「な、何なんだね、いったいぜんたいこの有様は!!!」
顔を茹蛸のように赤くして、コルベールは怒鳴り声を上げた。
まあ、考えてみれば当たり前だ。
春の使い魔召喚の儀でも使われるここ、トリステイン学院第一演習場は、
シュトロハイムと七体のワルキューレが長時間殴りあった影響で、
ちょっとした鎮圧戦が行われた後のような惨状を曝け出していた。
写真を撮って、『残虐非道なるソ連軍による無差別爆撃の跡』と題名を
つけても、何の違和感もないほどだ。
「いったい、どうして、というよりもどうすれば、グラウンドをここまで
ボロボロに出来るんだね! たしかにここは授業が行われていない時間帯に
自由解放されているが、あくまで共用の場所なのだよ!!
言いなさい、何があったのか!」
「私が、魔法でけんかを止めた」
その場に残っていた数人の生徒と一人の使い魔が顔を見合わせている間に、
パタリと本を閉じたタバサはなんとも不十分すぎる説明を行った。
ハルケギニアのドイツ軍人
第五話 貴族
「タバサ君……いや、ミス・タバサ。
つまりこの惨状は、君の仕業だということかね!?」
「……そう」
コルベールの問いに、タバサが頷く。
ちがう、と、口を挟もうとするシュトロハイム――だが、声が出ない。
見れば、ギーシュも同様らしい。
水槽から出された金魚のように、口をパクパクさせている。
呆れたように、大きく息を吐くコルベール。
もう一度、穴だらけになった演習場へと視線を移す。
破壊されたベンチ。陥没した地面。ああ、まるで戦場跡だ。
散らかされた学院演習場の光景に、20年前に見たある村
――いや、村だった場所が、コルベールの中でかぶさり合う。
ダングルテール――何もかもが燃えた場所。
何もかもを燃やしたその記憶を、コルベールは首を強く振ることで
頭の隅へと追いやる。
自分を見つめる、タバサの瞳。
感情を外へと透過させない、蒼く深く沈んだ双眸。
「いいかね、ミス・タバサ」
頭部全域を占領しつつあるでこを左手で撫でつけつつ、コルベールは口を開いた。
「君の魔法は強力だ。それはたしかに、すごいことなのかもしれない。
だが真に重要なのは、魔法の強さではない。使い方だ」
タバサのことを見下ろし、続ける。
「うまく使えさえすれば、魔法は様々な価値あるものを創り生み出すことができる。
だがひとたび使い方を誤れば、そこにあるのは破壊だけ
――それでは、あまりにも寂しすぎる。
創造と破壊、双方を可能にするこの力を持っているからこそ、
我々は『貴族』と呼ばれる。
『貴族』であるからこそ、我々は有する力をより正しく、
より創造的な方法で使っていかなくてはならない。
ちがうかね?」
「………………」
タバサは、答えない。
ルイズやキュルケは何かを言おうとするものの、開いた口からは声が出ない。
「たしかに、君がその力をどのように使うかは君の自由だ。
私がそれをあれこれ言うのは、もしかしたら差し出がましいことなのかもしれない。
だがしかし、ミス・タバサ。このグラウンドに振るわれているのは、
純然たる暴力でしかない。
貴族のすることではないよ」
コクリと小さく、タバサが頷く。
それを了承と受け取って、お説教はここまでとばかりにコルベールは顔を上げた。
「それにしてもまったく、派手にやったものだ。
今日はここでの授業は無理か。まあ私も、若い頃は多少の無茶はやったものだが……
タバサ君!」
「はい」
「君には、あとでここの片付けをやってもらう。
ただし罰として、魔法の使用を禁止する。いいね?」
「はい」
「よろしい。ああ、今は早く午後の授業へ向かいたまえ。
どうせ今日は使えないのだから、片付けは明日の朝までに済ませておいて
くれればいい。一年生ソーンクラスの諸君、今日の武芸の授業は場所を変更して行う。
第3演習場のほうに集合してくれたまえ」
集まりだした一年生たちを引き連れて立ち去るコルベール。
彼が去ってしばらくして……
「「「「ップハー!!!」」」」
タバサを除くその場に残っていた全員の口から、
時が再び動き出したかのように音が漏れ出す。
「なんだ、今のは!?」
「『サイレント』の魔法――他者に沈黙を強要する」
目を真ん丸と見開いたシュトロハイムの疑問に答え、タバサは演習場に背を向けた。
「ま、待てタバサ!」
そのまま立ち去ろうとした彼女を、ギーシュ・ド・グラモンが呼び止める。
「なぜあんなことを言った? 庇ったつもりなのか!?」
「そうよ。あなたが使った魔法なんて、最後の一回だけじゃない」
キュルケも、不満そうな顔で言う。
「どう考えたってこの惨状の原因はあなたじゃなくてあっちの二人でしょ。
なのにあんなこと言って……どうしてコルベールの言うことに、はいはい素直に
頷いちゃうのよ?」
「面倒くさかったから」
タバサの返答は、やはり簡潔すぎる一言だけ。それがキュルケには気に入らない。
「だからってあることないこと、黙って受け入れればいいってわけじゃないでしょ。
そういう態度だから、ミスタ・コルベールに上手いこと利用されちゃうのよ。
知ってるんだからね、あいつが自分の研究用資料の収集整理とか、
私用雑用であなたをこき使っていること」
「ええ、そうなのかい!?」
驚きの声を上げたのはギーシュ。
ああ、そういえばさっきもコルベールの研究室前で彼女とはすれ違ったなと、
シュトロハイムは思い出す。
「あれは、好きでやっていること」
タバサは静かに呟いて、演習場を後にする。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
まったく納得できない顔でキュルケがタバサを追いかけて、
ギーシュや残っていた他の生徒たちも午後の授業の教室に向う。
ただルイズは彼等に続かずに、
演習場を、自分の使い魔とギーシュによる決闘の跡を振り返る。
「少し、派手にやりすぎたか?」
グラウンドを見つめるルイズに、シュトロハイムは声をかけた。
「ええ、明らかにね」
使い魔の問いに、ルイズは溜息混じりで答える。
「ミスタ・コルベールが怒るのも無理ないわ」
使い魔を、呆れ顔で見上げる。
シュトロハイムは、そのゴーレムさえ砕く鋼鉄の腕で決まりが悪そうに頭を掻く。
「悪かったな」
「謝るのは私にじゃないでしょ。それに、負けるよりはよっぽどましよ。
でも少しでも悪いと思っているんなら、これからは少し控えて頂戴」
グラウンドに背を向け、ギーシュやキュルケの後を追う。
授業は、もう始まっているかもしれない。
ルイズの後ろに数歩送れて、シュトロハイムが続く。
「自覚しなさい、私の使い魔としてふさわしい行為はなんなのか
……いいえ、それが無理ならあなた自身としてでもいいわ。
ミスタ・コルベールの言う通り、
公共の場を滅茶苦茶にするこんな『決闘』をするのは、貴族として恥ずべき振舞いよ。
そしてそれは、あなたの誇りにふさわしい行為?」
「……ああ、分かった。自重しよう」
主人の言葉に、頷く使い魔。それを見たルイズは、ほっとしたように息を吐いた。
ルイズは――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、
未だ初等魔法すら満足に扱えない言わば学院の落ちこぼれである。
魔法資質の有無により統治者と被統治者を隔てるここハルケギニアという世界では、
そのことが表す意味はことのほか大きい。
だがそれゆえ、彼女は貴族らしさ、貴族にふさわしい立ち振る舞いといったものに
異常なまでに気をかける。
魔法で己を誇示できない彼女には、自らの行動を通してでしか貴族であることを
示すすべがないからだ。
物心つく以前から、ヴァリエール家の三女として教え込まれた様々な所作。
教わるまでもなく見て学んだ、父母姉たちの背中。
育った環境、あるいは生まれとでもいうべきそれらがルイズの中に生み出したのは、
自分が貴族であるという強烈なまでの自覚。
そしてその『自覚』だけが、今のルイズを『貴族』と規定する全てだ。
だから、『自覚』は譲らない。ルイズは譲ることができない。
魔法を使えないことに加えて貴族としての心を失ったなら、
本当に貴族ではなくなってしまうから。
彼女にとってそれは、自分そのものを否定する行為だから。
そのような彼女の考え方は、使い魔シュトロハイムに対する態度にも表れている。
シュトロハイムの持つ狂信的なまでのドイツ軍人としての『誇り』。
それはルイズの持つ『貴族』としての『自覚』と、決して異質のものではない。
だから彼女は、『誇り』を理由としたシュトロハイムの決闘を認めた。
よって彼女は、コルベールの言う『貴族らしい行為』をシュトロハイムにも求めた。
ゆえに彼女は、使い魔以外の何かとしてシュトロハイムを
無意識のうちに認めつつあった。
無論そのことを、ルイズ自身は気付いていない。
むしろ無自覚ながら、あえて気付かないようにしている節すらある。
使い魔を使い魔以外の何かと認識するなどということ自体が、
ルイズにとっては全くもって貴族らしくない振る舞いだからだ。
どこか嬉しそうに、しかし嬉しそうな自分にこれっぽっちも気付くことなく、
ルイズは教室へと向う。彼女から一歩だけ遅れて、シュトロハイムも後に続いた。
午後に入って最初の授業は、歴史学だった。
トリステイン『魔法』学院といえど、学ぶものは魔法だけではない。
貴族としての教養を身につけるためのこういった教科も、少なくない数が
入れられている。そしてそれはタバサにとって、退屈この上ない時間だ。
約二百年前に発生したトリステイン・ゲルマニア間国境線決定戦争の勃発原因など、
既に数種の書物で読み、細部にわたるまで熟知している。いつも通り教師の講義を
聞き流しながら、タバサは先ほどのコルベールの言葉を思い出した。
――大事なのは、魔法の強さではなく使い方。
――貴族ならば、より創造的な方法で魔法を使わねばならない。
「なら私は、貴族として不適格」
「ん、なんか言った、タバサ?」
漏らした呟きを聞きつけた友人が、振り返る。
首を横に振って彼女に答え、しばらく前からページのめくられていない分厚い本へと
視線を戻す。
キュルケは首を傾げつつも、講義を続ける教師に睨まれ渋々と前に向き直った。
そのことを確認し、タバサは安堵の息を吐く。
キュルケが今の自分の内心に踏み込まないでくれたことに、
彼女は自分でも驚くほどにほっとしていた。
本に顔を伏せたまま、考える。目は本の一点に固定され、文字を追っていない。
ただいつも通りを装うため、本で顔を隠しているだけ。
何故そうするのか、何故そうしなければならないのかは、
タバサ自身にも分かっていない。
心が、沈んでいる。理由も無く。
いつも携帯している本を、どうしてか今は読む気が起きない。
当たり前のことを、当たり前のこととして再認識しただけなのに。
力を――魔法を、正しく使えと言う先生。
だけど私は、私の力を正しく使いたいと思っていない。
私がしたいのはただ一つ。
『復讐』――父を殺し母を貶めた伯父のことを殺すこと。
その目的のためならば、どんな手段も厭うつもりはない。
その目的に必要なのは、純然たる暴力だけ。
分かりきっていることだ。
とっくの昔、母が倒れたあの時に、既に覚悟を固めたことだ。
揺るぐ余地などどこにもない、これはタバサを――シャルロット・エレーヌ・オルレアンを、彼女たらしめている絶対的な要素。
だから私は、貴族ではない。貴族らしくは、あることができない。
私の魔法は、何かを作るためにあるのではない。
ただ、壊すためだけにある。
人々の上に立ち、彼等を正しく治めるためにあるのではない。
ただ自分の欲するまま、仇を屠るためだけにある。
父を殺し、母から表情と言葉を奪った伯父が憎い。
それが私の、力を磨く理由。
私は貴族などではない。復讐者――そして殺人者。
――それは、あまりにも寂しくないかい。
脳裏に浮かんだコルベールの顔が、少し困ったように言った気がした。
それを打ち払うために、タバサは少し強く頭を振るう。
どこか思いつめたような友人の様子を、彼女の一つ前の席に座っているキュルケは、
教師と彼女に気付かれないよう、だがしっかりと見つめていた。
「全くもってのう、コルホーズ」
「……コルベールです」
学院長オールド・オスマンによる呼称を、コルベールが訂正する。
が、その声には覇気はない。というか、明らかにしょぼくれている。
「ほんに、おぬしらしくないぞい、フローベール」
「…………コルベールです」
俯き加減のコルベールを、オスマンは院長席に腰掛けたままネチネチといじめる。
隣に控えた妙齢の女性、オスマンの秘書であるミス・ロングビルは、
その鋭利そうな冷眸で、黙って二人を見つめていた。
学院長室であるこの部屋は、オスマンと彼を補佐するロングビルの仕事場所である。同時に学院の長であるオスマンとの、面談室としても用いられている。
午後の授業が終わった現在は、後者の用途で使用されている。
ここに呼び出される理由は、大きく分けて三つ。
事務連絡,褒賞,叱責――今回のコルベールの場合は、言うまでもなく三つ目。
昼休み中に起きた第一演習場壊乱についての彼の沙汰に、誤りがあったことが
判明したためだ。
「なーにが『貴族であるからこそ』じゃわい!
ろくに事実を確かめもせずに生徒に罰則を与えるなど、
貴族としても教師としても失格じゃぞい!」
『線』としか形容しようがなかった両目をクワと見開いて、怒鳴りつけるオスマン。コルベールは恥じ入ったように、俯いたままだ。
場の空気を破るように、ロングビルがオスマンに湯呑みを差し出す。
それを手にしてズズーとすすり、目を再び『線』に戻したオスマンは
よっこいしょっと椅子に座りなおす。
「タバサがああいった類の問題を起こす生徒なのかどうかは、
目を掛けとるお主が一番よう知っとることじゃろうにのう」
「それは……」
「違う、とは言わせぬぞい。
自分の研究の手伝いをさせる振りして散々えこひいきしとるくせに。
なんじゃ、気付いてないとでも思っとったのか?
昼に持ってきたルイズの使い魔のルーンについての報告も、
彼女に調べさせたものじゃろうが。年寄りだからといって、舐めるでないわ!」
コルベールがタバサに目を掛けているのは、オスマンの言う通り事実である。
とはいっても彼の贔屓の仕方とは、莫大な量の研究資料の収集整理を理由とした
学院極秘書庫閲覧許可だったり、王宮の魔法衛士隊でさえ真っ青になりかねない
ほど難易度の高い授業外課題の出題であったりと、同情されることはあっても
うらやましがられることは決してない類のものばかりなのだが。
「まあ別に、それを改めよとは言わん。
出来の良い生徒が気に入るのは、誰だって同じじゃい。
じゃがコルベール、
目を掛けておるからこそ、お前さんのタバサに対する態度がわしは気に入らん。
お前、タバサを二十年前の自分に重ねとるんか?」
「――!!」
オスマンの言葉に、コルベールはほんの一瞬だけ、今までとは全く別種の色を
瞳の中に宿らせる。
「……やはり、そうじゃったか」
コルベールが覗かせたのは、闇に沈んで身を汚し全てを擦り切らした元軍人としての顔。
ふむ、と髭を撫でたオスマンは、湯飲みに残っていたお茶を飲み干す。
「すまんがロングビル、厨房から新しい茶を貰って来てくれい。
沸かしたてのお湯を使った、思いっきり熱いやつじゃ」
「分かりました、オールド・オスマン」
お茶なら入れたてのものがまだ部屋にある。
わざわざ厨房までいかせるのは、あからさまな人払いだ。
無論それを承知して、ロングビルはおとなしくオスマンに従う。
一礼して、部屋を出る――
その直前に一瞬だけ、氷のように冷たい瞳をコルベールへと向けて。
彼女が去ったのを確認し、オスマンは溜息を一つ。
「おぬしもほとほとに阿呆じゃのう」
「言われなくても、分かっていますよ」
心底呆れたような、それでもどこか暖かいオールド・オスマンの言葉に、
コルベールは底暗い自嘲の笑みで答えた。
「分かってはいます。ですが、恐いんですよ。
自分が教えているのは何なのかを考えると。
私は人殺しです。底に沈んだ澱にまみれた、どうしようもない屑のような存在です。
なのに今はあなたに拾われ、ここで他人に魔法を教えている
――私が人を屠るために使ってきた技術を、他の人間に伝授している。
技術だけならば、いいでしょう。でもどうして、そう言い切れます?
技術だけでなく使い方まで――人の効率的な殺し方まで、
教えていないと言い切れますか?」
コルベールの双眸が、天井を見上げる。コルベールの両手が、震えている。
思い出しているのだ、昔を。
その手でどのように杖を握り、
その口でどのような呪文を唱え、
目でどれくらいの死を見取り、
足でどれほどの惨地の上を踏み躙り歩いてきたのかを。
「壊すことに耐えられなくなって、私は軍を抜けた――逃げ出した。
でもその逃げた先でも、私は魔法を教えている。
人殺しである私が、人を殺すことに使える技術を伝えている。
それは結局、昔の私と同じ存在をたくさんつくり出しているだけなのではないのか
――そう考えると、恐くて恐くて居ても立ってもいられなくなる。
だから私は、私の教えた魔法が誰かを傷つけるために使われることが
絶対にないように……」
「このッ、馬鹿者が!」
俯き続けるコルベールに、オスマンが杖を振るう。
――『レビテーション』。
机に載っていた辞典が浮遊、コルベールの禿頭を直撃する。
「お主は自分がどうして阿呆なのかも理解しておらぬ大阿呆ものじゃ!!!」
オスマンは声に明確な怒りを込めてコルベールのことを怒鳴りつけた。
「お主、わかっちょるのか!?
貴様の言っちょることは貴様の生徒に対する明確な侮辱じゃぞい!」
「……は?」
よろめきつつ額を押さえたコルベールが、顔を上げる。
オスマンの厳しい眼差しが、彼を射抜く。
「確かに魔法は、人を殺すためにも使える技術じゃ。
おぬしの教え子の仲にも軍に入り、お前さんの教えた魔法で人を殺すものも
出るじゃろう。じゃがそれは、お前さんの責任ではない。
いや、責任であってはならんのじゃ。
この学院で習得した魔法を、いかに使うか。その結果として何を得、何を失うか。
それは全て、そやつ自身の問題じゃ。
魔法を使ったことによる、喜び、悲しみ、嘆き、楽しみ、
それらは全てそやつ自身の所有物じゃ。
それを否定するということは、そやつの意思を、そやつの選択を、
しいてはそやつの生きるという行為そのものを否定するということじゃぞい!!」
オスマンの言うことは、正論だ。
生徒の人生は生徒のもの。いくら教師でも、それに干渉することは許されない。
だが――
「ですが、ならば我々はなんなのですか!?」
オスマンの瞳を見つめ返し、コルベールは問うた。
「ならば我々は、いったいここで何をやっているんですか?
生徒に責任を持つことを許されず、ただただ技術の伝授のみを行う。
それが教師の仕事なのですか」
「そこまでは言っちょらんわい」
オスマンが、院長席から立つ。その視線が、窓の外に向けられる。
「伝えるものを、魔法の使い方だけにしろなどとは誰も言うちょらん。
おぬしには他にも、お前さんにしか教えられんことが仰山あるじゃろう。
かつておぬしが行ったこと、そのときおぬしが感じたこと、
そしてその結果として、今ここにいることを選んだ理由。
その経験は、必ず生徒たちの糧となる」
「それは……」
「生徒と向き合え。必要なら、おぬしの全てを伝えてやれ。
あのタバサという生徒の事情は、わしもよう知っとる。
じゃが、あの娘も間違いなく貴族じゃよ。じゃから恐れずに伝えてやれ。
しかし、束縛はするなよ。伝えたものをどう受け取り、どのような道を選ぶかは
あくまでも生徒自身の意思によるべきじゃ。それを束縛する権利は、
わしもお前も持たんわい」
「それで本当に、彼女は……彼等は正しい道を選ぶことが出来るのでしょうか」
「選んだ道の正誤を決めようとするのは、傲慢というものじゃ。
それを決めることが出来るのは、本人だけじゃよ。
しかしまあ、おぬしも本当に心配性じゃのう。そんなんじゃから禿げるんじゃい」
「秘書のスカートの中身しか心配事のないボケ老人になるよりは何倍もましですよ」
「くくく、言いおる」
ようやく調子を取り戻したコルベールの反撃に、オスマンもニヤリと笑みを浮かべる。
「まあ、大丈夫じゃろうて。ここの学院の生徒は、みな貴族じゃ。
それは両親が貴族だからではない。魔法が使えるからでもない。
この学院におるから、人の上に立つにふさわしい、貴族たるに足る人間になるんじゃ。
もちろんそれは、お題目にすぎん。じゃがわしもここの学院長として、
そのお題目が少しでも真実に近づくよう努力しとるつもりじゃで。
それに、見てみい」
オスマンが手を上げ、杖を振るう。
その動きに反応して、部屋のすみに置いたあった姿見が動く。
「生徒っちゅうもんは教えた通りには決して育たんが、
時には教えたもの以上の成長を見せてくれるものじゃ。
おぬしの生徒たちは、お前さんが思っているよりずっと立派にやっとるわい」
二人の前に移動した姿見――『遠見の鏡』の内部には、
ギーシュとシュトロハイムが決闘で滅茶苦茶にした演習場が映し出されていた。
「……よいしょ」
小さな掛け声と共に、タバサはゴミ捨て場の横に手押し車を降ろした。
車に載せられているのは、演習場のベンチ残骸。
修理の仕様がないほどに粉砕されているそれを、ゴミ捨て場の中に移す。
普段なら『レビテーション』を使ってすぐ済む作業だが、
魔法の使用を禁止されている今は手作業で行うしかない。
それなりに時間がかかるし、抱えた残骸のささくれが腕に当たって痛い。
片付けを始めたのが午後の授業の跡だったせいで、既に日は傾いている。
小柄なタバサの体では、一度に運べる残骸の量もせいぜいベンチ一台の半分まで。
壊れたベンチは三台なので、あと五回はここゴミ捨て場と演習場を
往復しなくてはならない。
「面倒」
一声だけ感想を漏らし、空になった手押し車を再び押して足早に演習場へ。
急がないと、暗くなってしまう。壊されたベンチの横に車をつけようとするが、
肝心のベンチが何故か見当たらない。
夕焼けで赤く染められた演習場に奔らせたタバサの目が、ほんの少しだけ見開かれた。
「これは運んでおくぞ。お前は皆とグラウンドの補修を頼む」
鋼鉄の腕を持つ使い魔が、ベンチ2.5台分の残骸をたった一人で抱えている。
「タバサ!
ベンチはシュトロハイム君に任せて、こっちはグラウンドの補修を先にやっちゃおう」
ワルキューレが叩きつけられたことでできた穴を、
薔薇を胸に挿した男が塞ごうと躍起になっている。
「どうして……」
手押し車をその場に置き、タバサが尋ねる。
「コルベールはお前に、ここの片付けを命じた。
だが俺に、その手伝いを禁じてはいない」
抱えた残骸をゴミ捨て場へと運びつつ、シュトロハイム。
「それに女性に自分の後始末を押し付けるなんてことは、
グラモン家の家訓に反するしね」
わざわざ立ち上がってポーズを決めて、ギーシュ。
「友達でしょ」
「使い魔の責任は、主人の責任よ」
演習場の奥からは、キュルケとルイズがグラウンド整備用の鋤を
人数分だけ持ってきた。
「ほら、暗くなる前にさっさと終わらせちゃいましょ」
素早く鋤を各人に配ると、キュルケはその場を取り仕切る。
「まずは大きい穴から処理していくわよ。
破壊されて錬金が解けたワルキューレの土で埋めていきましょう。
私とタバサで土を運ぶから、ギーシュ、あんたが埋めなさい。
ルイズは、ベンチの残骸の取り残しを処理して」
「全く、なんでツェルプストーの人間が命令することになってんのよ。
これももとはといえばあの使い魔が……」
不機嫌そうにぶつくさ言いつつ、従うルイズ。
タバサも、渡された鋤を握る。
「でも、もう食事の時間」
キュルケと共同して土を運びつつ、日の位置でおおよその時間を確認して問うた。
寄宿制であるこの学院は、生活スケジュールの締め付けもそれなりに厳しい。
特に朝夕の飯の時間は厳格に定められている。
そろそろ食堂に出向かなくては、夕飯を食べ損ねてしまう。
食い溜めが出来る体質の自分はともかく、他の者たちにはきつい筈だ。
「大丈夫、手は打っておいたわ」
だがタバサの言葉を聞いたキュルケは、顔に大きな笑みを浮かべて答える。
彼女がそう言うのなら、きっと大丈夫なのだろう。
「それはそれとしてねえタバサ、あのルイズの使い魔って結構かっこいいと思わない?」
こちらの意味は、よく分からないが。
「これでよし、と。さて次は……」
「シュトロハイムさん!」
「ん?」
ベンチの残骸をゴミ捨て場まで運んだシュトロハイムは、
シエスタに呼ばれて振り返った。
「あ、あの、先ほどは……申し訳ありませんでした!」
抱えたお盆を離さずに、器用に頭を下げる。
「生意気言って、それに最後まで案内せずに、勝手に厨房に戻ってしまって」
「謝るようなことではない。
だいたい頭というものは、本当に下げるだけの価値がある時のみ下げるべきだ」
責任感の強さからか、よもすれば自虐的になりがちなシエスタにやんわりと釘を打つ。
「それはそうと、何をやっているのだ?」
「ああこれは、ミス・ヴァリエールとミス・ツェルプストーに頼まれまして
皆様のお食事を。決闘の後片付けがあるから、今日は外で食べると」
「ほう!」
シエスタの持つ盆の上に載るのは、箱に詰めた貴族用夕食。
なるほど、上手く考えたものだ。
これならば演習場の片付けで夕食を食べ損なうこともない。
「シュトロハイムさんの分もありますよ」
「それはありがたい。だが、食事は貴族用のものではないのか」
「はい。ですが、ミスタ・グラモンの分が不要になりましたので」
そう言って、クスリと笑いを漏らすシエスタ。チラリと、後ろに目を向ける。
彼女の視線を追ったシュトロハイムが目にしたものは、
――バチッッイ!!
飛び交う火花と、
――ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド
――ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ
地獄のそこから響いてくるような種類の異なる二つの効果音。
より写実的に書くならば、自作弁当を胸に抱き、互いに視線を交錯させつつ、
いそいそとシエスタに続くモンモランシーとケティ。いつの時代でもどこの世界でも、
手料理が異性の好感度を上げるためのイベントアイテムだという事実が
変わることはないようだ。
「なるほど、あれなら必要ないな」
だが効果音の発信場所が、シュトロハイムは何故か気にかかる。
「あの二人が持っているのは……」
「皆さん! お食事をお持ちしました!」
演習場についたシエスタがお盆を降ろした。
それをきっかけに演習場の片付けは一時中断。
食膳配列を行ううちにシュトロハイムの頭からも浮かんだ懸念は消える。
「ハーイ、シュトロハイム。ワインはいかが?」
食事に手をつけようとしたシュトロハイムのグラスを、キュルケが手に取る。
そのグンバツなボディーを押し付けるようにして、脇による。
「うむ、いただこうか」
さしたる動揺も見せずにシュトロハイムは頷く。
召喚される前の地位が地位だっただけに、このような場面での立ち振る舞いは
さすがに板についている。赤ワインが注がれたグラスに口をつけ、
箱詰めにされた料理と共に味わう。どちらも、上物だ。おまけに隣には、
少々齢が若すぎるのが難点だが酌をしてくれる女性。
このような形の食事は、いったい何ヶ月ぶりだろうか。
スターリングラードに残してきた部下に、僅かながらも罪悪感を感じる。
祖国ドイツに対する忠誠を、今再び誓う。
沈みかけた夕日と昇りつつある二つの月に目を細め、グラスの残りを一気に飲み干す。
「あーらシュトロハイム、なかなかいい呑みっぷりじゃない」
空のグラスを振るったシュトロハイムの促しに応じ、
キュルケが二杯目を注ごうとする、が、
――カーン!
別のワインボトルを手にしたルイズが、インターセプト。
「うちの使い魔に、勝手に飲ませないでくれるかしら?」
「いいじゃないの別に。
素敵な殿方を目にしたらお酌ぐらいして差し上げたくなるのは、
女としての嗜みではなくって?」
目を吊り上げたルイズを、キュルケがからかうように笑う。
「それともまだお子様なあなたには、
こんな気持ち『理解不能! 理解不能! 理解不能!』というわけかしら?」
「なっんですってー! 言ってみなさい、私の、ど こ が お子様なのよ!!!」
「主に胸」
即答であった。
顔を真っ赤にしてルイズが、その後方では無表情でタバサが、
よくよく目を凝らさないとふくらみを確認できない自身の胸部を両手で押さえる。
ルイズが、怒鳴りつける。キュルケが、やり返す。
自然と放って置かれる形になったシュトロハイムは、二人の生み出す喧騒を
眺めながら自身でワインをグラスに注ぐ。
タバサは、まだ胸を押さえ続けている。
こういうのも、悪くないと思い始めたシュトロハイムの耳に、
「グヮアギャ!」
車に潰された蛙の断末魔のような物騒な声が飛び込んでくる。
先ほどのいやな予感を思い出して恐る恐る振り返ったそこには、
フォーク片手に硬直したギーシュ・ド・グラモンの姿があった。
蛇足になるのを承知の上で、あえてもう一度書かせてもらう。
『いつの時代でもどこの世界でも、手料理が異性の好感度を上げるための
イベントアイテムだという事実が変わることはない』。
それは絶対的な法則だ。
ただし、『手料理をもらう相手がギャグ属性を持たなかった場合』には。
そして悲しいかな、このスレにおけるギーシュ・ド・グラモンが
ギャグ属性体質であることは、『ルイズが魔法を唱えると爆発が起こる』くらい確実だ。
では、『ギャグ属性保有者』にとっての『異性が作ってくれた手料理』が
一体どんなものであるかというと
……これを読んでいる方になら、わざわざ説明する必要はないであろう。
ここから先は、幾つかの事実を列挙するに留める。
大富豪の家のお嬢様であるケティは、おかゆの隠し味に『ついうっかり』油と
間違えてキッチン用の中性洗剤を入れてしまうような『料理センス』の持ち主だった。
ポーションマニアであり健康オタクでもあったモンモランシーの『ヘルシー料理』は、
健康を気にするあまり味は全く度外視されていた。
そして二人とも、『料理の味見をする』などといった癖は持ち合わせておらず、
しかし心の底からギーシュのためだけを思ってその料理を作った。
――ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド
――ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ
地獄のそこから響いてくるような効果音を放つのは、ケティとモンモランシー
――ではなく、二人の手料理が詰められた箱。
蓋が、開けられる。
中に広がる『小宇宙』と『亜空間』。
――ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド
――ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ
響き渡るその音に全く気付く様子もなく、ケティとモンモランシーは箱を差し出す。
「これ、私が作ったんです。美味しくないかもしれないけど……」
「はい、ギーシュ。どうせあんたのことだから、お腹空かしてるんでしょ」
――時に男には、貫かねばならない意地がある――
ギリシアの史家ではないが、多分きっと偉いかも知れない人の言葉だ。
そして今こそが、ギーシュ・ド・グラモンにとっての『時』!!
『モンモランシーの手料理』。『ケティの手料理』。
両方食べなくちゃならないのが二股野朗の辛い所だな。
覚悟はいいか? 僕は――出来ている!!!
震える手で、フォークを握る。
ケティの『なんだかはよく分からないが飲み物や食べ物では確実にない何か』を
隠し味に使っているオムレツを刺し取る。
モンモランシーの『疣蛙の卵と紫ヤモリのハシバミ草包み焼き、
マンドラコラソース添え』を掬い取る。
それを口の中に運んだ瞬間
「グヮアギャ!」
演習場に響き渡ったギーシュの奇声を、ケティとモンモランシーが何故
『あまりの美味しさに感激して思わず漏れてしまった声』と解釈することが
出来たのかは、恐らく永遠の謎である(いや、だってほら、恋は盲目っていうし)。
「なんか、騒がしくなっちゃったわねぇ」
自分のグラスにワインを注ぎつつ、キュルケは周りを見回す。
ギーシュの断末魔が、演習場に響く。食事を続けるシュトロハイムの横で、
ルイズが自分のほうを向いて狼さながらの唸り声を上げている。
隣では、タバサが黙って料理を胃へと収めている。
空いたワインボトルや弁当の箱を、片付けて回っているシエスタ。
ほとんど沈んだ日に変わり、二つの月と無数の星が演習場を照らし出す。
タバサが、動かし続けていた手を止める。空になった弁当箱を、シエスタが回収。
他のものたちも、ほとんど食べ終えているようだ。
キュルケもまた、箱の中に残っているのは鶏肉一切れとサラダ少々。
それを口に放り込み、ワインと共に飲み込む。
「ごちそうさま。それじゃあ、またそろそろ始めますか」
彼女に続き、ルイズとシュトロハイムも立ち上がる。
破壊されたベンチの撤去は既に終了、グラウンド上に出来た穴も、
三分の一は埋め終えている。
「ん?」
先に立っていたタバサに気付いて振り向く。
顔を上げたタバサが、皆のことを見ている。
埋めなければならない穴は、残りあと約三分の二。
それを見ながら、タバサは思う。
自分だけだったならば、消灯間近までかかるだろう。
だが皆でやれば、もうすぐにでも終わるはずだ。
片付けを、コルベール先生に命じられたのは自分だけ。
にもかかわらず、何も言わなかったのに、彼等は手伝いに来てくれた。
その行為が、タバサには少し気恥ずかしく、それよりずっと嬉しかった。
コルベールの注意を受けてから午後の授業中ずっと感じていた
冷たい胸のわだかまりが、少しだけ溶けた気がした。
タバサが、頷く。
「……ありがとう」
呟くような、小声を漏らす。
だがそれは、キュルケ以外の、少し離れた位置にいたのものたちには
少しばかり小さすぎた。
82 :マロン名無しさん:2007/06/30(土) 01:13:56 ID:???
忍びは少量の毒を毎日飲んで毒の耐性をつけるという・・・
ギーシュは強くなる
「なにか言ったか?」
聞き取れなかったシュトロハイムが、問う。
タバサは少し考えて、はにかみつつ首を横にふり、
それでも今度ははっきりと口を開いて言った。
「一個、借り」
ギーシュ・ド・グラモン――ケティとモンモランシーの手料理を根性で完食、
その直後に昏睡…………再起不能?
To Be Continued…………
顔を茹蛸のように赤くして、コルベールは怒鳴り声を上げた。
まあ、考えてみれば当たり前だ。
春の使い魔召喚の儀でも使われるここ、トリステイン学院第一演習場は、
シュトロハイムと七体のワルキューレが長時間殴りあった影響で、
ちょっとした鎮圧戦が行われた後のような惨状を曝け出していた。
写真を撮って、『残虐非道なるソ連軍による無差別爆撃の跡』と題名を
つけても、何の違和感もないほどだ。
「いったい、どうして、というよりもどうすれば、グラウンドをここまで
ボロボロに出来るんだね! たしかにここは授業が行われていない時間帯に
自由解放されているが、あくまで共用の場所なのだよ!!
言いなさい、何があったのか!」
「私が、魔法でけんかを止めた」
その場に残っていた数人の生徒と一人の使い魔が顔を見合わせている間に、
パタリと本を閉じたタバサはなんとも不十分すぎる説明を行った。
ハルケギニアのドイツ軍人
第五話 貴族
「タバサ君……いや、ミス・タバサ。
つまりこの惨状は、君の仕業だということかね!?」
「……そう」
コルベールの問いに、タバサが頷く。
ちがう、と、口を挟もうとするシュトロハイム――だが、声が出ない。
見れば、ギーシュも同様らしい。
水槽から出された金魚のように、口をパクパクさせている。
呆れたように、大きく息を吐くコルベール。
もう一度、穴だらけになった演習場へと視線を移す。
破壊されたベンチ。陥没した地面。ああ、まるで戦場跡だ。
散らかされた学院演習場の光景に、20年前に見たある村
――いや、村だった場所が、コルベールの中でかぶさり合う。
ダングルテール――何もかもが燃えた場所。
何もかもを燃やしたその記憶を、コルベールは首を強く振ることで
頭の隅へと追いやる。
自分を見つめる、タバサの瞳。
感情を外へと透過させない、蒼く深く沈んだ双眸。
「いいかね、ミス・タバサ」
頭部全域を占領しつつあるでこを左手で撫でつけつつ、コルベールは口を開いた。
「君の魔法は強力だ。それはたしかに、すごいことなのかもしれない。
だが真に重要なのは、魔法の強さではない。使い方だ」
タバサのことを見下ろし、続ける。
「うまく使えさえすれば、魔法は様々な価値あるものを創り生み出すことができる。
だがひとたび使い方を誤れば、そこにあるのは破壊だけ
――それでは、あまりにも寂しすぎる。
創造と破壊、双方を可能にするこの力を持っているからこそ、
我々は『貴族』と呼ばれる。
『貴族』であるからこそ、我々は有する力をより正しく、
より創造的な方法で使っていかなくてはならない。
ちがうかね?」
「………………」
タバサは、答えない。
ルイズやキュルケは何かを言おうとするものの、開いた口からは声が出ない。
「たしかに、君がその力をどのように使うかは君の自由だ。
私がそれをあれこれ言うのは、もしかしたら差し出がましいことなのかもしれない。
だがしかし、ミス・タバサ。このグラウンドに振るわれているのは、
純然たる暴力でしかない。
貴族のすることではないよ」
コクリと小さく、タバサが頷く。
それを了承と受け取って、お説教はここまでとばかりにコルベールは顔を上げた。
「それにしてもまったく、派手にやったものだ。
今日はここでの授業は無理か。まあ私も、若い頃は多少の無茶はやったものだが……
タバサ君!」
「はい」
「君には、あとでここの片付けをやってもらう。
ただし罰として、魔法の使用を禁止する。いいね?」
「はい」
「よろしい。ああ、今は早く午後の授業へ向かいたまえ。
どうせ今日は使えないのだから、片付けは明日の朝までに済ませておいて
くれればいい。一年生ソーンクラスの諸君、今日の武芸の授業は場所を変更して行う。
第3演習場のほうに集合してくれたまえ」
集まりだした一年生たちを引き連れて立ち去るコルベール。
彼が去ってしばらくして……
「「「「ップハー!!!」」」」
タバサを除くその場に残っていた全員の口から、
時が再び動き出したかのように音が漏れ出す。
「なんだ、今のは!?」
「『サイレント』の魔法――他者に沈黙を強要する」
目を真ん丸と見開いたシュトロハイムの疑問に答え、タバサは演習場に背を向けた。
「ま、待てタバサ!」
そのまま立ち去ろうとした彼女を、ギーシュ・ド・グラモンが呼び止める。
「なぜあんなことを言った? 庇ったつもりなのか!?」
「そうよ。あなたが使った魔法なんて、最後の一回だけじゃない」
キュルケも、不満そうな顔で言う。
「どう考えたってこの惨状の原因はあなたじゃなくてあっちの二人でしょ。
なのにあんなこと言って……どうしてコルベールの言うことに、はいはい素直に
頷いちゃうのよ?」
「面倒くさかったから」
タバサの返答は、やはり簡潔すぎる一言だけ。それがキュルケには気に入らない。
「だからってあることないこと、黙って受け入れればいいってわけじゃないでしょ。
そういう態度だから、ミスタ・コルベールに上手いこと利用されちゃうのよ。
知ってるんだからね、あいつが自分の研究用資料の収集整理とか、
私用雑用であなたをこき使っていること」
「ええ、そうなのかい!?」
驚きの声を上げたのはギーシュ。
ああ、そういえばさっきもコルベールの研究室前で彼女とはすれ違ったなと、
シュトロハイムは思い出す。
「あれは、好きでやっていること」
タバサは静かに呟いて、演習場を後にする。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
まったく納得できない顔でキュルケがタバサを追いかけて、
ギーシュや残っていた他の生徒たちも午後の授業の教室に向う。
ただルイズは彼等に続かずに、
演習場を、自分の使い魔とギーシュによる決闘の跡を振り返る。
「少し、派手にやりすぎたか?」
グラウンドを見つめるルイズに、シュトロハイムは声をかけた。
「ええ、明らかにね」
使い魔の問いに、ルイズは溜息混じりで答える。
「ミスタ・コルベールが怒るのも無理ないわ」
使い魔を、呆れ顔で見上げる。
シュトロハイムは、そのゴーレムさえ砕く鋼鉄の腕で決まりが悪そうに頭を掻く。
「悪かったな」
「謝るのは私にじゃないでしょ。それに、負けるよりはよっぽどましよ。
でも少しでも悪いと思っているんなら、これからは少し控えて頂戴」
グラウンドに背を向け、ギーシュやキュルケの後を追う。
授業は、もう始まっているかもしれない。
ルイズの後ろに数歩送れて、シュトロハイムが続く。
「自覚しなさい、私の使い魔としてふさわしい行為はなんなのか
……いいえ、それが無理ならあなた自身としてでもいいわ。
ミスタ・コルベールの言う通り、
公共の場を滅茶苦茶にするこんな『決闘』をするのは、貴族として恥ずべき振舞いよ。
そしてそれは、あなたの誇りにふさわしい行為?」
「……ああ、分かった。自重しよう」
主人の言葉に、頷く使い魔。それを見たルイズは、ほっとしたように息を吐いた。
ルイズは――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、
未だ初等魔法すら満足に扱えない言わば学院の落ちこぼれである。
魔法資質の有無により統治者と被統治者を隔てるここハルケギニアという世界では、
そのことが表す意味はことのほか大きい。
だがそれゆえ、彼女は貴族らしさ、貴族にふさわしい立ち振る舞いといったものに
異常なまでに気をかける。
魔法で己を誇示できない彼女には、自らの行動を通してでしか貴族であることを
示すすべがないからだ。
物心つく以前から、ヴァリエール家の三女として教え込まれた様々な所作。
教わるまでもなく見て学んだ、父母姉たちの背中。
育った環境、あるいは生まれとでもいうべきそれらがルイズの中に生み出したのは、
自分が貴族であるという強烈なまでの自覚。
そしてその『自覚』だけが、今のルイズを『貴族』と規定する全てだ。
だから、『自覚』は譲らない。ルイズは譲ることができない。
魔法を使えないことに加えて貴族としての心を失ったなら、
本当に貴族ではなくなってしまうから。
彼女にとってそれは、自分そのものを否定する行為だから。
そのような彼女の考え方は、使い魔シュトロハイムに対する態度にも表れている。
シュトロハイムの持つ狂信的なまでのドイツ軍人としての『誇り』。
それはルイズの持つ『貴族』としての『自覚』と、決して異質のものではない。
だから彼女は、『誇り』を理由としたシュトロハイムの決闘を認めた。
よって彼女は、コルベールの言う『貴族らしい行為』をシュトロハイムにも求めた。
ゆえに彼女は、使い魔以外の何かとしてシュトロハイムを
無意識のうちに認めつつあった。
無論そのことを、ルイズ自身は気付いていない。
むしろ無自覚ながら、あえて気付かないようにしている節すらある。
使い魔を使い魔以外の何かと認識するなどということ自体が、
ルイズにとっては全くもって貴族らしくない振る舞いだからだ。
どこか嬉しそうに、しかし嬉しそうな自分にこれっぽっちも気付くことなく、
ルイズは教室へと向う。彼女から一歩だけ遅れて、シュトロハイムも後に続いた。
午後に入って最初の授業は、歴史学だった。
トリステイン『魔法』学院といえど、学ぶものは魔法だけではない。
貴族としての教養を身につけるためのこういった教科も、少なくない数が
入れられている。そしてそれはタバサにとって、退屈この上ない時間だ。
約二百年前に発生したトリステイン・ゲルマニア間国境線決定戦争の勃発原因など、
既に数種の書物で読み、細部にわたるまで熟知している。いつも通り教師の講義を
聞き流しながら、タバサは先ほどのコルベールの言葉を思い出した。
――大事なのは、魔法の強さではなく使い方。
――貴族ならば、より創造的な方法で魔法を使わねばならない。
「なら私は、貴族として不適格」
「ん、なんか言った、タバサ?」
漏らした呟きを聞きつけた友人が、振り返る。
首を横に振って彼女に答え、しばらく前からページのめくられていない分厚い本へと
視線を戻す。
キュルケは首を傾げつつも、講義を続ける教師に睨まれ渋々と前に向き直った。
そのことを確認し、タバサは安堵の息を吐く。
キュルケが今の自分の内心に踏み込まないでくれたことに、
彼女は自分でも驚くほどにほっとしていた。
本に顔を伏せたまま、考える。目は本の一点に固定され、文字を追っていない。
ただいつも通りを装うため、本で顔を隠しているだけ。
何故そうするのか、何故そうしなければならないのかは、
タバサ自身にも分かっていない。
心が、沈んでいる。理由も無く。
いつも携帯している本を、どうしてか今は読む気が起きない。
当たり前のことを、当たり前のこととして再認識しただけなのに。
力を――魔法を、正しく使えと言う先生。
だけど私は、私の力を正しく使いたいと思っていない。
私がしたいのはただ一つ。
『復讐』――父を殺し母を貶めた伯父のことを殺すこと。
その目的のためならば、どんな手段も厭うつもりはない。
その目的に必要なのは、純然たる暴力だけ。
分かりきっていることだ。
とっくの昔、母が倒れたあの時に、既に覚悟を固めたことだ。
揺るぐ余地などどこにもない、これはタバサを――シャルロット・エレーヌ・オルレアンを、彼女たらしめている絶対的な要素。
だから私は、貴族ではない。貴族らしくは、あることができない。
私の魔法は、何かを作るためにあるのではない。
ただ、壊すためだけにある。
人々の上に立ち、彼等を正しく治めるためにあるのではない。
ただ自分の欲するまま、仇を屠るためだけにある。
父を殺し、母から表情と言葉を奪った伯父が憎い。
それが私の、力を磨く理由。
私は貴族などではない。復讐者――そして殺人者。
――それは、あまりにも寂しくないかい。
脳裏に浮かんだコルベールの顔が、少し困ったように言った気がした。
それを打ち払うために、タバサは少し強く頭を振るう。
どこか思いつめたような友人の様子を、彼女の一つ前の席に座っているキュルケは、
教師と彼女に気付かれないよう、だがしっかりと見つめていた。
「全くもってのう、コルホーズ」
「……コルベールです」
学院長オールド・オスマンによる呼称を、コルベールが訂正する。
が、その声には覇気はない。というか、明らかにしょぼくれている。
「ほんに、おぬしらしくないぞい、フローベール」
「…………コルベールです」
俯き加減のコルベールを、オスマンは院長席に腰掛けたままネチネチといじめる。
隣に控えた妙齢の女性、オスマンの秘書であるミス・ロングビルは、
その鋭利そうな冷眸で、黙って二人を見つめていた。
学院長室であるこの部屋は、オスマンと彼を補佐するロングビルの仕事場所である。同時に学院の長であるオスマンとの、面談室としても用いられている。
午後の授業が終わった現在は、後者の用途で使用されている。
ここに呼び出される理由は、大きく分けて三つ。
事務連絡,褒賞,叱責――今回のコルベールの場合は、言うまでもなく三つ目。
昼休み中に起きた第一演習場壊乱についての彼の沙汰に、誤りがあったことが
判明したためだ。
「なーにが『貴族であるからこそ』じゃわい!
ろくに事実を確かめもせずに生徒に罰則を与えるなど、
貴族としても教師としても失格じゃぞい!」
『線』としか形容しようがなかった両目をクワと見開いて、怒鳴りつけるオスマン。コルベールは恥じ入ったように、俯いたままだ。
場の空気を破るように、ロングビルがオスマンに湯呑みを差し出す。
それを手にしてズズーとすすり、目を再び『線』に戻したオスマンは
よっこいしょっと椅子に座りなおす。
「タバサがああいった類の問題を起こす生徒なのかどうかは、
目を掛けとるお主が一番よう知っとることじゃろうにのう」
「それは……」
「違う、とは言わせぬぞい。
自分の研究の手伝いをさせる振りして散々えこひいきしとるくせに。
なんじゃ、気付いてないとでも思っとったのか?
昼に持ってきたルイズの使い魔のルーンについての報告も、
彼女に調べさせたものじゃろうが。年寄りだからといって、舐めるでないわ!」
コルベールがタバサに目を掛けているのは、オスマンの言う通り事実である。
とはいっても彼の贔屓の仕方とは、莫大な量の研究資料の収集整理を理由とした
学院極秘書庫閲覧許可だったり、王宮の魔法衛士隊でさえ真っ青になりかねない
ほど難易度の高い授業外課題の出題であったりと、同情されることはあっても
うらやましがられることは決してない類のものばかりなのだが。
「まあ別に、それを改めよとは言わん。
出来の良い生徒が気に入るのは、誰だって同じじゃい。
じゃがコルベール、
目を掛けておるからこそ、お前さんのタバサに対する態度がわしは気に入らん。
お前、タバサを二十年前の自分に重ねとるんか?」
「――!!」
オスマンの言葉に、コルベールはほんの一瞬だけ、今までとは全く別種の色を
瞳の中に宿らせる。
「……やはり、そうじゃったか」
コルベールが覗かせたのは、闇に沈んで身を汚し全てを擦り切らした元軍人としての顔。
ふむ、と髭を撫でたオスマンは、湯飲みに残っていたお茶を飲み干す。
「すまんがロングビル、厨房から新しい茶を貰って来てくれい。
沸かしたてのお湯を使った、思いっきり熱いやつじゃ」
「分かりました、オールド・オスマン」
お茶なら入れたてのものがまだ部屋にある。
わざわざ厨房までいかせるのは、あからさまな人払いだ。
無論それを承知して、ロングビルはおとなしくオスマンに従う。
一礼して、部屋を出る――
その直前に一瞬だけ、氷のように冷たい瞳をコルベールへと向けて。
彼女が去ったのを確認し、オスマンは溜息を一つ。
「おぬしもほとほとに阿呆じゃのう」
「言われなくても、分かっていますよ」
心底呆れたような、それでもどこか暖かいオールド・オスマンの言葉に、
コルベールは底暗い自嘲の笑みで答えた。
「分かってはいます。ですが、恐いんですよ。
自分が教えているのは何なのかを考えると。
私は人殺しです。底に沈んだ澱にまみれた、どうしようもない屑のような存在です。
なのに今はあなたに拾われ、ここで他人に魔法を教えている
――私が人を屠るために使ってきた技術を、他の人間に伝授している。
技術だけならば、いいでしょう。でもどうして、そう言い切れます?
技術だけでなく使い方まで――人の効率的な殺し方まで、
教えていないと言い切れますか?」
コルベールの双眸が、天井を見上げる。コルベールの両手が、震えている。
思い出しているのだ、昔を。
その手でどのように杖を握り、
その口でどのような呪文を唱え、
目でどれくらいの死を見取り、
足でどれほどの惨地の上を踏み躙り歩いてきたのかを。
「壊すことに耐えられなくなって、私は軍を抜けた――逃げ出した。
でもその逃げた先でも、私は魔法を教えている。
人殺しである私が、人を殺すことに使える技術を伝えている。
それは結局、昔の私と同じ存在をたくさんつくり出しているだけなのではないのか
――そう考えると、恐くて恐くて居ても立ってもいられなくなる。
だから私は、私の教えた魔法が誰かを傷つけるために使われることが
絶対にないように……」
「このッ、馬鹿者が!」
俯き続けるコルベールに、オスマンが杖を振るう。
――『レビテーション』。
机に載っていた辞典が浮遊、コルベールの禿頭を直撃する。
「お主は自分がどうして阿呆なのかも理解しておらぬ大阿呆ものじゃ!!!」
オスマンは声に明確な怒りを込めてコルベールのことを怒鳴りつけた。
「お主、わかっちょるのか!?
貴様の言っちょることは貴様の生徒に対する明確な侮辱じゃぞい!」
「……は?」
よろめきつつ額を押さえたコルベールが、顔を上げる。
オスマンの厳しい眼差しが、彼を射抜く。
「確かに魔法は、人を殺すためにも使える技術じゃ。
おぬしの教え子の仲にも軍に入り、お前さんの教えた魔法で人を殺すものも
出るじゃろう。じゃがそれは、お前さんの責任ではない。
いや、責任であってはならんのじゃ。
この学院で習得した魔法を、いかに使うか。その結果として何を得、何を失うか。
それは全て、そやつ自身の問題じゃ。
魔法を使ったことによる、喜び、悲しみ、嘆き、楽しみ、
それらは全てそやつ自身の所有物じゃ。
それを否定するということは、そやつの意思を、そやつの選択を、
しいてはそやつの生きるという行為そのものを否定するということじゃぞい!!」
オスマンの言うことは、正論だ。
生徒の人生は生徒のもの。いくら教師でも、それに干渉することは許されない。
だが――
「ですが、ならば我々はなんなのですか!?」
オスマンの瞳を見つめ返し、コルベールは問うた。
「ならば我々は、いったいここで何をやっているんですか?
生徒に責任を持つことを許されず、ただただ技術の伝授のみを行う。
それが教師の仕事なのですか」
「そこまでは言っちょらんわい」
オスマンが、院長席から立つ。その視線が、窓の外に向けられる。
「伝えるものを、魔法の使い方だけにしろなどとは誰も言うちょらん。
おぬしには他にも、お前さんにしか教えられんことが仰山あるじゃろう。
かつておぬしが行ったこと、そのときおぬしが感じたこと、
そしてその結果として、今ここにいることを選んだ理由。
その経験は、必ず生徒たちの糧となる」
「それは……」
「生徒と向き合え。必要なら、おぬしの全てを伝えてやれ。
あのタバサという生徒の事情は、わしもよう知っとる。
じゃが、あの娘も間違いなく貴族じゃよ。じゃから恐れずに伝えてやれ。
しかし、束縛はするなよ。伝えたものをどう受け取り、どのような道を選ぶかは
あくまでも生徒自身の意思によるべきじゃ。それを束縛する権利は、
わしもお前も持たんわい」
「それで本当に、彼女は……彼等は正しい道を選ぶことが出来るのでしょうか」
「選んだ道の正誤を決めようとするのは、傲慢というものじゃ。
それを決めることが出来るのは、本人だけじゃよ。
しかしまあ、おぬしも本当に心配性じゃのう。そんなんじゃから禿げるんじゃい」
「秘書のスカートの中身しか心配事のないボケ老人になるよりは何倍もましですよ」
「くくく、言いおる」
ようやく調子を取り戻したコルベールの反撃に、オスマンもニヤリと笑みを浮かべる。
「まあ、大丈夫じゃろうて。ここの学院の生徒は、みな貴族じゃ。
それは両親が貴族だからではない。魔法が使えるからでもない。
この学院におるから、人の上に立つにふさわしい、貴族たるに足る人間になるんじゃ。
もちろんそれは、お題目にすぎん。じゃがわしもここの学院長として、
そのお題目が少しでも真実に近づくよう努力しとるつもりじゃで。
それに、見てみい」
オスマンが手を上げ、杖を振るう。
その動きに反応して、部屋のすみに置いたあった姿見が動く。
「生徒っちゅうもんは教えた通りには決して育たんが、
時には教えたもの以上の成長を見せてくれるものじゃ。
おぬしの生徒たちは、お前さんが思っているよりずっと立派にやっとるわい」
二人の前に移動した姿見――『遠見の鏡』の内部には、
ギーシュとシュトロハイムが決闘で滅茶苦茶にした演習場が映し出されていた。
「……よいしょ」
小さな掛け声と共に、タバサはゴミ捨て場の横に手押し車を降ろした。
車に載せられているのは、演習場のベンチ残骸。
修理の仕様がないほどに粉砕されているそれを、ゴミ捨て場の中に移す。
普段なら『レビテーション』を使ってすぐ済む作業だが、
魔法の使用を禁止されている今は手作業で行うしかない。
それなりに時間がかかるし、抱えた残骸のささくれが腕に当たって痛い。
片付けを始めたのが午後の授業の跡だったせいで、既に日は傾いている。
小柄なタバサの体では、一度に運べる残骸の量もせいぜいベンチ一台の半分まで。
壊れたベンチは三台なので、あと五回はここゴミ捨て場と演習場を
往復しなくてはならない。
「面倒」
一声だけ感想を漏らし、空になった手押し車を再び押して足早に演習場へ。
急がないと、暗くなってしまう。壊されたベンチの横に車をつけようとするが、
肝心のベンチが何故か見当たらない。
夕焼けで赤く染められた演習場に奔らせたタバサの目が、ほんの少しだけ見開かれた。
「これは運んでおくぞ。お前は皆とグラウンドの補修を頼む」
鋼鉄の腕を持つ使い魔が、ベンチ2.5台分の残骸をたった一人で抱えている。
「タバサ!
ベンチはシュトロハイム君に任せて、こっちはグラウンドの補修を先にやっちゃおう」
ワルキューレが叩きつけられたことでできた穴を、
薔薇を胸に挿した男が塞ごうと躍起になっている。
「どうして……」
手押し車をその場に置き、タバサが尋ねる。
「コルベールはお前に、ここの片付けを命じた。
だが俺に、その手伝いを禁じてはいない」
抱えた残骸をゴミ捨て場へと運びつつ、シュトロハイム。
「それに女性に自分の後始末を押し付けるなんてことは、
グラモン家の家訓に反するしね」
わざわざ立ち上がってポーズを決めて、ギーシュ。
「友達でしょ」
「使い魔の責任は、主人の責任よ」
演習場の奥からは、キュルケとルイズがグラウンド整備用の鋤を
人数分だけ持ってきた。
「ほら、暗くなる前にさっさと終わらせちゃいましょ」
素早く鋤を各人に配ると、キュルケはその場を取り仕切る。
「まずは大きい穴から処理していくわよ。
破壊されて錬金が解けたワルキューレの土で埋めていきましょう。
私とタバサで土を運ぶから、ギーシュ、あんたが埋めなさい。
ルイズは、ベンチの残骸の取り残しを処理して」
「全く、なんでツェルプストーの人間が命令することになってんのよ。
これももとはといえばあの使い魔が……」
不機嫌そうにぶつくさ言いつつ、従うルイズ。
タバサも、渡された鋤を握る。
「でも、もう食事の時間」
キュルケと共同して土を運びつつ、日の位置でおおよその時間を確認して問うた。
寄宿制であるこの学院は、生活スケジュールの締め付けもそれなりに厳しい。
特に朝夕の飯の時間は厳格に定められている。
そろそろ食堂に出向かなくては、夕飯を食べ損ねてしまう。
食い溜めが出来る体質の自分はともかく、他の者たちにはきつい筈だ。
「大丈夫、手は打っておいたわ」
だがタバサの言葉を聞いたキュルケは、顔に大きな笑みを浮かべて答える。
彼女がそう言うのなら、きっと大丈夫なのだろう。
「それはそれとしてねえタバサ、あのルイズの使い魔って結構かっこいいと思わない?」
こちらの意味は、よく分からないが。
「これでよし、と。さて次は……」
「シュトロハイムさん!」
「ん?」
ベンチの残骸をゴミ捨て場まで運んだシュトロハイムは、
シエスタに呼ばれて振り返った。
「あ、あの、先ほどは……申し訳ありませんでした!」
抱えたお盆を離さずに、器用に頭を下げる。
「生意気言って、それに最後まで案内せずに、勝手に厨房に戻ってしまって」
「謝るようなことではない。
だいたい頭というものは、本当に下げるだけの価値がある時のみ下げるべきだ」
責任感の強さからか、よもすれば自虐的になりがちなシエスタにやんわりと釘を打つ。
「それはそうと、何をやっているのだ?」
「ああこれは、ミス・ヴァリエールとミス・ツェルプストーに頼まれまして
皆様のお食事を。決闘の後片付けがあるから、今日は外で食べると」
「ほう!」
シエスタの持つ盆の上に載るのは、箱に詰めた貴族用夕食。
なるほど、上手く考えたものだ。
これならば演習場の片付けで夕食を食べ損なうこともない。
「シュトロハイムさんの分もありますよ」
「それはありがたい。だが、食事は貴族用のものではないのか」
「はい。ですが、ミスタ・グラモンの分が不要になりましたので」
そう言って、クスリと笑いを漏らすシエスタ。チラリと、後ろに目を向ける。
彼女の視線を追ったシュトロハイムが目にしたものは、
――バチッッイ!!
飛び交う火花と、
――ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド
――ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ
地獄のそこから響いてくるような種類の異なる二つの効果音。
より写実的に書くならば、自作弁当を胸に抱き、互いに視線を交錯させつつ、
いそいそとシエスタに続くモンモランシーとケティ。いつの時代でもどこの世界でも、
手料理が異性の好感度を上げるためのイベントアイテムだという事実が
変わることはないようだ。
「なるほど、あれなら必要ないな」
だが効果音の発信場所が、シュトロハイムは何故か気にかかる。
「あの二人が持っているのは……」
「皆さん! お食事をお持ちしました!」
演習場についたシエスタがお盆を降ろした。
それをきっかけに演習場の片付けは一時中断。
食膳配列を行ううちにシュトロハイムの頭からも浮かんだ懸念は消える。
「ハーイ、シュトロハイム。ワインはいかが?」
食事に手をつけようとしたシュトロハイムのグラスを、キュルケが手に取る。
そのグンバツなボディーを押し付けるようにして、脇による。
「うむ、いただこうか」
さしたる動揺も見せずにシュトロハイムは頷く。
召喚される前の地位が地位だっただけに、このような場面での立ち振る舞いは
さすがに板についている。赤ワインが注がれたグラスに口をつけ、
箱詰めにされた料理と共に味わう。どちらも、上物だ。おまけに隣には、
少々齢が若すぎるのが難点だが酌をしてくれる女性。
このような形の食事は、いったい何ヶ月ぶりだろうか。
スターリングラードに残してきた部下に、僅かながらも罪悪感を感じる。
祖国ドイツに対する忠誠を、今再び誓う。
沈みかけた夕日と昇りつつある二つの月に目を細め、グラスの残りを一気に飲み干す。
「あーらシュトロハイム、なかなかいい呑みっぷりじゃない」
空のグラスを振るったシュトロハイムの促しに応じ、
キュルケが二杯目を注ごうとする、が、
――カーン!
別のワインボトルを手にしたルイズが、インターセプト。
「うちの使い魔に、勝手に飲ませないでくれるかしら?」
「いいじゃないの別に。
素敵な殿方を目にしたらお酌ぐらいして差し上げたくなるのは、
女としての嗜みではなくって?」
目を吊り上げたルイズを、キュルケがからかうように笑う。
「それともまだお子様なあなたには、
こんな気持ち『理解不能! 理解不能! 理解不能!』というわけかしら?」
「なっんですってー! 言ってみなさい、私の、ど こ が お子様なのよ!!!」
「主に胸」
即答であった。
顔を真っ赤にしてルイズが、その後方では無表情でタバサが、
よくよく目を凝らさないとふくらみを確認できない自身の胸部を両手で押さえる。
ルイズが、怒鳴りつける。キュルケが、やり返す。
自然と放って置かれる形になったシュトロハイムは、二人の生み出す喧騒を
眺めながら自身でワインをグラスに注ぐ。
タバサは、まだ胸を押さえ続けている。
こういうのも、悪くないと思い始めたシュトロハイムの耳に、
「グヮアギャ!」
車に潰された蛙の断末魔のような物騒な声が飛び込んでくる。
先ほどのいやな予感を思い出して恐る恐る振り返ったそこには、
フォーク片手に硬直したギーシュ・ド・グラモンの姿があった。
蛇足になるのを承知の上で、あえてもう一度書かせてもらう。
『いつの時代でもどこの世界でも、手料理が異性の好感度を上げるための
イベントアイテムだという事実が変わることはない』。
それは絶対的な法則だ。
ただし、『手料理をもらう相手がギャグ属性を持たなかった場合』には。
そして悲しいかな、このスレにおけるギーシュ・ド・グラモンが
ギャグ属性体質であることは、『ルイズが魔法を唱えると爆発が起こる』くらい確実だ。
では、『ギャグ属性保有者』にとっての『異性が作ってくれた手料理』が
一体どんなものであるかというと
……これを読んでいる方になら、わざわざ説明する必要はないであろう。
ここから先は、幾つかの事実を列挙するに留める。
大富豪の家のお嬢様であるケティは、おかゆの隠し味に『ついうっかり』油と
間違えてキッチン用の中性洗剤を入れてしまうような『料理センス』の持ち主だった。
ポーションマニアであり健康オタクでもあったモンモランシーの『ヘルシー料理』は、
健康を気にするあまり味は全く度外視されていた。
そして二人とも、『料理の味見をする』などといった癖は持ち合わせておらず、
しかし心の底からギーシュのためだけを思ってその料理を作った。
――ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド
――ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ
地獄のそこから響いてくるような効果音を放つのは、ケティとモンモランシー
――ではなく、二人の手料理が詰められた箱。
蓋が、開けられる。
中に広がる『小宇宙』と『亜空間』。
――ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド
――ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ
響き渡るその音に全く気付く様子もなく、ケティとモンモランシーは箱を差し出す。
「これ、私が作ったんです。美味しくないかもしれないけど……」
「はい、ギーシュ。どうせあんたのことだから、お腹空かしてるんでしょ」
――時に男には、貫かねばならない意地がある――
ギリシアの史家ではないが、多分きっと偉いかも知れない人の言葉だ。
そして今こそが、ギーシュ・ド・グラモンにとっての『時』!!
『モンモランシーの手料理』。『ケティの手料理』。
両方食べなくちゃならないのが二股野朗の辛い所だな。
覚悟はいいか? 僕は――出来ている!!!
震える手で、フォークを握る。
ケティの『なんだかはよく分からないが飲み物や食べ物では確実にない何か』を
隠し味に使っているオムレツを刺し取る。
モンモランシーの『疣蛙の卵と紫ヤモリのハシバミ草包み焼き、
マンドラコラソース添え』を掬い取る。
それを口の中に運んだ瞬間
「グヮアギャ!」
演習場に響き渡ったギーシュの奇声を、ケティとモンモランシーが何故
『あまりの美味しさに感激して思わず漏れてしまった声』と解釈することが
出来たのかは、恐らく永遠の謎である(いや、だってほら、恋は盲目っていうし)。
「なんか、騒がしくなっちゃったわねぇ」
自分のグラスにワインを注ぎつつ、キュルケは周りを見回す。
ギーシュの断末魔が、演習場に響く。食事を続けるシュトロハイムの横で、
ルイズが自分のほうを向いて狼さながらの唸り声を上げている。
隣では、タバサが黙って料理を胃へと収めている。
空いたワインボトルや弁当の箱を、片付けて回っているシエスタ。
ほとんど沈んだ日に変わり、二つの月と無数の星が演習場を照らし出す。
タバサが、動かし続けていた手を止める。空になった弁当箱を、シエスタが回収。
他のものたちも、ほとんど食べ終えているようだ。
キュルケもまた、箱の中に残っているのは鶏肉一切れとサラダ少々。
それを口に放り込み、ワインと共に飲み込む。
「ごちそうさま。それじゃあ、またそろそろ始めますか」
彼女に続き、ルイズとシュトロハイムも立ち上がる。
破壊されたベンチの撤去は既に終了、グラウンド上に出来た穴も、
三分の一は埋め終えている。
「ん?」
先に立っていたタバサに気付いて振り向く。
顔を上げたタバサが、皆のことを見ている。
埋めなければならない穴は、残りあと約三分の二。
それを見ながら、タバサは思う。
自分だけだったならば、消灯間近までかかるだろう。
だが皆でやれば、もうすぐにでも終わるはずだ。
片付けを、コルベール先生に命じられたのは自分だけ。
にもかかわらず、何も言わなかったのに、彼等は手伝いに来てくれた。
その行為が、タバサには少し気恥ずかしく、それよりずっと嬉しかった。
コルベールの注意を受けてから午後の授業中ずっと感じていた
冷たい胸のわだかまりが、少しだけ溶けた気がした。
タバサが、頷く。
「……ありがとう」
呟くような、小声を漏らす。
だがそれは、キュルケ以外の、少し離れた位置にいたのものたちには
少しばかり小さすぎた。
82 :マロン名無しさん:2007/06/30(土) 01:13:56 ID:???
忍びは少量の毒を毎日飲んで毒の耐性をつけるという・・・
ギーシュは強くなる
「なにか言ったか?」
聞き取れなかったシュトロハイムが、問う。
タバサは少し考えて、はにかみつつ首を横にふり、
それでも今度ははっきりと口を開いて言った。
「一個、借り」
ギーシュ・ド・グラモン――ケティとモンモランシーの手料理を根性で完食、
その直後に昏睡…………再起不能?
To Be Continued…………