アースガルズ戦役


アースガルズ戦役

神聖ユグドラシル帝国と神政アースガルズ首長国との間で勃発した内乱。
汎イルミンスール統一王国盟邦の条約に従い、加盟国は戦闘の経過と共にユグドラシルへと援軍を派兵。
最終的に、大陸に存在する全国家がアースガルズに対し宣戦を布告し、内乱に介入した。
この内乱に関連し、「悪魔術師の反乱」が同時期に発生しており、
「アースガルズ戦役」の最中、同国に同調する悪魔術師の存在が認められている。
そのため、しばしばこの二つの戦いを同一視する意見もある。


上級悪魔によるカーメイオン軍港への奇襲を皮切りに悪魔術師の反乱が始まる中、
帝都ファンタズムでも悪魔術師の手引きによるクーデターが発生していた。
造反した150余名の帝都防空隊および守備隊が中央地区リヴェルティアを包囲。
皇帝不在の中、突如発生したクーデターにユグドラシル兵は苦戦を強いられるも、
カーメイオンより新皇帝オットーが帝都に帰還。
元々数で優っていたユグドラシル軍は士気を回復させて劣勢を巻き返し、帝都におけるクーデターは鎮圧される。

その後、オットーは盟邦加盟国に対して声明を発する――『敵はアースガルズにあり』と。

軍港で上級悪魔の襲撃を退けた直後、カイザー・バルバロッサ艦内に同乗していた各国代表の中に
アースガルズの使者として紛れ込んでいた《深緑の使者》教団員が
オットーを抹殺しようと凶刃を振るうも、その場で取り押さえられた。
同伴していたもう一人の使者も尋問にかけたところ、父ヒルデブランドの治世に勢力を一掃された
深緑の使者教団が関与していることが判明する。
その他にも、アースガルズからの盟邦脱退宣言と宣戦布告の通達、尋問したクーデター兵から得た情報、
アースガルズ周辺国からの通信がないこと等から、
アースガルズが教団と結託し、ユグドラシルに戦乱を齎したことは自明であった。

オットー帝による声明発表後、帝都の緊急指揮所に二名の女性竜騎士
クーデター軍の司令部から逃走し、保護を求めてきた。
一人は麾下の竜騎士数騎を伴ってクーデター軍から離反し、
片やもう一人は、人質として幽閉されていたところを脱走し、手枷を嵌められたまま防具も身に付けていなかった。
この二人が齎した情報は、先のクーデター兵から得た証言とも一致していた為、
オットーは信憑性の高い情報としてこれを信用し、
敵拠点の後方撹乱と威力偵察を目的とした『黒騎士特務遊撃隊』を編成、女性竜騎士二名も作戦に志願した。
この作戦は当初の予想を上回る勝利を収め、ユグドラシル軍側の損害もほぼ皆無のまま、国内の反乱分子は殲滅される。



クーデター軍が殲滅された翌日の明朝、アースガルズ軍の第一波2000がユグドラシルの国境北部へと侵攻。
これを指揮するアースガルズ軍部隊長は進軍途中に伝令からクーデター失敗の報を受け、
当初の作戦であった複数個所への奇襲攻撃による陽動を放棄、
国境地帯に橋頭保を確保した後、後続部隊と合流した上で帝都へと侵攻する作戦を取る。

対するユグドラシル国境警備隊は一足早く戦力の増強と野戦陣地の敷設を完了させ
敵戦力の進軍妨害を目的とした抵抗を試みる。
機動力を殺されたアースガルズ軍は攻略に多大な時間を費やし、陣地を突破する頃には
ヘタイロイ、フィアナ、アロンダイトの3組織からなる混成部隊と間を置かず会敵してしまう。
アースガルズ軍第一波は陣地攻略で疲弊してしまい、この『北部国境攻防戦』は
第一波部隊が僅かにユグドラシル領内へと侵入するに止まった。


『カーメイオン海戦』より六日後、アースガルズは占領した「北方諸国」に一部部隊を駐留させ、
総勢1万5千の主力を以って、再びユグドラシル北部国境へと進軍する。
六日という猶予の間にアルカトネ公国や琅ヨトゥン王国といった東部諸国を中心とした連合軍がユグドラシルへと到着し始め、
両軍は国境地帯に広がるソリビエ草原北端にて激突した。


倍の兵力を擁するユグドラシル軍に対し、悪魔術を施されたアースガルズ軍は個の力に勝り、緒戦は優勢に戦いを進めた。
しかし、兵の統率が覚束ず、突出した部隊がユグドラシル魔術師中隊による三方からの包囲攻撃に晒され押し返されると、
盛り返したユグドラシル軍が総反撃に転じ、陣形の崩れたアースガルズ軍はやがて潰走した。
この戦いでアースガルズ軍は死傷・捕虜・行方不明合わせて3分の1の兵を喪失したが、
ユグドラシル軍もまた、緒戦で恐怖に駆られた前衛部隊に多数の犠牲を出した。
撃退したアースガルズ軍を追撃する形で進軍するユグドラシル軍は国境を抜け、占領された北方諸国の解放へと向かう。


開戦より四週間余り、日に日に戦力を増していくユグドラシル軍を前に
アースガルズは北方諸国という緩衝地帯と人質を徐々に失っていった。
北方諸国の中でも特に抵抗の激しかった『嬰ミズガルズ王国解放戦』では、アースガルズ軍将校として参戦していた教団員が
ミズガルズ王女アーニャを人質に降伏を迫るも、解放作戦に参加していた黒騎士がバルコニーの上空より突如飛来。
気を取られていた教団員は真下の広間へと突き落とされ、
同じく空中に投げ出されたアーニャ王女は黒騎士により救出された。

余談だが、黒騎士はこの功績を称えられ、戦役の後、とある吟遊詩人によって彼に捧げられたサーガ
《囚われの王女と黒の騎士》は、彼の死後も歌い継がれている。

当初の作戦にして最大の戦略目標であった皇帝の抹殺が失敗に終わった時点で、アースガルズの勝利が絶望的なことは
当のアースガルズ自身がよくわかっていた。
しかし、アースガルズの国政を掌握する教団は、そのことをさほど重大視していなかった。
彼らにとってこれは、国を隠れ蓑にしたユグドラシルへの報復であり、
この国が戦火に塗れさえすればそれで良い、と教祖エルトリウスは教団員にそう諭していた。
事ここに至り、アースガルズ軍総帥代行の地位にあった弟シャラシャーティは、兄の意向に従い長期戦の構えをみせる。

されど、教団によって国政が掌握される以前、先代首長ゼナムスの時代から忠誠を誓ってきたアースガルズ軍人の心は揺れ動いていた。
愚かと知りながらも現体制に従う者、教団勢力により追放され、現体制を打倒せんとする者、
憂国の想いに心を痛め中立を貫く者……。

そして民の間でも同様に様々な想いが交錯していた。
その後、本土戦に移行すると、国内の厭戦感情は爆発的に増加。
徹底抗戦を唱える教団勢力とは逆に、兵や民の心は離れていき、遂にはユグドラシル軍を手引きする者まで現れ始め、
内戦終結は時間の問題だった。


開戦より二ヶ月が経とうとしていた頃、要衝ノーブル砦が陥落したことを受けて、姫巫女クレリアは降伏を宣言した。
アースガルズの兵は次々と武器を手放し、白旗を掲げていった。
クレリアは夫シャラシャーティが出撃中で首都を不在にしている隙に停戦を申し入れたため、
入れ違いで彼の指揮する軍との戦闘が懸念されたが、
幸い報告が早くに届き、シャラシャーティが逃亡した為、最悪の事態は回避された。
アースガルズとの停戦が為されると、オットーはこの内乱の黒幕である《深緑の使者》教団の完全なる討滅に乗り出す。
これには追放されていたアースガルズ軍人や有志によって組織された義勇軍も参加し、
戦いはテオゴニア大陸全土と教団組織による全面戦争の様相を呈していく。

これより先は悪魔術師の反乱に物語を移すこととなる。


また、この内乱は後のオットーの”皇帝”としての人格形成に暗い影を落とすことになった。
アースガルズ戦役を始めとする八度の親征がその証左であり、
アースガルズへの苛烈な戦後処理などは、彼の武断政治の片鱗に他ならない。

首長家の大権剥奪、領地没収とそれに伴うユグドラシルへの領地編入、敵対する門閥貴族の解体と、
ここまでの容赦の無さには―当人は否定していたものの―養父フリードリヒ・イェーガーの戦死が大きく関わるとされている。

アースガルズ戦役における唯一の海戦となった『トラファルガー海戦』での砲撃戦の最中、
フリードリヒの座乗する旗艦の艦橋が敵の砲弾の直撃を受けてしまう。
海戦自体はユグドラシルの勝利に終わり、ユグドラシル軍側の撃沈艦艇もなかったものの、
フリードリヒをはじめ、この時艦橋にいた全員が戦死してしまった。

この内乱による養父の死が、オットーを諌められる存在の喪失を意味していたのなら、
皇帝の熱い正義感に拍車を掛けたことは否めない、というのが、
俗に言う「フリードリヒ説」を提唱する歴史学者の見解である。
また、オットー同様フリードリヒも、第一次文明戦争中に存命であったなら、と偉大な先人の死を嘆く者も多い。

最終更新:2015年11月17日 09:39