ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

9 そこに成功は無い 前編

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
9 そこに成功は無い
 先日の雨がどこへ行ったのか。まっさらな青が広がった雲ひとつ無い空は、頑張り過ぎている太陽に悪態を吐きたくなるほど見事に晴れ上がっていた。
 大雨の後始末が各地で行われ、しかcし、湿気が蒸発して蒸し暑くなった環境では誰もが長く動けず、作業は一向にはかどらない。麦穂も雨の影響で多くが倒れてしまい、商品にはならなくなっている。ccccc今年は例年に比べて若干の豊作と見込まれたタルブの麦も、かなりの量が水に流され、品薄による値上がりは回避できそうになかった。
 雲の流れは今後、西の沿岸から吹く風に乗ってトリステイン南部とガリア北部を横断し、砂漠へと流れていくことだろう。トリステインとガリアの二国は、見込まれていた収穫が大きく減じることで、財政的に厳しい年となるのは間違い無さそうである。
 暗い未来を案じて気力を失えば、状況は悪化の一途を辿る。そのことを長く農村として生きて来たタルブの人々は良く知っており、天災の被害にめげることなく、畑の整備や風雨で壊れた建物の修理などの作業に怒声や愚痴を交えながら没頭していた。
 窓の外から聞こえてくる金槌の音を背景に、溜め息が一つ。
 村の奥に建てられた村長の屋敷の一室で、コルベールがこめかみに青筋を浮かべて立っていた。
「藪を突付いて蛇を出す、とは正にこのことですな」
 もう三度目になる言葉を口にして、コルベールは数えるのも億劫になるほど繰り返した溜め息を、また零した。
 目の前に並ぶのは、赤が一つに青一つ、それに黄色が三つ。言うまでも無く、個性豊かな髪の主はコルベールの生徒達である。それぞれの顔に浮かんだ表情は重苦しく、血色の悪い肌からは汗が滲んでいた。
「自業自得という言葉がこれほど似合う場面に出くわしたのは、生まれて初めてですぞ。授業の無断欠席に加えて、危険行為の数々。聞くところに寄れば、一歩間違えれば命を落としていたかも知れないというではありませんか。もし、あなた方の身になにかあれば、残された家族や友人達がどのような思いをするか、考えたことがありますか?誰かが巻き込まれたとき、あなた方は責任を取れるのですか?今回巻き込まれた方々は運良く怪我らしい怪我もありませんでしたが、此度の不祥事がどのような影響を残すのか、その目で見て、耳で聞いて、しっかりと心に刻みなさい。当然、本件は学院に戻り次第学院長に報告して、罰則についての相談をいたします。そのつもりで今のうちに覚悟を……」
「ミスタ・コルベール」
 クドクドと続けられる説教の内容が似たよな言葉のループを始めてからそろそろ一時間が経過しようとした頃、女性の声がコルベールの言葉を遮った。
「最低でも一週間以上の謹慎に加え、反省文も……、なんですかな、ミス・ロングビル?私は一人の教員として、彼らに十分に言い含める義務が……」
「ええ、それは良く存じております」
 深緑の髪を流したマチルダが、愛想笑いを浮かべて進み出る。
 教員というよりは事務員という方が正しいだろうが、一応は学院の関係者ということで、マチルダはコルベールに同席を求められていた。だが、その内心は面倒臭いの一言で、一時間もコルベールの説教に付き合っていたのが奇跡とも言える。
 横目に生徒達の姿を眺め見て、マチルダは返って来る救いを求める視線に困ったように眉を寄せると、コルベールにさらにもう一歩歩み寄り、上目遣いに言葉を続けた。
「教育に熱心なのは素晴らしいと思います。ええ、とても。ですが……」
 今度はしっかりと体の向きを変えてキュルケたちに意識を向けると、そこに広がる光景に表現しがたい表情を浮かべて肩を竦める。
「風邪を引いて寝込んでいる子供相手には、少々酷かと存じますわ」
 等間隔に並ぶ五つのベッドの上で呻き声と咳を洩らす五人の少年少女が、同意するようにゲホゲホ言いながら首を縦に振った。
 長く雨に打たれたのが悪かったのだろう。ミノタウロスとの戦いに決着がついて一時間もした頃には、学生全員が風邪の兆候を見せ始め、間もなく熱と咳でダウンしたのである。
 本来なら一番近い街であるラ・ロシェールに向かうところなのだが、いつ治るか分からない風邪の為に延々と宿に泊まれるほど路銀も無いため、一行はシエスタの故郷であり、タバサの現在の家もあるタルブ村に進路を変更したのであった。
 実際に村に到着したのは今朝方で、丁度マチルダに急かされて風竜を飛ばそうとしていたカステルモールに迎えられ、そのまま村長宅へ搬送されたのである。
 先日の雨に濡れたのは村でも一人二人ではなく、同じように風邪を引いた村人が別の部屋で熱と咳で苦しみながら戦っているところだ。ミノタウロスに馬車を壊された御者や、巻き込んでしまった母子も同様で、一緒に面倒を見てもらっている。
 村長宅は、現在は隔離病棟というわけだ。
「ううむ……、仕方ありませんな。しかし皆さん、くれぐれも体調が戻るまでは安静にしているように。お説教の続きは学院に戻ってから、しっかりとやらせていただきますぞ」
 そう言って部屋を出て行くコルベールを、勘弁してくれ、と言いたそうな目でキュルケたちは見送った。
 こほん、と一つ咳をして、マチルダも説教の終わりが見えたことで肩の力を抜く。
「さて、それではわたしもこの辺で失礼させて貰いますね。あ、それと皆さんが集められた宝探しの収集品ですが、盗難や不法拾得物である恐れがあるため学院預かりとさせていただきます。あらかじめ、ご了承ください。ではまた」
 丁寧なお辞儀をして、マチルダが部屋を出て行く。
「……え?」
 漏れ出た声は誰のものだったのか。
 咳と呻き声に満たされていた部屋が静まり返る。
 運良く風邪を引かなかったシエスタが、マチルダと入れ替わりに水と氷を入れた桶を抱えて部屋に入り、その奇妙な空気に首を傾げた。
 暫くの沈黙の後、ほぼ同時に、少年少女達は絶叫を上げた。
「そ、そんなぁ!」
 命を賭けて戦った子供達の冒険の思い出は、有無を言わさぬ汚い大人たちに容赦なく奪われたのであった。
 風邪で寝込んでいるキュルケたちと違い、何故か同じような環境下にあったにも関わらず風邪を引かなかった才人は、倉庫に保管されていた材木を担いで村のあちこちを走り回っていた。
 今のタルブは人手が足りない。
 雨に耐えた麦は腐る前に速めに刈り入れをしなければならないし、その間も風で壊れた柵や畑や家といったものの修復も行わなければならないのだ。
 ガンダールヴの力が無ければ日本の一般的な高校生と同等の体力しかない才人も、猫の手も借りたい村人達には貴重な労働力に見られ、少しでも暇そうにする様子を見せれば五秒と経たずに使い走りに出されていた。
「おっさん!頼まれたやつ、ここに置いとくよ!」
 家畜小屋の修繕を行っていたガタイの良い髭面のおっさんに呼びかけ、肩に担いでいた材木を作業場となっている広場の片隅に下ろす。
「ああ、ありがとよ!こっちは何とかなりそうだから、坊主はちっと休憩してきな!」
「うぃーっす。んじゃ、遠慮なく」
 痛くなった肩をポンポンと叩き、次いで揉み解す。
 近代技術に囲まれて育った現代っ子に肉体労働はなかなかキツイようで、体の節々が痛みを訴えていた。
 これで運動系の部活動にでも入っていれば話は別なのだろうが、才人は生憎と帰宅部だった。
「ガンダールヴの力を使ってるときって、あんまり体は鍛えられないみたいだなあ」
 息を吐いて腰を下ろし、そんなことを呟く。
 トップアスリート以上の運動能力を得られる特殊能力だが、代償といえば急速な疲労くらいなもので、実際に筋肉痛や肉離れを起こした経験は無かった。運動にはなるのだが、体を鍛えるのには向いていないらしい。
 原理を考えると頭が痛くなってくるが、魔法とはそういうものだと納得するしかない。
「でもまあ、運動不足で太ったりはしないみたいだから、いいか」
 ハルケギニアに召喚された当時はルイズに寄る逼迫した糧食問題を押し付けられたが、今は腹一杯まで食わせてもらっている。脂身たっぷりの鶏肉とか、果汁たっぷりのフルーツとか。
 ルイズの強烈な躾けと定期的に起きる事件に引っ張りまわされ、その都度体を動かしていなければ、きっと今頃は腹回りが一回り大きくなっていたことだろう。逆に、ガンダールヴの力に体を鍛える効果もあったのなら、今頃腹筋も割れてボディビルダーのようになっていたかもしれない。
 日本的な童顔な顔立ちの下にある、はちきれんばかりに膨らんだ筋肉の塊。
 ニッコリ、と暑苦しい笑顔を浮かべた自分の姿を思い浮かべて、才人はあまりの気味の悪さに首を振ってイメージを崩した。
「でも、もうちょっとこの辺に筋肉がついて欲しいなあ」
 右腕を曲げて作った力瘤の表面を、左手でぷにっと摘む。
 若々しい肌の張りのお陰でそれほど気にはならないが、それでも力瘤が皮下脂肪で柔らかく感じてしまうのは、男として屈辱であった。
「そう思うなら、しっかりと鍛錬に励むんだな、相棒。日常的に背負われてる立場から言うのもなんだが、相棒はもうちょっと体を動かすべきだと思うぜ」
「そうかあ?朝起きてルイズの服の洗濯して、シエスタの仕事手伝って、ルイズに追い掛け回されて……、結構体使ってると思うぜ、俺」
 指折り数えてみれば、日本に居たときよりも運動量は明らかに増えている。それでも足りないというデルフリンガーの基準は、恐らくは命を賭けて戦う剣士達を基本に考えているからだろう。
「ガンダールヴの力を使ってないときは大したことしてねえだろ?その辺がアレだよ、相棒に足りない部分なんだよ。武器握っちまうと勝手にガンダールヴの力が発揮されちまうから、これからは棒きれ握って素振りの訓練でもしたらどうだい?」
「訓練、か」
 デルフリンガーの言葉に、才人はミノタウロスに切りかかった時のことを思い出す。
 もう少し力があれば、しっかりと刃は届いたかもしれない。ミノタウロスと正面から戦える力があれば、逃げる必要は無かっただろう。そうすれば、キュルケの髪は短くなったりはしなかったはずだし、ギーシュも死にそうになりながら戦う必要は無かったはずだ。
「シエスタを守るとか言っておいて、結局何も出来ねえんだな、俺」
 伝説の力を持っているにも関わらず、他人を守るどころか自分の身一つで精一杯であることに、才人は深く溜め息を吐く。
 結局、伝説のルーンがあったからといって、無条件で何でも出来るわけではないということだ。
 落ち込んでいく気分に、才人はもう一度溜め息を吐くと、辛気臭え、と笑うデルフリンガーの柄を拳の裏で軽く叩いた。
 湿気の篭ったジメジメとした熱気に懐かしいものを感じつつ、肩を落としてトボトボと歩く。
 そんなとき、正面から歩いてきた若い女性の声が、才人に声をかけた。
「お、お疲れ様です」
 地面に向けられていた視線を持ち上げた才人の目に血色の良い肌が映り、さらに不自然なまでに盛り上がった脂肪の塊が入り込む。
「……う、うおおぉっ!?」
「きゃあっ!」
 目の錯覚かと目元を擦ってみるが、その膨らみに変化は無く、現実のものだと気付いて驚いた才人に合わせて、ぷるん、と揺れる。
 釣られて、才人の視線も上下に揺れて、それの動きが止まるまで追い続けてしまう。
 ふと気付いたときには、巨大な果実を胸にぶら下げた少女の顔が羞恥で真っ赤に染まっていた。
「あ、ああっ、ゴメン!そ、そんなつもりは……」
 反射的に謝ってしまうが、反省の色は無い。事実、意識は少女の胸に釘付けで、恥ずかしそうに頬を赤らめている少女の顔と胸との間を視線が行ったり来たりしていた。
「い、いえ、いいんです……。皆さん、大体同じような反応をなさるので、もう慣れました」
 そうは言うが、やはり気になるのだろう。
 包み隠すように胸の前で両腕を組んで、視線から逃れようとしている。しかし、それが胸の形を歪に変形させて、逆に柔らかさを強調していた。
「……え、えーっと、ティファニアさん、だったっけ」
「はい。ヒラガサイトさん、ですよね?」
 胸の辺りに固定された視線にモジモジとしながら、必死に気にしないようにしてティファニアは会話を続ける。
「才人でいいよ。そ、それより、何か用かな?」
 もしかして、告白か?なんて突飛で脳味噌が膿んでいるとしか思えないことを想像して、才人は鼻の下を伸ばした。
 ティファニアにとって、才人はシャルロットの友人という程度の認識でしかない。特別な繋がりなど、何一つとして存在していないのだ。
 一目惚れでもしなければ、告白なんてことはまずありえないだろう。
 だが、そのありえない状況を妄想できるだけの脳味噌を、才人は持っていた。
 まったくもって、幸せな男である。
「えっと、その……」
 言いたくても言い出せない、そんなふうに見えるティファニアの反応に、日本で読んでいた漫画のヒロインのイメージを重ねて、才人はやっぱりそうなのか!と期待を強める。
 だが、次にティファニアの口から出てきた言葉は、やっぱりというか、当然の如く、才人の期待を裏切るものだった。
「広場で炊き出しをしているので、お仕事が一段楽したら来て下さいって知らせるように頼まれてて……、その、ごめんなさいっ!」
 才人から顔を逸らし、ティファニアが何処かへと向かって逃げるように走り出す。
「えっ、ええっ!?」
 災害の時には普通にすることを伝えただけなのに、なぜ謝るのか。
 思わず去り行くティファニアに手を伸ばす才人だったが、その手は虚しく宙を掴むだけであった。
 わきわきと手が動き、その手を才人は呆然と見詰める。
 握って開いてを何度か繰り返して、その手の動きと目に焼き付いている大きなマシュマロの姿を脳内で組み合わせ、想像上の感触に口元を緩める。
 そして、暫く妄想に浸った後、やっと才人はティファニアに逃げられた理由に気付いた。
 目に焼きつくほど胸を凝視していたことが原因だ。
 逃げられて当然だろう。
「相棒は、良くも悪くも自分に素直だな!」
 やっちまった、と地面に膝を突いた相棒を見て、デルフリンガーは鍔飾りをカチャカチャと鳴らして陽気に笑った。


「男の子って、皆あんな風にえっちなのかしら?」
 才人の姿が見えなくなるくらいに離れたティファニアは、走る足を止めて息を整えると、自分の胸元を見下ろして困ったように眉を寄せた。
 今思えば、ウェストウッドからタルブに連れて来た子供達も以前から特に胸に拘っていた気がする。男の子なんかは、触りたくて仕方が無いという感じだ。
 以前はそんなことを気にかけたことも無かったが、それは子供が相手だったからなのかもしれない。母を求めての行動だと、内心で折り合いをつけていたのだ。
 それが、ここに来て注目されるようになって、自分の胸が異常であることに気付いた。
 幸い、村の女性達が親切にいろいろと教えてくれて、それが悪いことではないと理解は出来たのだが、自分が唐突に卑猥な生き物に変わってしまったような気がして、男性の視線が胸に向く度に落ち着かなくなるのであった。
「もうちょっと、小さくなったりしないのかな」
「それは、わたしに対する挑戦かしら?」
 胸に手を当てて、胸元が貧相な女性達を敵に回すようなことを口にしたティファニアに、不機嫌そうな、それでいて可愛らしい声がぶつけられた。
 つばの広い帽子と豪奢な黒のドレスに身を包んだエルザだ。
 新しい衣装のお陰で昼間にも出歩けるようになったからだろう。気ままに一人で散歩をしていたらしい。
「ふーん、へえー、悩んでるわけ?その如何わしい、下劣で、卑猥で、品性の欠片も感じられない無駄に大きな脂肪の塊について」
 背伸びしてティファニアの両胸を鷲掴みにして、エルザは目を鋭く細める。
「そ、そこまで言わなくても……」
「なによ?やっぱり気に入ってるのかしら?いらないなんて言っておいて、やっぱり無くしたら困るっていうの?とんだ傲慢女ね。卑劣としか言いようがないわ」
「わ、わたし、いらないなんて……」
 全力で揉みしだかれている部分について反論しようとティファニアは口を開く。
 しかし、それをエルザの怒号が遮った。
「黙れ小娘!!」
「ひっ!?」
 見た目だけなら確実にエルザのほうが小娘なのだが、滲み出る威圧感はそれを指摘させないだけの重圧をティファニアに与えていた。
 きゅっ、とエルザの手がティファニアの胸の先端を摘み、絞るように力が籠められる。
「ひゃう!エルザちゃん、い、痛い……」
「黙れと言ったはずよ!それに、こっちは心が痛いんだから、おあいこよ!」
「ううぅ……」
 意味の分からないエルザの剣幕に負けて、ティファニアはただ胸を揉まれ続けた。
 右乳を攻めたかと思えば、次は左乳を攻め立て、それに飽きると両方を捏ね繰り回す。そこに容赦の二文字は存在しなかった。
 なんだか変な気分になってきたティファニアを余所に一頻り揉み終わったエルザは、満足気に息を吐き出して手に残る感触に頬を緩めると、次の瞬間には絶望に表情を満たしてガックリと地面に膝を突く。
 攻め続けていたはずなのに、エルザの心には敗北感だけが満ちていたのだ。
「ふ、ふふ……、前に揉んだときに分かってはいたのよ、その乳の持つ魔性にはね。でも、でも……、悔しいっ!憎くて嫉ましいはずなのに、また揉みたいと思ってる自分が居るわ!」
 拳を握り、悪魔の如き誘惑から必死に逃れようとする。
 だが、両手に感じた幸福感は紛れも無く現実のものだった。
 余韻の一つですら、エルザのささくれた心を癒すのだ。ティファニアの乳は、もはや人類の希望と言い換えてもいいのかもしれない。
 始祖ブリミルだって、こんな奇跡は作り出せはしないだろう。
「女すらも虜にする魔性の、いや、神秘の乳。恐るべし!」
 将来が未知数であるエルザですら、この乳には勝てないと確信が持てた。
 コレに誘惑されたなら、生涯忠誠を誓ってもいいかもしれないとさえ思う。神と名乗られれば、思わず崇め奉るだろう。
 これ以上無いくらいに完敗だった。
「ちくしょー!やっぱり一割寄越せー!!」
「きゃあぁぁぁっ!」
 涙目でティファニアに飛びついたエルザは、その感触を堪能するべく、地上の奇跡に顔を埋めてグリグリと首を振る。
 それらの行動は全て人目のある道中で行われていることで、道を行き交う人々はティファニアとエルザのやり取りに顔を赤くしたり腰を屈めたり、ハァハァ言ったりしていた。現代日本なら、間違いなく公然猥褻罪で逮捕されるだろう。見学している人々が。
「え、エルザちゃん!ひ、人が見てるから!」
「だからなによ!その程度で、この幸せを逃すと思ってるの!?逃がすやつは馬鹿よ!馬鹿以外の何者でもないわ!」
 ティファニアの胸にしがみ付いたままそんなことを豪語するエルザも、十分に馬鹿だろう。
 だが、馬鹿は他にも居た。
「まったく、同意見だぜ。この感触は捨て難いよなあ?」
「ほ、ホル・ホースさんっ!?」
 いつの間にか接近していたホル・ホースが、エルザごとティファニアを抱き締め、腕の中の感触にニヤニヤと笑みを浮かべる。
 ティファニアの胸とホル・ホースの胸板にサンドイッチにされたエルザの顔がリンゴのように真っ赤に染まり、幸せそうな笑い声が洩れ始めた。
「こ、これは天国かも……」
「そのままあの世に行ってくれると助かる」
 ティファニアを抱き締める力を強めたホル・ホースが、エルザの頭をティファニアの胸に無理矢理押し付け、呼吸を塞ぐ。程無くして息苦しさからエルザが暴れ始めるが、顔と背中の両方の感触からも逃れ難く、抵抗も全力ではなかった。
 やがてビクビクと痙攣を始め、四肢がだらりと下がったのを確認したホル・ホースは、幸せそうな顔で気絶しているエルザを抱き抱えた。
「ウチのガキが迷惑かけたな」
 ヒヒ、と笑って特に悪びれた様子も無く言うホル・ホースに、ティファニアはぼうっとその顔を見詰める。
 その視線に気付いて、ホル・ホースは口の端を吊り上げると、顎に手を当てて顔の角度をつけた。
「ん、どうした?オレに惚れちまったか?」
「惚れっ!?い、いいえ、違うんです!そういうんじゃなくて、なんていうか……」
「……はっきり否定されるのも傷つくぜ」
 力が抜けて頭を傾けたホル・ホースに、ティファニアは自分が酷いことを言ってしまったのかと右往左往して、すぐにホル・ホースがニヤニヤと笑っていることに気付いた。
「あ、か、からかったんですね!?もうっ、ヒドイですよ!」
「ヒッヒッヒッヒッヒ!いやあ、こんな単純な手に引っ掛かるから、こっちもからかい甲斐があるんだよ。んー、嬢ちゃんはこの腹黒吸血鬼と違ってカワイイなあ」
 頬を赤くして柳眉を逆立てたティファニアの頭を、ホル・ホースは笑いながら掻き混ぜるように撫でる。
 金糸のような癖の無い細い髪が乱れて、ホル・ホースの指先に絡まった。
「で、なんだ?本当のところは」
「えっ?」
 思わず聞き返して、ティファニアは自分がホル・ホースの顔を見詰めていたことを言われているのだと直ぐに理解した。
 手を持ち上げて、視線を左手の中指に嵌められた指輪に向ける。
 台座にはもう、かつてあった青い石の姿は無い。瀕死の重傷を負った少年の治療で、残っていた力を全て使い切ってしまったのだ。
 恐る恐る、指輪からホル・ホースへと視線を戻して、顔色を窺う。
 血色は良い。騒ぐだけの体力もある。さっき体を抱き締められたときには、痛いほどの力も感じた。
「……いえ、なんでもない、です」
 心配は、きっと杞憂だったのだ。
 こんなにも元気な人が死に掛けているなんて、考えられない。
「……まあ、そういうことにしとくか。だが、そう暗い顔してたら、せっかくの美人が台無しだぜ?スマイルだ、スマイル」
 顔を俯かせて視線を落としてしまったティファニアに、ホル・ホースは指で自分の口を横に伸ばすと、ニッ、と笑みを作る。
 戸惑いながらも、それを真似して口元を指で伸ばしたティファニアは、なんで人目のある往来で笑顔を作る練習をしているのかと疑問に思い、唐突に可笑しくなって笑い始めた。
「よーし、それでいい。影があるのも悪く無いが、良い女はやっぱり笑ってるのが一番だ」
 ヒヒ、と笑って、またティファニアの頭を撫でる。
「なんだか子ども扱いされてる気がします……」
 少しだけ不満そうに、しかし、頭や髪に触れる大きな手の感触に目を細めて、ティファニアは口元をちょっとだけ曲げた。
「そう拗ねるなよ。なんだったら、大人扱いしてやってもいいぜ?」
 軽薄な笑みを浮かべたまま、ティファニアの頭に置いていた手を肌を撫でるように滑らせて顎先に移動させ、指先でくいと上に向けさせる。
 顔と顔が向かい合う角度を作ったホル・ホースは、いつに無く表情を引き締めると、そのままティファニアに近付いて、息遣いが聞こえるほどの距離で視線を絡ませた。
「アルビオンじゃ、こういうことの知識は無かったみてえだが、こっちに来てから色々と教えてもらってるんだろ?なら、これからすることも、分かるよな?」
「え……?え、ええ、あの、その、あぅあぅぅ」
 顎に添えられた指のせいで、頷くことも出来ないティファニアは、視線をあちこちに向けて言葉にならない声を控えめに洩らす。心臓はドキドキと鳴り響き、両手はどこに置いていいのか分からずにバタバタと動いていた。
「嫌なら拒めばいい。だが、そうしないのなら……」
 徐々に、本当にゆっくりと近付いてくるホル・ホースの顔を、ティファニアは直接見ることが出来ず、瞼を強く閉じて、訪れる感触を待つだけになる。
 嫌なのか、良いのか、どちらともはっきり判断が出来ないし、このまま流されるのも悪いことのような気がして、何をすればいいのか分からない。
 ああ、でも、タルブ村の若い女性達の話を聞くと、こういうときはちょっと強引な流れにも乗るのが正しいとか、なんとか。勢いに飲まれてやっちゃっても、大体何とかなるらしい。
 自分より少しだけ年上のジェシカという女性の話を思い出して、ティファニアは覚悟を決める。
 全身が熱くなり、耳の先まで赤くなっていることが分かる。
 義姉さん、わたし、大人の階段を上ります。
 本人が聞いたらブチ切れ間違いなしの言葉を祈るように胸に浮かべて、ティファニアはプルプルと震えながらその時を待った。
 待った。
 待ち続けた。
「……?」
 いつまで経っても訪れない感触。
 不思議に思ったティファニアは、薄目を開けて様子を窺う。すると、帽子を押さえてニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべたホル・ホースが一歩離れたところでこちらを見ていることに気が付いた。
 その表情から全てを悟ったティファニアは、緊張に固まった体を小刻みに震わせて羞恥と屈辱となんともいえない甘酸っぱい感情に鼻の奥を熱くした。
「わ、わたし、またからかわれたんですか……?」
 目元に涙を浮かべて、普段の気弱な印象をさらに深める情けない表情になる。
 頬を一杯に膨らませたホル・ホースは、そこで耐え切れなくなったのだろう。大口を開けて盛大に笑い始め、ヒィヒィ言いながら自分の太ももを激しく叩き鳴らした。
「なんでそんな……、ヒドイですよ!」
「わ、わりぃ、ぶ、ぶふ、ぶっひゃっひゃっひゃっひゃ!と、途中で止めようかと思ってはいたんだがよ、く、クックック、なんだかスゲェ必死な顔してたから……、うわっはっはっはははは!」
「むうぅぅぅ」
 純情な乙女心を弄ぶ行為に抗議するように、ティファニアは笑い続けるホル・ホースの胸を両手で叩く。
 勿論、非力なティファニアではホル・ホースに痛みを感じさせることなど出来ず、必死の抵抗がむしろ気分を高めて、笑いを一層に強めさせていた。
「ヒィーヒッヒッヒッヒッヒ!体固めて、目閉じて、プルプル震えてやんの!顔真っ赤にしてよ!ぶあっはっはっはっはっは!!」
「そ、そんなに笑うこと……」
 あまりにも派手に笑い続けるホル・ホースの姿に、段々惨めな気持ちになってきたティファニアは、段々と泣きたくなってくる気持ちを抑えられなくなり、ぽろぽろと涙を溢し始める。
 鼻の奥にあった熱さがじわりと広がって、全身の力が抜けていった。
 そのまま蹲って泣き出してしまいたい。
 そう思ってしゃがみ込もうとするティファニアを、ホル・ホースは片腕で抱き止め、先ほどと同じように顔を近づけて、卑屈さの無いシンプルな笑みを口元に浮かべた。
「からかったのは悪かったと思ってる。だが、考えても見ろよ。あのままだと、本当にキスをしちまうところだったんだぜ?嬢ちゃんは、そっちの方が良かったのかい?」
 誘うように問いかけて、ホル・ホースはティファニアの返事を待つ。
 ここでキスをしたかったと答えることなど、小心者のティファニアには出来ない。だからといって嫌だったと言えば、今の結果は望んだものということになり、泣く理由がなくなってしまう。
 ティファニアには、選択の余地の無い問いかけだった。
「そ、それって卑怯ですよ」
「卑怯で結構。女に泣かれるよりはずっとマシだぜ。まあ、OKだったってんなら、今からでも続きをしようかと思うんだが……」
 ヒヒ、と笑うホル・ホースに、ティファニアは涙を引っ込めて手を突き出す。
 ホル・ホースの胸を押して遠ざけたティファニアの返答は、NOであった。
「こういうことは、もっと順序立ててするべきだと思うんです。その、わたしはホル・ホースさんのことをあまり知らないですし、お互いを良く知ってからというか……」
「ああ、なるほど、良く分かった。だが、そういうことはベッドの上で語り合うもんだ。というわけで、その辺の物陰にでもゲェっ!?」
 ベッドと言っておきながらティファニアを暗がりに引き込もうとするホル・ホースを、小さな手が遮った。
 喉を抉る拳は、ホル・ホースの胸元から伸びていた。
「人が気絶してるのをいいことに、なに他の女口説いてるわけ?」
 鋭く目を細め、吸血鬼の牙を隠すことなく剥き出しにしたエルザが、今度はホル・ホースの左頬を抓り上げる。その逆を、背後から伸びてきた別の手が掴み、捻じ切るように引っ張った。
「ティファニアに手を出したら殺すって、前に言わなかったかい?」
 目を覚ましたエルザと、いつの間にか背後に現れたマチルダが、ティファニアに接近するホル・ホースを攻撃したのだ。
「いで、イデデデデデ……!」
「まったく、目を放すとすぐコレなんだから」
「節操の無いその下半身、一回くらい潰しておいた方が良さそうだねえ?」
 嫉妬に頬を膨らませるエルザと杖を取り出して冷笑を浮かべるマチルダに、ホル・ホースはじっとりと浮かんだ冷や汗で肌が冷たくなるのを感じる。
 下手に動くのは無謀だろう。今動けば、命がいくつ合っても足りない。
 感情的になった女には逆らわない。それが、ホル・ホースの人生哲学の一つであった。
「あら?潰すのは困るわ。一応、わたしが使う予定があるんだけど」
「そりゃあ、いったい何十年後の話だい?使用期限を越えて予約しても、意味なんかないと思うけどねえ。変に種を蒔かれるよりは、いっそのことココで潰しちまうのが世の為ってもんだと思わないかい?」
 ホル・ホースの肩口から後ろを覗き込んだエルザとマチルダの視線が絡み、その間に白く火花が散る。
 ちょっと変則的だが、修羅場である。男が手を出せる世界ではない。
 どちらに味方することも出来ずにただ固まるしかないホル・ホースを、ティファニアは、ぽかん、と見上げて、不意に小さく笑いを洩らした。
 クスクスと笑うティファニアをばつの悪い顔で見下ろして、ヒヒ、とホル・ホースも情けなく笑う。
「だから、わたし達を無視するなー!」
「んぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁ!?」
 マチルダとの睨み合いを終わらせたエルザが、楽しそうなティファニアとホル・ホースの様子に牙を剥く。
 首筋に噛み付き、いつものように血を吸い始めたエルザと、痛みに悲鳴を上げるホル・ホース。その隙を逃さず、マチルダもホル・ホースのつま先を憎々しげに踵で何度も踏みつける。
 そんな光景に何故か暖かいものを感じたティファニアは、堪えきれなくなった笑いに、苦しげにお腹を抱えたのだった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

記事メニュー
目安箱バナー