今ならば計り知れない己の力を存分に使いこなせる。そう確信したからこそ、ピサロは魔王相手に動じる
ことなく右手の指を躍動させ、その武器にリズムを伝わらせた。
相手は死神の鎌、ピサロが掌で死の踊りを演じてみせるのを黙って受けいれた。
だが黒塗りの鋭い刃に深く眠る死神の目を覚ますには、これだけでは足らない、
彼の琴線に触れるだけの興味をひくものがなくてはならない。何よりも鮮やかで、火を通した鉄のように
熱を帯び、あふれる意欲の源、身体じゅうをかけめぐる生命の声。
血だ。
ピサロは鎌の先端をつまんでぐっと押さえた。細い切り傷からこぼれた血は、刃をつたって床に滴り落ちる。
死神の鎌がふるえて暗い光を放った。
部屋の一番奥にいたピサロはゆっくりと、一歩一歩ふみ出す。
その横で
パパスのスカートのように長い毛皮の腰巻きがひらめいた。
「先に行く!」
剣を携え気迫のこもった目を前方にぶつけて走った。子供たちの戦場に偉大な父が加わっていく。
部屋と廊下の仕切りの上で、
サマンサは隣りに並ぶ
デッシュをちらりと横見て呪文を矢継ぎ早に前線まで
とばす。今度は防御呪文スカラを唱えた。
紅蓮の炎を浴びて倒れた
アイラに駆け寄るとんぬらと
クーパー。そこに防御の幕を発生させた。
バラモスブロスは駄々をこねる赤子のように暴れ続けている。時おり、巨大な口に憎悪の光をのぞかせながら
魔王の巨体はけたたましく揺れ動いた。響きわたる振動、耳につんざく衝撃音。
「あなたも何かしてください」
「俺にはどうすることもできないっ、どうせ俺は後方担当だ」
デッシュは己の存在などこの場においては邪魔物でしかないことを痛感していた。力添えができないなら
おとなしく身を退くのみだ。
「足手まといにだけはならないようにするさ!」
悔しいけれど戦いは生粋の戦士に任せるしかない、デッシュは唇を噛み締めた。
部屋の物陰に隠れていた女子供たちはその姿を現していた。
皆、これから出て行こうとするピサロのもとに集まろうとする。
アニーの手には、武器であり、抵抗の意思であるものが握られている。
エーコの手には何もない、でも勇気の拳が握られている
ピサロは視線を落とす。二人の少女が気を張り詰めてふんばっているのが見える。
「折角だが」
ピサロは傍にきたアニーとエーコの肩を手で払うように隅に追いやった。
エーコは押しのけられながらピサロの高い肩を見上げた
「ちょっと、一人で行く気?」
アニーの頬は泣き出しそうなくらい赤くなっていた。
「わたしだって闘えるから!」
だがピサロは何も答えず歩き出してしまう。
ぽつんと
リディアは立ちつくしていた、敵である魔王とおなじくらい、恐ろしい存在がすぐ眼の前にいるのだから。
彼はピサロといい、かつては恐ろしい力を持った魔王だった。今ではその力は眠っていて、ずっと引き出しの
なかで、呼び覚まされることのないまま永遠の刻をきざみ続けているはずだった。
昔、魔王の宮殿で育ったことを彼は遠く記憶のかなたに棄て去り、人間の世界に溶け込んでいるかのように
暮らしていた。
穏やかな日々の移り変わりと現実の変幻自在に心を打ちのめされたような、まるで素朴な人間がいだく感想
みたいなことまでつぶやいた。
エルフの娘がいて、一緒に暮らしていられれば、それで満足だと柄にもないことを口にした。
力はもう必要ない、優しさが力とさえ思いもするようになった。
すべてが変わり、闇の下でうごめいていた昔のことなど思い出すことは決してないと、そう思いかけていた。
それが、ピサロはこの最終局面に関わって、力をまた欲するようなピサロに戻っていく。
今、まわりを取り巻く空気の流れが、もう一度彼を闘争の只中に呼び戻した。
死神の鎌は彼のなかで大きくなっていった。
最終更新:2011年07月18日 08:27