ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

王女の手は空に届かない(後編)

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匿名ユーザー

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 それから先のことは、私はあまり覚えてはいない。
 使い魔が父上の部屋で何かをやっていた気がするが、詳しいことまでは教えてくれなかった。
 後のことは自分に任せてくれ、決して私に累が及ぶようにはしないからと言って。
 まだ興奮の収まりそうになかった私は、その場は何も考えず言われるがままに使い魔に全てを任せることにした。
 そして僅かばかりではあるが私の気持ちが鎮まった頃、私は使い魔と共に、二人きりで馬車に乗って王都リュティスを離れていた。
 御者を務めるのは私の使い魔。いつの間にやら、馬の御し方までも身に付けていたらしい。
 私は使い魔の手綱裁きと、その技術を習得したこの男の学習能力に感心しながら、馬車に揺られて目的地に到着するのを待つ。
 行き先は、ラグドリアン湖の畔にある小さな屋敷。
 我がガリア王国とトリステイン王国の境界線上に位置するその地は、エルフの秘薬によって心を破壊されたシャルロットの母親が今もひっそりと暮らしている場所でもあった。

 私にとって、あの人は義理の叔母上に当たる。かつての叔母上はとても綺麗で優しい人だった。
 だが、我が父ジョゼフがあの人の夫であるオルレアン大公をその手に掛けた日より、全ては変わった。
 完全に正気を失われた叔母上は、最早実の娘であるシャルロットの顔すらわからなくなってしまった。
 今のあの人にとっては、肌身離さず抱えた只の人形こそが本当の娘であり、それに近付く者は全て自分と娘の命を狙う刺客にしか見えていない。当のシャルロット本人をも含めて、だ。
 以前、私は一度だけ、そうなってしまった後の叔母上に会いに行ったことがある。
 見るに耐えなかった。
 一人の人間があそこまで変貌を遂げてしまう物なのかと、当時の私は強い衝撃を覚えたものだった。

 思えば、私がシャルロットの存在を恐れるようになったのも、本当はその時からなのかもしれない。
 叔母上という一人の人間の、誇りも尊厳も何もかもを踏み躙っておきながら、果たして何の罰も受けずに済むことなどあり得るのだろうか?
 父も母も失って一人ぼっちで苦しむシャルロットの姿を見て、何よりも先に安堵と歓喜の感情を抱いてしまった私も、いつかはシャルロット自身の手で裁かれる日がやって来るのでは無いか?
 私がシャルロットの存在その物を必死になって否定しようとしたのも、元はと言えばそういうことなのだろう。

 だが、今はもうシャルロットが復讐を誓った我が父ジョゼフはこの世にいない。
 父上を殺したのは、私だ。
 あの子から全てを奪ってやる為に。あの子の手に、何も残らないようにするために。 
 そして今度は、あの子の最も大切にしている人を奪いに行く。
 私は叔母上を殺す。そうやって、シャルロットにとっての希望の全てを完璧に粉砕してやるのだ。
 今の私には、ただそのことしか考えられない。
 かつての父上と同じように、それだけが今の私の心を満たしてくれる唯一の方法だと信じて。

「――着きましたぞ、御主人様」
 使い魔の言葉と共に馬車が停止し、私の意識は現実へと引き戻される。
 私は使い魔が扉を開くよりも早く馬車を降りて、かつてオルレアン大公とその一家が暮らしていたその屋敷を見上げる。門に掲げられたガリア王家の紋章に刻まれた不名誉印は、まるでシャルロットが受けた傷跡その物のようにも見える。家名を名乗る資格すら剥奪されたシャルロットにとって、もうガリア王国は帰るべき故郷では無いのかもしれない。
 あの子が帰るべき故郷は、壊れてしまった母親が暮らしているこの屋敷。
 かつて全てを失ったあの子にたった一つだけ残されたこの場所を、私はシャルロットから取り上げようとしている。だが私はもう立ち止まれない。立ち止まることなど許されないのだ。後はもう、自らが決めた道を最後まで歩き続けるしかない。
 私は屋敷の門の前に立って、無言で門を叩く。
 しばらく経った後に扉が開かれ、屋敷の中から見覚えのある一人の老人が顔を出した。
「なッ……イ、イザベラ殿下…!?」
 その男は私の顔を見るなり、会釈することも忘れて驚愕の表情を浮かべる。
 私は彼のそんな態度を特に咎め立てたりはせずに、逆に超然とした態度で彼に向けて言ってやる。
「久しぶりね。お前は確か…ペルスラン、だったかしら?」
「は……左様でございます」
「叔母上はいらっしゃるかしらね?今日はお見舞いにやって来たのよ。
 既にガリア王族の資格を失っている上に、血の繋がりも無いけれど、一応は私の親戚ですものね?
 まったく、あの方が例の御病気になられてから、心配で心配で仕方が無いわ」
「くッ……」
 私の尊大な物言いに、ペルスランが苦虫を噛み潰したような表情で拳を握り締めているのが見える。
 それでいい。幾らでも私を憎んでくれて構わない。
 父上を殺し、今またこうして叔母上すらも手に掛けようとするこの私を愛する者は、もう誰もいるまい。
 私には使い魔さえいればいい。私の全てを理解して、守り導いてくれるこの人さえいれば――
「む?」
 使い魔の漏らした声に釣られて、私は彼の方へと振り向く。
 見れば、使い魔の視線は空へと向いている。雲一つ無いくらいに、綺麗に晴れ渡った青空だった。
 そこに一点だけ、広がる染みのような黒い影があった。それは段々と近付いて来て、徐々にその姿を露わにして行く。
 まるでこの空の色と同化したような、美しい青色の鱗。
 優美さと力強さを兼ね揃えた体躯と、そこから伸びる二枚の翼。
 そして、その背中には小柄な体躯には似合わぬ大きな杖を手にした少女の姿。私と同じ髪の色を持ったその子は、私の使い魔を除くならば、この場にいる全ての人間とはあまりにも深い関係にある者だった。
「……シャルロット」
 私は半ば無意識に、その子の名前を呼んでいた。
 シャルロット・エレーヌ・オルレアン、今や私と血の繋がる唯一人の従妹であり、そして多分、今までの私にとって全てと言っても良かった存在。
 彼女の使い魔であるシルフィードとかいう名前の風竜が大きく翼を羽ばたかせ、ゆっくりとシャルロットを乗せたまま私達の目の前に着地する。
 その背中から杖を手にしたままシャルロットが降り立ち、私の姿を捉えて視線を送って来る。
 普段はまるで人形かガーゴイルのように無表情を保っているシャルロットだったが、今はどこか怒りにも似た感情を見せながら私のことを真正面から睨み付けて来ている。
「おやおや。誰かと思えば、どこぞの灰被り娘じゃないか。御主人様に向かって、その態度は何だい?」
 一瞬、目の前の彼女が醸し出す迫力に気圧されそうになるが、辛うじて踏み止まって、逆に精一杯の軽口を叩いてやる。
 しかしシャルロットは私の言葉になど耳を貸さずに、逆に厳しい口調で問い正して来る。
「何をしに……ここまで来たの?」
「はん。見舞いがてらに、あんたのお袋の顔でも見てやろうと思ったんだよ。
 ここ最近は全然会ってなかったからね。あんな女でも病人には違いない、たまには心配ぐらいするさ」
「…………嘘」
「何だと?」
「あなたの言葉はみんな嘘。あなたは母さまを殺しに来た。
 あなたの父親にそうしたように、今度は私の母さままで殺すつもり」
「………っ!?」
 シャルロットの口から出た言葉に、私の頭は衝撃で真っ白になる。
 この子は全てを知っている。私が父上を殺したのも、私がここへとやって来た本当の理由も。
 しかし、一体何故この子がそれを知っている?いつシャルロットが知る機会があったと言うのだ?
「お……お待ち下さい、シャルロット様!」
 動揺を隠し切れぬまま何も言い返せないでいる私の背後から、ペルスランが慌てた様子で口を挟んで来る。
「イザベラ殿下のお父上も同様に、とは……もしやジョゼフ王は!?」
「――死んだ。誰かに殺された……殺したのは多分、いいえ、もう間違いない――」
 私の態度から全てを察したらしいシャルロットは、唇をかみ締めながら私を睨み付けて離さない。
 そしてシャルロットは、まるで氷のように冷たい言葉で、私に向かって宣言する。

「あなたが母さまを殺そうとするなら、私はそれを止めてみせる。私はあなたを、決して許さない」

 そのシャルロットの言葉に対する恐怖と、真実を暴かれたことへの戸惑い、そして父上を手に掛けた時の感触の記憶によって、私の体は震える。まるで心がバラバラに引き裂かれそうな恐ろしさだった。
 本当だったら、何もかもが終わった後に初めてシャルロットの目の前で全てを教えてやるつもりだった。
 お前の全ては私が奪ってやったんだ、私はお前に絶望を与えてやったんだよって。
 しかし現実は、私の思い描いていた光景とはまるで違っていた。
 目の前のシャルロットは、復讐するべき相手を失った喪失感よりも、自分の母を殺しにやって来た、この私に対する殺意と憎悪で満ち溢れていた。父上がこの世にいない今、この子が私に対して遠慮する理由など何一つ無い。例え私がいなくなった所で、後はシャルロットの肩を持つ旧オルレアン大公派の貴族共の手によって、この子は新たなガリアの女王として迎え入れられることだろう。
 きっとそうなる。私ではシャルロットに勝てない。それがわかっているからこそ、私はそれ以外の全ての方法によって、この子が持っているあらゆる物を奪い取ろうとしたのでは無かったか。
 しかし、それは果たせなかった。その前に私は、今こうしてシャルロットに追い詰められている。
 かつて私がそうしたように、今度は私がシャルロットに全てを奪われる時。
 その瞬間が、今、来たのだ。
「待って頂こうか」
 怯える私の前に使い魔が立ち塞がる。シャルロットから私を守るように背を向ける彼の姿は、とても頼もしい物に見えた。
 そして私の使い魔、は私が期待した通りの言葉を、目の前のシャルロットに向けて言ってくれる。
「イザベラ様に危害を加えるつもりならば、私が相手になろう。我が主君の邪魔は誰にもさせぬ」
「…………っ」
 私の使い魔を前にして、シャルロットの視線が更に鋭い物となる。この子が決して私の前では見せようとしなかった冷徹な殺意の感情が伝わって来る。
 だけど大丈夫。どれだけシャルロットが強くたって、使い魔が守ってくれるから私は大丈夫だ。
 そうやって、私は自分の使い魔の存在を信じる。強く強く、私の恐怖が全て消え去るくらいに、強く。
「お嬢様…!」
 二人の剣幕を見て、玄関口に立っていたペルスランが一歩を踏み出し、階段を降りようとする。
 その瞬間。突然、ペルスランの体が崩れ落ちた。
「うおおおおおあああぁぁぁ!?」
「ペルスラン……!?」
 シャルロットとペルスラン、二人の叫び声が重なった。
 そうしてシャルロットが驚愕に目を見開いた一瞬の隙を突いて、私の使い魔が猛然とシャルロットに向かって駆け出して行く。
「キィィィコエエエエエエエエエエェェェェェェェェェ!!!」
「!? くぅっ…!」
 そのまま使い魔はシャルロットに手刀を叩き込もうとするが、いち早く正気を取り戻したシャルロットが手に持った杖で使い魔の一撃を辛うじて叩き落とし、そのまま間合いを取るべく後ろへと下がろうとする。
 使い魔もそんな動きを見せるシャルロットを逃すまいとして、接近した状態を維持して追って行く。
「ぅ…おおおぉぉ…!」
「ひ……っ!?」
 何かに引っ張られるような感触を覚えて足元を見てみれば、こちらを見上げるような形で私の足元まで転がり落ちてきたペルスランがドレスの裾を掴み取り、憎しみに満ちた形相で私を見つめていた。
 いつの間にか、彼の身体のあちこちが――取り分け下半身の大半がごっそりと失われていた。
 一瞬の内に見るも無残な姿へと成り果てたペルスランのことを直視してしまい、私は思わず小さな悲鳴を漏らす。
 更によく見れば、傷口の周りには黴のような物体がびっしりと纏わりついている。
 ペルスランの身体を食い破ったのはこの黴だ。そしてこの黴は、他ならぬ私の使い魔が生み出したもの。
 理屈などは自分でもわからなかったが、間違いなくそうであると私は強い確信を抱いていた。
「お…おのれ……無能王の娘め…!」
 息も絶え絶えになりながら、それでもペルスランは決して私から瞳を逸らさずに、怨嗟の言葉を投げ掛けて来る。
 私は彼の壮絶な姿から目を離せずに、それこそ彼の手を振り払うことすら忘れたまま、その場に立ち尽くしていた。
「貴様ら一族は……シャルル殿下の御命を奪うのみならず…何処まで奥様やシャルロット様を苦しめるつもりだ…!
 まして自らの父まで手に掛けるなど……貴様は人の皮を被った化け物だ!邪悪そのものだ!
 未来永劫に呪われるがいい!始祖ブリミルよ、どうか、どうかこの悪魔に裁きを与え給え……」
 長年、シャルロットの家族に仕える間に積み上げられて来たのであろう、私に対する憎悪の全てを叩き付けるかのような叫びを残して、ペルスランはそのまま私の目の前で息絶えた。
「あ……ああ…」
 耐えられなかった。ペルスランの言葉に、彼がぶつけて来た悪意に、私は押し潰されそうになる。
 使い魔は?私の使い魔は何処?あの人がいなければ耐えられない。
 優しい言葉を掛けて、その腕で抱いて貰わなくては、私の心はバラバラになってしまう。
 お願い、助けて。どうか私を助けて。
 私はそのことだけを考えながら、今もシャルロットと戦っている使い魔の元へと歩き出す。
「――お前っ!ちょっと待つね!」
「え!?」
 突然聞こえて来たその声に、私は身を震わせて立ち止まる。周囲を見回しても誰もいない。
 ペルスランはたった今、私を呪いながら死んでいった。
 激しい戦いを繰り広げている使い魔とシャルロットにはそんな言葉を口にする余裕があるとも思えない。
 後はもう、この場にいるのはシャルロットの使い魔である青色のドラゴンだけだった。
「だ……誰…!?」
「きゅい!お前の目は節穴かい、このいじわる王女!?私ね!お前の目の前にいるシルフィード様ね!」
「シル…フィー…ド?」
 その名前には聞き覚えがあった。シャルロットが使役する使い魔の名前がそれだ。
 私の目の前にいるシルフィード、使い魔のドラゴン、聞こえて来る人間の言葉……。
 これらの事実から、私の頭にある一つの答えが導き出された。
 そして私がその解答を口にしてみれば、すぐにそれが真実であることが明らかになった。
「韻……竜?」
「その通りね。シルフィはえらーいえらい風韻竜さまなのね。そこら辺の単なるドラゴンどもとは格が違うのね、きゅいきゅい」
 自慢げに頭を振る目の前のドラゴン――シルフィードの姿を、私は呆然と見つめていた。
 シルフィード自身が言うように、人の言葉を理解する知能を持ち、先住魔法すらも操ってみせる韻竜という生物は存在こそ伝わっている物の、その個体数の少なさもあって人間世界にその姿を見せることはまず無いと言ってもいい。
 最早伝説上の存在とさえ言われていた韻竜を、シャルロットは召喚してみせていたのだ。
 今になって判明した事実に、私は改めて強い衝撃を覚える。
 どこまでシャルロットは私を引き離して行けば気が済むのだろう。同じガリア王家の血を受けて生まれたのに、どうして私はあの子のような魔法の才能を持たずにいるのだろう。
 それを誰かに説明して欲しかった。納得の行く説明を、私はどうしても聞きたかった。
 何の理由も無く、私だけが上手く魔法を使えないだなんて、そんなのはあまりにも、惨め過ぎるではないか。
「って、シルフィのことは今はどーでもいいのよ!ってゆーか、シルフィの話をちゃんと聞くのね!」
 きゅいきゅいと騒ぎ立てながら、シルフィードは竜の顔を近付けながら人間の言葉で私に言って来る。
「お前っ……もういい加減にするのね!今までずーっと我慢してたけど、今日と言う今日は許せない!
 今まで散々お姉さまをいじめて来たのも許せないけど、それ以上にお前はたくさんの人間を殺したのね!
 この執事のおじさんもそうだし、お城の人達もいっぱい死んだって言ってたわ!
 お姉さまが受け取ったお手紙にそう書いてあったもの!お前が殺したって!きゅいきゅい!」
「私……が?」
 そんな筈は無い。私がこの手で命を奪ったのは父上だけだ。
 後の処理は全て使い魔に一任したし、あの後私はこの屋敷に来るまで誰にも出会ってはいなかった。
 もしあれからヴェルサルテイルの宮殿の人間が誰か死んだとしても、私に殺せる筈は無い。
 そして私にとって、誰かの命を奪うという行為そのものが、あの時初めて経験したことだった。
 しかしシルフィードは、そんな私の困惑などお構いなしに、ひたすら喚き続ける。
「お前は一体何がしたいのね!?例えあいつがどんなに酷いやつでも、シルフィのお姉さまをいじめる嫌なやつだったとしても、父親殺しなんてどんな動物だってやらないのね!
 少なくとも人間はそんなことしない、シルフィだってそのぐらい知ってる!
 だけどそれをやったお前はまともじゃないのね!
 まともじゃなかったら操られてるのよ!誰かに、例えばお前の使い魔とかに!」
 自分で口にした言葉に、ふと閃いたとばかりにシルフィードは語気を一気に荒くする。
「そうよ!お前の使い魔!人間をカビカビにして殺しちゃう恐いやつ!
 お前はダマされてるのね、自分が召喚した使い魔に良いように利用されてるだけなのね!
 あいつはきっと悪魔なのね。お前を口車に乗せといて、役に立たなくなったらポイなのよ、きっと!
 そんなやつの言いなりになって、お前は自分の父親を殺したのね!いい加減に目を覚ますのね!」
 騙している?私の使い魔が、私を?違う、そんなのは嘘だ、そんなことがある訳が無い。
 私の使い魔はどんな時でも優しくて、私の言うことなら何でも聞いてくれる、最高の使い魔だ。
 こんなドラゴンなんかよりも、よっぽども頼りになる、私だけの、私のただ一人の理解者なんだ――

「…………違う」
「何が違うのよ!でもよーく考えてみれば、お前なんかに誰かを殺せる力なんかある筈が無いのね。
 お姉さまと違って魔法もちゃんと使えない、世間知らずで甘えんぼうのお前なんかが、一人で父親を殺して王様になろうだなんて考えるわけないもの。
 そりゃあ、あいつがいればお茶の子さいさいだろうけど、でもそれはお前の力とは絶対に違うのね。
 使い魔は御主人様と一心同体だけど、それは二人の心と力が通い合って初めて生まれる関係なの。
 お前はただ使い魔にオンブにダッコしてるだけなのね。それじゃ全然、御主人様とは言えないのね」
「違う……違う、違う……」
「あいつはきっと、お前のことなんか何とも思っていないのね。
 普段からお姉さまを人形扱いしてる癖に、お前こそ操られてるのにも気付かないお人形さんなのね!」
「違う!違う違う、違う違う違うぅっ!!私は操られてなんかいない!私は自分の意思でここまで来たんだ!
 私の使い魔は……私の使い魔は、私を裏切ったりなんかするもんかーっ!!」
 シルフィードの言葉の全てを振り払うかのように叫びながら、私は使い魔の許へと走り出そうとする。
 こんなのはもう嫌だ。使い魔の言葉を聞きたい。腕に抱かれて、あの人の優しい言葉を聞きたい。
 私はもう何も考えたくなかった。何かを思い出すことさえ、もう嫌だった。
「あ!こらっ、そっちに行くんじゃないね!」
 慌てた様子でシルフィードがこちらに首を伸ばして、私のことを捕まえようとドレスの襟首を咥え上げて来る。
 そのまま私は、そのまま宙吊りのような形で、シルフィードに全身を宙へと持ち上げられる形になる。
「は……離して!」
「むー!むーむーっ!」
 私はシルフィードに咥え上げられたまま、じたばたと手足を暴れさせて、こちらを咎めるかのような呻き声を上げるシルフィードの拘束から必死になって逃れようとする。
「離せ!このッ……離しなさいな!」
「きゅいっ!」
 顔面を何度も乱暴に殴り付けてやったのが効を奏したのか、シルフィードは堪らずに口から私の襟首を離してしまう。その衝撃で私の身体は地面へと転がり落ち、私が意識するよりも先にまず身体の方が着地の姿勢を取ろうとする。
 そして私は、自分の身体の無意識の動作を信じて、地面に激突する際の衝撃が訪れるのを待つ。
 そのつもりだった。

 ぐしゃり。

 音にすればそんな感じだったろうか。落下の衝撃とは別の、何か不自然な感触が私の足に走った。
 不自然な程に痛みが無かった。その代わりに、立ち上がれない。
 まるで私の身体そのものが、下半身の存在そのものを認識していないようだった。
 私は自分の手の平を見やる。そこには、先程ペルスランを殺したばかりの黴が大量に張り付いていて、まるで私の身体の全てを食いつくさんばかりの勢いで増殖を続けていた。
「い、いやああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!?」
 これは何?一体、何が起こっているの?
 半狂乱になった私は絶叫と共に、必死になって自分の使い魔に助けを求める。
 助けて。お願い、私を助けて!あなたは私の使い魔なんだから、私を助けてくれるでしょう!?
「これはこれは……御主人様」
 その願いが通じたかのように、気付いた時には使い魔が私の側に立ってこちらを見下ろして来ていた。
「きゅ、きゅい!こっち来たのね!恐いのね、お姉さま助けてなのね!」
 慌ててシルフィードが翼を羽ばたかせて、距離を置いて立っているシャルロットの許へと飛んで行く。
 私の使い魔はそんなシルフィードのことなど意にも介さずに、こちらを見下ろしたままに口を開く。
 そうして使い魔が口にした言葉は、しかし私の望みとは全く掛け離れた物だった。
「おやおや。どうやら御主人様は、我がグリーン・デイの射程範囲内に入られてしまわれたようですな」
「う……あ…お、お願い……助けて…助けて……」
 グリーン・デイ?射程範囲内?あなたは一体、何を言っているの?ねえ、お願いよ、私を早く助けてよ。
 あなたなら出来るでしょう?だって、あなたは私の使い魔なんですもの。
 使い魔は御主人様の命令なら、何でも聞いてくれるものなんだから。
 私は必死になって自分にそう言い聞かせるが、使い魔は私の願いなどお構いなしにただ言葉を続ける。
「ククク……本当はシャルロット殿を殺すか、あるいは再起不能にしてからこうするつもりでしたが、
 まぁいいでしょう。ああ、すぐには殺しませんとも。貴女様のその表情をもう少しちゃんと見ておきたいのでね…
 ただ、セッコもいなけりゃビデオカメラも無いから、それを記録に残せないのが些か残念ですがねぇ?」
 それが本当に残念だと、使い魔は深く嘆息する。その顔には、まるで私の身体のことなんてどうでもいいとでも言いたげな、冷たくて、そして残酷な表情が貼り付いていた。
「そう、実に残念だ!絶望に包まれ、命を終える寸前の貴女様の表情を記録に残せないことがね!
 ああ、勿体無い!実に勿体無いッ!こんな素晴らしい表情を記録出来ないなんて!私はなんて不幸なのだ!」
 言葉とは裏腹に喜びで大きく歪んだ笑みを見せる使い魔の存在が、今はとても遠く感じる。
 下半身の大部分を失ったせいで身を上げることすら億劫になっていたが、私はそれでも何とか首だけを上に向けて、使い魔の顔を見ながら尋ねる。
「私を……騙してた、の…?あなたは……私の使い魔じゃあ……無い…の?」
「いいえ?貴女様は確かにこの私を召喚した主君でしたよ、イザベラ様。
 しかし私の好奇心が、貴女様の支配を上回った!
 異世界の王侯貴族という連中にとって、絶望とは何なのか?
 そいつらはどんな断末魔を挙げて死んで行くのか?
 もっともっと絶望に追い込んだらどんな表情を見せてくれるのか?
 私にとっては貴女様に支配されるよりも、そうした好奇心を満たす方が余程重要だったと、それだけのことです。
 いやはや、イザベラ様には私の好奇心を満たす為の様々な場を作って頂いて、真に感謝しておりますよ。
 もっとも、期待していたジョゼフ陛下は少し期待外れでしたがね……
 実の娘に殺される孤独な独裁者ともなれば、もっとイイ顔を見せてくれるとも思ったのですがねぇ?」
「……嘘。嘘だわ……そんなの、嘘だ……」
 ずっと信頼していたはずの、まるで別人のような彼の言葉の一言一句が、私の心を抉り取っていく。
 その度に私は、また一つ奈落の底へと叩き落されるかのような虚無感で胸がいっぱいになる。
 使い魔は、私が使い魔だと思っていたその男は、まさしく私が傷付いて行くのを面白がっているかのように、薄笑いを浮かべながら私のことを見下ろして来ている。

「ククク…そして最後にもう一つ。シャルロット殿に真実を打ち明けたのはこの私です。
 貴女様がジョゼフ王を殺した後、後始末ついでに我々がここに来ることを知らせたのですよ。
 無論、シャルロット殿をここまで誘導する為にねぇ?」
「………やめて」
「そして来たッ!まずはイザベラ様のお望み通りに、目の前で母親が死ぬ所を見せ付けてやってから殺すつもりだったのだが、まあいいだろう。多少順序が変わった所で何の問題も無い、今の段階でも貴女達二人にはたっぷり楽しませて貰いましたからな。
 ハハハハハ、しかしこうも俺の目論見通りに行くとはな!
 それでこそ暇潰しにメイド共を自殺に追い込んだり、メイジ連中と共に人体実験に参加しておいた甲斐があったと言う物だ!シャルロット殿のイザベラ様に対する怒りが増せば増すほど、より確実に来てくれると思ったのだが、まさに大成功だったな!」
「やめて……もう、もうやめて…」
「イザベラ様。私は、幸せとは二つの場合があると思っているのです。
 一つは絶望が希望に変わった時…幸せだと感じる。
 いやはや、ローマで死ぬ寸前だった私を貴女様がこの世界に拾い上げてくれたおかげで、私は本当に幸福になれたのですよ」
「やめてってば……もう何も…聞きたくない…」
「そして、幸せだと感じる二つ目の状況は……絶望した奴を見下ろす時!
 それが私の考える幸せの形だ!
 今の貴女様が私に向けているような表情を見ることが、私にとっては何よりの至福!
 貴女様はまさに、私に二つの幸福を運んでくれた女神にも等しいのですよ!どう感謝しても足りないくらいだ!
 これから貴女様が死んだ後、私は貴女様が授けてくれた幸福でもっともっと幸せになってみせる!
 そう、このシャルロットとかいう小娘の目の前で、こいつの母親をバラバラに切り刻んでやることでなぁ!
 ありがとう、馬鹿で能無しのイザベラ王女様!私を幸せにしてくれて本当にありがとう!」
「あ……あぁ……あ…あ……」
 心の底から愉快そうに笑うその男の言葉は、もう私の耳には入っていなかった。
 今の私に残っているのは、何も見えないくらいに黒一色に塗り潰された、とても真っ暗な何かだった。
 私はその正体を知っている。
 今までずっと私のことを騙し続けて来たこの男が、最後に教えてくれた唯一つの真実。

「フハハハハッ!素晴らしい!素晴らしいぞ!それこそが私の求めていた表情だ!
 こんな土壇場に全てを知って絶望の底へと落ちて行く貴様の顔を見るのを、私はどれほど夢見たことか!
 今まさに死を迎えようとする貴様の姿を、私はこの目によぉーく焼き付けておいてやるぞ!!
 そうだ!見せろッ!表情をッ!私に絶望の表情をッ!よおーく見せるんだッ!
 希望が尽きて……命を終える瞬間の顔をッ!絶望を私の方に見せながら落下して行けぇぇぇぇぇ!!!
 うわははははははははははははははははははははははははははははははァァァァ!!!!!」

 それは、絶望。
 全ての希望を失った果てに見える、どん底の中に横たわっているもの。
 其処に落ちてしまったら、後はもう何も残らない。今の私の心のように、ただ闇だけが広がるのみ。
 ああ、そうだ。そうなのだ。私は今、とても絶望しているのだ――。

「……お姉さま…こいつ、正真正銘のゲス野郎ね……こんな最低の人間を見たの、シルフィ初めてよ…」
「く………ッ」
「おやおや、シャルロット王女殿下。まだ私と戦おうと言うのですかな?
 貴女様が散々憎んでおられたジョゼフ王は既に殺され、イザベラ王女もこうして死を待つばかり。
 私は感謝される謂れこそあれ、貴女様に恨まれる筋合いなど無いと思うのですがねぇ?クククク…」
「お姉さま。シルフィはこの男を許せません。人間がこんなに醜いと思ったことなんて、生まれて初めてです」
「わかってる……それよりも、もう地面に降りない方がいい。高度を下げるのも駄目」
「きゅい?」
「多分、降りた瞬間に黴に襲われる。二人に黴が生えたのも、低い位置に移動したのが原因」
「きゅいきゅい!?そ、そういうことは早く言って欲しいのね!
 って言うか、それじゃあ迂闊に飛んだらシルフィ死んじゃうのね!お姉さまもピンチなのね!
 シルフィはこんなクズみたいな人間に殺されて死ぬなんて絶対に嫌です!きゅいきゅい!」
「……うん。私も、同じ気持ち」
「ホウ?やはりやるつもりか、小娘。貴様如きが我がグリーン・デイに勝てると本気思っているのか?」
「許さない……絶対に。何があろうと、あなただけは決して許さない…!」
「クッ…ククククク…!いい目をしているなァ、小娘……ローマで戦ったあの小僧によぉく似ている…。
 俺は、お前みたいな強い意志を持った人間が大好きなのさ。
 意志が強ければ強いほど、希望が大きければ大きいほど、そいつが絶望に叩き落とされた時の顔が
 どう歪んでいくのか、楽しみで楽しみで仕方がなくなるからなァ!フフフハハハハァッ!行くぞグリーン・デイッ!」

 シャルロットが戦っている。私の呼んでしまった悪魔を相手に、気高くて力強い自らの使い魔と共に。
 身体の大部分を失って地面に倒れ伏したままの私には、ただ彼らの戦いを見つめているしか出来ない。
 黴に掴まらないように必死に逃げ回りながらも、シャルロットは次々に必殺の魔法を放ち続けている。
 そして私がかつて使い魔と呼んでいた男の後ろには、ぼんやりと別の影が見えたような気がした。
 醜くて、どこまでも歪なその姿は、まるであの男の邪悪な心をそのまま形に映したかのようだった。
 その姿は同時に、この世界にあいつを召喚し、長い間シャルロットを虐げ続けて来た私自身の姿でもあるのだ。

 私とシャルロットとは違う。
 例えどんなに辛い目に遭ったとしても、決して挫けることなく戦い続けた来たあの子の姿が、今はとても眩しく感じる。父上に守られるだけの立場に安堵して、自分からで何かを掴み取ろうとする勇気も覚悟も無かったこの私が、あの子に追い付ける筈が無かったのだ。
 もう手遅れかもしれない。だけど、それでもいい。
 今ならば、私自身の弱さも醜さも、何もかもを――受け入れられそうな気分だった。
 シャルロットに抱いていた感情の全てが霧のように散って行くのを、私ははっきりと感じ取っていた。


『ねえねえ、シャルロット』
『なーに、イザベラおねえさま』
『シャルロットは、大きくなったらどんなことをしてみたい?』
『うーんとねぇ、わたしは世界でいちばんのメイジになりたいな!
 それで父さまや母さま、ジョゼフおじさまやイザベラおねえさま達を守ってあげるの。
 だからおねえさまが悪いかいぶつなんかにおそわれても、シャルロットが絶対に助けてあげるからね』
『わあ。ありがとう、シャルロット!』
『そういうイザベラおねえさまは、どんな大人になりたいの?』
『わたし?わたしはねぇ……みんなのお役に立てる人になりたいな。
 魔法なんかつかえなくたっていいんだ。ただ、誰かが困っていたら、それをきちんと助けてあげられる、そうやってガリア王国のみんながずっとなかよく幸せにくらせるような、そんな国になるように父上やシャルルおじうえをお手伝いできるようになりたい。
 もちろん、シャルロットが世界でいちばんのメイジになれるようなお手伝いもするつもりよ。
 だからシャルロット、あなたにはわたしなんかよりも、ずっとずーっとすごいメイジになってよね?』
『うん!イザベラおねえさま、わたしがんばる!だからおねえさまも、いっしょにがんばろうねっ!』
『ええ、ふたりでいっしょに。わたしたち、ずっとなかよしでいようね、シャルロット――』


 まるで夢を見ているような気分で、私はまだシャルロットが幸せに過ごしていた頃に二人で一緒に遊び回った時の記憶を思い返していた。
 とても懐かしい思い出だった。
 もう忘れてしまったかと思っていたのに、今でもはっきり覚えているなんて。
 私の記憶の中のシャルロットは、いつも元気一杯に走り回り、明るい笑顔を絶やさない子だった。
 今のシャルロットは……どうだったっけ。あれから一体、シャルロットはどうなったんだろう?

「………っ」
「お姉さま、もう止すのね……例えどんな魔法を使っても、この王女は、もう……」

 聞き覚えのある声を耳にして、私はゆっくりと顔を上げる。
 ガリア王家の血を受け継いでいることを示す青い髪。小柄なその体には不釣合いなまでの大きな杖。
 見覚えのある整った顔立ち。シャルロットだ。私の従妹。隣には使い魔のシルフィードもいる。
 あちこち怪我をしているみたいだけど、それ以外は大丈夫みたい。
 それどころか、逆にこちらを心配するかのように、どこか悲しそうな顔で私のことを見下ろしている。

「ぁ……シャル…ロット……」

 私の召喚したあいつの姿は見えない。さっきまで私の体を覆っていた黴の群れも、既に消えて無くなっていた。
 あの男はもういない、きっとシャルロット達がやっつけたんだ。
 悪魔みたいに怖くて恐ろしい奴だったのに、シャルロットってば本当にすごい。
 それなのにシャルロットは、私を見て今にも泣きそうな顔をしている。なんでだろう?

「シャルロット……あいつを…やっつけたんだ……あはは…すごいなぁ……やっぱり…シャルロットはすごいや……」

 シャルロットの後ろには、空が見える。吸い込まれそうなくらいに真っ青な、青い青い空。
 この子はきっと、今まで何度もこの空の中をシルフィードと一緒に飛んだのだろう。
 やっぱり、シャルロットには青が良く似合う。
 私の髪なんかよりも、ずっとずっと綺麗な、空みたいに澄み渡った青が。

「ほら…見て、シャルロット……きれいな空だね……すごく青くて、きれいだなぁ……
 わたしも、いつか…あそこまで……飛んでみたいなぁ……」

 どこまでも広がるあの空に向かって、私は手を伸ばそうとする。
 シャルロットが何かを言っているみたいだけど、私にはこの子が何を言ってるのかよく聞こえなかった。
 瞼が重い。太陽の眩しさが見えなくなって来る。
 もっと空を見ていたかったのだけれど、まるで帳を下ろしたように、段々と私の目の前が真っ暗になって行く。


 私は落ちる。深い深い、闇の中へ。どこか安らぎすら覚えるくらいに、そこは静寂に満ちていた。
 目の前には何もない。ただ、黒一色に包まれた世界があるだけだ。私は二度とそこから出られない。
 手を伸ばそうと思っても、何も掴めない。私はもう、何処へも飛べない。

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