ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

『Do or Die ―3R―』

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匿名ユーザー

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 その部屋はまるで光を嫌うかのように薄暗い。早朝の陽を拒み闇に包まれている部屋。何かが動く気配さえない。
 そんな暗闇に軋むような音とともに光が差した。
「失礼しま~す…グス」
『扉を閉めろ涙目のルカ……』
 名前を呼ばれたルカはビクリと体を震わせて部屋を見渡した。扉から射し込む光でわずかに見える室内は、別段不思議なところはないように思える。ソファーに机、鏡に獅子の置物など、装飾品は高級な風ではあるが。
 だが、誰もいない。なのに声がする。くぐもったような声がまるで天から降ってくるようだ。
『聞こえなかったのか?私は扉を閉めろと言ったんだ……』
「あ、ああハイ、ただいま…」
 我に返ったルカは慌てて扉を閉めた。それだけで室内は再び闇に戻る。
 這い寄るような不安がルカの背筋を撫で上げる。
『そこに立っていろ』
 『組織』のボスは訳の分からない力を使うと噂で聞いていたルカはその声に逆らう気など端からなかった。
 そして今、起きている現象もその力の一端だとすればボスの不気味さ強大さが窺えようと言うものだ。
『随分といい顔になったなあ、ルカ…。その鼻……まさか余所者の女に整形してもらったんじゃあないだろうなぁ?』
 じろり、とありもしない視線が突き刺さる気がして思わず背筋を正してしまう。
「あ、いや、これは…」
『フン……まあいい。その女、いくつかのアジトに侵入し、あまつさえこの私から逃げおおせた程だ…。随分とまあタフなネズミだ』
 その言葉にルカは目を見開いた。ボスでも仕損じることがあるのかと。
 本人もその様子に気づいたのかバツが悪そうに舌打ちをして言葉を続ける。
『とにかく、場所の特定は出来てるんだろうな?』
「はあ。あの後も手下に店を張らせてましたから…」
『上出来だ。よしルカ、今晩その店にかちこみをかけろ。兵隊も出してやる』
「ま、マジですか!店ごとやっちゃっても?」
『かまわん。それに今晩は店一件が潰れようと気に懸ける奴はいなくなるだろう。日付が変わる頃にはここいらは焼け野原だからな……』
「そ、それはいったい……」
 ルカの反応に満足そうに笑いながら、わざとらしく言葉を続けた。
『おっと、口が滑ってしまったな…。話はこれで終わりだ。出ろ。くれぐれも他の奴には見つかるなよ』

 部屋を後にしたルカは一人ほくそ笑む。
「『組織』が動き出した…。しかもでかい祭まで起こすつもりらしいし…。へへへ、店ごとあの女共をぶっ潰してやる」
 滲む涙を拭いながら、空を見やる。
 先までいた暗闇が嘘のように白い日差しが地面に刺さる。一歩踏み出しただけでも汗が滲むようだ。
「今日もあちぃな…」
 ぼやきながらも足を動かし、朝陽の中にルカは消えていった。

『Do or Die ―3R―』

 桶に張った水を掬い顔を濡らす。張り付くような夜の熱は起きてなお残っていたが、それも水が汗と共に流していく。
「ふう…」
 借りた鏡を覗き込み、顔の角度を変えてみる。寝不足気味か目が赤いが大したことはないだろう。
 ヒゲでも剃るかと道具も用意したのだが、さして伸びているようでもないので止めにした。
 顔を洗ったりヒゲを剃ったりするのはある意味で新しい自分に向けての発進である。
 "嫌なこと"は忘れてしまって気持ちのいい朝を過ごしたいのは誰だって同じだ。
 じっと鏡に目をやっていて、ふいに鏡の向こうの世界に意識が向いた。
 こっちとは正反対の鏡の世界。だが、実際に鏡の世界など存在しない。
 映っているのは光による映像にすぎず、鏡の向こうはない。
 フッ、と鼻の先で笑い飛ばそうとしたとき、ウェザーは目を見開いてしまった。
 自分の背後に誰かがいる!
 だが、気配はまったく感じられず現れた瞬間もわからない。
 まるで自分とはいる世界が違う存在。"そいつ"は鏡の向こうにいるような――
 ヒタヒタと近づいてくるような光景が鏡越しにわかる。
 振り向いてしまえば全て済むことなのに――動くことが出来ない。目を瞑ることさえ出来ずただ眺めているしかないのだ。
 だが、"そいつは"いきなり沈むようにしてウェザーの視界から消えた。
 幻覚だったかと、冷や汗を拭いながら安堵のため息を付く――瞬間、目の前に髪を垂らした女の血走った目が現れた――
「……なんてな。ジャパニーズホラーはやっぱり怖いな」
 エンポリオに聞いた呪いのビデオ云々の粗筋を思い出しながら苦笑する。
 ほら、今はこんなことを考える余裕さえある。昨夜のことは疲れか何かの見間違いだったのだ。
「お化けはプラズマ。UFOは飛行機。ネッシーは作り物。ロッズは蠅。チュパカブラはCGだ」
 どうやらウェザーは昨夜の出来事を未確認生物と同じ扱いにするつもりであるらしかった。
 締めに気合いを入れて部屋を出る。目指す先は禁断の花園。
 昨日よりも何倍も大きく見える扉の前で深く呼吸を整える。
 意を決してノックをしてみると中で動く気配があった。どうやら起きているらしい。
 ノブを捻って中へ入った瞬間、ウェザーの体は条件反射のように固まった。
 扉の向こうに広がる光景は、フーケとアニエスがベッドで抱き合う禁断の花園――などではなく、二人がベッドの上でクロスカウンターを決めているという凄惨な現場だった。




 活気に溢れ出そうとする街を三人は歩いていた。
 ただ、周りの活気に反比例するように三人の間に漂う空気は微妙だった。
 フーケとアニエスは二人仲良くその頬に湿布を貼り付け、ぶすっとした態度で空気を歪める。
 その間に挟まれているウェザーはさぞかし居心地が悪いようにも思えるが、当人はなぜか笑いを堪えるのに必死だった。
 よくよく見れば肩が揺れて口元が歪んでいるのがわかる。
 そしてそんなウェザーを横目で見ながらフーケはこめかみをヒクつかせるのだった。
「……あのさぁ」
 とうとう痺れを切らしたフーケが口を開いた。
「ウットーしいから笑いたきゃ笑えよ!」
「い、いやだってお前…ブフッ、悪いよ…プハハ」
「中途半端に笑われるほうがむかつくわ!」
 ウェザーが笑っている原因は今朝の女性二人の奇行だった。
 なぜ二人があんな状態になっていたのかというと――ノックの音で二人が同時に目を覚ました。
 と、同時におぼろげながら昨夜のことが蘇る。込み上げてくる恥ずかしさ。と同時にそれを遙かに上回る敵意も沸いてきた。
 『起きる前に一発かましてやろう』
 思い立ったら即行動。そのバイタリティー溢れる行為も、しかし二人が同時に動いてしまっていた。
 その事に気づいたときには時すでに遅く、二人の拳は急には止まれない。
 結果、交差した拳は鈍い音を上げて直撃。ウェザーが入ったときにはクロスカウンターの出来上がりというわけだ。
「あ、アホすぎる……ガハハハハッ!」
「うっさい!」
 顔を赤くするフーケにウェザーも耐えられずに笑い出してしまった。
 そんな二人とは対照的に、黙してはいたが恥ずかしがる様子のなかったアニエスが口を開いた。
「なあウェザー」
「あ?どうした?」
「くっついて眠るのがそんなにおかしなことなのか?」
 瞬間、ウェザーとフーケが凍りついた。
 何を言っているんだコイツは、と言いたげな二人だったが、慌ててフーケがつっこむ。
「あ、あんたいったい何を言い出すんだい!」
「今回は相手が悪かったが、銃士隊では野外演習などで野宿をするとき、体が冷えてはマズイからと密集して眠るが…」
 そこだけ聞けば至極まっとうな意見に聞こえなくもないが、何か引っかかりを覚える。
「ちょっと待て。それ言いだしたのってお前か?」
「いや。隊員が言い出してな。署名まで集めてあまりに力説するものだから…。しかし、ちょっとくっつきすぎて動きにくいとは思うが…息づかいも荒いみたいだし、人口密度が高いからだろうか?」
「お前の貞操のために言っておくが一人で寝ろ」
 アニエスはよくわかっていない表情だが、端から見てる分には危なっかしいことこの上ない。
 そんな風に苦い顔をしているところへフーケの追い打ちの一言がかかった。
「……銃士隊ってたしか女王の護衛も兼ねてるはずよねえ?」
 アンリエッタの貞操も危ない!

 ――――そんな風にふざけながらも歩み続けていた三人の足が不意に止まった。
 視線の先には大きな川が広がっていた。そして青いストライプの先にはさらに白いストライプが伸びていた。
「この川の向こうが王城と貴族の屋敷がある貴族街さ。街一番の大通りから伸びる橋が向こうとの唯一つの道」
 そもそもトリスタニアは城下と言うことも相まってその建物の装飾はほとんどが王城の色、白で統一されているのだ。
 チクトンネ街は別としても、表のブルドンネ街は清潔かつ清楚なイメージを持たせるには十分なほどだ。
 だが、目の前にある白はそんなものとは別格の白さだった。
 朝陽を受けて輝いているかのように見える。
 恐らくは大理石が使われ、また装飾の類も宝石がちりばめられているためだからだろうことは想像に難くはない。
 陽光を受けて煌めく夏の川面と白磁の荘厳さは、景色と言うよりも一つの絵画のように美しい。
 しかし同時に、この青い線のこちらとあちらにある『差』をまざまざと見せつけるものでもあった。
 その川がまるで絶望で出来ているかのような、圧倒的な『不平等』。
 川岸では夏の暑さをしのぐためか子供たちが水浴びをしている。
 今はまだ単なる水でも、いずれその冷たさに背筋を振るわせ、どうしようもない虚しさを覚えることだろう。
 三人も世の中の『不平等』『不公平』『不条理』…そういった辛酸を決して少なくはない量舐めてきている身だ。
 その心中はいかほどであろうか。
 ただただ沈黙するしかなかった。
「……ところで」
 爽やかな朝に似つかわしくないこの重苦しい空気を払拭させるためか、ウェザーが口を開いた。
 二人も同じ気持ちだったのだろう。視線を向けて話に耳を傾ける。
「この川かなり大きいようだが…川幅はどれくらいあるんだ?」
「そうねえ…曖昧三サント?」
 どうりでなんかダるーなわけだ。
「いや、クックベリーパイが四個分くらいじゃないか?」
 うれしくなるとついやってしまうらしい。
「お前らいい加減にしろ!というかアニエスもかぶせてボケんな!」
「失敬な。ボケてなどいない」
 なおのことタチが悪かった。
「まあ、冗談はさておいて、そんなこと聞いてどうするつもりなんだい。…まさか渡る気じゃないだろうねえ?」
「問題ない…十五メイルまでなら…!」
「「お前が自重しろ!」」
 二人の綺麗なハモリだった。
「まあだが…」
 確かに過去は辛かった。痛く苦しい記憶。それを忘れることはできないし、忘れるつもりもない。
 それでも、今が楽しいことも事実なのだ。だからこそ、それを壊す奴らを許すことは出来ない。
「……ま、あそこはあたしらじゃ近づいただけで怪しまれちまうからね。先にもう一つの方を見とこう」
 フーケを先頭にしてさらに街を散策する。
「この街はさっき見たとおり、上級貴族のお住まいから、あたしら平民の街に続く。ここには下級の貴族も住んでてね。で、さらにそこから表のブルドンネ街からチクトンネ街に行くに従って暗く貧しくなり、極めつけが貧民街だ。
 ある程度の大きさの都市には必ずできるものだけど…、ここ最近は特にヒドイ。『組織』のせいで生活を崩された奴らは結局そういうところに身を寄せてかなきゃならないわけだしね。
 "貧困は貧困を呼び富裕を育てる"。詰まるところ、世の中に平等なんてない。誰かが貧しいのは誰かがそいつから搾取したからに他ならないんだからね」
「世界が変わってもやるこた同じか…」

 途中、喉を潤すために水を買うことにしたとき、ウェザーは建物の脇に視線を感じて首を回した。
 随分とみすぼらしい恰好の少女が影からこちらを見ているのだ。
 視線があってもそらさないところを見ると、どうやら自分に用があるらしいことに気が付く。
 ウェザーは買い物をする二人を見たが、まだ終わりそうにないのを確認するとその少女に歩み寄った。
「何か用か?」
 声をかけるとするり、と建物の影に消えてしまった。しばし考えた末にウェザーも後を追う。
 そこは狭い路地だ。ゴミが積まれているせいでなお狭い。
 と、少女はそのゴミの山の前に蹲っていた。何事かとウェザーもその前に屈んでみることにする。
「おいどうし――」
 その時、ウェザーはいきなり自身の背後に手を回した。
 空を掴んだわけではない。その手にはしっかりと子供の腕が握られていた。
「おいぼうず…スリは犯罪だぜ?」
 捕まった少年の腕にはウェザーの財布が握られている。
 いつの間にやら背後に忍び寄り音もなく目標をかすめ取る。大した早業ではあったが相手が悪かった。
 音がなくとも空気は乱れる。
「うっせー、放せよ!」
 一瞬、少年が驚愕に目を見張ったが、この状況でもなお少年の目の色は変わることがない。
 反抗的にウェザーを見据え続けギャーギャーと喚く。
 手際を見るに常習犯。それもかなりの数をこなしてきているとみえる。
 いっちょまえに自尊心でもあるだろうことも、その反抗的な視線で感じ取ることが出来た。
 こういう手合いはどうすればいいのかなどとウェザーが考えていると、後から袖を引かれた。
 人数から見て物乞いの少女だと判断したウェザーは少し待つようにと顔を向けて――目を見開いた。
 少女が持っていたのはガラスの破片で、それが陽を反射してウェザーの目を焼いたのだ。
「うおっ!」
 視界は瞬時にホワイトアウト。瞼に熱を感じ思わず目を押さえてしまった。
 当然、少年の拘束は緩んだ。
「騒がしいな…どうかしたのかウェザー?」
 騒ぎを聞きつけたフーケたちが顔を出す頃には、少年は少女を連れて駆け出していた。
「じゃーなー、オッサン!」
 去り際、ウェザーに足払いをお見舞いしていった。視界の閉じていたウェザーは受身を取ることも出来ずにゴミの山につっこむ。
「何やってんだよウスノロ!」
「先に行くぞ!」
 瞬時に状況を理解したフーケとアニエスがゴミに埋もれるウェザーを追いこして子供の後を追いかける。
「……クッソ!」
 復帰したウェザーも後に続き、路地裏で鬼ごっこが始まる。


 狭く蛇行する足場の悪い路地を走り、曲がり、逃げる。
 密林のように色んなものが遮る路地を潜り、飛び越え、追う。
 倒される木箱。転がる樽。まるで障害物競走のようにそれらをかわす。
 似たような場所を行ったり来たりし、数え切れない程の角を曲がった頃、ようやく袋小路に少年たちを追い込むことに成功した。
 全員息が上がっているのはご愛敬だ。
「追いつめたぜ。いい加減に観念して……」
「勘違いすんなよ」
 三人に背を向けていた少年がくるりとこちらを向いた。
 不適に笑うその顔は相変わらずだが、その手には先ほどのガラスの破片が握られていた。
「追いつめられたんじゃねえ。カモを誘い込んだだけだ」
 破片を高々と掲げ、辺りに向け始めた。反射された光が周りの建物に当たる。
 するとそれを合図に背後や建物の中からわらわらと武器を持った少年たちが姿を現し始めた。
 身なりはみすぼらしく、どこか飢えた目をしている。どうやら三人は貧民街の方に誘導されていたらしい。
「ここは俺たちのシマだぜ?死にたくなかったら身ぐるみ置いてきな!」
 追い剥ぎらしいセリフを言う少年をよそに、三人は三人で話を進める。
「あ、思い出した。あんたとヴァリエールの嬢ちゃんの荷物スッたのこいつらだよ」
「なに?そうなのか。…でも、どうすんだ?手を出しても後味悪いし…」
「まあ、相手は子供だし……」
「そうだな、大人らしい対応で……」
「おいコラァ!人の話はちゃんと聞けって教わらなかったのかよ!ガキだと思って甘く見てんじゃねーぞババア!」
 瞬時にウェザーの顔が青くなった。が、すでに手遅れと悟ったのか額に手を当てて首を振るだけだ。
 "可哀想だけれど今日からお前らトラウマ予備軍だな"とその仕草は語っていた。
「「ババア?」」
 まるでゾンビのようにギギギ…、と首を回して二人は少年を見た。
 その視線を受けて、少年も、その仲間たちも「ヒッ」と小さくこぼしてしまうほどだ。
「え?あ…あの…お姉さ…」
「人を見かけで判断してはいけないという教訓を教え込む必要があるようだな」
「奇遇だねえ。あたしも今まさにそう思ってたところさ」
 その日、貧民街にすり下ろしたような切ない悲鳴が響いた。



 真夏の、太陽。
 照り焼きにされる、地面。
 炎天下で沸き立つ、蝉時雨。
 正座する、少年たち。
 仁王立ちで見下ろす女、二人。
「まったく…。いいかお前たち、またこんなことをするようなら煮えた鉛を喉から流し込むからな」
 夏の全てが体力を削っていく中、延々とアニエスの説教を食らう少年たちはすでに心が折れかけている。
「煮えた鉛って…。発想がえげつねえよ……」
「ああん?お前も蝋人形にしてやろうかァッ!」
 哀れ、少年たちのまだ辛うじて残っていた反抗心も、フーケの恫喝で萎んでしまった。
「落ち着いたのなら話を進めてもいいですか?デーモン土塊閣下」
 更生寺も真っ青なお仕置きにおそるおそると言った様子でウェザーが声をかける。
 フーケの話では少年たちが根城としているこの建物で件のスタンド使いと戦闘になったらしく、調査をしようということになったのだが……。
 嬉々とした様子で残ると主張する二人を残してウェザーは建物の中へ消えていった。
 その背中に少年たちの救いの視線を感じながら…。
「やっぱ何もないな。生活の跡があったが、そいつはこいつらのものだろう」
「やっぱりアジトを引き払ってたか…。まあ期待しちゃいなかったけど。あんたたち本当にここの奴らの顔知らないのかい?」
「だからオレたちは本当に最近ここに住み着いたんだってさっきから何回言えば…」
「お前たちだけで暮らしてるのか?」
「そーだよ…親はいねえ。別に珍しくもないだろ?」
 どこか投げ遣りな答えだ。珍しくないと言われれば確かにそうなってしまう。
 小競り合いの耐えないこの世界では度々戦争孤児や、その後の苦しい生活で家族をなくすものは少なくない。
 ウェザーのいた世界でさえストリートチルドレンはいたし、自分もそうなってもおかしくない環境にはいたのだ。
 ウェザーはこれ以上は無駄と悟りその場を去ることに決めた。
「そうだ聞き忘れていた……。綺麗なお姉さんは好きか?」
「怖いです!」
 洗脳は完璧だった。
 と、不意にアニエスがウェザーの進路を遮った。
「待て、盗られたものをまだ取り返していないぞ」
「盗られてねーよ」
「だが現に彼らはお前の財布を持っているぞ?」
「ああ、あれはあげたんだよ」
 全員が驚いただろう。何を言い出すのかと。
「あげた?お前がか?」
「そ。だから盗んではいねーよ」
 しばし唖然としていたアニエスだったが、軽く笑って「そうか」と言っただけだった。
「じゃあなお前ら。風邪ひくなよ」
「風呂入れよ」
「歯磨けよ」
 そう言って今度こそ三人は去っていった。

 後に残された少年たちは急に肩の力が抜けてしまった。
「本当のこと言わなくてよかったのかな?今朝のルカの話とかも…」
「言ったらオレ達が殺されちまうよ…」
「でもさ…あいつら、怖かったけどいい人だったよな」
「………」
 刺さるような沈黙が蝉時雨に呑まれて消えていった。


 トリステイン王宮。
 水気を吸って膨らむ雲の影で薄暗いマンティコア隊の隊長執務室には客人があった。
 執務机の前で折り目正しく起立する隊士は真っ直ぐにゼッサールを見据えている。
「……成る程。この『組織』と盗賊『土くれ』のフーケとの関連性とは面白い着眼点だな」
「着眼点――と言うよりも、すでに結論であると自分は自負しております。
 魔法学院の一件以来なりを潜めていた『土くれ』が、ここ最近になってその活動を開始していること。
 そしてその時期が『組織』の活動が活発化したと思われる時期と重なっています。
 今提出した紙にある名前は、『土くれ』の被害にあった貴族の名前です。
 皆、『組織』の調査に協力的な方々です。犯行声明文にもあった"嗅ぎ回るな"…これは恐らく『土くれ』なりの警告のつもりでしょう。
 そして同時に内部の情報が漏洩していることが深刻になってきています」
「ふん…確かに、『土くれ』を捕らえることが『組織』の尻尾を捕らえる糸口になるのはわかった。だが、肝心なのはその盗賊がどこにいるかだ」
「そう、問題はそこなんです」
「おいおい…まさかあたりもついていないのか?」
「いえ、やっとの思いで影を捉えたところです。根城を頻繁に変えるものですから、補足するのが困難でしたよ」
「ああ、ご苦労だったな。下がっていいぞ」
 隊員は敬礼をして部屋を後にした。
 しばし去っていった扉を眺めていたゼッサールだったが、おもむろに執務机の中から紙束を取りだしパラパラと流し読んでいく。 貴族の名前、屋敷の様子、当時の証言。様々な記述が羅列する中、全ての紙に共通して書かれている言葉があった。
 『土くれ』
 ゼッサールが取りだした紙束は今までの『土くれ』の犯行に関する資料だった。
 幾度か読んだそれを最後まで読み終えてため息を付く。
 今し方の話に出てきた"協力的な方々"の名前もここには幾つかある。
 ということは『土くれ』は二度同じ所に侵入していることになるが、そんなことは今までになかった。
 また、派手好きな奴にしては目撃情報が不明瞭すぎる。ゴーレムを使うでもなくただ物陰から見えただのなんだの……。
 そして一番気になる点が、被害者の貴族たちが立ち入り調査を拒んでいることだ。
 貴族の中には公にしたくない趣味を持つ者も少なくはないので、中を荒らされたくないのはわかる。
 だが、"協力的な方々"が全員その中に入っているのは果たして偶然だろうか。
「むう……」
 あと少し。あと少しで全てがわかる気がする。
 そのあと少しを呼んでいるかのようにゼッサールの指はせわしなく机を叩き続けていた。
 こんな時は"あの方"の行動力が羨ましく思えてしまう。
 そんな弱気を吐き出すようにして付いたため息も、降り出した夕立に掻き消されてしまった。

 一日を懸けて成長を続けた積乱雲は激しい夕立を吐き出し、一時は夏の酷暑を冷ます冷却剤となったものの長くは続かず湿度の上昇を促す結果となってしまった。
 どうやら今夜は昼間の暑さに追い打ちをかけるような熱帯夜になりそうだ。
「しっかしこう暑いんじゃあ酒飲みに来る客も来ないんじゃねーのか?不快指数80こえてるぞこれ」
 仕事の休憩時間にフーケの部屋で椅子に座ってくつろぐウェザーがこぼした。
「誰かさんがいなくなってくれりゃあその半分くらいにはなるんじゃない?誰とは言わないけど…ねえ番犬さん?」
「どうしたことだ。今日に限って貴様とは意見がよく合うようじゃあないか盗賊」
「暑苦しいからケンカすんなよ…」
 と、喉を潤そうとグラスを掴んだところで中身がなくなっていることに気づいく。
「ああ、アタシがいれてやるよ。お茶でいいだろ?」
「冷たきゃなんでも」
 テキパキとお茶を入れる仕草は仕事用の服と相まって堂に入っていた。
「しかし結局今日も空振りか。残るは一つなんだが…」
「貴族の屋敷ではさすがに動きにくいだろうな」
 机を挟んで座るアニエスがこぼす。フーケの方は比較的慣れてきたが、アニエスはその口調と相まって未だ給仕服に少しの違和感を覚えるが、フーケ曰く「だからいい」らしい。
「アニエスなら問題ないんじゃないのか?」
「今は肩書きを王宮に置いてきてしまたからな。それに近衛隊長と言っても私は平民の出だからな、そうすんなり行けるものでもないんだよ。陛下の書状でもあれば別だがな」
「はは、大変そうだな。…そう言えばお前の方の情報をまだ聞いてなかったな。貴族ならちょうどいい。名前を聞かせてくれよ」
「リッシュモン」
 そう言った時のアニエスの顔にはどこか闇が潜んでいる気がして、ウェザーは息を呑んだ。
 口を開こうとしたまさにその時、フーケがグラスを差し出したために機を逃してしまった。
「リッシュモンってあの高等法院長の?そりゃまた大物だけど…、あたしは別の名前だね」
 そう言ってベッドに腰を下ろす。かなり勢いよく座っていたが、お茶をこぼさないのはなかなかすごい。
「……おい、私のは?」
 アニエスに言われて、うっかりとでも言うように舌を出した。
 そしてポケットから何か取り出すとアニエスの前に置いてみせる。
 緑色の、パサパサしたものだ。
「茶葉だけ食ってろ」
「わあ!とっても濃厚な味が口一杯に広がるぞ!これはまさに、茶畑のバーゲンセールや~…ってこのバカ野郎ッ!」
 華麗なノリツッコミと共にツッコミという名で偽装した突きが机の上を飛んだ。
 それをやり過ごしながらフーケも挑発を重ねる。
「はっ、なんだい鉄みたいに曲がらない女だねえ。冗談も通じないのかい」
「貴様におちょくられるのは許せんのだッ!」
 目の前で二人が暴れてもまるで心は山奥の湖水のように静かだった。
 ウェザーはこの時の心境をそう語っている。これが後の『明鏡止水』である。

「じゃあハンドシグナルをあたしがするから、それに全問答えられたら特級のお茶をいれてあげるわよ」
「なるほど…勝負とあっては退けんな」
 あ、こいつ結構扱いやすいかも。ウェザーはお茶を啜りながら内心で思った。
 そして、そんな思惑を余所に二人は戦闘態勢に入る。間接を鳴らす意味についてはスルーの方向で行こうとウェザーは一人頷く。
「最初はこれね」
 そう言ってフーケが右手の指を直立させる。
「停止して警戒」
 アニエスは淀もなく答える。
「んじゃこれは?」
「散開」
「じゃこれ」
「右から回り込め」
「これは?」
「撤退」
「これ」
「パン」
「これ」
「ツー」
「これ」
「丸」
「これ」
「見え」
「YEAH!」
 ピシガシグッグの代わりにアニエスの目にも留まらぬジャブが飛ぶ。
 それを避けるフーケもフーケだが。
「つーかお前ら本当は仲いいだろ――ん?」
 呆れ果てるウェザーの耳にノックの音が届いた。開けてみれば現れたのはマスターで、
「客だぞ」
 その後から現れたのは今朝の窃盗グループの少年たちだった。
 少年たちを中にいれるとさっさと階下に下がってしまった。
 少年たちは借りてきた猫のように居心地が悪そうだが、それを気に懸けてやるほど出来た人間が揃っているわけでもなく、そのまま立ち話になる。
「なんだ?あの荷物のことならもう本当に…」
「ち、違う!」
 慌てたように遮った少年は、一度声を出せたためか堰を切ったように話し始めた。
「ほ、本当はオレ達見たんだ!前に薬の売人に偉そうに話しかけてる奴がいて、そいつがあの建物から出てきたのも見てるんだ!」
「偉そう…?まさかボスか!そ、その男の特徴は?」
「右手……」
「右手?右手に何か付けてるのか?」
「右手だったんだ、両方とも……。右手も左手も右手なんだよ!」
 イマイチ要領をえない答えだが少年の気迫がそれを真実だと語っている。
「よく言ってくれた。これでだいぶん近づけたよ」
「そ、それと…もう一つ大変なことを聞いちまったんだけど…。な、『涙目』のルカが今朝手下を集めてて、たまたま聞いたんだ!『今晩この街は焼け野原になるッ!』って言ってんのをッ!」

 同時に、階下で騒音がした。驚く暇もなく悲鳴と共に聞き覚えのある声が上がった。
「オラァ!いんのはわかってんだよォ金髪女ァッ!出てこいよぉ~~~ッ!」
 噂をすれば影。『涙目』のルカだった。
「雑魚は雑魚なりに出番を弁えているらしい。…タイミングがよすぎる気もするがな」
「案の定ルカは『組織』に私たちの情報を売ったと言うわけか。
 恐らくは大規模な暴動を起こすつもりだろう。そして嗅ぎ回る私たちがよっぽど目障りらしい。
 と言うことはつまり、我々は核心に近づいていたと言うことだな」
「もはや一刻の猶予もなくなってしまった。ウェザーたちはその子たちを逃がして本部を狙え。ボスをどうにか出来れば指揮を乱せるだろう」
「待てよ、お前一人で下の奴らを相手するのか?無茶だッ!」
 下からは何かを壊すような音が聞こえてきた。それに足音から察するに相当の数を集めているのがわかる。
 恐らくはマスターが抑えているのだろうがそれも期待できるとは思えない。
 『組織』が絡んできた以上、ただのチンピラではない可能性も高い。
 アニエスが強いのは重々承知だが、それでも数の利にどこまで耐えきれるのかは定かではない。
「お前が犠牲になったところで……」
「ウェザーッ!」
 遮るような恫喝でアニエスはウェザーを黙らせた。
「この状況であってはならないのは、『精神力』の消耗だ…くだらないストレス!それに伴う『体力』へのダメージ…!!
 私たちはこの首都トリスタニアで!!『やるべき目的』があるッ!必ずやりとげなければ…そのためには…!お前たちにくだらない消耗があってはならないッ!」
「だからといってお前が…」
「奴らは私をご指名だ。それにむざむざやられるほど私は弱くはないつもりだ。こういう状況では味方の半数が目的を果たせばいい」
「…懐かしい言葉だ」
 アニエスの強情さに呆れ果て、苦笑しか出てこない。そして、今まで仏頂面でアニエスを見ていたフーケも口を開いた。
「おいアニエス」
「なんだフーケ」
「終わったら飛びっきりの酒を奢ってやるよ」
「ふ…盗賊の酌で飲む酒というのもオツかもしれんな…」
 三人は拳を掲げ、軽くぶつけ合った。
 利害の一致でも、そこには確かに『仲間』がいたのだから。


 一方、店内ではマスターとルカが不毛な争いを起こしていた。
「なあマスター。さっさとあいつらだしゃあ穏便に済むんだ。アンタだってこの店を失いたかねーだろ?」
 ルカの問いにも耳を貸すことなくマスターはグラスを磨き続ける。
 すでに何度目かの質問だ。答えはわかりきっていた。ルカは気の長い方ではなく、そして背後には『組織』の連中が見ている。
 もはやこれ以上長引かせて下手を打つわけにもいかないルカはとうとうキレた。
「こ・・・のッ!オレはオメーのためを思って忠告してやったんだ!女を出せと言ったんだ!なのに逆らうッつーんだな?この『涙目』のルカの『誠意』に『NO』つぅーんだなッ!」
 マスターの胸ぐらを掴んで突き飛ばし、一気に階段を駆け上がろうとした。
「言いたくねーってんなら店をひっくり返してでも見つけだバァッ!」
 その階段の一段目に足をかけた瞬間、ルカの顔面に靴の裏がめり込んだ。
 アニエスの階段から飛び降りてのドロップキックを受けたルカの首が嫌な音を立て、弾丸のように階段からホールまで吹っ飛んでいく。
 床に二回三回とバウンドして停止したが、完全に伸びているだろう事は明らかだった。
 反面、アニエスはきれいに着地を決めると敵の追い打ちに備えてすぐさま立ち上がった。
 だがアニエスの予想に反して他の男たちは動じてはいなかった。
「おい、あれがフーケか?聞いてたのと違うぞ」
「そもそも金髪じゃねーだろ。ていうかあの服は何だよ、パーティーでもあんのか?」
 話からするとルカの目的と『組織』の目的は一致してはいないらしい。
 勘違いで呼び出された形になってしまったアニエスだったが、だからどうと言うこともない。
「お嬢さん、俺たちゃあんたとダンスしにきたわけじゃあないんだ。俺たちが紳士なうちに帰りな」
「なんなら送ってってやろうか?」
「きゃー、送り狼よーってかぁ?ワハハハハ!」
 ぱん。
 笑い声を突っ切るようにして鳴った銃声は、男を一人貫き床に転がした。
「つれないことを言うなよ」
 煙を上げる小銃を投げ捨てて背中の仕込み刀を取り出す。
「テメエ…!」
「宮廷舞踏は踊れぬが、せっかくの舞台だ」
 勢いよく抜き放たれた剣身が甲高く鳴いた。
 蝋燭の灯りを受けて刃は妖しく揺れ、男たちの緊張も増していく。
「剣の舞、是非ともエスコート願いたいな、ジェントルマン」

 動き出した闇は熱帯夜と共に訪れた。まとわりつくのは夏の暑さか滅びの不安か…



        To Be Continued…

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