ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

24.5 邪竜は月輪に飛ぶ

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24.5 邪竜は月輪に飛ぶ

一斉射撃。音のするほうに向かっての未熟な銃撃。もし男が少しでも違うところにいれば、相手の位置を把握できる天使のラッパにも聞こえただろう。
だが、男と仲間の部隊はそこにいた。仲間が戦死した。背中にしょった通信機も敵弾を浴びて戦死した。おかげで男は生き残った。
だが、恐慌状態に陥った精神は自殺行為に突き進んだ。腕の中のロケットランチャーを抱きかかえる。それを手放さない限りは、死が少しは遠のくように思えた。
幻想だった。そのロケットランチャー自体が、ついさっき死んだ仲間の遺品だった。だが、男はその幻想を補強しようとした。拳銃を――これも仲間のものだった――生き残った最後の仲間に向ける。

男は同僚の死体からもう一つのM72ロケットランチャーを拾い上げ、それを抱えて足音高く走り出す。銃声と泥しぶきの音が四方に広がり、それに群がるように敵が襲ってきた。
唐突に、だが待ち伏せていたかのように、眼前に銀色の何か立ちはだる。それが何なのかを考える間もなく、男は頭から突っ込んでいった。


覚醒したときには、世界の一部は恐ろしく変転し、それは男を全く否定するものであった。
だが、男――ひとりのアメリカ陸軍兵士であり、敵から逃げ出し、そして追い詰められていた。――の半眼が表層をなぞる限り、そこはただの森。気を失う前に駆け抜けていた森にしか見えなかった。
彼が先だって走りぬけたジャングルですらなかったが、目に見える色はあくまでも緑一色。そして彼は迫り来るはずの危険を思い出した。ソ連の軍事顧問に指揮された、ベトコンの追撃を。

違和感が追いついたのはすぐのことだった。植生がまるで違う。互いに圧し掛かりあうように乱立する樹木も、そこから垂れ下がる蔓草も見えない。
あのバナナの、顔よりでかい葉っぱはどこだ? 下ばえはそれこそ若草色。柔らかく地面を覆っている。
地面もそうだ。泥ついた所もない。どこの木からともわからない根がとび出てることもない。気温すら違う。ここはどこだ。男はうろたえ、放心した。
バックパックを確認しようとして思いとどまる。そんな暇があるのかどうか。
耳を澄ませる。牧歌的にすら聞こえる鳥のさえずり。風のそよぎが草花を揺らす。そして、川のせせらぎ。草を踏みつける足音は聞こえない。近くに人がいるのか、それすら不明だ。
水辺に向かって、男は慎重に移動した。ロケットランチャーを脇に抱えて。護符代わりにではなく、身を守る武器として。生きるために必要な程度の冷静さは取り戻せていた。
通信機が生き返る様子はなかった。雑音すら発しない。腕の時計を見る。午後一時。空を見上げる。健康的に繁る枝葉に遮られ、太陽は見えなかった。

透明な川の水面が、空の赤を反射してきらめく。日が落ちきる前に所持品を確認する。
通信機が大きく嵩を取る男の荷物は、他の隊員に比べて少なかった。予備弾薬も使い果たし、マシェットも別の人間に持ってもらっていた。
今回の偵察任務において、男は主に通信を担っていた。ベトコンの弾薬庫を砲撃するにあたっての弾着観測が主だった任務だった。
砲撃は手際よく成功した。山を掘って作られた弾薬庫は、山ごと爆発してその役目を終えた。あとは帰還するだけだった。
手際がよいのは向こうも同様だった。観測地点を割り出し、人海戦術で取り囲んだ。
包囲の輪を突破し、ピックアップポイントまで撤退する。小銃は弾が切れる前に沼に浸かって不発になった。撤退中に一人死に、二人死に、最終的に男だけが生き残った。
7:28 2008/05/22いや、残ってはいない。ここはベトナムではないだろう。ここはどこだ?
腕時計を見る。午後一時。見れば秒針が止まっていた。
川の流れに沿って少しもしないうちに、夜がやってきた。
敵はあいかわらずどこにも見えない、聞こえない。だが小銃も地雷も持たず、単身、拳銃だけを懐に夜の森を進むのはやはり危険すぎた。
腰の水筒を取る。とっくに空だった。川の水を汲み、念のため浄水剤を入れる。
比較的大きな木の根元に腰を落ち着ける。携帯食料を取り出し、半パックだけ食べた。一息つく。これからのことを考えた。帰り着けば軍法会議。捕らえられれば拷問か。
何がどうなろうと、良いほうには転ばないように思えた。生き延びるための行動が苦痛を呼び込んでいる。何故あの時、自分はあんなことをしたのか。後悔にさいなまれた。

男の後悔する精神を、異音が現実に引き戻す。何かを扇ぐような音。上から聞こえてくる。敵か味方がヘリを飛ばしているのだろうか。
木陰に隠れ、空を再び見上げる。胸ポケットをまさぐり、注射針と一緒にビニールに包まれたモルヒネの容器を見つけた。全く減っていない。では、あれは、なんなのだ。
月が、二つの月が、天頂を過ぎて、西の空を進んでいく。
月光に照らされる夜空を、巨大な何かが悠然と羽ばたいていた。逆光でシルエットしか見えなかったが、あれは。
現実の光景ではなかった。少なくとも男の現実ではない。またもや異音。自分の呻き声だと気付くのに、少し時間がかかった。


一睡も出来ずに朝を迎えた。眠ってしまっても良かったかもしれない。ベトコンの脅威は去ったのだろうから。それを認めることは男には難しかった。
弛緩した意識でひたすら川に沿って歩いていった。二本のロケットランチャーは重かった。
森を抜けた先にあるものはなんだ。二つの月が何を意味するのか。考えたくもなかった。ある漠然とした予想を、男は自分自身に突きつけられていた。

一日歩いた先にあった結論は拍子抜けするものだった。川は小さなため池を作り、そこで尽きている。おそらく地下水となって、またどこかで湧き上がるのだろう。
男は脱力した。その場にへたり込む。森の奥から水辺に動物がやってきた。男を警戒もせず水を飲み終わり、再び森の奥へ消えていった。
鮮やかな紫色の兎のようだったが、額に黄色い尖った角を生やしていた。それを見て、男はますます虚脱した。しまりのない顔をして、その一部始終をぼんやりと眺めていた。


川を遡り、源泉と思しき場所に辿り着いた。日のある内は朦朧と歩き続け、夜は月光と、夜行性らしい羽ばたくものに怯えていた。
源泉はどうといったこともない岩の隙間から流れ出していた。そこは小さな丘の低い頂上で、周りを見渡せるほどの高さはなかった。
もしかしたら、さらに上流があるのかもしれない。だが、男にそこまでの気力はなかった。
諦めきれずに、近くの樹に登る。森林は遠く広がっていた。それでも最も近いところでは、地平との境界線あたりで途切れていた。
川の下流を目指して進んでいけば、そのまま森を抜けられていたかもしれない方角だった。
男は再度そこを目指す。汗と垢にまみれた迷彩服は森と一体化していたが、男はそれを拒絶した。なけなしの理性が、あるかなきかの文明を目指す。

男は怯え続け、歩き続けた。食料も浄水剤も尽きていた。通信機は捨て、腕時計も捨てた。
歩くうちに、再び水音が聞こえてきた。川の流れが地表に再出している。流れは大きくなっている。
浄水剤はない。乾きに耐え切れず、川の生水をそのまま飲んだ。
森の中で再び出合った兎を、拳銃で見事に撃ち殺した。銃撃音と硝煙の臭いが数百メートル四方に広がった。
皮を剥いで肉を食べるつもりだったが、男にはその経験がなかった。角を叩き折って、めったやたらに兎の死骸を引き裂いた。
枯れ木の季節ではなかった。とりあえず落ちている枝を拾い、マッチで火をつける。
労力に見合わない、控えめな食事。焼けば平気だろうと、内臓も食べた。おぼつかない足取りで、再び歩きだす。辺りに、飛び散った血と焼けた肉の臭いが広がった。
翌日、男は腹を壊した。水か肉か、原因はわからなかった。いずれにしろ、飲まず喰わずでは死ぬ。せめて内臓だけでもやめよう。もしまた獲物が手に入る僥倖が巡ってきたら。男は苦しみつつそう思った。
ひどい下痢が男を襲い体力を大いに奪った。それでも男は歩き出した。糞の臭いが広がる。
それらは肉食動物を刺激するには十分なものだった。
夜、一頭のワイバーンが目を覚ました。その鼻に、生命を伺わせる数種類の臭いが入り込む。
ねぐらの岩場までも漂ってきたそれは、ワイバーンの食欲を刺激するには十分なものだった。

夜、男は森の端に近づいていた。体はやせ衰え、顔には何とも判らない湿疹ができている。目は黄色く濁り、赤く充血していた。
体力はもはや限界を迎えていた。それでもロケットランチャーは手放さなかった。思考力の低下が著しかった。今持っているから持ち続けている。それだけだった。
昼夜の区別なく歩いていた。自分の体力に気を配るよりも、この森から抜け出したい思いが強かった。

夜行性のワイバーンは夜目が利く。空から地上を見下ろす。臭いのするエリアを旋回する。
そこは森の中心から、すこし外れた場所だった。そこを中心に、遠心状に飛び回る。ほどなく獲物が見つかった。動きは鈍く、こちらには気付いていない。
躊躇うことなく、ワイバーンは降下する。

男は上空に、聞き慣れた音が近づいてくるのを恐怖と共に感じた。何故、今になってなのか。栄養も睡眠も足りていない男には、理由がわからなかった。
わかるのは、このままでは死ぬということだけだった。男は走った。あっという間に追いつかれた。

あっという間に追いついたワイバーンは、その速度を生かして体当たりを仕掛けた。獲物は虫のように跳ね、地面に激突し転がった。
着地し、齧ろうと接近するワイバーン。その腹に衝撃。後から来る鋭い痛み。かすれた声で小さく吠えると、首を曲げに曲げて痛みの出所を確認した。
腹からは出血していた。激怒し、獲物に止めを刺そうと向き直る。獲物は消えていた。臭いもそこで、忽然と消えていた。
ワイバーンは出血しつつも辺りを飛び回った。が、しばらくすると諦め、傷を癒すためにねぐらに戻っていった。

男は川の流れの只中にいた。拳銃が流れに巻き込まれて離れていった。バックパックとロケットランチャーの重みで沈んでいく。
水を飲み込みつつも、なんとか荷物を捨てる。もがきながらロケットランチャーを捕まえる。

どうやって助かったのか、記憶にない。気がつけば二本の筒を手に、川岸で荒い息をついていた。足首はまだ水に浸かっていた。
首をねじって、M72ロケットランチャーを見る。今はまだ防水状態のはずだ。まだ使える。
そうだ。今度はこれをくらわせてやる。近づく前に一発だ。畜生め。あいつさえ殺せば何の問題もなかったんだ。
栄養、睡眠、そして酸素をも失った頭で考えた錯乱を心に、男は立ち上がる。再び歩き出す。夜を楽しみに。

男はついに人と出合った。それは老人だった。

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