ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

王女の手は空に届かない(前編)

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「宇宙の果てのどこかにいる私の僕よ。神聖で美しく、そして強力な使い魔よ。
 私は心より求め、訴えるわ。我が導きに答えなさいッ!!」

 私の口から漏れたその言葉を最後に、この馬鹿馬鹿しい儀式はようやくの終幕を迎える。
 使い魔召喚の儀。それが今日、私が退屈凌ぎに行った余興の名前だ。

 召喚された使い魔は、主君であるメイジに最も相応しい存在であると言う。
 それ故に、一口にメイジの使い魔と言ってもその姿は千差万別。
 ありふれた非力な小動物から、滅多に人前へと姿を見せないような幻獣まで様々だ。
 それこそ、メイジの中には優美に天空を舞うドラゴンを使い魔として使役している者だっている。

 私がガリア王である父より団長の職務を与えられた、ガリア王国の北花壇警護騎士団。
 公にその存在を明かされることのない王国のドブ攫い役どもの中に混じって、無様に泥に塗れて苦しむ日々を送っている我が従妹、シャルロットがまさにそれだ。
 シャルロットが召喚したのは、我々ガリアの王族が受け継いだ青い髪と同じ色の衣を纏いし風竜。
 風の妖精の名を与えられたその竜の姿を見れば、誰もがその美しさと力強さを認めることであろう。
 そしてそれは、そのままあの子のメイジとしての才能に対する評価に置き換えることが出来た。

 そんな風に子供の頃からその才能を持て囃されていたシャルロットのことを、私はずっと許せなかった。
 私はあの子と違って、魔法の才能は殆ど持ち合わせていない。
 同じガリア王家の一員として生まれた私とシャルロットの違いと言えば、たかがその程度のこと。
 しかし、このハルケギニアに住む者にとってはあまりにも大きく、決定的な差だった。
 いつもその才能を比べられ、周囲から惜しみのない賞賛を与えられるあの子のことが、私にはどれだけ妬ましかったことだろう。あの子と比較される度に、私はどれだけ惨めな気持ちに陥ったことだろう。
 そんな従妹に対する嫉妬の感情が、私の中で憎悪へと摩り替わって行くまでに、それほど長い時間は掛からなかった。

 シャルロットが憎い。シャルロットの全てを滅茶苦茶に踏み躙ってやりたい。
 そんな幼い私の、絵空事にも似た悪意ある願望は、しかしある時突然に叶えられることとなった。

 あの子の父、即ち私の父ジョゼフの弟であり、私にとっては叔父上に当たるオルレアン大公が、ある日突然暗殺された。続いてあの子の母親も、エルフの作った毒薬を飲まされて正常な心を失ってしまった。
 一人取り残されたシャルロットは王族としての地位を奪われ、表向きは遠いトリステイン王国の魔法学院で留学生として過ごす傍ら、影では我が北花壇騎士の一員として、死の恐怖と隣り合わせの汚れ仕事に明け暮れる毎日を過ごしている。

 果たして、私が心の奥底で思い描いていた通りにシャルロットは全てを失った。
 シャロットに対する処遇が決定した時、私の胸に確かな歓喜の感情が去来したのを覚えている。
 私より優れていた筈のシャルロットは、もう王女では無くなってしまった。
 これで誰も私のことを悪く言う者はいない。私はもうシャルロットと比べられることは無い。
 だって、私はガリア王ジョセフの娘なのだから、王女の悪口を言う者などいようはずもないではないか。
 私がそんな安堵の気持ちで一杯になれたのも、しかしほんの僅かな時間のことだった。

 北花壇騎士の一員として選ばれたシャルロットと再会した時、あの子は全く笑わなくなっていた。
 あれだけ感情豊かでよく笑い、怒り、泣いたりしていたシャルロットの面影は、もう何処にも無かった。
 私や父からどれほど苛酷な任務を与えられても、あの子は眉一つ動かさずに任地へと赴き、そしてその度に生きて帰って来る。
 そんなシャルロットの姿は、まるで人形のようだった。
 ただ与えられた任務を果たすことしか考えない、人の形をした出来損ないのガーゴイルか何か。

 だけど、違う。
 氷のように冷たいあの子の瞳を向けられる度に、私は言いようの無い恐怖と不安を覚える。

 どれだけ苛め抜いても、酷い言葉を投げ掛けようと、あの子は何も反応したりはしなかった。
 私があの子を恐れ、疎んじているのと同様に、シャルロットだって私のことを恨んでいる筈なのに。
 憎んでいる筈なのに、あの子が私に牙を剥いて来たことなんて、今まで一度たりとも無かった。
 それが、私には何よりも恐ろしかった。

 いつか私は、シャルロットに復讐される。
 かつての私が望んだ通り、今度はあの子の思い描くままに、私が全てを奪われる番なのだ。
 私の目の前にシャルロットが姿を現す限り、私に安息の時間は訪れないのではないか?
 今日、私が使い魔召喚の儀をやってみようと思ったのも、日々の退屈凌ぎ以上にそうした不安を少しでも払拭したいという理由もあったのだ。シャルロットが王位継承権を失った今でも、陰ながらに私とあの子を比較する者が大勢いることは知っている。私が今まで使い魔の召喚に手を付けなかったのも、召喚された使い魔を通じて、自分がシャルロットに劣るという現実を再び目の前に突き付けられるのが耐えられなかったからなのかもしれない。

 それでも私は、自分はガリア王家の一族なのだ、王族としての資格を失ったシャルロットとは違うのだと言い聞かせて、使い魔召喚の儀を断行することにした。
 私だって、出来るんだ。
 そんな根拠の無いちっぽけな希望に縋って呼び出された私の使い魔は、しかし私が想像していたどんなイメージにも当て嵌まらない、予想外の生き物だった。

 栄光あるガリア王国の王女が呼び出した使い魔、それは人間だった。
 二本の足で直立し、二本の手で物を掴むしか能の無い、単なる人間の男。
 挙句にこの男は、魔法の概念すら満足に知らないような下賤で愚昧な平民に過ぎないと言う。
 私は深い落胆を覚えると共に、同時に激しい怒りが胸の内に込み上げて来るのを自覚していた。

 こんなものが私の使い魔だと言うの?私が持っている力は、この程度の物に過ぎないの?
 あのシャルロットに出来ることが、どうして私には出来ないの!?
 同じガリア王家の血統に生まれたのに、私とシャルロットは一体何が違うと言うの!?
 召喚の儀式によって思い知らされたその現実は、果たして私を打ちのめすのには充分過ぎる物だった。
 それは何よりも腹立たしくて、本当に悔しくて、悲しくて仕方が無かった。
 使い魔として呼び出したそいつを殺してしまうのは簡単だったが、結局の所、私はしばらくの間、その男をそのまま使い魔として側に置いてみることにした。
 折角、私が直々に召還してやったのだ。すぐに殺してしまっては面白く無かったし、いつも顔を付き合せているメイド連中を相手にするよりは、まだ新鮮味があるだろう。
 それにこの男を使っての何かしらの退屈凌ぎが出来るかもしれない。
 シャルロットが北花壇騎士の一員としてこのヴェルサルテイルの宮殿を訪れた時に、あの子に対する嫌がらせの片棒を担がせるのも良いだろう。

 そうして私の役に立って貰うことで、少しでも私に恥を掻かせてくれたことへの落とし前を付けさせてやるつもりだったった。
 もし何かあるようなら、その時はすぐにでも首を刎ねてしまえばいい。
 ろくに素性の知れない平民一人を始末することくらい、この私には造作も無いことだ。
 私にはそれが出来るだけの力がある。それは今のシャルロットには決して持ち得ない力。
 ガリア王国の王女として生まれ持った権力を行使する資格が、この私にはあるのだから。

 だが、そんな風に身構えていた私の思惑とは裏腹に、使い魔の男は賢くて何でも出来る男だった。
 彼は誰も知らないような遠い国で暮らしていて、そこでは昔、医者をやっていたのだという。
 単なる平民の身分でありながら、彼は王宮で働くどの『水』系統のメイジよりも人体の構造に詳しかった。
 その知識を生かして、彼は満足に魔法薬を買うことの出来ない、貧しい使用人共の怪我や病気の治療に携わるようになり、そして気が付いた時には、王宮勤めのメイジ達と協力して、彼らが調合している医療用の魔法薬についての話にまで口を出すようになっていた。

 一度、あまり勝手なことはするなと叱り付けようとしたこともあったのだが、その時は逆に私の方が窘められる結果となってしまった。彼のことをやけに気に入っていた、他ならぬ私の父上からである。

「優れた配下がいるならば、主君はその能力を最大限に活用するべきだ。
 イザベラよ。お前はこの使い魔の主として、この者の全てを見極める必要がある。
 そして求めるのだ。配下の能力を用いて、自分は一体何を為すべきなのかということを。
 お前がそれを心から望んだ時、この使い魔は必ずやお前の声に応えるだろう」

 父上が本当に仰りたいことが何だったのか、この時の私にはまだわからなかった。
 ただ父上より聞かされたその言葉だけが、ずっと私の胸に引っ掛かって離れなくなっていた。
 私が為すべきこと、私の望んでいること――それは何なのだろう?
 幾ら考えても、私の心の中には漠然としたイメージしか湧いてこない。
 ただそのイメージの中心には、いつもあの子の、シャルロットの姿があった。
 命令さえあればどんな苛酷な任務に就くことも厭わない、まるで操り人形みたいな私の従妹。

 間違いない。私はシャルロットを求めている。私が望む物の先にはシャルロットがいる。
 そこまではわかっているのに、どうしてもその先のことまで考えが纏まらない。
 私は一体、シャルロットに何を求めているのだろう?
 まるであの子に対する怒りや憎しみといった感情が、私の思考を遮って掻き乱しているかのようだった。

 思い余った私は、ある時自分の使い魔にそんな自分の考えを打ち明けてみた。
 この男が医者の本分とばかりに、私の目の届かぬ所でメイド達の抱える悩みや相談事を聞いてやっているらしいことは知っている。そうした話を持ち掛けるメイド達と同様に、私も誰かにこの話を聞いて貰うことで救いが欲しかったのだろう。
 あるいは、話すという行為その物によって、少しでも気分を紛らわせようとしたかったのかもしれない。

 ――しかし、もし私がここで思い止まっていたら、どうなっていたのだろうか?
 ここ最近になって突然失踪したり、あるいは病気や自殺でこの世を去った使用人達のほぼ全員が、私の使い魔に相談を持ち掛けていた者だったという事実に気付いていたら、メイジ達が新たに開発した秘薬を用いての人体実験を繰り返しているという噂の真偽を確かめていたならば、私は一体どうしていただろう。

 だが、自らの内に湧き上がる焦燥感を少しでも払拭したいという想いに囚われていたその時の私は、何も疑うことなく自らの使い魔に縋り付く以外のことは考えられなかった。
 使い魔とは、主人と互いの心を繋ぎ合わせ、絶対の忠誠を誓う者のこと。
 ある意味においては、メイジと使い魔の繋がりは肉親のそれよりも強いとも言える。
 だからこそ、私は他の人間には決して見せなかった自分の心情を吐露したくなったのだ。
 そうした意識があったが故に、私は普段よりも饒舌に、それこそ胸の内に秘めた想いの全てを叩き付けるかのように、使い魔に対して言葉を投げ掛けて行った。
 大人しく私の話を聞いていた使い魔は、やがて私の顔を見ながら静かな口調で語り始めた。

「御主人様。それは恐らく、貴女様が従妹殿の全てを手中に収めることで達成出来ると思われます」
「シャルロットの全て?」
「ハイ。従妹殿の体も、心も……全てが思い通りになれば、御主人様の不安は払拭出来ましょう」
「馬鹿なことを言うでないわ。あいつは単なる北花壇騎士の一員、私の命令ならば何でも聞くわ。
 あんなお人形みたいな小娘を好きにすることなんて、私にとっては造作も無いことだわ」
「本当にそうなのですかな?」
「えっ?」
「御主人様は先程、シャルロット殿について何を考えているかわからない木偶人形と評されました。
 それは即ち、御主人様にはシャルロット殿の心を把握出来ておらぬということでしょう」
「それは……」
「シャルロット殿、北花壇騎士七号殿はメイジとしても優秀な御方だと聞き及んでおります。
 ましてやその方はガリア王家に連なる出自でありながらも、今はその資格を失っている身の上……
 御主人様とは従姉妹同士の関係なればこそ、再び王族へ返り咲くべく御主人様の御命を狙った所で
 何も不思議なことはありませぬ。御主人様の不安は、そんな従妹殿が何時御自分の寝首を掻いて来るか、
 それがわからないからこその物に相違ありませぬな」
「…………」
「御主人様は従妹殿を恐れられておられる。それは従妹殿が、御自分よりも優れた魔法の才を
 お持ちになられていることを、御主人様自身がお認めになっているからです」
「……違う」
「従妹殿をドン底にまで追いやっておきながら、御自分だけはのうのうと王族としての地位と栄誉を
 甘受している。しかし、そんな日々が何時までも続く筈が無い。
 自分もいつかシャルロット殿の為すがままに蹂躙され、かつてのシャルロット殿と同じように
 御自分の全てを奪われる日がやって来るのだと、御主人様はそうお考えになられている。
 そして、自らの非力さを自覚するが故にその恐怖から逃れることが出来ない……
 御主人様は今、とても絶望しておられる。その絶望こそが、御主人様の不安の源なのです」
「違う!違う違う違うぅっ!私はシャルロットなんか恐くない!絶望なんてしていない!
 私はっ……私はシャルロットを恐れてなんかいない!いないんだってばぁぁぁっ!!」

 嘘だった。私の使い魔の言っていることは、全て本当のことだ。
 だけど、私はそれを認めるのが恐くて、認めたら、自分の心が壊れてしまいそうで、だからその事実から必死に目を背けようとして、目に溢れた涙がぼろぼろと零れ落ちるのも構わずに、私は目の前の使い魔に向かって喚き散らし続けた。

「大丈夫です、御主人様」

 やがて私が落ち着くのを見計らってから、使い魔はそっと優しい声で囁き掛けて来た。

「私は何時でも御主人様の味方です。私は決して御主人様を裏切りませぬ。全て私にお任せ下さい。
 御主人様が抱えていらっしゃる不安も、絶望も……その全てを私めが解消して御覧にいれましょう」
「……本当に?」
「本当ですとも。私は医者であると共に、貴女様によって呼び出された使い魔です。
 医者が患者の心を癒すのも、使い魔が御主人様に仕えるのも、それは至極当然のことなのですから」
「……うん……じゃあ、お願い。私を助けて。私は一体、どうすればいいの?」
「先程も申し上げました通り、貴女様がシャルロット殿の全てを手にすれば良いのです。
 シャルロット殿が望む全ての物を奪い取り、あらゆる希望をあの方の手に残らぬようにする。
 生き甲斐と言っても良いでしょう。絶望とはそれらの全てを失った人間のこと。
 絶望に支配された人間は心から死に始め、やがて朽ち果てて消えて行きます」
「希望……シャルロットの……絶望……」
「御主人様。このままでは、シャルロット殿はきっと貴女様から全てを奪って行くことでしょう。
 その前にシャルロット殿を二度と這い上がれぬ絶望の底に、貴女様自身の手で送り込んでやるのです。
 それを成し遂げた時、御主人様は名実共にシャルロット殿を乗り越えることが出来ましょうぞ」

 私の体をそっと抱き締めながら、使い魔は滔々と言葉を紡ぎ出して行く。
 それはまるで、人を騙す時に悪魔が口ずさむ甘言のよう。
 しかし、今まで誰の目にも触れられないようにと、心の奥底へ隠しておいた傷を抉り出され、白日の下へと晒されてしまった今の私には、彼の言葉がとても魅力的な提案に感じられた。
 思えば、今まで私に向かって優しく声を掛けてくれる者は、誰一人としていなかった。

 ガリア王家の一族として生を受けながら、まるで魔法の才能を持たぬ私を落ちこぼれだと陰口を叩く者。
 常に私とシャルロットを比較して、私のことを不必要な存在であるかのように除け者扱いして来た者。
 叔父上であるオルレアン大公から力ずくで王位を簒奪した、悪辣な無能王の娘という風評を流す者…。

 今だって、私は常にどこかでシャルロットと比較され続けている。
 不幸にも自らの運命を踏み躙られてしまったシャルロットに対して必要以上に辛く当たり、それ以外の者に対しても冷酷かつ傲慢に振舞うこの私に、憎悪や怨嗟の感情を抱いている者は少なくない。
 それは、同じ平民の立場でその者達と接触していた、私の使い魔自身から聞かされた話でもある。
 だったら――私はそうやって、私を憎む全ての者達に言ってやりたかった。
 今まで誰からも求められて来なかった、私自身の存在はどうなってしまうんだって。
 魔法の才能を持たない、たったそれだけの理由で私という人間はこれまで見向きもされずにいた。
 私が持っているのは、ガリア王国の王女としての権力だけ。
 だから、私はたった一つだけ持っているその力で、今まで我侭放題を続けて来た。
 私という存在がここにいることを、どんな形であれ、皆に知っておいて欲しかったから。

 だけど、本当はその力すらも、私自身の力で手に入れた物では無かった。
 王女としての権力も、北花壇警護騎士団の団長の座も、全ては父上から与えられた物に過ぎない。
 私は今まで、私自身の手で何かを掴み取ったことは無かったのだ。
 ずっと前から憎んでいた筈のシャルロットに対する復讐すら、私が自らの手で果たした訳では無い。
 だったら、あの子が生きる縁の全てを、私がこの手で断ち切ってやる。
 その時になって初めて、私は私自身の手で本当の希望を掴み取ることが出来るようになるのだ。

 私の使い魔はそれを教えてくれた。
 そしてようやく、私はあの時父上の仰っていたことが理解出来たような気がした。
 心から私が望み、求めるものが何なのか。その為に、私はこの使い魔と共に何が出来るのかと言うことを。
 知った気に、なっていた。

「何用だ、イザベラ?父と二人きりで話がしたいなどと」

 私は使い魔を伴って、久方ぶりに父ジョゼフの寝室を訪れていた。
 ガリアの国王という権力を持つ者に相応しい、実に絢爛豪華極まりない部屋であった。
 そのベッドに腰を下ろしながら、父上はじっと私の顔を見つめてそう尋ねて来る。
 今の父の表情からは、どんな感情も読み取ることは出来ない。
 国王として臣下に触れる者の顔なのか、それとも一人娘を迎え入れようとする父親の顔なのか。

「どうした。余に話があるのだろう?早く聞かせてくれないか」

 私は父の言葉に答えぬまま、代わりにゆっくりと一歩を踏み出して父の傍へと近づいて行く。
 父がガリアの王として即位されたのは、叔父上が亡くなられた頃とほぼ同じ時期だった。
 私の記憶にある父上と叔父上の姿は、とても仲の良い御兄弟だったように見えた。
 あまり魔法の得意では無い父上に対し、叔父上は幼い頃よりその傑出した才能を見込まれていたという違いはあったが。
 だから先代ガリア王である祖父が存命の頃は、叔父上をこそ次代のガリア王として推挙する声も少なくは無かった。私自身もその話を聞いた時、父を侮辱されたと感じて悔しい思いをしたのは確かだが、しかしそれ以上に、あの叔父上ならば王に選ばれて当然であろうという諦観も少なからずあったのを覚えている。

 しかし祖父が亡くなる寸前に、自らの後継者として選んだのは父上の方だった。
 果たして、あの時の祖父が何を思ってその選択を口にしたのかは、今となっては誰にもわからない。
 結果として後に残ったのは、バラバラに引き裂かれたガリア王家の一族。
 森まで狩りに出掛けられた叔父上が、何者かの手で暗殺されたことが全ての始まりとなって――。

 今ならば、父上の気持ちが良くわかる。
 自分の従妹を恐れ、疎んじて、憎んでいるこの私と同様に、父もまた自分より優れた弟に対して全く同じ感情をぶつけ続けて来たのだということに、私は今になってようやく気付くことが出来た。
 叔父上を手に掛けたのは、間違いなく父上だ。
 現在の父上が冷酷な支配者として振舞っているのも、その時に失った物の代わりを探す為に、今も必死になって苦しみもがいている最中だからなのだろう。

 思えば、叔父上が亡くなられて以来、シャルロットだけでは無く私の心からも平穏という物は失われてしまったのかもしれない。私はいつかシャルロットが復讐しにやって来る日に怯え、父から与えられた権力を持て余しながらも、それを他人にぶつけることしか出来なかった。
 きっと父上も、私と同じ気持ちを抱いて今まで生き続けて来たに違いない。
 最愛の弟君を自らの手で殺めてしまったことを深く悔やみながらも、だけどそれを何よりも望んでいた自分を知っているからこそ、今の自分が手にした力を振るって少しでも心の渇きを癒そうとしている。

 ああ、私は紛れも無くこの人の血を受け継いでいるのだ。
 私は本当にこの人の娘なのだということを、今、私は心から実感していた。

「父上」
「イザベラ」

 気が付けば、丁度見下ろすような形で、私の目の前に父上の姿があった。
 互いに向き合う私の表情が、父上の目にはどのように映っているのだろうか。
 この人にとって、私という娘は一体どんな存在だったのか、聞いてみたかった。
 だが、もうそんな問い掛けはどうでもいい。
 ふと胸の内に湧き上がった好奇心を振り払って、私は隠し持った短剣を握り締めながら、そのまま父上の胸元に倒れ込むような形で力の限りに父上の体をその刃によって突き刺した。

「………イザベラ?」

 一瞬、何が起こったのか理解出来ないという表情を浮かべて、父上は短剣を体の中に沈み込ませたまま、私の顔を見上げて呟いた。
 私はゆっくりと、握り締めた短剣から手を離す。
 使い魔から教えられた通りの方法で、人体の急所の一つである肝臓を突き刺した筈だ。
 ほのかな暖かみを帯びた父上の血の感触が、私の手にじんわりと張り付いている。
 父上の体から流れ出して来るその色はとても真っ赤で、私の手の平から零れ落ちた雫が、私が着込んでいる青色のドレスに反発するかのようにドス黒い染みを作っていく。

 そう、全ては私の使い魔が教えてくれたことだった。
 私の心を包んでいる不安と絶望を振り払うには、シャルロットに対してこの絶望を与えてやること。
 今のシャルロットの希望、生き甲斐とは、即ちあの子から全てを奪い去った我が父ジョゼフへの復讐。
 私や父上があの子に過酷な運命を背負わせていればこそ、あの子が私達のせいで辛い思いをし続けていればいる程、もし父上への復讐を果たせぬと知れば、シャルロットはきっと、今まで私達が行って来た仕打ちなどよりも遥かに深い絶望に包まれる筈だと、今も背後に控えている私の使い魔は確かにそう言ったのだ。

 それだけでは無い。私にとっても、父上は乗り越えねばならない存在であると使い魔は語った。
 かつて、自分も政に携わりたいと思って私が父上にせがんだ時、父上から与えられた北花壇警護騎士の団長という地位は、表立って存在を語られることの無い影の官職だった。
 北花壇警護騎士団とは、ガリア王国が世間に公表することの出来ぬ問題を密かに解決する為の存在。
 例えどれだけ騎士団に所属する騎士達が功績を挙げようとも、それは正当に評価されるものでは無かったし、何よりも団長であるこの私に与えられた役割など、実際はただ父上より与えられる命令をそのまま騎士達に伝えるだけの、言ってしまえば何の権限も持たないお飾りの団長職に過ぎなかった。
 それは詰まる所、父上は私の力量をまるで信用していないということだ。
 今の父上は、自らの敵となる存在は眉一つ変えずに粛清することの出来る、冷酷な独裁者だ。
 恐らく、実の娘であるこの私ですら、父上にとっては単なる駒の一つに過ぎない。
 きっと父上は、必要となれば躊躇することなく、いとも簡単に私を見捨ててしまうに違いない。

 それを阻止するには、父上に私自身の力を知らしめることが必要だった。
 シャルロットに二度と立ち上がれぬ程の深い絶望を与え、この私が何者にも脅かされることの無い希望に満ちた日々を生きる為にも、私はやらねばならない。
 そうやって、私は自らの使い魔が言った通りに、今、己自身の手で父上を手に掛けたのだ。

「……ふ、ふ、ふはははははっ」

 父上は笑っていた。
 実の娘のせいで死を目前に迎えようとしているのに、傷口が発する痛みになどまるで気付いていないかと言う風に、ただひたすら愉快そうに笑っていた。

「まさかこんな運命が待ち受けているとはな……俺を殺すのは、イザベラ、お前だったか。
 てっきり、俺を殺しに来るのはシャルロットだと思っていたのだがなぁ……?
 ククク……愛する弟を殺して、『虚無』などと言う一時の夢に踊らされて、世界の全てを敵に回して……
 俺が最後に得た物は、下らん野望の半ばで娘に殺されるという罰だったか。くくくく、あはははははッ」

 父上が咽ぶ度に、笑みの形に歪んだ口元からは真っ赤な血の塊が零れ落ちて来る。 
 だが、それにも構わずに父上はただひたすら、至福に満ちた表情で言葉を紡いで行く。
 私は叔父上が亡くなられてからと言うもの、今までこんなに嬉しそうな父上の姿は見たことが無かった。

「見ろよシャルル!無様に死んで行くお前の兄の姿を!愛する娘に殺される哀れなこの俺の姿を!
 何とも相応しいじゃないか!?お前を殺して、お前の娘を苛め抜いて!
 エルフ共まで利用しながら、世界中の人間を弄んで来たこの俺にピッタリの末路じゃないか!?
 ごふッ……なあ、お前もそう思うだろう?シャルル……俺の愛するシャルルよ!
 ふふふ…ふふ、ふははははっ……ふぁははははははははは………っ!!」

 そして、父上はそうやって歓喜の咆哮を上げ続けながら、やがて床へと倒れ伏して動かなくなる。
 結局、最期までこの人の目には、かつて自らの手で殺めてしまった弟の姿しか映っていなかったのだ。
 そんな父上の想いが、私達ガリア王家の一族の運命を目茶目茶に歪ませてしまった。
 私の焦燥も、シャルロットの憎しみも、父ジョゼフの孤独も……全ては父上自身の胸の内から生まれ出た物だった。
 それでも、父上は叔父上を愛されていたに違いない。だからこそこの人は、世界中の人間を敵に回すという罪を背負うことで、いつか誰かに罰せられる日を待ち望んでいたのだろう。
 それだけが、自分がかつて失ってしまった物を取り戻せる唯一の方法だと信じて。

 ガリア王国の孤独な支配者ジョゼフ一世はもういない。
 その男は、かつて愛する弟にそうしたように、今こうして実の娘の手によってその生涯を終えたのだ。

「良ぉぉぉ~~~~~~~しッ!!!」

 父上の遺体を見下ろす私の後ろから、使い魔が突然甲高い声を上げて来る。
 そのまま使い魔は無造作に私の方へと近寄って来て、そして言付けを守った子供を褒める親のように、後ろから勢い良く私の体を抱き締めて、こちらの頭を撫で始めた。

「良ぉ~~~しよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし
 立派に出来ましたぞ御主人様ッ!いいや、ガリア王国女王イザベラ陛下ッ!!」
「………女……王…?」
「その通りです御主人様。哀れにもジョゼフ前国王陛下は、何者かの放った刺客によって惨死されたッ!
 御主人様にはガリア王国の新たな女王陛下として、亡くなられた父君の後を継がれる資格と義務がございます。
 貴女様こそ、次代のガリア王国の支配者なのです。
 最早何者であろうと、そう!例えあのシャルロット殿ですら、御主人様を脅かすことは出来ぬでしょう」

 今も静かに父上の遺体を見下ろしている私の耳には、使い魔の言葉もあまり耳に入ってはいなかった。
 私は今まで、この使い魔に言われた通りに行動して来た。
 室内に施されたディテクト・マジックの反応を回避する為に短剣を使ったのも、その短剣で狙うべき急所の位置も、そもそも何故私が父上をこの手に掛けねばならなかったのかも……。
 どれも私の使い魔が教えてくれたことだ。私はそれを忠実にこなして、その全てを成功させて来た。
 後は彼が行うと約束してくれた偽装工作さえ完了すれば、私は新しいガリアの王として何人にも侵されることのない力と栄誉を手にすることが出来るだろう。
 私の使い魔の言うことは正しい。私の使い魔は私が望むことは何でも叶えてくれる。
 今だってそう信じている筈なのに、何故私の心はこんなにも冷たさを感じているのだろう?
 ただ息をするのも苦しいほどに、恐ろしさと悲しさで胸がいっぱいなのはどうしてなのだろう。

「………怖い」
「む?」
「怖い……怖いわ。私は一体、何をしてしまったの…?どうして私は…こんな風に泣いているのよ…?」

 私の体は震える。目から零れ落ちる涙が止まらない。
 使い魔の腕に抱かれながらも、私はただ目の前に広がっている現実に慄くことしか出来なかった。

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