ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

1 彼の行く道、苦難は避けられず

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匿名ユーザー

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 ホル・ホースは砂に足を取られながら、何かの動物の骨を杖代わりに砂漠を歩いていた。
 砂色のテンガロンハットに西部劇のガンマンをイメージした服装。あまり砂漠には向いていないが、最悪というほどでもない。
 肩からかけたボロ布のようなマントが地肌を日光から隠し、厚手のブーツは焼けた砂から足を守ってくれている。
 だが、背中に背負った鞄は自分の全財産が入っているために捨てるに捨てられず、その重みは確実に体力を削っていた。
 炎に炙られているかのような感覚に耐えながら、悲鳴を上げることもできずに足を前に出す。
 腰に下げていた水筒の中身は予備も含めて明け方に空となり、昨日までは次々と出ていた汗も、今日は一滴も流れ出る様子は無い。
 水分が足りない。小便で垂れ流す分も涙や鼻水になる分もだ。
「ひい、ひぃ……なんだってオレがこんな目にあうんだよおぉ」
 そう弱音を吐いたものの、自分ではもうどうしようもない事は自覚していた。
 ここまで乗ってきた馬は二日前に干乾びた。止めを刺したのは、ホル・ホース自身だ。
 砂に足を取られて歩いているのとあまり変わらない速さでしか前に進まないのだ。役に立たないといわざるを得ない。
 脱水症状に見舞われた馬の苦しむ様を見ていたら、放置するのも哀れだったために殺したのだが、今思えば血肉を抜いて食料にすればよかったと後悔している。
 大した装備も無く砂漠に出たのが命取りだった。
 しかし、それ以外にホル・ホースには手段が無かったのだ。
 事の発端はこうだ。
 飛行機に乗るために空港のゲートに向かったところ、誰かが捨てたと思われるバナナの皮に足を滑らせ、転んだと思ったら突然現れた銀色の鏡のようなもの容赦なく落ちた。
 気が付けば、見知らぬ土地に放りだされていたのだ。
 何が起こっているのかホル・ホース自身も理解できなかったが、催眠術や超スピードなんてチャチなもんじゃ断じてない。もっと、恐ろしい展開が待ち構えていたのだ。
 目の前に広がるオアシス。緑豊かな街。そして、驚いた様子でこちらを見る耳の長い奇妙な人間達。
 正直に言えば、場所なんてどうでも良かった。どいつもこいつも美男美女だという事実に比べれば、だ。

 そこから先はもう、混乱したままの日々だ。
 気が付けば、数百人の先住民族を名乗る変な連中に囲まれ、成す術も無く投獄されたホル・ホースは、ビダーシャルと名乗る男との接見を通して、自分の境遇を知らされた。
 異界を繋ぐ悪魔の呪い、らしい。
 まったく違う世界だとか分けの分からないことを説明されたものの、いまひとつ理解できなかったホルホースは、連中を危ない宗教団体だと決め付けて逃走を図ったのだ。
 こう言うとすぐに逃亡に成功したように聞こえるが、実際は6ヶ月を要した。
『ネフテスの管理の下、貴様を幽閉する』
 そんなことをビダーシャルというスカした男から宣言されて、監視付きの牢獄生活が始まったのだ。
 最初の数日こそ特に何も無く、食っては寝てを繰り返していたが、ある時、ビダーシャルがホル・ホースに告げたのだ。
 お前はもう元の世界に帰ることは不可能。故に、この地で生きていく術を教えてやる。
 妙に偉ぶった言い方だが、要約すれば、生きていくのに必要な知識を教えてやるから出て行け。ということだ。
 それから6ヶ月間は勉強の毎日だった。
 連中の中でも数人しか使うことの出来ない英語の代わりに、この土地の公用語を覚えさせられ、続いて、一般常識、宗教、歴史、動植物の名前から料理のレシピまで、ありとあらゆる事を監視付きで教え込まれた。
 勉強嫌いなホル・ホースにも分かり易く、丁寧に。
 しかし、喉下に刃物を突きつけられながら、である。
 耳長の連中は人間が嫌いらしい。人間は野蛮で忍耐が無く、自分勝手だからだとか。
 そんな野蛮な生き物に、教育係が襲われてはたまらないとか。
 宗教絡みなのでホル・ホースには興味の無い話だが、そのせいで幽閉中も身の安全を脅かされるのは勘弁してもらいたい。
 おまけにスパルタ過ぎる。聞いているだけで眠くなる授業にちょっと寝そうになるだけで首から血を流すハメになるのだ。だが、お陰で会話に不自由は無くなったし、アホ面下げてアレは何だコレは何だと聞く必要も無くなった。
 まったく、人を信用しないなんて性根の腐った連中だ。と当時のホルホースは幾度と無く思い、恨みを募らせていた。

 それでも結局こうして逃げ出しているので、怪しい連中の判断は正しかったわけだ。
 逃亡に至るまでには、聞くも涙、語るも涙な出来事に溢れている。
 最初の三ヶ月は逃走する気があった。実際、何度か逃げようとした。それでも、幽閉された石の地下牢は腹が立つほど頑丈で、監視も厳重。なにやら奇妙な力も持っているみたいだから、迂闊にスタンドも使えない。
 残りの三ヶ月は従順なフリをした。そうすれば、相手の気が緩むと思ったからだ。だが、正直な反応を示す罪作りな顔が、相手の油断を許さなかった。
 あー、もうだめだ。このまま地下牢で一生を過ごすしかないんだー。と諦めたとき、耳長族は気を緩めた。
 その隙を突いて、ホル・ホースは逃げてきたのである。
 改めて考えてみると、特に涙は必要なかった。
 逃亡の最中、とっさに手に入れようとしたのは、食料と自分の私物、そして移動用の馬。
 計算違いだったのは、オアシスの周りはただの乾燥地帯ではなく、完全な砂漠だったことだろう。 
 脱出から10日。太陽が沈む方向へ延々と歩き続けてきた。
 それでも、砂漠以外の風景がホル・ホースを迎えることは無かったのだ。
 もう、疲労も限界だった。
 気が遠くなる。
 酒が恋しい。
 タバコが恋しい。
 腹いっぱい肉が食いたい。
 水が飲みたい。
 原始的な欲求がホル・ホースの脳内を駆け巡り、熱と空腹で霞みかかった頭の中が白く染まっていく。
 コレは、もうだめかもわからんね。
 なぜか冷静な自分が、どこかで冷淡に告げている。
 暑さと疲労感が突然体から抜けていく感覚に捕らわれた。
 しかし、足は動かない。
 一種のトランス状態に陥っているのだ。
 その場に立ち止まって、痩せた目で空を見上げたホル・ホースはヒヒと笑って杖を放り出した。
 膝の力が抜けて、砂漠に体を横たえる。
 少しずつ遠くなる意識。
 閉じていく視界の中で、ホル・ホースは髪の長い誰かが自分に近づいてきているのを見つけた。
「ああ……美人の天使のお迎えが来た、幻覚が……見える……ぜ」
 肺に残った空気を吐き出しながら、そう呟いて、ホル・ホースは気を失う。
 もう、小指一本すら動く気配は無かった。
 風が吹く。
 なぜか、そのときだけは熱風ではない、涼しい風が吹いた。
 倒れたホル・ホースの横に立った人物は、金色の長い髪を風に乗せて首をゆっくりと横に振った。
「どこで力尽きるかと、愚かしくも高みの見物に興じてしまったが、まさか、ガリアまであと1リーグまで迫るとは……なんという逞しき生への執念か」
 砂の地面に膝をついて手を伸ばした男は、ホル・ホースが背負った旅行鞄を持ち上げると、おもむろに後方へ投げつけた。
「行商人に話をつけて、この男を街まで送る。このまま死なせるなと、大いなる意思が私に語りかけているのだ」
 宙を舞った旅行鞄を男と同じ耳の長い男が受け取り、恭しく礼をした。
 更にその後方にはキャラバンが見える。数十頭のラクダを引き連れた行商人の一団だ。
 周りを耳の長い男達が囲んで守っているように見える。
 砂漠に似つかわしくない涼しげな風は、その一団から吹き付けていた。
「まったく、おかしな男だ。冷たい殺気を放つかと思えば、次の瞬間には悪戯を見つけられた子供のように大人しくなる。計算高いと思えば間が抜けていて、だからと油断すればそこにつけ込んでくる」
 男の記憶に浮かんだのは、ここ6ヶ月間のホル・ホースの行動だった。
 唐突に悪魔の門から現れたホル・ホースは、大食と傲慢と怠惰の三拍子を揃えた罪深い人物だが、同時に間抜けで運が悪く、呆れるほどせこい。
 警戒するに値しない、小悪党というやつだろう。
 しかし、本当に稀だが、背筋が凍るのではないかと思うほどの殺気を見せるときがある。
 もしかしたら、この地に来るまでは一流の戦士だったのかもしれない。この正確も処世術の一環だと思えば、納得できなくも無い。
 これが過剰評価なのか、過小評価なのか。それは男には分からなかったが、自らが信仰する大いなる意思が死なせるなと告げるなら、少なくとも助ける必要はある。
 いつか、どこかで再び会う機会が訪れることを祈りつつ、男はホル・ホースの体を起こして腕を自分の肩にかけると、キャラバンへ向かって歩き始める。
 引き摺られる様な形で運ばれていくホル・ホース。
 その目が覚めたのは、7日後のことだった。


 腹が痛い。
 そんなホル・ホースの声に反応したのは、最近エギンハイム村に住み始めた女性だった。
 白い羽を背中から生やした、翼人と呼ばれる種族の1人だ。
「目を、覚まされましたか?」
 亜麻色の髪をさらりと流して、女性は薄く目を開けたホル・ホースの頬に濡れたタオルを当てた。
 干乾びたような肌が湿気を吸って少しだけ元の瑞々しさを取り戻す。
「……」
 ここはどこだ。
 そう言おうとしてパクパクと口を動かしたが、そこからは空気が抜けたような音がするだけで、声のようなものは聞こえてこなかった。
 戸惑ったように目を開いて体を揺する男に、女性は男の両肩へそっと手を当てる。
 たったそれだけで、男の体は簡単に押さえ込まれてしまった。
「無理はいけません。脱水症状と熱射病で倒れられて、今は栄養失調も重なっているんです。死んでいないほうが不思議なくらいなんですよ」
 濡れたタオルで男の肌を濡らした後、女性は立ち上がって部屋を出て行った。
 扉の向こうで、人を呼ぶ声が聞こえる。
 ホル・ホースが寝ている場所は、木造の小さな部屋の中だった。
 背の低い箪笥に幅のない机、椅子、ベッド。どれも木で出来ている。
 木造であることがそれほど不思議なわけではないが、目覚める前のホル・ホースの記憶には石と砂ばかりで、樹木は存在していない。
 この部屋に疑問を覚えるのも無理は無かった。
「あ、起きられましたね」
 扉が開いて、若い男と先ほどの女性が部屋に入って来た。
 男の方は細い体に緑の胴衣を着込んだ、どこか頼り気の無い青年だ。隣に並ぶ女性と肩を寄せ合う姿から察するに、恋人だろう。
 口説くには少し遅かったかと、ホル・ホースは自嘲気味に口元を歪めた。
「うん。思ったよりも元気そうだ。コレなら、スープくらいなら飲めそうですね」
 青年はベッドの脇に置かれた椅子に腰を下ろすと、女性が手に持っていた薄く湯気を立たせる皿を受け取って、木のスプーンに手をかけた。
「口の中に染み込ませる様に、少しずつ啜ってください。一度に飲み込むと、胃が暴れますから」
 青年がスプーンに少量のスープを取って、ホル・ホースの口元に触れさせた。
「……?」
 だが、当のホル・ホースは口を開く様子が無い。
 目は開いているし、瞳の動きを見れば聞こえてもいるようだ。
 なら、なぜスープを飲もうとしないのだろうか。
「あの、スープを……」
 戸惑う青年がスプーンを引っ込めて、もう一度掬い直して差し出しても、ホル・ホースは頑として口を開こうとしない。
 熱いはずはないし、匂いも食欲をそそられるものだ。
 それでもホル・ホースが口を開こうとしない理由に、青年は首を傾げる。
「……」
 ちらり、とホル・ホースの視線が動く。
 傍らに控えていた女性を指しているようだった。
 それを見て、青年は情けなくも同じ男として何を考えているのかを理解できてしまった。
 この男は瀕死の体にも係わらず、女性にスープを飲ませて欲しいと我が侭を言っているのだ。
「ダメですよ。アイーシャは、ぼくの……こ、恋人ですから」
 ポッと頬を赤らめるアイーシャと青年に、ホル・ホースはチッと舌打ちをする。
「気持ちは分からないでもないですが、今は諦めてスープを飲んでください」
 青年の言葉に明らかにガッカリした様子のホル・ホースは、差し出されたスープを口に含んで、ゴクリと喉を鳴らした。
 味気の無い病人食だが、空っぽの腹にはちょうど良い。
 突然の食べ物に、吐き気が生まれることも無かった。
 しっかりと飲み込んだことを確認して、青年はおかわりをスプーンに乗せて差し出した。
 その手を、一回り大きな手が掴み取る。
「え?」
「そんな」
 ホル・ホースの上半身が起き上がり、青年の手を右手で掴んだのだ。
 信じられない様子に目を見開いた二人を見て、ホル・ホースはニッと笑うと、スープの入った皿とスプーンを青年の手から奪い取って、勢い良く口の中へとかき込み始めた。
「……うわぁ」
 頬が痩せこけ、腕も骨と皮だけに見える外観の人間がスープを貪る姿は、僅かな食料群がる餓鬼の群れを思い起こさせる。
 さながら、地獄絵図の一端と言った所か。
 吐き出す様子も無く、食べる勢いは少しも落ちない。
 三分の一も食べれればいいところだろうと青年が予想していた皿の中身は、もう半分がなくなっていた。
「もう少し用意したほうが良さそうですね。鍋にまだ残ってますから、運んできます」
 ホル・ホースの思わぬ食べっぷりに、アイーシャは慌てたように部屋を出て行こうとする。
 その背中に、老人のような涸れた声がかかった。
「肉も頼む」
 喉を押さえて無理やり声を出したホル・ホースは、そう言って皿に残ったスープの残りを胃に収め、ニッと再び笑った。

 鳥の鳴き声が森に響き渡る。
 ガリアとゲルマニアの国境沿いにあるアルデラ地方の黒の森は、その深さから良い意味で言い表されることは無いが、春が訪れれば他の森と同様に、新芽が顔を出す。
 冬の冷たい空気の中に青臭さが混ざり始めているのを感じて、ヨシアは開いた窓から胸いっぱいに春の空気を吸い込んだ。
「いやあ、朝もだんだん暖かくなってきたなあ」
 薄着をするにはまだ早いが、昼中の日が照っている間は上着を脱いで過ごせるくらいにはなりつつある。
「だめよ、ヨシア。春が近いと言っても、まだ寒さは体に堪えるんだから」
 後ろから声をかけるアイーシャに、ヨシアは照れくさそうに笑って、ごめんよと謝った。
「でもさ、あの人を見てると、なんだかこっちも頑張らないとって思っちゃうんだよ」
 そう言ってヨシアが視線を向けた先には、ウサギを数匹、紐で棒に括り付けて肩に担いでいるホル・ホースの姿があった。
 明け方から狩りに出かけ、早速獲物を捕まえたらしい。
 開いた手にはアルコールの強いワインが入っている水筒が握られていた。
「感心はするけど、あの人のマネをしちゃダメよ。あんなに頑丈なのは、彼の才能みたいなものなんだから」
「ははっ、確かにそうだね」
 二人して笑い、終えた朝食の後片付けを始める。
 ホル・ホースが、このエギンハイム村に行商人の荷物として運び込まれてから四ヶ月が過ぎた。
 いや、正確に言うなら、彼が村外れに棄てられてから、と言うべきだろう。
 それを見つけたのは、アイーシャとの密会途中だったヨシアだ。
 ハルケギニア大陸には何種類もの先住民族と呼ばれている亜人が住んでいる。背中に羽が生えた翼人のアイーシャも、その1人だ。
 先住民族と人間の関係は、実のところ、あまり良いものではない。
 魔法使いの総称であるメイジの始祖、ブリミルが現れてから6000年。先住民族の筆頭とも言えるエルフ達と人間は、常に対立を続けてきたのだ。
 始祖の聖地。悪魔の土地。奪還。防衛。
 砂漠の一箇所にある、いまはエルフの居住地である土地を巡って、幾度と無く大きな争いを起こしてきたのだ。
 亜人は人間の敵。そんな意識が、人間にも亜人たちにも根付いている。
 そんな中でヨシアとアイーシャは、何の因果か、惹かれあうものを感じて恋人となった。
 つい最近まで、人目を忍んでの逢瀬を楽しむしかなかった二人だが、ある事件を切っ掛けに結婚まで漕ぎ付けることが出来た。
 詳細を語る必要は無いだろう。その殆どは、惚気話とよくある英雄譚だ。翼人と村人との抗争を国から派遣された騎士が上手く取り成した。それだけの話だ。
 ヨシアの家の空き部屋に運ばれたホル・ホースは、二日後に目を覚ました。
 それからというもの、日に日に体力を取り戻し、十日を過ぎた頃には庭を笑いながら走り回れるほどにまで回復していた。
 なにか特別な薬でも使ったのではないかと思える回復ぶりだ。
 特別体が丈夫な人なのだろうと適当に納得はしたが、その人間性には不自然さを感じた。
 アイーシャを見ても、何も聞かなかったのだ。はっきりと翼人である証拠の翼を見せているのに。

 匿ったときはアイーシャについて聞かれたとき、どう答えればいいのか悩みもした。しかし、ホル・ホースは亜人が恋人だといっても顔色一つ変えない。
 かといって、素性を聞いても答えてはくれないし、唐突に狩りに出かけては大物を捕まえてくる手腕は特別な何かを感じさせる。過去に隠したくなるものがあるのだろう。
 そして、ある日。ホル・ホースは唐突に姿を消した。
 恩知らず。などと言う気はない。元気になったホル・ホースが森で捕まえてきた獲物は、毛皮の収益だけでも相当な額に上る。どんな武器を使ったのか分からないが、どの獲物も眉間に一撃で仕留められているために、ほぼ無傷で価値の高い毛皮が手に入ったからだ。
 なにか事情があるのだろう。
 当時はヨシアもアイーシャもそう思っていたが、二人が結婚して数日経った頃、唐突に帰ってきて皮袋一杯に詰まった金貨をヨシアに手渡し、看病の礼と暫くの宿代だといってヨシアの家に住み着いたのだ。
 新婚家庭に居候する根性は大したものだが、ヨシアとアイーシャは新居の準備が既に出来ていたため、古い家をそのままホル・ホースに明け渡した。
 それからというもの、ホル・ホースは時折狩りに出かけては数匹の小さな獲物を捕まえて帰ってくる。自分が一日食べる分に少し余る程度、だ。
 どこかに消えていく、過剰なはずの獲物。それが何を意味しているのか。ヨシアにもアイーシャにも、理解することは出来なかった。
 コンコンコンと、木を叩く音が響く。
 玄関の扉から鳴る音に、思考に没頭していたヨシアが顔を上げると、アイーシャと顔を合わせて小さく頷き、玄関に向かう。
 村の住人には受け入れられたが、アイーシャは亜人だ。村の外部から来た人間に迫害される恐れがあることから、玄関にはヨシアが出て、アイーシャはその間、出来るだけ玄関から姿が見えないように移動する。
 いつか他の人々にも理解が得られる日が来る。そのときが来るまでの、暫くの我慢だ。
 しかし、そんな心配は杞憂だったらしい。
 扉を開けると、そこには二人にとって見覚えのある恩人の姿があったからだ。
 顔を綻ばせて出迎えたヨシアに、その人物は挨拶の言葉も無く、ある人物の名前を口にした。
 春は、まだ来ていない。

「へっくしょい!」
 焚き火を起こして捌いたばかりのウサギを香草と一緒に焼こうとしていたホル・ホースが盛大にくしゃみをした。
 明け方の狩りは体を温めるほどのものでもなかったらしい。
 しっかりと血抜きをしていないウサギの肉は火の通りが遅く、焼けるまでは時間がかかりそうだった。上に乗せた一つまみの香草は、早くも焦げ始めているというのに。
 まったく、どうしてこんな隠居生活みたいなことをしなければならないのか。
 そんなことを思いつつ、ホル・ホースは焚き火に手をかざして、その暖かさにほっと息を吐いた。
 こんな寂れた村などさっさと出て、元の場所に帰る方法を探そう。
 そう思って街に向かったはずだった。
 だが、待ち受けていたのは非情な現実。
 テレビも無ければラジオも無い。車も無い。バイクも無い。飛行機だってありはしない。
 街の住人達に故郷であるアメリカに帰る方法を聞けば、アメリカ?どこの田舎だよ、なんて返答が帰ってくるのだ。
 耳長の変人達が言っていた事は本当だったのだと、やっと気が着いたものの、はいそうですかと帰ることを諦められるわけがない。
 とにかく路銀を稼ごうと用心棒を始めたのはいい。この世界では剣や弓が主流らしいし、中には何に使うのか分からない短い棒を取り出す変人も居た。
 無駄無駄無駄ぁ、と心で叫んで眉間をぶち抜けば終わりなのだから実に簡単だ。スタンド使いでもいない限り、敵は存在しないだろう。
 だが、唐突に舞い込んだ暗殺依頼に、浮かれ気分でホイホイ乗っかったのが不味かった。
 ジョゼフ派だとかシャルル派だとか、ワケのわからない政治抗争の矢面に立たされ、妙に豪華な衣装に身を包んだオッサンの右耳たぶをぶち抜いたあたりで問題が起きた。
 そのオッサンは、ガリアとかいう国の国王だったのだ。
 それからというもの、兵隊が山を成して追いかけてくるわ、逃げ道を確保してくれるはずの依頼主は影も形も見えないわ、火の塊が襲い掛かってくるわ、氷の槍が降ってくるわ、突風に煽られるわ、大量の人形が暴れまわるわ、人が空飛ぶわ、デカイ竜が食い付いてくるわ、空に船が飛んでるわで大忙しだ。
 偶然地下水路を見つけてゴキブリの如く逃げ回らなかったら、今頃死んでいただろう。
 荒い呼吸もそのままに、ふと見つけた掲示板に目を向ければ、無駄に大きな張り紙にデカデカとまったく似ていない自分の人相書きと値段が書かれていたから驚きだった。
 一夜にして100万エキューの賞金首の出来上がり。しかも、生かして捕まえてくることが条件。
 背筋がぞっとする。もし捕まったら、何をされるか分かったものじゃない。
 人相書きは似ても似つかない酷い出来だったから、まず自分だと判りはしないだろうが、それでも人目を避けて街を離れなければならなくなったことは事実だ。
 元々ちっぽけな村だったエギンハイムを思い出し、暫くの隠れ家にと戻ってきたのは悪くない選択だった。
 人の良いヨシアは、事情も聞かずに古い家を明け渡してくれたのだ。
 後で借りを返せといわれても面倒だから、相変わらず変な飾りを背中につけているアイーシャに金を握らせた。ちょっと大目に渡したから、オレの株は急上昇したはずだ。
 それでもまだ金は余っている。逃亡資金としては500エキューもあれば十分だろう。
 春には雪も解けて馬を走らせられる。ホル・ホース様の騎乗テクニックの見せ所だ。
 最近はもう雪が降ることも無いし、森の中に積もった雪も解け始めている。
 この様子なら、明日の明け方にはエギンハイム村にアディオスを言うことになるかもしれない。
「馬はよし、食い物も溜め込んだ。服は鞄を持っていけばいいし……あとなんか忘れてるもんはねえかなあ」
 指折り数えるホル・ホースは、あっと声を上げて、砂漠で世話になった相棒を思い出す。
「そうだ、長い棒だ。疲れた時には支えになるし、釣竿にだって使える。んー、オレってば冴えてるねえ。そうと決まれば、ヨシアたちに適当なもんがねえか聞いてみるか」
 そう呟いて振り返ったホル・ホースの眼前に、節くれ立った長い木の棒が差し出された。
「おー、ナイスだぜ!ちょうどこんなヤツを探してたんだ。助かったぜ。サンキュー、小さな嬢ちゃん」
 ホル・ホースは腹の辺りまでしかない小さな体の少女の頭を撫でて、受け取った棒をその場でクルクルと回転させた。
「んー、長さも大きさも悪かねえ。だが、先端が微妙に曲がってんのはいただけねえなあ。長さが物足りなくなりそうだが、いっそのこと削っちまうか」
 棒の先端を眺め見て、ホル・ホースは腰の後ろに隠したナイフに手をかける。
 慌てたように目を開いた少女がそれを止めた。
「困る」
 棒の先端に手をかけた少女に、ホル・ホースはナイフに手を顎に当てて、首を捻る。
「ん?なんで嬢ちゃんが困るんだ」
 そう尋ねたところで、ホル・ホースを何かの影が覆い隠す。
 ホル・ホースと前に立つ少女まで隠してしまう、大きな影だ。
「きゅいーー!!」
「ぬわああぁ!?」
 青い鱗に全身を包んだ巨大な竜が、ホル・ホースの頭上で羽を広げ、高らかに鳴き声をあげる。
 追手か!?と、敵の存在を感じ取ったホル・ホースは、拳を頭上に伸ばしてスタンドを具現化させる。
 同じ能力を持つものにしか見えない、精神の像。特異な能力の証。
 見るものが見れば、ホル・ホースの右手に銃の姿が映ったことだろう。
「食らえ!」
 引き金にかけられた人差し指に力が篭められる。
 しかし、その引き金が引かれるよりも早く、棒に手をかけていた少女が声を発した。
「エア・ハンマー」
 ホル・ホースの腹部に圧縮された風の大槌がぶつかり、その体を焚き火の中へと吹き飛ばす。
 一瞬、気を失ったかに見えたホル・ホースの目がカッと見開かれ、続いて悲鳴が村中を駆け抜けた。
 焦げ臭い匂いが辺りに立ち込める。
「んぎゃあああああぁぁぁぁぁぁっ!?」
 背中に燃え移った火を消そうと地面を転げ回るホル・ホース。
 それを見つめた少女が、手に持った棒を抱えて申し訳無さそうに顔を逸らした。
「きゅいきゅい!任務とは言え、お姉さまったら容赦がないのね」
 頭上でホバリングする竜が少女の傍らに降りて顔を寄せ、その口から若い女性の声が小さく飛び出した。
「あそこまでするつもりは無かった」
「ならきっと、あの人の運が悪いのね。大いなる意思に見放されてる、可哀そうな人なのね。きゅい!」
 道の脇に集められた雪の塊に背中をぶつけてホッと一息ついているホル・ホースに、少女は杖を向けて自らの正体を明かす。
「ガリア国、北花壇騎士。王の勅命であなたを迎えに来た」
 森の茂みが揺れて、次々と人影が姿を現す。
 鎧を身に着けた兵士達だ。中にはマントをつけた杖を構える人間もいる。空からは鳥の頭に獅子の体を持ったグリフォンが数十頭、その背に騎士を乗せて姿を現し、遠くには竜の姿も見える。
 軍の一団。それも、気配を消せるほどの精鋭部隊が辺境の村に姿を隠して集まっていたのだ。
 雪に埋もれたホル・ホースを中心に五十人に及ぶ人間達が周囲を囲うように集まり、それぞれが手に持った武器を構える。
 どう考えても、逃げ場は無い。強行突破も不可能だ。
 集まった兵士達の向こうに、心配そうな視線を向けるヨシアとアイーシャの姿を見つけて、ホル・ホースはヒヒと笑いを漏らした。
 木の枝に溜まった雪が、集まった人間達の体温に当てられて僅かに解け解け、枝をしならせてホル・ホースの頭上に落ちてきた。
 真っ白に雪化粧を施されたウェスタンハットを被りなおし、はあ、と溜息を吐く。
 両手の平を見せるように掲げて、帽子の下で流れる冷や汗を隠した。
「神様。アンタ、ちょいとイジワルが過ぎるぜ」

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