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+ 『Al-mujtamae』1巻1号 199X年n月号
  • ハーシム・マガノーイー(199X)「新疆地区の戦争犯罪」『Al-mujtamae(日本語版:アル・ムシュタマーイー)』より抜粋

ウイグルのムスリムたちは2つの恐怖に苦しんでいる。一つは死と鉄の恐怖、即ち交戦国の兵士によって齎される理不尽な暴力と、国内難民となった先に存在する飢えや乾きに耐えねばならないという苦痛である。
そしてもう一つは、恣意的なカーディーによって規定される性的不平等の顕在化に他ならない。
ウイグル地区に暮らしていた元カーディーのイブン・モブーニーによると、ウイグル地区における慣例として性犯罪を立証するために男性は証人が不用であるが女性は4人以上の証人を必要とするという。これにより女性が被害者である場合の加害者に対する罰則規定が機能を失いつつあるというのが現状だ。
(中略)
現地政府の統制下で再建されつつあるウイグル人共同体において中枢を担う者は現地のカーディーやウラマーであり、ウイグル人としての慣例が強く機能することが予想される。性犯罪被害が現地の世俗を治める政府と慣例主義的なカーディーらによって揉み消され、全く機能しなくなるという事は大いに危惧すべき事態だ。

  • 参考文献
ハーシム・マガノーイー「新境地区の戦争犯罪」『Al-mujtamae』1巻1号,199X年n月,p.3-p34,ダルル・ハルブを研究するウラマーの会

+ 『Al-mujtamae』1巻2号 199X年n月号
マクドゥーム・ビン=アメト(199X)「ロシア革命史におけるタタール民族運動」『Al-mujtamae(日本語版:アル・ムシュタマーイー)』より抜粋

ソビエト・ロシアにおけるタタール人は常に独立を目指して戦い続けてきた。1917年から18年にかけてのイデル・ウラル政府のほか、クリミア地域に於いてもノーマン・チェレビジハンらの独立運動が頻発している。
タタール人の独立性はソビエト・ロシア内における主要なムスリム勢力であると言うことも一因しているとされる。
(中略)
199X年にもタタールスタン共和国のタタール人指導者が南フィリピンに対して武装支援を行っていたと言うことが判明している。イスラム国を始めとするムスリム勢力の拡大はソビエト連邦内にも大きな変革を齎すだろう。
クリミア、およびザカフカース地域とイデル・ウラル地域における潜在的な民族主義は徐々に高まりつつある。何らかの条件があればすぐにでも自治独立が果たせる土壌であると言える。

  • 参考文献
マクドゥーム・ビン=アメト「ロシア革命史におけるタタール民族運動」『Al-mujtamae』1巻2号,199X年n月,p.4-p43,ダルル・ハルブを研究するウラマーの会

+ 『Al-mujtamae』1巻3号 199X年n月号
マクドゥーム・ビン=アメト(199X)「クリム・タタール独立論」『Al-mujtamae(日本語版:アル・ムシュタマーイー)』より抜粋

199X年n月、クリミア半島に侵入したノヴォロシア政府軍は同じく治安維持のために侵入した神聖ローマ帝国軍との合同で住民投票を開催した。このうち投票用紙に書かれていた選択肢は3つ。ノヴォロシアか神聖ローマか、あるいはソビエト・ロシアかの3択であった。
しかしハサン・ラッディーン(199X)によれば[1]、この選択肢には大きな欺瞞が隠されているとされる。
ラッディーンが独自に調査したところ、住民投票に参加した住民のうちクリム・タタール人における投票の6割はノヴォロシアに、3割程度が神聖ローマへの帰属に集中していることがわかっている。そこでクリム・タタール人を含めたクリミアからの難民1000人に対して上記3つの選択肢に加えて「クリミア・タタール人による独立」を加筆したアンケートを取ったところ、母集団中のクリム・タタール人のほぼ総数に当たる334人がクリム・タタール人による自治独立に賛同していることが判明した。
(中略)
これらのようにクリミア地域の全人口の1割にものぼるクリム・タタール民族の真意を排除した恣意的な投票結果こそが不正であることは間違いないだろう。

  • 参考文献
マクドゥーム・ビン=アメト「クリム・タタール独立論」『Al-mujtamae』1巻3号,199X年n月,p.8-10p,ダルル・ハルブを研究するウラマーの会
ハサン・ラッディーン『クリミア紛争の欺瞞』ムジャーヒディッド出版,199X年

+ 『Al-mujtamae』1巻4号 199X年n月号
アンマール・シェヒル(199X)「敵首都に対する先制ロケット弾攻撃とその有用性」『Al-mujtamae(日本語版:アル・ムシュタマーイー)』より抜粋

前章の通り、フィリピン内戦の再開に伴い我が国の防衛能力が試される事態となっている。その理由の大きなものとして兵力の不足が如実に存在することは言うまでもないだろう。
ミンダナオ島に接するビサヤ諸島の各島しょは大きなものだけでも5島であり、そのそれぞれに砲兵部隊を設置することが可能な平野ないし山岳が存在する。
我が国の砲兵部隊は5個師団。うちバンサモロ議会に忠誠を誓う部隊は2つであり、スールー王国陸軍は2個師団を有する。その師団それぞれがミンダナオ島の防衛のみに全力を費やす場合パラワン島など各所の防衛戦力の不在は明白なものとなるだろう。
(中略)
次章から、戦端が開かれると同時に行うべき戦闘方策としての敵首都に対する先制ロケット弾攻撃とその可能性、ならびに有用性について説明する。

  • 参考文献
アンマール・シェヒル「敵首都に対する先制ロケット弾攻撃とその有用性」『Al-mujtamae』1巻4号,199X年n月,p.8-93p,ダルル・ハルブを研究するウラマーの会

+ 『Al-mujtamae』1巻5号 199X年n月号
アーマト・ハントシャール(199X)「失敗国家 -大ドイツ帝国の崩壊-」『Al-mujtamae(日本語版:アル・ムシュタマーイー)』より抜粋

神聖ローマ帝国を滅亡に近づけたのはすなわち、神聖ローマ皇帝自身の強欲であると言わざるを得ない。神聖ローマ帝国外務部は皇帝の勅命を受けてリプカ・イスラーム共和国(現リプカ・タタール朝)との国交回復と神聖ローマ帝国への編入を提案した。リプカ側はキリスト教上位である神聖ローマ帝国内において領内のイスラーム教の保護とオーデル川以東の割譲を要求し、これが受け入れられた。
これによって神聖ローマ帝国は対ソ戦争に注力することが可能となり、結果フランクフルト講和条約の締結にこぎつけたのである。同条約によって神聖ローマ帝国内の構成国という扱いだったリプカ・タタール朝はベラルーシとウクライナを占有することが確定し、コーカサスからタタールスタンまでの広大な範囲に神聖ローマ帝国の傀儡国家であるザカフカース自治共和国が建国されることとなった。
(中略)
この結果としてイスラーム勢力の帝国内での拡大を招き、キリスト教徒とイスラム教徒の間の確執からリプカおよびザカフカースが完全に独立することになるとは、当時の皇帝は夢にも思わなかっただろう。

  • 参考文献
アンマール・シェヒル「失敗国家 -大ドイツ帝国の崩壊-」『Al-mujtamae』1巻5号,199X年n月,p.9-31p,ダルル・ハルブを研究するウラマーの会

+ 『Al-mujtamae』1巻6号 199X年n月号
アーティフ・サディコフ(199X)「ザカフカース共和国内の推進補給方式議論に関するイスラーム法的解釈」『Al-mujtamae(日本語版:アル・ムシュタマーイー)』より抜粋

まず推進補給方式は容認されるべきであるとの見解を示す。その理由としては後述するが、特に国内ゲリラ戦闘を行う場合にイスラーム法(シャリーア)における法解釈を照らし合わせるならば一見して非合理的な結果を導き出すためである。
(中略)
クルアーン8章41節には「戦争で得たどんな物も、5分の1は神とその使徒そして近親、孤児、貧者、そして旅人に属することを知れ」と書いてある。これはブハーリーのハディースにおいても「“わたしは四つのことを命ずる。先ず第一はアッラーへの信仰-アッラーへの信仰とは何であるか知っているか。それは、アッラーの他に神はない、と証言することである。-次に礼拝を行うこと、次に喜捨を行うこと、そして戦利品の五分の一を差出すことである。一方、わたしは、ひょうたんや、樽や、松脂を塗った器や、瓶の使用を禁ずる”と。」とある。
これらの通り国内における略奪的兵站補給を戦利品章に照らし合わせるならばその1/5をアッラーフに差し出し、軍役につくことはまかり通らないと解釈できる。

  • 参考文献
アーティフ・サディコフ(199X)「ザカフカース共和国内の推進補給方式議論に関するイスラーム法的解釈」『Al-mujtamae』1巻6号,199X年n月,p.32-96p,ダルル・ハルブを研究するウラマーの会

+ 『Al-mujtamae』1巻7号 199X年n月号
ハーシム・マガノーイー(199X)「ルソン島におけるイスラム教受容とその歴史」『Al-mujtamae(日本語版:アル・ムシュタマーイー)』より抜粋

マニラ近辺におけるイスラーム教受容の歴史は12世紀から13世紀までさかのぼるとされる。これはボルネオにおけるイスラーム政権の歴史とマニラ近辺の小規模な王朝の神話が嚙み合うことが多いためである。
(中略)
これらによってマニラ近郊のイスラーム勢力はすべてスペインの軍勢によって壊滅させられた。同時にムスリムによる血脈もまた途絶え、その復古は199X年を待つこととなる。

  • 参考文献
ハーシム・マガノーイー(199X)「ルソン島におけるイスラム教受容とその歴史」『Al-mujtamae』1巻7号,199X年n月,p.39-67p,ダルル・ハルブを研究するウラマーの会

+ 『Al-mujtamae』2巻1号 199X年n月号
アンサール・フセイン・バシュ(199X)「日本国による対満州回教政策の政策評価」『Al-mujtamae(日本語版:アル・ムシュタマーイー)』より抜粋

モンゴル帝国、いわゆる満州地域における回教人口は満州族中のX%を占める。これはモンゴル帝国がハーンの後継者を名乗り、リプカ・タタール朝との友好関係を結んだことによるムスリムの増加や新疆地域からの移住などがあげられる。
そこで本稿では日本とモンゴル帝国間の戦争における日本軍占領地および中立地帯における回教政策の政策評価を行う。
(後略)

  • 参考文献
アンサール・フセイン・バシュ(199X)「日本国による対満州回教政策の政策評価」『Al-mujtamae』2巻1号,199X年n月,p.19-72p,ダルル・ハルブを研究するウラマーの会

+ 『Al-mujtamae』2巻2号 199X年n月号
 アバーイー・イェシモフ(199X)「トロフィム・ルイセンコ科学相における拒食の風説に関するイスラーム法的解釈」『Al-mujtamae(日本語版:アル・ムシュタマーイー)』より抜粋

カザフ人民国のトロフィム・ルイセンコ科学相が拒食症の如き症状に陥っているということは、すでに省内各人および各国も周知のとおりであると思われる。おそらくこれからのカザフ人民国内においては拒食症ないし精神的疾患であるとの見方が強まるとされるが、私はそのように考えない。
というのも、彼の様子を確認した者によると、食物に付着した何らかの穢れを極度に恐れる様子を見せたという証言があるためである。これはイスラーム法におけるナジャーサ(穢れ)の概念と近い。
(中略)
クルアーン6章145節には「言ってやるがいい。「わたしに啓示されたものには、食べ度いのに食べることを禁じられたものはない。只死肉、流れ出る血、豚肉――それは不浄である――とアッラー以外の名が唱えられたものは除かれる。」」とある。
(中略)
おそらくこれらのようなナジャーサが食物中に紛れていることを悟り、食を拒絶したのであろうと解釈される。
なお、ルイセンコ科学相はご存じではなかったようだがこれらナジャーサの付着した食物や物体などの清めに関しても規定がある。例えばハディースにおいては、ナジャーサであるネズミの死骸が入ってしまったバターを例に挙げながら「ネズミとその周りのバターを取り除き、あなたのバターを食べなさい。」と説明される。また同じくナジャーサであるとされる尿を挙げながら「彼をほっておきなさい。だがサジュル(手桶)一杯の水かザヌーブ(盥)一杯の水をその小便に注いで洗い流しなさい。」とある。
これらのように、ナジャーサが付着した物体に関しては水の清めないし物理的な排除によって落とすことが可能となっており、アッラーフの寛容なる御心が伝わる。
敬虔なるムスリムとして、身を挺してシャリーアに従ったトロフィム・ルイセンコ科学相のすべての行動に賞賛を送りたい。

  • 参考文献
アバーイー・イェシモフ(199X)「トロフィム・ルイセンコ科学相における拒食の風説に関するイスラーム法的解釈」『Al-mujtamae』2巻2号,199X年n月,p.3-64p,ダルル・ハルブを研究するウラマーの会

+ 『Al-mujtamae』2巻3号 199X年n月号
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最終更新:2021年04月05日 01:20