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★発掘・新史料 - (2012/01/04 (水) 11:29:27) のソース

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*111222 日中正常化、角栄氏の政治主導くっきり 外交文書公開 [朝日]
 1972年の日中国交正常化に至る政府内での検討や中国との交渉内容が、22日に外務省が公開した外交文書で明らかになった。外務省内の議論では台湾の扱いをめぐって結論が出ず、田中角栄首相が就任後約2カ月半で一気に正常化にこぎつけた「政治主導」の交渉過程が浮かび上がった。

 外務省の外交文書公開で、日中国交正常化の関連文書が一括して公表されるのは初めて。首脳会談の会議録など一部はすでに情報公開請求で開示されていたが、今回は公電など計6千枚が新たに公開された。

 文書によると、外務省はカナダが中国と国交を樹立した70年10月から対中政策の本格的な検討に入った。「極秘 無期限」とされた71年2月の文書によると、省内の一致した意見として「北京政府との間に外交関係を樹立することが望ましい」と結論づけていた。

 ただ、台湾と国交を断絶してまで中国との正常化を目指すかは「意見が分かれる」と記され、中国と台湾をともに正統な政府として認める「二つの中国」方式と、中国のみを認める「一つの中国」方式との間で、外務省内の意見が割れていた状況が示されている。

 72年7月に田中内閣が発足すると、日中間の動きは急速に進んだ。田中首相と大平正芳外相は自ら正常化交渉に臨むため、同9月に北京入り。初日の首脳会談で「日中国交正常化の機が熟した」と切り出した田中氏に、周恩来首相も「国交正常化は一気(いっき)呵成(かせい)にやりたい」と応じた。

 両首脳が日中共同声明に調印し、大平氏が台湾との間の日華平和条約について「終了した」と発表する前日の第4回会談では、田中氏が「我々は異常な決心を固めて訪中した。明日の大平大臣の記者会見で台湾問題は明確にする」と、周氏に決意を伝えたことも描かれている。=肩書はいずれも当時(向井宏樹)
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