーを驚愕させる程。
動画内では多弁な印象であるが、時折みられる自虐ネタなどから誰よりもネガティブである事がわかる。自己否定的なワードも多少確認される。
STAYメンバーの個々にあるソルジャーやイサとはよくゲーム内でPvPなど戦うことが多い。

動画編集やサムネイルなどのデザインを全て担当している。STAY随一の行動力を持つ。
結果、STAYでの動画編集やサムネイル画像制作経験が映像クリエイターへの道へ続いた。

このグループを創立した本人でもある。STAYの輪を繋いだ張本人。

刑務所シリーズでの彼はコタ・ステイサム(Kota Statham)にて。

はっきりとした人生観や価値観を持っている。他にも様々な持論自論時論を持っており、マージャングやイサがよく話に乗っかってくる。カニの爽快なツッコミは動画の見どころである。

特に「決め付け」「断定」が嫌いである。自分が無意識に決め付けた考え方をしていた事に気が付いた場合、思考がそこまで至らなかった事を深く反省する。

好奇心が旺盛。知らないものがあると不快感を覚えるほどに「知りたがり」である。ただ逆に知らない事が多い様な…

性格にはとても難があり、コミュニケーションの取り方にはかなり癖がある。
動画内では極端にマイペースな態度を見せることが非常に多く、STAY全員を翻弄する。
ツナやかにぱん等多くのメンバーは限られた人だけと親密な関係を持ち、そのコミュニケーションも独特で、「極端にマイペースな野郎」と評されている。

STAYでは創設者という立場でもあり、動画の編集やサムネイル制作、シリーズ系のトレーラー映像を担当している。彼のBGM選曲センスはSTAY内でとても評価されている。収録担当なので、実況はコタ目線で進行する。

本人曰く、幼稚園時代からスピッツが大好きである。幼少期に車で頻繁にスピッツのCDが再生されていた事がきっかけ。
好きな曲は「ルキンフォー」である。(家族もルキンフォーで救われた経緯がある。)
他には「群青」「僕のギター」「跳べ」「シロクマ」「俺のすべて」「流れ星」「はぐれ狼」「メモリーズ」「春の歌」「タイム・トラベル」「旅人」
よく聴くスピッツのアルバムは(好きな曲から察せられる通り)2007年リリースの「さざなみCD」と「花鳥風月+」である。

ドビュッシーの「月の光」やバッハの「無伴奏チェロ組曲 第1番 プレリュード」にベートーヴェン「ピアノ・ソナタ」などのクラシック音楽を好む。
作業の休憩にコーヒーを飲みながら聴くのが好きらしい。(稀に通話で音漏れしてくる)

毎朝、仕事前に「アイカツ」のカレンダーガールを聴くのが日課。

ボカロを頻繫に聴く。何故か趣味で作詞などしている(実際に曲となったものは無い)。

ゲームやアニメ・ドラマ・映画鑑賞、クラシック音楽のコンサート鑑賞が趣味。

好きな映像作品集としてYouTubeの再生リストを公開している。数は800を超えており、中にはコタの好きなゲームのPVやFlash黄金期の動画などもある。

ちなみに、2024年以降は手を執拗に洗う習慣を徹底している。
元々は自分用の食器以外の食器を使用するのに躊躇いがあったレベルであったらしいが、近年更に深刻化しているらしい。
マージャングは更に重篤である。

本来は極めてロングスリーパーである。12時間寝ても寝足りない程。
しかし彼の仕事や性格といった睡眠不足へ陥りやすい悪条件が揃い過ぎているので、スケジュールによっては1日に3時間寝れたら良い方。
納期が危なくない場合や休みの日は十数時間寝るらしい。
修学旅行では、msしゃんが耳元で音割れポッターなどを流したり、同学年のメンバー全員で彼が寝ているベッドの上で飛び跳ねたり、寝ているコタへ枕を投げつけまくったり、ベッドを揺らしまくったりしても全く無反応であったらしい。
深い眠りに入ると、他人の力では現実に戻せない。その上、極端に朝が苦手。本当は夜も苦手であり、昼は頭が重いと感じるらしい。つまり1日ダメ。

睡眠をとらない理由は追われてる感覚であるらしい。睡眠が怖く感じるらしく、起きる行為ならまだしも理解できるが寝る行為(より厳密に言えば眠りにおちて意識が遠くなる感覚)ですら恐ろしく思う。
過去には「寝たら朝が来る。朝は1日のはじまりを意味する。つまり、明日が来てしまった証拠」と言っていた。
明日が来ることは自分にとって無力感の始まりでもあるのだという。

不思議なことに、睡眠中は全く夢を見ないと語る。あるいは記憶に残っていないだけであるとも考えられるが、1年に6回ほどしか夢の内容を覚えていないらしい。

作風


※技術的な面やアート・デザインに関しての記載はカンコタ本人より厳しい監修を受けています。本人がコメントをしている箇所もあります。

コタの作風は「カンコタワールド」と呼ばれている。この言葉をコタ本人が逆輸入して、自分でも使うようになった。
特に自主制作では色濃く発揮されており、常に自分の表現を追求している。(←そう言われたら少々恥ずかしいものですが)
作品によってルックスが異なる。だがコタの作品を知っている人間であれば一目にしてコタのものであると理解できる。視覚的要素と哲学的な思想や概念といったコンセプトが複雑に絡み合う作品を制作する。
潰れたような印刷物の質感であるアニメーション作品もあれば、フォトリアル3DCGもあれば、アブストラクト映像、VHS調の映像、フィルムノアールの様な質感の映像、ミニマルとシンプルを貫いたモーショングラフィックス、漢字の部首を意味的に解体・再構築する表現…などがある。また、案件ではドキュメンタリー映像や短編映画の監督や撮影を担当する事もある。仕事によってはVFXやコンポジットまでワンストップに行える。2023年以降は、アニメーションの撮影処理に大きな興味を抱いている。現在修行中。

世界観の構築を徹底して行う事を心がけている。作品の為に小説や詩作などをする。自宅にいる際には「憑依」の様な事ができる。正確にいえば、その作品内の人物が持つ人格を模倣(トレース)する事が出来る。自分で他人の人格を演じ、そこで感じて思った事を脳内でまとめてアイデンティティとキャラクターのリアリティーを確固たるものにしていく。(だが、本人はこれを好ましく思っていない。)
映像の中で使用する言語は一つとは限らない。多くは日本語と英語の2つを使用。歌詞は日本語で、しかし物語の根本にある情報などは(サイズ等あまり目立たない様にして)英語で書く。
(過去にはスロバキア語やフランス語、ドイツ語を使用した時もある。)
補足であるかの様に小さく書くテキストの情報は停止しないない限り読めない。しかも補足であっても解釈は見る人間が自由に解釈できるよう設計している。
コタは自ら空白と呼ぶ要素を重要視する。固定的に物語を「説明」する事を避ける為に空白を作る。空白は視聴者に自由な解釈ができる余地を残す手法としても大切にしている。
後述するが、コタは物語性を重視する。コタの理想は「無」が持つ美であり、空白があるからこそ受け取り手が脳内で空白を自由に補完される事を自分が求める表現の根幹としている。(公式には空白の解答も用意しているが、解釈は自由であるべきだと思っている。)
視聴者にとって映像デザイン上での主役要素だけ見ても物語は成立する様に制作する。そこから更に展開した表現を、先述した方法で作品の世界観を構築する。

2024年以降に制作している自主制作プロジェクトのアニメーション作品では以前と違い非物語的、あるいは豪放な映像設計をする事もある。夢や現実という境界線が溶けた現実の中で作品を通した抽象的な哲学問題の問い掛けを、そして人間(生物)に内在する概念の視覚的メタファーとして、シュルレアリスム(正確には逸脱しているアプローチであり、補足的に言えばシュルレアリスムへの独自なアプローチによりもの)を根底としたユニークかつシニカルな表現の追求を行う。設計や主題は普遍的モチーフや詩から展開されており、それは抒情的なのに作品のフォーマットといったフレームからは「飛び出していない」不思議な雰囲気を纏う。その違和感は作品に対して虚偽的かつ非現実的な印象を与えるが、逆に作者が込めた制作意図を脱構築的に解釈したかの様にも思えるパラドックスを引き起こす。画面設計やデザインはシンプルなものが多く、要素はミニマムなものが多い。アニメーションも動きは可能な限り単調なモーションが特徴。中にはループを想定しているGIF画像の作品もある。
これまで扱った非物語的作品の主なテーマとして「知識欲」「『意味』に価値はない」「こうあるべき、の否定」「己を俯瞰的に捉えたい願望」「二項対立の脆弱性」「愛」がある。これらの作品は普遍的な概念への理解を試みる為の検証を実施しているに過ぎない。そもそも理解するものではなく、これらの問いは解釈や思想の問題である為、解答を探す為では無く思考する為にあるものである。
主張としては「深い思考」を啓発したり促したりするかの様なメッセージ性が感じられる。これは自戒でもあるらしい。

映像クリエイターとしての技術の面では、手法の横断が特徴。モーションデザインや3DCGのアニメーションの技術に限らず、実写での撮影やロトスコープといった技法をマルチに使って制作する。
リリックモーションなどのテキストアニメーションを最も得意としている。鋭く素早い動きであるが、動かす意味として「視覚情報を強化・補強する」といった目的を持っている。また、「神は細部に宿る」では無くて「細部にしか神は宿らない」という自論を信頼している。

コンポジットでは「厚み」がある画を作る。グレインやノイズの表現を多用している傾向がある。
色収差の表現も多く用いられる。カットやシーンにもよるが、画面の周囲に光が分散して屈折しているかの様なエフェクトで「歪み」を描写する場合もある。
自ら架空の新聞記事を制作し、それをコラージュとして合成するなどをする。その記事は基本的に英語で書く事が多い。

人間が抱える矛盾に葛藤する心模様やフラストレーションをビジュアライズすることを目的としている。
3DCGを軸として2Dモーショングラフィックスを展開するアニメーションが得意。
自主制作では「自己懐疑」をテーマとして自身の表現を追求。負の感情といった「マイナス」からアプローチ。
具象と抽象の往々によってストーリを織りなし、メッセージ性を持って展開する。
自然の中にあるが、妙に人為的であり違和感を抱く作品を目指している。

商業制作ではミュージックビデオや広告映像だけではなく、ドキュメンタリーやショートフィルムなども手掛ける。
リズミカルなモーションデザインが印象に残るリリックビデオを手掛け、心に残る映像を制作。
宣伝やブランディングを目的とするCM・PVなどの広告映像では、情報を補強するモーションを展開する。

主な作品


  • 刑務所からの脱出 OP映像
映像担当

  • 刑務所からの脱出 エンディングMV
映像担当

  • 死神 竹雫まいカバー
依頼での制作。監督を担当。

  • Faulty
自主制作映像


脚注


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管理者
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「刑務所からの脱出」

登場人物

「刑務所からの脱出シリーズ」登場人物
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お知らせ


2024/04/13
どうも、正体不明です。
新生活の影響で少し更新が滞ってしまいました。
今日から少しずつ復帰するので、よろしくお願いいたします。

2024/02/16
どうも正体不明です。
かなり刑務所シリーズ関連の記事を書きました!監修も受けましたよ
刑務所からの脱出シリーズ
なにげに、ここで新しく判明している新情報もあるらあしい!すごい!

2024/02/12
どうも、正体不明です。トップにも書きましたが、atwikiのサイトを新設しました。
長い間お待たせして、大変申し訳ございません。
今回は私だけではなく、他にもサポーターを確保して運営に臨んでまいります。
現在、前サイトは閉鎖作業が進んでおります。
ご理解とご協力をお願いいたします。
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