ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

11 戦場へ行く者、離れる者 中編

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匿名ユーザー

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「お、おごっ……」
 死後硬直するかのように、ホル・ホースの肉体が僅かに跳ねる。気を失っていても痛みはあるのか、顔の形は苦悶に歪んでいた。
 その体を両手で押さえつけたエルザの頬が、だらしなく緩む。
「んく、んく、ん……。ぷはっ!やっぱ、この味よねぇ。たまんないわあ」
 口元に残る血の滴を袖で拭って、エルザは舌に残る不思議な甘さに恍惚とした表情を浮かべる。
 処女の生き血も捨て難いが、好意を持った相手の血も格別だ。舌触りや香りではなく、血に混じる絶妙なクセが病み付きになる。
 この瞬間だけは吸血鬼をやっていて良かったと、エルザは臆面も無くはっきりと言えた。
「驚いたな……、本当に吸血鬼だったのか」
 案の定ちょっとでは止まらず、もう一度ホル・ホースの首筋に噛み付こうとしたエルザの姿を見つけた女性が、両手に抱えた藁編みのバスケットを揺らして目を丸くしていた。
 剣と銃とを腰に据えた鎧姿の人物は、エルザがトリスタニアで出会ったアニエスだ。
「あら、信じてなかったのかしら?」
 とりあえず、もったいないからとホル・ホースの首筋に滲んだ血を舐め取ったエルザが、わざとらしくそれを飲み込んで薄く笑みを浮かべる。
 吸血鬼らしさを演出しているつもりのようだが、だらしなく緩んだ頬は甘い果実ジュースを飲んでいる子供と大した違いは無かった。
「半々と言ったところだな。妄想癖のある早熟な子供である可能性も捨てきれなかったのが本音だ」
 笑みに笑みを返して、アニエスはバスケットを足元に置いた。
「しかし、本当に吸血鬼であるというのであれば、これを持ってきた甲斐があったというものだな。前は見なかったが、随分と頼もしそうな仲間を連れているようだし」
 ちら、と地下水を見てから、アニエスは籠の上にかかった白い布を取り払う。
 焼きたてのパンの香ばしい匂いに混じって、焼いた肉と果物の香りが辺りに立ち込めた。
「おお、豪勢じゃねえか」
「地下水、アンタは草で十分でしょ。大人しく雑草を食べてなさい。雑草を。……それよりも、ただの差し入れ……、なんて都合の良い話じゃなさそうね?」
 貴族の食卓でしかお目にかかれないような香辛料を多く使われた上等な食事を前に、エルザの警戒心が強まる。
 つい先程までのように口の不快感や空きっ腹がそのままなら、欲望のままに飛びついていたかもしれない。しかし、ホル・ホースの命と引き換えに少しでも腹を満たしたエルザは、冷静にものを考えられるだけの余裕を持つことが出来ていた。
 アニエスは交渉に来ている。それも、今回の戦争の件に関係する話だろう。一介の兵士である彼女が戦場に居ることに不自然は無いが、傭兵達の集まる場所に足を運ぶとしたら、考えられる可能性は多くない。
 一歩引いた態度のエルザに、思惑を悟られたのだと察したアニエスは、どうせ話すことだと考えて気楽に構えた。
「こっちの用件はだいたい分かってるみたいだから、簡潔に言おう。わたしの指揮する部隊は人手不足でね……、おまえ達を傭兵として雇いたい」
 腹の探り合いをするつもりは無さそうだと、エルザはアニエスの言葉に肩の力を抜いて彼女の足元を見る。
「ということは、それは前金のつもりかしら。こんな戦時の、しかも下っ端の兵隊が貰えるようなお給金じゃあ、それを手に入れるのは大変だったでしょう?」
「そうでもない。食い物に関しては今のところ我が軍は困窮してないからな。多少、財布がいたい思いをしていることは認めるが、これを報酬に含めるつもりは無い」
 安月給であるにも関わらず、上等な食事とは別に報酬を出すという。
 随分と太っ腹なことだが、それが余計にエルザの警戒心を高め、手を出すことを躊躇させた。
「じゃあ、わたしたちを頼る理由は?言っておくけど、少々割高よ?」
 周囲には傭兵が履いて捨てるほど居る。顔見知りだからこその信頼というのもあるが、戦に出てくる傭兵なんて使い捨てが基本だ。互いに信頼する必要なんて、さほど無い。
 あるとすれば、金を前提とした信頼。
 そういう意味では、エルザたちに固執する理由は無いはずだった。
「話さないと、ダメか?」
「アンタのくれた銃、全然役に立たなかったもの。その詫びとでも思いなさいな」
 トリスタニアでの一件にて、ドレスを汚された代償として旧式を一丁横流ししてもらったのだが、何一つ成果を出せずに使い捨てることになったのだ。その分を多少追加請求しても罰は当たらないだろう。
「だから、訓練しなければ銃は使い物にならないとあれほど……。まあいい、話そう」
 銃を渡すときに何度も繰り返した苦言を口にして、アニエスやこめかみに指を当てると、疲れたように頷いた。
「私情で悪いが、わたしはどうしても出世がしたい。出世して、やりたいことがある。で、今回は実験部隊が前線に出される滅多と無い機会なんだ。急な戦でライバルも少ない。手っ取り早く手柄を上げるには、お誂え向きの舞台というわけさ。……だから、失敗はしたくない」
「身銭を切ってでも強力な仲間が欲しいってわけね」
「そんなところだ」
 ふうん、と色の無い息を漏らして、エルザは一先ず納得したとばかりに頷き、おもむろに喉を鳴らした。
「私情の部分に関しては、話してもらえないのかしら?」
「悪いが、プライベートだ。そもそも、人に話すような内容じゃない」
 訊いた途端に表情を硬くしたアニエスの様子に、エルザは手を軽く振って口を閉ざす。
 どうやら、訊いてはいけないことのようだ。女でありながら戦場に出ることを臨むのも、なにか関係があるのかもしれない。
 深く追求した所で不興を買うだけだと判断したエルザは、訊くことはコレで終わりだと言うと、腰に手を当てて胸を反らした。
「悪いけど、その話は断らせてもらうわ」
 興味のあることだけ訊くだけ訊いて、即座に断ずるエルザに、アニエスは呆気に取られながらも理由を尋ねた。
「戦場なんて危険だらけの場所に入り込んだら、命が幾つあっても足らないもの。自分の命が一番。お金も、食べ物も、家も、食事も、衣服も、ご飯も、命あってのものでしょう?」
「……なるほど」
 言いながら、アニエスはその場で屈み、ぱたぱたと手で扇いでバスケットの周囲に漂う匂いをエルザに向ける。
 桜色の唇の端から、涎が出ていた。
「じゅる……、ごくり。ハッ!?ひ、卑怯よ!それをしまいなさい!」
「なるほどなるほど。コレが効くわけか」
 食欲を刺激する香りが鼻先をくすぐる度、エルザのお腹が大きな音を響かせる。
 摘み食いをした分は全て吐き出したし、胃液も一緒に吐いている。今のエルザの腹の中に納まっているものといえば、一口だけ飲んだホル・ホースの血ぐらいなものだ。
 僅かに満たされていた空腹感は、少量の血に比例した短い沈静期を終わらせ、再び精神との均衡を崩してエルザの本能に対して甘い誘惑をかけている。それを読み取ったアニエスの攻撃は、容赦というものを知らなかった。
「ほら。どうだ?良い匂いだろう?食べてもいいんだぞ?なんなら、追加だって持ってきてやるぞ?」
「ぐっ、うぅ……、ダメよエルザ!誇り高い吸血鬼がそんな……、食べ物に誘われて命を危険に晒すなんてみっともないことを……!」
 垂れ落ちる涎を飲み込み、高らかに歌う腹の虫を手の平で押さえつけ、前進しそうになる足を根性で止める。しかし、瞳はバスケットの中身にロックオンされて、もう食欲に敗北寸前であった。
 エルザが精神的に崖っぷちに立っていることを確信したアニエスは、好機と見て畳み掛けるように追加報酬について話し始める。
「放浪生活は今でも続けているのか?一所に留まらない生活は中々疲れるだろう?出世が上手くいったら、雇用費とは別に静かに暮らせるような場所に家を用意しよう。貴族が暮らすような大きな屋敷は無理だが、そこそこの家なら何とかなる。お前にだって、傭兵家業なんて殺伐とした世界とは別に、なにかやりたいことの一つもあるだろう?そこの保護者と二人で、仲良く平穏な生活をしてもいいじゃないか」
「ふ、二人?二人っきりで、一つの家で仲良く?そ、そそ、そんな、卑猥なこと……!くうううぅぅぅ……、なんて魅力的な……!」
 酒の切れたアルコール中毒者や煙草の切れた喫煙中毒者のように、目は血走り、全身を小刻みに震えて唸り声を上げる。
 心に残る僅かなプライドだけを支えに、エルザは欲望と戦っていた。
 そんな時、二人の間に若い女性の声が割って入った。
「今の話は本当かい?」
「ん?……あなたは」
 背後からかけられた声にアニエスは振り返り、少し長めに切ったボブカットの女性の姿を目に映す。緑色の髪をした女性の背後には、沢山の子供や痩せ細った女性を背負った青年、それに、大きな杖を握った青髪の少女や老人が列を作って立っていた。
 バスケットの中身に夢中のエルザは気付くことなく、代わりに地下水が声を上げた。
「お、マチルダの姉御じゃねえか。シャルロットの姐さんも一緒だし……、そんな大所帯連れてどうしたんだ?」
「……そういうアンタは、なんてもん食ってんだい。こっちは、さっき軍の連中の面倒な話が終わった所だよ。で、クソッタレな要求を蹴り飛ばして逃げてきたのさ」
 地下水の言葉に答えたマチルダが、苛立ちを隠そうともしないで道端に唾を吐く。
 後ろに居たティファニアが行儀が悪いと窘めるが、あまり聞いている様子ではなかった。
「で?手助けすれば、住処の手配をしてくれるんだろ?」
「いや、それは……」
 エルザ達だけに向けた条件だと言おうとして、アニエスは女の腰に差された杖を見つける。
 メイジだ。それも、多分かなりの使い手。
 アニエスの脳裏に一瞬、復讐の二文字が浮かぶ。しかし、アニエスはそのイメージを頭を振ることで打ち消すと、頼りになる人材だと考え直して口を開いた。
「金は、あまり多くは出せないぞ」
「それでもいいさ。面倒の無い場所に住処を用意してくれるならね」
 交渉成立だと言って、マチルダはアニエスの手を取り、適当に握手をする。
 それが終わると、すぐにウェールズの寝ている木に寄りかかって、ブツブツと罵詈雑言を並べ立てた。
「その様子じゃ、ティファニアの嬢ちゃんを引き渡せとでも言われたみたいだな?」
 エルフは王家の、始祖の敵だ。軍がハーフエルフの存在を知って放っておくはずが無い。
 地下水が即興で立てた推測だったが、マチルダが更に機嫌を悪くして蹴ってくるということは、九割方正解だったのだろう。
 アニエスの提案に乗るのも、軍に目を付けられたティファニアを静かな土地で休ませたいという願いなのかもしれない。
「わたしも、家が居る」
「は?」
 アニエスにシャルロットが話しかけ、マチルダと同じように家の手配を求めている。
 眠っているオルレアン公夫人を背負ったカステルモールが横に入り、それならば自分が家を用意すると言い出しているが、監視が付けられている人間には頼めない、と拒否されていた。
「なんだ、シャルロットの姐さんもか?」
「政治の道具にはなりたくない、だとさ。一応、アストンってタルブの領主は、ガリアから落ち延びてきた貴族でも受け入れるって言ってたけど、元王族って知られればややこしいことになるからねえ。……ティファニアの件でも世話をかけてるし、悪いことをしたよ」
 家の用意が出来ないならシャルロット様の代わりに戦う、と息巻くカステルモールに困った顔をするシャルロットやペルスランの様子を見ながら、マチルダは少しだけ表情を暗くする。
 ティファニア達をタルブの村に受け入れてもらえるように交渉したのは、カステルモールとペルスランだ。そのティファニア達が問題を起こせば、責任が回ってくるのは当然。タルブの領主の保護を受けなかったのも、タルブの村人達に自分たちがどう見られているかを気にしたからだろう。そういう意味では、家を奪ったのはマチルダやティファニア達と言えなくも無い。
 病み上がりのシャルロットに変わってカステルモールが参戦することが決まり、いったい幾つ家を用意すればいいのかと、今から胃にストレスを溜め込み始めたアニエスを眺めた地下水は、人間の難儀な生き様に溜め息を吐いて、反芻した雑草を胃の中に移動させた。
「まあ、適当に頑張ってくれや。うちはお嬢が乗り気じゃねえみてーだから、この話はこれで終わりだ」
 戦場では何が起きるか分からない。
 その意見に賛同している地下水としては、金や家よりも命が惜しい。ウェールズの意見を聞く気は無いし、ホル・ホースは気絶しているために意見を言える立場に無い。
 よって、エルザと地下水が反対に二票を入れて、晴れてアニエスとの交渉は決裂に至った。
 筈だった。
「それにしちゃあ、随分と張り切ってるみたいだけど」
「なに?」
 欠伸をしながらマチルダが指を差した先に意識を向けて、地下水はそこで餓鬼のようにバスケットの中身を貪る幼女の姿を見た。
「はむっ!んぐんぐ、あぐ。んんっ。クハッ!」
 パンを齧り、肉を噛み千切り、果物を咀嚼する。
 人々に恐れられた吸血鬼は、ただの欠食児童に成り果てていた。
「お、おい、お嬢。いいのか?それ食っちまって」
「もぐもぐもぐもぐもぐもぐ……、んぐ。……ほに!?」
 恐る恐る声をかけた地下水の気配に、口の中に詰め込んだ分を全て飲み込んでからエルザは気付いた。
 手の付く肉の脂やパンのカス。滴る果物の果汁。そして、程好い満腹感。
 はっきりと残る証拠を前に、エルザは自分が我慢しきれずにやらかしたことを悟った。
「は、嵌めたわね!」
「そう思うなら、食べるのを止めろ」
 バスケットの中の肉の塊を口に運んだエルザに、アニエスの冷たい視線が突き刺さった。
 じっとりとした自業自得を責めるような目があちこちから向けられている。まったくの部外者であるはずの傭兵達まで、遠巻きに生暖かい目でエルザを見ていた。
 沈黙する空間。
 それを打ち破ったのは、中心に立つエルザであった。
「こ、ここ……、こんな美味いものを目の前にして、我慢出来るかーッ!」
 もしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃもしゃ……
 逆切れしておいて尚、エルザは食べることを止めようとはしない。空腹期間が長いことに体が危機感を覚えて、これを機会に食べ溜めようとしているようだった。
「しかし、食べたということは、雇われることを了承してくれた、と考えていいのかな?」
「ふがっ!?」
 ジャムをたっぷりと乗せたパンを切れ端を口の中に詰め込んだエルザの動きが、アニエスの台詞を聞いて固まった。
 目だけを動かして覗き込んだバスケットの中には、今し方使い切ったジャムの瓶と果物の皮が転がっている。後は食べカスばかりで、もう食べ物は残ってはいなかった。
「まさか、食べ尽くしておいて今更、断る、なんて言わないよな?」
 アニエスがニヤリと笑うのを見て、エルザは咀嚼中のパンを飲み込んで肩をガックリと落とす。
 我慢の利かない自分の腹が、この時ばかりは心底憎かった。
「う、うぅ……、やればいいんでしょ、やれば」
 了承が得られたことで、アニエスは満面の笑みを浮かべてエルザの両手を握る。
 こうしてエルザ達は、アルビオンによるトリステイン侵攻という、歴史の一幕を飾る出来事の端に名を連ねることとなったのだった。


 風の音を耳に聞いて、暗い場所にあった意識が持ち上がる。
 最初に感じたのは寒さだった。
 背中が心許無く、感じられるはずのものが感じられない。隙間風に晒されているかのような感覚だ。瞼の向こうは青色が広がっていて、暗いような明るいような、なんともいえない色が透けて見えている。
 徐々にはっきりとしてくる意識に導かれて目を開いてみれば、そこには鮮やかな青い鱗に覆われたシルフィードの背中があった。
「んん?なんで俺……」
 体を起こして、才人はぼんやりとする頭を振る。
 寝起きだからかもしれないが、しっかりと物事を考えられるほどに意識は鮮明さを取り戻してはくれない。曇りガラスを通して世界を見ているような気分だった。
 その感覚のまま顔を上げて最初に見つけたのは、白いローブの背中だ。土汚れに血の跡が少しばかり混じるそれは、コルベールのものである。
 しかし、頭頂部の禿げが、何故か薄い髪に覆われていた。
 自分の肌に合う発毛剤でも見つけたのだろうか?それにしても、伸びるのが早い気がする。
 シークレットブーツという商品は、靴の底を定期的に人に気付かれない速さで厚くしていくことで身長が伸びたように錯覚させる手法がとられている。コルベールの頭も、その方法を転用して、徐々にカツラへと移行しているかもしれない。
 本人は禿げを気にしているのだろう。なら、それを指摘するのは男のやることではない。
 才人の起き出した気配を感じてコルベールが振り返った時には、既に才人はコルベールの頭部に関する情報を胸の内に封じていた。
「おや、目が覚めましたかな?ふむ。しかし、医者の話では極度の貧血だそうですから、眠気は残っていると思いますが……、あまり無理はしないように」
「医者?あ、そういえば、背中が痛くない」
 コルベールの言葉を聞いて、才人は背中に手を回し、自分の肌を少し無理な体勢で触れてみる。普通なら邪魔になるはずの衣服は、斬られたり焼かれたりで穴だらけになっていて、捲り上げる必要さえ無かった。
 普通の肌と少し感触が違うのは、火傷の跡が残っているからだろう。魔法でも、既に形が安定してしまった部分は治しようが無いようだ。しかし、斬られた分の傷は綺麗に治り、触れても痛みが走るようなことは無かった。
「その分では、とりあえず怪我については良さそうですな。さて、避難の間に気を失ったとだけ聞いているので子細に詳しくはありませんが……、どこまで覚えておりますかな?」
「え?えーっと、タルブの南の森?から移動を始めて、シルフィードに乗って……」
 そこで才人は言葉を止める。
 アルビオン軍の竜騎士隊との戦いが終わってから、避難を始めて以降の記憶が無いのだ。
 キュルケ達と合流したあたりで曖昧になった記憶は、繋ぎ合わせたように今に直結していた。
「記憶は、そこで途切れてる」
「では、聞いたままのようですな。ならば、学院に到着するまで時間もあることですし、少しだけ説明をさせて頂きますぞ」
 そう言うコルベールに才人は頷いて、背後を一度振り返った。
「……眠ってる」
「長旅で疲れていたのでしょう。最後は風邪を引いて、戦争にまで直面している。暫くは眠らせてやってください」
 才人の後ろに並んで、キュルケ、モンモランシー、ギーシュ、それにマリコルヌが瞼を閉じて寝息を立てている。少し寒いのか、キュルケの下敷きになっているフレイムやギーシュの抱き枕と貸したヴェルダンデが、モンモランシーやマリコルヌの抱擁による圧迫を受けて窮屈そうにしていた。
「タバサとシエスタは……?」
「ああ。二人はミス・ロングビル同様、家族が心配だということで現地に残りましたぞ。元々ミス・シエスタは休暇でタルブに帰省する予定でしたし、タルブには、ミス・タバサのご家族やミス・ロングビルの妹君も滞在なさっていたそうですからな」
 本人達からはもっと細かな事情まで聞いているが、その内容からあえて詳細を語らずに、コルベールは学院に帰還するはずの三人が居ないことだけを告げた。
「でも、戦争が始まったんだろ?じゃなくて、始まったんですよね?なら、安全な場所に連れて行かないと……」
 年上で教師でもあるコルベールに対する口の利き方を少しだけ修正して、才人は友人の安否を気遣う。それに対して、コルベールはどこか寂しげな表情で口を開いた。
「残念ですが、ご家族までシルフィードで運ぶ余裕はありません。それに、この国にはもう安全な場所などありませんよ。……軍は、背水の陣を決めているようですからな」
 ラ・ロシェールで見た難民の避難を二の次とした行動を思い出し、コルベールは少しばかり表情を苦くした。
「背水の陣って、後が無いって奴ですよね?なんで!?戦争はまだ始まったばかりじゃないですか!」
「始まったばかりですが、主要な軍艦を全て失ってしまった。さらに港であるラ・ロシェールまで奪われれば、トリステイン軍は空に対して無防備になります。そうなれば、後はもう敵の思うがままでしょう」

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